切らずの市弥、走る、奔る 第二話 | |
(三)淫婦 春姫さま、正室の幾田殿に続いてご落飾、の報に色めきたつ周囲の者たちに、 「お黙り」 と先代領主、坂元出雲守清虎の愛妾、夏姫は、しぃー、と人差し指を口にあてる仕草をした。 視線は庭で舞い踊る田楽法師たちに注がれたままである。 笛や鼓が盛んに鳴っている。 夏姫は手を叩いて、見事見事、と囃したて、 「そなたも踊りなさい。ホレ、そなたも」 寵童や侍女たちも一緒に舞わせた。 「夏姫さま」 春姫の出家を注進した若党の佐平次は困じ果てている。 「春姫さまがご出家あそばされたのですよ」 「春さまも御奇特なことねえ」 他人事のように呟く主に、 「あのぅ・・・」 「なあに?」 「夏姫さまは・・・その・・・およろしいのでございましょうか?」 「何が?」 無邪気に問い返され、佐平次はへどもどしながらも、 「ご出家でございますよ」 思い切って言った。 「あら」 夏姫は目を丸くした。すぐに首をすくめ、 「いやいや」 童女のようにかぶりを振った。 「出家などと恐ろしいこと、死んでもいやです」 美童の捧げ持つ小壷に指を入れ、南蛮菓子をつまみあげた。 「虎さまのご供養は御正室さま、春さまにお任せして、私はせいぜい浮世を楽しみますよ」 南蛮菓子を口に含んだ。それをたっぷりと口中で蕩かし、 「おいで」 と差し招いた美童に口移しで与えた。 前髪立ちの美童は恍惚と受けた。 田楽舞はいよいよ狂騒の度を増している。 じっとしていられなくなった夏姫は裸足で庭におり、踊りに加わった。はしゃいで手足を舞わせていたが、やがて田楽法師の中でも一番見目のよい若衆のところへ、近付いていった。踊りながら、チラリチラリと流し目を若衆に送った。 「そなたは幾つですか?」 「十七にございます」 「女子を知っていますか?」 「いえ、芸事に夢中で未だに知り申さず」 「ならば――」 夏姫は若衆の耳元で囁いた。 「今宵、私の寝所に侍りなさい」 よきことを教えてあげましょう、と若衆の手を両の掌で包んだ。 悪いお癖じゃ、と佐平次は額を押さえた。 本来ならば、領主の喪中である。領内にも「歌舞音曲の類、固く停止(ちょうじ)の事」との御触れが出ている。 なのに、この城内の奥御殿の一角だけは、まるで別世界であった。御触れなどどこ吹く風、日夜、乱痴気騒ぎが繰り広げられ、心ある者の眉をひそめさせている。 「これでは家臣領民への示しがつかぬ」 と修理亮は市弥にこぼした。 「はあ」 「儂も一度御諫言申し上げたのだが、お聞きわけ下さらなんだわ」 だって退屈なんですもの。 と夏姫は修理亮に言ったという。奔放な人物らしい。 「虎さまも賑やかなことが大好きだったお方ゆえ」 と名将であり亡夫でもある出雲守清虎を、「虎さま」とまるで色街の客か何かのように呼んで、 「大目に見て下さいましょう」 「しかし・・・・・・」 なおも食い下がる老臣の手をとって、 「修理さまも御一緒に」 ご供養ですよ、さあ、さあ、と色香に惑い気味の修理亮に散々踊りを強請った。 「腹立ちまぎれに剣舞をご覧に入れて差し上げたわ」 と修理亮は肩をいからせた。 「姫君も目を丸くしておいでであった」 「それは夏姫さまも驚かれたでしょう」 と市弥は苦笑した。 修理亮は黙して語らぬが、この話には続きがある。 太刀を振りかざして荒々しく舞う修理亮に夏姫は目を丸くしたが、 「まあ、無粋なこと」 と微笑して、 「修理さまは武辺一途のお侍ゆえ、舞はお下手なのでしょう」 私がご指南して差し上げましょう、とこの累代の重臣にピタリと豊満な身体をくっつけ、 「そうではなく、こうです。こういたします。あら、なかなか筋がおよろしいこと」 手を取り足を取り、教えられ、修理亮はもはや諫言どころではなく、這々の態で御前を退出したという。 この「夏姫さまの踊り御指南」の話は家中にも広まった。 「合戦では一度も遅れをとらざる修理亮さまも殿中では他愛もない」 姫君の方が一枚上手じゃ、と皆、陰で笑い合った。 「市弥、何を笑うておるのじゃ」 咳払いする老臣に、 「いえ」 市弥はあわてて居住まいを正した。 「百歩譲って酒宴や田楽見物には目をつぶるとしてもじゃ」 「はあ」 「アレは見過ごせぬ」 「アレ、と申されますると?」 「色狂いじゃ」 夏姫は孤閨に耐えられぬ性質らしい。 出雲守の生前も主が出陣で長く不在の折など、留守を預かる若侍を呼び寄せては、首根っこをつかむようにして閨に引き入れていたという。 「はあ」 その噂なら市弥もよく知っている。出雲守の近習などにも彼女に色の道を「御指南」された者も少なくないと聞いている。 出雲守は愛妾の浮気に気づかぬふりをしていた。 お側の者たちがそれとなく忠告しても、 「アレはアレでよいのだ」 と、かばった。むしろ彼女の奔放さを好ましく思っているふうですらあった。 ただ、一度、不義の現場を目撃したときだけは、流石に不快そうだった。 「あら」 夏姫の方はといえば、悪戯の見つかった女童のように、茶目っ気たっぷりに首をすくめてみせた。 「堪忍」 と甘ったるい声で詫びられ、出雲守も 「大概にいたせよ」 と軽く叱っただけだった。 「だって」 叱られて夏姫は口を尖らせた。 「虎さまが悪いのですよ」 「何故かね?」 「このところお渡りもなく、私を放っておかれますゆえ――」 「泣くな。儂が悪かった。許せ」 不義を働かれた方が謝るというおかしなことになった。不義の相手の若い侍は面目なさそうに、打ちしおれていた。 ――春姫さまといい、夏姫さまといい・・・。 荒くれ武者たちを統御した不敗の名将も後宮は統御できなかったらしい。小娘のような側室たちに手綱をとられ、振り回されていたようである。 ――お屋形様もただの男であらせられたか。 市弥はおかしかった。 「ここだけの話だが」 修理亮は声をひそめた。 「そのときのお相手の侍が追い腹を切った奥野甚三よ」 「なるほど」 生真面目な奥野はこの不始末に責を感じ、汚名を雪ぐ機会を待っていたのだろう。主君死後、直ちに殉死したのもうなずける。けれど、 ――ワシなら死なぬがな。 市弥はふてぶてしく思っている。もう一人の不義者は出雲守が死んだことで、逆に白昼堂々と底抜けに遊び呆けているのだから。 「近頃はますますひどくなってのう」 酒宴や田楽見物にかこつけては、これ、という男を見繕い、臥所を共にしているという。 「一夜に三人も四人もということもあるそうな」 「凄まじきものでございますなあ」 市弥も夏姫の荒淫に驚愕した。 「あのお方にこそ、頭を丸めていただかねばなるまいて」 「左様でございますなあ」 「何を暢気な。その方のお役目ぞ」 「ははっ」 市弥は力なく頭を下げた。 「くれぐれも穏やかに事を運ぶべし」 そう言い残し、修理亮は去った。 ――「穏やかに」か。 市弥は皮肉に首をすくめた。 夏姫問題はかなり繊細な内容を孕んでいる。 夏姫の実家は「御一門衆」と呼ばれる出雲守の同族にあたる家柄で、家中でも重きをなしていた。とりわけ夏姫の実父、雅樂助は主君の出雲守も遠慮するほどの権勢家だった。出雲守が夏姫の不貞を黙認していたのは、単に愛情からだけではなく、雅樂助への政治的な配慮もあったであろう。 正室の幾田殿も夏姫には意見を差し控え、奥の乱れにも沈黙を守り続けている。 不届きだからといって、無理やり仏門に入れるような真似をしては実家が黙ってはいない。やり方を誤れば、新領主の下、御家は分裂しかねない。 ――貧乏公卿の娘の春姫さまとはわけが違う。 一番良いのは夏姫が自身の意思で出家することだが、そうさせるのは、 ――一国を切り従える以上の難題ぞ。 市弥は頭を抱えた。 長屋で寝転んでも、一向に妙案は浮かばない。 ――気晴らしじゃ。 半ば自棄になって、色里へと足を向けた。 行きつけの成田屋で馴染みの湯女、ステを呼んだ。成田屋は湯屋で遊び女に客の身体を洗わせ、伽もさせる。 「浮かぬ顔でございますね」 竹べらで馴染み客の背中の垢を落としながら、ステが言った。駿河の生まれだという。訛りも箱根の山より西のものだった。 「上役から虐められておるわ」 「まあ、かわいそうに」 ステはにやにや笑った。 「そなた、ワシが死んだらどうする?」 出雲守の一件を念頭に訊いてみたら、 「虎御前になりましょう」 という返答がかえってきた。 仇討ちで知られる曽我兄弟に愛された遊女の名前をサラリと出す機転が、市弥は気に入っている。伝承によれば虎御前は曽我兄弟の死後、遊女ながら尼になり、兄弟の菩提を弔ったという。 勿論、馴染み客を喜ばせるための他愛のない嘘である。それは市弥にもわかっている。 睦んでみても、頭の中にあるのは夏姫のこと。 「ステ」 「はい?」 「男狂いの女子に男を断たせるには、どうしたらよいかな?」 「はて」 ステはちょっと思案して、 「オノコよりよきものをあてがえばよいのではございませんか」 と答えた。 「莫迦め」 市弥はふきだした。 「そのようなものがあるか。男狂いの女子にとって、男は飯の如きものぞ。取り上げられては生きていけぬわい」 「ステは莫迦でございますから、他によき思案は浮かびませぬ」 ステはふくれた。 「筑前さまにでもお訊ねなさいませ」 とむくれ顔で言われた皮肉に、市弥、ハッと閃くものがあった。 「それだっ!」 「いかがなされたのです?」 とステが驚いて訊ねたときには、情夫はもう下帯をつけている。 「筑前どのの許へ参る」 またの、と言い捨てて湯殿を出る背中に、 「勝手な殿御じゃ」 ステは吐き捨てた。 城下の外れに森がある。 森の奥深くに小さな寺がある。 少し前まで無住で土塀は崩れ、屋根は破れ、狐狸の棲家となっていたのだが、今はすっかり様子が変わり、不相応な伽藍が深閑とした周囲と不調和に建っている。 「このような夜分に何事でございますか?」 寺の主は市弥の不意の来訪を訝しんだ。若い尼である。 「ここは男子禁制でございますよ」 と迷惑そうに言われた。 「ゆえに夜分にまかりこした」 「・・・・・・」 「久しいな」 市弥は尼に馴れた笑みを浮かべた。 「筑前」 「その名は疾うに捨てました」 尼はつれない。 「これは迂闊だった。今は・・・ええと・・・ああ、華照尼どのだったかな」 「何の御用でしょうか?」 尼は警戒している。 この華照尼、かつては筑前という遊女だった。ステのようなただの遊び女ではなく、城下第一と謳われた名高き傾城で、大層羽振りがよかった。市弥も客のひとりだった。 どういう心境からか、先年、遊女稼業から足を洗い、髪をおろした。 「尼になっても美しいな」 「ホホ、お上手な」 さして嬉しそうでもなく、華照尼は市弥の賛辞を受け流した。 「実はな」 と市弥は膝をすすめた。 「折り入って、そなたに頼みがある。そなたとは枕を交わしたる仲、聞き入れてもらえまいか」 「これは迷惑な」 華照尼は露骨に顔をしかめた。 「苦界にいた折、縁を結びしはそなた様だけではありませぬよ。契った殿御の数だけ頼みを聞き入れていては、この身が持ちませぬ」 「わかっている。そこを曲げて」 「お帰りあそばせ」 「もし聞き入れてくれぬのならば、ワシはこの場で腹を切らねばならぬ」 「お腹を召されるのはご勝手ですが、ここは不浄を忌む聖域です。余所でお願いいたします」 「何が聖域だ」 市弥は凄味のある顔で言った。 「邪淫の悪気に満ち満ちておるぞ」 「・・・・・・」 華照尼は黙った。 「そなたの手下の破戒尼どもの慰め合う声がここにまで届いているわ」 「・・・・・・・」 「ワシが亡きお屋形様や奉行にうまく誤魔化したればこそ、そなたも安穏と快楽にふけっておられるのではないか」 「恩をお売りあそばすつもりか?」 「ああ、そうだ」 と市弥は居直ったが、 「悪い話ではない」 利をちらつかせ、海千山千の老獪な華照尼と交渉をはじめた。 「どのようなお話でしょう?」 華照尼も聞くだけ聞いてみる気になったらしい。 「さる貴人をこの尼寺にお迎えしたい」 「さる貴人とは?」 「亡きお屋形様のお側女夏姫さまじゃ」 「確かに――」 悪しきお話ではありませぬな、と華照尼が尻尾を出した。有力者の入寺にあたっては、かなりの寄進と庇護が期待できよう。 「しかし何故、かような尼寺に?」 不審そうな華照尼に、 「そなたの手管が御家を救うのだ」 世の中何が役に立つかわからぬものだな、と市弥は不敵に笑った。 (四)邪教 それから数日後、市弥は夏姫に拝謁していた。 貴族的な容貌の春姫とは対照的に、愛くるしく、あどけない顔立ちだった。 豊かな肉付きの身体を絹で包み、気だるそうに脇息に預けている。 「そなたは犬に似ていますね」 市弥を見た夏姫は、袂で口を隠して、ケラケラ笑い転げた。家中第一の出頭人も形無しである。 ――童臭い姫御前だな。 悪意はなく、育ちゆえ思ったことを思ったまま口や態度に出してしまうらしい。 ひとしきり大笑いすると、 「こうした病ゆえ、私は虎さまのご葬儀にもご法要にも出られないのです」 悪びれず言った。 「大人たちが真面目な顔で居並んでいるのを見たら、もうおかしくておかしくて」 笑いがとまらなくなるという。我慢というものができない性分らしい。 「ですからね、ととさまが”そなたは奥でじっとしておれ”と怖いお顔で、ふふふ」 「ととさま」である雅樂助も娘には苦労しているようである。 「市」 夏姫が犬のように呼んだ。 「はっ」 市弥は苦い顔でひれ伏した。 「そなた、踊りは達者ですか?」 ――来たな。 と市弥は思ったが、おくびにも出さず、 「不調法にて候」 「そう申さず、何か舞いなさい」 踊るまでは退出させませんよ、と人懐っこい笑顔で威されて、 「されば」 市弥は立ち上がった。 市弥が披露したのは近郷の百姓たちの田植え踊りだった。彼が少年時代、慣れ親しんだ踊りであった。 土の香のする踊りを、市弥はことさらに剽軽な身振り手振り腰つきで陽気に、賑やかに、卑猥に舞ってみせた。 初めて目にする地下の踊りに夏姫、大いに喜び、目に涙をためて笑い転げ、 「見事、見事!」 手を拍って誉めそやした。 「もっと、もっと!」 せがまれて、さらに踊った。汗まみれになって、草臥れたが、 ――お役目が首尾良くゆけば御加増じゃ! と自らを鼓舞した。 「市!」 と夏姫は大はしゃぎして、美童から小壺をひったくり、手を突き入れた。 「お食べ」 と礫のようにパラパラと南蛮菓子を放った。 「わん、とお鳴きなさい、わん、と」 市弥はバッと畳に四つん這いになった。わん、わん、と犬の鳴き真似をして、畳に転がる菓子を咥えた。 夏姫も周囲の者も手を拍って嗤った 菓子の甘味はかえって市弥の涙腺を緩ませた。殿中で犬扱いされている我が身が不意に情けなくなった。 が、 ――失敗れば切腹、うまくゆけば御加増。 所詮、人間を死に物狂いにさせるは恐怖と欲だ、と一粒数十文の南蛮菓子を頬張った。 夏姫は市弥が大層気に入ったらしい。 「市や、市」 わん、と市弥が鳴いた。 「お前は甘いものが好きですね」 わん、と市弥がまた鳴いた。 「もっと甘いものをとらせましょう」 近う、と夏姫が差し招いた。市弥は犬のまま、夏姫の許へといざり寄った。 「もそっと近う」 と夏姫がゆったりと扇を動かし、両者の距離は一間ほどに詰まった。 「市」 夏姫は飛び跳ねるように主座をおりると、両の腕で市弥の首をかい抱いた。むせるような香が馨った。春姫のけむるような古雅な香りではなく、当世風の華やいだ香りだった。 「お前は愛い犬ですねえ」 今宵寝所で可愛がって遣わします、と夏姫は市弥に頬ずりしながら、耳打ちした。 市弥、豊かな胸と甘い匂いに目を白黒させ、 「ひ、姫様!」 「わん、とお鳴き」 「何卒ご容赦を」 毒入りの据え膳を懸命に押しのけようとした。 「わん、と鳴きなさい」 「実はそれがしが本日まかりこしましたのは――」 「犬の申すことなど聞きませぬ」 「ひ、ひ、姫様!」 「聞きませぬぅ」 夏姫は外見に似合わぬ膂力で市弥を押し倒した。こうやって若侍たちを「御指南」に及んできたのであろう。 「お、お、お城の外へ遊びにお出ましになりたくはありませんか」 「なりたい」 夏姫は即座に答えた。 食べかけの団子を皿に戻すように、パッと市弥の身体を離した。 ――やれやれ。 市弥は胸をなでおろした。 思惑通りである。 ただでさえままならぬ外出が出雲守の喪中のため、まったくできずにいる。 奥御殿に押し込められて、夏姫はそろそろ退屈の虫が疼いてきたようである。市弥の諫言ならぬ甘言に、まんまと乗った。 「どうやってお城を出るのです?」 爺やたちがうるさく申しませんか、と夏姫は修理亮たちのことを案じている。 「細工がございます」 と市弥は打ち明けた。 亡き出雲守の供養のための寺詣でと言えば、重臣もさして反対はしない、というと、 「しかし市」 「はい」 「お坊様のお経を長々と聞いていたら、私、笑い死んでしまいますよ」 「お案じなさいますな」 市弥は心強い顔で言った。 「心安き尼寺を存じております。そこでごゆるりと奥の疲れをおとりなさいませ」 「尼寺のう」 夏姫は浮かぬ顔で反芻した。 「あるいはそこで生きながらに極楽浄土を味わえるかも知れませぬよ」 夏姫の輿が華照尼の尼寺に向け、発ったのはその二日後だった。 「爺やたちがよう許したこと」 夏姫は、一刻も早く尼寺へ、という老臣どもの内心も知らず、輿に揺られていた。 「何か手土産を持って帰らねばなりませんねえ」 「お気遣いは御無用でございましょう」 もはや貴女様がご帰城なされることはないのだから、という言葉を市弥はのみこんだ。 欲求や行動も子供じみているが、愛情も子供のようで、市弥や供の侍女たちにしきりに、喉は渇いておりませんか? お腹は空いていませんか?と水の入った竹筒や干し柿をすすめていた。 ――悪いお方ではないのだがなあ。 市弥の心に憐憫の情がわいた。 尼寺に着いた。 夏姫は待ち構えていた華照尼と彼女の手下の尼たちに仔犬のように玩ばれ、手篭めにされた。 この尼寺は仏門のある経典を捻じ曲げて解釈して女人同士の性交を奨励する邪宗門の巣窟だった。 尼たちは寄ってたかって夏姫を辱めた。 一人の尼が夏姫の装束を剥き、乳房をねぶった。もう一人の尼は唇を吸った。 夏姫はほとんど抵抗しなかった。熟柿が落ちるように、容易く尼たちの「教義」に身を委ねた。 華照尼は尼たちに姫の両脚を開かせると、 「姫様、こういたします」 と法具を模した張形を秘壷に突き入れた。それをゆっくりと動かした。 「ああ、もっとおくれ! もっとです!」 夏姫は初めて知る快楽に狂ったように身をよじり、歓喜した。 「姫君」 華照尼は貴人の耳を甘く噛みながら囁いた。 「尼におなりあそばせ」 「あ、尼に?」 「女子の真実の悦びを知るは女子でございます。尼となり、この尼寺にお住まいになられるならば、かような法悦が日毎与えられることでありましょう」 「な、なります」 夏姫は躊躇いもなく城中の栄華を捨てた。 「まことでございますか?」 と生臭尼に乳房を強く圧され、 「ま、まことですぅぅ!」 夏姫は啼いた。 「お髪(ぐし)を剃らねばなりませぬよ?」 「そ、剃りますぅ」 「尼になれば、お城の中のようには威張れませぬよ?」 華照尼は意地悪く、張り形を動かした。 「か、構いませぬぅぅっ!」 華照尼はスルリと頭巾をとった。 「おつむりをこのようにツルツルになさらねばなりませぬよ?」 「か、構いませぬぅぅ!」 尼御前さまぁ、と夏姫は淫婦の本性も露に乱れた。 「・・・・・・して下さいませ」 「聞こえませぬ。もそっと大きな声でハキと申されますよう」 「どうか、どうか、お夏を尼にして下さいませえぇ!!」 隣室で市弥は夏姫の果てる声を聞いた。 ――許されよ。 道中、夏姫から貰った干し柿を掌中で握りつぶした。 ――ここには五月蝿く申す爺やたちはおわさぬゆえ、存分に愉しまれよ。 そっと足音を忍ばせ、後の始末は売僧たちに任せた。 「ならばこの場にてご落飾の儀を執り行わせていただきます」 と華照尼は螺鈿の櫛で夏姫の艶やかな黒髪を梳いた。シャー、シャー、と櫛の歯が髪を擦る音を楽しむように、何度も何度も梳った。 「尼御前さま、早う、早う」 夏姫が剃髪をせがんだ。 華照尼は用意の剃刀を夏姫の髪にあて、 「姫様、合掌」 と言った。 夏姫が言われるままに掌を合わせると、尼たちも行為をやめ、端座した。 「あ、や、やめないで」 焦れる夏姫に 「お髪をおろした後でしてあげます」 「ならば早う剃りあげて下さいませ」 華照尼は慣れた手つきで、夏姫の豊かな髪に剃刀を入れた。 ジッ、 ジッ、 ジッ、 と髪が払われ、青白い地肌が覗いた。 「ああっ」 夏姫は合掌したまま、うっとりと吐息をもらした。髪を剃られることに無上の悦楽をおぼえている様子だった。 「いけない髪です」 と華照尼が言った。 「この髪で一体どれほどの殿御を狂わせてきたのやら」 罪深い髪です、と華照尼は夏姫の耳元で囁き、剃刀を動かし続けた。まず頭頂部が月代のように剃られた。そして右鬢が剃刀の餌食となる。剃られた髪は最早かつての威光も虚しく畳に散っている。 ジッ、ジッ、ジョリリ、 いつしか夏姫の髪は左鬢に一筋、ダラリとだらしなく垂れ下がっているのを残すのみとなった。華照尼はそれを容赦なく削ぎ落とした。 「まあ、涼やかなこと」 と華照尼は剃りあがった頭を撫でた。ああ、と夏姫は啼いた。 「尼君さま、これでよろしゅうございますか?」 「ええ」 たっぷりと可愛がって進ぜましょう、と妖尼は新参尼の頭に舌を這わせた。
市弥は筆をとって、四つの姫君の名から夏姫の名を消した。 ――ようやく半分か・・・。 目途が立ったような気が遠くなるような思いだった。 夏姫が「自らの意思」で出家したことについて、重臣たちは安堵の胸をなでおろし、 「市弥、ようやった」 とその労をねぎらった。華照尼の尼寺にも相応の寄進がなされた。 自分も役目を果たし、重臣たちも喜び、夏姫も他聞をはばからず快楽に耽ることができ、華照尼も富を得た。皆が得をした。けれど何故か釈然としないものがあった。 ――ともあれ―― 「ステには礼をせねばなるまい」 市弥は今回一番の功労者の顔を思い浮かべた。 (つづく) |