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お鹿の一件


 以下に記す大坂の花柳界を震撼させた事件がおこったのは、文久三(1863)年九月のことだった。

 大坂八軒家の船宿、京屋。
 一人の壮漢が巨躯を縮こまらせ、迷惑顔の主、忠兵衛に叩頭していた。
「――というわけだから、是非、主にも一肌ぬいでもらえないだろうか。これから吉田屋でな、パアッと宴を催して昨晩の遺恨を一切合財水に流したいのだ。こう、芸妓をずらりと並べて、な、幇間も呼んで、それと肴も。できるだけ豪勢に、な。勿論金子は出すとも。近頃は我らも金回りがいいのだ。なあ、あんたを天野屋利平が如き侠商と見込んで、これこの通り頼んでいるのだ。武士が頭を下げているのだ。俺の苦衷も察してくれ」
「わかりました」
と忠兵衛は貧相な髷をのせた首を縦にふった。表情は苦い。
「引き受けてくれるか」
 壮漢が晴れやかな顔になる。
「吉田屋はんにはウチから使いを出して、話をしときます」
「恩に着る」
 壮漢が何度も頭を下げ、室を退出すると、忠兵衛は大きなため息をつき、店の者を新町九軒町の遊郭吉田屋に走らせた。それを見送って、
「疫病神が」
と心底忌々しそうに吐き捨てた。
「ゆうべはえらい騒ぎやったなあ」
 女房のマサがいた。亭主同様、一睡もできなかったらしく顔色がさえない。
「ほんまにあの人らがウチを宿にするようになってから、碌なことがありまへんなあ」
 マサのボヤきに
「そうやなあ」
 忠兵衛も慨嘆する。
「こないだは小野川部屋のお相撲はんを斬らはって」
「ああ、ウチもとばっちり受けてなあ。寿命が縮んだわ」
「あの人ら、ほんまに会津中将様お預かりのお侍さんなんやろか」
「あないな連中がなあ」
 世も末や、と忠兵衛、腕組みして、
「さてさて、これからどうなることやら」
 この国の行く末を愁いているのか、それとも本日の首尾を心配しているのかは、あくびを噛み殺している女房殿にはわからない。

 さて、一方の壮漢は、と言えば――
「どうかね?」
と朝帰りの若旦那が親父殿の機嫌を訊ねるように声をひそめ、講武所髷に高袴の青年にきいていた。
「まだ怒っていらっしゃるよ。相当なものだ」
 こっちもいい迷惑だ、朝寝もできやしない、と講武所髷は壮漢の表情がみるみる沈んでいくのを楽しむかのように答えた。
「そうか・・・」
「永倉さんもバカだなあ」
講武所髷は相手の意気消沈ぶりがおかしくてたまらぬらしい、
「芹沢先生なんかうっちゃっておいて、私たちと一緒に遊びに行けばよかったのに。大坂はね、何てったって曽根崎心中の舞台ですからね。いやはや私も危うく徳兵衛の二の舞になりかけた。それくらい別嬪が多い」
 そちらはそちらで女難だったろうけど、とクスクス笑われ、永倉と呼ばれた壮漢は憮然としていた。こみ上げている言葉を押し殺している。が、思い余ったかのように声を殺し、
「沖田よ」
「なんです?」
 沖田と呼ばれた講武所髷は永倉のただならぬ気色に、一瞬真顔になったが、
「そんな怖い顔をしないでくださいよ」
と呼吸を外した。
「その・・・なんだ・・・近藤先生や土方さんはやはり・・・その・・・芹沢先生を・・・ナニする気かね?」
「永倉さん次第じゃないかなあ」
 沖田に受け流され、永倉は、
「芹沢先生は壬生浪士組には必要な御人だ」
とだけ言った。
「壬生浪士組じゃなくて新選組ですよ」
 訂正され、あわてる。
「そうだったな」
 禁門の政変での武功が朝廷や幕府に認められ、武家伝奏を通じ「新選組」の隊名を下賜されたのが、先月の十八日だった。
「我々だってもう烏合の衆じゃない。正式に京洛の治安を任されているんです。武威を以って京童に恐れられるのならともかく、狼藉を以って恐れられては恥ですよ」
 なあんてね、と舌を出す沖田に永倉も苦笑して、
「近藤先生の受け売りかね」
 局長の近藤勇が最近そうやって、もう一人の局長である芹沢鴨を批判しているのを永倉は知っている。批判するだけでなく、「排除」もやむなし、と考え始めていることも。
「だがな、沖田」
「はい?」
「芹沢は人物だぜ」
「認めますよ」
「禁門でのあの人の振る舞いを見たろう?」
「あははは、繰り出された槍の穂先を、先生、自慢の鉄扇をひろげパタパタと(笑)」
「笑い事じゃない。ああした切所に立ってみてはじめて、そいつの器量がわかるってもんだ。こう言ってはなんだが、将器において近藤先生より一段上だと俺は踏んでいる」
「でも豺狼の如き人だ。あの人のおかげで洛中での隊の評判は散々ですよ。三つっ子ですらベッカンコウをしやがる」
「酒さえ飲まなければ好漢なんだがなあ」
「永倉さんも好漢だ」
 現に貴方がいま大いなる災厄に遭っている最中じゃないか、と沖田は肩を揺すって笑い崩れた。
 永倉は黙った。
 沖田の言うとおりだ。

 昨日の出来事である。
 姫路藩主酒井忠邦の警固をして大坂に下った新選組は、大坂での宿舎である京屋で旅装を解き、隊士たちは三々五々、色町へと散っていった。
「永倉さんも行こう」
と沖田にしつこく誘われたが、永倉は宿に残り、芹沢鴨とふたり、談論風発、大いに気焔を吐き、杯を酌み交わしていた。
 近藤を主軸とする試衛館一派からは蛇蝎の如く嫌われ敬遠されている芹沢だったが、永倉だけは近藤派でありながら、芹沢とも懇意にしていた。同じ神道無念流を学んだ同門だったし、気質的にも通ずるものがあったからだ。
 酔いがまわった芹沢は、
「なあ、永倉君」
と上機嫌で、隊内では沖田と並ぶ使い手と一目も二目もおかれている同門の武骨な酌を受け、
「男同士で飲んでもつまらんなあ」
と言い出した。
「君は吉田屋にいい女がいるんだろ」
「ええ、まあ」
 お鹿という仲居である。さして美人ではないが、スラリとした身体つきの、キビキビとたち働くさまが小気味いい女だった。気性もサッパリとしている。それが江戸育ちの永倉の好みに合い、幾度となく下坂するたび、いつしか恋仲になっていた。
「呼びたまえ」
と芹沢は永倉をせっついた。もっとも彼の魂胆は別にある。
「吉田屋には小寅という芸妓もいたろう。ついでにあれも呼ぼう」
 ついでと言いつつも、芹沢の本命が小寅であることは永倉も承知している。気軽く、
「呼びましょう」
とのった。
 それが騒動の発端に、ひいては新選組局長芹沢鴨の命取りとなったのだった。

「えらいことになったな」
との声に振り向くと、背後に副長の土方歳三が立っている。坪庭を見つめている。さっきから永倉と沖田のやりとりを聞いていたらしい。
「ご迷惑をおかけする」
 永倉はこの古くからの同志に頭をさげた。今日は頭を下げてばかりだ。面白くない。
「あの先生」
と土方は芹沢のいる二階を顎でしゃくってみせ、
「皇城の安寧のために挺身する自分を侮辱する者は女であろうと容赦せぬ、と大層ご立腹だ」
 皇城の安寧どころか騒がせている張本人のくせに、と坪庭を見つめたまま、役者のような端正な顔を歪める。
「小寅お鹿両人の首を刎ねるそうだ」
 ゲエッ!と永倉は飛び上がった。
「待ってくれ! そいつは無法だ! 何故お鹿にまで類が及ぶのだ?! お鹿には何の罪もないぞ」
「あの先生の無法は今に始まったことじゃない。君も結党以来見てきたろう?」
 島原遊郭での狼藉、生糸商大和屋焼き討ち、呉服問屋菱屋の愛妾お梅強奪、芹沢の非行をあげればきりがない。隊士の女に岡惚れして、その隊士を斬殺したことすらある。
 このままでは新選組が無頼の徒になりさがる、と近藤土方らが不安をおぼえるのも無理はない。だから、消す。

 小寅は芹沢を嫌っていた。
 売れっ子の芸妓である慢心があったのだろう、性急に口説こうとする芹沢を露骨に軽侮する態度をとった。
 芹沢の方も最初はそんな彼女を面白がる余裕があった。しかし段々苛立ってきたようで、ついには、
「帯を解かんか!」
と永倉やお鹿の手前もはばからず、声を荒げた。
小寅も鼻っ柱の強い女でツレなく
「お鹿さんが解くならウチも解きます」
「あら、嫌やわ。恥かし」
 お鹿は流石に永倉が惚れただけの女である。大仰におどけてみせて、座が白けるのを避けた。
 だが芹沢はしつこい。
「ならばお鹿、帯を解け」
「芹沢先生はだいぶお過ごしになられたご様子だ」
 永倉は懸命に微笑した。
「今宵はこれで――」
「黙れ!」
 芹沢は餓虎の本性を剥きだしにして吼えた。
「俺を誰と心得るか! 会津中将様お預かりの新選組局長芹沢であるぞ!」
 それからが大変だった。
 逆上した芹沢は膳を蹴り倒し、三百匁はあるという自慢の鉄扇で調度品を叩き割り、暴れ狂った。そして震え上がる女たちを睨みすえ、佩刀の柄に手をかけて
「斬る」
と騒ぎ出した。
狼狽した永倉は
「芹沢先生、ここは拙者に免じて何卒、何卒」
と芹沢をなだめ、騒ぎのドサクサにまぎれ、宿の者に言いつけて駕籠を呼び、女たちを送り返した。
 それでも芹沢の怒りはおさまらなかった。「今にみておれ!」と宿中に響き渡る大声で小寅たちを罵倒し続けていた。
 弱りきった永倉はまんじりともせぬまま、夜が明けるのを待ち、京屋の主人忠兵衛に泣きついたのだった。

「土方さん!」
 永倉は土方を拝む真似をした。
「貴公も吉田屋に同行してはくれまいか」
「そのつもりだ」
 土方はようやく庭から目を離した。
「ありがたい!」
「だが永倉君」
 「鬼」と隊士の間で恐れられている副長の冷たい両眼が、永倉を見据えている。
「君もそろそろ思い切らんかね」
 永倉には土方の言葉の意味がよくわかっている。芹沢排斥ニ同意セヨ、ということだ。
 近藤、土方はとうとうハラをきめたらしい。そのための根回しもすすめているようだった。沖田をはじめ、山南敬助、原田左之助といった近藤派の面々も彼らに協力、あるいは黙認の態度をとっている。永倉のみが反対している。
「それは・・・」
 永倉はそこまで非情にはなれずにいる。同門の芹沢に愛情も感じている。
 土方はそんな永倉がじれったい。
 近藤派の足並みが揃わねば、芹沢は斬れない。もし仮に事が成就しても、隊中最強の剣客、永倉の心にしこりが残っていては、新選組は近藤の下、一枚岩とはならない。
 今となっては、
 永倉には黙って決行すればよかった
と自らの見通しの甘さに臍を噛んでいる。
「所詮、あの男と我らは同床異夢だったんだよ」
と土方は言う。
「これは会津候の御内意でもある」
「土方さん」
 永倉も単なる人斬りではない。学問もある。志士としての見識もある。弁も立つ。
「芹沢は隊の発足にあたって色々と骨折ってくれた。壬生浪士組、いや、新選組のいわば親のようなものだ。そのような大恩ある人を害するというのは、武士たる者のとる道ではあるまい」
「新八」
 土方は道場時代の呼び方で永倉を呼んだ。彼の故郷の多摩の地言葉で、
「俺ァ、お前と士道論議をする気はねえよ」
 ただこれだけは言っておく、と語をついだ。
「俺ァ、痴話喧嘩の仲裁をするために京にのぼったんじゃねえ」
 永倉は返す言葉もなく、うなだれた。自分が情けなかった。

 吉田屋門前。キャンキャンと足元にまとわりついてきた野良犬を
「うるさい!」
と芹沢が蹴りあげる。犬は宙を舞い、地面に落ち、ピクピクとしていたが、すぐ動かなくなった。死んでいた。
 頭目の怒気の凄まじさに、同行した一同、改めて粛然とする。芹沢、永倉、土方、沖田、芹沢の腹心で姫路脱藩の平山五郎、そして京屋忠兵衛。総勢六名。
 沖田だけは、
「大丈夫かなあ」
とにやにや顔で門をくぐる。付いてくるな、と言ったのに付いてきた。この人の悪い天才剣士は永倉が青息吐息するさまを見たくてたまらぬらしい。
 土方と一緒に不機嫌な芹沢をなだめたりすかしたり、なんとか吉田屋まで連れてきた。芹沢はすでに酔っている。
「吉田屋に討ち入りをかけるぞ!」
などと玄関で怒号していたが、吉田屋でもこうした酔漢の応対には慣れている。
「さあさあ、芹沢先生、ようこおいでくださいましたなあ」
と座敷に招き入れ、芸妓五十人をズラリ居並べて、下へもおかぬ饗応をする。
「さ、まずはご一献」
「うむ」
と芹沢は大杯を干し、
「小寅とお鹿の姿が見えんなあ」
 よっぽど昨夜のことが腹に据えかねているらしい。
いや、
 ――違うな。
永倉は薄々、芹沢の心底がわかりはじめている。
――内山への嫌がらせだろう。
今年の六月、ここ大坂で遊興中の芹沢が力士を無礼討ちにした。それに憤った力士仲間が報復と称して大挙して押し寄せ、新選組と乱闘になり、死傷者が出た。永倉が人を斬った最初である。
この事件を扱ったのが、名与力とうたわれた大坂西町奉行所の内山彦次郎だった。
内山は当時、壬生浪士組と称していた新選組に冷淡だった。それが芹沢の自尊心を傷つけたらしい。
「内山は尽忠報国の士を遇する道を知らぬ」
 俗吏め、奸物め、としきりに罵っていた。
「あいつは裏で長州と手を結んでいるのだ」
とまで言っていた。
 大坂市中で騒ぎを引き起こして、憎い内山を困らせたいのだろう。永倉は芹沢のこうした子供っぽさが嫌いではない。
 だが自分の愛人が巻き添いを食うとなると話は別だ。
「芹沢先生、今日は大いに飲んで、暑気払いといきましょう」
 無理矢理笑顔をつくって酒をすすめる。
 だが芹沢はきかない。
「小寅お鹿を呼べ」
「芹沢先生」
「呼べと申しておる!」
 仕方なく忠兵衛が奥へいき、怯える小寅とお鹿を説き伏せ、ようよう新選組局長の前に連れてきた。
 面前に引き出された二人を芹沢は
「宴席は傾城の戦場(いくさば)である」
 ギロリと睨めた。
「然れども其の方らは宴半ばにして雲隠れした。逃散は戦場において最も忌むべき法度である。成敗されても致し方あるまい」
 女二人は生きた心地もなく震えている。
 永倉、必死にとりなそうとするが、芹沢の気迫に呑まれ、声が出ない。
 お鹿がすがるような目で永倉を見た、永倉はやはり黙ったままだった。
「局長」
 代わって土方が口を開いた。
「たかが女子のことではありませんか。許しておあげなさい」
「何?」
「武士たる者、惻隠の情を忘れてはいけませんよ」
「今更君に士大夫の道を説かれるおぼえはないよ」
 芹沢は鼻で笑い、薬屋風情にね、と小声で付け足した。薬の行商をしていたという土方の前歴を揶揄している。
満座は水をうったように静まりかえっている。芹沢の嘲りは皆が聞いている。
 土方の顔色が変わった。侍としての高揚感に燃えているこの男が、一番言われたくない言葉だったに違いない。唇が微かに動いた。コロス、と動いた。芹沢はまったく気付いていない。
 土方はさもあらぬ体を取り繕い、再度、女たちの助命を進言する。
「芹沢先生、私からもお願いしますよ。永倉さんが可哀想です」
 それまで事態を面白そうに傍観していた沖田が口を挟んだ。
「そうだろうか」
 芹沢が人の好い顔になった。隊内外で暴風雨のように恐れられている男だが、どうしたわけか沖田だけには弱い。甘い叔父のような態度をとる。
 沖田の嘆願を受け、芹沢はしばらく思案していたが、やがて、
「命を取るのは許そう」
と言った。
 永倉は胸をなでおろした。冷や汗で背中がグッショリ濡れている。
しかし続く芹沢の言葉は永倉を絶望させた。
「小寅お鹿両人が剃髪し、詫びを入れることで今回の一件は落着とする」
 これでどうだ、と悪戯っぽく笑う芹沢に
「命が助かるのならば結構だ」
と土方も首肯している。
「なあ、主」
「へ、へえ」
 吉田屋主人喜左衛門は泣きそうな顔をしている。お鹿はともかく、贔屓客の多い小寅が丸坊主になられては、吉田屋にとっては踏んだり蹴ったり、少なからぬ損害である。
「剃髪・・・」
 永倉は呆然とお鹿を見た。お鹿も小寅も自身の思いもかけぬ運命に、放心したように座りこんでいる。
 早速、近所の髪結床で助六という者が呼ばれ、剃髪の支度が整えられた。
 湯が沸かされ運び込まれる頃には女二人、ようやく正気にかえって、
「堪忍してください!」
と泣き喚いて剃髪の免除を願い出たが、芹沢は許さなかった。
「髪がなくなるのがいいか、首がなくなるがいいか、よくよく考えて決めろ」
「髪はウチの商売道具です! 髪がなくなっては商売ができまへん!」
 小寅が涙ながらに訴えている。
 永倉はお鹿の視線を感じた。見た。目が合った。
 お鹿は目で永倉に救いを求めている。助けて、助けて、なんで助けてくれへんの?
 永倉は苦しくなった。
 ――すまん、お鹿・・・。
 お鹿が屹と怖い顔になった。
 意気地なし!
とその瞳は永倉を激しく詰っている。
 居たたまれない思いだった。
 土方と平山が二人の髪を切ることになった。土方は小寅の、平山はお鹿の髪を切る。
「では」
と土方が脇差を抜いた。なんともいえない表情だった。
 新選組副長として国難に当たる身が、こんな女郎屋でこんな刀の使い方をせねばならぬという情けなさに、嘆いて良いのか笑って良いのか感情の始末に困っているのだろう。
 女の元結に脇差の刃があてられる。小寅はさめざめと泣いている。お鹿も涙を袖で拭っている。
 シャリ、と刃が元結に入った。シャ、とまた深く入った。シャッとさらに深く。さらに深くシャ、ブツリ。
 元結が断ち切られ、バサリと髪が垂れ、女たちの頬のあたりでゆれている。
 持ち主を失った元結は白木の三宝に載せられ、芹沢の前に差し出される。杯をあおりながら、それを検分し、
「これは珍なる肴かな」
と芹沢はカラカラ笑った。
「・・・・・・」
 永倉は唇を噛んだ。初めて芹沢に対する憎悪がわいた。
 仕上げは髪結の助六の役目だ。
「ほんまにええんですやろか?」
 助六は思いもかけぬ珍客に腰がひけている。しかし依頼主は大坂でも悪名高い新選組だ。下手な対応をすれば首が飛ぶ。恐る恐る、
「姐さん、恨まんといてな」
とまずは小寅の頭に剃刀をあてた。
 そして、
 ゾリッ
と頭頂部の辺りを削った。二度三度と剃刀を動かすと、河童の皿のようになった。
 勝気な小寅はいまはすっかり観念して、グイと口をへの字に曲げ、頭上で行われている行為に耐えている。それでも堪えきれず、両眼からハラハラと涙を流していた。
 助六はさすがは職人、手際よく、吉田屋秘蔵の芸妓の髪を剃りあげてゆく。さっさと済ませて逃げ帰りたいといった様子。手首だけ動かして、剃刀を操っている。河童の皿が大きくなる。ゾリリ、ゾリ、ジョリ・・・。
 ジ、と根元からえぐり、スッと手首を内側にひねる。ジョリ、と髪が薙がれ、青白い頭皮が露出する。
 その青白い部分は襟足に向けて、広がっていく。落ちた黒髪は小寅の周囲で、まるで墨をこぼしたよう。
 ツルリと剥きあがった小寅の坊主頭は、痛々しくも艶かしかった。
 次はお鹿の番だ。
 髪結は前の女のときと同じく、髪の脂をたっぷりと吸って鈍く光る剃刀をお鹿に入れた。ジョリ。
 ――ああ!
 永倉は路傍に置き去られた童のような顔になった。
 思い切って書いてしまえば、この永倉、以後、池田屋事件、内山彦次郎暗殺、油小路の決闘、鳥羽伏見戦争と新選組が関わったあらゆる剣戟の場に顔を出し、幕末維新史にその名を刻むことになる。
 その剣鬼永倉新八が生涯でもっともみじめな思いをしたのは、このときだったろう。

 お鹿はもう泣いていなかった。
KOUKISHI_ZENBU_02.JPG - 6,976BYTES  泣く代わりに暴虐の新選組局長を睨み据えた。夜叉のような表情をしていた。
「ホウ、お鹿、俺を睨み殺す気か?」
 芹沢は澱んだ目でお鹿を睨み返し、杯を重ねた。
 ジョリ、ジョリ、ジョリ、ジョリ、
 バサリ
「まるで『大山詣り』だなあ」
 頭を剃りあげられていく女たちを眺めながら、沖田が独り言を呟いている。それを耳ざとく聞きつけ、
「ハハハ、オケガなくてお目出度い、か」
 芹沢が手をうって囃した。
 永倉は自分の不甲斐なさに消え入りたい思いであった。愛人が理不尽な辱めを受けている。それをそばにいながら何もできないのが辛かった。
 お鹿の頭がどんどん青くなっていく。
 永倉はたまらず座をたった。廊下に出た。
「・・・・・・」
 怒りで震えている。
 ――芹沢め。
 憎悪が殺意へと変わった瞬間だった。
 ――お鹿、仇は必ず討つぞ。
「永倉君」
 背後で土方の声がした。永倉を追ってきたのだ。
「こういう次第になって、君にはすまなく思っている」
「土方さん」
 永倉は振り返った。しばらく沈黙があった。やがてゆっくりと息を吐き、
「同意しよう」
とだけ言った。
「ありがたい」
と土方は微笑し、庭にある池に視線をうつした。池には蓮の花が浮いている。
「我々はあの蓮にはなれん。泥にまみれねば・・・汚れねばやっていけんのだ」
 永倉にではなく、自らに言い聞かせている響きがあった。

 芹沢はその月のうちに斬られた。豪雨の晩だった。壬生の屯所で泥酔して眠りこけていたところを、数名の刺客に襲われたのだった。無論、近藤の指示によるものだが、実際に手を下したのが誰であるかは現在でも諸説がある。ただ、彼らに屯所を貸していた屋敷の主、八木源之丞の妻が惨劇の直前、芹沢の部屋を覗く土方の姿を目撃している(「新選組始末記」)。
 同時に芹沢の一味も悉く粛清され、新選組は近藤、土方のものとなった。
 お鹿は永倉に請け出され、二人は所帯をもった。しかし永倉に対するお鹿の愛情は冷え切っていた。ほどなく別れた。お鹿のその後の消息は不明である。
 ほとんどの隊士が非業の死を遂げたなか、永倉は生き延びた。
晩年は好々爺になって、小樽でひっそりと官舎住まいをしていた。周囲の者たちは、まさかこの老人があの新選組随一の剣客とは知らずにいた。
が、明治四十四年、彼の許を佐々木鉄之助なる新聞記者が訪れた。永倉は佐々木に求められるまま、新選組の頃のことを物語った。大正四年没。
 このお鹿の一件も彼の残した数多い遺談のうちのひとつである。




(了)



    あとがき

懲役七〇〇年三度目の時代物は新選組モノです。そう、プロアマ問わず小説のネタにされることの多い、あの新選組です。王道すぎて(結構ディープなファンがいるので)どうしようかなあ、と迷いました。しかも書き上げて「ツイてね〜!」と思ったのは・・・こないだのTBSのドラマ「輪違屋糸里」と題材(芹沢鴨暗殺)がかぶってるぅ〜(><)今回のストーリーは永倉新八が明治になって書き残した「浪士文久報国記事」にあるエピソードを下敷きにしています。「浪士文久報国記事」は研究家の間でもかなり注目されている一級史料で、このお鹿事件も史実だと思われます(日付には少々疑問あり)。あまり有名ではないエピソードです。
今回、参考に司馬遼太郎の「新選組血風録」を読み返しました。隊士たちのキャラクターはこの司馬新選組に準拠してます。それにしても司馬先生、すごいなあ。語り口がとにかく素晴らしい。迫力がある。グイグイとストーリーにひきこまれる。文章に迷いとか衒いがない。「いい格好したい〜!」「賢く思われた〜い」という下心みえみえの迫水の志の低さを思い知らされ、恥ずかしくなりました。トホホ・・・。頑張りマス・・・。




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