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呉亜のいる風景


「早馬(そうま)! 頼む!」

 オヤジが俺の足にすがりつく。やめろ。まるで俺が極悪非道の借金取りみたいじゃないか。

「寺を・・・うちの寺を継いでくれえええ!!」

「何度も同じコトを言わせるなっ!」

 オヤジの手を振り払う。昔は俺をしょちゅう張り倒していたオヤジもめっきり弱くなった。年には勝てず、畳の上、這いつくばる。

「俺にだってやりてェことがあるんだ!」

「由緒ある宗玄寺をワシの代で潰すわけにはイカンのじゃ」

 なおもすがりついてくるオヤジを

「知るかボケ!」

と、また突き飛ばす。

 母、そして姉の呉亜(くれあ)は悲しそうな目で父子のやりとりを見つめている。

 この三ヶ月間、何度も繰り返されてきたやりとり。俺と家族の間に、たぶんもう修復不可能な亀裂を生じさせてしまったやりとり。

「俺には夢があるんだ! でっけェ夢がな」

 葬式坊主のアンタにゃわかんねーだろうがな、と畳に突っ伏している父親に吐き捨て、自室に戻る。

 やれやれ。

 荷造りの続きをする。来週には彼女のマンションに移り、同棲を開始する。そうしてバイトして金を貯め、グラフィックデザイナーの学校に入る。



 父親は唯一の男子であるこの俺を寺の跡取りにと考えていた。小さい頃からお経を仕込み、長じてからは俺を特別扱いして他の兄弟とは差をつけた。

 俺もついその気になって、「跡継いでやるんだからいいだろう」といった態度で、小遣いをせびり、車まで買ってもらった。

 そうした親の期待を裏切り、寺を飛び出すことに多少のうしろめたさはある。しかし恩知らずだと責められようが、俺の人生は俺自身で決めたい。

 ケータイが鳴った。

「もしもし」

 彼女の美由紀からだった。

 俺が寺の跡取りを忌避する理由のひとつに美由紀の存在があげられる。

 都会育ちの美由紀にとって、こんな辛気臭い山寺の嫁におさまるという未来図は怖気が走るものだったようで、「寺なんてイケてない」「男なら才能を元手に一本立ちするべきだ」としきりに俺をそそのかし、単純な俺をその気にさせたのだ。

「月曜か火曜にはそっちに引っ越すから」

 ゴムの買い置き頼むぞ、と言うと美由紀はOKとケラケラ笑っていた。

 「寺の後継者」というジョーカーをひきたくなければ、さっさと寺を出るべきだ。

 実際、三人いた姉も長女の呉亜以外、さっさと寺を出て、独立した。俺も連中と同じ道を進む。後のことは知らん。呉亜が婿でも取って寺を継げばいい。

 ちょっと心が痛い。

 五つ年上の姉、呉亜は大学卒業後、東京の大きな会社に就職がきまっていたのだが、病弱だった母が体調を崩したため、せっかくの内定を断り、地元のスーパーでパートをしながら、母の看病と家事に追われる生活を送っている。不器用な人なのだ。

「早馬、お父さんの気持ちもわかってあげんとアカンよ」

 俺の反逆にオロオロするばかりの母に代わって、呉亜は姉らしく、やんわりと俺に意見してきた。この姉は小学校のとき、通っていた生け花教室のお師匠さんの影響であやしげな関西弁を使う。

「アンタもホトケサンのご飯で育ったんやから」

と呉亜は言う。呉亜は優しい。母親代わりだったこの姉は俺が学校でちょっとヤンチャをしてもけして怒らなかった。

 一度、喫煙がバレて停学になったときも姉は何も言わなかった。ただその日以来、大好きだったコーヒーを飲むのをピタリとやめた。俺は姉に申し訳なく、以来煙草を吸わなくなった。

 そんな姉に畏怖の念を感じたりして、でもやっぱり優しい呉亜が俺は兄弟の中で一番好きだった。

 二人きりで古都に旅行に出かけたりもしたこともある。ネイティブの関西弁におっとりと困惑している呉亜がとてもおかしかったっけ。

 ドジな俺が帰りの新幹線のチケットを紛失し、

「どうしよう」

とオロオロしていたら、呉亜は

「仕方ないワ」

と自分のチケットを破り捨てた。

「呉亜姉ちゃん」

 突然の呉亜の行動に戸惑う俺に

「ヒッチハイクしよ」

 姉は笑った。

 そうして俺と呉亜は作戦を立て、美人の呉亜を餌にして車を拾い、車を乗り継ぎ乗り継ぎして、ようよう自宅へと辿り着いた。

 後で、しんどかったけどおもろかったわ〜、と二人で笑い話になった。



 けれど今回の後継者騒動のことで、俺は呉亜をいっぱい傷つけた。

「姉貴には俺の気持ちなんてわかんねーよ!」

と散々毒づいた。

「小っちぇときから自分の人生決められてサ、姉貴だってどうせ結婚して寺を出ていくつもりなんだろ! いいよな、気楽な身分でサ」

 呉亜は悲しそうに黙っていた。姉に八つ当たりしても仕方のないことなのに。どころかこの人は自分の人生を犠牲にして、俺たちのために毎日、小間使いのように働いてくれているのに・・・。

 だけど俺は優しい呉亜につい甘えて、テメェの苛立ちを呉亜にぶつけてしまった。

 呉亜は俺の暴言に目を伏せ、俯いている。

 ――すまん、姉貴。

 でもくどいようだが、俺は俺の手で自分の人生を切り拓きたいんだ。



 そして俺が家を出る日がきた。

「姉貴、前髪切ってくれないか?」

 美容院に行って髪をカットしてきたのだが、前髪がちょっと鬱陶しい。

 こんなとき、俺は昔っからの習慣で姉を便利使いしてしまう。

 呉亜は微かに顔に赤みをさしのぼらせて、

「エエよ」

 用意してくるから待っとき、と言い残し、姉は消えた。そしてすぐ散髪道具をもって現れると、

「そこ座り」

 言われるがまま、渡されたケープを巻き、畳に腰をおろす。

 が、次の瞬間、

 ウィーン、

という音に俺は狼狽した。

「あ、姉貴!」

 呉亜の手にはホームバリカンが握られていた。

「なんだよっ! ソレ?! バリカンじゃねーかっっ!」

「早馬」

 姉が俺の耳元で囁く。

「お姉ちゃん、もう言い争うのに疲れたワ。こうなったら、早馬には四の五の言わんとスッパリ坊さんになってもらうことにした」

 今年中に修行にも行ってもらう、イヤとは言わさへん、と姉は今まで見たことのない厳しい表情でバリカンを俺の額にあてる。

「呉亜姉ちゃん!」

 昔の呼び方が口をついて出る。

 動けない。まるでヘビに睨まれたカエルの状態で、体中の力が抜ける。

 ヘビは容赦なくカエルにバリカンをいれた。ジャリジャリと髪が刈られ、その瞬間、

 ――ま、しようがねえか。

と高級な言葉を使えば、俺は一切を放下した。姉の、呉亜の手で坊さんにされるのなら、諦めもつくというものだ。

「早馬、アンタも男やったら料簡しいや。寺の子は皆、夢捨てて家族のために坊さんになってるんやで」

 せっせとバリカンを走らせる呉亜の甘い息が耳朶にあたる。

「ね、姉ちゃん・・・」

 俺は少年野球をやっていた。そのため年中丸刈りだった。

 手先の器用だった呉亜は俺の散髪を担当して、こんなふうにバリカンで俺の頭を刈ってくれていた。試合に負けたときなどは

「しっかりしいや」

とバリカンをグリグリ頭に押し付けられ、少年だった俺は、姉ちゃん、堪忍や、と呉亜の関西弁を真似して悲鳴をあげたもんだ。

 だけどそんな姉に散髪されるのがとても楽しみだった。まだ女を知らなかった俺はそうしたスキンシップを通して、呉亜に母を感じ、女を感じていた。

 そんなエディプスコンプレックス的な性の目覚めの記憶が甦り、ちょっと甘酸っぱい気持ちになった。

 ケータイを取り出す。プッシュ。

「あ、もしもし美由紀? 俺サ、やっぱ寺継ぐことにしたよ。お前、坊さんの嫁になるつもりないか? うん、うん、わかった。じゃあな」

 電話を切り、

「フラれちまった」

とボヤくと、

「そう」

 呉亜は顔を曇らせた。けれど手は休めなかった。

 剥きだしになったウナジや耳の裏を呉亜の息がなでる。トロンとなる。

「姉ちゃん」

「なんや?」

「今だから言うけどな、俺、中坊の頃、姉ちゃんの下着パクッたことがある」

 なんでこのタイミングで白状してるんだ、俺は? それは・・・

「このド変態!」

 姉ちゃんで欲情してたんか!とバリカンを擦りつけてくる呉亜に

「痛っ! お姉ちゃん、堪忍! 堪忍!」

と謝りつつ、実は期待していたリアクションに内心にんまりする。



「まるで昔の早馬みたいやわ」

 できあがった坊主頭に呉亜はハシャぎ、二度三度と俺の頭と摩っては目尻をさげている。

「そうかあ?」

 俺は照れ隠しに呉亜の腹に軽くパンチする。

 うふっ、と呉亜が笑った。

「さっ、次はお姉ちゃんの番」

 呉亜はそう言うと、さっさと俺を押しのけ、俺にバリカンを握らせると、自らケープを巻いて、背を向けて座った。

「え?」

 その一連の動作があまりにも自然だったため、俺は呉亜の行動の意図するところがわからず、しばし棒立ちになった。

 呉亜は

「はよ、お姉ちゃんの髪、そのバリカンで刈って」

「ね、姉ちゃん! どういうコトだよ?!」

 仰天した。初めて機関車を見た侍だってこのときの俺ほどは驚かなかったんじゃないだろうか。

「だから、お姉ちゃんも坊主頭にして」

「ハァ? 意味わかんねーよ」

 もしかしたら呉亜はおかしくなってしまったんじゃないか、と一瞬鳥肌が立つ。だが呉亜はいたって正気のようだった。

「アタシ、反省しとるんよ」

 呉亜は口元に微笑をため、

「今までお寺のこと、なんもかんも早馬に押し付けてしもて」

 だからな、と美貌の姉は続ける。

「早馬が坊さんになるんやったら、アタシも尼さんになる。二人で助け合うて一緒にお寺やってこ」

「できねーよ!」

 俺はバリカンを床に放った。

「俺が坊主になる、それで万事OKだろ? 姉ちゃんまで巻き込む気はねえよ」

 第一姉ちゃんが尼さんになったら楠瀬(くすのせ)サンはどうなるんだよ、大泣きするゼ、と姉の学生時代からの恋人の名前を出す。他人も羨むようなラブラブカップルで、そろそろゴールインじゃないか、と周囲に冷やかされている二人だった。

「アタシもなあ、フラれてしもうたんよ、三時間前に」

「嘘つけ!」

 姉のためだったらナイアガラの滝にだって飛込みかねないあの男が姉をフるわけがない。

 呉亜の微笑がいつしか愁色を帯びていた。

 呉亜の方から別れを切り出したのだ、と悟った。俺に付き合って尼僧になるため、長年の恋人を断腸の思いで捨てたのだ。あの旅行で自分の切符を引き裂いたように・・・。愕然とした。

「さ、早う」

 呉亜が俺を促す。

「見損なうな!」

 生まれて初めてこの長姉を怒鳴りつけた。

「姉ちゃんの幸せまで奪うつもりはねえよッ! 寺は俺一人でやってく!」

「優しいコト言ってくれるんやね」

 呉亜は俺の目を見た。吸い込まれそうなほど深くて、弾き返されそうなほど強い瞳だった。

「でもな」

と首を振る。

「アタシもう決めたんよ。早馬とお寺やってくって」

 我が姉は小さい頃からこんなだった。口数が少なくおっとりしているくせに、こうと決めたらテコでも動かない頑固さを内に秘めている。

 でも乞われるがまま、最愛の姉を丸坊主の尼さんにするわけにはいかない。

「できねーったらできねー」

「わかった」

 頑固な姉は頑固な弟に微苦笑して、床に転がっているバリカンを手にとった。そしてそいつのスイッチをいれ、前髪を持ち上げ額の生え際にあてる。

「ね、姉ちゃん! 早まるなっ!」

 狼狽して叫ぶ俺に

「早馬、お姉ちゃんその気持ちだけで嬉しいワ。やっぱり優しい子やったんね」

 姉は笑った。慈母観音みたいだった。

 ジョリ、と呉亜の頭で弾けるような音がして、バリカンは呉亜の前髪をしゃぶりながら直進した。

「ね、姉ちゃんっっ!」

 呉亜の頭にひかれたバリカンの引っ掻き傷、それが彼女がもう俗世には戻れないという厳粛な事実を無言のうちに、俺に伝えている。

「これでよし」

と呉亜は満足そうに刈り跡に触れ、

「早馬、頼むワ」

とふたたびバリカンを押し付けてきた。

「わかったよ」

 呉亜は覚悟をきめている。俺も腹を据えた。

 バリカンを刈り跡のすぐ隣にもぐりこませる。

 呉亜のたっぷりとした髪が無惨な収穫を待って、じっとうずくまっている。胸にこみあげてくる寂寞感。そして邪悪な興奮。

「姉ちゃん、ゴメン」

 俺はゆっくりと頭皮と髪の間にバリカンを押し込んだ。



 ガキの頃のことを思い出す。

 普段、呉亜に髪を刈られっぱなしの俺は嬉しい反面、ちょっと癪で、握り拳を空想のバリカンに見立てて、

「うぃ〜ん」

と言いながら、呉亜の頭を刈る真似をしたことがある。セーラー服姿の呉亜は

「アカンて」

と苦笑して俺の手を払いのけた。調子に乗った俺はしつこく空想のバリカンで呉亜にジャレついて、呉亜も弟の悪戯に

「アンタ、お姉ちゃんクリクリ坊主にする気かいな」

と更に苦笑しつつも、黙って俺のするがままに任せ、正座して目を閉じて、

「ああ、お姉ちゃんボウズになってしもうたワ」

と目を剥いておどけ、二人体を叩き合って大笑いした。

 この「バリカンごっこ」が気に入った俺は、それから何度も空想のバリカンを呉亜に入れた。呉亜は嫌がりながらも、大抵は弟の悪戯に付き合ってくれた。



 いま行なわれている行為が、そんなごっこ遊びの延長のように思われ、つい頬が緩む。

 呉亜の前頭部がすっぽりつもられ、青い地肌がのぞく。次はコメカミだ。

「早馬」

「痛いか?」

「痛くない」

 姉は弟の気遣いに、はんなりと微笑して、

「思い出すなぁ」

「何を?」

「子供の頃、こうやって早馬に何度もボウズにされたなぁ」

 ほんまにボウズにされるとは思うてもみんかったけど、と言い添える呉亜に、

「姉ちゃん、憶えてたんだ」

 俺はちょっと驚いた。

「アタシな、アレ好きだったんよ」

「嫌がってたじゃねーか」

「そら喜ぶわけにはイカンわ。変態みたいやん」

 でも実はこっそりドキドキしてたんよ、パンティー泥棒の早馬とどっちが変態やろか、という呉亜の告白に俺の方が興奮してしまった。まさか品行方正な姉にそんな一面があったなんて。

――もしかしたら・・・。

 呉亜は俺に丸坊主にして欲しくって、一緒に寺を守っていこうなんて言い出したんじゃないか、などとメガトン級にバカなことを考えたりもした。

「ホラ、手がお留守になっとるよ」

「あ、悪ィ」

 バリカンの刃を呉亜のモミアゲにあてる。ガー、ガー、ガー、ガーと四回押し上げると、呉亜の右サイドの髪はあらかた消滅した。

 まだ頑強に女性としての呉亜を主張して徹底抗戦している刈り残しを、根気よくすくいとっていく。額に汗が滲む。

「アンタ、不器用やねえ」

 ほんまにアタシの弟やろか、と呆れている姉を

「そんなコト言うなら、もうやめるぞ」

 内心の動揺を隠して脅かすと、

「それは堪忍」

と呉亜は笑った。なんでこんなに眩しい笑顔ができるんだろう? 謎だ。でもこの謎を解き明かそうとは思わない。素直に眩しがる幸福を、俺は選択する。



「後ろ・・・」

と言いかけると

「長すぎて刈りにくいんやろ」

 相変わらず聡い呉亜は先回りして、ゴムを取り出すと手早くロングヘアーの遺跡を一本にまとめた。そして散髪用具の中から鋏を探して、それを俺に渡した。

「これでエエやろ? やって」

「おう」

 俺は急に怖気づいて、束ねられた呉亜の後ろ髪を持て余すように撫でた。

「何してるん?」

「い、いや、なんかカンフー映画の雑魚キャラみてーな髪型だな〜、と思ってサ」

 なんで素直に本心を言えないんだろう。姉ちゃん、ゴメン! 俺のためにこんな綺麗な黒髪を切らせてしまって、と。

「これから少林寺みたいな頭になるねんで」

 姉が軽口で応じてくれて、救われた。漫才みたいだ、と思う。こんな調子で二人で寺を守っていけたら最高じゃないか! 明るい未来図に心が躍る。

 根元から鋏を入れる。ザクリという手応え。さらに鋏を深く入れる。呉亜の豊かすぎる髪は鋏の刃を懸命に撥ね返して、けなげに抵抗している。

 ――姉ちゃん、スマン!

 心を鬼にして、グッと力をこめる。ジョキ、ジョキ、ジョキ、ジョキ。

「呉亜姉ちゃん」

と切り取った髪束を元の所有者に渡す。

「・・・・・・」

 呉亜は何とも言えない顔で、長年連れ添ったパートナーの死骸を受け取った。そして愛しそうにそれを指で弄んだ。

 俺はそんな呉亜の顔を見ないようにして、襟足を剃り上げていった。

「ごめんなあ、早馬」

 呉亜は背中越しに謝った。

「辛い役目させてしもうて」

 ――バカ姉貴!

 利他主義者の姉がこのときほど苛立たしく思ったことはない。辛いのはどう考えたって、呉亜、オマエのはずだ。

 きっとこんな女だからホトケサンも涎を流して、呉亜が正式な尼さんになる日を待ち焦がれているに違いない。



 二つ目の坊主頭が完成した。

「あははは、かなわんなあ。これやったら嫁の貰い手なんかもうどこにもないワ」

 呉亜はハンドミラーと対峙して、剃りたての坊主頭に手をやっている。

 ――そんなこたぁねーよ。

 頭を丸めてしまうと呉亜の美貌は余計際立ち、その美しい尼僧ぶりは弟の俺すら見惚れるほどで、剃髪する前よりもかえって艶かしくなっていた。

「姉ちゃん、ごっつ綺麗やで」

 照れ臭いのでわざと関西弁で褒める。

「おおきに」

と呉亜はニッコリ微笑んだ。



 それから呉亜とふたり、父の許に参上し、刈りたての頭をさげ、これまでの暴言を詫び、姉弟で修行して寺を継ぐ決心を伝えた。オヤジはふたつ並んだ坊主頭に呆然としていたが、スマンと薬缶頭をさげ、親子で丸い頭をさげあうといった珍妙な光景となった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 呉亜が死んでもう一年が経つ。まだ三十代の若さだった。

 あの姉らしい苦しみも迷いもない穏やかな臨終だった。

 「宗玄寺の副住職さん」と慕われた呉亜の葬儀には遠方からも大勢の弔問客が詰めかけ、ちょっとした地元のニュースになった。

 呉亜は約束通り、俺と一緒に修行して尼となり、住職になった俺を助けてくれた。温厚で美人でしっかり者の呉亜は人気者だった。俺より呉亜に法要を頼みたいという檀家が少なくなかったほどだ。

 呉亜は社会奉仕にも積極的だったし、僧侶という地位にあぐらをかくことなく、熱心に布教活動も行っていた。

 俺はといえば散々バカにしていた親父同様、葬式坊主という体たらく。

 そんな対照的な姉弟だったが、以前のまま、兄弟仲は良く、毎朝、お互いの頭をバリカンで剃り合っていた。たまにこの情景を目撃した檀家さんが

「夫婦みたいだねえ」

と冷やかした。けれど俺たちはただ笑って答えなかった。



「オンチャン、チュミキ」

 小さな瞳が俺を下から覗き込んでいる。静馬(しずま)だ。

「積み木か」

 最近、静馬に積み木を教えた。この呉亜の忘れ形見は母に似て、なかなか聡明だ。

「いいか」

 小さな手に積み木を持たせ、手を添えてやり、

「そっと置くんだ。そぉーっと置く」

 二歳児は俺のアドヴァイスの言い回しがツボにハマッたらしく、ゲラゲラ笑った。

 そうやって積み木を一段、また一段とのせていく。俺と呉亜も最初の頃はこんなふうに、一歩一歩覚束なげに寺の仕事をこなしてきたもんだ。

 俺も呉亜も独身だった。呉亜は独り身のまま逝った。

 だけど呉亜はある日突然身籠った。

 処女受胎だ、と檀家の一部は騒いだ。ナアニ尼さんだって人間サ、夜遊びだってするだろう、と他の一部はそう散文的なことを言って、ニヤついていた。静馬が生まれた。私生児とされた。

 積み木が積みあがる。

 俺と呉亜が積み上げていったこの寺を静馬は継いでくれるだろうか? それともメチャメチャに壊してしまうだろうか? 我ながら気の早い話だ。自嘲して苦笑する。

 小学校にあがったらコイツに本当の父親を教えてやろうか、と思う。父親を知ったらショックを受けるだろうか。でも堂々としていろ、と言ってやろう。お前の父と母は本当に愛し合っていたのだから。

「モットモット」

 静馬にせがまれ、俺はふたたび彼の手をとって、積み木をつむ。高く。高く。

「そっと置くんだ。そぉーっと置く」

 静馬がまた笑った。


       (了)


    あとがき

 15年前(2007年)書いてお蔵入りしていた作品でございます。プライベート的なものだし、最後も近親相姦っぽいし、なので発表するのはやめたんですが、ふと思い出し、捜索して「ボツ原稿」のフォルダから救い出しました。
 まだサイトが開設してから一年も経っていない頃の小説なので、結構フレッシュです(笑) なんか熱量がすごい。。
 ちなみにこの呉亜というヒロイン、大昔の「断髪力」にちょっとだけストーリーをまたいで登場しています。ヒロインのパート先の同僚という形で。よろしければご確認ください。
 せっかくの16周年、いろいろアップロードしたいので、今回思い切って発掘しました。手直しもほとんどなしです。この頃主軸だった「寺院継承」モノです。懐かしい〜。
 正直、現在はこういうノリの小説、書けません。良くも悪くも。それはもう仕方のないことなので、今自分が書けるモノをコツコツと書いていくつもりです。今後とも応援していただければ嬉しいです♪



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