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迷子はだぁれ?(図書館では教えてくれない、天使の秘密・第二・五章)


 遠くでパトカーのサイレン音が聞こえてくる。

 その音は本稿の主人公を一層不安にさせる。

 ライトアップされ、闇夜の中、芒、と浮かび上がる桜たちに囲まれ、

「南、南〜」

 加東明美(かとう・あけみ)10歳は親友を探していた。

 酔い痴れ笑いさざめく大人たちの間をぬって、明美は歩を進める。早足になる。

 今夜は家族同士で稲荷公園にお花見に来た。

 トイレに行ったきり帰って来ない親友を、明美は懸命に捜索する。

「南、南ってば! どこにいるの!」

 アッちゃん、一緒についてきてよォ、とあの娘は袖を引いてきたけど、彼女の姉の真北(まきた)とドラマの話で盛り上がっていた明美は、トイレくらい一人で行ってきな、とあしらってしまった。

 今は後悔している。すごく後悔している。一緒に行くべきだった。

 最近サスペンスドラマばかり視ているせいか、親友が何かの事件に巻き込まれたのではないか、例えば誘拐とか変質者とか、と不吉な想像が頭を駆け巡っている。

「南! 南!」



 親友――田中南(たなか・みなみ)はいた。

 公園のはずれの桜の樹の下でうずくまっていた。

 泣いていた。案の定、迷子になってしまっていたようだ。

 長い髪が彼女を守るかのように、その身体を包み込んでいる。シャツやスカートは泥だらけだ。転んだのだろう。よく見たら膝もすりむいていた。

「南!」

 明美はホッと胸を撫でおろし、南に駆け寄る。

「転んだの?」

 南はうずくまったまま、小さくうなずいた。

「ホント、ドジなんだから」

 明美は南を抱き起すと、服の泥を払ってやった。そして、ハンカチで膝の傷も拭う。

「怖かった……怖かったよォ」

「ごめんね。一緒について行けば良かった」

と謝る明美に、

「うぅ……」

 南はまた泣いた。

「泣かないの」

 明美は南の髪を撫でた。お姉ちゃんになったような気持ちだ。

「さっ、行こっ」

 明美は南の手をひいて、家族らの許へ歩き出す。

「手、離さないでね」

「そっちこそしっかり握ってな」

 南とは幼稚園時代からの付き合いだ。

 気づけば、弱虫で泣き虫の南の守護者となっていた。

 南が男の子にいじめられていたら、迷わず飛び込んでいったし、南が持ち物を失くしたら一緒に探してやった。グループに溶け込めずにいたら、あれこれフォローした。縄跳びや自転車の乗り方も教えてあげた。

 一人っ子の明美には、南はまるで妹のような存在だった。

 ときにはイタズラしたり、からかったりして、

「ひどいよ、アッちゃん」

と南が、ぷぅっと頬をふくらますことも、しばしばあった。そんな南が可愛すぎて、だから明美はさらに南をイジる。

 狂い咲く桜の樹々のトンネルを通り抜けて、二人は歩く。南の手のぬくもりを感じる。

「心配したんだよ」

「ごめんなさい」

「何にせよ、無事で良かったよ」

と明美は微笑み、

「まったく南ってば、アタシがいなきゃ何にもできないんだから」

「ありがとう」

 ひたすらに明美に敬慕の眼差しを向けてくる「妹」が眩しくって、

「桜、来週には散っちゃってるかなあ」

と視線を上に転じる。淫らに咲き誇る花々を見やりながら、

 ――アタシが守ってあげなきゃ!

と心に誓う。

 明後日からは新学期、二人とも5年生になる。南の新しいクラスにいじめっ子はいないだろうか。心配だ。だから、

 ――アタシが守ってあげなくちゃ!

とふたたび明美は思う。

 強く――。

 深く――。



 シャキシャキ、チャキチャキ、

 ジョキ、ジョキ、チャッチャッチャ

 放課後のバレーボール部室、明美は南の髪をカットしてやっていた。

 パサリ、パサリ――

 一ヶ月の間に伸びた髪は、明美によって切り落とされる。

 明美のカットは乱暴だ。南の短い髪をより短く刈りたてていく。

 ケープを巻かれた南は、スマホをいじりながら平然と、カットされるがままになっている。

「もうすぐ新人戦だね。気が抜けないや」

と言う明美に、

「ああ、そうだね」

 南はポーカーフェイスで答える。

「新部長としては、どうしてもプレッシャーを感じずにはいられないやねえ」

「大変だね」

 南は応える。さして同情していないトーンだった。

「種田(たねだ)先輩も卒業しちゃったし、これで南がバレー部の主砲だよ。期待してるゼ〜」

「ああ、うん、頑張る」

 南は相変わらずそっけない。

「アタシがセッターでいいトス、バンバンあげてやるから、ガンガンアタックきめてよね」

「言われなくてもする」

 ――はあ。

 明美は心中ため息を吐く。

 いくらノックしても、南は閉ざした心のドアをロックしたままだ(だが、これでも明美に対しては、まだマシな方だ)。

 ――もう二年以上になるか……。

 南は最愛の祖母を突然失くし、それ以来、自分の殻に閉じこもってしまった。感情を表に出さず、誰とも打ち解けようとはしなかった。

 クールでカッコいい、と外野は無責任に憧れる。ただでさえ女子バレー部の天才エースとして崇められている存在、才能も美貌も華もある。そんな南が校内の注目を一身に集めるのも当然だ。

 しかし、南はそうした視線など無視して、独り黙々と自己の技術錬磨に励むだけだ。ストイック、孤高、と周囲はますます彼女に憧憬の眼差しを注ぐ。

「終わったよ」

 バッバッと南の髪をかき回して、細かな切り髪を払う。

 いつものように、ベリーショートに整えられた髪を鏡で確かめようともせず、南はケープをはずし、椅子から立ち上がる。

 そして、自分で自分の切り髪を掃き集める。

「その切った髪、ちょうだい」

「なんで?」

「アンタのファンに売る」

「バカ言ってんじゃないの」

 南の背はすでに明美を追い抜いている。

 その美しい顔に見おろされ、明美は思わず鋏を取り落としそうになる。

 ――ったく、アタシまで南ファンになってどうすんだ!

 頭を振り、妄念を追い払う。

 ――あのチンチクリンが見事に育っちゃって。

 でも明美だけは知っている。南を覆っている鎧の下には、ドジで弱虫で泣き虫な少女が潜んでいることを。



 明美たちのバレー部には奇妙なしきたりが存在している。

 新入部員らは先輩に、髪を、

「切るな」

と命じられる。

 そして、仮入部期間が終わり、正式に入部した途端、彼女たちは先輩部員に断髪の洗礼を受ける。それはもう、バッサリといかれる。

 先輩たちに嬉々として鋏を入れられ、新入部員らは揃って短髪になる。

 そうして、以降、部員は一ヶ月に一度の「散髪日」に互いに髪を切り合う。

 最初のうちは違和感しかないが、慣れというのは不思議なもので、次第に部員たちはこの散髪ごっこを楽しみはじめる。

 先輩は可愛い後輩の髪を切りたがり、後輩はカッコいい先輩に髪を切ってもらいたがる。狭いコミュニティの密やかな遊戯だ。

 実はこの慣習は、何を隠そう明美の吐いた小さな嘘がきっかけだった。



 明美はもともと中学で特に入りたい部活動はなかった。帰宅部もアリだな、と怠け心を疼かせていた。

 でも南がやたら張り切って、バレーボール部に入ると周囲に話していたので、何をするにも南と一緒だった明美は、ひとつ南を助けてやろうという「姉心」から、バレー部入部を決めた。

 が、「妹」の後塵を拝するような気がして、ちょっとだけ癪だった。

 だから、エイプリルフール、南に嘘の電話を入れた。

「バレー部に入るためには、髪を男の子みたいにうんと短く切らなきゃなんないんだよ」

と。

 思惑通り南は激しく動揺していた。実際のバレー部(当時)は、髪型についての規制はなかった。

 明美は、南のリアクションにほくそ笑んだ。満足した。そして、それきりその嘘のことは忘れてしまった。

 どうせすぐバレる嘘だ。そのときには「ビックリしたよォ」「でしょう?」と笑い合ってオシマイだ。

 ところが、豈図らんや、南はすっかり真に受けて、あんなに長かった髪をバッサリ切ってしまった。床屋で切ったという。

 中学入学式の日、ベリーショートの南と対面した明美は、仰天した。南も長い髪の明美に驚いていた。

 エイプリルフールだよ、とタネを割ってみせたが、時すでに遅し、それからしばらく南には随分恨まれたものだ。

 しかし、悪いことはできない。

 入部に際して髪を切った南に、先輩たちはいたく感銘を受け、なんとバレー部は全員ベリーショートというキマリになってしまった。

 ――コレはひょっとして天罰か……。

 自分のちょっとした嘘が回り回って、明美は、南同様、長かった髪に鋏を入れる羽目に陥ってしまった。

 泣く泣く美容院に行って、ロングヘアに別れを告げた。

 バサッ、バサッ、

と音を立てて床に散っていく髪が惜しくて惜しくて、明美は滂沱の涙を流した。泣きながら神様に問うた。

 ――アタシ、そんないけないことしましたか?

 しかし、決定した部則はそう簡単には覆らない。

 それどころか、先輩の種田亜美(たねだ・あみ)の一件が発端となり、部員同士で散髪し合うという慣習が誕生してしまった(この経緯については、是非「いつか笑える(図書館では教えてくれない、天使の秘密・第一・五章)」をお読みいただきたい)。

 だから、今日も、明美は南の髪をカットしてやっている。

 南の髪を切ることが許されているのは、明美だけだ。別に誰がどう許さないかは明確ではないのだけれど、なんとなくそうなっている。

 南のカットを担当したがる先輩や同級生は多かったが、南が張り巡らせているバリアーをある程度無効化できるのは、幼なじみで「姉」の明美しかいない。

 ここだけの話、明美に髪を切って欲しがる部員は皆無だ。大雑把でせっかちな明美のカットは、部内で敬遠されている。

 南だけが明美の「顧客」だ。その髪質ゆえに、手荒くカットされても、すぐにきれいにまとまる。

 こうやって南の髪を切るのもあと半年だ。そう思うと柄にもなく明美はしんみりする。

 南が天才なら、明美だって逸材だ。

 セッターとして、南の動きを素早く察知して、絶妙なトスをあげる。二人の呼吸はピッタリだ。

 このコンビネーションで数多の激闘を切り抜けてきた。

 公私ともに、南の最高のパートナーは自分だという自負がある。

 今度こそ地区大会優勝だ!



「部長と南先輩ってずっと昔からの知り合いなんですよね?」

と図書室にて、後輩連中に訊かれ、明美の心は過去に向かう。

「いや〜、南も昔はあんな感じじゃなかったんだよねえ。チビでドジで弱虫でサエナクてさあ。妹キャラっつうのかな、よくイジってやったもんだよ」

「またまた〜」

 後輩たちはなかなか信じてくれない。

「ホントだって。一年の終わり頃に大好きだった祖母ちゃんがポックリ亡くなっちゃってさ、それからだね、あの娘が自分の殻にこもるようになったのは。南はお祖母ちゃん子だったからね」

 回想に耽りかける明美だが、

「今のほうがいいですよ」

「そうそう、翳があってね」

と後輩はうなずき合っている。

「ファン心理は残酷だねえ」

と明美は苦笑する。

「確かに南の殻は綺麗だけどさ、いくら綺麗でも所詮、殻は殻だよ。周りがそうやって南に殻をかぶせておきたがるから、あの娘、いつまで経っても、篭りっぱなしなんだよ」

「いけませんか?」

と後輩に開き直りに、明美は「スターの孤独」を思わずにはいられない。

「少なくとも、南にとってはあんまり幸せなこととは、アタシは思えないよ」

 明美の胸の疼きをよそに、

「次の散髪日には絶対、田中先輩にカットしてもらうからね」

「アタシが」

「いや、アタシが」

と言い争いになっている。

「無理だね」

 明美は肩をすくめ、ふたたび苦笑を浮かべる。南のことは誰よりも知っている。

「南はアンタたちの為に指一本だって動かさないよ。ビダル・サスーンにカットを頼む方がまだ実現性が高いかもね」

と軽口を飛ばさずにはいられない。

 さらに口が軽くなり、

「もし、南が後輩の誰かの髪を切ってやるようなことがあったとしたら、アタシ、ボーズになってもいいよ」

「マジですか?」

 後輩たちの目が光る。下剋上、とその顔に書いてある。

「ああ」

「約束ですよ」

「その代わり――」

 明美の内にもサディスティックな情念の炎(ほむら)が燃え盛っている。

「アタシの言うとおりだったら、アンタたちの次のカットはアタシが担当だからね」

 ――のん気だね。オマエらに南の何がわかるっていうのさ。

と冷笑したくもある。

「うんと短くしてやる〜」

「その代わり、ウチらが勝ったら部長、ボーズですよ、ボーズ」



 そして、半月後の散髪日――

 南は自分のカットを終えると、後輩たちを振り切って、さっさと一人、練習をはじめてしまった。

 明美は賭けに勝った。

 敗者どもの髪に鋏を入れて、入れて、入れて、い入れまくった。

 目を白黒させながら、鋏の餌食になっていく女の子たちを吟味しつつ、

 ――やっぱりこの娘たちじゃ無理だったか。

 不思議な気持ちになる。

 罰ゲームを免れてホッとしていたし、南が後輩のために鋏を執らないでいたことにも安堵している、そんな自分を持て余す明美がいた。

 桜の樹の下で泣いている少女の姿が、脳裏にフラッシュバックする。

 ――あの娘は……南は……

 また迷子になっている。現在(いま)このときも――

 それを救えるのは自分しかいない。そんな使命感が明美の胸の奥底にある。

 ――アタシが――

 南の解放者になる。他の誰でもないこのアタシが、と。



 しかし、その思いが自惚れ以外の何物でもないと思い知らされたのは、3年生の初夏だった。

 南は突如、「弟子」をとった。

 明美にとって、いや、全バレー部員にとって、寝耳に水の出来事だった。

 その「弟子」の名は、夏越千早(なごし・ちはや)といった。

 特別美少女でもなければ、運動神経があるわけでもない。本の好きな平凡な女子だった。

 ――確か仮入部だけしてやめちゃった娘だったっけ。

と、それぐらいの印象しかない。そんな娘のどこがいいのだろう。明美は訝る。

 千早は南によって、ほとんど丸刈り同然のベリーショートにされていた。

 ――南らしいや。

と、そこは面白かった。

 千早の「坊主頭」のインパクトに、南の崇拝者たちも沈黙するほかなかった。

 何故自分ではなく千早なのだろう。明美は釈然としない。

 迷子の南の手を取るのは自分であるはずなのに、ぽっと出の少女にその役割を奪われた。胸がモヤつく。

 ――本当は――

と気づいた。

 南にずっと殻をまとわせておきたかったのは、自分だったのではないか、と。

 「親友」という立場で、「姉」という立場で、他者を拒絶する南の内懐にアクセスし、他の部員に対して、優越感に浸りたかったのではないか。そうして、南の心を解き放つことで、感謝と賞賛と満足を得たかったのではないか。

 考えて自己嫌悪に陥る。

 ――もしかしたら――

 本当に迷子だったのは明美自身だったのかもしれない。



「部長、本当にいいんですかぁ?」

 そう確認をしながら、後輩の声は笑いを含んでいる。他の面々も楽しそうだ。

「ええい! ひと思いにやっちゃってってば!」

 カットクロスを巻いた明美はヤケ気味に叫ぶ。

 明美は結句、賭けに負けたのだ。

 後輩の手にはバリカンが握られている。

 長さは議論の末、2cmに。

「夏越と同じ長さじゃないですか」

「あはは、部長も夏越チルドレンですね」

「妙なレッテル貼ってないで、さっさと刈りな!」

 これは罰ゲームでもあり、或る種のデトックスでもある。心の奥の汚泥を吐き出し、リセットするための。

「部長、いきますよ〜、いきますよ〜」

 後輩は明美の恐怖心を煽るが如く繰り返し、そのショートヘアに唸りをあげるバリカンを近づけていく。さすがに前からは遠慮して、襟足から刈るつもりのようだ。

 ジャッ!

 明美の襟足の生え際に、バリカンの刃が接触して、激しい音を立てる。

 そのまま、グーッとバリカンの刃は明美の襟足をかっさらい、上へと押し上げる。

 バックの髪が引き裂かれ、2cmの刈り跡が凹と開通した。

「やっちゃった〜!」

 後輩どもはキャアキャアはしゃいでいる。

 さらに余勢を駆って、もう一刈り。

 ヴイイイイイイイィイイン

 ジャアァアアアァアアァア

 また襟足が除かれ、刈り跡が二倍に拡がる。

「次はアタシ!」

「アタシだよ!」

と後輩は順番を争っている。こんなに「モテた」ことは初めてだ。

 うなじの涼しさに、明美はブルルと震える。心細さをおぼえる。

 女の子たちは嬉々としてバリカンを振るう。

 後頭部は粗方刈られた。刈り手によって、大胆だったり、慎重だったり、乱暴だったり、クッキリと個性が出る。

 切り髪はドサドサとケープに落っこちていく。

「部長、坊ちゃん刈りになってますよ〜」

「ええ〜?!」

と目を剥いてお道化てみせる明美。言われなくたってわかってんだよ!

「記念に写メ撮っておきましょうよ」

「あ! それいいね」

「アタシも撮ろうっと」

と撮影会になりかける。

「ええいっ! バカやってないで、とっとと刈りやがれ!」

 明美に怒られ、後輩たちはあわてて断髪式を再開する。

 今度はいきなり額ド真ん中にバリカンが差し込まれる。

 ジャアァアアアァアアァァ

 前頭部の中央部が、2cmの短さに凹と削られていた。

 その部分を軸に、横に、横に、バリカンが走る。

 バリカンという道具に不慣れな少女たちは、少々それを持て余し気味だ。あちこち刈ったり、刈り残したりして、明美の前頭部は無惨なトラ刈りになってしまった。

 それでも「経験」を積んで、コツをおぼえ、度胸も据わり、そのバリカンさばきも様になってくる。刈り残した髪の浮島を、うまい具合に削ぎ取っていく。

 ヴイイイイイィイイン

 ジャアァァアァアァアア

 この間のカットの恨みもあるのだろう、遠慮会釈なしにカットはスピーディーになっていった。

 とうとう両サイドの髪だけが残された。

「なんか、ゴールデンレトリバーみたい」

と一人が言って、皆笑い崩れる。

「笑うな!」

 明美は顔を真っ赤にして怒ったが、逆効果になるばかりだった。

 まず左鬢が刈られた。バリカンが耳の真上に挿入され、

 ジャアァァアァアァアァア

と頭頂まで持っていかれ、床に散った。その上下運動を繰り返し、横髪の量は激減した。チョボリ、と残った髪の毛は横に刈り払われた。

 最後に取っておかれた右鬢も同じ要領で、縦に、

 ジャァァアアアアァアァア

 ジャアァァアァアァァァアアァ

と断たれ、圧し運ばれて、こぼれ落ちる。

 明美はとうとう丸坊主(ベリーショート?)にされた。

 2cmの髪をかきまぜて、

「これで夏越2号だよ」

と自虐的なジョークを飛ばす。

 後悔はなかった。

 カットクロスや床で永眠している髪たちを見る。

 自分の中の生臭い感情――

 例えばそれは、南の親友、或いは「姉」というポジションにあることからの優越感――

 例えばそれは、本当はいつまでも南に殻をかぶせておいて、自分だけが南を独占しておきたいという所有欲――

 例えばそれは、いきなり現れ南を奪っていってしまった夏越千早への嫉妬心――

 そういった諸々が、髪と一緒に自分から振り落とされたような清々しさがあった。

 南はもう一歩を踏み出している。その幸福を祝福しよう。

 さあ、迷子だった日々は終わった。歩むべき道を歩もう。

 バレー部部長として、セッターとして、そして、受験生として、やるべきことは山ほどあるのだから。



「アッちゃん!! どうしたの?!」

 2cmの髪で登校してきた明美と遭遇し、南は目を丸くした。南がこんなに驚く顔を、かなり久々に見た。

「あっはっは」

 明美はひきつり笑いして、

「チョイと賭けに負けてね〜。後輩に容赦なくバリカンで刈られたさね」

 南は呆れた顔で、

「またバカな賭け、したんでしょ?」

 「妹」は「姉」の気持ちなど知る由もない。それが、ほんのちょっともどかしい。

「ま、最後の夏を坊主頭で迎えるのも乙だぁね。それにね――」

 明美はニヤッと笑い、

「賭けに負けて、アタシャ、嬉しいんだよ」

 まぎれもなく本心からの言葉なのだけれど、

「強がっちゃって。バカじゃないの」

と、南はつれなく受け流す。その背をポンポンと叩き、

「ホント、バカかもね、アタシ。報われないのにさ」

 目に涙が浮かんでくるのをごまかすように、大笑いしてみせる明美。

「せいぜい愛弟子の夏越を仕込んでやんな」

「言われるまでもないわ」

「アタシャ、南のセッター、それでいいのさ〜」

 そう、これからも自分は南の隣にさりげなくいて、彼女のために何十回だって何百回だってトスを上げ続ける。南の影として、彼女を支えていく。たとえ南が自分の献身を無造作に消費していこうとも構わない。二人で一緒にプレイできる日々はそう長くはないのだから。

「何言ってんだか」

 南にはそんな明美の想いは伝わらない。やはり、ちょっと、もどかしい。

 颯々と校門をくぐっていく、その背中を追って

「み〜な〜み!」

とその手を握る。幼い頃のように。

「やめてよ」

と南はビックリして、明美の手を振りほどこうとしたが、明美はしっかり握って離さなかった。

「”手、離さないでね”って言ってたの何処の誰だっけ?」

「いつの時代の話よ」

 そう言いながらも、南は抵抗を諦め、明美のやりたいようにやらせた。

「昔を思い出すねえ」

「知らない」

 明美は腕を振って大股で歩く。そして、「プリキュア」の主題歌を大声で歌い始める。

 南は指先で痛む頭をおさえつつ、明美に引っ張られていく。でも、明美の歌がサビにさしかかる頃には、ちょっとだけ昔の表情(かお)になっていた。


                      (了)


    あとがき

 「図書館では教えてくれない〜」シリーズの第五弾です!……って全然図書館出てきてないや(^^;)
 第二章の夏越千早編を加東明美目線から描きました。このストーリー、頭の中にずっとあったのですが、ぼんやりとした輪郭のものを、形にしました。
 今回アップロードした小説群の中では一番優等生な感じです。結構第二章とのかぶりが大きくて、少々困惑しましたが、ラストまで書けて良かったです♪
 「図書館」シリーズは続けたい気持ちはあるのですが、第四章、第五章、第六章と続けていくと、「ロード」(by虎舞竜)みたいになっちゃいそうなので、気をつけなくては。



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