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Oh! バズカット


 ――いいなぁ。

 初夏、月曜の朝、中学の教室、石原出雲(いしはら・いずも)は机に突っ伏し、横目で教室の一隅を盗み見ている。

 その視線の先には――

「おう、塩田、お前も刈ってきたな」

「昨日朝イチで床屋行ってさあ」

「俺なんて、のんびりし過ぎて閉店間際に駆け込んでやってもらったゼ」

「まさにギリギリセーフだな」

「ハハハハ、まあ、大会前の風物詩だな」

「やっぱ気合い入るよな」

「これから暑くなるし、夏には持ってこいだ」

「よくぞ野球部員になりにけり、ってトコだな」

と丸刈り頭を撫でながら、駄弁る野球部員たち。もうすぐ夏の大会が始まるので、全員頭を丸めている。サッパリと。3ミリに。

 入部したての頃は、嫌々だった坊主頭だったが、何度か刈っているうちにその快適さを賛美し始める。

 女の子の出雲には、到底無縁の世界だ。ただ羨望の眼差しを彼らに向けるだけだ。

 ――いいなぁ。

と。

「はあ」

 長めのマッシュルームカットをかきあげ、ため息を吐く出雲に、

「どしたー、出雲? 財布でも落としたか〜?」

 親友のブンブン(♀)が話しかけてくる。

「あたし、そんなヤバイ顔してる?」

「してるしてる。何か悩みでもあんの?」

「地球温暖化について」

「死ね」

「生きる」

「悩みがあるんなら聞いたげるって言ってんの」

「特にないよ」

と言うしかない。

 だって、

 ――坊主にしたい!

なんて口に出したら、絶対おかしな娘だと思われる。冗談ぽく軽いノリで応酬するのならアリだけれど、それだと何の意味もない。空しいだけだ。



 小さい頃から、周りの男の子たちが坊主頭になっていると、

 ――気持ちよさそうだなぁ。

と羨ましく思っていた。

 ――男の子はいいなぁ。

って。

 女の子が坊主にしたら、大騒ぎになる。奇異な目で見られる。その前に周囲から止められる。

 出雲は幼女時代から今まで、母が指定した床屋さんで髪を切ってもらっていた。

 だから当然そこで、坊主誕生!の瞬間を目にすることも多い。

 カットの順番を待っていて、カットされている男のお客さんが坊主に刈られていたら、

 ――うはっ!

と激しく昂奮した。

 床屋さんには男向けの漫画や雑誌しかなく、時間を持て余して青年漫画雑誌をパラパラめくっていたら、中にはHな連載漫画もあって、

 ――ひゃあ、何だ、これ!

 幼い出雲は好奇心を刺激され、エロエロシーンを食い入るように凝視する。変な気持ちになる。ムズ痒いような、オシッコしたくなるような、正体のわからない気持ち。

 そんな気持ちのときに限って、目の前でバリカン坊主が産み出されたりして、相乗効果でいよいよ昂る。

 ――あたしも!

とその勢いを駆って、坊主リレーに参加しようとするのだけど、

 ――やっぱ無理!

とバトンを落としてしまう。勇気が出ない。



 時は経つ。小学生から中学生になっても、願望はあるけれど、実行には移せずにいた。

 坊主願望は出雲の中の常識と血みどろになって格闘しながら、牙を剥き、悲しく咆哮する。調教師であるべき出雲の手に余るほどになっていた。

 そういう衝動に突き動かされ、とうとう出雲は坊主になるべく床屋さんへと向かった。

 きっかけはブンブン。

 彼女がクククと含み笑いしつつ、

「これスゲーよ。見てみ?」

とスマホで見せてくれたSNSの画像。丸刈り頭の欧米美女が出雲に微笑みかけている。

「何これ? 何これ? 何これ?」

 ブンブンに取りすがるように訊いた。ブンブンは想像を遥かに越えた出雲の食いつきに、若干引きながら、

「Buzzcutって言うらしい」

「バズカット?!」

「海外じゃ流行ってるらしいよ。アリエネーって思うけど」

 他にも「バズカット」の女性の画像を二三見せてもらった。どの女性も凛々しく、知的で、自信にあふれ、同時にセクシーでもあった。

「ほええ〜」

 圧倒されまくる出雲だ。

 単なる丸刈りとは一味も二味も違う。残ったわずかな髪を逆立てたり、スタイリッシュだ。

 日本でもごく一部ながら、最新のトレンドに敏感なオシャレ女性がチャレンジしているらしい。

「じゃあさ、じゃあさ、東京とかに行ったら、こんな髪型の女の人がウジャウジャいるの?!」

「ウジャウジャはいねーべ」

「でもさ、でもさ、いることはいるんだよね?」

 出雲に詰め寄られ、ブンブンは、

「いるだろうけどさ、出雲、なに目ェ血走らせてんだよ?」

「い、いや、ちょっと好奇心で」

「出雲もこの坊主女どもに続くわけ?」

とからかわれたが、

 ――続くさ! 続くともさ!

 無論口に出しては言わない。不言実行、だ。その日、帰途、出雲はアドレナリン分泌状態で、いつもの床屋へ駆け込んだのだった。

 本当はこういうのは美容院でカットした方がいいのだろうけど、美容院に馴染みのない出雲はためらい、でも一刻も早くバズカットにはしてみたくて、妥協の結果、床屋さんの扉をくぐった。カランカランカラン――

「あれ? 出雲ちゃん、こないだ切りに来たばっかりじゃなかったっけ?」

 物心ついた頃からずっと出雲のカットをしてくれている床屋の店主は、怪訝そうな顔をしている。幸い他にお客さんはいない。

「ちょっとチャレンジしたい髪型があって」

 そう言いながらも、口の中はカラカラ、心臓はバクバク鳴っている。立ちくらみさえおぼえる。

「どんな髪型?」

 床屋さんは出雲の首にケープを巻きながら訊いた。

「バズカット!」

 意気揚々と注文するが、

「バズカット? なんだい、そりゃ?」

 ――やっぱり……

と出雲はガックリ。ド田舎の床屋にわかるはずもない。注文するお客さんも、まずいないだろうし。

 出雲はバズカットについて店主にあれこれ説明する羽目になった。何せ出雲も数時間前に知ったばかりだ。しかも出雲は説明がうまくない。

 説明下手の出雲と初老の床屋さんでは、バズカットについて、なかなか意思の疎通ができないのも当たり前だ。

 話が生煮えのまま、床屋さんは出雲の頭にバリカンを走らせた。

「これが最近の流行りとはねえ」

と訝りつつ。

 まず左鬢がバリカンの餌食となった。

 グアアアッ、とバリカンがモミアゲを刈り飛ばし、頭頂に向けて上昇する。

 ジャアァアアアァアァアァ!

 次々とサイドの髪が頭から追い払われていく。

 ジャアァァアァアアァ!

 バサッ! バサッ!

 頭の地肌にクッキリと伝わるバリカンの感触、振動。

 そして、刈られるはしから体感する涼気、軽さ。

 頭の左半分の輪郭が露わになる。心配したが、割合形は悪くなさそうだ。

 鏡の中の半刈り頭に、出雲は満足をおぼえた。

 床屋さんはいつもと違い無言だ。出雲も自然口を開かなかった。

 バリカンの音だけが店内に響き渡る。

 JIRIRIRIRIRI――

 ジャアァアアアァアア!

 ザザザアーッ

 バサッ! バサバサバサッ!

 すでに後頭部の地肌は露出しかけていた。

 襟足から頭頂へ、左から右へ順繰りにバリカンは、そっけなくその運動を繰り返している。

 刃先が根こそぎゴッソリと髪をすくい上げ、頭から切り離された髪の毛は、重力の法則に従って、ゆっくりとケープに落ち、転がっていく。

 のっぺりとした後頭部の地肌が広がる。

 頭から問答無用に髪が除去されていく、その過程の中、

 ――何なの、この感じ! キモチイイッ!

 出雲は悶えんばかりの快感を味わい尽くす。

 外界との間を隔てる黒い壁が崩れ落ち、剥き出しになった地肌が喜んでいる。

 熱と振動は右へと移っていく。長めのマッシュルームカットは、あらかた刈られていた。

 右鬢にバリカンが差し入れられる。

 ブーン、ブーン

 ジャアァアアアァアアァ

 やや強(こわ)めの髪は、水あめのようにグニャリと曲がり、名残惜しそうにケープに垂れ落ちる。

 バサバサバサッ、バサッ!

 これまで頭に陣取ってきた黒いものたちが、みるみる頭から消えていくさまは、出雲に悲しみよりも小気味よさをおぼえさせた。何よりはち切れちゃいそうな快感も。

 床屋さんは立ち退きを拒むように耳の周りなどに残っているチョボ毛を、じっくりと摘んでいく。

 そして、すっかり楕円に丸まった頭に、床屋さんは万遍なくバリカンを走らせ、仕上げていった。

 ジャァァアアアァアァア

 ジャァアアァアァァア

 シャンプー――

 ドライヤー――

 ドライヤーが送り込んでくる熱風が頭皮に心地よい。いや、ちょっと熱いかな。

 ――ああ……

 思春期の処女(おとめ)の五感は疼く。震えるほどのエクスタシーだ。

 モッサリとした有髪姿から一転、あわよくばバズカットのインフルエンサーに、と期待していたが、その期待はものの見事に裏切られた。

 ――コレ、完全に戦後の焼け跡の小僧じゃん!

 単なる6mmの丸刈り頭だった。これがこの床屋さんの限界のようだ。

 出雲は失望したが、快感の方が勝った。

 ついに子供時代からの望みを達した!という歓喜があった。



 頭をさすりさすり帰宅したら、

 何を考えてるのか!

と両親から大目玉を食らった。

 しかし、やってしまったものはどうしようもない。

 頭を撫でながら、答え合わせするかのようにSNSをはしごして、バズカットの画像をチェックする。

 ――ん?

 オシャレなバズカット女性の画像を観ると、残った髪をカラフルに染めている女子が多いことに気づいた。中には青やピンク、オレンジ、シルバーなんかにカラーリングしている人もいる。

 ちなみにBuzzcutの語源はバリカン音のオノマトペだという。欧米人には、バリカンで髪を刈られる音が、

 Buzz〜

と聞こえるらしい。なんかわかる。

 さて、そんなことは置いといて――

 ネットの向こうの女性たちがしているのはバズカットで、自分がしたのは丸刈り、似て非なるものこの上ない。明らかに別物だ。

 ――髪を染めれば――

 多少はオシャレに近づけるかとも考えたが自分は中学生、できるわけがない。

 しかし刈ってしまった髪はすぐには元には戻らない。戻す気も全くない。野球部男子のように、すっかり坊主頭の虜になっている出雲がいた。

 少しでも髪が伸びれば、床屋さんに行く。

 床屋さんは、

「出雲ちゃん、今日も”バズカット”かい?」

と笑いながら、バリカンで髪の毛をBuzz〜とやってくれる。

 出雲はバリカンの魔力に身も心も奪われていた。頭をスライドするバリカンの感触に性的な快感をおぼえ、その性的快感に全てを委ね、溺れまくった。カットを終える頃には、いつも頬がポ〜ッと上気していた。

 バリカンの振動で頭が刺激されると、たまらなく興奮した。

 秘密の花園が濡れた。愛液をほとばしらせながら、メスの表情で刈られていた。

 耳障りなモーター音にも、花園が反応するようになっていた。

 床屋さん通いか続くにつれ、ただでさえ短いのに、5mm、3mm、1mm、と髪はどんどん短くなっていった。断髪ジャンキー状態である。

 0・5mmまでいくと、床屋さんは、

「これじゃ尼さんだよ」

と呆れていた。

 Buzz〜、と青々とした坊主頭になって、

 ――あれ?

と閃いた。

 ――髪は染められないけど、短くしたら青色だし、逆にオシャレじゃないの?

ととんでもない勘違いをはじめた。はじめてしまった。

 ――じゃあ、ツルッと剃っちゃった方がカラフルになるんじゃね。

 そう考えると、矢も楯もたまらず、またも床屋さんへ直行した。こういうのって、整形にハマった人があちこちの顔のパーツをいじくり回したり、タトゥーに開眼した人が全身にタトゥーを入れまくったりする行為に似ている。

「次は頭の皮を剃るしかないんじゃないの」

と床屋さんは下手な冗談を言いつつ、出雲の頭全体にシェービングクリームを泡立てて、レザーをあて、平行移動させる。

 ジッ、ジッ、ジーッ、ジー――

 ジー、ジー、ジッ、ジーッ――

 細かな毛が剃られる。

 黒い粒々がクリームごと剃刀にくっついて、頭から除かれる。

 剃刀の動きに沿って、もぎたてのフルーツのような瑞々しい頭皮が浮き出る。

 ゆっくりと――

 時間をかけて――

 クッキリと――

 サッパリと――

 ツルツル坊主になる出雲。

「やった〜」

と満足げに丸い頭に手を持っていく。

「風邪ひかないでね」

と床屋さん。思えば初めて「バズカット」に挑戦してから9か月、出雲は中学3年生になっていた。

 意気軒昂、店を出る。

 陽光が直接、裸んぼの頭に当たるのを、確かに感じた。

 ――これであたしもオシャレ女子♪

 明らかに間違った方向にひた走っている出雲だが、本人は気づいていない。周りも出雲の気持ちがわからずにいる。



 早速、母にねだってシェーバーを購入した。そいつで毎日ジョリジョリとスキンヘッドを保っている。

 ――快適、快適。

 SNSを開設した。

 ――あたしの画像を観て、世界のどこかの女の子が「坊主いいじゃん!」って思ってくれれば嬉しいな。

 ――「髪を剃りたいけど恥ずかしい」って悩んでいる女の子の背中を押してあげたいな。

という思いを込めて、スキンヘッドの自撮り画像をアップし続けている。

 ――これであたしもインフルエンサーだ。

と美のトップランナーのつもりでいるが、コースを外れ過ぎていて、後続ランナーがいない。

 ファッションに敏感な女の子からのリアクションは全然ない。

 代わりに、

 ――女の子の坊主いいですね。

 ――剃髪中の画像も是非見てみたいです。

 ――コスプレしてみるというのはどうでしょう。

と、なんだか妙な人たちが寄ってきて、その筋のフェチ界隈では人気を博している。それはそれで、男の人にチヤホヤされたことなど、ネットでもリアルでも初めてなので、夢心地で彼らと交流している。坊主女子マニアに「おかず」にされていることも、薄々わかっている。出雲も言わば彼らと「同類」なのだから。



 そうしたファンの中から、特にイケメンで住所も年齢(とし)も近いアキト君という男子とリアルで交際をスタートさせた。

 当然アキト君はそれ系のフェチなので、出雲の頭を剃りたがる。

 こないだのお泊まりデートのときも、

「出雲、尼損でシェーバー買ったゼ。頭の手入れしてやるよ」

と鼻息荒く迫ってきて、

「ええ〜、どうしよっかな〜。やっぱやめとく」

「そんなつれないこと言うなよ〜。なあなあ、いいだろ〜?」

 ジラされてウズウズしているアキト君に、

「しょうがないなあ」

と笑顔を押し殺して許可を与える。

「よっしゃあ!」

 彼氏は勇み立って、出雲の首にタオルを巻き、ピカピカのシェーバーをあてる。

 ジー、ジャリジャリジャリ――

 ジー、ジー、ジャリジャリ、ジー、ジャリジャリジャリ――

 さすがその道のアキト君、切れ味の素晴らしいシェーバーをチョイスしている。出雲は感心し、昂る。

 自分に相応しい男をゲットした、とほくそ笑む。

 黒髪が粉のように顔や首に貼り付く。

 青い頭が、鮮やかに艶やかに顔をのぞかせる。その光沢のある頭に、剃る方も剃られる方も発情する。出雲も立派なマニアだ。

 ――コイツを――

とアキト君について考える。

 ――仕込んであたしの調髪係にさせよう。

 セルフシェービングも良いが、愛する男性(下僕)によるカットも得も言われぬ快感がある。

 剃り上がった頭をピトッと彼氏の胸にくっつけ、

「これからお泊まりするときは、アキト君に頭のお手入れしてもらおうかなあ」

 レッスン開始!

「ホントかぁ〜?」

 アキト君は嬉しそうに顔を笑み崩している。そのニヤケ面にパンチしたくなる。


               (了)




    あとがき

 リクエスト小説第11弾はリクエスト企画になると現れ妄想をサクレツさせて下さるあの御方のリクエストです! 昔町内会の祭になると必ず現れて呑んじゃってベロンベロンになっていた名物オヤジさんを思い出します(笑) もはやリクエスト=「お題」になってる(^^;)
 書いていて、ん?と違和感があったので、ラスト直前まで書いたところで読み返してみたのですが、あっ!と気づいた。ヒロインが、坊主にしたいのか、ファッションリーダーになりたいのか描写がブレブレになってる(汗) あわてて調整しました。が、調整しきれず、まあ、女の子ってファジーで欲張りなトコあるじゃん?とレイシズム的に考え、自分にGOサインを出しました。
 ちょっと前作とかぶっちゃいましたね、性的な描写とか(^^;) 坊主願望強いヒロインという設定は「比呂美と優斗」とかぶってるかな〜。どうか見逃して頂きたい(-人-)
 buzzcutについては今回ネットであれこれ調べて、知るところが多かったです。良い画像もあった(笑)
 リクエストどうもありがとうございました♪
 これで今回のリクエスト企画は〆とさせていただきます。お付き合いありがとうございます! 参加して下さった方々、色々と言いたいこと、ツッコミたいことあるとは思いますが、また今年参加してもらえれば幸甚です♪ 今回かなり不完全燃焼気味でしたが、次回はリフレッシュして臨みたいです。
 今後とも懲役七○○年をよろしくお願いいたします! では!



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