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こしらえもの


 松村巴(まつむら・ともえ)のような女性を、世間では「箱入りお嬢様」と呼ぶのだろう。

 平成××年、さる資産家の一人娘として産声をあげた。

 父母は厳格だった。

 あれをやってはいけない、これをやってはいけない、と娘を束縛した。

 着る服、読む本、付き合う友人も全て父母の裁量によって、厳しく制限された。

 恋愛なんてもっての外、学生の頃から「悪い虫」がつかないよう、毎日学校――ここもまた厳格な女子校であった――に自家用車で送迎されていた。

 巴はその過酷な干渉に耐え得る従順な精神の持ち主だった。反抗期もなかった。両親の言いつけに、黙って従っていた。

 ただ、高校卒業後の進路について、

「大学には行かんでいい。家で花嫁修業をしろ」

と父に言われたときには、ほんの少し、不服の色を見せた。

 ――大学、行きたかったな……。

という願望がチラリと脳裏をかすめたが、父の言うことは絶対、逆らうなどという選択肢はない。

 料理教室やお茶や踊りの稽古に通いながら、このまま父の選んだ男を婿に迎え、家の跡をとり、良妻賢母となる、そんな自分の生き方に、巴は毛ほどの疑いも抱いてはいなかった。

 そうした巴を包む分厚い殻にヒビを入れる人物が現れることを、彼女はまだ知らない。



 松村邸の門前に一台のタクシーが停まったのは、晩秋の日曜日だった。

 トランクを松村家の使用人に渡し、颯爽と歩いてくる来訪者――若く美しい女性だった。

 自分と同じくらいの年頃だ、と窓から女性を見下ろし、巴は未知の客人の観察を続ける。派手なメイクとラフな服装、髪は短く剪っており、金髪に染めていた。耳には幾つもピアスをあけている。

 巴には全く知らない世界の住人だ。このような人種と関わったことは、今までなかった。

 山内涼香(やまのうち・りょうか)という、その女性は巴の遠縁にあたるらしい。巴の住む町で職に就くことが決まり、条件に適った住居が見つかるまで、松村家で居候することになったという。

 父は涼香の身なりとその奔放不羈の性格に眉をしかめていたが、涼香の父には若い頃随分と助けられた恩があるので、何も言わず彼女を歓待した。

 ただ、巴には、

「あの娘とは関わり合いになるなよ」

と距離を置くよう釘を刺していた。

「はい、お父様」

と巴は素直にうなずいた。



 しかし、父の懸念は当たり、巴と涼香は急速に接近していった。

 当初は父の言いつけを守り、涼香を避けていた巴だったが、涼香はそんなのお構いなしでグイグイ来る。巴の部屋を訪ねては、あれこれ話をしてくる。

 涼香は積極的に社会にコミットしている女性だった。LGBTQ問題や女権拡張運動、環境問題にも関心を持って、活動にも加わっていた。海外ボランティアの経験もあった。

 そんな涼香が、巴のような生き方に、口出ししたくなるのも無理はない。

「進学も就職もせず花嫁修業なんてつまんないよ」

としきりに言った。

「そうかしら?」

「そうだよ」

「素敵な殿方と結ばれて家を守って子供を産み育てるのも、立派な生き方だと思うけど」

「古い古い」

 もっとアンテナをはるべきだ、と涼香は熱弁を振るった。

「世界は広いんだよ」

と。

 そして、語った。

 デモをしているときの仲間との連帯感を、ゲイと呼ばれる人たちのコミュニティで催されるパーティーの温もりを、アフリカの子供たちの目の輝きを、掘り続けてきた井戸から水流がほとばしったときの感動を――。

 勿論楽しい話ばかりではない。

 差別。貧困。飢餓。裏切り。苦悩。挫折――。

 いつしか涼香の話を熱心に聞き入っている巴がいた。

「闘わなきゃ」

と涼香はいつも言っていた。

 悪との闘い。理不尽との闘い。自分の弱さとの闘い――。

 巴の現在の暮らしは、

「まがいもの」

で、その平穏な日常は、

「コップの中の平和」

だと涼香は一刀両断にする。

「もっと自分の人生を俯瞰して見て。世界にはまだ巴が知らないこと、いっぱいあるんだよ。その中で本当に巴がしたいこと、巴しかできないことが絶対あるはず。自分の可能性を押さえつけないで。人生の選択肢を狭めないで」

 涼香に言われ、巴の心は動く。

 段々と外の世界への憧れが生まれる。

 信じられない話かも知れないが、巴は親からインターネットを禁じられていた。それなので、涼香に見せてもらったネットで、新しい世界、知らない情報、驚愕の事実などに初めて接した。自分がいかに「籠の鳥」だったかを思い知った。

 巴の変化を親も気づく。

 叱られた。涼香との接触を厳しく制限された。

「お前はおとなしく親の言うことを聞いていればいいんだ!」

 そして、涼香を一刻も早く家から追い出すべく、彼女にしきりと好条件の物件をすすめるようになった。

 しかし、覚醒した巴は怯まなかった。ひそかに涼香の部屋を訪ね、彼女と交流を続けた。



 やがて、巴は自分の新しい道を見出した。

 看護師

 この大変な時代にその重要性が改めて認識されている職だ。

 ――今の時代だからこそ――

 世のため人のためになりたい、と強く思った。

 その志望を、

「いいじゃないの。素晴らしいよ!」

と涼香は熱っぽく応援してくれた。

 困難な道だ。

 でも、やりたい。

 今からでも遅くはない。

 問題は両親をどう説得するか、だ。

 そんなとき、涼香の新居が見つかった。涼香は松村家を去ることになった。

「巴!」

 別れ際、涼香は巴の手を握った。新しい住所や携帯番号を書いた紙を、そっと渡して、

「何か困ったことがあったら連絡ちょうだいね。いつでも相談に乗るからね。アタシは巴の味方だからね」

と、そう囁き、来たときと同じようにタクシーに乗り込んだ。

「まるで台風が過ぎ去ったような気分だな」

と父はホッとした様子だった。自分のすぐそばで新たな嵐が生じているとも知らずに。



 本当は涼香に付き添ってもらいたかった。

 しかし、これはあくまで自分の問題、自分の道だ。

 巴は父の書斎のドアをノックした。

「看護師になりたい。そのための専門学校に行きたい」

という巴の志望に、父は怒るより呆れた。

「お前、山内の娘にかぶれたな」

 深々と嘆息して、諭すように、

「人間若いうちは、そうやってエネルギーを持て余して、むやみに志を立てたがるものだ。言わば麻疹(はしか)みたいなものだ。後々振り返って”なんであんな馬鹿なことを”と苦笑してしまう類の話だ。過ぎてみれば他愛がない。私にも覚えがある。少し頭を冷やせ。この話はここまで」

「私、本気なんです! 後になって、やっておけば良かった、と悔いることでしょう。どうか、どうかお願いします。看護師を目指させて下さい!」

 食い下がる巴だが、

「くどい! お前は松村家の一人娘として、相応しい婿をとって、この家を守るのだ! もう二度とそんな戯言を言うことは許さん!」

 父は激昂して、巴を部屋に閉じ込めた。

 しかし、父の意に反して、巴はふたたび自分の気持ちと向き合い、ますますその決意を固めた。

 ――闘わなきゃ。

 顔をあげる。自分の覚悟を示そう。

 裁縫鋏を握る。

 そして、それを左の髪に跨がせる。

 最後に自分の胸に問う。

 ――いいんだね?

 心の奥底の声が応える。

 ――うん。

 巴は鋏を閉じた。

 ザクリ!

 握った髪が頬のところで切り離され、切り口も露わにクッタリと、巴の手に残される。

 最初のカットが終われば、心も定まり、後はただ切り続けるだけだ。

 生まれてからずっと伸ばしてきた髪、天使の輪ができるほどの麗しの髪、それを巴はためらいなく、一房、また一房、切り獲っていく。

 ジャキッ! ジャキッ!

 鋏は勢いよく鳴り、

 バサッ! バサッ!

 放り捨てられた髪が畳を叩く。

 次々に髪が頭から放逐され、畳の上にその屍を晒す。

 たちまちザンバラ髪になる巴。首筋が寒い。

 その乱髪をさらに切り詰め、切り詰め――。

 ザクリ、ザクリ

 ――闘わなきゃ!

 鋏を持つ手に力がこもる。スピードを増す。

 巴は器用に鋏を使い、短く仕上げていく。

 長かった黒髪は無惨に断たれ、短くなった髪が整えられる。

 巴は鏡でチェックしながら、髪をベリーショートに切り揃えていった。

 細かい毛が鋏を持つ手に散っていく。

 顔の輪郭がクッキリ出る。

 新しい活動的な姿に変わっていく自己に、満足をおぼえる。微笑すら浮かぶ。もう「深窓の令嬢」はやめだ。

 人生初の父への反抗、運命への抵抗。

 その出自の確かさを誇示していた長い黒髪は、巴の周りで廃棄物となって、永遠の眠りについている。

 巴は外見も新しい巴になった。

 男の子のような髪を撫でつける。細かな毛屑を払い落す。見事なベリーショートヘアーだ。

 戦闘準備完了。

 巴は部屋を出た。

 書斎のドアを敲いた。

「誰だ?」

 中から父の声がした。

「巴です」

「謹慎させているはずだが」

「お話があります」

 父はしばらく黙っていたが、

「入れ」

「はい」

 巴はドアを、未来への扉を、開いた。


        (了)






    あとがき

 リクエスト小説第7弾です! 「昔から箱入り娘として育てられた黒髪ロングのお嬢様が、世俗に触れてベリーショートに自発断髪し、お堅い実家の後継ではなく新しい道を選ぶストーリー」というご依頼をいただき、書いてみたのですが、これもまたドタバタした中で書いたので、短編なのにかなりの難産となりました。ほんと今年中に完成に漕ぎつけられて良かったわ〜。
 新たな訪問者の登場によって、主人公の運命は揺れ動く、というモチーフはたまたま読んでいた「ジョジョ」の第一巻の影響です(すぐ影響されるタイプなんです)。ジョジョとディオは悲惨なパターンだけど、今作はそのポジティブバージョンみたいな感じです。
 しかし完成したのを読み返しつつ、なんか思いっきり作り物くさいなぁ、と思い(作り物なんですけど)、今回のタイトルになりました。
 今年のアップロードはここまでです。
 色々なことがあり過ぎるほどあった2021年も終わろうとしています。皆様には本当に勇気づけられた一年でした! いっぱい元気をもらいました(*^^*) 一時は懸念していたサイトの断絶も杞憂となり、これからも活動を続けていけそうで、安堵しています。懲役七○○年という場が、自分にとっていかに「大切な場所」だということを改めて痛感しました。
 勿論、頂いたメッセのお返事も折を見てさせてもらいますね!
 どうか来年もよろしくお願いいたしますね!
 今年もありがとうございました♪♪



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