おかえり・おかわり |
駅前の書店。 一人の女性が雑誌をパラパラ立ち読みしている。さえない地味な女性だ。 女性はある記事に目をとめた。 記事には満面の笑みを浮かべ、敬礼する女性の写真。自衛隊の正装だ。 『今輝くキャリアウーマンたち・パワフルに任務をこなすアイアンウーマン! 「最前線にだって行きます!」女性自衛官・丘英利(おか・えり)3曹』 と大きな文字が躍る。 ――英利! 入隊後、順調に昇進を重ね、隊の男性と近々結婚するらしい。 『本当は自衛官になるつもりなんて全然なかったんですよ』 と英利は語っている。 『友人に誘われて一緒に試験を受けたんですけど、その子は落ちちゃって、私だけが合格したんです。』 英利の発言に、雑誌を持つ手がワナワナと震えている。 実際のインタビューでは―― 英利「友人に誘われて一緒に試験を受けて合格したんです」 記者「そのお友達は受かったんですか?」 英利「いえ、その子は落ちちゃって……」 記者「じゃあ、丘さんだけ受かった、と?」 英利「はい」 というものだったのだが、編集部の方でまとめてしまったらしい(無論、校訂の際、英利本人か隊に確認をとったのだろうが)。結果、読みようによっては、丘英利が一方的にベラベラと、友人を下げて自身を上げているふうにも読める。 実際、「友人」はそういう印象を抱いた。 ――英利……。 蝋崎イカ子(ろうざき・いかこ)は唇を噛む。 ――昔はアタシに金魚の糞みたいにくっついてたクセに……。 写真の英利はイカ子の知る彼女とは全然違っていた。自信にあふれ、朗らかな笑顔、身体つきもガッシリしている。 ふと、アンデルセンの「みにくいアヒルの子」を思い出す。 英利は白鳥に変貌を遂げた。しかし、自分は―― イカ子は乱暴に雑誌を棚に戻すと、書店を出た。いつしか猫背になっているイカ子がいた。 太陽が眩しい。 イカ子は日陰に寄り、日差しを避けた。なんだか自分の人生のような気がした。 自衛官の試験に落第してから、人生がおかしな方向に傾いている。 ぶらぶらフリーターを続け、父親には理容師の資格を取って店を継ぐよう、うるさく言われたが、耳を貸さず、大学進学も考えたが、今更受験勉強するつもりにもならず、あっさり諦めた。 見かねた母方の伯父にすすめられ、その伝手で渋々運送会社の事務員として就職した。 やる気もなくミスばかりで、始終お局様に叱られていた。周囲の目も冷ややかだった。何人かの男と付き合ったが、何故か皆、いわゆる「だめんず」ばかりで長続きしなかった。最近では恋する情熱さえ無くなっている。 ――ずっと独り身でもいいかなぁ。 と二十代の若さで、そんな気持ちに達しかけている。 仕事もプライベートも最悪だ。 その猫背がイカ子の凋落を、無言のうちに語っていた。 高校時代はあんなに輝いていたのに。素敵な彼氏はいたし、友達もたくさんいた。何をするのにも、常に主役だった。 良く言えば「妹分」の丘英利を、彼女がデザイン系の専門学校を志望していることを知りつつ、自衛隊に誘ったのは、一種の「いじり」みたいなものだった。誘われてオロオロしている英利を、心の中で面白がっていた。 ところが、運命は皮肉だ。 英利は合格し、イカ子は落ちた。 どうせすぐに音をあげて退官するだろう、とタカをくくっていたが、英利は辞めなかった。それどころか、現在幸せの絶頂にいる。 あっという間に、二人の人生は逆転してしまった。 向こうはバリバリのキャリアウーマン、いい相手を見つけて結婚も決まった。こっちは夢も未来もない落ちこぼれOLだ。 イカ子は臍を噛む。 その英利が近く帰郷するらしい。 高校時代の仲間で英利の家に押しかけようということになった。イカ子もだ。本当は行きたくない。英利と会えば、きっとミジメな思いをするだろう。だが、そんなイカ子の屈折した気持ちは、他の娘らにはわからない。 イカ子の父の鯛三(たいぞう)も、 「あの娘、戻って来るんだろう?」 と訊いてくる。 「あの娘って?」 イカ子はトボけた。 「お前と一緒に自衛官の試験を受けた娘だよ。丘さんだっけ?」 イカ子の父で理容師の鯛三は、英利が自衛隊に着隊するにあたって、彼女の髪をカットしてやった。髪に未練たらたらの英利をイカ子が強引に、父の店に連れ込んで切らせたのだ。うんと短く、スポ刈りに。 雑誌の写真では、英利は着帽していたので、現在の髪型はよくわからないが、相当な短髪であることはわかった。 イカ子は英利と違って、入隊試験前から、面接のことなども考え、潔く髪を短くしていた。 しかし、歳月は流れ流れて、イカ子の髪は野放図に伸び、申し訳程度にハサミを入れ、パーマをかけてはいるものの、見苦しい感は否めない。まるでイカ子の今の内面がにじみ出ているかのように。 「丘さん、随分と出世しているらしいじゃないか」 「そうなの? 知らない」 イカ子はまたトボける。本来なら自分が英利の立場で、賞賛され、羨望され、チヤホヤされているはずだったのに。 かつての友人の幸せを妬ましく思う自分に、ちょっと嫌悪をおぼえたりもする。 この前、高校の頃付き合っていた元カレと街で遭遇した。あいかわらずカッコ良かった。声をかけようとしたが、先方はプイとそっぽを向き、素通りされてしまった。 ――何よ、アイツ。ムカつく〜。 確かにケンカ別れしたが、それはそれ、昔の話だ。無視しなくてもいいだろう。 憤ると同時に、 ――アタシ、もしかしてかなりの負のオーラを放っているのかな。 とネガティブな考えが浮かんだ。実際そうなのだろう。 高校時代仲の良かった友人たちとも、すっかり疎遠になっている。イカ子が連絡を避けているからだ。 その友人たちと、 丘英利を囲む会 に顔を出さねばならない。気が重い。 ――理由をつけて断ろう。 と決めた。 そして、当日、 「熱が出た」 と嘘のメールを旧友に送り、集いをドタキャンした。 英利の帰郷祝い&婚約祝いでは、 ――きっとアタシの話題も出てるんだろうなぁ。 酒の肴にされているのを想像して、ナーバスになった。 スポ刈りになった英利を皆で笑ったのが、遥か遠い過去のように思える。 それから二三日して、イカ子は休日。パチスロに行きがてら、祖母から頼まれたハガキをポストに投函した。祖母は俳句雑誌にせっせと投稿している。 ――お祖母ちゃんの俳句が雑誌に載りますように。 と、いつものおまじない、ポストを撫でる。 「もしかして、イカ子?」 背後から声をかけられ、イカ子が振り返ると、そこには一人の美青年が立っていた。やたら、爽やかなオーラを放っている。 その美青年が英利と気づくまで、ちょっと時間がかかった。 「英利!」 英利はすっかり逞しくなっていた。それでいて艶もある。 髪は入隊時そのままのスポーツ刈り。よっぽど気に入っているのだろう。 「会えて良かった! 熱出たんだって? 大丈夫?」 ハキハキとしゃべる英利は、昔とはまるで別人だった。 「ああ、大丈夫」 イカ子はひきつって笑った。 「イカ子、OLになったんだって?」 「ま、まあね」 英利はグイグイくる。以前はイカ子の顔色をうかがって、モジモジしていたくせに。 「お茶でも飲まない?」 「い、いや、アタシちょっと用があって……」 ゴニョゴニョ言い訳して、その場を去ろうとするイカ子だったが、 「待ちなよ」 と壁ドンならぬポストドンで、行く手を阻まれる。 結局英利に引きずられるようにスタバへ。 英利のペースに振り回され、イカ子は少々不貞腐れ気味。 そんなイカ子のことなどお構いなしに、英利ばかりしゃべった。自衛隊の訓練のこと、生活のこと、周囲の隊員たちのこと、失敗談、そして、婚約のこと―― 英利が話せば話すほど、イカ子の気は滅入る。 そして、英利はようやく、 「イカ子はどう?」 と水を向けてきた。 「OL生活は順調?」 「サイテーだよ」 とイカ子は吐き捨てるように言った。 「面白くないし、やり甲斐もない。友達もいない。ないないづくしだよ。お局様には毎日怒られて、同僚には嫌味言われて、男どもはクソみたいな連中ばっかだし、何もかもが最低最悪」 英利は黙って、イカ子が吐き出す言葉を聞いている。微笑さえ浮かべて。その様子がイカ子の癇に障った。 「何がおかしいのよ!」 とイカ子の怒りの矛先は英利に向けられる。 「どうせ、アンタもアタシのこと、内心では軽蔑してるんでしょ?」 「別にしちゃいないよ」 「嘘つき! 絶対蔑んでる! アンタはいいわよね、職場に恵まれて、いい男性(ヒト)と結婚出来て。高校時代にはアタシに頭上がらなかったのに、今やアンタは勝ち組、アタシは負け組、さぞ愉快でしょうね!」 英利は涼しい顔でアイスコーヒーをすすっていたが、イカ子が呪詛の言葉を出し尽くすと、 「アタシだって、デザイナーになってたらなぁ、と思うよ。アンタに自衛隊に誘われてなきゃなぁ、って」 元々の英利の志望を口にする。 「アタシのデザインした服を、モデルや若い女の子たちが着て、笑顔で街を歩いてたりする光景を、たまに想像したりしてさ」 「……」 思わぬ英利の本音に、今度はイカ子が黙り込む。 「でも与えられた場所でベストを尽くしてる。残念だけど二つの人生を同時に生きることは不可能なんだな。自衛官って仕事も好きだよ。ついでに言えば、この髪型もお気に入りなんだよね。きっかけを作ってくれたイカ子には本当に感謝してる」 「…………」 「ねえ、イカ子」 コリコリと氷を噛み砕きながら、英利。 「アンタ、本当はまだ自衛官になる夢、捨てきれてないんじゃないの?」 イカ子はドキリとする。 昔はいつも泳いでいた英利の目が、じっと自分を見据えている。その目力に、 「そ、そんなこと、あ、あるわけないじゃん」 イカ子は目を逸らし、 「自衛隊に入れば衣食住が保証されてて、給料も悪くないし、色んな資格も取れるし、メリットづくめだから冷やかし半分で応募しただけ。じゃあ、アタシ、用があるからこれで失礼させてもらうよ」 とテーブルにコーヒー代を置いて、立ち上がりかけるが、その手を英利はギュッと掴み、 「逃げんなよ」 とイカ子を睨みつけた。 「逃げてなんかいないよ!」 イカ子も英利を睨み返す。離れた所から見たら、カップルの痴話ゲンカだと思われるに違いない。 「まだ年齢制限は十分クリアーしてるし、間に合う。もう一度自衛官目指してみな」 ドーーーーン!!とイカ子の心に百雷落つ。 衝撃の余り、椅子にヘタリ込むイカ子。本当は誰かにその台詞を言って欲しかったのかも知れない。 自衛官募集のポスターの颯爽した女性自衛官の写真に、強く心惹かれたあの日のことを不意に思い出す。 しかし、つい強がって、 「今更」 プイッとそっぽを向いて、 「誰がアンタの後輩になんてなるもんか」 「誰が先、誰が後か、なんてどうでもいい。ただ、自分の気持ちに嘘を吐かないで」 「…………」 「イカ子」 英利は表情を和らげた。 「江戸の敵は、やっぱり江戸で討つしかないんだよ」 一瞬、英利の表情(かお)が高校時代のそれに重なる。 「イカ子……自衛隊に入りたいんでしょ?」 「…………」 「どうなの?」 「入りた……い」 イカ子の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。 「入りたいよオオ〜」 人目もはばからず泣いた。まるで「スラムダンク」の名場面のようだ。 ようやく自分の本心に素直になれた。そして、ようやく再びスタートラインに立てたことへの喜びがあった。 「イカ子、泣くなよ。ごめんね、キツイこと言っちゃって」 英利はイカ子の肩を抱く。ガッシリとした筋肉を感じる。 ――英利、なんというイケメンぶり。 かつての、良く言えば「妹分」にコロリと参ってしまいそう。 「さあ、アタシの家においで」 「うん!」 と一も二もなくイカ子は英利にホイホイついて行った。 そして―― ジャキッ! ジャキッ! 大量のパーマ髪が二枚の刃に挟まれ、切り落とされる。 バサッ! バサッ! 「あれ〜?」 イカ子は口半開きの間抜け顔で、首を傾げる。 英利の家にノコノコ来て、彼女の部屋へ。言われるままに椅子に座り、ケープを巻かれ、髪を刈られていた。 「なんでなんでなんで?! ええええ英利、どうして!? どうして?!」 催眠術がとけたように我に返り、イカ子はパニくる。 左の髪はゴッソリ切られ、耳の上で揃えられている。指で触って確認した。もう引き返せないところにいた。 「イカ子の決心が鈍らないように、気合いを入れてあげてんだよ。こんな長髪、自衛隊じゃ許されないよ」 英利はニヤニヤ笑いながら、言い放つ。 「う〜〜」 英利の体育会系のノリに、イカ子はぐぅの音も出ない。理屈ではなく、力ずくでねじ伏せられた感じ。 「大丈夫、アタシ、隊では結構切ったり切られたりもしてるしさ。腕は保証するよ」 と言いつつ、 ジャキッ! ジャキッ! ジャキッ! とイカ子のくたびれた髪を断ち、切り、奪っていく。 右側も当然、耳の上でバッサリ! 「ひいいぃぃぃ」 縮みあがるイカ子。 ――もしかして―― 真っ白になりかけている頭の片隅で考えた。これは、英利の意趣返しではないか、と。 英利はイカ子に強引に、彼女の実家の床屋で髪を切らされた。イカ子は父をそそのかして、英利の髪を思いっきり短く――スポ刈りにさせ、それを友人たちに見世物にした。その報いか。 英利は手際よく、イカ子の髪に入れていく。 目が隠れるほどの前髪を2〜3cm切った。そして、 「まだ長いな」 とひとりごち、さらに高い位置で揃えた。両眉の真上で。 しかし、 「まだ長い」 と納得いかないようで、さらにジョキジョキジョキ、ジョキジョキ―― ――どんだけ短くするのよ〜!! 結句前髪は極限まで詰められた。額に空気の流れを感じずにはいられない。 うなだれるイカ子に、 「だいぶ良くなった」 英利はニンマリ。 しまいには、イカ子も英利の質実剛健なカットに適応し、開き直って、 「ああ、もう、メッチャ短く切っちゃって!」 と言い出していた。 見苦しいパーマヘアーはいよいよ刈りまくられ、床の新聞紙の上にクルクル散っている。それは、暗黒時代の遺産のように、イカ子の目には映った。 「ベリショにしてやる」 英利はすっかり楽しんでいる。 襟足にもハサミが―― ジャキッ! ジャキッ! バサッ! バサッ! 「いいね、いいね、たまんね」 英利は嬉々としてハサミを振るう。 高校時代は―― 「英利、前髪伸びてんじゃね?」 「え? え? そうかなぁ〜」 「アタシが切ってやんよ」 「い、いいよォ〜」 「アタシ、器用な人だから心配しないで」 「や、やめて……」 「何よ、ウチら友達じゃん? 友達の言うことが信じられないっていうの?」 「そ、そうじゃないけど……」 「じゃあ、いいじゃん」 「で、でも……」 「はいはい、いいから座った座った」 「う、うん……」 ジョキジョキ、ジョキジョキ 「な、なに、このギザギザの前髪?!」 「エヘヘ、失敗しちゃった」 「ひ、ひどいよ〜。グス……(泣)」 という関係だったのに、今では―― 「もっと切ろう」 「も、もういいんじゃないの?」 「ダメ。納得いかない」 英利はイカ子の短くなった髪を、より一層短く、切って、切って、切り直す。 チャッチャッチャ、 と小気味よいカット音が鳴り響き、 パサッ、パサッ、パサッ、 と髪が跳ぶ。 「イカ子、アタシの隊(トコ)に来たら、目一杯シゴいてやるから覚悟しときな」 「そっちこそ、アタシに追い越されないように気を付けなよ」 軽口を飛ばし合いつつ、二人は自分たちが本当の親友になれたことを実感していた。 すっかり頭の形も露わになりそうなくらいの短髪にされるイカ子。 鏡を見て、 「あっ」 と言ったきり、開いた口が塞がらない。 しかし、 「似合うじゃん、イカ子」 と英利に褒められ、 「サルみたいじゃね?」 「かわいいおサルさんだよ。高校の頃を思い出すね」 「そう?」 「そう」 「ま、いっか」 とイカ子はこんがらがった思考を放擲した。いつしか背筋もピンと伸びていた。 「さあ、次の採用試験に向けてガッツ出せ!」 「おう!」 その日からイカ子はジョギングをはじめた。 なまっていた身体を鍛えだした。 周囲は、今更?と冷笑気味だったが、イカ子はもう動じなかった。 今日も早朝から、短い髪を汗ばませ、市立公園を走っている。 走れイカ子! より良い明日のために。 走れイカ子! 輝く未来のために。 (了) あとがき リクエスト小説四本目です。「おかえり」の原作者さまからのご要望でございます! リクエストありがとうございます(*^^*) 「『おかえり』の続編で、偶然にも英利と再会したイカ子が色々あって英利に髪をベリーショートに切ってもらう事になり」とのことで、え〜! その「色々」は迫水が書くの〜?!と焦りました(笑) でも結構、メッセの文章が巧いので乗せられてしまいました(^^;) それにしても脇役なので適当な名前を付けてしまった>イカ子 主演を張ると予測出来ていたら、もっとマシな名前をつけてあげてたのに。。 ともあれ、ラストまで漕ぎつけられて良かったです。 最後までお読み下さりどうもありがとうございました♪ |