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虜囚の辱め


 ラガドは辺境の小国で、周囲の大国の干渉を絶えず受けていた。

 その現状を憂いて挙兵したのが、ラガド王シャナイ(11歳の少年であった)の庶兄グルド(21歳)だった。

「小国ゆえに列強に侮られる。いわれなき屈辱外交を強いられる。その結果、民が塗炭の苦しみをなめる。ラガドは生まれ変わらねばならぬ。今の幼王を廃し、富国強兵につとめ、強国にならねばならぬ」

と檄を飛ばし、軍を率い、王都に迫った。内乱の始まりであった。

 その危機に立ち向かったのがシャナイの実の姉レオナである。19歳の若さだったが、シャナイを支え、群臣たちをまとめた。

 レオナには政治はわからない。単なる王族の一人に過ぎなかった。

 しかし、この国難が起こるや、レオナは動いた。グルドと内通する重臣を討ち、城門を出れば必ず敵を打ち破った。

 黄金の甲冑を身にまとい、白馬にまたがり、剣をかざし、亜麻色の長い髪を翻して敵陣に突入する美しきレオナを、兵士たちは熱狂的に崇拝し、士気は大いに騰がり、グルド軍を圧倒した。

「陛下」

とレオナは八つ年下の実弟を呼ぶ。

 姉弟はよく王宮の一室で、チェスに興じていた。

 まだ幼いが、シャナイはゲームに強い。レオナが弱いせいもあり、勝負はいつも互角だった。

「姉上」

 シャナイは思い切って、訊いてみた。

「なんでしょう?」

 レオナは次の手で頭がいっぱいのようだ。無心に応じた。

「姉上はグルド殿の決起の趣旨をどうお考えになります?」

「確かに改革は必要なのでしょう。しかし、やり方がいけません」

とレオナは駒を動かし、ようやくシャナイを見た。

「急いてはいけません。同士討ちの血を流し続けることは、いくら高邁な理念や正義があろうとも、到底許せぬものではありません。陛下、改革とは菓子を作るが如く、秤で粉の一粒までもゆるがせにせず、細心に細心を重ね、進めてゆくものです。そうした努力と手間を惜しみ、いたずらに国家を鳴動させる者は浅はかです。愚かで野蛮な所業です。速やかに撃滅せねばなりません」

「そのようなものですか?」

 シャナイは駒を動かす。

「そのようなものです」

とレオナがすすめた駒に、シャナイはあわてる。

「姉上、その手は待って頂けませんか」

と頼むが、

「なりません」

 レオナはにべもない返事。シャナイは頭を抱える。レオナの一手に対する妙手をひねり出さねば。

「うーむ」

「陛下、白旗を御上げなさいますか?」

「まだまだ」

「その意気です」

 レオナは満足そうに微笑した。

「御注進!」

 伝令が姉弟の束の間の平和なひと時に割って入る。

「敵軍の本体が、ユーフォラテスの丘に布陣しております!」

「うむ」

 レオナは武人の表情になる。敵はいよいよ王都に大攻勢をかけようとしている。往かねば。立ち上がるレオナ。

 不安そうなシャナイに、表情を和らげ、

「陛下」

 優しいトーンで言う。

「この続きは戦から帰ってきてからに致しましょう。それまで良い手をお考えになっていて下さい」

「姉上」

 シャナイも立ち上がった。怯えた顔つきで、

「何か良からぬ胸騒ぎがするのです」

 レオナは微苦笑を浮かべ、

「それは戦に赴く者にかけるにふさわしい言葉ではありませんよ」

「申し訳ありません」

 シャナイは謝った。

「御武運をお祈りいたします」

 レオナはちょっと名残惜しげに盤を指さし、

「駒はそのままに」

と言い置き、室を去った。



 弟王の悪しき予感は的中してしまった。

 レオナは勇敢すぎた。

 勢い余って敵陣深くまで切り込み、敵兵どもに取り囲まれてしまった。

「その者は、敵将のレオナ姫だ! 殺すな! 生け捕りにせよ!」

との隊長の命で、兵らはまずヘレナの乗り馬を切り、射り、刺し、愛馬は狂奔して、レオナはもんどりうって地に落ちた。落馬したところを兵たちは、寄ってたかって武具を奪い、甲冑を剥ぎ、縄を打った。

「敵将レオナを捕らえたぞ!」

 将兵たちは叫んで回っている。

 自軍の混乱を見て

 ――私もついに焼きが回ったようだな。

とレオナは縄目の恥辱に耐えつつも、自嘲した。



 捕虜となったレオナの身柄は、獄舎へと送られた。

 彼女を人質にして、王国側を強請(ゆす)ろうとする魂胆だろう。

 自害を思うレオナだが、身に寸鉄も帯びていない状態だ。

 獄舎の責任者である役人は、口ひげや顎ひげを蓄えたひどく小柄な男だった。醜い。幼い頃読んだ絵本に出てくるゴブリンを連想させた。

「レオナ姫殿下、いや、ここではレオナとお呼びしましょう。当所では囚人は平等に扱うのが習わしでしてな。また、当所では貴女の自由は一切認められません。食事は朝夕二度牢に運ばれる。入浴と日光浴は月に一回。衛兵や獄役人への抗命には相応の罰を与える。刑期は一生、脱獄やそれを企てれば即死罪。わかったかね、レオナ?」

「クッ……殺せ」

「別にそなたを虐げようという邪心はない。これでも十分人道に適っているつもりなんだがね」

「…………」

 レオナの美しい顔が歪む。ここは、臥薪嘗胆、状況の好転を信じ、この獄舎で機をうかがう決心をした。

 早速みすぼらしいオレンジ色の囚人服に着替えさせられた。

「ちゃんと洗濯してあるから大丈夫よ」

とレオナに付いている女兵が慰め顔で、そう言った。百姓出らしい。

 レオナは顔をそむけながら、囚人服を着た。

 そして、言われるまま、石造りの室内におかれた粗末な木製の椅子に腰を下ろした。

 女兵はレオナの髪を持ち上げ、

 ザクッ、ザクッ!

と鋏で断ち切った。

 バサリ!

「な、何をするのッ!」

 レオナは狼狽して叫んだ。

 その浮きかけた腰を、

「じっとしていて」

と女兵は男並みの膂力で押さえつけた。

「規則なのよ」

となだめるように言った。

「これは、懲罰でも迫害でもない」

 小男は説明する。薄笑いを浮かべながら、

「ひとえに衛生上の理由なのだよ。獄中にはびこる虱や蚤に、無用の棲み処を与えるわけにはいかん」

「この無礼者ッ! これが人道に適うやり方かッ!」

「そう喚き散らすな。繰り返すが、そなたを辱める気など毛頭ない。衛生対策なのだ。実際、囚人は貴賤男女の区別なく、入牢前には髪を刈るのだ。そこを理解してもらいたい。ま、理解できなくても髪は切るがね」

「この間、ポウ伯爵夫人も髪を刈られたのよ」

 女兵が耳打ちしてくる。

「ポウ夫人が?!」

 レオナは我が耳を疑った。

 ポウ伯爵夫人は、かつてラガド国の社交界の花形として、その美貌とファッションセンスで貴顕紳士の憧れの的だった。

 グルドの軍が領内に侵攻して、夫の伯爵に置き去りにされ、逃げ遅れ、捕虜になってしまったという。

 髪は切らない、囚人服は着ない、と誇り高く反発したが、

「今では模範囚よ」

「…………」

 レオナは肩をおとした。

「髪を切れば虫の害から逃れられ、牢獄生活も多少はマシになるだろう。さあ、切れ」

 小男に命じられ、女兵はふたたび鋏を使いはじめた。

 ザクッ、ザクッ

 女兵はレオナの髪を持ちあげ、根元から鋏を入れ、無造作に切り裂いていった。

 バサッ、バサッ!

 戦場の兵士たちが目を奪われた亜麻色の長い髪が、冷たい石の床に雪崩れ落ちる。

 ザクッ! ザクッ! ザクッ!

 腰まであった髪は、地肌が見えるくらいに無慈悲に刈られた。

 幼い頃から侍女たちに手入れされ、整えられてきた長く美しい髪、その髪が女兵の武骨な手によって、無惨に収奪される。レオナの胸は例えようもない虚無感で浸されている。

 女兵の切り方はますます乱暴になってきている。

 グイッ

と引っ張りあげ、

 ザクッ!

と断つ。この動きが繰り返される。長く美しい髪は全て切り払われ、床に落ち、女兵の軍靴に踏みにじられていた。

 イガグリのようになった髪を――ところどころ禿げている――女兵はさらに刈り詰めていった。

 チャキチャキという金属音が、水を打ったように森閑とした屋内に響き渡る。

 凛々しい眉も、処女の恥毛も、有無を言わさず剃刀で剃り落とされた。

 無残な姿になったレオナに、小男は声を張り上げ、

「そなたに囚人番号を与える。1O47だ。そなたはこれより、この番号で呼ばれる。よく頭に叩き込んでおけ!」

 レオナは力なく、ガックリと虎刈りの頭を垂れた。一人では立つことも歩くこともできないほどの心神喪失状態だった。

 女兵に抱えられるようにして、これからの住まい――獄へと連れて行かれるレオナ。

 強い臭気が鼻をつく。ジメジメして、暗い。光の届かぬ世界だ。

 自房に行きつくまでの間に、あちこちの房から鉄格子越しに新しい女囚を凝視する囚人たちがいた。皆、髪を切られ、囚人服姿だった。囚人たちは一様に家畜のような眼をしていた。衰弱し、体力も希望もなく、人間としての尊厳も失っていた。皆、「人道」によって生かされている。しかし、ただそれだけだった。

 ひかれていく若い女囚がレオナだと気づく者は、一人もいなかった。

 髪とともに姫君としての、或いは将帥としてのオーラは、見事に削ぎ落され、単なる囚人番号1047になり果てていた。



「姉上の安否は?」

とシャナイは日に何度も家臣に問う。

「どうやら、敵軍に囚われているようで……それ以上のことは……」

 無能ぞろいの重臣たちはいまだ確たる情報をつかめず、右往左往している。

 少年王にはどうすることもできない。

 もっと自分が大人であれば、と砂を噛むような思いでいる。

 常勝将軍レオナを失った王国軍はほころびが生じ、その間隙をついて、グルドの反乱軍は破竹の勢いで王都へ進軍している。

 しかし、王宮の誰もがその事実をシャナイの耳に入れずにいた。

「レオナ姫は誓って奪還いたします」

と言うのみだった。すでに敵軍と通じている者もあるようだった。しかし、シャナイは家臣の言を素直に信じた。姉が戻ってくる日を待ち続けた。

 今日も盤上の駒をみて、考え込んでいる。駒の位置はレオナが戦地へと赴いた、そのときのままだ。

 レオナが驚くような逆転の一手はないものか。シャナイは頭をひねる。

 ハッと妙手が閃いた。これ以上にない完璧な一手だ!

 次の瞬間、馬蹄のとどろきが少年王の耳に聞こえてきた。


                (了)



    あとがき

 リクエスト小説3本目です。短編でございます。今回はファンタジーです。リクエスト主さんのお陰で「くっころ」という言葉も知ったし、良い経験となりました(*^^*)
 「”清潔感がある”という謎の理由で入牢前に断髪」とのことだったのですが、本当に謎だったので、今回のような形にしちゃいました。ごめんなさい(^^;)
 今回はもうスピード勝負で、いつものように厳密に吟味することも能わず、ラフな感じになっております。
 なんとか、新しいネット環境になっても、サイト続けられますように(-人-)(-人-)



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