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神無川


 山近き盆地の町をサラサラと流れる神無川(かんながわ)。

 三百年前には大川で、渡し船が往来していたという。身投げや心中、水害や子供の溺死などの哀話が今も伝わっている。

 いつしか幅2mくらいの小さな川になったが、この川は未だに町民の運命に、過酷な影響を与え、さらなる「哀話」を生み出し続けている。



 今年度の○○中学校の説明会、場所は同中学の体育館、大石瑠美(おおいし・るみ)は切実な祈りを胸に秘め、母親と並んで、パイプ椅子に座っている。

 膝の上、グーに握った手の平は、春先なのに汗ばんでいた。

 生徒指導の教諭が、学校での勉強や生活の心得を弁じたてている。白髪の目立つ眼鏡で小太りの、あまり人相のよろしくない男。とても、瑠美にとっての「吉報」をもたらす人間とは思えない。

「えー、生徒は外出の際は当校の制服を着用のこと。常に我が校の生徒たる自覚をもって、校外においても行動には注意するように」

とか言ってるし。

「髪型については――」

 瑠美の心臓の鼓動は、バクンバクンと早く激しくなる。

「男子は耳や肩にかからぬように。女子は――」

 ――お願い! お願い! お願い!

 瑠美はそれこそアラーから八百万の神々に祈る。

「まあ、いわゆるオカッパであること」

 乙女の祈りは木っ端微塵に砕け散った。

 生徒指導の教諭はややせっかちに、サイドは耳が半分出るくらい、襟足は刈り上げること、と細々(こまごま)と説明を加えた。

「昨今の風潮には適さないとの声もありますが、当校としては、今年度もこの校則を堅持する方針に決定致しました。どうか保護者の方々もご了承下さい」

 瑠美は蒼白となった。目の前が真っ暗になった。

 その後も部活動や委員会活動についても説明は続いたが、瑠美の耳には一語も入ってこなかった。



 この地域はガラパゴスだ、と自虐的に嘯く住民もいる。

 山々に囲まれ、周囲とは隔絶したある種陸の孤島で、また、江戸期には半士半農の郷士らが、一朝ことあらば、と武芸に励んできた尚武の風もあって、独立独歩、質実剛健、の土地柄が形成されてきた。

 子供は厳しく育てるべし!

 これが、住民共通の意識である。

 子供を甘やかしている親は白眼視され、ときには村八分にされることもある。

 ゆえに町に三つある中学校も、生徒への締め付けがキツイ。

 21世紀を迎えても、まだまだ「男子は丸刈り・女子はオカッパ」という掟が、頑強に存在していた。

 が、時代の流れもあり、他の二つの中学校は、髪型への規制が緩和された。丸刈りオカッパ以外のヘアスタイルも認められた。

 瑠美の通う中学だけ、「ガラパゴス」的に丸刈りオカッパ校則が幅をきかせている。

 それでも男子の丸刈り規定は撤廃された。

 女子のオカッパのみが、令和の現在も連綿と、その命脈を保っているのだ。

「なんでウチらだけ?」

と女子たちから怨嗟の声が囁かれているが、校則は覆らない。

 オカッパ校則存続について、学校側からははっきりとした答弁はない。

 これは、あくまでも噂だが、この中学に多大な恩恵(具体的なことは言わないでおく)を与えている地元の有力者某氏の意向ではないかと、察しをつける向きもある。

 某氏は昨今の若い女性の放埓さをほとんど憎悪していて、大和撫子の復活育成の必要を周囲に説いているような人物だった。

 けれど、今年こそ学校も重い腰をあげ、ついにオカッパ校則は廃止される、という風聞が流れた。

 瑠美はワラにもすがる思いで、その出処不明の噂が真実であるように祈念した。

 だが、その願いも空しかった。



 髪を切らねばならない。

 このガラパゴス地域でサバイヴするために。

 瑠美はずっと長い髪で通してきた。肩甲骨まで伸ばしていた。

 実はこの地域ではロングヘアーの女の子は珍しい。

 子供は女の子であっても短髪で十分、という風潮がまかり通っている。だから親たちは小学生の三四年生くらいになれば、娘の断髪を強行する。自然、女子らも長い髪への執着はない。

 そんな風土だから、瑠美のように長い髪をキープしている女子は肩身が狭い。大人や同級生たちから陰に陽に髪を短くするよう、日常的に圧力を加えられていた。

 瑠美の場合は、生意気そうな顔をしているので、髪を長くしていると、「不良」のレッテルを貼ってくる大人もいる。

 駄菓子屋でお菓子を買おうとしたら、店番のお婆ちゃんが鬼みたいな顔をして、

「何、その長い髪は! そんな子にはお菓子は売らな〜い」

と理不尽極まりなく言われ、買い物できなかった。

 こんな土地柄を基盤としているから、オカッパ校則がなくならないのも、むべなるかな、である。

 女子たちの大半はすでに短髪に慣れているから、泰然自若としたもの。ひとにぎりの長髪女子が中学入学前にオロオロしているのが実状だ。

 瑠美も観念するほかない。



 小春日和、家の前に立ち、眼前を流れる神無川を見つめる。そして、目をあげ、川の向こうを見る。

 川向こうは宅地だ。新築の家々が建ち並んでいる。よその地域から入居してくる家族も多い。

 神無川を隔てて学区は分けられている。

 川向こうの女子たちの通う中学は、オカッパ校則などとっくになくなっているので、女の子たちはさすがにカラーリングすることはないが、自由に髪を伸ばし、思い思いのヘアアレンジを楽しんでいる。制服も最近、オシャレな感じにモデルチェンジした。川のこっち側と違い、どの娘も垢ぬけている。

 たった10m足らずの距離なのに、あっちは天国、こっちは地獄だ。

 ――なんでよォ〜(><)

 瑠美は髪をかきむしる。

 ――神様の意地悪!

と神様を呪う。ほんのちょっとの違いで、全く異なる青春を送るなんて無茶苦茶だ。川の向こうに亡命したい。

 ダメ元で、川の向こうに引っ越さないか、と母にせがんでみたら、ブチ切れられた。

「バカ言ってないで、さっさと髪切ってらっしゃいっ!!」

 母の怒声は三軒隣りまで轟き渡ったという。

 ただでさえ、髪を際限なく伸ばし、断髪を忌避しようとして知恵をしぼっている瑠美は、母にとって「不肖の娘」「一家の恥」だ。

 積もり積もった怒りがついに大爆発!

「校則通りのオカッパにして来ないと、家に入れないからね」

と言い渡し、五千円札を握らせ、戸外に追い出した。



 追い出された瑠美は、一切を諦め、母が指定した床屋へと向かった。

 ひと足ひと足が重い。

 白、赤、青、のトリコロールがクルクル。小学校の行き帰り、この店の前を通るとき、このクルクルを見て、

 ――いつかは自分も――

 この店のお世話になるかも知れないのかな、と気を滅入らせるのが小学生時代のルーティン(?)だった。

 その店に、入る。

 カランコロン

 ドアベルが鳴る。

「いらっしゃい」

 二人で店を切り盛りしている中年夫婦が挨拶する。瑠美を見て、すぐに、

「ああ、大石さんトコの娘さん?」

 顔バレ身元バレしている。田舎あるあるである。

「いつ来るかしら、って待ってたのよ」

 理髪師のオバチャンがお多福顔を笑み崩す。

「ついさっき芋川(いもかわ)の娘さんの髪を刈ってあげたばかりなのよ」

 芋川さんは、瑠美と同じくロングヘアー保持者だった。長い髪に西洋人形の如きバタ臭い顔立ちだった。背もスラリと高く、モデルみたいだと瑠美は密かに憧れていたものだ。

 が、芋川さんもついに本日、軍門に降ったらしい。あの欧米顔に市松人形みたいなオカッパは似合うとは思えない。一瞬自分のことも忘れ、

 ――芋川さんのオカッパ、どんなだろう。見たい。

と好奇の虫がうずいた。

「さあ、こっちに座って」

 誘われるままに、理髪台に腰を沈める瑠美。他に客はいない。

 オバチャンが切るのかな、と思っていたら、オジサンの理髪師がカットクロス、ネックシャッターを巻き、段取りをしていく。

 オバチャンはその背後で、腕組みしながら断髪見物をきめこんでいる。

「懐かしいわね。あの頃のことを思い出すわ〜。オバチャンも髪、長かったのよ〜」

とか言いつつ。

 婿養子で元々は「余所者」のオジサンは、妻にダメ出しされないよう、テキパキと支度を整えると、恐怖に震える瑠美の髪を水で湿しながら、

「大丈夫、大丈夫」

と優しい口調で繰り返した。

「辛いのは最初だけだから」

とも言って、瑠美をなぐさめてくれた。その言葉を、

 ――辛いのは最初だけ。辛いのは最初だけ――

と瑠美は心の中、呪文のように反芻した。

「アンタ、さっさとやっちゃいな。もうそろそろ晩御飯の時間なんだから、早く帰してあげないと」

 オバチャンにムチを入れられ、オジサンは鋏を手に取った。

 頬の辺りから切り始めた。心持ち切り方が雑だ。

 ガキの散髪にチマチマ時間と手間をかける必要はない。それが床屋夫妻を含めた地域民の考えである。

 ジョキジョキ、ジョキジョキ――

 頬にあたる金属の感触。

 瑠美は思わず下唇を噛み、ギュッと目をつぶった。

 バサバサと切られた髪が、ケープに落ちる。

 髪を失ったオトガイが、スーッと涼しくなる。

 オジサンの扱うハサミは、グルリと瑠美の頭を半周していく。

「あの〜」

 瑠美は消え入りそうな声で、オジサンに要望を伝える。

「横の髪は耳がちょっと出るくらいで……前髪は眉毛のすぐ上で切って下さい」

 そんないじらしい少女の願いも、

「なに甘ったれたこと言ってんの」

 後ろで監視(?)しているオバチャンはブルドーザーのように、ひっくり返す。

「アンタ、うんと短くしてあげな」

 とんだヤブヘビだった。大人しく切られるままに任せておけば良かった、と瑠美は大後悔した。

 オジサンは奥さんには逆らえず、もっと高い位置からサイドの髪を切り直しはじめる。この地域は嬶天下の家が多い(そういう嬶たちが積極的に、オカッパ校則維持の旗振り役をつとめていたりする)。

 耳の上からバッサリいかれた。

 ――ワカメちゃんじゃん!

 瑠美は怖気をふるう。背筋が凍りつく。

 ジャキジャキジャキ、ジャキジャキ

 バサッ、バサッ

 ハサミは瑠美のバージンヘアーをお椀型に切っていった。

 前髪も容赦なく作られた。

 今まではワンレングスの髪で片目を隠して、粋がったりしていたが、もはやそういう少女時代は終焉を迎えたのだ。

 ジャキッ、ジャキジャキ、とまず眉が出るくらい刈られ、それから5cm、いや6cm上まで切られた。額がクッキリ出た。

「もうちょっと短くてもいいんじゃないの」

とのオバチャンの指示で、さらに1cmほど切り詰められた。

 襟足も、

 チャッチャッチャ

とハサミ鳴らして刈り上げられた。オバチャンは、まだ長い、とか、もっと短く、とか口を挟んできて、結句、後頭部の下半分が刈り上げにされた。

「ここら辺の女の子は皆こうやって大人の階段を昇ってきたのよ。慣れればなんてことはないし、大きくなってから振り返ったとき、絶対感謝の念がわくものよ」

とオバチャンはOBとして教えを垂れるが、瑠美はそんなことはわからないし、わかりたくもない。反発心が生じる。

 その反抗期の芽を摘むかのように、

 ヴイイイイイイイィイイン

 バリカンが襟足を突き刺した。そのまま、

 ジャアアアァアアァアァアァ

 ――ひいいいいい!

 瑠美の顔から完全に血の気が引いた。身体がガチガチに硬直する。

 ジャァアァアアアァァ

 ジャアァアアアァアアァア

 バリカンの刃は、清らかなうなじを滑り、襟足を1mmの長さに詰めていく。後頭部を青白く染めていく。

 ヴイイィイィイィイィン

 バリカンは唸り声をあげ、下から上へ、下から上へ、何度も何度も上昇運動を繰り返し、青白い部分を切り拡げていく。

 もう勘弁してよ、と瑠美が音をあげそうになるくらい、たっぷりとバリカンを入れられた。

 かくして、ロングヘアーの小学生はこの地上から消え失せ、ワカメちゃんカットの新中学生が誕生したのだった。

「おつかれさん」

とオジサンが軽くマッサージしてくれる。

「これであなたも”お姉ちゃん”だよ。胸を張りな」

とオバチャンはご満悦。

 鏡の中にはクソダサい田舎娘が、ポツンと居る。

 髪型だけでこうも変わるものなのか、と瑠美は呆然とする。切る前はいい感じの美少女風だったのに(あくまで「風」だ)。

 外はもう真っ暗。

 瑠美はホッとした。白昼堂々、こんな頭で外を歩く勇気はまだない。

 五千円札を渡して、お釣りをもらって店を出る。

「また来てね」

とオバチャン。その声を背に、

 ――二度と来るもんか!

とアカンベェをしたい衝動を抑える。

 夜道をトボトボ歩く。

 空にはお月様、煌々。

 お月様に照らされ、青白い後頭部は冴え冴えと、暗闇の中浮かび上がっていたが、やがて闇に呑みこまれるように消えた。


                    (了)



    あとがき

 リクエスト小説第2弾は入学バッサリです。リクエストありがとうございます!
 やや短編になりました。
「昭和のまま取り残された感じのオカッパ中学のシチュエーションをリクエストさせていただきます!! 男子はとっくの昔に丸刈り免除になったのに女子だけオカッパ、地域の中学は伸ばしてもいいのに1校だけ頑なにオカッパ、非情な学区の壁によってバッサリ組とロングヘア組に分断! とうとう校則廃止?の噂が流れて歓喜していたら入学説明会でまさかのオカッパ宣告など、「なんでうちらだけオカッパ?」の作品をぜひおねがいします」とのことで、本当はもうちょい掘り下げてみたくもあったのですが、今回はとにかくスピード優先で、一筆書きっぽくなってしまいました。
今回もリクエスト、収拾がつかないくらい多かった(^^;)
 ひとつでも多くピックアップしていきたいのですが。。
 このご時世、オカッパ校則はほとんどファンタジー化しているので、そこをどう本物っぽくしていくかということに、腐心致しました。
 いつかネットリとしたド変態オカッパ校則小説、書いてみたいんですけどね(*^^*)
 最後までお読みいただきどうもありがとうございました♪



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