ミス・タランチュラ |
カミーユ・バルドーが初めて人を殺めたのは、彼女がわずか9歳のときだった。 二つ年上の女友達と一緒に、大きな滝へピクニックした、この日、カミーユは確かに悪魔の囁きを聞いたのである。 二人はある些細なことから口論となった。今となればその口論の発端も内容も、当事者のカミーユでさえ憶えていない。 二人は詰り合い、罵り合い、カミーユは怒りに任せて、友人を突き飛ばした。 友達はよろめき、次の瞬間にはその身体は、滝壺に落ちていった。 カミーユは自分のしでかしてしまったことに、激しい恐怖と罪悪感を覚えた。 ……というのは嘘で、人を殺したことへの強烈な喜びと快感に打ち震えた。 いつもお姉さん面をして、カミーユのやることなすことにケチをつけていた鬱陶しい娘が、物言わぬ物体になり失せたのだ。 命というものは、こんなに容易く奪えるのだ、とカミーユはその発見に狂喜した。 そして、大声で大人を呼んだ。 集まってきた村人たちに、カミーユは「友人を突然不慮の事故で失くした女の子」を見事に演じた。 友人がふざけているうちに崖から足を踏み外し滝に落ちた、と涙を流しながら、嘘を吐いた。 村人たちは、「無垢な少女」の証言を寸毫も疑わず、 「怖かったろう」 「落ち着くんだ」 とカミーユをなぐさめ、肩を抱き、温かい飲み物を与えた。 泣き顔の仮面の下で、カミーユは歓喜していた。騒ぎ立てる大人たちをせせら笑った。 悪魔はカミーユにだけ聞こえる声で、彼女をそそのかした。 ――殺セ。……モット殺セ カミーユははっきりと、その声を、その言葉を、聞いたのである。あたかも聖女ジャンヌ・ダルクが神の啓示を受けたように。 この体験が殺し屋ミス・タランチュラの原点となったのだった。 カミーユが11歳のとき―― カミーユの兄がR指定のビデオテープをどこからか借りてきた。近所の子らも呼び集め、皆でこっそり視聴した。 アメリカに実在した殺人鬼のドキュメンタリーだった。 その男は66人を殺し、処刑された。性的不能者だったその男は、人殺しのときのみ、性的快感を得られたと供述している。 欲望に命じられるまま、老若男女問わず、ナイフで切り裂き、銃を乱射し、殺めた人間の身体を毀損――皮を剥いだり、臓器をえぐり取ったり、バラバラに切り刻んだり、あろうことか食べたりもしたという。 さまざまな記録や証言、実際の写真や映像で構成されたドキュメンタリーに、怖いもの見たさで集まった子供たちは震え上がった。 ビデオも終わりかけた頃、カミーユは、 「なんだか気分が悪くなっちゃったわ」 と座を脱け出した。 心配した年長の女の子が、 「大丈夫? 付き添うわ」 と気遣ったが、 「いいの。一人で平気」 とカミーユは部屋を出て、トイレにこもった。そして、 「最っ高!!」 と咆哮した。 「たまんないわっ!!」 殺人鬼の醜悪な顔、ピストルの発射音、硝煙の匂い、流れる脳漿、柔らかな肌に刃物を突き立てる感触、生温かい返り血、何かのオブジェのように引きずり出されるハラワタ、人体をズタズタにするナイフのテカリ、ショットガンで人形の如く吹き飛ぶ被害者たち、調理された人肉の味、そして、電気椅子にかけられるスリル―― それらを想像して、 「ああああ! あああ!」 カミーユは指を動かした。初めての自慰行為に耽った。指を使って何度も絶頂に達し、果てた。ヨダレを流しながら。 カミーユは殺人の「師」を得た。殺人鬼として、完全に、覚醒した。 以後、カミーユの周囲で不審な死が――犬猫や鳥も含め――頻発したが、それらの死とカミーユを結びつけて考える者はいなかった。 彼女は完璧だった。 カミーユは20歳でアメリカに渡った。 この頃になると、村人たちの一部は、続発する不審死が、ひょっとしたらカミーユと何か関係があるのではないか、という疑念を薄々抱きはじめていた。 だからカミーユは郷里を出奔したのだった。 アメリカの大都会はカミーユにとって、居心地が良かった。人の海に紛れ、乾いた人間関係の中、彼女の犯罪幻想は明瞭な色彩を帯びた。 いつしか、カミーユは裏社会に自己の居場所を見つけた。 殺し屋になった。 その手口の大胆さ、鮮やかさとカンの良さ、度胸、そして、残忍さで「仕事」をこなし、報酬を得た。さらに「経験」を積んだ。 彼女の美貌も殺人に一役買った。 被害者どもは、蜘蛛の巣に近づく虫のように、向こうからカミーユに接近してきた。そして、皆、「捕食」された。 裏社会の人間はそんなカミーユを、 ミス・タランチュラ と呼び、恐れた。 ミス・タランチュラは、クールに、エレガントに、無慈悲に、「仕事」を続けた。 27歳のとき、カミーユは初めてアメリカ南部の土を踏んだ。 麻薬の売買をめぐるトラブルで、ボスは裏切り者たちの始末を、カミーユに依頼した。褒賞は破格だった。 金もありがたかったが、それより何より久しぶりに人を殺せることが、彼女を喜ばせた。 標的が潜伏しているメキシコとの国境付近のタウンに、カミーユが姿を現したのは、けだるい7月の午後だった。 愛車の赤いアストンマーティンで「敵地」に乗り込んだ。 寂れた町だった。砂塵が舞い、建ち並ぶ家屋や店舗は、まるで1950年代から時が止まっているかのようだった。スラム化している一角もあった。 西部劇の世界だな、とカミーユは呆れながらも、一番マシなモーテルに宿をとった。身体(からだ)が、精神(こころ)が、新鮮な血液を欲している。 モーテルの主――初老のメキシカン女性だった――は、無表情で不気味なオーラを漂わせる美貌の白人女にいかがわしさをおぼえたが、この地域では怪しい客など珍しくないので、通り一遍の案内を述べ、前金を受け取った。 あそこのモーテルにとびきりの美女が滞在している、との噂で町は持ち切りだった。殺し屋にあるまじき疎漏さとも言えるが、カミーユにはカミーユの流儀がある。 胸や足を露出したドレス姿でバーに入れば、必ず、 「一杯おごらせてくれ」 と田舎ドンファンが寄って来る。 それを受けつつ、巧みな話術でターゲットの消息をさぐる。どうやら、まだ近くにいるらしい。 タランチュラは「餌」の存在に、心中舌なめずりする。 町に来てから五日目、カミーユは髪を整えようと考えた。 ミディアムウルフ系のブロンドの髪はボサついている。 仕事が終わってからと思っていたが、どうにも気になる。 「この辺りで髪をカットしてくれる所はあるかしら?」 とモーテルの女主人に訊いたら、 「この町じゃあ、バーバーショップかフランツの店のどっちかしかないね」 とのこと。 カミーユは即座に「フランツの店」に行くことに決めた。バーバーショップなどお話にもならない。 無論、女主人は「お節介フランツ」の人物については、カミーユに一言も教えなかった。 カミーユを迎えたフランツは、精力的なビジネスマンを思わせるガッシリとした身体と、エネルギッシュで自信にあふれた接客作法の持ち主だった。30代前半だろうか、なかなかハンサムだった。 「祖父がオーストリア系移民でね。流れ流れてここまで来たんだよ」 と出自を語り、 「さあ、今日はどうする?」 店は、さっきチラと覗き見たバーバーショップと比べれば、王侯貴族のサロンのように思える美々しさだった。 カウボーイみたいな中年男が二人、店のソファーに腰を沈めて、持ち込んだペーパーバックを読んでいる。場違いすぎる。きっと、この後、カミーユを食事にでも誘おうとしているのだろう。同時に二人は「何か」を期待しているようでもあった。 「カットをお願い」 カミーユは、このオーストリアと南部の訛りが入り混じった奇妙なアクセントの美容師に、毛先を2cmほどカットして、梳いて、全体的にボリュームを抑えてくれるよう、細かく無駄なくオーダーした。ニューヨークやロサンゼルスのサロンで注文するのと同じように。 「オーケー、オーケー」 とフランツは無造作に手を振り、彼の仕事に取りかかった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 「これは一体どういうこと?」 カミーユは静かに訊ねた。 前髪は額全部が出るくらい、サイドは少年のように刈り込まれ、勿論耳は両方ともさらけ出されていた。後頭部もギリギリまで刈り上げられていた。 こんな感じ 「ピクシーカットだよ」 フランツは悪びれた様子もなく説明した。 「知らないのかい? ほら、『ローズマリーの赤ちゃん』でミア・ファローがしていた髪型さ。他にもジーン・セバーグとか、あとは、えーと、ミシェル・ウィリアムズとか、あとは、えーと、名前が出てこないな、えーと――」 「ねえ、フランツ、アタシが訊いているのは、この髪型がアタシのオーダーとまるきり違っているということよ。もしかして耳が悪いのかしら? だとしたら、すぐさま耳鼻科に行くべきよ」 「いや、君の注文はちゃんと聞こえたさ。ただ僕としては君にはこの髪型の方が、ずっと似合うとプロとして確信したんだ」 「そういうのを余計なお節介っていうのよ」 ソファーに座っている田舎ドンファンたちは、互いの身体をつつき合いながら笑っている。この店ではお馴染みの光景なのだろう。 「たしかに僕はお節介だとよく人には言われる。しかし僕には美容師としてのプライドがある。美容師の役割とは何か? それは客を入店前よりも美しく変化させることだ。you know? 君のような目鼻立ちの女性にこそ、短い髪は映える。美容師としてのインスピレーションさ。そしてそれは正しかった。今の君は1時間前の君より、ずっとずっと魅力的だ。とてもワンダフルだ! 僕は君の魅力を最大限にまで引き出したと自負している。you know?」 カミーユは眉ひとつ動かさず、変わり果てた自己を見据えている。 「もし気に入らないのならお代は結構だよ、マドモアゼル。ただ一つ言えるのは、僕は僕の出来得る限りの最高の仕事をしたということだ」 「あなたとは一万年話しても分かり合えないわね」 カミーユはクルリと椅子を動かし、H&KP30をフランツに向け、ぶっ放した。 フランツの頭は粉々に吹き飛んだ。もう二度とその饒舌を聞くこともないだろう。 「あの世でメディウサの髪でも切ってなさい」 と屍を蹴転がした。 突然の展開に縮み上がる田舎ドンファンに計7発の銃弾をお見舞いし、フランツと同じ処に送ってやった。 三つの死体が転がる店内で、カミーユは跪き、床に散ったブロンドの髪を拾い上げた。そして、それを頭にくっつけ、半狂乱になって叫んだ。 「もう戻らないッ! もう戻らないのよッ!!」 ミス・タランチュラは切り髪を放り投げ、頭を抱え、 「うわあああああああん、うわああああああああああん」 と慟哭した。一匹の獣のように。 掌に短い髪がチクチク刺さる。 それが一層、カミーユの悲しみをかき立てた。 (了) あとがき お久しぶりの迫水です! ここんとこ映画鑑賞にハマってます。かなり観まくっていて(現実逃避?)、本作はそういった中、ふと頭の片隅に浮かんだ妄想を形にしてみました。冷血な女ヒットマンが髪を切られ過ぎて泣いちゃうという。。 登場人物が全員外国人、という稿も初めてかな? 海外の映画ばかり観ていたせいか。。断髪シーンがないパターンも自作では珍しいですね。 こんな感じでまったりペースで書いています(*^^*) そうそう、今回、実際のピクシーカットの画像を使用するという大反則をしてしまいました(汗) 考えたのですが、いろいろ問題ありそうなので、ちょっと編集させて頂きました(^^;) これからも当サイトをよろしくお願いいたしますね♪ お付き合い感謝です(*^^*) |