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二階堂琴乃、夏の終わりのラプソディ


    (一)勇者様がやって来るヤア!ヤア!ヤア!


 拓県(たくけん)の城市(まち)の門前は、黒山の人だかりである。

 大道芸人の興行か、はたまた名僧知識の辻説法か?

 どちらも違う。

 三国志や水滸伝から抜け出てきたような髪型服装の群衆たちは、ワイワイ言いながらことのなりゆきを見守っている。

 群衆の輪の真ん中にいるのは、一組の少年少女。

「おおっ、こりゃスゲーや」

 少年――大泉慶喜(おおいずみ・よしのぶ)は剣を振りかざし、目を輝かせている。

 もう一方の少女はこれまた剣を握りつつも、真っ青になって、

「すいません! すいません!」

と平謝り。二階堂琴乃(にかいどう・ことの)である。

「違うんです! アタシたち、悪気はないんですっ! この刀は元に戻すんで、ホントごめんなさいっ!」

 琴乃はすっかり縮み上がっている。

「一体何の騒ぎだ?」

 豪商の張(ちょう)さんが人の海をかき分け現れる。

「ち、張さん!」

 地獄に仏、琴乃は心の底から安堵した。彼女の「保護者」を仰ぎ見る。助かった!

 しかし、

「なんとっ!」

 張さんも二人が手にしている剣を見て、大驚愕。口をパクパクさせている。

「いや、あの〜、この刀、二本ともこの岩に突き刺さっていたんですけど、スポッて嘘みたいにあっさり抜けちゃって」

と琴乃は二抱えはありそうなゴツイ岩石を指さす。

「それは……古代、聖帝が封印せし伝説の名剣、甲虫(こうちゅう)と転石(てんせき)……」

 張さんの語る伝説によれば、この地域一帯を平定した聖帝は、自らの事業を文字通り切り開いた二振りの名剣を、岩に突き刺し、封印して平和を宣言したという。

「伝説に曰く、聖帝は予言なされた。”数千年の後、この剣を引き抜く者あらば、その者こそ、救世の勇者なり。ゆめゆめ疑うこと勿れ”と」

「えっ? えっ? どーゆーことですか? “勇者”ってどーゆーことですか?!」

 琴乃はすっかり気が動転している。何が何だかわけがわからない。

 そもそもが、この枢(すう)という国に迷い込んでから、パニックの連続だ。そして、また厄介なことに巻き込まれている。

「オレが勇者?! よっしゃあああ!」

 このガッツポーズをきめているアホが、全ての元凶だ。

 拓県での張さんの商談が済むまで、隊商(キャラバン)のみんなと一緒に門前で待っていた。

 が、すぐ傍にある二本の剣の突き立った岩に好奇心を刺激されたバカが一匹、

「どれどれ」

と岩にのぼり、あろうことか、

「この剣抜けねーのかな」

と柄に手をかけたので、

「ちょっと、慶喜、やめなよ〜!」

とあわてて制止して、もみ合いになったはずみに、

 スー

とお互い一剣ずつ引き抜いてしまったのだ。信じられない容易さで。

 オロオロしているうちに、

「甲虫と転石の封印を解いた勇者がいるとは真か?」

 兵を率いた役人たちが乗り込んできてしまった。二人を見て、

「まだ童ではないか」

「しかも二人」

「女子(おなご)もいるぞ」

と戸惑っている。

 けれど、

「丁重にお迎えせよ、との上意だ」

と役人も共の者も下馬して、貴人に対する礼をとり、

「県令閣下があなた方と対面したいとのことです。どうか、一緒にお越し願えませんでしょうか」

「なんと、まあ!」

 張さんは細目を見開いた。かなり異例なことらしい。

「慶喜殿、琴乃殿、あんた達はとんだ果報者だよ」

「いや、張さん、そんなこと言われても、急展開過ぎて、アタシたち、どうしていいか……」

と琴乃はうろたえていて、結局、

「さあさあ、お出で下さい」

と役人に拉致されるようにして、県庁へと連れて行かれてしまったのだった。



 県令は、県庁の瀟洒な一室で、「勇者」と対面を果たした。あくまで非公式に、だ。

 卓に果物や菓子を並べ、二人を歓待した。

「まさか、あの伝説が本当だったとは」

と感嘆する県令は目元の涼やかな美青年だ。冠を頂き、ゆったりとした清雅な服を着、手には諸葛孔明のように羽扇を持ち、常に笑顔を絶やさない。いかにも貴族っぽい。

 「県令閣下」というものだから、海千山千の脂ぎったオヤジが出てくるとばかり思っていたが、琴乃的には良い感じで予想が外れた。

 慶喜はガツガツと皿の上の物を食い散らかしている。

「うめー!」

「ちょっと、慶喜、行儀悪すぎだよ」

 小声でたしなめる琴乃に、

「イケメンを前にしてるからって、上品ぶるなよ」

「るっさい、ぶつよ」

「お〜、怖っ」

「まだご芳名をお伺いしておりませんでしたね」

 県令は言った。

「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ」

「私は先程、名乗りましたが」

「プ、イキリ空振り。慶喜、ダッサ」

「う、うるせー!」

「では、改めて、私はこの拓県の県令を務めております曹子容(そう・しよう)と申します」

「ア、アタシは二階堂琴乃です!」

「オレはレオナルド・ディカプ……痛っ、ぶつな、琴乃! オレは大泉慶喜、角倉(すみくら)高校野球部の天才スラッガーだ」

「ダウトです。補欠です」

「お前は黙ってろ」

「変わった服を着ておられますね」

と曹県令は物珍しげに二人を見る。二人はYシャツにネクタイ、リボンという角倉高校の夏服姿だ。

「いずこから参られたのでしょうか?」

と訊いてきた。

 この手の質問は、この枢の国に来てから、嫌というほどされてきた。地球、日本、ましてや〇〇県××市△丁目と言っても全然通じないので、

「遠い遠い国からです」

と無難に答える。

「やはり勇者様なのですね」

「閣下」

 脇に控えていた意地の悪そうな老臣が、たまりかねたように口を挟む。

「騙り者かも知れませぬ。うかつに信じてはなりません」

「ただの詐欺漢ならば、あの岩から剣は抜けないでしょう」

 曹県令は聡明に微笑む。

「オレたち、別に”勇者で〜す”なんて一言も名乗ってないんだけどな。アンタ等が勝手に勇者扱いして、こんなところまで引っ張ってきたんだぜ」

 ムスッと慶喜。

「御立腹なさるのも御尤もです。どうか非礼をお許し下さい」

「あ、アタシたち、勇者なんかじゃありません! 何かの間違いです。この剣もお返しします!」

「いえいえ」

と曹県令は鷹揚に手を振って、

「剣は一時、あなた方にお預けしておきます。しばらくは、この城市に客人としてご逗留下さい。欲しい物があれば遠慮なく何でもお言いつけ下さい」

「すげー、優遇されてるなぁ。勇者さまさまってわけだ」

「欲しい物……」

「ございますか?」

「あの……とりあえず、この剣の鞘を」

 抜き身をぶら下げてウロウロするわけにもいかない。



    (二)HELP!!!


 結句、二人とも引き留められるまま、曹県令の許でのんべんだらりと居候生活を送っている。

 食事には毎回、山海の珍味が饗される。連日のご馳走責めに、

「やだぁ〜、太っちゃう」

と言いながら、琴乃はパクパクムシャムシャ。箸が止まらない。

「曹はなんでオレたちを引き留めているんだろう?」

 慶喜の方がかえって冷静になって、考え込んでいる。

「みんな、どうしてるかなあ」

と琴乃は遠い「故郷」に思いをはせる。



 この未知なる世界にきて、もう二ヶ月になる。

 それまでは琴乃も慶喜も一介の高校二年生だった。二人とも野球部の部員だった。共に白球を追い、土にまみれながらも青春を謳歌していた。

 れいによって、全国高校野球選手権では地区予選一回戦で負け、暇になった。

 夏休み中、遊び惚けていたら、水を差すように登校日。

 角倉高校の登校日は、単に顔見せ程度ではなく、フィールドワークがある。

 生徒たちは班に分かれ、真夏のクソ暑い中、地域の史跡巡りをする。

 琴乃は慶喜と同じ班になった。

 で、慶喜に振り回されているうちに、班からはぐれてしまった。

「少し休もう」

と名もなき古代王の古墳(円墳だ)のそばの石に腰を下ろし、水筒のドリンクを飲んでいたら、不意に、

「なんだ、この音は?」

 慶喜は耳をそばだてた。

「音?」

 けげんそうな琴乃に、

「ホラ、鐘の音、聞こえないか? ゴーン、ゴーンって。琴乃も知ってるだろ、『ジョンの魂』の冒頭の鐘の音みたいな」

「知らないよっ」

「あそこからだ!」

と慶喜が指さしたのは、古墳の横穴だった。

 慶喜の好奇心に火がついたらしい。

「入ってみようぜ」

「やだ」

 琴乃は即座に拒否した。

「こんな小さな塚の中から鐘の音なんてありえない。耳鼻科行きな」

「ちょっと覗いてみよう」

「待ちなさいよ! そこは立ち入り禁止だってば。ロープがはってあるじゃん」

と止めて聞くような慶喜だったら、琴乃も苦労しない。ロープを乗り越え、洞穴の中へ。

 琴乃はもう保母さんにでもなった気分で、慶喜を追って、洞穴の中へ。

「ねえ、気味が悪いよ、さっさと出よ」

「鐘の音はあっちの方からするぞ」

「幻聴だよ。あ〜、もう出ようってば〜」

 洞穴はいくら進んでも進んでも、どこまでも続いている。幾つもの穴に枝分かれしている。

「おかしいよ、こんな小さな古墳の中にこんな長い穴があるなんて」

「確かに妙だな」

と慶喜が首を傾げた頃には、もう遅かった。

 二人は迷路の如き洞窟の中で、完全に出口を見失ってしまっていた。

「うおっ、マジかよ?!」

「だ〜か〜ら〜、出ようって言ったじゃん!(泣)」

 出口を求めて、さまよっていると光が射した。

 その方向へ進み、ようやく脱出できた!

 ――と、思いきや、琴乃の眼前に広がっていたのは、古(いにしえ)の中華風の異世界の天地だった。

 その国は

 枢

といった。

 途方に暮れていたら、拾う神あり、で張さん率いる隊商と遭遇、張さんは義侠心に富んだ漢(おとこ)で、二人の境遇を憐れみ、彼の一団に加えてくれた。

 そうして、現在、「勇者」として、貴人扱いされ個室を与えられ、フカフカの寝台で夜を迎えている。

 琴乃はなかなか寝付かれずにいた。

 ジェットコースターに乗っているかのような我が身の変転ぶりに、どうしても頭と心がついてこれない。

 ――皆どうしてるのかなあ。

 自分のいた元の世界のことを考える。家族も友人たちもきっと心配しているに違いない。

 『高校生二名が課外授業中に行方不明! 懸命の捜索続く! 現代の神隠しか?!』

なんていうニュース記事の見出しを、勝手に想像したりもする。

 ちょっと苦笑。

 しかし、次の瞬間にはサッと真顔になっていた。

 ――誰かが部屋の外にいる!

 凄まじい殺気を感じる。

 感じたときには、もう甲虫をかい抱いていた。自分でも信じられないくらいの機敏さで。

 それと同時に戸を蹴破って、賊が、どどどどっ、と闖入してきた。ひぃ、ふぅ、みぃ、四人だ!

 覆面をした賊は手に手に武器をとり、琴乃に襲いかかった。

「偽勇者め! 化けの皮を剥がしてやる!」

「死ね!」

と叫びながら。

 琴乃はとっさに跳躍し、闇を利用して、賊の死角を縫って走った。走りつつ抜刀、室外に転げ出た。

 琴乃のスペックでは到底不可能なアクションだ。剣が琴乃の内奥と共鳴して、彼女から未知の力を引き出したのだ。

 照明が明々と灯る回廊に、脱兎の如く滑り込む。賊は琴乃を追って来る。

「慶喜!」

 慶喜も琴乃と同数の賊を引き連れて、飛び出してきた。こちらも名剣・転石を携えている。

 二人は大いなる力に導かれるように、ピタリと背中合わせになって、暗殺者たちと対峙する。8対2。圧倒的に不利だ。

「斬れ、斬れ!」

 首領格らしい痩せぎすの男が声を張り上げる。騒がしい暗殺者どもだ。

 一人の賊が暗器を投げつける。

 信じられないことに、琴乃の甲虫が一閃、それを打ち落とした。

「嘘でしょ!」

 当の琴乃が目を丸くしている。

「どうやら、この剣がオレたちをパワーアップさせてるみてーだぞ」

「まさに伝説の名剣だね」

 数を頼んで切り込んでくる刺客団を、琴乃と慶喜は二人舞を思わせる阿吽の呼吸で、切り結び、切り防ぎ、次々と打ち倒していく。

「峰打ちだ。殺しはしねえ! とっとと去れや!」

「この猪口才が!」

 首領格の男が青龍刀を抜き、斬りかかる。

 琴乃・慶喜ペアは瞬時に、甲虫、転石、を翻し、返り討ちにする。

「うわッ!」

 男の覆面が切り裂かれ、その素顔が露になる。

 正体を見られて、男は動揺した。

「退け、退けえぇ!」

 賊は逃げ去った。

 勝って、琴乃は全身から汗が噴き出すのをおぼえた。慶喜も同じようだった。

「お見事です。流石は勇者殿」

 曹県令が階段を降りてくる。

「まさに高みの見物ってやつだな」

 慶喜の皮肉に曹は笑い、

「そもそもその二振りの剣は、二本で一対となり、より効力を発揮するのです。その力を見ることができ、私は確信しました。あなた方はまさしく救世主です」

「一体これはどーゆーことですか?」

「今し方の男たちは、賈雰章(か・ふんしょう)の手の者です。あの顔、間違いありません」

 賈雰章は、琴乃たちを「騙り者かも知れない」と誹謗したあの老臣だ。

「賈雰章を呼びなさい」

「それが……邸はすでにもぬけの殻です」

「逃げ足の早い男だ」

 曹県令は苦笑を浮かべた。そして、二人に、

「賈雰章は陳湖内(ちん・こない)の息のかかった者です」

と説明した。

 陳湖内は枢の都で権力を恣(ほしいまま)にしている宦官だという。宮廷に巣くい、私利私欲に走り、快楽にふけり、人々を虐げ、

「世を乱している元凶です」

 そんな濁世に義憤に駆られる者も数多いたが、皆粛清されてしまったという。

 曹も王族の身だったが、反陳湖内派だったため、都から遠ざけられ、一県令の身分に甘んじている。

「賈雰章は陳湖内に命じられて、私の挙動を監視していたのです。そして、私と伝説の勇者が結びついては一大事と、あなた方の命を奪わんとしたのですよ。功を焦り過ぎたのでしょう。浅はかな男です」

と説明をし終えると、

「勇者殿」

と二人の前に跪(ひざまず)いた。

「どうか治国平天下のため、私に御力をお貸し下さい」

 いきなりトンデモな話に巻き込まれている。なんと答えていいか皆目わからない。

 とりあえずは――

「怖かった〜」

 琴乃は、タイムラグ、ようやく恐怖を実感し、ヘナヘナと床にへたり込んだ。

「でも……なんか……気持ち良かった……」



    (三)マジカル・ミステリー・ヘアー


「修行ぉ〜?!」

 琴乃は素っ頓狂な声をあげる。

「なんでそんな目にあわなきゃなんねーんだ」

 慶喜も苦い顔をしている。

 曹県令は、

「実はですね――」

とわけを話した。

「昨夜の剣戟をご覧になっていた客人がおられましてね。その方の強い勧めがありまして。劉老師」

 声をかけられ、室に一老人が、飄然と現れる。禿頭で白髭の厳めしい容貌だった。道着姿だ。武術家らしい。

「昨晩はご活躍でござったのう」

と老人。

「拓県きっての、いや、天下きっての武術の達人、劉角参(りゅう・かくさん)殿です」

と曹県令が紹介するが、二人はけげんそうに、劉という老人を見るだけだ。

 劉老人は構わず続ける。

「しかし、まだまだ未熟じゃ。無駄な動きも多いし、気も練れておらぬ。剣の持つ力に振り回されているだけの有様じゃ。己で剣を制御できぬようでは、いつか必ず滅ぶ。我が許で、せめて基礎だけでも剣を学ばれるが良い。如何」

「ということなのですよ、慶喜殿、琴乃殿」

 琴乃と慶喜は顔を見合わせ、

「うーーーん……」

と返事を渋っている。

 が、

「不本意かとは思いますが、これも天下国家のためです。曲げてお聞き分け下さい」

と恩人の曹県令に懇願されては、不承不承受け容れるしかない。

 ――ほんと、ジェットコースター人生だなぁ。



 劉老師に連れていかれたのは、城市から10キロほど離れた大きな山寺だった。無数の塔や伽藍や道場がひしめき合っている。山砦のような寺だ。

 山門には――

 少森寺(しょうしんじ)

という扁額が掲げられている。

 門をくぐると、坊主頭の僧たちが、セイヤーッ、ハッ、ハッ、と武術の鍛錬に勤しんでいる。

 ――なんかイヤ〜な予感がするなあ……

 琴乃の予感は的中した。

 寺に着くなり、二人には剃髪の試練が待ち構えていた。

「当山の修行者は、皆剃髪するのが習いじゃ。勇者とて、女子とて、例外に非ず」

と劉老師は言うが、琴乃は頑として承知しない。

 大切なロングヘアーを切られてなるものか。

 元々野球部のきまりで丸刈り頭の慶喜は涼しい顔で、

「いいじゃんか、琴乃。中学ン時はお前も坊主だったろ」

と説得に加わる。

「ボーズからここまで伸ばすのに、どんだけかかったと思ってんのよっ!」

「どうしても嫌か?」

 劉老師に問われ、

「絶対イヤです!」

 琴乃の心は寸毫も変わらない。

「ならば仕方ない」

 劉老師はやにわに琴乃のツボに、指を突き立てた。

「はっ!」

 ガックリと床に膝を屈する琴乃。微動だにできない。

「う、動けない! 動けないよォ〜!」

 琴乃は顔面蒼白になって叫びたてる。

「勇者ともあろう者が見苦しい。泣き言など聞かぬぞ」

 劉老師は用意の水で琴乃の髪を湿すと、自ら剃刀を執った。

「やだやだやだ〜!」

「琴乃、駄々っ子かよ」

「もはや問答は無用だ」

 劉老師は言い、剃刀を使い始めた。

 まずは後頭部――やや頭頂近くに刃をあてて、

 ジッ!

とひと掻きする。

「ひいいいいい!」

 琴乃の愛くるしいファニーフェイスが歪みに歪む。坊主経験はあるけれど、剃刀での断髪は初めてだった。

 ほんの1cm大の剃り込み、黒の中の一点の青。

 その青を起点に、ジリリ、と老師はさらに剃り込む。たわわな黒髪を下へと掻き落とす。

 バサッ!

 点が線になり、線から面になり、後頭部の髪はきれいに薙ぎ払われていく。

 ジジー、ジー、ジッ、ジッ、ジー

 ジジ―、ジ、ジー、ジー

 剃り髪がもつれ合いながら床に落ち、その上に新たな剃り髪がバサリ! たちまち髪の山ができていく。

 後頭部はスッポリ青々。生熟れの大根を連想させる青白さだった。

 慶喜などは、

「やっぱり琴乃は坊主じゃないとなあ」

とニヤニヤ見物している。なんか屈辱。後頭部はスースーするし。

 劉老師は流石達人、無駄なシェイブは一切なく、最小限の手の動きで、的確に収穫し、琴乃の頭を丸く仕上げている。

 後頭部の毛髪は完全に消滅した。

 剃髪は前頭部に移る。

 頭頂からシャリシャリと前髪が削ぎ落される。

 前髪も絡み合いながら、バサッ、バサッ!

 水を吸った髪の中には問題児もいて、顔にベッタリ貼り付いたりして、くすぐったいし、気持ちが悪い。

 泣きたいが泣けない。琴乃はヘタな尼僧より、よっぽど「坊主姐さん」なので、悲しみつつも、あー、このパターンね、とか、この涼しさは懐かしいな〜、とか心の内に妙に冷静な自己が在る。

 ――それにしても――

 中学三年間坊主を通してきて、これからは伸ばすぞー、とコツコツ貯金するように蓄えた髪が、見事なまでにジョリジョリ消去されるとなると、やりきれない気分だ。

 ジー、ジジー、ジー――

 ジジジー、ジッ、ジー、ジッ――

 前髪の感触が、完全になくなった。

 剃刀は遠慮会釈なしに、右鬢を剃り落とし、左鬢も、

 ジー、ジジー、ジー

 ジッ、ジジー、ジッ、ジー

 みるみるうちに剃りあげる。

 最後に手ぬぐいでゴシゴシ頭や顔を拭かれた。

 すっかりツルツルのスキンヘッドになる琴乃。わずか7分の間に、ロングヘアーの美少女からマルコメ小僧に。

「うわっ、眩しい!」

「慶喜、うるさい!」

 マルコメ琴乃は超憮然。

「劉老師、これでいいでしょ? 早く身体を自由にして下さい!」

「まだ、仕上げが残っておる」

「仕上げ?」

 老師は琴乃の前頭部に何かをくっつけ始める。

「これは何ですか?」

「モグサじゃ」

「モグサって、お灸のときに使う……まさか……まさか……」

 琴乃の顔が頭の色と同化する。

「少々熱いが我慢せい」

 前頭部六箇所にのせたモグサに線香で火をつける。

「熱っ! 熱っ! 熱いよっ! 熱ううううっーー!」

 のたうち回りたいほど熱いが、身体は1mmも動かせない。それからしばらく、山内に琴乃の絶叫が響き渡った。

「えげつなっ」

 さすがの慶喜もドン引きしている。

 モグサが燃え尽きると、

「琴乃!」

 琴乃の前頭部に、点々と6つの焼痕が残された。

「おまっwwww、クリリンじゃねーかwwwwww」

「これが当山の修行者のあるべき姿じゃ」

 劉老師は厳かなトーンで、半死半生の琴乃に言い渡す。そして、

「これに着替えよ」

と道着を与えた。



    (四)いかにしてアタシは戦争に勝ったか


 それから100日の間、琴乃と慶喜は剣の修行に励んだ。クリリン頭で。

 ひたすら連携した剣技を磨きあげた。クリリン頭で。

 昼となく夜となく研鑽を重ねた。クリリン頭で。

 そして、ついに、

「県令がお呼びだ。下山せよ」

と劉老師はクリリン頭の二人に命じた。

「はっ!」

「師父、今までありがとうございました!」

 すっかり成長した琴乃と慶喜は、劉老師に礼を述べ、別れを惜しみつつ、山を下った。クリリン頭のまま。

 曹県令は二人に一通の書簡を渡した。

 宦官陳湖内の政治生命を断つ重要な書類だという。

「これを都にいる袁隗倪(えん・かいげい)という人物に届けて下さい。我々の数少ない同志です。世直しのため、どうか天子様のお手元に渡るまで、守り抜いて頂きたい。伏してお願い申し上げます」

 琴乃も慶喜も今更否やはない。すぐに旅支度を整え、都へと向かった。甲虫と転石を携えて。

 陳の放った刺客に何度も襲われたが、その都度剣を振るって撃退した。

 袁隗倪は小躍りして、二人を迎えた。

 陳によって、閑職に追いやられていた袁だったが、宮中への出入りは許されている。琴乃、慶喜に護られて、参内した。



    (五)ゲット・バック


 一通の書簡が枢の国を揺るがした。

 数々の不正と悪行が露見し、陳湖内とその一派は国外に追放された。

 曹子容は中央に呼び戻され、宰相として、新しい国造りを開始している。

 琴乃と慶喜は、

「さすがは勇者殿」

と大いに讃えられ、曹も相応の地位を授けようとしたが、二人は固辞した。そういうのには興味がない。

 たまに郊外の草原で寝転びながら、

「涼や海人はどうしてるかなァ」

と話したりしている。

「野球部もオレがいなくなったらダメージでかいだろうなァ」

「ないない(笑)」

とツッコむ琴乃だが、

「でも今ならアタシ、ホームランポカポカ打てるような気がするよ」

「ああ、それはあるな」

「あ〜あ、チョコ食べた〜い。お寿司食べた〜い〜。豚骨ラーメン食べた〜い」

「腹の減る発言は控えろ」

 二人は草の上で転がり、じゃれ合い、そして、口づけを交わす。共に異世界へと飛ばされ、共に旅をして、共に修行し、共に戦い、お互いに剃り合って剃髪をキープしているうちに、二人の絆は深まっていた。

 愛撫、

「慶喜」

 琴乃は潤んだ瞳で慶喜を見、

「アタシ、慶喜の子を産むから」

 耳元で囁いた。

「ああ」

 慶喜は琴乃の頭を撫で、

「クリリン頭の嫁を娶る度量の持ち主だからな、オレは」

「るっさいね」

「夫婦喧嘩は剣で斬り合いか」

「それいいね」

 琴乃が噴き出したとき、

「あっ!」

「どうしたの?」

「鐘の音」

「え?」

「あのときと同じ鐘の音だ!」

 二人は身を起こす。

「ほら、『ジョンの魂』の冒頭の鐘の音みたいな」

「だから知らないんだってば!」

 そう言い合っている間にも、草原は金色の光に包まれていく。

 そして、青い服を着た人物が、天空から降りてくる。

「天女?!」

と琴乃が見間違えるくらい、美しく清雅な乙女が金色の野に降り立った。

「誰だ?!」

「その者青き衣をまといて……いや、これ以上は言いますまい。手前は時空を司る女神・冥王せ〇なことクロノアと申します」

「あっちこっちからパクってんぞ」

「枢国が乱れ、人心が荒廃しているのを憂い、勇者の資質を有するあなた方を、地球より召喚したのです」

「アンタのせいだったのかよっ!」

「慶喜、落ち着いて。ハウス、ハウス」

「それについては、幾重にもお詫び申し上げます。しかし、ご両所のお陰で枢に平和が訪れました。心より感謝いたします」

「……てコトは、もしかしてアタシらを元の世界に戻すこともできるんでしょ?」

「ええ」

 クルノアはまさに神々しい笑みを浮かべ、うなずいた。

「戻れる、戻れるんだよ、慶喜!」

「琴乃! やったゼ!」

 二人は抱き合って、ピョンピョン飛び跳ねた。

「ただし、この世界で得た記憶とスキル等は、全て失われます」

 そう言うと、クロノアはまず琴乃の額に指をあてた。

 閃光!

 琴乃の前頭の六つの焼痕が、きれいに消えた。そして――

 ファサッ!!

と長くキューティクルな髪が頭から噴き出し、肩に、背に、垂れこぼれる。

 服も角倉高校の夏服に戻り、琴乃は「初期化」されていく。

 ――さようなら、枢の国……さようなら、枢の人たち……さようなら、さよう……

 光の中、琴乃の意識はブッツリと途絶えた。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

「何が鐘の音よ。クモの巣だらけじゃん」

 琴乃はブツブツ言いながら、古墳の横穴から出てくる。

「確かに聞こえたんだよなぁ」

 慶喜はキツネにつままれた表情(かお)だ。

「あ〜、もォ! 髪にクモの巣が引っかかっちゃって……とにかく、立ち入り禁止区域なんだから、長居は無用だよ」

「わかってるよ」

 夏の太陽が眩しい。草いきれ。

 だが吹き抜ける風は涼しい。少しずつだけど、秋が準備運動を始めている。

「急ぐよ。班の皆と合流しなくちゃ、恐ろしいことになる」

「”恐ろしいこと”?」

「アンタと噂になる」

「それは確かに恐ろしいな」

 二人は早足で歩きだす。

「おーい、ヨッちゃ〜ん、琴乃ちゃ〜ん」

「あ、涼ちん!」

 野球部仲間の羽山涼(はやま・りょう)が遠くから手を振っている。

「はぐれちゃ駄目だって。皆心配してるよ〜」

「ごめん、すぐ行く!」

 駈け出そうとする琴乃に、

「なあ、琴乃」

と慶喜。

「なに?」

 振り返る琴乃。

「お前、中学ン時みたいに、また頭、坊主にしたらどうだ?」

「はあ?」

 琴乃はポカンとする。

「いや、なんかふと、そう思ってな」

「何を言い出すかと思えば。イヤだよ、ボーズなんて。おぞましい」

「うちの店でタダで刈ってやるぞ」

「高2の女子にボーズになれっていうの? カンベンしてよ〜」

「似合うと思うぜ」

「慶喜、しつこい」

 琴乃は走り出す。長い髪が揺れる。

 一年後には琴乃らにとって最後の甲子園大会。仮令(たとい)、試合に出られずともベストを尽くしたい。

 同時に、

 ――今年も”ひと夏の経験”、できなかったなぁ。

なんて考えている青春真っ盛りの琴乃もいる。

 二学期に入ったら、部活も恋活も頑張ろう。それに勉強も。東京の大学に入りたいから。

 ――ちょっと欲張りすぎかな。

と自分で自分に微苦笑する琴乃である。


          (了)






    あとがき

 「二階堂琴乃」シリーズ第五弾は、こんなんになりました〜。
 こうやって色々なシチュエーションで刈られまくり剃られまくりの琴乃チャンが書きたかったのよ〜、できれば八年前に。。
 しかし、難しかったです。
 そもそも今回、「琴乃ヒロインで武侠小説」という出発点からして、ヤバイ(汗) 見切り発車的に書いてみたものの、人斬りまくりの琴乃や慶喜って設定に無理があるし。結構ほころびだらけのストーリーになっちゃいました。。「武侠小説」っていうより異世界ファンタジーだな(^^;)
 今回三つの小説を発表させて頂きましたが、三つとも剃刀が出てくる。偶然です(笑)
 前作からだいぶ間隔が空いてしまいましたが、こうして新作をアップできて良かったです♪♪
 ステイホームで時間を持て余している方のお慰みになれば嬉しいです(*^^*) 少しは世の中の役に立ちたいですし。
 どうかこれからも当サイトをよろしくお願いいたしますね!



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