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姫帝について


 毘盧遮那仏は、小さな女帝を凝と見おろしている。

 その面貌は傲然といているようにも思えるし、慈愛に満ち溢れているようにも見える。

 かくの如き巨大な仏像は、いや、人工物は、この日本国始まって以来のものだろう。女帝は父を誇らしく思いおこす。

 父の聖武(しょうむ)帝はその生涯を賭して、この巨像を造り上げた。この像を造るにあたって、まだ阿部内親王(あべないしんのう)と呼ばれていた幼い女帝も、母・光明子(こうみょうし)と一緒に、人夫に混じって土を運んだものだ。

 群臣の中には、この国家を傾けんばかりの大事業に、

 ――酔狂に過ぎる。

 ――無用の費え。

と眉をひそめる者も数多いたが、聖武帝はありとあらゆる情熱を注ぎこみ、人知で考えうる限りの策を講じて、彼の一大事業を完遂した。

 聖武帝は満足した。同時に燃え尽きた。

 そして、大仏開眼式を機に、長女の阿部内親王に皇位を譲った。孝謙(こうけん)帝である。

 阿部内親王は日本史上初の、否、唯一の女性の皇太子だった。

 彼女の立太子にあたっては、実母で皇后の光明子の意向が強く働いていた。

 その光明子の背後には、藤原一族の思惑があった。

 次の帝には、何が何でも藤原一族の血脈を受け継ぐ阿部内親王を、と藤原氏出身の光明子――藤原一族は熱望していた。

 聖武帝には安積皇子(あさかのみこ)という男子もいたが、藤原氏と縁が薄かったため、押しのけられ、阿部内親王が皇太子に祀り上げられた。時に阿部内親王、二十歳。

 その安積皇子はわずか十七歳で急死した。突然の出来事だった。おそらくは、藤原氏の俊英・仲麻呂(なかまろ)あたりが毒を盛ったのだろう、と世人はヒソヒソ噂した。

 当の阿部は内心困惑していた。元々は野心など露ほども持ち合わせていない、ごく平凡な乙女なのだ。

 阿部はごり押しの結果、皇太子となった。

 自由を奪われ、恋愛も禁じられた。阿部の若い肉体は悲しく疼いていた。

 唐(とう・今の中国)で学んだ吉備真備(きびのまきび)らから、帝王としての学問や心構えを授けられた。

 そうして、父から皇位を継承した。阿部はすでに三十二歳になっていた。

 退位後の聖武は長生きしなかった。大仏建立と孝謙帝への譲位で、精も根も尽き果てていたのだろう。

 臨終にあたって、

「道祖王(ふなどおう)ヲ皇太子トスベシ」

と彼は遺言した。

 道祖王には藤原氏の血はほとんど流れていない。聖武帝は藤原氏への反発が、ずっと胸の奥にあったのだろう。最後の最後でその気持ちを公にしたのである。

 なかんずく、藤原氏きっての実力者、仲麻呂には道祖王立太子について、

「若シ朕ガ詔勅ヲ失ワバ天地相憎ミ大イナル災ヲ被ル。汝今誓ウベシ」

と自分の遺言を絶対守るよう迫り、仲麻呂も、もし遺言に背いたら、自分は神の怒りに触れ、

「大いなる災いを被り、身を破り、命を滅さむ」

と誓った。

 聖武帝は娘の孝謙には、こう遺言したという。

「王ヲ奴ト成ストモ奴ヲ王ト言フトモ汝ノ為ム随ニ」

 即ち、皇族を庶民に落とそうが、庶民を皇族に引き上げようが、お前の自由である、と。

 この聖武の言葉が後に起こる大事件の遠因の一つになるのだが、本稿にはあまり関係がない。聖武帝が暴論を持ち出すほどに、娘のことを案じていたのが、読み手の方々に伝われば、それでいい。

 かくして、天平勝宝七年(七五五)五月二日、聖武帝は五十六歳を一期として、彼が恋い焦がれた御仏の国へと旅立った。



 それから一年も経たぬうちに、藤原仲麻呂は聖武帝への誓言などあっさり反故にしてしまった。

 参内して、そして、孝謙に言った。

「真に畏れ多いことではございますが、道祖王は皇太子として相応しくありません」

「何ゆえにか?」

 孝謙帝は仲麻呂の訴えに、耳を傾けた。

 女帝はひと回り年上の従兄の仲麻呂を慕っていた。

 仲麻呂は美男だった。勇敢であった。学識も学者顔負けだった。政治力も卓抜していた。人の上に立つ器量の持ち主でもあった。ユーモアを解し、当代きっての文化人だった。この時代随一の完成男子だと言える。

 何より仲麻呂は自信に満ちあふれていた。自信ほど男を魅力的に装飾するものはない。

 女帝は、阿部内親王の頃から、仲麻呂を兄のように思慕してきた。年頃になってからは、恋に似た感情をおぼえた。

 周囲を女ばかりに取り巻かれ、男子禁制の暮らしを送る女帝にとって、役目柄、彼女の側近くにいる仲麻呂は、異性を感じるほとんど唯一の人間であった。

 仲麻呂が参内するときには、ソワソワと何度も化粧を直し、髪の乱れを気にしていたりした。

 仲麻呂を前にすると、頬が熱くなった。胸がときめいた。

 仲麻呂の腕に抱かれている自分を想像して、若い血潮をたぎらせた。仲麻呂の子を懐妊したいと密かに望んだりもしていた。

 仲麻呂も孝謙のことを憎からず思っていた。彼女の気持ちを察し、恋人然とした態度をとることもあった。

 そうした二人の仲は宮中の噂になっていた。

 孝謙帝は光明子と共に、たびたび仲麻呂の邸に行幸した。これもまた人々の下世話な妄想に拍車をかけた。

 しかし、仲麻呂にしても、孝謙の操を奪うことにためらいがあった。そもそも彼には四人の妻妾がすでにあった。女には不自由はしていない。禁忌を犯してまで、孝謙と男女の仲になる気はなかった。

 だが、権力の為、孝謙の寵愛をつなぎとめておきたい彼は、孝謙の耳元で甘い言葉を囁いたり、抜け目なく彼女の喜びそうな贈り物をすることを忘れなかった。

 孝謙もこの疑似恋愛に一応は満足していた。

 仲麻呂は孝謙に道祖王の非行をあげつらった。

 曰く、国家の機密を民間に流した。曰く、酒に酔って妄言を口走った。しかも――

「先帝の喪中だというのに、女嬬や侍童と通じ、姦淫の限りを尽くしておられるとか」

「なんと!」

 女帝は屹と傍らの官女を、まるで彼女が道祖王であるかのように睨んだ。官女は、ひっ、と身をすくめた。それほどに孝謙の眼光は鋭かった。

 孝謙は処女特有の、性的な倫理に対する異常なほどの潔癖さの持ち主だった。

 それを知る仲麻呂は、内心ほくそ笑んだ。計画通りだ。

 しかし、孝謙は急に童女のような、心細げな表情になって、

「母君」

と隣に座る光明子に目をやった。

「道祖王を廃しては、父君の御遺言に背くことになりますわ」

 光明子はゆったりと分厚い笑みをたたえ、

「姫帝(ひめみかど)のご孝養の御心は真に美しいものですが――」

と娘を説いた。

「先帝は道祖王の本性を見抜けなかったのです。かかる人物をいずれ皇位につかせては、かえって先帝の御名を汚すことにもなりかねません」

 光明子と仲麻呂の間で、すでに筋書きはできている。そうとも知らず、政治的に未熟な孝謙は二人の言を容れて、ついに道祖王の廃太子を決めたのだった。

 道祖王に代わって、皇太子の地位についたのは、藤原氏の血をひく、なかんずく仲麻呂と昵懇の大炊王(おおいおう)だった。

 この勅の舞台裏にも、仲麻呂と光明子の意思が働いていた。孝謙は見事なまでに、傀儡としての役割を果たした。



「のう、仲麻呂よ」

 仲麻呂の居住する田村邸の縁側、朧月の下、孝謙は仲麻呂の肩に顔を埋めている。少々酒を過ごしたようだ。

「これで良かったのかのう」

「”これ”とは?」

「道祖王のことじゃ」

 孝謙はけだるく言った。

「朕は先帝の――亡き父君の遺詔を守り切れなんだ」

「ご案じなさいますな」

 仲麻呂は孝謙の身体から漂う麝香の香に、陶然となりながら、その肩を抱き、励ました。

「皇太后様もお許し給うたのです」

「朕はどうも寝覚めが悪い。ゆえに先日も毘盧遮那仏の許へ参り、自らの不孝を謝したのじゃ」

「気弱なことを仰せられますな」

 仲麻呂は笑い飛ばした。

「先帝の最もお望みしは、仏法の下、四海の静謐を保つこと。道祖王は所詮それを成し得る器量ではなかったのです。現実から目を背け耳を塞ぎ遺詔を守るは容易きこと。しかし、それは小さき義でござります」

「小さき義、とな?」

「先帝の望まれた楽土をこの世に創るため、あえて御遺言に背き奉り、新しき皇太子を戴くことこそ真に先帝の大御心に適う大きな義でございます。大きな義の前に、小さな義などいか程のことがありましょうや」

「とは言え、仲麻呂よ」

 孝謙は臆病に仲麻呂を見上げる。飼い主に対する子犬のような瞳(め)で。

「卿(いまし)も先帝に誓いを立てたのであろう? もし遺詔に違えば、天地の神々がお怒りになられて、大きな災いを被り、身を破り命を滅さむ、と」

「なんの」

 仲麻呂は剛腹に嗤った。

「それがしは神罰など恐れませぬ。もし祟りあらば、はね返すのみ」

「頼もしや」

 女は強い男が好きだ。女帝とて例外ではない。うっとりと仲麻呂にしなだれかかる。

 仲麻呂もその気になる。

「阿部様」

と女帝の若き日の名で呼んだ。それだけで、孝謙は蕩けてしまいそうになる。

 そこへ――

「帝、だいぶきこしめされた御様子ですね」

 光明子が紙燭を手に現れた。他聞をはばかるため、官女たちは遠ざけているようだ。

「母君!」

「これは叔母上!」

 二人はあわてて離れた。

「姫帝と臣下が悪酔いして、巫戯化(ふざけ)散らしていてはなりませぬよ。世の聞こえもありますからね」

 いつものように物腰柔らかくたしなめるが、その厳しい眼差しは、仲麻呂に向けられている。

 ――仲麻呂、相手は帝、ただの女遊びでは済みませぬぞ。

と。

 ――わかっております。

と仲麻呂もこの国最大の主権者に目で詫び、

「さあ、帝、夜も更けて参りましたぞ。そろそろ御寝あそばしませ」

と孝謙の肩を抱いて、立ち上がらせ、光明子に引き渡すようにして、悠々と立ち去っていった。

 そんな甥の後ろ姿を見送り、光明子は一抹の不安を抱くのだった。

 ――あの男は果たして、無事天寿を全うできるのであろうか。

 仲麻呂は幼い頃から目をかけてきた甥だ。天平政界は彼と光明子、孝謙帝の三者が主軸となって動いている。

 しかし、光明子は近頃の仲麻呂に危うさを感じ始めている。

 仲麻呂は政敵が多すぎた。彼の傲慢の結果である。

 そんな仲麻呂に、世間知らずで政治についても無知な姫帝を託すのは、苦労人の光明子にはどうにも剣呑に思えてならぬのであった。



 光明子の不安はすぐに形となって表れた。

 橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の変

である。

 反仲麻呂派の橘奈良麻呂を中心に黄文王(きふみおう)、そして道祖王などの皇族、大伴古麻呂(おおとものこまろ)、小野東人(おののあずまんど)らの貴族が密議し、仲麻呂の殺害、孝謙の廃位を計画したことが露見したのだ。

 光明子はことを荒立てないよう、懸命にとりなしたが、

「帝の廃位を企てた不敬な輩です。到底見過ごせません。死をもって贖うべきです」

と仲麻呂は言い張った。

 光明子は苦い顔で黙った。

 すると、光明子にも仲麻呂にも意外なことが起きた。

「仲麻呂」

と孝謙が口を開いた。今までは母と年上の従兄の言うことに頷くだけだったのに。

「卿の申すことも道理である。朕を帝の座から引きずり降ろさんとした罪、許しがたし。死罪ですら軽きに過ぎる」

 よほど廃位の件が腹に据えかねているようだった。

「朕は良きことを考えたぞ」

 孝謙は無邪気な笑みを浮かべた。

「良きこととは?」

「謀反人どもの名を変えて辱めてやるのじゃ」

「はあ?」

 仲麻呂は調子を狂わされ、ポカンとしている。

 そんな臣下の様子など意にも介さず、女帝は形の良い唇に指をあて、思案の態で、

「そうじゃなぁ」

とひとりごち、

「黄文王は多夫礼(たぶれ・狂人の意)、道祖王は麻度比(まどひ・頑迷の意)と致す。加茂角足(かものつのたり)あたりは乃呂志(のろし・愚鈍の意)でどうか?」

 ――女子(おなご)とは妙なことを思いつくものよ。

 孝謙の子供っぽさにあっけにとられつつ、仲麻呂は思った。

 しかし、次の孝謙の言葉に、

 ――侮れぬ。

と心中うなった。

「名を貶められた上は、もはや人がましくもしておられまい。よって死一等を減じ、流罪とする。如何か?」

 孝謙は母の意を汲み、温情をもって科人たちに臨もうとしている。

 今度は仲麻呂が黙った。

「それがよろしい」

と光明子もすかさず娘の提案に肩入れした。

 初めて母娘の反対にあい、仲麻呂は不承不承、御前を引きさがった。

 そして、孝謙の言う通り、謀反人たちの名を変えさせた。

 が、己の意は曲げず、謀反人たちをなぶり殺してしまった。

 孝謙帝には、

「取調べの拷問中に死亡」

とだけ報告した。

「そうか」

と女帝はため息を吐き、

「ならば致し方なし」

とのみ言った。

 そうした娘と甥のやりとりを、光明子は憂悶の眼差しで眺めていた。



 三年の月日が流れた。

 光明子は先年、齢六十歳で没した。

 孝謙もすでに帝位を退き、太上天皇(上皇)となっていた。

 光明子の看病に専念する為、と仲麻呂にすすめられままに大炊王に位を譲った。淳仁(じゅんにん)帝である。

 仲麻呂も名を恵美押勝(えみのおしかつ)と改めている。万事唐好みの彼は、自分の名前を唐風にしただけでなく、朝廷の仕組みも唐風に変えようと、淳仁帝のもと、大鉈を振るっている。

 自然、「先帝」である孝謙上皇とは疎遠になっている。

 処女(おとめ)のまま、四十女となった孝謙は静かな毎日を送っていた。

 今わの際に光明子が言い残した言葉が、脳裏に焼き付いて離れないでいる。

 ――押勝に……仲麻呂に心を許してはなりません。これがこの母の遺言と心得られよ。

と光明子は最後の力を振り絞り、孝謙の手を握り、言った。

 ――仲麻呂はそなたの心の隙間に入り込んで、そなたの寵を得て増長し、用が済めば、そなたから皇位を奪い、今度は新帝を傀儡にして、専横の限りを尽くしています。そなたが邪魔になれば弑することも辞さぬでしょう。あれは、そういう恐ろしい男なのです。ゆめゆめ心いたしますように。

 そう遺言して、母は逝った。孝謙は母の亡骸にとりすがり泣哭した。

 涙を流しながらも、あれだけ自分たち母娘と親密だったのに、世が変われば通り一遍の見舞いすら寄こさない仲麻呂――押勝の冷血ぶりが恨めしかった。



 光明子を失い、押勝も遠ざかり、一人になった孝謙は、おそらくは心因性のものだろう、病に伏せるようになった。

 何もする気が起きず、頭も身体も心も重く、苦しく、もう自分は世に無用な存在なのだ、と虚ろに思うと、鬱々として楽しまず、無為に日を送っていた。

 光明子の一周忌が過ぎた頃、平城京が大幅に改造されることになった。

 朝廷は、上は天皇から下は木っ端役人まで、近江国(今の滋賀県)の保良宮(ほらみや)に引き移った。

 孝謙も保良宮に向かった。

 重い身体を輿に揺られながら、

 ――このまま死んでしまいたい。父君母君のおわす処へ行きたい。

と投げやりに思っていた。

 その先に、彼女の運命を変える出会いが待ち受けていることも知らずに。

 時に孝謙上皇、四十三歳である。



 保良宮に移ってからも、孝謙上皇は病気がちだった。

 病床の孝謙の為、内道場から何人もの看病禅師が呼ばれたが、その験は一向になかった。

 ――このまま朽ちていくのか……

 周囲も上皇本人もそう諦めていた。

 しかし、或る看病禅師が孝謙の前に出現した。

 まだ青年の匂いを残すその僧は、横たわる孝謙の身体の上に手を置いた。玉体に触れることをまるで恐れていなかった。

「息をゆるゆるとお吐き下さいますように」

 物柔らかな口調で言われ、孝謙もごく自然に僧の言葉に従った。

 息を吐き切ると、

「次は息をお吸い下さいませ」

 孝謙は今度も僧の言う通りにした。僧の声、抑揚、間の取り方は、孝謙の内なる律動と見事に合致していた。

 僧に導かれるままに、孝謙は呼吸を整えた。

 僧は真言を唱えた。その凛とした声音も、孝謙に頼もしさをおぼえさせた。

 肉親以外の異性に身体を触れられた経験も、孝謙はほとんどなく、僧の掌の感触は彼女の心を浮き立たせた。

 僧をよく見た。三十代半ばくらいだろうか、眉太く、目元は涼やかで、すこぶる美男だった。孝謙は年甲斐もなく、童女のように頬や耳を赤らめた。

「これをお飲み下さい。必ずや験がございましょう」

と差し出された薬湯を、孝謙は口に運んだ。美僧を前にして、苦い薬湯も甘露の如く思える。

「如何でございましょうか」

「何やら胸のつかえが散じたような……」

「それはよろしゅうございました」

「そなたの名は?」

「道鏡(どうきょう)と申します」

 僧は答えた。

「明日もまた朕の許へ侍るように」

「ははっ」

 道鏡が去ると、孝謙は保良宮に来て初めて、化粧を施した。唇に紅をさした。

 髪に櫛を入れさせた。まだまだ白髪の一本もない潤った髪、それを結い直させる。

 そして、

「鏡を」

と命じた。

 鏡に映る自分はまだ若さを保っている。自信を得た。いつしか心は弾んでいた。

 翌日も道鏡は来た。

 孝謙の手をとって印を結ばせ、呼吸を整えさせ、真言を唱え、読経して、薬を煎じた。

 毎日伺候しているうちに、道鏡は孝謙と他愛ない会話を交わすようになった。

「そなたは看病禅師にしては随分と若いのう」

「恐れ入り奉ります」

「幾つになる?」

「年齢(とし)など忘れてしまいました」

「それは迂闊な」

 孝謙はコロコロと笑った。

「どこの生まれか?」

「河内国(今の大阪府)にございます」

「何ゆえ出家の身になったのか?」

「我が氏族は弓などの武具を作り、売りて、それを生業としております。言わば殺生の手助けをしておりますゆえ、父はその罪業を恐れ、私を得度させ、一族の後生を祈らせたのでございます」

「奇特な話を聞くもの哉。行は積んだのか?」

「畿内の山中で荒行三昧の日々を送ったこともございます。四度死にかけました」

「凄まじき話じゃ」

 孝謙は道鏡の逞しい四肢に、目を細めた。

「毘盧遮那仏を建立なされた上皇様の御父君に比べれば、拙僧の信心など龍とミミズほども違いまする」

「朕も父の如く日本に仏法を広め、国家鎮護、四海静謐のため力を尽くそうと考えていたこともあるが、遠い昔の話じゃ。今では病と老残の日々をかこちておる」

「恐れながら、お諦めになるのはまだ早うございまする」

 道鏡はその張りのある明朗な声で言った。

「まだ早いか」

 オウム返しに呟き、孝謙はハッとなった。

「上皇様はまだまだお若うございます。仏法興隆の為、御力を御貸し頂ければ、民草も喜びます。我ら仏の道に入りし者にとっても、ありがたいことにございます」

 道鏡の希望に満ちた表情(かお)とよく通る声に、孝謙は微笑を浮かべた。

 道鏡の発言は看病禅師の分際を、遥かに越えている。元来真っ直ぐな気性なのだろう。

 しかし、孝謙はその言葉を、声を、嬉しく聞いた。根こそぎ奪われた青春をはからずも得た心地だった。

「道鏡よ」

「ははっ、出過ぎたことを申し上げました。どうか、お聞き流し下さいませ」

「否、そちの申すこと、朕の耳にありがたく響いたぞ」

 孝謙は言った。

「しかし、朕にはまだ仏法への理解が足りぬ。知識も乏しい。ゆえに、そなたから仏の教えを是非とも学びたい」

「畏れ多き仰せにございます。私如き浅学非才の者には不相応にて、他に篤学の僧は、幾らでもおられまする」

「朕はそなたの口から聴きたいのじゃ。これは朕が命ぞ。これより日に一度は朕が許へ参れ。よいな?」

「ははっ、御心に添い奉りますよう励みまする」



 それから道鏡は毎日のように、孝謙に仏法について講じた。

 孝謙は模範的な生徒だった。道鏡の話すことに、熱心に耳を傾け、わからないところがあれば得心のいくまで訊ね、知識を吸収していった。

 しまいには、道鏡を

「朕の師である」

と敬い、玉座を下り、床に跪いて、教えを受け、道鏡をひどくあわてさせた。

 道鏡は大陸式の瞑想法を孝謙に勧め、乞われるままに指南した。

 孝謙はめきめきと健康になっていった。

 道鏡への思慕の念も募っていった。

 道鏡と対座しているとき、孝謙の胸はときめき、身体は熱くたぎった。

 道鏡の目に心を奪われ、道鏡の声に心を蕩かせ、道鏡の微笑に心は高鳴った。

 しかし、太上天皇である身が、看病禅師と懇ろになるわけにもいかない。

 ――道鏡は朕の師。

と燃ゆる想いを抑えていた。

 だが、女官の和気広虫(わけのひろむし)らは、

 ――太上天皇はすっかり若返られた。髪も肌も艶々と潤い、以前のようにお美しゅうなられた。やはり恋をすると女人は変わるものなのですね。

とひそひそ噂し合っている。

 道鏡に導かれるように、孝謙上皇は、父聖武の遺志を引き継ぎ、仏天地をこの世に招来するという理想を得た。

 その理想を実現したい。

 そのためには、今一度権力を握らねばならない。



 転機は、淳仁帝というひ弱で小心そうな優男の形を借りて、孝謙の面前に現れた。

 孝謙と道鏡の「醜聞」について、淳仁は上皇を諫めた。

「あのような得体の知れぬ僧と親しくなさっていては、世の聞こえもよくはありませぬ」

と。

 淳仁の背後で糸を引いているのは仲麻呂――恵美押勝だ、と孝謙は見抜いていた。

 押勝は、孝謙と道鏡の接近、その接近によって、孝謙が政治的自立をしつつあることに、不安をおぼえている。そこで淳仁を使って、孝謙から道鏡を引き離そうと企んでいた。

「人の口には戸は立てられませぬ」

 押勝を後ろ盾にした淳仁は分別顔で、孝謙を説得しようとした。

「中には野卑な噂もあります」

「野卑な噂とは何か?」

「それは……」

 淳仁は口ごもったが、

「男子(おのこ)と女子(おなご)の間のことですからな、色々と良からぬ想像を巡らせる者も……その……おりますれば……」

「お黙りなさい!」

 孝謙は激昂して叫んだ。怒りの余り、頭に血がのぼり、頬が朱に染まっている。

「そのような噂、誰が口にしたのか!」

「う、噂でございますから、誰々が申したとは……」

「わからぬのじゃな?」

「…………」

「そのような実体無き煙の如きものをもって、帝は朕を辱めるか!」

「い、いいえ、辱めるなどとは……」

「ええい、辱めたも同然じゃ!」

 淳仁は孝謙を侮っていた。が、彼女はもう以前の彼女ではない。光明子や押勝の言いなりになってきた小娘ではない。孝謙は「人形の家」を出たのだ。理想も計画も胸中にある君主へと成長していた。

 孝謙の剣幕に淳仁はすっかり気圧され、すごすごと引き下がった。

 それでも孝謙の怒りはおさまらず、即日、次のような詔(みことのり)を発した。

 詔に曰く――

 自分は母の光明子の意向で、女の身ながら皇位を継ぎ、政治を司ってきたが、今の帝、即ち淳仁は、

『うやうやしく相従う事なくして――』

 自分への敬意に欠けている、と孝謙は非難する。

 しかも、

『とひと(道鏡のこと)の仇の在る言(こと)のごとく、言ふまじき辞(こと)も言いぬ。為(す)まじき行(わざ)も為(し)ぬ』

 道鏡に対し、淳仁は仇のように言ってはならないことを言い、してはならないことをする、と孝謙は怒り心頭で、

『凡(およ)そ、かく言われる朕にはあらず』

 そのようなことを言われる自分ではない!と孝謙は身の潔白を叫び、憤慨するのである。(作者言う――この時期においては、孝謙と道鏡は、俗説にあるような「やましい関係」ではなかったのだろう。)

『此(これ)は朕が劣(おぢな)きに依りてし、かく言いふらしと念(おもお)し召せば、愧(はずか)しみいとほしみなも念(おもお)す』

 こんな屈辱を受けるのも、自分が弱々しく劣っているからだ、と孝謙は噴き出さんばかりの悔しさを抑え、内省する。恥ずかしいし辛い、と心情も吐露する。

 弱いから侮られ、醜聞の種にされる、自分が情けない、と孝謙は筆を走らせながら、しみじみ思っただろう。

 しかし、詔の最後の最後で、孝謙は二つの爆弾を炸裂させるのである。

『政事(まつりごと)は常の祀小事は今の帝行ひ給え。国家の大事賞罰の二つの柄(こと)は朕が行はむ』

 淳仁は日常の雑務をやれ、国家の問題は自分がやる、と孝謙は高らかに宣言するのである。

 孝謙は敢然と、淳仁や押勝と袂を別ったのだ。籠の鳥に羽ばたかれ、押勝はさぞ狼狽するだろう。

 そして、もうひとつ――

 今回の件は、

『朕が菩提心発(おこ)すべき縁(よし)に至るらしとなも念す。是を以って出家(いえで)して仏の弟子と成らむ』

 いい機会だから出家する、と孝謙は言い切ったのだ。

 これまで尼になった天皇経験者などいない。

 孝謙上皇のこの出家宣言には、側近も道鏡も面喰い、思いとどまるよう言葉の限りに説得を試みたが、孝謙の意思は固かった。

「禅師よ」

と道鏡だけに打ち明けた。

「よくよく思案の上じゃ。朕は強くなりたい。御仏の加護を得たい。それに、仏法を礎として、地上に仏天地を招来せんとする身が出家するのは、むしろ自然な流れではないか」



 天平宝字六年(七六二年)五月二十三日、孝謙上皇は平城京に帰還、宮殿ではなく、法華寺に入った。

 尼になる為である。

 得度の式は内々で簡素に執り行われた。

 唐風に結わえていた長い髪がほどかれた。

 まだまだ豊かで艶やかな黒髪。

 これまで蓄え続けた長い黒髪。

 その黒髪が高僧によって、小刀で削ぎ取られていく。

 ジャリ、ジャリ、と髪がひと房ひと房切り摘まれていく。

 孝謙は歓喜に打ち震えていた。

 傍らで誦経している道鏡をチラリと盗み見、

 ――朕も同じ姿になるのじゃ。

という感激が心身を浸した。

 そして、ジャリ、ジャリ、ジャリ、ジャリ、と頭から切り離されていく髪に目をやり、頸木から解き放たれた思いもあった。

 後悔も感傷もなかった。頭も心もさっぱりした。

 孝謙の髪はまず肩の辺りで切り揃えられ、さらにザクザクと短く切り詰められた。

 そして、大陸製のギラギラ光る剃刀を、高僧はとった。

 短い髪が水で湿される。

 ジーッ

と僧は剃刀を入れた。

 ジー、ジー、ジー――

 髪が削ぎあげられていく。

 剃刀がゆっくり運ばれ、孝謙の髪をこそげ落とす。高僧もこれほど高位の女人の髪に刃をあてるのは初めてなので、やや緊張気味。

 ――もしも、この僧が――

 孝謙は悪戯っぽく考える。

 ――押勝の息のかかった者だとしたら――

 自分の喉首はこの剃刀によって、かき切られてしまうであろう。首をすくめたくなる。

 孝謙の頭皮は青光りして、空に剥き出る。初々しく、瑞々しく、神々しく、

 ――なんとお美しいお頭(つむり)……

 道鏡は誦経しつつ、息をのんだ。自らの体内で定かならぬものがうずいた。

 大陸製の剃刀は実によく切れた。

 枯田に水が引かれたように、孝謙の頭部は潤っていく。

 ジー、ジー、ジッ、ジッ

 ジー、ジー、ジー、ジッ、ジー、

 静寂と夏の熱気の中、最後に頭頂の髪がひとつまみ、残された。姫帝だった人の最後の俗世の縁(よすが)。

 その一片の髪を、導師たるあの史上高名な鑑真(がんじん)和上が剃りおろした。

 盲目の戒師の剃刀使いは危うく、孝謙の頭を傷つけてしまった。

 ドロリ、と傷口から血が流れた。

 介添えの僧があわてて懐紙で血を拭おうとするも、

「よいのじゃ」

 孝謙は制した。そして、

「和上、ありがとうございました」

と血まみれの坊主頭を下げた。流血はこれからの自己に不可避な宿命と、孝謙は悟っていた。この血塗られた頭こそ、自分の出家にはふさわしい。

 美々しき上皇の衣装を脱ぎ、ボロボロの糞掃衣をまとった。出家者の姿になった。

 髪を捨て、美服を捨て、上皇はいよいよ美しくなっていく。道鏡の誦経にも熱がこもる。

 孝謙も鏡で自らの「初姿」を確かめた。

 処女の持つ赤子のような清らかさは、青い頭によって、ますます増している。その清々しさに、心の底から充足をおぼえた。

 孝謙の側近の和気広虫も上皇に従って、髪をおろし、尼になった。

 こちらは和製のナマクラでゾリゾリとぞんざいに剃られた。

 それでも広虫は、歯を食いしばって耐えていた。

 導師は、孝謙に法基、広虫には法均、という法名を与えた。



「禅師、禅師よ」

 出家したその夜、孝謙は寝所に道鏡を召した。

「御気色がすぐれぬのですか?」

「ええ」

 孝謙は剃りたての頭に掌をあて、

「頭がヒリヒリと痛むのじゃ」

 道鏡は苦笑し、

「最初の剃髪をして、しばらくは痛みまするが、慣れれば大事ございませぬよ。拙僧も初めて剃髪したときは同じでございました」

「禅師も痛かったのか?」

「はい」

 孝謙は甘い吐息をこぼし、

「これで朕もそなたと同じ道を歩む者となったのだな」

と道鏡に情熱的な眼差しを向ける。

「ははっ、畏れ多きことにございます」

 道鏡は平伏した。

「そのように畏れ入らずともよい。禅師は朕の仏法の師、人生の師じゃ。もっと堂々と構えられよ」

「こうでございますか?」

 道鏡は不器用に胸を反らした。

「そうそう、それでよいのじゃ」

 孝謙は微笑み、年下の僧の手を握った。

「上皇様!」

 道鏡は狼狽する。

「同じ道を歩む同士が睦み合うのは悪しきことか?」

 孝謙は道鏡の耳元で囁いた。

「今までは禅師は僧、朕は俗人の身であった。二人の境には大きな川が流れていた。だが、朕も得度を受けた。今は禅師と同じ岸にいる。新たな契りを結ぶこともできる」

 青い頭を胸に擦り付けられ、道鏡も孝謙の得度式からの奇怪な欲望を、さらにうずかせた。

「じょ、上皇様……」

「この頭を見よ! 朕は道鏡、そなたのために髪をおろしたのじゃ。頭を丸めたのじゃ。如何に、道鏡!」

 激しく言い寄られ、道鏡は言葉を失う。艶めかしく青光る頭に理性を失いそうだ。

「禅師よ」

 孝謙はふたたび甘い声でささめく。

「傷が――」

「傷?」

「鑑真和上が傷つけ給いし、この頭の切り傷が痛むのじゃ」

「はっ」

「舐めておくれ」

 血が凝固している頭頂の傷を指さし、孝謙はねだる。

 道鏡も孝謙にも自己の欲望にも抗えず、舌を傷口に這わせた。その感触に二人は激しく興奮した。

「どうじゃ?」

「血の味がいたします」

「そうじゃ。姫帝と呼ばれし我が身も、そなたと同じ人じゃ。血も流せば、恋の炎(ほむら)に身を焦がす。さあ、朕が想いに応えておくれ」

 道鏡は身も世もなく孝謙の頭にしゃぶりついた。夏の夜気で滲む上皇の頭の汗をすすった。

「わ、私は女人を知りませぬ」

「朕とて男子を知らぬ。互いに初めての男子と女子じゃの。嬉しいぞ」

「御無礼仕る」

 やがて、道鏡は男のものをゆっくりと孝謙に挿し入れた。

 孝謙は破瓜の痛みに耐えた。痛みは無上の幸福感を伴っていた。



 押勝は太上天皇と対面した。

 初めて見る孝謙の僧形に、かなり気圧されたが、剛腹な彼は動揺を押し隠し、

「上皇様にはご機嫌麗しゅう。御出家の身になられても、お変りのう美しくあらせられて、臣、ただただ恐悦至極にござりまする」

と褒めたが、孝謙は冷ややかに一言、

「うむ」

と答えたきりである。もはや押勝の知る姫帝ではなかった。

 孝謙の沈黙に耐えかね、押勝は口火を切った。

「少僧都(しょうそうず・僧の位)の慈訓(じくん)のことでございます」

 無用に声を張り上げる押勝に、

「慈訓はもはや少僧都にあらず」

 冷たく返され、押勝はカッとなった。

「何ゆえ、かの徳深き慈訓から少僧都の位を御取り上げあそばしましたか!」

 慈訓は押勝派の僧であったが、先頃孝謙の意向で更迭された。権力者押勝への孝謙の反撃の狼煙はあがったのだ。

 糾問するように申し立てる押勝に、

「慈訓は道理に背く政を行ったからじゃ」

「いかなる道理に背いたか、お聞かせ願いとうございます」

「太師(押勝)様! 不敬でありましょう!」

 上皇の傍らに侍している道鏡が鋭く制した。

「我ら臣下の者は、太上天皇の詔を云々することは能いませぬ。ただそれを謹聴するのみでございます」

 押勝は道鏡を睨みつけ、

「ええい、目障りな! 何ゆえ慈訓の後釜がそなたのような売僧なのか! 上皇様にすり寄り、政を乱す獅子身中の虫め! ワシの目の黒いうちはそなた如きの好きにはさせぬぞ!」

「押勝」

 孝謙は押勝を見た。その眼光に押勝はたじろぐ、

「それ以上、朕の師を誹謗することは許さぬ」

「……」

「国の大事と賞罰は朕が決めると詔したはずじゃ」

「一枚の紙片でそう仰せられても――」

「太師様は詔を紙キレと仰せあるか!」

 道鏡に突かれ、押勝も自分の失言に気づき、縮こまっていた。すでに押勝の凋落ははじまっている。孝謙の独立と、それに呼応した政敵たちの跳梁が、押勝から往年の威光を失わせていた。

 自信に満ちあふれた新進政治家の姿は、そこにはなかった。

 ――朕はこのような男子に心を寄せていたのか。

 孝謙は改めて目が覚める思いだった。



 その夜も孝謙は道鏡と臥所を共にした。人生も後半になって初めて異性を知った二人は、肉の交わりに耽溺していた。

 夢心地のまま、

「押勝など恐るるに足らず」

と孝謙は気炎を上げた。

 道鏡はきれいに剃髪された孝謙の頭に唇をあて、

「いずれは雌雄を決せねばならぬのでしょうな。ゆめゆめ御油断召されますな」

 道鏡もいつしか政治人間になっていた。



 天平宝子八年(七六四)九月十一日――

 ついにことは起きた。

 皇権発動に必須の鈴印をめぐって、孝謙と押勝は争い、押勝は反旗を翻した。

 恵美押勝の乱

である。

 孝謙はすぐさま、押勝の官位を剥奪し、所領を没収し、徐姓した。その主導権を大いに発揮し、押勝の先手先手を打った。

「逆賊・恵美押勝を討て!」

と兵士を鼓舞した。

 ――このような御方であらせられたか。

 孝謙の側近や貴族たちは、彼女の決断力と統率力に瞠目した。

 押勝は平城京を脱出した。本拠地の近江国を目指し、転戦したが、とうとう九月十八日、琵琶湖畔で斬られた。彼の一族も滅んだ。わずか八日前まで日本の最高権力者だった男の哀れな末路だった。



 孝謙は完全に権力を奪い返した。

 淳仁帝は淡路島へ流された。押勝によって斥けられていた、押勝の実兄・藤原豊成(ふじわらのとよなり)は政界に返り咲いた。

 孝謙はふたたび皇位についた。称徳(しょうとく)帝である。尼姿のままだった。神武帝以来初の出家天皇であった。

 この重祚(ちょうそ・同じ人物がふたたび天皇になること)にあたって、称徳帝は、

「出家しても政を行うに豈障るべき物には在らず」(出家していても政治をするには何の問題もない)

と言い切った。

 それだけではなく、

「出家の帝には出家の大臣が必要である」

と主張し、「大臣禅師」という位を設け、道鏡に授けた。

 季節はすでに冬になっていた。

 宮中の奥で称徳帝と道鏡は密会を重ねた。互いの体温を交換するかの如く。尼と僧の歪な官能世界。

「いよいよ朕と禅師の理想を叶うる時が参った」

 酒杯を干して、女帝は微笑する。

「謹んでお寿ぎ申し上げまする。拙僧も微力ながらお力添えいたしまする」

「頼もしや」

 称徳は道鏡の胸に抱かれ、うっとりと目を閉じる。

「ここまで来るのに随分歳月を費やした気がする」

「真に」

 道鏡はうなずき、女帝の頭を撫でた。

「くすぐったい」

 称徳は小娘のように首をすくめ、はしゃいだ。

 道鏡は称徳を組み敷くと、彼女の法衣をむしり取った。女帝はそれを受け容れ、続く行為を待つ。

「帝! 帝! 姫帝!」

 猛り立つ道鏡に称徳も、

「ああ、禅師よ……」

と応える。

「必ずやこの国を仏国土に!」

「そうじゃな。民草の為に……民草の為に……」

 称徳はうわ言のように繰り返した。

 白濁とする意識の中、女帝の脳裏には唐の物語にある桃源郷の如き世界が、浮かんでは消え、浮かんでは消えた。

 そして、その楽土に住まうのは、自分と道鏡だけのような気がした。

 姫帝の新たな闘争が始まろうとしていた。

 後の世に

 宇佐八幡宮神託事件

と語り継がれる歴史的難題が、女帝と道鏡に待ち受けている。

 しかし、眠る間も惜しむくらいに肌を重ねる二人は、そんな自分たちの運命を知らない。ただ夜の中、互いを求め続けた。

 夜明けまではまだ時があった。


          (了)






    あとがき

 如何でしたでしょうか? 総文字数1万5千字近く(汗) pixivデビューは難しいな(^^;)
 自作の中でよく読み返す「日出ズル前」――歴史小説に断髪要素を加えた、一種の「珍作」なのですが、結構気に入っていて、今回同じことをやってみたくて、書きました♪  孝謙天皇は歴史上の著名女性の中ではメッチャ好きです! 歴史ファンとしても尼僧剃髪マニアとしても。で、今回執筆にあたって調べてみたのですが、彼女をヒロインにした小説や漫画、学術本、すごく多くてビックリしました(゚Д゚;) それだけ魅力のある人物であることの証左でしょう。ドラマでは南野陽子や石原さとみが演じているし。
 当初はどエロでマニアックな喜劇風にするつもりでしたが、皇室ネタだし。。それに実在した人物を茶化すのも気が引けるので、今回のような形になりました。
 しばらく書いてなかったので、リハビリ的に今作に取り組みました。
 この時代の風俗や生活に詳しくないので、その手のことは全然書いていません、風景描写とか(そりゃダメだろう)。
 色々趣向を考えてもいたのですが、現在の筆力ではムリ、と判断してやめました。
 ……とマイナスな発言ばかりしていますが、テンションを落とさず書き終えられて満足しております(*^^*)
 最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました♪



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