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それでも月は照らしてる


「陸(りく)、ねえ、陸ってば」

 ルナの声は甘い。眼福ならぬ耳福だ。

 まどろみの中、その声音を堪能する。また、睡魔が……

「陸、起きなさい。風邪ひいちゃうよ」

 ルナは、今度は僕の身体を揺さぶりにかかる。

「あっ」

「目、覚めた?」

 ルナの顔が同じ高さ、同じ角度にあった。潤んだような黒目がちの瞳が、僕を覗き込んでいる。長いまつげ。ぷっくりとした涙袋。

 瞳の中には、痴れた顔の僕がいる。

 ハッと僕は上体を跳ね起こした。

 時計を見る。AM1:18。

 参考書と格闘しているうちに、ついウトウト、机に突っ伏して眠りこけてしまっていた。

「だらしないなぁ、陸、意思弱すぎ」

 ルナは肩をすくめ、笑う。鋭い犬歯が、ニュッとのぞく。ヴァンパイアみたいだ。

 僕はバツが悪く、でも表面上は強気の鎧をまとって、渋面を作り、

「ルナ、何度も言ったろ。ベランダから入って来ないでよ」

とルナを咎める。

「何よ、今更。それに、そんなこと言って、ちゃんとカギあけておいてくれてるじゃない」

 ルナの家はお隣さんだ。

 ルナも僕もベッドルームは二階にある。

 昔からルナは玄関をスルーして、直接自分のベッドルームから僕のベッドルームへと、ベランダを飛び移って、しばしば訪ねてきていた。

「何の用?」

と訊くと、

「月」

とルナは言った。

「月が綺麗だから」

 一緒に見ようと思って、と言うルナの背後に、大きな満月が青く静かに冴え、輝いている。クレーターまで見えそうなほど、近く、近く、僕の目には映る。

 フルムーンを引き連れたルナは、その青白い月光に溶けてしまいそうだ。

 その美しさとその儚さに、僕は月を見るべきか、ルナを見るべきか、一瞬、迷ってしまった。

 とりあえず、ベランダで並んで月を眺める。

「綺麗だね」

「そうだね」

とポツリポツリ言い合いながら。

「ルナ」

 僕はルナを部屋に引き入れる。そして、ベッドを指さす。

 ルナは大人しくその指示に従う。ベッドの上に体育座りして、僕の行為を待つ。

 ルナは腰までの髪を高々とポニーテールに束ねている。彼女のトレードマークだ。

 そのポニーテールをほどく。

 ファサッ、サアアアァァ

と長い髪が垂れこぼれる。膝を抱え座っているルナの身体を包み込む。まるで藁ぼっちみたいだ。

 僕はその長い髪をブラッシングする。たっぷりと時間をかけて、髪を梳(くしけず)る。

 ルナはお人形さんのように、じっとされるがままに任せている。

 僕の心はそんなルナに満足している。

 ブラッシングを終えると、髪を持ち上げ、髪を編みこんでいく。ときにエレガントに、ときにアグレッシブに。

 ルナの柔らかな髪、その手触りは僕の指先を大いに悦ばせる。心が癒され、同時に昂らされる。

 くすぐったい、とルナはささやくように言う。

 我慢しな、と僕はたしなめる。或る人生の幸福な一夜。



 ルナと僕は幼なじみだ。

 家が隣同士なので、家族ぐるみ仲が良い。よく両家でキャンプやバーベキューをしたし、観光スポットに遊びにも出かけた。

 僕が物心ついた頃には、ルナはもうロングヘアーだった。

 揺れるルナの髪は、僕にとっては日常の一情景だった。

 いつの時からだろう、僕はルナの髪に触れたがるようになった。時折乱暴に引っ張ったりすることもあった。

 それでもルナは笑って許してくれた。

「陸クンだけだよ」

とこっそり耳打ちして。



 こうして、月日は流れても、僕たちはこのヘンテコな遊戯を続けている。

 ルナは夜な夜なベランダづたいに、僕のベッドルームに忍び入ってきた。月の明るい晩のことが多かった。

 そして、僕はルナの髪を心ゆくまでブラッシングし、弄び、愉しんだ。

 だけど、不思議とルナの身体を求める気にはならなかった。

 僕はただルナの髪を触れる幸福に浴した。

 しかし、髪については、「それ以上の触れ合い」を望む僕がいた。この欲望の発露については、僕は慎重、いや、臆病だった。ルナにも語らず、語れず、ずっと胸のうちに秘め続けた。

 そうして、僕は三年生になり、高校受験のための勉強漬けの毎日を送るようになっていた。

「陸は要領が悪すぎるんだよ」

 髪を弄られながらルナはお人形さんから、シフトチェンジ、お姉さんの表情(かお)になり、僕にダメ出しをしてくる。

「質の悪い睡眠ばっかとってるから、さっきみたいに居眠りしちゃうんだよ」

 えらそうに講釈を垂れてくる。またyoutuboで、自己啓発系の動画でも視たのだろう。

「受験生こそよく睡眠をとるべきなのよ。眠りっていうのは、単に空っぽの時間なんかじゃないんだよ。眠っている間にも潜在意識は――」

 ウザい。

 僕は舌を振るうルナの言葉を無視して、その声音に耳を集中させる。なんて甘い声なのだろう。

 ぽわ〜ん、となっている僕に、

「ねえ、陸、ちゃんと聞いてるの?」

 ルナは恐い顔をする。

「ルナはいいよなあ」

と僕は言った。

「推薦入学が決まって。僕みたいにあくせく勉強する必要もなくてさ」

 ルナはすでに某私立校への進学が決まっている。

「常日頃の努力の賜物だよ」

とルナは胸を反らした。が、すぐ顔色を曇らせ、

「でも、そんな嬉しいことばっかじゃないよ。あたしだって色々大変なんだからね」

「例えば?」

「学費とか。私立だからお金かかる。パパたちに負担をかけるのは心苦しい。自分のお小遣いくらいはアルバイトして工面しようと思ったけど、校則でアルバイト禁止なんだよね」

「そりゃ大変だ」

 僕は適当にあいづちを打ち、ルナの髪を仕上げていく。

「それに……」

「それに?」

 口ごもるルナを促す。

「こういう長い髪、禁止なんだって」

「えっ」

 僕は手をとめた。

「肩まで切るように、って面接のとき言われたわ」

「そりゃ、ご愁傷様だな」

と冷ややかな口調を選んだ僕だが、胸のドキドキは収まらない。

 ルナのこの長い髪、この柔らかな髪に、ハサミが入る。ハサミを入れる。そんな欲望を僕はずっと心の中で飼い太らせてきた。その欲望は、ひどく淫らで、ひどくいけないもののように思えた。だから、今までずっと僕だけの秘密にしてきた。それが、欲望をいよいよ肥大させる結果になってしまっても。

「春にはもう陸に髪を結ってもらえなくなる」

「…………」

 僕はルナの編んだ髪をほどく。解き放たれた髪は、ゆるくウェーブしている。それをまたブラッシングする。

 シャアァー、シャアァァー、とブラシが髪を滑る音だけが、沈黙を埋める。

 幼稚園、小学校、中学校、とずっと一緒だったけれど、四月になれば別々の学校へ、それぞれの道を行く。

 そして、そのときにはもうルナの髪に触れるという恩恵を、ルナの学校は僕から取り上げてしまうのだ。

 いつものように、最後に元通りのポニーテールに結ってやろうとしたら、

「いいや」

とルナは首を振り、

「じゃあ、また明日ね」

と夜の中へ。ヒラリと身を翻し、ベランダを乗り越え、自分のベッドルームに戻る。

 月光がルナの髪をキラキラと輝かせていた。

 僕は掌を鼻に近づけた。シトラス系の香り――ルナの髪の残り香。



 それ以降もルナは僕の受験勉強をジャマするように、夜の訪問を続けた。

 僕はあるときはしかめ面、あるときは苦笑いで――大抵前者だった――ルナを迎え入れた。しばらくは抵抗して参考書とにらめっこしているのだが、いつだってなし崩し的に、ブラッシング→アレンジ遊び、というコースに嵌る。

「滑り止め受かったらしいじゃない」

「N高なんて楽勝だよ。本命はあくまでA高だからね。あそこに受からなきゃ勉強してきた意味がないよ」

「すっかり受験脳だね」

「受験終わったら遊ぶぞ〜!」

「その意気や良し」

 ルナはクスクス笑う。笑ったと思ったら、またお人形さんに戻って、僕に髪を委ねきっている。

 シャアァァー、シャアァー、と髪を梳く。

 来る日も来る日も勉強勉強で、そんな日々にドップリ漬かっていると、時間の感覚がおかしくなる。気が付けばもう卒業間近だ。

 卒業すれば、

 ――この髪ともサヨナラか……

 二人だけの秘密の遊戯の終わり。僕は感傷的にならざるを得ない。

 ルナはと言えば、いつの間にか新しい学校への不満を並べ立てている。

「色付きのリップクリームもNGだし、旅行に行くときには旅行届を提出しなきゃなんないし、下着の色まで決まってるんだよ。一体どうやってチェックするのかしら、おぞましい! 考えたくもないよ」

「じゃあ、夜更けにベランダづたいに男子のベッドルームに侵入するのも禁止なのかな?」

「まぜっかえさないでよ。……でもたぶん、バレたら停学モノだと思う」

「じゃあ、こういうのも終わりにしなきゃね」

 僕はそう言って、ルナを試してみた。

「そうだね」

と意外にもルナは、あっさりと同意した。

 僕は動揺をかろうじて抑えた。

 しかし、ブラッシングを通じて、僕の心の波紋はルナに伝わる。

「陸、さびしい?」

「さびしくなんてないさ」

 ルナのせいで僕はすっかり嘘つきになっていた。

 大体春になれば、否が応でも、断髪。結いたくたって結う髪が無くなるのだ。

「ねえ」

「うん?」

「そんなに嫌なら入学するのは辞めて、どこか別の高校に入り直せばいいんじゃない?」

「簡単に言わないでよ。もう入学金も収めちゃったし」

「だったら粛々と入学しなよ」

「愚痴くらいこぼしたっていいでしょ。狭量だね」

「あー、わかったわかった。謹聴させて頂きますよ」

「何よ、それ!」

 僕は受験のことで、ルナは新しい学校生活のことで、お互いイライラしていたみたいだ、つまらないことで口論になってしまった。親に気づかれなかったのが不幸中の幸いだと言える。

「もういいよ!」

 ルナは僕の部屋を出た。月が、蒼い。ルナはベランダからベランダに飛び移り、自分のベッドルームに消えた。僕の部屋のガラス戸を開けっ放しにして。

 カーテンを揺らす夜風が温かい。もう、春だ。

 僕はガラス戸を閉めて、春の兆しをシャットダウンし、ベッドに倒れ込んだ。

「ルナを怒らせちゃった……」

 ちょっと後悔したが、怒らせてしまったものは仕方ない。

 明日はA高の合格発表だ。

「寝なくちゃ」

と呟いているうちに、眠りに落ちた。



 A高に見事に合格した。

 僕はガッツポーズ。これで勉学地獄から解放された!

 自分の番号を前に、飛び跳ねて喜んだ。

 でも、狂喜乱舞する裏側で、ルナのことが心にひっかかっていた。



 卒業式が終わり、春休みに入っても、ルナとの断交状態は続いている。

 この間、バス停で超ロングのポニテの後ろ姿を見かけたが、声をかけられず回り道してしまった。まだ髪は切ってないようだ。

 庭のミモザが芽吹き始めている。週末にはパッと花開くだろう。

 高校入学のときは近づいてきている。

 僕は久方ぶりの自由を謳歌している。

 友人たちと遊んだり、小旅行に出かけたり、ちょっとしたアルバイトを始めたり、毎日が楽しい。

 それでも頭の片隅にはいつもルナが居た。もうすぐあの髪を断ってしまうルナが……



 メールで謝ろう。

 別に僕ばかりが悪いわけじゃないけれど……。

 意地を張り合っていてもしょうがない。僕の性格は争いごとには向いてないようだ。

 僕はメールをうちはじめた。なるべくくだけた感じで、重くなり過ぎないように、卑屈になり過ぎないように、心を込めて……と夜更けまで推敲しているうちに、睡魔が……このところすぐに眠くなる。ルナの言う「質の悪い睡眠」のせいなのだろうか。もしかして、ナルコレプシーとかじゃないだろうな。

 僕はとうとう机の上に突っ伏して、白河夜船……。

「…………」

 ――……ん?

 眠りの中で温もりを感じた。

 その温かさは柔らかさを伴っていた。シトラス系の香りが鼻孔をくすぐる。

 僕は夢うつつに歓喜する。ああ!

 ハッと目が覚めた。温もりも、柔らかさも、匂いも、夢ではないことに気づいた。

 ルナが僕を背後から抱きしめていた。

 僕はどうしていいのかわからず、眠っているフリをする。

「狸寝入りすんな」

 ルナはとっくにお見通しだ。

「あたしに謝ろうとしてくれてたんだね」

 僕はとっさに机の上のケータイの画面を手で隠すも、

「嬉しい」

「…………」

「ベランダに行こ」

とルナは誘った。

「月が綺麗だからさ」

と。

 僕は渋々といった態で、ようやく机から顔をあげた。

 ルナは笑った。いつものヴァンパイアみたいな犬歯を光らせて。

 二人、ベランダに出る。

 おあつらえ向きに、満月だ。

「う〜、血が、新鮮な血が欲しい〜」

とルナは巫山戯(ふざけ)て、僕の首筋に噛みついてくる。ヴァンパイアと狼男(女?)がゴッチャになっている。

「やめてよ」

 僕は苦笑いして、ルナを引き離そうとする。

 それでもルナは、さすがに歯を立てるのはやめたが、僕にクリンチするみたく、抱きついたままだ。

「ルナ……」

 僕もルナの背に手をまわした。

 月光の下、ルナと抱き合った。ひどく不器用に――季節が確実に移ろう、その真っただ中で――。

 ルナの肩越しに、揺れるミモザの木が見えた。すっかり黄色い花が咲いている。



 一ヶ月ぶりにルナの髪を弄る。

 残された時間はわずかだ。

 だから、奇抜なアレンジも試してみる。

「明日、カットサロンに行くの」

とルナはささめく。

 僕は激しくも空しい焦燥に駆られた。夢見る頃はもうタイムオーバーだ。

「陸」

「あ、ああ、何?」

「あたしの髪、切っちゃってよ」

「え?!」

 僕は思わず聞き返した。

「ずっとわかってたんだよ、あたしの髪切りたかったんでしょ?」

「…………」

「切っていいよ」

「いいの?」

「いいよ」

「僕、素人だよ?」

「多少変になっても、明日ちゃんと切り直してもらうから大丈夫」

「ヘアカット用の鋏もないし」

「鋏なら何でもいいよ」

 ルナに促され、僕は机の中から、工作鋏を探し当て、床にピクニックなどで使うビニールシートを敷いた。

 ルナはその上にチョコンと体育座りした。

 ケープもないので、大きなポリエチレンの袋に穴をあけて、ルナにかぶせた。まるでテルテル坊主だ。

「本当にいいの?」

と最後に訊いた。

「うん、陸になら、いいよ」

 ルナはうなずいた。

 工作鋏を持つ手が震える。ネガとポジ、それらが綯い交ぜになった感情があふれ出てくる。

 僕は鋏の刃を開き、ルナの左の髪に、肩の辺りで跨がせた。やはり震えはとまらなかった。

 しかし、勇を鼓して、グリップを握る手に力をこめた。

 刃が閉じる。

 ジャッ、

と砂を踏みつけたような音がして――

 キン!

と金属がカチ合う音が、静謐な室内に響いた。

 髪を切る感触は鋏をすり抜けて、指先に伝ってくる。

 バサリ!

と一筋の黒髪が落ちる。

 僕は自分のしでかしてしまったことに、恐怖をおぼえた。だけど、恐怖の裏側には、高揚と満足が確かに在った。

 ルナもファーストカットの切り口に怖々と触れて、そうして、吹っ切れたように莞爾と笑った。

「切っちゃったよ?」

と言うと、ルナは微笑みを浮かべたまんま、

「さあ、続けて」

と要求してくる。

 鋏はふたたび動き出す。

 ジャ……キン

 ジャッ、キン

 バサッ!

 ゆっくりと鋏を動かした。切るうちに度胸も勢いもついた。

 ジャキ!

 ジャキ!

 鋏の動きに沿って、髪が消え、その切り口は無惨なことになっている。

 左の髪を肩につくくらいに、スッパリと切る。整えようと試みたが、焼け石に水だった。

 次は後ろの髪だ。

 僕は欲望をコントロールして、巧く切ろう、巧く切ろう、と奮闘するのだが、どうしても歪(いびつ)になってしまう。

 ルナはいつもの如く、完全にお人形さんになっている。

 神妙にカットが終わるのを待っている、その後ろ髪を断ち切っていく。

 ジョキジョキ、ジョキジョキ――

 ジョキ……ジョキジョキジョキ――

 分厚い髪に鋏を入れていく。ルナは無反応。

 時計回りに髪を切っていって、当然最後に右の髪が残された。

 それら何筋もの髪も、左や後ろに合わせて、切り揃える。

 ジャキ! ジャキ!

 ジョキジョキ、ジョキジョキ――

 切られた髪は、クッタリとその形状を崩し、――

 バサッ!

とケープ代わりのポリエチレン袋を軽く叩く。

 とうとう腰までの髪を肩まで切り詰めてしまった。市松人形を連想させる。

「こんな感じでいかがでしょうか?」

とおどけて手鏡を渡す。それを見て、

「ありゃりゃ」

とルナは人形から普通の女の子に戻り、目を丸くする。

 それもそのはずで、左右の髪はアシンメトリーだし、切り口はズバッと断面を露にしているし、跳ねてるしで、そのザンバラ髪は何とも形容のしようがない、目も当てられない有様だった。

「このヘタクソ」

 ルナは母親が小さな子を、めっと叱るような表情(かお)をした。

「明日美容院でちゃんとやってもらうんだね」

 そして、僕とルナはふたたびベランダで、寄り添って月を眺めた。

 満月は冴え冴えと照り輝いている。この町でこんな時間に月を見ている酔狂な人間は、たぶん僕たち二人だけだろう。

「月が綺麗だね」

とルナは囁く。

「そうだね」

と僕は受けた。

 春先の風が吹き抜ける。ミモザの花びらが僕らの周りを舞う。この花びらたちが僕らの「現在地」をそっと教えてくれているかのようだ。

「じゃあ、またね」

 そう言うと、ルナはギザギザのボブカットを翻し、軽業師みたいに柵を乗り越え、跳躍し、自分のベッドルームへと戻っていった。

 僕も自室へ引っ込む。

 長い髪がビニールシートの上に散っている。それらを拾い集める。勿論、その手触りを、匂いを、心ゆくまで愉しむ。

 ルナが目撃したら、きっと顔をしかめるに違いない。



 ルナが死んだのは、その翌日だった。月が輝く夜だった。

 いつものように僕のベッドルームを訪れようとして、バランスを崩して地面に落ち、首の骨を折ったらしい。即死だったという。

 ルナは髪をショートカットに刈っていた。僕のカットがひど過ぎて、結句短くするしかなかったらしい。

 文句のひとつでも言いたくて、僕のところに来ようとしたのだろう。そして、――

 短い髪のルナの死に顔を葬儀の日、見た。初めて見るショートカットのルナ。ユニセックスな容貌だった。傷ひとつない、安らかな顔だった。

 祭壇には超ロングのポニーテールのルナの遺影が飾られていた。長い髪のルナははち切れんばかりの笑顔だった。

 僕は呆然とルナの笑顔と相対していた。



 数年後――

 僕はベランダに立ち、月を見上げていた。ルナのことを考えながら。

 駘蕩とした春の風。ミモザも花開いている。また季節は巡る。明日はルナの命日だ。

 そして、僕は明日、この町を出る。

 とうとうショートカットのルナと会うことはできなかった。もし、出会えていたら何を話していただろう。何をしていただろう。

 ルナはむくれつつも、案外短い髪を気に入っていたかも知れない。

 だけど、今となっては考えるだけ虚しい。

 ――月が綺麗だね。

とルナは最後に言った。

 高校の現代文の授業で先生が話をしてくれた。夏目漱石の話だ。

 漱石は教師時代、“I love you”という語を、「私はあなたを愛しています」と訳した生徒に、「日本人はそんな露骨な表現はしない。そこは“月が綺麗ですね”とでも訳しておきなさい」と訂正したという。

 ――月が綺麗だね。

というルナの言葉があの甘い声で脳内にリフレインする。

 もしかしたら、あれはルナの僕への告白だったのだろうか。それともそれは考え過ぎなのだろうか。

 今となってはわからない。この先も、永遠にわからない。

 僕は天空を仰ぐ。

 ――ルナ……。

 ルナは星になった。今では彼女が大好きだった月の傍にきっといるはずだ。

 そして、月は今夜もルナのいない地上を照らし続けている。

 こみ上げてくる思いを抑えもせず、僕は激しく嗚咽した。


                (了)






    あとがき

 リクエスト企画12弾は「春小説」です。そのつもりはなかったんですけど、書いているうちに。。今回は桜の代わりにミモザにしてみました♪
 「幼馴染によく髪をいじられてるロングポニーテールの清楚な子or爽やかな子。進学先が超ロングは厳禁、ということでずっといじってくれてる幼馴染に好きに切ってみていいよーって頼む話とか面白そうです。」というリクエストでした。リクエストありがとうございます♪
 なんというか、20年くらい前の「花とゆめ」とかにありそうな幻想的な読みきり漫画(このニュアンス、おわかり頂けるか・汗)をイメージして書きました。
 ほんと、寸暇を縫って、チョコチョコ書き進めました。
 で、今回もバッドエンドになってしまった(^^;) ヒロインやストーリーの儚さみたいなものに引き寄せられて……「ヒロインの死」という形で少年の中でヒロインやヒロインと過ごした日々が永遠になるみたいな……或いは全てが夢の中の出来事であるかのような……とエンディングについては歯切れが悪くなってしまうのですが、まあ、直感です(笑) 精神鑑定してもらいたいです(笑)
 ともあれ、自作の中で気に入っているお話です(*^^*)
 季節の変わり目、皆様お体大切に、そしてコロナ対策、花粉症対策して、別れと出会いの季節に臨んでくださいね〜♪
 最後までお付き合い下さり、どうもありがとうございました\(^o^)/



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