巣立ち〜白衣の裾を翻す君よ |
「行成(ゆきなり)先生」 と呼ばれ水穂(みずほ)が振り返ると、引田燃(ひきた・もゆる)が、保健室の入り口に立っていた。アフロヘアーになっている。 「なあに、その髪」 水穂は思わず噴き出した。 「実習で平間に遊ばれた」 「ファンキーね」 「それはどうでもいいから。ちょっとベッド貸してくんない?」 「またサボり?」 「違えよ。なんか頭が痛くてさ」 「引田クン、すっかり保健室常連ね」 「えへへ」 「真面目に授業出てないと卒業できないわよ」 「わーってるよ」 「一時間だけよ」 パリッと糊のきいた白衣の裾を翻し、水穂は燃をベッドに連れていく。 「熱、計る?」 「いや、いい」 「まったく親御さんが高い学費払って通わせてくれてるんだから、真面目に授業受けないとダメよ。将来床屋さんになるんでしょ」 「親が床屋継げってうるせえから、顔立ててこの学校に入ってやったの。説教は勘弁してくれ。じゃあ、おやすみ」 「しょうがない子ねえ」 保健室の聖母は苦笑する。 ここ、私立某々高等学校には、一般生徒の通う普通科とは別に理容科や美容科が設けられている(こちらは二年制)。 未来の理美容師を目指す若人たちが、今日も切磋琢磨して、技術等の研鑽に励んでいる。 燃は劣等生だった。 床屋を営んでいる親に言われるまま、入学した。そして、漫然と、情熱なき日々を送っていた。 いつしか保健室に通うようになっていた。 養護教諭の水穂の優しさに甘え、授業や実習をサボっている。 水穂はそういう燃をたしなめつつも、乞われれば毎回ベッドを貸してやっている。 水穂は29歳。年齢の割にはあどけなく、愛くるしい顔立ちだ。常に温和な人格者だったので、生徒人気も高い。姉のように慕われている。 プライベートでは、ついこの間、初めてお見合いをした。親戚に強引にすすめられ、会ってみた。 が、相手に違和感をおぼえ、ごめんなさい、と断ってしまった。 今の仕事にやり甲斐を感じているので、嫁になるのも、母になるのも、まだ先かな、と思っている。 セミロングのダークブラウンの髪をシニヨンにまとめ、白衣――ピッチリバージョンとダブダブバージョンの二種類がある――私服の上から羽織っている。ピッチリバージョンにキメていると、腕利きのドクターのように見える。ダブダブの白衣に身を包み、ポケットに手をつっこみ、廊下などをトボトボ歩いていると、コロンボ刑事を連想させる。 水穂と燃はどういうわけかウマが合う。 「俺が床屋になったら、行成先生の髪、切ってやんよ」 「勿論タダでしょ?」 などと言い合っては笑っている。 毎晩おかずにしている水穂の応援もあって、燃は徐々に(あくまで徐々に、だ)学習に身を入れ始めた。 元々才能はあったようだ。小さな努力が大きな結果を産み、大きな結果は、最高の自信とやる気を燃から引き出した。 それでも保健室詣でを欠かさない。 「理美容甲子園」でも好成績で、 「全国レベルまでいったゼ」 と燃の自慢に、うんうんスゴイじゃない、と水穂はうなずき、聴いてやる。 「ご両親も安心だね。国家試験を受けて、資格を取れば、晴れて一人前の理容師だね」 「就職指導も受けなきゃなあ」 「あら、実家のお店を手伝うんじゃないの?」 「俺もそのつもりでいたんだけどさ、親父が“他人の釜の飯を食え”って言ってさあ」 「素晴らしいお父様じゃないの」 「こっちにしたらウゼーよ」 「そんなこと言うもんじゃないの。社会に出たら、親のありがたみがわかるってものよ」 「ババアみたいなこと言うなよ」 「あたし、ババアだよ」 「どこが?」 「もうすぐ30だし」 「見た目からはわかんねえなぁ」 「あら、嬉し〜」 と脚を組みかえるミニスカ教諭が、燃にはひたすら悩ましい。ガン見したいけれど、童貞の悲しさ、つい目を背けてしまう。 とっさに話題を変える。 「行成先生、お見合いしたんだって?」 「な、なんでそれを知っている?!」 「女子たちがコソコソ話してた」 「あちゃ〜」 と額をおさえる水穂。 二度目の見合いは、校長が、せめて会うだけでも、と持ち掛けてきたので、断り切れず承知した。 会うには会った。 先方は水穂をかなり気に入ったようだったが、水穂は今一つピンとこなかった。女の勘が働いた。一応校長の顔を立てて、二度デートしたが、丁重に辞退させてもらった。 「相手はどんなヤツだったの?」 「なんでそれを引田クンに言わなくちゃなんないのよ」 「言いたくないならいいけどサ」 「それなりに良い人だったけど、断ったわよ」 十代の燃相手に男女の駆け引きを仕掛けてもどうしようもないので、ありのままを答えた。 「断ったのか〜」 燃の顔がパッと輝く。正直、水穂、満更でもない。 「でも先生もいつかは結婚するんだろ?」 「そりゃあするわよ。あたし、別に独身主義者じゃないし」 「でも、もう29歳だろ?」 「まだ29歳です」 「さっき自分のこと、ババアって言ってたじゃん」 「記憶にございません」 「高望みし過ぎなんじゃないの」 「あたしが結婚相手に求めるのは、フィーリングが合うかだけ」 子供が口を挟める問題じゃないの、と軽くパンチ。 「イッテ〜、この体罰教師」 「え〜い、午後の授業に遅れるわよ。早く行きなさい」 「はいはい」 こんな毎日が続けばいい、と燃は密かに思っている。 仰げば尊しわが師の恩〜 それでも終わりはやってくる。 卒業式、水穂も参列した。 他の教師たちにすすめられて、異例の袴姿で臨んだ。大学の卒業式以来の袴姿に、ちょっと照れていた。 就職先の店も決まり、燃の前途は明るい。 しかし、心はまだ保健室から飛び立てないでいる。 なのに―― 「あ、引田クン、おめでとう!」 と声をかけてくれる水穂に、 「お、おう」 とそっけなく応えて、スタコラサッサ。自己嫌悪をおぼえる。 卒業式翌日、 一般生徒はまだ登校しているので、水穂は通常通り保健室に詰めている。 とは言え、自由登校なので、出席している生徒も少なく、暇だ。 アイツも社会人生活を前に羽を伸ばしてるのかな、とニヤリ。 そうしたら、 「ちわっす」 「アイツ」がきた。 「引田クン! どうしたの?!」 「お礼参りに来たゼ」 「ふぅん、今の子も“お礼参り”なんて言葉使うんだ」 「感心してんじゃねーよ」 「あたし、引田クンに恨まれるおぼえがないなぁ」 「そういうネガティブな意味のお礼参りじゃなくって、本当に感謝の気持ちだって」 ここがなければ、俺、学校辞めてたかも知れないし、と珍しく殊勝な燃に、 「で、幾ら包んできたの?」 「悪徳教師だったのかよっ!」 「アハハハ、引田クンにしんみり来られると調子狂うのよ」 「ったくよ〜」 「どんなお礼よ? 楽しみ♪」 「俺の初めてのお客になる権利」 「床屋さんのお客?」 「そう」 「あたしの髪、切ってくれるんだ」 「約束したろ」 「したっけ?」 「したじゃんか」 だから、これからヘアーカットしてくれるという燃に、 「今?」 「そう」 「そうなんだ」 「あんまり驚いてないな」 「いや、結構驚いてるよ」 「どうせ暇なんだろ」 「うん、暇」 「じゃあ、ちょっとの間だけ、いいじゃん」 と燃は理美容科の棟に水穂を連れて行った。 そうして実習用のカット台に、水穂を座らせた。 白衣を脱ぐ暇(いとま)も与えられず、カットクロスをかぶせられる水穂。 燃はウキウキとカットの準備を始める。 「こんなとこ、他の先生に見つかったら大目玉よ」 「理美容科の卒業生が、お礼に先生の髪を切ってやるって十分美談だろう」 「まだ無免だけどね」 「それを言うなよ〜。ンで、どれくらい切る?」 「短く、思い切り短く切って!」 水穂の注文に、 「ええ?! マジかよ?! ちゃんと真面目に注文しろよ!」 「いや、あたしはいたって真面目なんだけど」 「なんでなんで、なんでさ?!」 サプライズを仕掛けて、逆に仰天させられる燃である。 「長い髪は二十代まで、って前々から決めてたから」 週末が30歳の誕生日なので、バッサリいこうと美容院に予約を入れるつもりでいたら―― 「引田クンが髪切ってくれるって言うし」 「そんなあっさり切らせんのかよ?! 俺まだ素人だよ?」 「引田クンの腕を信頼してるんだよ」 「うーん」 「早くして。あたし、今、職場放棄中なんだから」 「わかったよ。後でクレームつけても、一切取り合わねえからな」 「ああ、あたし、引田クンの初めてのオンナになるのね」 「変な言い回しやめろっ!」 とは言うものの、理容科の生徒は男子のみで、実習でも女性の髪は切ったことがない。理髪師の卵のカットモデルになってくれる女子もなかなかいない。 燃は水穂のシニヨンの髪をほどき、軽くシャンプーする。その力強さに、水穂は、ホホウと感服する。 そして、濡れたセミロングの髪をブロッキングして、ジャキッ、ジャキッ、と粗切りしていった。 髪を切る音と感触に、水穂はワクワクする。 「なんで、30歳になったら髪切るつもりだったんだ?」 「三十代は、飾らず爽やかに軽やかに、がモットーなの」 「フーン、よくわかんね」 「ま、お任せします」 燃は水穂の髪を、横はアゴのラインでスッパリ揃え、襟足も長めにとった。前髪は額でわけているのを、そのまま残した。 ジャキッ、ジャキッ、ハサミは勢いよく、水穂の髪を大胆に縮めていく。 セミロングの髪は―― みるみる払われ、整えられ、水穂はショートボブへと変身していく。 目の前の鏡でチェックしながら、 「襟足、もっと短い方がいいかなあ」 とか横髪を指さして、 「この辺まで切って」 と水穂は細かく指示を出す。 「全然“お任せ”じゃねーじゃん」 「せっかく切るなら思い切りバッサリいきたいのよ。二十代の十年間の断捨離みたいなもんよ」 ジャキジャキ――耳が半分出る。 チャッチャッチャッ――うなじがのぞく。 水穂はショートボブからショートへ。 「どう?」 「う〜ん」 瑞穂は首を傾げている。 「なーんかピンと来ないのよね」 見合いの相手と同じだ。 「面倒な客だな」 「そつがなさ過ぎるのよ。なんか、こう引田クンらしく攻めた感じにして欲しいのよね」 手袋を投げられて、燃は発奮し、 「それじゃあ――」 とバリカンを持ち出し、ブロッキングした後頭部に押し当てた。 ヴイイィイイン、ヴイィイィイイン―― ジャアァアアアァアアァア! ――バサッ、バサッ、バサッ 後頭部は3mmの長さで、なんと頭の半分以上刈り込まれた。ツーブロだ。 「いいね〜」 水穂は顔をほころばせる。バリカンは初めてだったが、さほど抵抗はなかった。むしろ望むところだった。 ブロッキングしていた髪が覆いかぶさるのを、ジャキジャキと切り、刈り上げ部分をしっかりと表に出す。小型バリカンでさらに、うなじの産毛を剃り、刈り上げ部分を丁寧に整える。 大胆かつ繊細。 サイドも同様に、 ヴイィイィィイイン―― ジャァァアアァアアァア! と一旦ツーブロにして、外側の髪を短く切り、刈り上げ部分を露出させた。そして、小型バリカンで、ジー、ジー―― トップの髪も大幅に切った。前髪も短く刈った。 シャンプーして、 ドライヤーで髪をセットする。 前髪とサイドの髪を後ろへとなでつけるように流した。そうやって、ツーブロを強調する。 刈り上げ部分と有髪部分がせめぎ合いながらも、調和を保っている。 モダンな刈り上げショート、完成! バッとシャンプークロスをはずすと、白衣。今日はビッシリバージョンだ。白衣に刈り上げショートはアクティブな印象を、見る者に与える。 水穂はこのアグレッシブな髪型がいたく気に入った。 「やるじゃん」 と燃の背中をバシバシ叩く。 「ちょっと本気出せばこんなもんよ」 燃もご満悦。 「また切ってやるよ」 と言うが、水穂は、 「こんなオバチャンより若い女の子の髪を切ってあげなさい」 と燃を押し出す。 燃はさびしかったが、これでようやく学校から、いや、保健室から、いや、水穂から卒業できた気持ちだった。 それでも、 「先生」 と振り返りざま、水穂の肩に手を伸ばし、グッと引き寄せた。水穂に顔を近づける。 水穂は困惑したが、まあ、キスぐらいならいいか、と目を閉じた。その水穂の唇に、燃は不器用に自分の唇を押し付けた。 キスなんてどれくらいぶりだろう。水穂はぼんやり思った。 キスは3秒で終わった。 「ありがとよ、行成先生」 と手を振り、燃は校舎を後にした。 燃の後ろ姿を見送り、 「……」 ちょっとセンチメンタルな気分になる水穂だ。 が、 「いけない!」 と気づいた。室内には散髪器具や切り髪が散乱している。 大急ぎで自分の髪を掃き集める。 「後片付けくらいしていきなさいよ〜」 と言いつつ。 そっと後頭部を指でなぞる ジョリ とした感触、心地よい。 くふっ、と一人笑い、また掃除を続ける。 「立つ鳥跡を濁しまくりね」 いずれ、燃にも、そして自分にも波長の合うパートナーが見つかるだろう。そして、それぞれの人生を歩んでいく。 それでいい。 あたしも婚活始めてみようかな、なんて考える瑞穂だ。 とりあえず―― 「クシュン!」 頭が寒い。 人目のないのをいいことに、軽やかにターンをキメる。 白衣の裾を翻して。 (了) あとがき リクエスト小説第8弾です♪ 今回は太郎さんのリクエストです。 いや〜、お題難し過ぎ(^^;) 二つほどリクエストを送って下さったのですが、二つともなかなかのトリッキーさでした(笑) 「理美容科のある高校で、保健室登校をしている生徒が、卒業時、お礼に担任の先生や保健室の先生の髪を切ってあげる」という趣旨で、首をひねりひねり、想を構えて、こういうストーリーになりました。 今年に入ってめっきり筆力の衰えを感じています。 会話文でお茶を濁したりしてるし〜(^^;) とにかく先細りが怖いので、ジタバタと挑戦していきます。 太郎さん、どうもありがとうございました!! 2020年の小説アップはこれで最後です。 リクエスト大会はまだまだ続きますよ〜!! 皆さん、今年も本当にありがとうございましたm(_ _)m 今年は色々大変でしたけれど、サイト的にはハッピーな一年でした♪ これも遊びに来て下さる皆様のお陰と感謝しております(-人-)(-人-) どうか来年も懲役七〇〇年をよろしくお願いいたします(*^^*) |