エルザ |
(1)猟場にて サアアァァ―― ――と樹樹が揺れる。 中から小鳥の群れが、あわただしく飛び立つ。 猟犬どもが吠え立てる。 勢子が駆け回る。 鳴り物が激しく打ち鳴らされる。 馬のいななき。 ダダダダダ、 と走獣が――飛び出す。 王太子シャルの乗り馬がまろびかける。 「あっ」 その隙に、 「御免」 と勇将アランは弓に矢をつがえ、 ひょう! と射った。 矢はあやまたず、キツネの喉首を貫く。 「お見事、アラン様」 「相変わらずの腕前ですな」 諸侯は手を拍ち、口々にアランを讃える。 「小物だな」 アランは獲物に不満そうだ。舌打ちをする。 が、シャルのそばに馬を寄せ、 「王太子殿下、本日最初の獲物をお譲り頂き、この上ない喜びです。本来ならば、第一矢は王太子たるシャル様が放たねばならぬものを、それがし、武骨者にて、大変な不調法をしでかしてしまいました。お許しあれ」 「いや、アラン、助かったよ」 シャルは首を振る。本心からありがたく思っているらしい。 「僕はこういうのは苦手なんでね」 肩を落としため息を吐くシャルに、 「情けなき仰せ哉。諸侯を束ねる王になられる御方が、そのような弱気でどうするのですか」 アランは豪快に笑い飛ばす。 「シャル、貴男には猟場より書庫が似合っていてよ」 エルザ、馬上、弟に声をかける。 ふんわりと包み込むような優しい声音で。 「なんの、酒、そして馬と弓、この三つが君主の嗜みですぞ」 「僕は三つともダメだ」 「アラン殿のたってとのお誘いで参りましたが……」 エルザは憂鬱げな表情を、彼女を想う男に向け、 「私もかような趣向は苦手です。生あるものを殺して楽しむのは――好きになれません」 アランは一瞬鼻白んだが、フン、と嗤い、 「王女殿下の御慈悲深さには頭が下がりますが、これは古来よりの慣わし。王族といえどもお口出しは無用に願いたい」 「無益なる殺生を重ねれば、ユヴァ神の御怒りに触れますわ」 「相変わらず御信心深いことだ。いっそ、修道院に入られれば如何」 「それも考えております」 三人の間に一陣の風が吹き抜ける。 「姉上、滅多なことを申されますな」 シャルは狼狽する。 からかったアランも言葉を失っている。バツ悪そうに、 「えいっ」 と馬腹を蹴り、その場を駆け去った。 いつの間にか姉弟だけになっている。 「まったく姉上にも困っちゃうなあ」 シャルは髪を掻く。戸惑い顔だ。 「普段は大人しくて淑やかなのに、突然大胆なことを言い出すんだから」 「ふふ」 とエルザは含み笑い、 戞、戞、 と馬を進めた。 初秋の陽光。 樹樹の間にエルザの姿は消えていく。 「あ、姉上、待って!」 シャルはあわててエルザの後を追う。 「まったく、いつだって、さっさと先に行っちゃうんだから」 ボヤく。 (2)城中にて エルザはマイミーの目に浮かぶ、一滴の涙を指で拭った。 「泣かないで、マイミー」 「王女殿下」 マイミーは顔を上げる。エルザは――微笑んでいた。 迷いはなく、 青空のような、 そんな笑顔。 「ルイーズも逝ってしまったわね。アラン殿もきっと覚悟を決めておられるでしょう」 願わくば、武人らしい最期を。 今度の大戦では肉親友人がそれぞれ敵味方に分かれ、殺し合った。 「ルイーズもアラン殿も、そうして貴女も各々の信ずる処に従って戦ったのです。悔やむことはないのですよ」 エルザは掌をマイミーの両肩においた。 「少女の身にこの戦争はさぞ辛かったでしょう。苦しかったでしょう。しかし、一度舞台にあがったら、幕が閉じるまで、もはや降りることはできないのですよ」 マイミーは俯く。 「ルイーズお姉さまがこの世を去って、今また王女殿下がお城を出て行ったら、アタシ……アタシ……」 「どうかシャルのこと、守ってあげてね」 王太子シャルは身体も気も弱い。武人としての能力は絶無だ。 本の虫で、優柔不断で、鈍感で、お人好しで―― アランと比して、とても「英雄」とは呼べない。 それでも、エルザは信じている。 「弟には弟にしかない能力(ちから)があります。言葉ではうまく言えないけれど――」 それでも――あるのです、とエルザはシャルを擁護した。 マイミーにもエルザが言わんとしていることが、わかるような気がする。 マイミーにもやはりうまく言えないけど。 「貴女はどう思う?」 とシャルのことを訊かれ、マイミーはしばらく黙った。 やがて、 「シャルには、平和の匂いがする」 と素直な気持ちを口にした。どういう意味なのか、だからどうなのか、それ以上は言葉にできなかったけれど。 エルザはマイミーの答えに満足そうに頷いた。 「それで可いわ」 エルザは魔界の王女だった。 憐れみ深く、 落ち着きがあり、 教養もあり、 聡明で、 そして、美しかった。 他のどの王女よりも。 だから、皆から愛されていた。慕われていた。 彼女の周りに人々は集まった。いつも賑やかだった。 しかし―― 大戦は勃発した。 四度目の相克。 マイミーの活躍で王太子軍が優勢となり、ルイーズの知略でアラン軍が盛り返し、ルイーズの死によって、ふたたび王太子軍は勢いづいた。 アランには最期のときが迫っている。 このタイミングで、今まで弟を支えてきたエルザは決意した。 もはや自分は表舞台から消えよう、と。 修道院に入ろう、と。 エルザは幼い頃から信仰心が篤かった。 求道の心。 だが、それだけではない。 彼女の心はすでに、 戦後 に向かっている。 自ら修道女になることで、大戦後の復興を担う宗教界――魔界の精神的支柱である界教の側から人々の不安を除く。 復興のための財を引き出す。 それに―― 戦後もなお、シャルの王位継承に反対する不穏分子が、万が一、自分を利用し、自分を担ぎ出そうとしないためにも。 決断は、爽やかだった。 皆止めた。懸命に翻意を促した。 しかし、エルザは静かに首を横に振るのみだった。 そして―― 今日が、旅立ちの日。 「貴女には随分助けてもらったわね」 アランがシャルと袂を分かって以来、マイミーは最前線で戦い、シャルに尽くしてきた。 「酷な役目を背負わしてしまったわね。そして、今も想い人を滅する幕引き役を押し付けて、修道院に入ること、許してね。いいえ、許さなくてもいいわ。うんと恨んでいいわ。呪っていいわ」 「そんな、恨むだなんて……」 マイミーは瞳(め)をしばたたかせる。 「修道院に入られたら、もう二度と外の世界には戻られないのでしょう?」 「そうね」 エルザは青春を、人生を、閉ざされた空間に埋める覚悟だった。 マイミーは肩をすくめ、 「やっぱりエルザはエルザだね」 といつものくだけた口調に戻った。 「魔界戦争はアタシが仕切らせてもらうよ。でも、シャルのお守はごめんだよ。他の人に任せる。アタシは戦い専門だからね」 エルザは、 是―― というように、莞爾と微笑んだ。 「ルイーズとエルザ、アタシは二人のお姉ちゃんを同時に失うんだね」 エルザを乗せた馬車が城を出たのは、それから間もなくだった。 (3)聖域にて ジャキ――ジャキッ―― ジャキ――ジャキ―― エルザの踝まである長く美しい髪が断たれたのは、その日の午後だった。 エルザは鋏を受け容れた。 晴れやかな笑顔で。 微笑すらたたえて。 鋏を執るのは――四人の修道女らだった。 彼女たちは粛々と鋏を動かした。 エルザは床に跪いて、一片の偽りも、ひとかけらの迷いもなく――髪を切られた。 髪は順順に切り伏せられ、獲られた髪は、あな無残、銀のトレイに、 一房―― ――二房、 と積み上げられていった。 それは。 まさに。 エルザの青春の形見だった。 顔の左側から、右側から、髪は消え去った。 ジャキジャキ――ジャキ―― 髪は切除されていく。 エルザの顔の輪郭が露になった。 勿論後ろの髪も、 ジャキ――ジャキ―― ジャキジャキ―― 額で分けていた髪もトップから刈られる。 ジャキ、ジャキッ――ジャキ―― ジャキ――ジャキジャキ―― 臨席した教王猊下も戦時下ゆえ厳格な面持ちを崩さなかったが、髪を切られるエルザの姿に、感じ入った様子だった。 無造作に刈られた短い髪は、坊主頭の清童を想起せしめた。 その頭にベールをかぶせられ、 エルザは持戒を誓う。 歓喜の中、 確かな信仰を胸に。 この心の内の平安が、やがて魔界中へと拡がっていきますように。 式は終わった。 エルザは修道女となった。 その一週間後、大戦は終結した。 マイミーは一騎打ちの末、アランを討った。 まだ戦の余燼がくすぶっている中、早馬は走った。 エルザは祈った。 アランの鎮魂の為に。 戦で散った多くの命の鎮魂の為に。 敵もなく、 味方もなく、 祈った。 シャルの治世の永からんことを。 魔界の平穏を。 残された人々の幸福を。 ひたすら、真っすぐに。 (了) あとがき リクエスト小説第6弾です! テンプラー星人さん、リクエストありがとうございます♪ キリスト教のバッサリ→王女がシスターになる。ポジティブな断髪、ということで書かせていただきました。 シスター断髪は映画等で結構萌え萌えしたものです。 が、チョイスに迷いました。 理由としては、@キリスト教についてはあまり知識がない Aガチのクリスチャンの方から怒られそう B神罰が怖い。等々、腰が引けちゃって。。 何せ、厳格で絶対的な一神教の世界なので、一部の形骸化した葬式仏教を諷するようにはいかない。 そこで、キリスト教っぽい架空の宗教を、ということで、またも「フェブラリーマイミー」の世界と接続しました。ルイーズの物語と対になっています。結構いいコンテンツ作ったなぁ>「フェブラリーマイミー」 ちょっと色々マンネリ化してきているので、文体を変えてみましたが、あまり効果的ではなかったですかね(^^;) ともあれ、宗教モノというより、「ひとつの青春の終わり」を描いたものと思って頂ければ幸いです(*^^*) テンプラー星人さん、どうもありがとうございました♪ |