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甚内行状記


 むかし、出羽の国庄内藩の家中に前原甚内という侍がいた。代々主君のお馬廻りを務める家柄で大過なく生涯を終えた平凡な武士であったが、この人には一風変わった習慣があった。
 城下の外れに菩提寺がある。その菩提寺で得度式があると聞けば、この甚内、早飯を食べて、朝から寺に馳せ参じ、末席に連なって、得度式の一部始終を見物させてもらうのである。その様子は傍から見ても異様で、金壷眼をギロギロと光らせ、瘧でもあるかのように体を震わせ、痘痕面を紅潮させて、列座の者たちは、何者であろう、と薄気味悪く、この招かれざる参列者を見るのであった。
「ご熱心でござるな」
と、あるとき寺の住持に冷やかされ、甚内、大汗をかいて弁解するには、
「拙者、年少の頃より出家の素志があるのですが、主君にご奉公する身なれば、それも果たせず、その代わりと言っては差しつかえがありましょうが、篤信の方が得度なされるさまを拝見し、御仏の功徳のお裾分けをいただいかせてもらおうと思っているのです」
「それはご奇特な」
 老僧は意地悪く笑い、
「それにしても女子の得度のときばかりでござるな」
「さて? そうでしたかな?」
 甚内はとぼけた。

 さて陰暦五月、また菩提寺で得度式があるという。
 得度するのは、先頃夫を亡くした、スマ、という若後家であった。スマの夫の文左衛門は甚内の朋輩であったが、落馬がもとで急逝。武士たる者が落馬死とはなんたる不面目か、と家中の評判、散々で、スマの実父源之丞もこの悪評には耐えかね、
「そなたが尼になって夫の菩提を弔い、夫の恥を雪げ」
と嫌がるスマを三日かかって説き伏せたという。
 スマは家中でも聞えた美女で、甚内も嫁入り前の彼女には、若き胸をたぎらせたものである。甚内は式の五日前から精進潔斎し、当日、余所行きの縮緬の羽織で容儀を正し、勇躍、寺へと参上した。

 白い装束に着替えたスマは仏の前に端座している。武家の妻女らしく、ことここに及んでは如何ともしがたし、と覚悟を定めた様子であった。
 だが、式が進み、「浄髪の儀」が近づくにつれ、不安と後悔が首をもたげてきたようで、導師である住職の言葉にもまったく上の空だった。
少々厠をお貸しくださいませ、と嗜みのないことを言って、スマが座をはずす。が、一向戻ってくる気配がない。何事やあらんと、様子を見にいった荒法師ふたりに引きずられるようにして、女は戻ってきた。着物の裾が乱れ、元結の形が崩れていた。
 どうやら厠に行くふりをして、逃げようとしていたらしい。スマの父は娘の見苦しい振る舞いに顔を赤くしていた。

 スマが仏前に引き据えられ、剃髪がはじまった。
 年輩の僧がスマの元結に和鋏を入れる。鋏はたっぷりとしたスマの髪と格闘しながら、ギチギチすすんでいく。
 元結が断ち切られ、ザンギリ頭になる。三宝に乗せられた元結は得体の知れぬ獣のようであった。
 僧が水をはった盥に剃刀をひたす。
 そして、女の額の生え際に剃刀をあて、後ろへひいた。ジョリジョリジョリと髪が薙がれ、スマの青い頭皮が世間に御披露目される。
 スマはつらそうに俯いている。その苦悶の表情に、甚内、思わず唾をのむ。
 僧は慣れた手つきで、スマの頭に指をのせ、手首だけ動かし、女の命を巧みに削いでいく。剃刀が移動した分、髪も移動し、青い道は広がる。
 僧はキビキビと、まるでスマの頭を拭き掃除でもするように、剃刀をひき、黒い密林を青く瑞々しい平野に変えていく。
 月代状態のスマはいつしか阿片でも嗅がされような、うっとりとした顔になって、剃髪は後頭部を残すのみとなる。
 ゾリッ、ゾリッ、ゾリッ、
 魚商人が鮮魚を三枚におろす手つきで、僧はスマの後ろ髪をまとめて剃りおろして、
 ゾリッ、ゾリッ、ゾリッ、ゾリッ、
 剃り手の手からこぼれんばかりの持ち主を失った髪は、無造作に三宝の上に置かれる。
 寒々とした坊主頭が本堂に照りかえっている。尼がひとりできあがったのである。

「のう」
 式が終わって、髪の乗った三宝を運び去ろうとする小坊主に、甚内が声をかける。
「それは一体どうするのじゃ?」
 小坊主は怪訝な面持ちで、
「箱に収めて庭に埋めますが」
「少しでよい、分けてくれぬか?」
「どうなさるのですか?」
 よいではないか、と渋る小坊主に銅銭を二枚握らせ、甚内はかつての想い人の黒髪を一房、懐に入れ、寺を辞去した。
 まさか呪詛にでも使うのではあるまいか。そんな疑惑が小坊主の脳裏をかすめた。
 甚内がその髪をどうしたのかは語らずにおく。
 断髪フェチという概念が、まだ存在しない遠い過去の話である。



                 (了)


    あとがき

「逢魔が時」に続く時代劇第二弾です。短編です。
昔って断髪フェチっていたんですかね〜。そもそも女性が髪を切るなんて習慣がないもんな〜、尼さん以外。でも尼僧の剃髪に欲望をおぼえるなんて罰当たりは、たぶんいなかったんでしょうね〜。剃髪フェチの殿様が気に入った女性の頭を丸めさせて側室にしたって記録もなさそうだし。最近の概念なんでしょうね。
「剃刀での剃髪を書いてほしい」とのリクエストを何度かいただいたのですが、やっぱり難しいです(><)




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