前髪事件 |
一条雷音(いちじょう・らいね)のような人間は、そもそも集団のトップになるべきではなかったのかも知れない。 顧問や先代がそう後悔したのは、「あの事件」が起きた直後のことだった。 雷音は名門チームと名高き丸々学園高等部女子サッカー部の一員だった。 サッカーのスキルが高く、血気盛んでかつ真面目な部員だった。それらを買われ、主将に選ばれた。 しかし、これは女子サッカー部創部以来、最悪の人事だった。 雷音は天性、憲兵的性格の持ち主だった。 部員たちの些細なミスや懈怠を見逃さず、断固として許さず、制裁を加えた。部員たちを自分の規律の檻の中に、囚人として囲い込みたがった。 雷音は秩序を愛した。 スーパーなどで商品が整然と並んでいるさまを見ると、心が落ち着いた。 たまに一個でも商品の向きが違っていたり、並びが曲がっていたら、そっとそれを直した。それで満足を得た。 スーパーの商品を相手にしているときは良かったが、雷音は人間に対しても同じことをやろうとした。 プレイにおいては勿論、部員の服装がだらしがなかったりすると、激しく叱りつけた。部室が少しでも汚れていたら、連帯責任として、下級生たちに不当なほど重いペナルティを与えた。体罰も辞さなかった。 同時に自己に授けられた権能に陶然としている雷音がいた。 雷音の周りに彼女の行為を諫める人間がいなかったことも不幸だった。副主将の二上(ふたがみ)はじめ、皆、イエスマンばかりだった。どころか、雷音式に下級生を面白半分に虐げる連中ばかりだった。 雷音が目下苛立っている問題がある。 部員の前髪の件である。 女子サッカー部ではいかにも強豪校らしく、ショートカットが義務付けられている。 当然、前髪も、 眉毛より上で揃えるべし と決まっている。 しかし、30人ほどいる下級生部員たちはそれを守っていなかった。髪型こそ短く切ってはいるが、やはり思春期真っ盛りの乙女、前髪を伸ばし、眉にかかっている者も多い。 そんな状態を雷音がスルーできるわけがない。 「どう思う?」 と二上らに諮ってみたら、 「いっぺん、キツくお灸を据えてやるのもいいんじゃないの」 「アイツら最近ブッたるんでるからね」 「新入部員どもにも部の厳しさを叩きこんでおくべきだね」 とそそのかされ、雷音もその気になった。 「一丁ヤキをいれてやるか」 早速、下級生部員には、午後8時、寮の食堂に集合するようお達しが下った。 「お前ら、最近なってないぞッ!」 集合した下級生に雷音は咆哮する。 下級生たちは震えあがる。入寮して間もない新入部員などは、初めての「説教」に、生きた空もなく、直立不動で顔を真っ青にしている。 部活動や寮生活についての細々としたことをあげつらい、唾を飛ばし、床を踏み鳴らし、握り拳をつくってわめきたてる。 雷音の「側近」たちは、主将の怒りに同調するかのように、うなずきながら、冷たい目で後輩たちを睨みつけている。 「それに前髪!」 ついに本題に入る。 「長すぎるッ!」 雷音のコメカミに青筋が浮き上がる。 「前髪は眉上で切るってキマリだろうが!」 シュンとなる下級生たち。 しかし、雷音の目には、その態度や表情が挑発的にうつった。無論、雷音の心の襞に巣食っている、嗜虐嗜好が映し出した錯覚である。 「舐めてんじゃないよ!」 雷音はヒートアップする。さらに声を荒げ、床を蹴りつける。 二年生の代表がたまりかねて、 「三日以内に切ってきますから、勘弁して下さい」 と許しを乞うが、雷音は許さない。なんと、 「今ここで切る!」 と言い出した。声にならぬ悲鳴が下級生の間に起こる。 二上たちがすぐさま鋏を調達してきた。ちゃんとした散髪鋏もあれば、工作鋏や裁縫鋏もある。 「一二年生は全員着席!」 下級生たちは狼を前にした子羊のように、ガタガタ震えながら、椅子に座った。 そんな子羊の群れに三年生たちは分け入っていき、部則に反するその前髪を切り裂いていった。 まずは雷音が直々に、二年生の代表の眉にかかる髪を切った。憤怒がカットを手荒にした。 ザクリ! と眉より5cm上に切り込んだ。 バラリ、 と前髪が落ち、太い眉毛が露出する。 その女子は強い衝撃を受けたようだったが、かろうじて声を押し殺し、加虐に耐えた。 雷音はその女子が生理的に嫌いだった。だけでなく、この間の試合のとき、ベンチにいたこの女が、しきりに前髪をいじっていたのを見逃してはいなかった。激しい憎悪の念を抱いたことをおぼえている。 怒りをこめ、短く醜く切った。 ジョキ、ジョキ、 工作鋏が右から左へジグザグと髪を食み、ギザギザの切り跡を刻印していった。 愉悦が憤怒に取って代わる。 「正義」に立脚した愉悦ほど、人の心を甘く狂わせるものはない。例えば、タレントの失言を袋叩きにして「炎上」させるような。 秩序を乱していた「悪党」が二つの太い眉を歪ませている。不本意そうだ。 雷音はその横面を、バシッ、と張って、 「“ありがとうございます”だろ!」 「ありがとうございます!」 目に涙をためつつ、叫ぶ女子。 これを皮切りに、阿鼻叫喚の惨劇が開始された。 三年生は一二年生に襲いかかり、次々と彼女らの前髪を切り刻んでいった。 校内でも屈指の美少女だったY子も、前髪をザクザクと奪われ、 「ホイ、一丁上がり」 と切り手の二上によって、幼い見た目にされ、 「ううぅ……うわあぁん!」 と号泣していた。 「ありがとうございます!」 「ありがとうございますっ!」 あちこちでデコ出し少女が出来上がっているようだ。 従順に部則を守り、ちゃんと眉上に揃えている娘もいたが、「連帯責任」で玉石ともに砕かれ、さらに短く切り詰められた。 三年生のカットも十人十色、パッツンに切る者、アーチ型のこだわる者、さまざまだ。 切っていくうちに、上級生も狂喜してくる。鋏の入れ方もどんどん過激になっていく。食堂の床は乙女たちの前髪で、黒い芝生みたいになっている。禍々しき光景だ。 「あ、ありがとうございます!」 「ありがとうございマスッ!」 クールなC恵も刈られ、ヤンキーっぽいN美も刈られた。 彼氏持ちのK美などは、先輩二人がかりで切られ、ジョキジョキ、バサバサ、と見るも無残な前髪になった。オデコ丸出しの短いその前髪は、分厚い断面を晒し、パックリと浮き上がっていた。 雷音も存分に、彼女の「正義」を行使する。 強がって微笑んでいるT子などは、格好の餌食だ。目にかかるほどの前髪がまったく忌々しい。 勢いよく鋏を入れ、思いきり切り詰めた。 ジャキジャキッ、バサッ、バサッ! T子は、あれ、あれ、と当惑した表情(かお)になり、強がりの仮面など消え失せ、同時に消え失せた前髪を惜しんで、 「くっ……くぅ……くくっ……」 と嗚咽した。嗚咽しながらも、 「あ、あっ、ありがとうございますぅぅうあああ〜ん!」 と泣き崩れた。雷音は愉快極まりない。 可愛い女の子や男好きするような女の子は、容赦なく鋏の洗礼を浴びた。 先輩連中も疲れてきて、或いは飽きてきて、最後の方になると、カットもぞんざいになっていった。 制裁が終了する頃には、食堂の床は真っ黒に――ブラウンも混じりつつ――なっていた。 少女らの広く出たオデコや顔面が、照明に反射して、食堂は一時間前より明るくなっていた。雰囲気とは真逆に。 雷音は無上の悦びに浸っていた。スーパーの商品を並べ直したときと同質の悦びだった。 皆、「あるべき形」になった。 そして、切った髪を集めて捨てるよう、彼女の囚人たちに命じた。少女たちは泣きながら、さっきまでは自分が確かに所有していた毛髪を、掃き集めはじめた。 「さて、ウチらは風呂に行くとするか」 雷音は満たされた気持ちで、凱旋将軍よろしく「側近」団を引き連れ、食堂を出て行った。 しかし、この一件は、雷音には思いも及ばぬ反作用を引き起こした。 翌朝の練習時、顧問が下級生部員の異様な髪型に気づき、彼女たちに問い質したことから、雷音たちの所業が明るみに出た。 ことは校長の耳にまで達し、雷音や二上らは教師連の聴取を受けた。 「これは指導です!」 と雷音は言い張ったが、大人には通じないし、敵わない。 明らかに昨今の流れに反している。 雷音はじめ事件の首謀者は、以後こういうことのないように、と口頭で注意され、反省文を書かされた。 ――あたしは間違ってないのに! 反省文を書くペン先が憤りで震えた。 だが、「事件」はそれで収まらなかった。 地元の新聞社が嗅ぎつけたのだ。生徒かPTAか、それとも遺恨を含んだ部員の内部告発だろう。 最悪な展開となった。 新聞記者に付きまとわれて、校長は事実を認め、 「責任者として申し訳なく思う」 と謝罪の弁を口にした。 それが活字となり、ネットニュースとなり、「事件」は全国に知れ渡ってしまった。 ――今時ありえないっしょ。 ――開いた口がふさがらない。 ――体育会系は脳みそ筋肉なヤツらばっかり。 ――立派な傷害罪。 ――髪は女の命。三年生は全員死ね。 などとネットでさんざ謗られた。 女子サッカー部のブランドも地に落ちてしまった。練習も試合も当分停止となった。 雷音は責任をとって、主将の座を辞した。 これ以上の後日談は、語らずにおく。 (了) あとがき リクエスト小説第3弾です! 今回はみそさんのリクエストで、実際にあった事件を基にしています。こういうの初めてです。 もうかなり昔の事件なのに、まだネットで当時のニュース記事、閲覧できるのね(汗)怖い怖い。若気の至りで突っ走ってしまうと、後々まで記事は残るし、変な小説書きにネタにされてしまう。皆、気をつけてくださいね! とは言え、デリケートな題材なので、だいぶ気を配りました。 今回のリクエスト企画では、無理に引き延ばしてストーリー化するより、断髪に比重を置いて、コンパクトにまとめてみようかな、と考えたりもしています。 みそさん、リクエストありがとうございました(*^^*)(*^^*) |