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断髪ジュブナイル〜金縛りにはご用心


 突然だが、アタシ――寺田窓香(てらだ・まどか)には霊感というものが、一切ない。

 仲の良いグループの女の子は、心霊スポットめぐりが大好きな娘ばかりなので、アタシも付き合いでそういうところ――トンネルやら廃屋などに行ったりしたものだ。

 その都度、他の子たちは霊の気配を感じ、奇怪な現象に怯え、ビビったり、泣いたり、パニックに陥ったりしていたが、アタシは自分でも驚くくらい何も感じなかった。

 友人らは半ば興ざめ、半ば面白がって、いつしか「霊感ゼロの女」なる二つ名をアタシに奉る始末。これには閉口した。アタシだって皆みたいに、きゃあきゃあ、怖がりたいのに。

 アタシは学校で、レスリング部に所属している。部でも一二を争う実力の持ち主だ。

 格闘技で胆力を練っているから、心霊に対して鈍感なのではないか、という人もいる。強すぎて霊も男も寄ってこない、と失敬なことをいうヤツもいる。

 自慢するつもりはないが、アタシは美形だ。大きなアーモンド型の二重まぶた、鼻筋も通り、肉付きの良い唇、歯並びだって綺麗なものだ。それらの器官がうまく整って、アタシの顔を形成している。それに、このシルクのような長くなめらかな髪、道行く人が振り返るほどの。十全なる美少女だと断言できる。

 なのに男子がアプローチしてこないのは、過剰な自意識が彼らとの間に、高い壁を作ってしまっているせいだと分析している。

 だいたいわざわざ心霊スポットなんかに行かなくとも、――

「真人君! 全体如何いうつもりなのかね! 覚悟を決めて、いざ吾輩を娶り給え!」

「ええい、ついてくるな!」

「チロル様、どうかご自重して下さいよ〜」

「わかってるって、魔法は一日三回までにしておくよ」

「いやいやいや、そういう意味じゃなくて」

 うちの学校変な連中ばっかりだし。



 そんなアタシが「彼女」と出会ったのは、そう、あれは、二年生になってまだそれほど経っていない頃のことだった。

 うちの学校の一角には、木造の校舎が一部ある。平屋建てのその建築は、前の校舎が取り壊された際、そこだけは破却を免れて(理由は知らない。当時の理事長の希望でという説もある)、一種の「遺跡」として、21世紀の今日まで、忘れ去られたようにポツンと残されている。

 不気味がる生徒も少なくないが、アタシは何故かこの旧校舎に、ノスタルジーめいた愛着をおぼえていた。

 アタシは誘惑に抗しきれず、立ち入り禁止のその旧校舎に足を踏み入れた。

 建物は老朽化が進行しているが、中はきれいなものだった。空気も清涼だった。ただ木々の陰になっていて、全体的に薄暗かった。

 廊下を歩くと、ミシミシと床板が軋んだ。まるで大正時代の女生徒にでもなったような気分だ。

 教室をのぞくと黒板があった。木の椅子や机も、当時のまま並んでいた。

 アタシはなんとなく床にうつぶせになった。ひんやりとした感触、つるりとした感触、そして独特の匂いにアタシはウットリとなった。何かにくるまれているような、そんな安堵感があった。

「!」

 アタシはある気配を察知した。

 ――誰かいる!

 こんな格好でいて、変なヤツ、と思われたら恥ずかしい。あわてて上体を起こし、気配のする方を振り仰いだ。

 が、誰もいない。

 ――気のせいか。

 ホッとした途端、また誰かの気配。

 何者かの影が、サッと教室に滑り込む。スカートの裾がチラリと見えた。

 ―― 一体誰?

 アタシは反射的にその影を追って、教室に入った。

 女の子がいた。

 アタシと同じ年頃みたいだ。美しい顔立ちの娘だった。小柄だ。長い髪をおさげにしている。知らない制服だ。緑色を基調としたセーラー服、他校の生徒らしい。

「あんた誰?」

「……」

 女の子は答えない。悪戯っぽく微笑み、またセーラー服のスカートを翻すと、今度は後ろの入り口から廊下へ駆け出していく。

 アタシもあわてて廊下に出た。

 しかし、そこには猫の子一匹いなかった。旧校舎は、しん、と静まり返り、ホコリ一つたっていない。

 アタシはぞっとした。

 生まれて初めて幽霊というものを見てしまった。「霊感ゼロの女」のくせに。

 午後の授業のチャイムが鳴った。



 勿論、この一件について友人たちに話した。

 だが、皆、

「またまた〜」

「今更、霊感アピールしたって遅いよ」

と笑って取り合ってくれない。イメージというのは厄介だ。霊感ゼロのレッテルを貼られているアタシが、幾ら言い募っても、逆にガセネタ扱いされてしまう。

「窓香、幽霊っていうのは夜出るものと相場が決まっているんだよ」

とレスリング部でアタシと最強の座を争っている長久手乃梨子(ながくて・のりこ)が、憎々しげに話に割り込んでくる。

「悔しかったら、証拠の一つや二つ持ってこいっての」

「るっさい、ゴリ子!」

「誰がゴリ子だよっ! そのチャラチャラしたロン毛切れよ!」

 だからアンタはレスリング部でも伸び悩んでるんだよ、とイヤなことを言われる。

「やんのか、コノヤロー!」

「上等だ!」

「まあまあ、二人ともやめなって」

と周りが止めなければ、教室がリングになるところだった。



 その夜、アタシは兄に、

「こんな女の子の幽霊を見た」

とイラストに描いて見せた。

「お前、絵、ド下手だな」

と兄は呆れながら、イラストを矯めつ眇めつしていたが、

「この制服……もしかしたら……このあたりが緑色だったんだろ?」

「うん」

「これは……」

「わかるの、兄ちゃん? さすが女子制服マニア!」

「うるさいな。この制服は昔の海部野下深(うみべのかふか)高校の制服じゃないか?」

「ええ? うちの高校?!」

「それも何十年も前のやつだ。おふくろがこれ着ている写真を見たことがある」

「ああ、お母さんも海部野下深高校のOBだったんだっけ」

 母はアタシが幼い頃、病気で亡くなった。美しい人だったとおぼろげながら記憶がある。

 祖父母はアタシを見ては、若い頃の母に生き写しだ、と口を揃えて言う。ならば、アタシはやはり美しいのだろう。まあ、それはいい。

 あの女の子の幽霊は、アタシの学校の生徒だったのだろう。



 翌日、昼休み、アタシは旧校舎の床を踏みしめていた。

 スマホを握りしめる。

 幽霊の写真を撮って、証拠として友人やゴリ子につき付けてやる。

 怖くはあったが、もう一度あの少女に会いたくもあった。不思議な気持ちだ。

 教室の隅々までチェックする。あ、黒板の日付が昭和だ。

 壁の落書きや傷を愛でるように見て回る。過去への旅人になりかけてしまう。

 壁の隅、誰にも見つからないように、ヒッソリと相合傘が彫り刻まれていた。

「古〜」

と言いながら、どんなカップルだ?と興深く名前を指でなぞる。

 右に美冬、と刻まれ、左に佐知子、と彫られている。

 ――佐知子って……。

 母と同じ名前だ。しかも、

 ――女同士?!

 不意に人の気配! 昨日と同じ気配だ。

 ――来たあああー!

 急いでスマホを向けようとするが、

 ――あれ? あれっ?!

 身体が動かない。指一本ですら動かせない。

 ――も、もしかして、これって「金縛り」ってやつ?!

 どっと冷や汗が出た。南無三!

 気が付けばアタシは昨日の少女に、背後から掻い抱かれていた。ゾワッと鳥肌が立つ……ところだが、何故だかすごく落ち着くものを感じた。

 その耳元で、

「佐和子、また会えるなんて嬉しいわ」

と幽霊少女は囁く。

「あ、あなた、誰?」

 ようやく言葉を搾り出す。

「忘れちゃったの?」

 幽霊は失望したようだったが、

「アタシよ、月本美冬(つきもと・みふゆ)」

「月本……美冬……さん」

「本当に忘れちゃったの、佐知子。私たち、いつもこんなふうに愛し合っていたじゃない」

 美冬はアタシの首筋に軽くキスをした。アタシは歯を鳴らしながら、

「ひ、人違いです」

「嘘つき」

 美冬は子供みたく、ベーと舌を突き出した。

「さ、佐知子はたぶんアタシの母親です。米崎佐和子(よねざき・さちこ)ですよね?」

と母の旧姓を口にしたら、ビンゴだった。

「じゃあ、貴女は――」

 美冬はアタシの顔をのぞきこむ。

「米崎佐知子の娘の寺田窓香です」

「まあ!」

 美冬は目を瞠った。

「佐知子、結婚したの?!」

 美冬の顔に憤慨の色が浮かぶ。

「お陰で今のアタシがいます」

 次の瞬間、金縛りはとけた。床に尻餅をつくようにへたり込むアタシ。

「佐知子の娘がこんな年齢になるなんて……ここにいると、時間の感覚が失われてしまうわ」

 美冬はため息をついた。



 結局、午後の授業には出られなかった。

 アタシは家に帰らず、二駅離れた母の実家を訪ねた。母の遺品の中から、母の高校時代の卒業アルバムを探し当てた。

 ドキドキしながらページを開く。

 高校生の母は本当にアタシと瓜二つだった。ビックリした。違いといえば、母はショートカットでアタシはロングヘアーというところぐらいだ。

 アタシは旧3年C組の生徒を一人一人チェックしていった。

 ――いた!

 月本美冬。たしかにあの幽霊だ! 緑のセーラー服に長いおさげ髪、美しく、でも幸薄そうな顔立ち。他の写真の子たちは皆笑っているのに、彼女だけは、スンとした表情をしている。

「ねえ、おばあちゃん」

 アタシは祖母に訊ねた。

「なんだい?」

「この月本美冬って子、お母さんの友達?」

 祖母は懐かしい名前を聞いたという顔をした。

「なんで知ってるの?」

「ちょっとね」

とアタシは言葉を濁し、

「で、月本美冬さんのことなんだけど――」

「美冬ちゃんね」

 確かに母と美冬は友人だったらしい。

「いつも一緒にいたわ。変な噂がたつくらい」

「変な噂?」

「今はLGBTっていうんだっけ、男同士とか女同士で……ねえ、でも、当時はまだそういう言葉もなくって、白眼視されててね、面白半分に尾ひれのついた話が広まっちゃって……」

 祖母は歯切れ悪く言う。

「それで、美冬さんはどうなったの?」

「卒業式の直前に図書館で本棚が倒れてきてね、その下敷きになって……。進路も決まっていたのに、かわいそうに」

「お母さんはショックを受けた?」

「そりゃあひどいもんだったよ。半年も部屋に閉じこもって、誰とも口をきかずにいたよ。あたしもおじいちゃんも辛かったわ。後追い自殺でもしかねない様子だったからね」

 その後、母は独身の状態が長く続いた。なかなか結婚を承知せず、一生独り身を貫くつもりだったらしい。

 それでも周囲の強い勧めと相手の人柄に心を動かされ、ついに花嫁となり、アタシが生まれた。

 やはり長い間、美冬さんの存在が心を占めていたのだろう。

「おばあちゃん、ありがとう。アタシ帰るね」

「夕飯食べていきなさいよ」

「いいの、いいの。兄ちゃんがお腹空かせているだろうし」



 それからアタシと美冬の幽霊は、放課後の旧校舎で「逢瀬」を重ねた。

「会いたかったわ、窓香」

「アタシもだよ、美冬」

 抱擁を交わす。キスを交わす。

「佐知子は私の知らない男の人と結婚したのね」

「そんな恨むような眼をしないで。お母さんは美冬の死で随分苦しんだんだよ。結婚だって美冬がいなくなってから十年以上もずっと拒んできたんだって」

「そう、なの?」

「誰も悪くないんだよ」

「誰も?」

「そう」

「そうね」

 またフレンチキス。どうしてだろう、幽霊の美冬とのキスはリアルに感じられる。アタシは段々と美冬の世界の住人になりつつあるのだろうか。

 アタシは美しいものが好きだ。自分自身も含めて。

 むくつけき男子と生々しく獣じみた不潔な行為に及ぶより、美少女の美冬と互いを愛で合う方がずっと楽しい。心やすらぎ、心浮きたち、心癒される。

 もしかしたら、最後に代償として、魂を奪われてしまうかも知れない。神様に罰せられるかも知れない。それでも構わない。罰への恐れすら甘美に思える。心の中の安全弁はすでに外れている。

「美冬、美冬」

とアタシは美冬を求める。

「好きだよ、美冬」

「私もよ、窓香」

 アタシがこの木造の校舎に惹かれたのも、こんなにも美冬に夢中になるのも、きっとアタシの中に眠る母の遺伝子のせいなのだろう。

 美冬はアタシに、母のように髪を短く切るように何度もすすめてきた。しかし、アタシはいつだって、美冬の望みを斥け続けてきた。

「アタシは寺田窓香であって、米崎佐知子ではないんだよ」

と。

 美冬との秘め事にかまけて、アタシはずっと部活動をサボっていた。

 顧問も先輩方もだいぶオカンムリらしい。が、アタシはレスリングへの情熱を失いかけていた。美冬と過ごす時間の方がずっと大切だった。



 しかし、揺り戻しは一気にきた。

 ゴリ子、いや、乃梨子からの果たし状という形をとって。

 一対一のレスリング対決。

「もし、アンタが勝ったら卒業までアンタのパシリになるよ。でももしアタシが勝ったら、そのチャラいロン毛、バッサリ切ってもらうよ」

と挑まれ、相手がゴリ子では逃げるわけにはいかない。

「勝負は明日の放課後、体育館で。首洗って、いや、髪洗って待ってろよ」

「そっちこそコキ使ってやるから覚悟しとけ」



「明日は会えない」

と美冬にことわりを入れる。

「どうして?」

「めんどくさいことになってさ」

とゴリ子との決闘の話をすると、

「ふうん」

 美冬はそう言って、結局その話はそこで終わってしまった。応援の言葉を期待していたが、期待外れだった。



 アタシと長久手乃梨子との対戦には、バカみたいに大勢のギャラリーが詰めかけた。

「さあ、いよいよ世紀の戦いの火ぶたが切って落とされようとしています。ここ海部野下深高校体育館は、ものすごい熱気であります!」

と実況のアナウンス研の春日部は、唾を飛ばして舌を振るう。

「解説の岩松さん、この一戦どうご覧になりますか?」

「まあ、両者とも実力が伯仲していますからねえ。しかし、ゴリ子、いや、長久手乃梨子選手がパシリになろうがなるまいが全然どうでもいいですね。やはりね、寺田窓香選手のあのロングヘアーがどうなるのかが気になりますね。意外に多い寺田選手の男子ファンは、切られないでくれ〜!と祈るような気持ちでしょうけれど、その逆を――つまり寺田選手の断髪が見たいというのがね、多くの観客の残酷な本音でしょうね〜。俺も見たい! 見たいっ!」

「岩松さん、落ち着いて下さい。さア、岩松さんだけでなく、会場のボルテージが上がって参りました。両者入場です」

 レスリングのユニフォームを着けた二人が、円形マットへ。

「岩松さん、寺田選手が何か抗議してますね」

「審判団が全員、レスリング部の三年生ですからね、練習をサボりがちな寺田選手には不利な状況ですね。と言っても他にジャッジできる人もいませんし、これは寺田選手の自業自得でしょう」

 完全にアウェーな状態。アタシはあきらめるしかない。連中の、ぐぅの音も出ないほどの完勝をおさめるしかない。

 アタシもゴリ子も必死だ。互いにさぐりさぐりの地味な戦いになる。

「やる気出せ!」

「もっと攻めていけ!」

「くぅ〜、血が騒ぐね。アタシも乱入しよっかな」

「十和子先輩、無茶しないで下さい」

 外野は無責任に言う。こっちは女の命がかかってるんだよ!

 ゴリ子が攻勢に転じる。タックル!

 アタシは老獪にそれをかわし、逆にガッチリと技をかけ、短期決戦とばかりにもっていこうとする。

 しかしゴリ子もそう簡単にフォールを許すはずもない。激しい攻防になった。二人とも汗だくになる。

 ――いざっ!

 アタシは渾身の力を振り絞り、ゴリ子にタックルをくらわせ……ようとしたら、

「何?!」

 身体が動かない。

 ――えっ? えっ?

 アタシは狼狽した。この感覚は――

 ――金縛り!!

 ハッと目を動かすと、観衆の中に緑のセーラー服の少女――そう、美冬が立っていた。

 ――ちょっと! 美冬!! どういうつもりなの?!

 その隙をつかれ、ゴリ子がアタシにタックル。

 そして、フォールをきめられた。

 アタシの完敗だった。

 うおおおぉぉ、とどよめきが起こる。

 ――こんなのアリ〜?!

「最後はあっけなかったですね、岩松さん」

「寺田選手は突然戦意を喪失していましたね。何があったんですかねえ。しかし、これから寺田選手、いや、窓香タンの髪がバッサリいかれるのかと思うと胸熱すぎますね。うぉ〜、たまんねッス! 俺も動画撮ろうっと」

「以上で実況を終わります」

 その場で断髪式が執行された。

 アタシはマット上の椅子に引き据えられた。

 本当は敗けたら、プライドも外聞もなく、まさに逃げるは恥だが役に立つ、猛ダッシュで遁走して、約定をうやむやにしてしまおうという心算だったが、

「ちょ・・・ちょっと・・・み、美冬、どういうつもりなの?」

 そう、美冬がアタシの隣にピッタリくっついて、アタシは金縛りのまま、微動だにできずにいる。

「何でこんなトコに美冬がいるんだよ」

「出張」

と美冬は短く答え、ニヤリと笑う。

「アンタ、アタシに髪を切らせるために、アタシを敗けさせたね?」

「ご名答」

 美冬の声は弾んでいる。

「アタシは寺田窓香であって、米崎佐知子じゃないんだよ」

「それはもう聞き飽きたわ」

「うぬぬ」

「おい、寺田ぁ、さっきからナニ、ブツブツ独り言言ってんだよ。絶賛現実逃避中か?」

 他の連中には美冬は見えないらしい。

 「霊感ゼロの女」のアタシだけには見える。感じる。話せる。不思議極まりない。

「しかし、まあ、従順にカットを受けるとはいい度胸だな。てっきり逃げ出すかと思ってたぞ」

 いや、逃げる気満々だったんだけどね。

 ゴリ子や先輩たちは目を爛々と輝かせ、手に手にハサミやバリカンを持ち、硬直しているアタシを取り囲む。いよいよ凄惨な祭が始まる。

 ――うわああああ!!

 アタシは青ざめる。

「さあ、その糞ロン毛、刈り込んでやるぞ」

「み、短くしないでぇ〜」

「ベリーベリーベリーショートにしてやんよ」

 ゴリ子はアタシの左の耳の上に、ハサミを跨がせる。

「やめてっ! やめてっ! やめてっ!」

 アタシは生きた心地もない。

 ジャ、キン!

 ハサミは非情に閉じた。

 バサッ!

 大量の髪が切って落とされる。

 ――うぎゃああああ!

 心臓がとまりそうになるくらいのショック。

 さらに先輩たちが入れ代わり立ち代わり、一房、二房、とハサミでロングヘアーを切り刻んでいく。

「ちょっと、どいてよ。動画撮れない!」

「こりゃインスタ映えするぜぇ!」

「ヤバイ、ヤバイ!」

 観衆たちは、スマホなどで、断髪儀式のありさまを録画&撮影している。異様な光景すぎる。

 長い髪の毛は全て切り落とされた。

 歪なマッシュルームカットになるアタシ。

 しかし、ゴリ子たちはまだ満足しない。

 バリカンでバックとサイドの髪が刈り上げられる。

 ――あぁ……あぁ……なんでぇ〜!

「あっ、寺田泣いてるぅ」

 そりゃあ涙も出る。長い間キープしていた自慢の髪が、こんな野蛮に刈り獲られていっているのだ。

 ウィーン、ウィーン、ジャアァアァアアアアァ!

 ウィーン、ウィーン、ジャアアアァアアァアァァ!

 バリカンの上昇運動を地肌に感じ、バリカンの通った後の寂寞たる心細いほどの涼感、そしてバラバラと毀たれ落ちていく髪たちに、アタシは震えあがる。

 バリカンを散々押し当てられ、その圧が、その熱が、後頭部を、側頭部を、ぶるぶる振動させる。

 ユニフォームに、汗ばんだ肌に、切り髪がくっつく。

 ――アタシの美少女人生……終わった……。

 落髪にまみれ、遠ざかる意識の中思った。

 前髪はおろか、トップの髪まで横や後ろに合わせ、短く刈られた。

 短髪とレスリングのユニフォームは、絶妙な組み合わせだった。

「頑張れー、窓香!」

「レスリング部の星になれ〜!」

「いい試合だったぞ〜!」

「感動をありがとう!」

「金貸してくれ〜!」

 野次馬がうるさい。アタシはショックのあまり軽い貧血を起こして、椅子から転げ落ちた。



「コラー、アホ美冬!」

と呼ばわっても美冬は姿を見せない。

 昨夜は一晩中泣いた。

 泣き腫らした目で、それでも美冬に文句のひとつ、いや百個も言いたくて、旧校舎に乗り込んだ。

 が、

「美冬! 美冬!」

 幾ら呼んでも美冬は現れない。

 アタシはちょっと不安になった。

 廊下を探す。下足箱を探す。教室を探す。

「美冬! 美冬!」

 しかし、美冬はいない。気配すら感じない。一体どうしたのだろう。

 ふと黒板を見ると端っこに、

 ごめんね、サヨナラ

とチョークで書かれていた。

 ――美冬の字だ!

 ハッと直感でわかった。美冬からアタシへのメッセージ。

「美冬……」

 アタシは立ち尽くす。

 アタシが亡き母と同じショートカットになったことで、美冬の心も満たされ、ようやく成仏できたのだろうか。

 でも――

「美冬……美冬……急にいなくなっちゃうなんて……ヒドイ、ヒドイよぉ〜」

 枯れ果てたはずの涙が湧き上がってくる。

「美冬!」

 アタシの叫びは木造の空間に虚しく溶けていく。

 アタシは泣き伏した。

 美冬はもういないのだ。



 それから数日後――

「ちょっと、美冬。なんでまた急に戻って来たのよ」

「いや〜、めんごめんご」

「古っ!」

 アタシは美冬を難詰する。

「アタシ大泣きしたんだからね。あの涙返せ」

「私も成仏するつもりだったのよ。でも長年幽霊やってきたから、成仏するにも色々と手続きがややこしくてね。閻魔庁もお役所仕事であちこちタライ回しされるし、待機亡者も山ほどいるし、ホラ見て、受付番号7582290419だって。じゃあ、まだ成仏はしないでおこうと思って」

 それにしても、と美冬は幸福に含み笑い、

「窓香、短い髪似合ってるわね。ホント佐知子みたい」

「これはこれで大泣きしたよ。アンタ、アタシに何リットルの涙を流させれば気が済むわけ?」

「ちょっとした出来心だったのよ、許して、窓香」

 そう言って、美冬は潤んだ目で、アタシをじっと見つめてくる。これには弱い。

「美冬、陰険で自己中で何を考えてるかわからないけど、好きだよ」

「窓香、単純で泣き虫で霊感全然ないけど、好きよ」

 アタシたちは移りゆく季節の中で、静かに抱擁する。

 いつかは離れ離れになってしまう二人。だから、刹那的なくらいアタシたちは「今」を生き、「今」を積み重ねていく。それが果たして「正解」なのかはわかんない。でも、たぶんきっとカップルの数だけ「正解」はあるのだろう。

 ――今ハ唯ヒタスラニ君ヲ愛ス。

 抱擁からの、キス。

 遠くでチャイムが鳴っている。




         (了)






    あとがき

 暁晃さんからのリクエストです♪
 「ジュブナイルシリーズ」「バトルに負けてバッサリ」「百合要素」ということで、書かせて頂きました。
 ジュブナイルシリーズ第六弾は「幽霊」です。
 このストーリーには元ネタがあってですね、昔、古本屋で見つけた「ゆめのかよいじ」(大野安之)という80年代の漫画が好きで好きで。女子高生と木造校舎に棲む少女の幽霊とのレズレズを描いたものなんですけど、2000年代には改訂版も出ています。それをヒントに書かせて頂きました♪
 今回はリクエストめっちゃ多かった(^^;) コロナ禍の影響なのか?!
 結構な長さになってしまいましたが、「ジュブナイル」シリーズをまた書くことができて、嬉しかったです(*^^*)
 暁晃さん、リクエストどうもありがとうございました!



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