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図書館では教えてくれない、天使の秘密・第三章〜少女が掟に叛く時


  (T)劇場


 ハルコはせせら笑った。

「馬脚を露したわね。インスタント探偵さん」

とモッズ風スーツ姿の田中南(たなか・みなみ)の推理の穴を指摘する。

「私も水道橋さんも一昨日初めて会ったばかりなのよ。そんな私たちが共謀して殺人を犯すなんて、飛躍もほどほどにして」

 南は怯むことなく、クールな視線を水道橋に向ける。

「水道橋さん、貴男は昨日、山里夕子さんにこう言いましたよね。“夕子、ハルコさんもこう言ってるし、少し部屋で横になっていたらいい”と。“ハルコさん”ってハッキリと仰った。私たちは最初に貴男にお会いしたとき、苗字しか名乗りませんでした。その杉さんのファーストネームを、貴男はサラリと口にした」

「そ、それは、その後で書類を見て……」

「その書類にも私と杉さんは姓しか記載されていません。よしんば書類で目にしたとしても、杉さんの名前は“明子”で、普通なら“あきこ”と読んでしまうところを、貴男は実に自然に“ハルコさん”と呼んだ」

 南は水道橋の主張をあっさりと粉砕し、地味なフレームの眼鏡をクイッと指であげた。その口元には、小鳥を狙う猛禽類を連想させる嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 周囲に集まった事件の関係者たちはざわめき、水道橋とハルコをまじまじと見る。

 ざわめきが収まるのを待って、

「貴男と杉さんはずっと以前からの知り合いです。いいえ、単なる知り合い以上の関係です。しかし、計画していた犯行をやり遂げるため、私たちの前で初対面のフリをした。違いますか?」

「違う! 違う!」

 水道橋は南に追い込まれながらも、首を振って否定する。

「貴男と杉さんの過去、一見交わるはずのない二つの人生が一度だけ交差した。それが八年前の“久世病院事件”です。そのあらましをお話しましょうか?」

 ハルコと水道橋の顔は青ざめている。

 田中南はその端正で美しく聡明な顔から笑みを消し、

「証人を呼びましょう。探すのに苦労しました。今こそ、今回の事件の全貌が、ある一族の数奇な運命が、白日の下にさらされるのです!」

と指を鳴らした。

 一人の女性が部屋に入ってきた。

「鍋島さんです」

と南に紹介され、鍋島という地味な女性はおずおずと一礼する。

 ハルコと水道橋は今はもう寄り添い合い、震えがとまらないでいる。

「鍋島さん、貴女は八年前、久世病院で看護師をしていらっしゃいましたね?」

 南に訊かれ、

「は、はい」

 鍋島は今にも消え入りそうな声で答える。

「“あの事件”のあった7月7日、貴女は当直で、病院に詰めていた。そうですね?」

「……は、はい」

 鍋島の顔も血の気を失っていた。

「あの夜、病院で貴女の見たことを、今ここでお話しして下さい」

と南に迫られ、鍋島は、

「……あの……ええと、そのぅ……え〜と……」

 言いよどみ、挙句、

「すみません! すみません! 無理です! 私、やっぱり無理です!」

 あ〜、と一同はガックリ。

「ストップ、ストップ!」

 舞台監督の陽司(ようじ)は舞台に跳び上がってくる。

「夏越さん、だっけ? 頼むゼ、この鍋島役の証言が事件解決の決定打になるんだからさ」

「いや、無理ですってば! 私、演技経験なんてゼロだし、台詞も多いし」

「これでもだいぶ君の台詞は削ったんだぜ」

「いやいや、そもそも私、南先輩に用事があって来ただけで、いきなり舞台出演なんて、無茶にもほどがありますよ〜」

 南は舞監と夏越千早(なごし・ちはや)のやりとりゾーンから、スーッと身をひいて、パラパラと台本をチェックしている。

「ちょっと、南先輩、何とか言って下さいよォ〜」

との千早のSOSを華麗にスルーするも、

「南先輩〜」

と再度救いを求められると、ハア、と肩を落としてため息を吐き、

「垣田(かきた=舞監)クン、その娘には荷が重すぎるよ。他に演劇部員でやれそうな娘を抜擢するべきだよ」

とようやく助け船を出してくれた。

「せっかく物語のキーになるオイシイ役なのになぁ。まあ、田中さんがそういうなら、おーい、金城(かなしろ)〜」

と陽司は照明係の助手をしていた少女を呼び、

「君が鍋島役をやれ」

と命じた。

「私が?!」

「衣装はちょっとキツイかも知れないけど我慢してくれ」

「は、はい」

と喜びと不安のサンドイッチ状態の女子部員をよそに、

「それじゃあ、少し休憩!」

 部員たちは散っていく。

「田中さん、演技上手いね!」

「女優方面の才能もあるなんてビックリしたわ」

「まさに天は二物を与えたねえ」

とたちまち南は女生徒たちに囲まれる。相変わらずモテモテだ。

 が、南は、

「ちょっとごめん、中学の後輩が来てるから」

と日頃の鍛錬の賜物、巧みなフットワークで「ファン」たちを振り切り、千早のところへ。

「千早、何の用なの?」

「ちょっと待って下さい。衣装を返さないと」

と舞台袖へドタバタとはける「弟子」に、

「3分待つ」

 千早は猛ダッシュ。走りながら、

 ――何やってんだろ、アタシ。

 頭を抱えたくなる。



 南は今年の春、中学を卒業し、進学校である某高等学校に入学、そこでもバレーボールを続けている。

 そんな南が何故、舞台上で謎解きなどやっているのかというと――

 演劇部の部長が生徒会長と懇意で、南を学園祭の舞台に出演させてくれたら、女子バレー部の部費増額についても進言してくれるというので、バレー部長に命ぜられ、渋々演劇部にレンタルされているとのこと。

 モデル並みに背が高く、美貌のうえ、台詞おぼえもよく、声も良く通る南は、その眠っていた女優の才能を開花させつつある。

「こりゃ、学園祭でファン倍増だなあ」

と誰かが話しているのが、千早の耳に入った。

 ――私はその田中南先輩の「愛弟子」なのよ。

とちょっと得意になったりもする。

 相談があって、南の許を訪ねてみたら、ゲネリハ中、しかも出演者の一人が骨折して舞台に出られなくなり、丁度、衣装のサイズがピッタリだった千早がいきなりキャスティングされてしまった。

 しかし30分も経たぬうちに降板、女優への道は険しい。



 2分58秒で南のところに取って返した。

「どうしたの、急に?」

 南に尋ねられ、

「中学のバレー部のことなんですけど」

「うん」

「実は困ったことが起きて――」

 言いかけたとき、

「そんじゃ、休憩終了!」

 陽司の声。

「え〜、短すぎるよ〜」

 出演者の不満に、

「上演まで時間がないんだよ」

と陽司は言い、

「さあ、田中さんも」

「ああ、うん」

 用件を言い出せないまま、南はまた舞台へと駆り出される。

 ――ちょっと、ちょっとぉ〜!

 千早、周章狼狽。

 南は千早に振り向き、その唇を動かした。

 ア・ト・デ・イ・エ・デ

と。

 千早は微笑して、

 ――ラジャー♪

と親指を立てた。


   (U)人間


 千早の悩みは深い。

 原因は、今年の4月にバレー部に入部してきた少女のこと。

 薬師寺葵(やくしじ・あおい)。

 この少女の登場は、千早たちのバレーボール部に大きな波紋を投げかけた。

 バレー部には奇妙な風習がある。

 仮入部した新入部員は漏れなく、先輩たちに、髪を「切るな」と言われる。

 そうして、いよいよ本入部が決まると、新入部員は先輩部員によって、髪をバサバサと短く切られる。

 以降、下級生は上級生に散髪される。あるいは同級生同士で切り合う。

 誰もが最初は疑問や抵抗を抱くが、慣れてきたら、ごっこ遊びのように、切ったり切られたりを楽しみはじめる。

 人気のある先輩には、カットのご指名が殺到するし、先輩らもカワイイ後輩の髪を切りたがる。

 千早も他者に対して心を閉ざしていた南に、体当たりするように頼み込み、髪をカットしてもらっていた。バリカンで(汗)

 流石に今は同級生(3年生は部活を卒業)に鋏でカットしてもらっている。

 そうした部の慣習を、薬師寺葵は敢然と拒絶したのである。

 最初の断髪の時――校舎の廊下に並べられた椅子に新入部員が座らされ、先輩たちが彼女らの髪に鋏を入れようとした、その時、それは起こった。

「アタシは髪を切りません!」

 葵は椅子から立ち上がり、きっぱりと言い放った。

「バレー部も辞めません!」

とも宣言した。

「こんなこと、ナンセンスですッ! 考えらんない!」

 葵は一昨年までアメリカで暮らしていた。考え方もアメリカナイズされていた。自由を愛し、平等を望んだ。日本的な画一性や上下関係に猛反発していた。

「なんで日本の中学には制服なんてもんがあるのかなあ」

と忌々しそうに誰かに話しているのを、千早も耳にしたことがある。

 制服さえ嫌悪する葵が、断髪を承知するはずがない。

 長いフワフワの髪をたなびかせ、眦(まなじり)を決し、「悪習」を真正面から拒否する葵の出現によって、新入部員は驚き、先輩部員はたじろいだ。

 無理やり押さえつけて断髪させようか、との密議がこらされたこともあったが、葵の父親が人権派の敏腕弁護士と知るや、腰砕けに終わってしまった。

 顧問は何も言わなかった。

 元々断髪云々は「規則」ではない。部員間で自然発生的に始まった慣わしなので、強制力はない。

 こうなると新入部員は動揺する。

「髪切る必要なくない?」

とヒソヒソ話している。

 慣習に従って大人しく髪を切った自分たちよりも、断髪をピシャリと拒んだ葵の方がカッコイイ、というムードが出来てくる。先輩に対しても反抗的になる。

 葵を退部させようという動きもあったが、葵はそんなパワハラを跳ね返すだけの強靭な意志があった。実力もあった。新入部員の中で葵が一番背が高く、群を抜いてうまかった。いずれはバレー部を背負って立つ逸材だと、衆目は一致している。

 結句、葵は周囲からの圧力や嫌がらせを、実力でねじ伏せてしまった。

 ますますカッコイイ、と同級生たちは葵を仰ぎ見る。

 バレー部以外の葵のシンパたちも、

「葵、絶対髪切らないでよ」

と応援している。

「誰が切るもんか」

と葵も威勢よく応えている。

 葵のフワフワロングヘアー、それがバレー部をガタガタにしている。



「そんなもんでガタガタになるなら、その程度の部だったんだよ」

 机に腰を下ろした南は、冷たく突き放す。

 南の部屋、ここに入ることの許された人間は――家族や幼なじみの加東明美をのぞくと――地球上で千早ただ一人である。

「南先輩には愛部精神てものがないんですか〜」

 ベッドに腰かけた千早は不満そうに、手近にあったペンギンのヌイグルミを無心に振り回す。

「ああっ! ちょっとっ! 大吉を振り回さないでっ!」

 南はあわふためいて、千早の手からヌイグルミを奪還する。乙女の表情になっている。

「あ、すいません」

「大丈夫、大吉君、怖かったね? ビックリしちゃったねぇ? お〜、よちよち♪」

 ペンギンのヌイグルミに南は甘〜い声で話しかける。ヌイグルミと会話する南を知る者もまた千早だけだろう。

 南の部屋は相も変わらず少女趣味全開だ。ピンクを基調として、ヌイグルミがいっぱい、本棚にはコバルト文庫や少女マンガなどがギッシリ。あちこちレースのフリフリや可愛らしい刺繍が。南が人を招きたくないのもわかる。イメージが崩壊し尽くしてしまう。

「南先輩、最近“やおい”にも手を出してるんですね」

「ち、違うのっ! それはネット友達からすすめられて、話を合わせるために買ったのっ! ってか、勝手に人の部屋の本棚をあさるなっ!」

 オロオロ真っ赤になって千早を制する南、完全に翻弄されている。

「ま、そういうことは、ひとまず置いといて――」

「そ、そうだよ、バレー部の話だよ。ホント困ったことになったねえ」

「さっき突き放してたじゃないですか」

「い、いや、あたしにだってバレー部を案じる姉心くらいはあるよ。千早の気持ちを試したんだって」

「ホントですかぁ?」

「ナニ、その疑惑の目は? 大体なんで千早があたしの高校に乗り込んでくるほど、追い詰められているのさ?」

「そこなんですよ〜」

 千早は事情を話した。

 葵の処遇について困り果てた先輩部員――つまりは千早の同級生たちは、微温なコトナカレ主義者の千早に、

「夏越さん、薬師寺のことはアンタに頼んだ」

「田中先輩の愛弟子として、奴を教育してやって」

と葵のことを押し付けてしまった。

「ナニそれ、ヒドイ話だね」

 南は眉間にシワを寄せる。

「まあ、私は南先輩の唯一の弟子ってことで、何かと風当たりが強くって」

 防風林だった南が卒業してからは、ますます人間関係で右往左往することも多い千早だ。

「それも含めて千早の人生勉強だよ。あたしに頼らず千早一人でやってみな」

「う〜ん」

「あっ、あっ、ジョセフィーヌの首を絞めるなっ!」

「このゴリラ、ジョセフィーヌって名前なんですか?」

「お〜、よちよち、ジョセフィーヌちゃん、痛かったね〜? 怖いオネエチャンだね〜? ナデナデ」

「ヌイグルミたちに注ぐ愛情の一片でも、私に恵んではもらえませんかね」

「千早、アンタも図々しくなったね。出会った頃はあんなに可憐な女の子だったのに。歳月は人を変えるね」

「そもそもヌイグルミってそんなに慈しむものですか? 私なんて腹が立つことがあれば自室のテディベア、ボコボコに殴ってストレス解消してますけど」

「ち、千早ッ……恐ろしい子!」

「中の詰め物がはみ出しちゃって」

「虐待だよっ! それは虐待だよっ!」

「今はその是非を問うのはやめましょう」

「要はその葵ちゃんをどうするかってハナシでしょ?」

 南は金田一よろしく、短い髪をポリポリかいて、考えていたが、

「やっぱ強行突破あるのみなんじゃないの?」

と言った。

「強引に髪を切るんですか?」

「そう」

「大問題になりますよ」

「そうなったら謝ればいい」

「謝っても済まない可能性大ですってば。傷害罪っていう立派な罪になりますよ」

「ネンショーに入れられたら、あたしが毎週、差し入れ持って面会に行くから」

「イヤです」

「じゃあ面会はしないでおくよ」

「面会がイヤなんじゃなくて、犯罪者になるのがイヤなんです」

「なんで千早はいつも悪い方悪い方に考えるかなあ。最初は恨まれても後で“髪を切ってくれてありがとうございました”って感謝される場合だってあるわけじゃん? 千早に真心があれば、きっと葵ちゃんもいつかきっと解ってくれるよ。真心だよ、真心!」

「う〜〜ん」

 千早はコメカミをおさえた。

 南はクールでいてデリケートでもある。……というのがパブリックイメージだが、実際のとこ、雑、とにかく雑だ。

「真北さん、いますか?」

「姉貴に何の用があんの?」

「いや、南先輩よりマシなアドバイスを頂けるかなぁ、と」

「失礼だな」

 当然ながら、南はムッとする。

「あたしのアドバイスが役に立っていないみたいじゃん。ロジックは完璧なはずだよ」

「蜂の巣並みに穴だらけです」

「姉貴は先週家を出たよ」

「家出したんですか?!」

「だからなんで千早は悪い方に考えるんだよ!」

 南はボールペンを癇性にカチカチ鳴らして、

「結婚するんだよ、真北姉ちゃんは」

「えー!」

「式はまだ先だけど、籍は入れてるはず。今は結婚相手と一緒に住んでる」

「ビックリです」

「あたしも驚いたよ」

「もしかして、ダメんずとデキ婚ですかッ?!」

「千早、ネガティブ思考も度が過ぎれば誹謗中傷だよ。運命の人と普通にゴールインだって」

「真北さんのメアドや携帯番号教えて下さい」

「そんなにあたしの助言は響かないのか!」

「いえいえ、色んな方面からご意見を伺いたくて」

「教えてもいいけど、今はアドバイスよりノロケ話をゲップが出るほど聞かされて聞かされて聞かされまくるから。“メリーポピンズ”の世界にいるよ、あの人」

と南は顔をしかめボヤく。真北は相当舞い上がっているらしい。

「とにかくさ、結局は真心だよ、真心。幕末の志士だって、国を思う真心があったからこそ、明治維新を成し遂げられたんだから」

 スケールのでかい話になっている。

「ダメで元々、当たって砕けろの精神でいけば、道は開かれる」

とも言ってるし。

「南先輩は――」

 南の天才らしいトンデモ理論を拝聴していても仕方ないので、千早は話題を転じた。

「髪を切る時辛かったですか?」

「あたし?」

 南はフッと遠い目をして、

「結構悩んだなあ」

 懐かしげな笑みをたたえ、そう言った。

「泣きました?」

「いや、泣きはしなかったけど……でも……う〜ん……」

「切ってからはどうでした?」

「“ま、こんなもんか”って案外あっさり受け容れられた……かな?」

「そうですか」

「短い髪、気に入ってるし」

とベリーショートの髪を撫で、

「ジーン・セバーグみたいでしょ」

「ジーン・セバーグ、ですか」

「あれ? 千早知らないの? フランスの女優だよ」

 ドヤ顔の南に、

「ジーン・セバーグはアメリカの女優ですよ」

「ああっ! 四年間も間違っておぼえてた。姉貴のバカ〜」

 南は耳まで真っ赤、頭を抱える。が、気持ちを立て直し、

「そう言えば千早、ベリショやめたの?」

「あれはベリショじゃなくて丸刈りです」

「2cmならベリショだって」

「この話は永遠に平行線を辿りそうなのでやめときましょう」

「結構ド迫力だったのになぁ」

とニヤリ笑う南。何気なく口にしたのだろうけど、千早の脳裏には、ハッと閃くものがあった。

 ――でも……

 リスクが大き過ぎる気がする。いや、大き過ぎる。

 ――どうしたもんかな〜。

「きゃあっ! エリザベスの頭グリグリしないでぇ〜!」


   (V)花火


 薬師寺葵は放課後、廊下で待ち伏せていた千早に仰天した。

「夏越さん!」

 ちなみに葵、徹底してアメリカ式を押し通し、「先輩」という語は使わず「〜さん」と呼ぶ。

 その葵が目をむいて驚いたのも無理はない。

 千早が2cmの坊主頭(ベリショだってばby南)になっていたから。

 そう、千早は昨晩、南にバリカンで髪を刈ってもらっていたのだ。

「気合い入れてやんよ」

と南は嬉々としてバリカンを振るった。せっかく中学時代、「千早用」にバリカン(中古の家庭用)を買ったのに、あまり登場する機会もなく、現在ホコリをかぶっていたのを、久々に使えて、ご満悦だった。

「薬師寺さん、話があるの」

 千早は厳粛な表情(かお)で言った。

 そうして、葵を引きずるように部室に連れていった。南の言う通り、2cmの丸刈りはなかなかのド迫力みたいだ。



 部室は無人だった。千早が同級生部員たちと示し合わせて、人払いしてもらっていたのだ。

 再入部したての頃と同じ2cm髪の千早に、部活メイトたちも心を動かしたようだった。

「座って」

と千早は葵をパイプ椅子に座らせた。

 思わぬ展開に葵はすっかり肝を潰している。いつもの威勢の良さはなく、催眠術にかかったかのように、大人しく千早の言うことに従った。

 しかし、千早が首にケープを巻き、断髪の準備をし始めると、我に返り、

「夏越さん、ちょっと、なんですか、これは?!」

と反抗的になった。

「もうこうするしかないの。わかって、薬師寺さん」

と説き伏せようとする千早に、葵はオロオロ、「北風と太陽」の寓話の如く、上からのしかかるように断髪を強要されれば、強気で反発もするが、物腰柔らかな千早の態度にはどう出ていいのかわからずに、戸惑っている。

 ――結局――

 心中深くため息を吐く。

 ――南先輩の「強行突破策」を採用してしまった……。

 その代わり、自分も頭を丸めて覚悟を示す。しかし、この腹芸、帰国子女の葵に通じるだろうか。危険な賭けだ。

 事情を話せば裁判所も情状酌量の余地を認めてくれ、起訴は免れるだろう。よしんば少年院に送られても、南がお弁当や本を差し入れてくれるというし、バレー部のため、人身御供になろう。

「薬師寺さん、ごめんね」

と葵のフワフワロングヘアーに鋏を跨がせる。

「いやッ! やめて、やめて、やめてええぇぇ!」

 激しい拒絶反応を見せる葵だが、どうやら腰が抜けてしまったらしい、顔面蒼白のまま、動けずにいる。

「さあ、薬師寺さんも私たちの仲間になろ。大丈夫よ、そんなに短くしないから」

「やめてッ! やめてッ! やめ――」

 鋏が閉じる。ジャキッ!

 タイムラグがあって、バサッ! 天使の髪が部室の床に散った。

 ――ついにやってしまった……。

 もう後戻りは不可能だ。

「こ、この野蛮人ッ!」

 葵は涙とともに咆哮した。

「パパに言って、訴えてやるから!」

 南手作りのお弁当、そして南のオススメ本の差し入れ、それをよすがにして、千早は肚に力を入れ、ザクリザクリと葵の柔らかな髪を断ち切ってゆく。

「“バレー部には入りたい、でも髪は切りたくない”は甘えよ。そうやって子供みたいに泣きべそをかいたって、切った髪は元には戻らないわ。Don‘t cry over spilled milkよ」

「こ、こんなこと、アメリカじゃ考えらんないわよッ!」

「ここは日本よ。そして、貴女には日本人の血が確かに流れている。郷に入っては郷に従いなさい。When in Roma do as Romans do」

 諭された葵は顔を歪める。

 鋏で長い髪をバシバシと切り捨てていく。鋏は飢えた野犬のように、乙女の髪にかぶりつく。

 葵はどんどん量を減らしていく頭髪に身を震わせ、ひどくショックを受けている。

「おぼえてらっしゃい」

 呪いの言葉を吐き出す。

「刑事裁判だけじゃなく、民事訴訟でも搾り取ってやるからね!」

 パパとママ、家を売らなきゃいけないかも、と千早は代償の大きさを思った。でも、もう止められない。容赦なく髪をはさむ。

「あっ」

 葵が小さく叫んだ。

 しゃあぁーーーー

と音がして、葵のスカートがみるみる濡れていく。失禁してしまったらしい。これには、千早も驚いた。

 葵はシクシク泣き出した。下も滴がポタリ、ポタリ。

「うっ……うっ……」

「大丈夫、誰にも言わないから」

 千早は優しく囁いた。

「ほ、本当に? 誰にも言わない?」

「ええ、私と葵ちゃんだけの秘密」

 千早はちょっとずるく微笑む。秘密を共有して、二人は一種の「共犯関係」になる。

「さあ、着替えよ。私の短パン貸してあげる。濡れた下着はこのビニール袋に入れるといいよ」

「夏越……先輩……すみません……」

「スカートも脱いで」

「はい」

 葵はすっかり従順になっている。これを機に潮目が変わった。双方「合意」の上での「散髪」となる。

 ゆっくりと摘まれる葵のフワフワヘアー、摘まれ、捨てられ、摘まれ、捨てられ――

 床にはブラウンがかった黒い茂みが広がっていった。

「ああ」

と葵は大人びた吐息をもらし、

「めっちゃ気持ちいいですぅ」

 トロンとした目で呟く。すでに前髪はモンチッチの如く、額が晒されるほど短く切り詰められていた。

「一度も短くしたことないの?」

「はい、ずっとロングです」

「切ろうと思ったこともないの?」

「ホントはショートにも憧れていたんですけど、周りの娘たちが“もったいな〜い”とか“長い方が似合う”とか言うから、勇気が出なくて……」

「だったらいい機会じゃないの」

「そ、そうですね」

 話している間にも、鋏は滑らかに葵の髪を刈ってゆく。短く短く。

「短くしないから」と千早は最初に言ったが、所詮は口約束、切ってしまえばこっちのもの、切っ先は襟足を根元から咥え込み、

 ジャキッ

 ジャキッ

と食いちぎっていった。

 真っ白なうなじ、まるで未踏の新雪のように汚れなく、清らかだ。ダークブラウンの髪が消え、雪原は露にひろがる。

 すっかり襟足を刈り上げられていると、葵はさすがに長い首をくねらせ、

「な、夏越先輩、き、切りすぎですぅ〜」

 青息吐息で手加減を求める。

 が、

「何よ、たかが刈り上げくらいで。こっちは丸刈りだよ、丸刈り。甘ったれたこと言わないの、一年坊主が!」

 逆効果でますます刈り込まれる。

「ああ〜、夏越先輩、口ごたえのお仕置きですかぁぁ?!」

 あの校内を肩で風切って歩いていた無敵の帰国子女の姿はとうになく、ただのバレーボール大好き百合娘と化していた。

「葵ちゃん」

「は、はい」

「アメリカだって、軍に入隊する時は髪を切らされるでしょう?」

「それは……Bettleだから……」

「日本では、少なくともうちのバレー部では、バレーはBattle、部員はSoldierなのよ!」

「そんなクレイジーな!」

「そう、クレイジーなのよ。皆、命を懸けてボールを追っているのよ! 恋を捨てレジャーを捨てて!」

 ちょっと言い過ぎかも、と思うが、異文化間の衝突においては、ある程度のハッタリはやむを得ない。

「な、夏越先輩! 葵、頑張りマス! 夏越先輩の背中を見て、立派なsoldierになりマス!」

 アンバランスなベリーショートヘアーになる葵。

 ここにバレー部史上に「薬師寺葵紛争」と記憶され続けるであろう事件は、幕を閉じた。

「夏越先輩、これからも葵の髪切って下さ〜い」

とギザギザ頭の葵にしな垂れかかられ、

「いや、私には南先輩という人が……」

「お願いします! 気合い入れて下さい!」

 すっかり大和魂に目覚める葵だ。

「わかったわ」

 千早も柔らかく微笑する。二人、微笑み合う。

 しかし、次の散髪日の時には、別の先輩に、

「石ノ森先輩〜、葵の髪切って下さぁい♪」

と媚び媚びの葵に、

「あ〜、やっぱり本性はヤンキー娘だわ!」

と頭痛をおぼえる千早だった。


    エピローグ


 田中南主演のミステリー舞台、「『土ワイ』をぶっ飛ばせ〜ジンギスカン探偵、北陸湯煙旅情、新幹線のトリックが明かされる時、八年前の迷宮入り事件に潜む少女の涙が甦る〜」が上演されたのは、「薬師寺葵紛争」終結の直後だった。

 客席には南目当ての男女(主に女子)が詰めかけた。立ち見も出るほどの大盛況ぶりだった。勿論、千早も客席にいた。

 南は大役を十二分に果たした。その期待に200%応えた。

 舞台上での堂々たる演技に、観客は酔いしれた。

 舞台は南のこんな独白でしめくくられる。

「私は疲れたわ。ひどく疲れた。身も心も。この事件に疲れ、事件の謎解きに疲れ、事件の結末に疲れ、世相に疲れ、人間関係に疲れ、自分自身であることにさえ疲れ果ててしまった。でも、この疲れが後で、そう、人生最後の時に心地よい疲労へとポジティブに変化することを望み、祈っている。ああ、神様! とりあえず今夜は塩ジンギスカンとダイエットコーラでお腹を満たし、眠ろう」



(了)






    あとがき

 どうも、迫水でございます♪  今回は、「北条政子の〜」脱稿(時代劇だけじゃパンチが弱いかな。現代ものを書こう)→「小森さん〜」脱稿(地味だな。しっかりと断髪描写のあるストーリーを書かなきゃ)→「腐女子〜」脱稿(マニアック過ぎる! “真っ当な話”を書いてフォローしなければ)→「図書館では〜」という地獄のような負の連鎖の結果、更新が遅れに遅れました(汗)
 最初は「散髪屋ケンちゃん」でいこうとネタも用意していたのですが、最近ケンちゃん出過ぎだし、もうホントに直感的に「図書館」シリーズの続編でいこうと決断いたした次第です。
 実は今回の作品、「断髪ありき」のストーリーじゃないんです(^^;)
 前章前々章のヒロインだった田中南と夏越千早の「その後」が書きたかったのです。
 そして、ああ、断髪も組み込まなきゃ、と薬師寺葵というキャラクターをでっちあげて、ぶっこんだ超後付け作品です。
 こういうパターンはヤバくなるの必至なのですが、確かにシリーズ中最も異色なお話になってしまった(^^;)
 こう、乙女度とか、ロマンティック度とか、ハートフル度とか、ときめき度とかみたいなものが、かなり低くなっています。低いどころかゼロに近いな。。文体も描写もいつもの文章だし、最後変な終わり方だし。。
 「図書館」シリーズお好きな方いらっしゃったら、ご不満もあろうかとは思いますが、ここはひとつのステップということで、何卒ご容赦くださいm(_ _)m
 とは言え、「それからの南と千早(そして真北もか)」が書けて嬉しい作者がいます(*^^*)
 だいぶ涼しくなってきましたね。夏が苦手なのでホッとしております。
 読書の秋、皆様も秋の夜長に当サイトの小説をお楽しみいただければ幸いです♪



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