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腐女子、尼僧堂に行く・アナザー


 20××年4月初旬。

 暁闇の某尼僧堂。静まりかえる座禅堂。

 等間隔にゾロリと並んで座禅を組む尼たち。むろん皆、剃髪染衣している。

 心も身体もたるみきった新到(入門したばかりの僧尼)の背に、指導尼の警策がしたたかに振り下ろされる。

 バシイイイイッツ!!

 ――くはっ!!

と痛みをこらえ、噛みしめる歯の間から漏れる、先週までヘビースモーカーだった鵜飼友奈(うがい・ゆな)の息は未だ臭い。

 まるで墨汁の飛沫が飛び散ったように、下半分がソバカスと大小のホクロだらけの顔を苦痛に歪める友奈。

 昨日も、先輩尼僧(年下)から、

「いつまでも娑婆気分でいるんじゃないよッ!」

とバシイィ! 思い切り頬をうたれた。

 毎日が価値観、人生観の転倒の連続。

 「修行」は友奈の想像の一億倍もの厳しさだった。

 オキラクだったBL漫画家志望時代には、内なるサディスティックな衝動のおもむくまま、作中のキャラたちを虐げ抜いてきたが、自らが同じように「どん底」に落ちてみて、初めて自分の軽さ薄さを省みずにはいられない。

 何せトイレさえ自由には行けない生活だ。お陰で、元々便秘気味だったのが、ますます便通は滞る。

 今夜こそ、と青光りする頭をプルプル震わせ、全身全霊こめ、腹にたまったものをねじり出す。

「う・・・くっ・・・くく・・・うっ、うぅ・・・」

 排泄されているものの中には、尼僧堂に掛塔する前夜、市内のホテルで口にしたステーキ――最後の肉も混じっているはずだ。

 ホテルのレストランにて、シケた顔してステーキを口に運ぶ、形だけは尼の友奈は、周囲から視線を浴び、赤面しつつ、牛肉をボソボソと咀嚼したものだ。

 便臭の中、悟りも糞もなく、友奈は小太りの身体を悶えさせつつ、これまでの人生の総決算とでもいうべき、現在の有様を俯瞰し、

 ――ああ! もォ!

と頭に手をやり、かきむしる髪などもうとっくに無くなっていることに気づき、ハッと心臓を凍らせた。両手はやり場を失い、仕方ないので坊主頭をザラザラとかきまぜるように撫でまわした。

「なんで、こんな頭になっちゃったんだろう……」

 言葉に出して嘆く。坊主頭を抱えすすり泣いた。



 友奈は中学2年の頃から不登校になった。進学もせず、できず、中卒の肩書のまま、ヒキコモリ生活を続けた。

 友奈の実家は寺院だった、

「寺の娘が学校にも行かず、働きもせず、寺の手伝いもしないで家に籠りきりでは近所に顔向けできない」

と住職の祖父は嘆いた。祖母も、

「あんたたちの育て方が悪かったんだよ」

 この寺はどうなるんだ、と友奈の両親を責めた。

 副住職である父は黙っていた。

 母も黙っていた。

 友奈はそんな世界を無視し続けた。

 ネットで知ったボーイズラブのアナザーワールドに魅了され、没入した。自分でも、お気に入りのカップリングで、イラストや漫画を描いてみた。典型的な腐女子である。



 さらに厄介なことになったのは、17歳のときである。

 ヒキコモリとヤンキーの活動時間帯はシンクロしている。真夜中だ。皆が寝静まってから、その世界を謳歌する。

 近所のコンビニに夜食の買い出し――この頃には昼夜逆転の生活による運動不足と過食のため、友奈の身体はムクムク肥えていた――に行く途中、近所のお姉さん(ヤンキー)の家の前で不良連中がたむろして、バイクをいじったり、高歌放吟していた。

 いつも、

 ――怖いな〜。

と思いつつ、距離をとって歩いていたのだけれど、ある晩ついに、

「そこの女子〜」

とお姉さんに呼び止められてしまった。

「は、はい……」

「こっちおいで」

「なんですか?」

 恐る恐る近づくと、

「こんな時間に出歩いちゃ、ウチらみたいな不良になっちゃうぞ」

「…………」

「アンタ、お寺の友奈ちゃんでしょ」

「はあ」

 他の不良たちはニタニタ薄ら笑いを浮かべながら、そのやり取りを見ている。「お寺の子」って素性はこういうとき不便だ。いや、有益だったことなど一度もないが。

「学校行ってないんでしょ?」

「…………」

 友奈はネガティブな意味で有名人らしい。

「学校行かずに家で何やってんの?」

「えっと……ネットとか漫画読んだりとか、アニメとかゲームとか……」

「キャハハハ、オタクじゃん。きもっ」

と友奈と同い年くらいの女の子が嘲った。

 友奈はカッとしやすい性格だ。膂力もある。が、堪えた。

 しかし、その女の子はいよいよ調子に乗って、

「尼さんになる勉強でもすればいいじゃん」

 「尼になれ」という言葉は友奈にとってNGワードだ。

 そもそも、中学に行かなくなったのも、教室で、知り合いに、将来は婿をとって寺を継ぐつもりだと話していたら、それを聞きつけたクラスのカースト上位の男子たちが、

「鵜飼、自分の顔、鏡で見ろよ」

「お前の婿になる物好きなんていねーっての」

「婿なんて諦めてお前が尼さんになれよ」

「頭ツルツル坊主にしてさ」

「そうすりゃ万事解決」

とさんざからかわれ、その後ことあるごとに「尼になれ」とイジメられた。そして友奈は不登校になったのだった。

 トラウマをえぐられて、頭に血がのぼり、友奈はヤンキー少女の胸倉をつかんだ。

「!!」

 不良連中も友奈の思いがけぬ蛮勇にあわてて、制止に割って入った。

 こんな些細な出来事がきっかけで、友奈は不良グループ内で一目置かれ、彼女の交友関係は一夜にして変化増幅を遂げた。



「あんな子たちと付き合うんじゃない!」

と家族は懸命に引き留めた。部屋で漫画でも描いてくれてた方がよっぽどマシだ、といったところだろう。

 だが、無駄だった。

 友奈の部屋はたちまち不良少女たちの溜まり場となった。

 少女たちは学校をサボり、酒を飲み、タバコを吸いながら、明け方まで駄弁っていた。

 友奈もセブンスターを盛大に吹かし、灰皿を山盛りにして、スナック菓子を齧り齧り、仲間にボーイズラブの世界をレクチャーした。

 意外なことに、不良娘たちはボーイズラブの世界に拒絶反応を示さなかった。むしろ、興味津々といったふうで、その世界にハマり、BL談義に花が咲いた。「異文化交流」は田舎寺の一室で、大いに行われた。

 友奈の方も積極的に「異文化」を受容する。

 仲間にすすめられ、長い黒髪をブリーチして金髪に染めた。不良少女たちは嬉々として、友奈の部屋で彼女のバージンヘアーに脱色剤をしみ込ませた。

 染めあがった髪を鏡で覗き見て、

「うひょう! 『戦国BASARA』の“かすが”みてー」

と自画自賛する。

 髪型だけはな、と皆思うが、黙っていた。

 彼氏もできた。男性恐怖症気味だったのが嘘みたいだ。

 彼氏は友奈より三つ年上。カッコよくて、大人っぽくて、腕っぷしも強く、グループの中核メンバーだ。しかもBLにも理解がある。昼間はとび職をしている。立派に社会人している。

 おまけにポエマーでもある。

 睦み合いながら、友奈のソバカスを、

「ミルキーウェイみたいだ」

とのたまい、ホクロ群を、

「夜空の星座みたいだ」

とのたまい、たるんだブヨブヨお肉を、

「ハリウッド女優顔負けだ」

とのたまった。

「ありゃ相当なマニアだぜ」

とグループ内では囁かれているが、当の二人の耳には届かない。

 彼のホンダのバイクに乗って、湖までツーリング。

「男の方はイケメンだけど、女の方はちょっと……」

という周囲の観光客の視線など、まったく気づかず、湖の彼方に沈む夕陽をバックに、熱いキスを交わす。周りに見せつけるように。

「お前はエジプトの太陽神ラーだ。夜の闇の中でも俺のハートを照らし、温めてくれる」

 彼はポエマーモード全開。友奈はウットリ。

「いつまでも傍にいて、俺を照らし温もりを与えてくれ」

「うん……」

と、またキスをする。彼の薬物臭い唾液と、友奈のヤニ臭い唾液が混じり合う。

 友奈は真剣(と書いてマジと読む)に彼との結婚を考え始めていた。



 そんな華の如き、炎の如き日々に冷や水を浴びせるような計画が、水面下で進行している。

 友奈を尼にして寺を継がせる

という色々な意味で恐ろしい策謀である。

 祖父母が中心になって、その後継話は進められている。

 友奈は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の祖父母を除かねばならぬと決意した。友奈には仏教がわからぬ。友奈は腐女子兼ヤンキーである。BL本を読み、不良たちと遊んで暮らしてきた。けれどもピンチに対しては、人一倍に敏感であった。

 祖父母の許へ乗り込み、

「ゼッテー尼になんかならねーからなッ!」

と老人たちを怒鳴りつけた。

 爺婆はポカンとしていたが、

「だからって、いつまでもフラフラしてるわけにもいかんだろう」

「お前ももう二十歳過ぎなんだよ」

 さすがに激動の時代を乗り越え寺を守り続けてきた住職夫妻、貫禄が違う。いくら小娘が、

「こっちには将来を誓った相手がいるんだよ!」

と囀ろうと涼しい顔で、

「遊ばれてるだけだよ」

と受け流す。

「勝手に決めつけんなよ! こっちは真剣(と書いてマジと読む)なんだよッ!」

「じゃあ、その男が坊さんになって夫婦で寺を継いでくれるのかい?」

「あ」

 友奈は小さく叫んだ。その発想はなかった。が、もしかして、それが最善の道かも、と友奈の内で寺の跡取り娘と恋する乙女がガッシリ握手を交わす。

 ――彼だって喜んで婿入りしてくれるはず!

 友奈、欣喜雀躍。中学時代のアホ男子どもを見返してやる!



 矢も楯もたまらず、勢い込んで彼の仕事場へ、スクーターを飛ばした。

「どうしたんだ?」

 作業着姿の彼氏は仕事を中断し、友奈に歩み寄ってくる。

「朗報だよ」

 友奈は満面の笑みと共に言った。

 そして、祖父母とのやり取りについて、話した。

「アンタが出家して寺を継いでくれれば、ウチら結婚できるんだよ!」

 ハイテンションの友奈だが、

「う〜ん」

 意外や意外、彼氏の反応は芳しくない。あれれ?

「それは無理だな」

 キッパリ返答され、

 ――え?

 友奈のスマイルは凍り付く。

「なんでぇ〜?! ウチらの結婚認めてくれるんだよ? ここだけの話、坊主丸儲けなんだよ? ねえ、ねえ」

 いつの間にか友奈は彼にすがりついていた。彼の決意を促した。けど、彼は首を縦に振ろうとはしない。

「いいか? “宿命”は変えられない。でも“運命”はいくらでも変えられる」

「ん?」

「俺とお前が一緒になれないのは“宿命”だ。これは誰にもどうにもできない。だが、これからの二人が仲の良いダチでいようと努力すれば、その“運命”は変えられるんだよ」

 ポエマーモードで別れ話を切り出された。

 友奈、呆然。泣くに泣けない。五分前まで幸福の絶頂だったのに。

「もういいよッ!」

 友奈は吐き捨て、彼の許を去った。その背に、

「俺がいなくなっても幸せになってくれ。それが俺の最後のわがままだ」

という元彼の声がかぶさってきた。



 寺に帰るなり、友奈は祖父母のところへドカドカと押しかけた。

「ジイちゃん、バアちゃん、アタシ、尼になる! 尼僧堂に行くよッ! そんで寺継ぐ!」

と前後の見境もなく宣言した。ヤケっぱちな気分だった。

「ようやく目が覚めたかい?」

 老夫婦は顔をほころばせていた。友奈はすっかり二人の手の平の上で踊っていたようだ。

 幸か不幸か、尼僧堂の入門希望者が募られる時期だった。



 ゆえに、友奈の出家話はトントン拍子に進んだ。

 友奈も粛々と準備をする。やることは山ほどある。掛塔願を書き、お経や所作、僧衣の着付けの練習、健康診断を受け、悪い歯は全部治療。

 座禅も父の指導で何度も組まされたが、太っちょで短足の友奈には苦痛以外の何物でもなかった。

 感情が激するままに出家を決めたが、こうやって日が経つにつれ、

 ――もしかして早まったかも……。

と後悔が肥大してくる。しかし、ここまで話が運んでは、今更ご破算にはできない。

 自室では相変わらず不良少女連がとぐろを巻いている。

 皆、友奈が彼にフラれ、腹いせのように尼になる決意をしたことを、心の中で面白がっている。

「友奈〜、いつ頭剃るの?」

と興味本位に訊いてくる。

「月末」

「せっかくブリーチ、キマってるのに勿体ねーよなぁ」

と口では言いつつ、顔は笑っている。

「当分会えなくなるのか」

 寂しいね、と呟きながらも、

「友奈ももうすぐバリカンかぁ」

と嫌なことを言う娘もいた。

 そう、タイムリミットは迫りつつあるのだ。気がつけば、部屋に置いてあったBL本やポスターなどの類は全て、祖父母によって焼き捨てられていた。ナチスみたいな人たちだ。怒る気にもなれない。



 そして、ついにその日はきた。

 冬はとうに終わり、春らしからぬ強い日差しが、友奈の住む地域に降り注いでいた。

 友奈はピーカンの空の下、独り、床屋に向かった。徒歩で15分のところにある。小さな床屋。予約は前日、祖母が電話して入れていた。

 まだ僧衣や作務衣をまとう勇気は出ない。白いモコモコのセータージャケットに黒いパンツルックで家を出た。

 このまま逃亡しようか、と何十回も考えているうちに、床屋に着いてしまった。

 床屋に入る。センサーが友奈の入店を感知して、ベルが鳴る。

 ギクリ、と過剰反応する友奈に、

「はい、いらっしゃい!」

と魚河岸のような威勢のいい挨拶が浴びせられる。

 二人の理髪師が友奈を待ち構えていた。オジサンと若者。親子のようだ。初めて来店したので、友奈は二人のことをよく知らない。

 しかし、先方は友奈について多少知識があるようで、

「鵜飼さん。お寺さんの? 尼さんになるんだってね。大変だねえ。色々と辛いだろうけど、頑張ってね!」

とオジサンは立て板に水、スラスラとそう言い、友奈は断頭台ならぬ断髪台へと導いてくれる。

 そして、どういうわけか、理髪師は二人とも店の奥に引っ込んでしまった。

 ――なんで?

 友奈は首を傾げる。

 耳をすませると、口論が途切れ途切れに聞こえてくる。

「オヤジがやってくれよ」

「いやだよ。泣かれたりしたら、オレ困るよ。坊主にしてくれって女の客初めてなんだから」

「オレだって同じだよ」

「オレは店長だぞ。言うこと聞け」

「横暴だ。オヤジが切れ」

 どっちが友奈の髪を剃るかで揉めているらしい。

「じゃあ、公平にジャンケンで決めよう」

「一回勝負だぞ」

「せ〜の、最初はグー、ジャンケンほい!」

「待たせちゃったね」

 オジサンがひきつった笑顔で現れた。彼が断髪を担当するみたいだ。ジョーカー扱いされて、友奈は傷つく。

 オジサンは友奈の首にネックシャッターを巻きつけると、サッ、とカットクロスを覆いかぶせた。

 親子が争っているうちに、鏡の前で金髪ロング姿に別れを告げている友奈である。

「こういうのは、さっさと片付けちゃった方がいいからね」

と言いながら、ごっついバリカンを取り出す。短期決戦でいくつもりらしい。

 ――なんでこんなことになっちゃったんだろ……。

 目まいをおぼえる。

 が、

「じゃあ髪の毛全部剃っちゃうからね」

という最終確認に、

「うん」

と最早うなずくしかない。

 ヴイイイイイイイン

 バリカンは猛り立つ。

 友奈の金髪に冷たい刃が入ってきた。

 ジャアアアァァアアァアアアァ

 いきなり額ド真ん中から持っていかれた。クッキリと青い一本道、金髪は左右に分断された。決定的瞬間だった。

 鼻血が、出た。興奮の余りだろうか。何年かぶりの鼻血に友奈は焦る。恥ずかしい。

「大丈夫かい?」

とオジサンはティッシュをくれた。

 ティッシュで鼻を拭い、ちぎって丸めて鼻孔に詰めた。ひどく間抜けな感じになった。

 ヴイイイイイイイン

 バリカンはまだ唸っている。いや、さらに勢いを増し、友奈の髪に襲いかかる。

 ジャァァアアァアアァアア

 ジャジャジャアァアァアアア

と前頭部を右、左、また右、と刈りならし、芝生状にしていった。

 ゴロゴロゴロ

 友奈の腹が鳴った。

 ――ハッ!

 背筋が凍る。まさか、こんな時に。

 ――そう言えば――

 昨日、不良仲間のA子が、酒の肴に、と持って(パクッて)きた賞味期限切れの刺身を、皆で、大丈夫、まだイケる、とたらふく食べたが、

 ――あれだ!

 冷や汗が流れる。悪いことはできない。

 友奈が激しい便意と格闘している間にも、有髪の領域は疾駆するバリカンによって、どんどん減じていく。

 前髪はすっかり丸められ、オジサンは後ろ髪にとりかかる。

 我慢の限界はあっさり到来した。

「す、すみません、あの……と、トイレを……」

「ああ、了解了解」

 オジサンはバリカンのスイッチを切り、カットクロスをはずした。

「トイレはそこね」

と教えられたドアに友奈は突進した。

 腸の中のものを盛大にブチまけた。

 だが、便意はまだおさまらない。

 頭は落ち武者、鼻には丸まったティッシュという哀れなざまで、下痢便垂れ流している。こんなみっともない尼への道はそうそうないだろう。ないに違いない。排泄が俗世最後の行為なんて。

 便座に座ったまま、友奈は半ベソをかく。

 ようやく排便を済ませ、涙をふき、ふたたび理髪台へ。

「大丈夫?」

「うん」

 うなずきつつも顔は真っ赤だ。

 お預けをくらっていたバリカンが再度咆哮し、オジサンは友奈の長い後ろ髪を指でひっかけ、持ち上げた。

 そうして、後ろ髪の生え際――ボンノクボ辺りから、サーッとバリカンを入れ、のれんをかき分けるように、後ろ髪をたっぷりとすくい上げ、右から左へ順繰り、獰猛に刈り飛ばした。

 金髪と黒髪の混じったロン毛はたちまち収穫され、床にドサドサドサと雪崩落ちて、そうして、野球部員の如きダサい丸刈り頭が、ポツンと孤独に残された。

 ブリーチを怠っていたので――どうせ、もうすぐ剃っちゃうんだし、と――根元は黒の地毛で、だから、黒々とした3mmの丸刈り頭。

 そいつをレザーで剃り込む。

 金⇒黒⇒青(白)と友奈の頭はその色を目まぐるしく変じていった。

 オジサンはじっくりと剃刀を使い、友奈の頭を滑らせ、3mmの毛髪を削り落としていった。

 ジジジー、ジッ、ジッジジ―、ジ、ジー、ジー

 青光りする頭皮がむき出しになっていく。

 その間も友奈は便意と壮絶な戦いを演じていた。脂汗を垂らしながら。

 そして、二度も大敗を喫し、トイレへと落ち延びた。散々な剃髪となった。

「できたよ」

 オジサンに声をかけられ、我に返り、鏡を直視する。

 ――ぎええええ!!

 便意も吹き飛んだ。

 ――ナニ、このゲロブス?!

 お世辞にも美人とは言えないルックスが、髪が消えて、さらにレベルダウンしている。ソバカスもホクロも大健在、白く丸い顔に散っていて、

 ――カビたチョコチップメロンパンじゃん!

「可愛らしい尼さんになったよ」

というオジサンのフォローが空しく響く。

 そこへ、

「ちょっと予約より早かったかな」

と五十年配のオヤジさんが店に入ってきた。なんと檀家の高部(たかべ)家の当主だった。

 高部さんは、虚ろな眼で鏡と対面している友奈に気づき、

「おおっ! 友奈チャン、とうとうやっちまったのか! いいじゃないか、一休さんみたいで。ようやく真人間に戻ったか。一時期はグレちゃって、オジチャン心配してたんだぞ。まあ、パッと見、男か女かわからないけど、あんな汚らしいパツキンなんて剃って正解。尼さんはサッパリスッキリ丸坊主が一番! なぁに、坊主になったって、そのソバカスとホクロで、誰だってすぐ友奈チャンってわかるから平気さ。明日から尼僧堂に行くんだっけ? うんとシゴかれて一皮も二皮も剥けてきな。その太っちょの身体もだいぶ絞れるんだろうなあ。いや〜、めでたしめでたし」

と一気に弁じたて、友奈の乙女心を逆なでするだけ逆なですると、

「ちょいとトイレ借りるよ。年取ると近くなっちゃってね」

とトイレに入ってしまった。

 死にたい気分で料金を払う。

「はい、200円のお返しね」

とお釣りをもらっていると、高部氏、トイレから出てきて、

「おい、店長さんよォ、ちゃんと便所掃除してんのかい? 臭ぇったらありゃしないぜ。臭過ぎて鼻が曲がりそうだったぜ。サリン並みの殺傷力あるぜ。ったく、せめて消臭剤くらい置いときなよ。一体誰だよ、こんな臭ぇクソしたヤツは」

 友奈は顔から火が出る思いで、店を飛び出した。



 国道沿いの歩道を歩く。

 強すぎる日差しが裸の頭を炙る。

 友奈は両手を後頭部にかざし、まだか弱い頭皮を保護する。

 ――こんな頭になっちゃったよ〜。

 人が見たらゾッとするほど暗い顔で、負のオーラをドンヨリ漂わせ、家路を辿る。

 一台の対向車が過ぎ去っていく。あのシルバーのワゴン車、さっき自分を追い抜いていった車ではないか。

「まさかね」

と呟き、また歩き、山門くぐって帰宅。

「可愛らしい」

と家の者は褒めてくれたが、友奈は冷めていた。

 部屋でセブンスターを一服、もう一服、とうとう尼僧堂入門直前まで、禁煙も体力作りもできなかった。

 ――まあ、なるようになるさ。

 友奈は開き直り、鏡を見た。鏡の向こうの「ゲロブス」を睨み据え、

 ――このブス面でこれからも生きていく! ブスの意気地、見せたるわ!

と自分自身に活を入れ、折れかけた心を立て直した。

 あのワゴン車を運転していた男が、実は地元の尼僧剃髪マニアで、友奈の素性&事情に察しをつけ、

「あの生々しさがたまらんゼ」

と友奈に岡惚れして、

「いつかあの娘をヒロインにして小説を書いてやるぞ〜」

と密かに思っていたことなど、1ミクロンも知らずに。



(了)





    あとがき

 「腐女子、尼僧堂に行く」シリーズ(?)第三弾です(*^^*)
 このシリーズの発端は、迫水が生で目撃した剃髪したての尼僧(若干希望的観測に基づく)にハートを奪われ(「実話(仮)」をご参照ください)、その実際の女の子をモデルに想像を膨らませ、二作三作とシチュエーションを変え、書いたものです。ほんとソバカスとホクロが遠くから見ても目立っていて、太り気味で、それが逆に生々しく、めっちゃコーフンしました。
 いつもはプロット(ヒロインのイラストを描いてみる)→下書き(ノートやレポート用紙に書く)→清書(パソコンでうつ)→チェック(何度も何度もする)というのが手順なんですけど、今回は最初からパソコンで書きました。時短にもなるし、いい意味で緊張感をもって臨めます。
 また、本稿では以前コウキさんに差し上げた「床屋で断髪中にトイレ」ネタをセルフカバーさせて頂いておりますm(_ _)m
 非常にお下劣かつマニアックなお話になってしまいましたが(作者はどうも恋愛&友情についてシニカルなところがあるようです)、こういうアンチロマンティックなストーリー、書いててかなり楽しいです♪ 元々「萌えていいのか笑っていいのかわかんねーよ」という作風を目指していたので。
 あと、「文化系女子が体育会的環境に放り込まれ、ヒイヒイ苦悶する」といったモチーフが好みらしいと、最近になってようやく自分でも確認しました(笑)
 最後に、モデルになって下さった尼僧の卵様には、本当に感謝感謝です(*^^*) 無事満行され、頼もしい尼さんになられることを、お祈り申し上げています(-人-)(-人-) どうか平にご寛恕の程をm(_ _)m



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