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小森さん、ナニ、そのタイミング?!


 近年、農協が葬儀屋の真似事をすることに、彼は迷惑を被っていた。

 彼の越したばかりのアパートの近所に農協があった。

 ほぼ毎日、葬儀が行われている。

 彼が会社からの帰途、必ず葬儀の案内看板が、電柱に立て掛けられている。故人の姓名や享年、喪主の名等が書かれていて、それが、ドーン、と目に飛び込んでくる。そのたび彼は、「死」を思う。

 別に、死にたいと思うわけではないが、人は誰しも死から逃れられぬ、という現実を突きつけられ、その享年がまだまだ若かったりすれば、明日は我が身かも、と気が滅入る。自分の死に際や葬儀の様子が、自働的に脳裏に浮かぶ。自分だけでなく、身内や友人知人の死について考えたりもする。

 彼は常在戦場の侍ではない、戦後のニッポンの小市民である。同じ境遇で、毎日死を思う人は少なかろう。

 「死」を思いながら、仕事をしたり、遊んだり、恋愛を楽しむのはしんどい。ノイローゼにもなりかねない。

 だから、死の臭いが漂う今現在の環境は、精神衛生上勘弁なのである。

 だが慣れというのは、便利なもので、一年経ち、二年経つうちに、葬儀の看板を目にしても、彼は以前ほど心に動揺をおぼえることはなくなっていった。

 そんな或る日の素描をこれからチマチマと綴っていく。



 彼が小森里萌子(こもり・りもこ)と再会したのは、彼が或る有限会社の正社員に昇格して、間もない頃だった。

 元々アルバイトでその会社にもぐり込んだのだが、その仕事ぶりを買われ、5年もバイトリーダーをこなした結果だった。運も味方していた。

 小森さんはそこでパートをしていた。二十七歳。彼よりも二つ年上だった。

 初めて小森さんを見た瞬間、彼の胸は高鳴った。

 肩上までの黒髪、メガネ、色白、そしてスレンダーボディー、彼のどストライクの容姿だった。

 同時に、

 ――人付き合い悪そう。

という、そんなオーラを察知した。

 実際、彼の直感は正しく、小森さんは周囲の誰とも関わろうとせず、孤高の人を貫き続けた。

 休憩中も控室の奥で、スマホをイジっていた。そうやって、周りをシャットアウトしているようだった。彼は、小森さんが他者と会話のキャッチボールをしているところを見たことは、一度もなかった。いわゆるコミュ障だったようだ。

 しかし、特にコミュニケーションを必要とする仕事ではなかったので、小森さんみたいなスタンスの人は他にもいたし、それに小森さんは作業は鬼のようにできたので、皆も彼女に一目置いていて、小森さんにとっても、きっと居心地の良い職場だったろう。

 ただ、色男を気取っていたNさん(当時二十九歳)は、小森さんに軽くモーションをかけたところ、すげなくされたので、

「あの能面ブス」

と陰口をたたいていた。

 ――わかってないなぁ。

と彼は心で憫笑した。あの「和」なテイストが小森さんの魅力なのに。

 彼は小森さんに惚れて惚れて惚れ抜いていた。顔がかわいい。声がかわいい。仕草がかわいい。ごくたまに見せる笑顔がメチャメチャかわいい。

 しかし、彼は小森さんについての情報を、まるきり持っていなかった。事務所サイドは彼女の個人情報を頑として教えてくれなかったし、小森さんも全然しゃべらない。外国の人かと思ったくらいだ。

 厄介なことに彼は大のオクテなのに、コミュ障タイプの女性に惹かれやすい。さらに厄介なことには、自分が好意を持っている女性に対してスカした態度で接してしまう。だから、なかなか彼女ができない。

 それでも小森さんのハートをゲットしたくて、恥を忍んで、恋愛のマニュアル本を読んだり、経験豊富な友人に相談したりして、いじましい努力を費やした。

 他のバイトたちに笑われながらも、小森さんにアプローチを試みた。

 その結果、彼女の住まいが彼と同じ市だということが、かろうじてわかった。

 小森さんの方も彼の気持ちがわかっていた。小森さんも、恋愛では彼と同レベルの経験の少なさだったらしく、双方の間で小学校5年生並みの心理戦が展開された。それについては、あまりに子供じみていて、作者としては、いちいち紙数を割く気にもならない。



 こんなことがあった。

 エレベーターで小森さんと二人きりになった。

 小森さんは肩までの髪で、顔の半面を隠し、その髪をいじくっていた。彼女の癖だった。

 彼は思い切って、

「小森さん」

と想い人に話しかけた。

「ここで働き始めてどれぐらいになるんですか?」

 軽いジャブ程度の気持ちで訊いた。

 彼としては、会話の糸口のつもりで、春に入ったからもうだいぶ経ちますね、志道(しじ・彼の姓)さんはどれくらいですか? 僕はもう三年近いですね、と会話がひろがっていく心算だったのに、小森さんは急に指を折り、

「いち、に、さん、しー ――」

と神妙な面持ちで数え始め、

「六ヶ月です」

と答えた。その間、エレベーターは目的階に着いてしまった。彼はあわてて降りた。小森さんは笑顔だった。

 はぐらかされたのかな、と鼻白みもしたが、語調からも小森さんが大真面目なのがわかった。行間が読めないタイプ、というべきか、かなりズレを感じた。

 こうしたズレは度々感じていた。他の人も違和感をおぼえるらしく、発達障害ではないか、と口にする人もいた。

 が、恋は盲目、アバタもエクボというやつで、彼はそんな小森さんにますます恋焦がれた。

 小森さんの方も段々と、彼のことを憎からず思っているようで、彼に対してはガードを緩め始めた。

 しかし、彼はまたもや――嗚呼!――小森さんにスカした態度をとってしまうことも、しばしばだった。



 そして、小森さんは或る日、パートを辞めた。一身上の都合、だという。

 まったく突然のことだったので、彼はにわかには信じられず、呆然とし、言葉もなかった。

 小森さんはあまりに多くの謎――退職の理由も含めて――を残したまま、彼の日常から、虹が空に溶けるように消えてしまった。

 彼は激しい落胆と悲しみと後悔に襲われた。深刻な「小森さんロス」に陥った。

 街角で似たような感じの女性を見かけると、

 ――小森さん?!

とあわてて目で追ったり、小森さんから以前聞き出した彼女の家のある地域を、車で流しては、偶然の再会を期待したりと、行動がパラノイアじみてきた。

 こんなディープな恋は初めてだった。

 また会いたい! また会えますように!とそれこそ足摺りするように、天に祈った。

 しかし、幾ら願っても、望みは叶わなかった。

 半年が経ち、一年が経ち、二年が経った。

 彼は依然小森さんを想い続けた。こんなに長い間、不在のまま彼の心を占拠している女性などはじめてだった。

 けれども、三年四年と時が流れれば、彼もあきらめざるを得なかった。



 が、願い事の不思議さは、血眼で求めているときには手に入らないのに、忘れたとき、あきらめたとき、手放したとき、ヒョイと引き寄せられたりする。

 彼にとってはまさに、その法則が働いた。

 場所は駅近くのスーパーマーケットのそばだった。

 買い物袋をさげた黒のワンピースの女性が、彼の目にとまった。

 ――あれ? えっ?! 嘘! 嘘でしょっ!!

 女性はまぎれもなく彼が人生で最も恋した人だった。

「小森さん!」

 彼は無我夢中で女性に――小森里萌子に駆け寄っていた。

 小森さんは白昼現れた「過去の亡霊」に、目を丸くしていた。

「オレです。バイトリーダーの志道です」

「ああ」

と小森さんは口をパクパクさせている。目が挙動不審に泳いでいる。やっぱりコミュ障だ。

「おぼえてますか?」

「ああ、はい」

「あのぅ……」

「…………」

「ずっと会いたかったんです!」

 想いが堰を切り、彼はまくしたてた。最初に出会ったときから惚れていたこと、彼女が辞めてからもずっと忘れられずにいたこと、そんな気持ちの丈を洗いざらい告白した。今は正社員になったとも近況を伝えた。

 久しぶりに会った小森さんは、以前と同じ眼鏡に黒髪に黒系統の服装、雪みたいな白肌も昔のままだ。髪の前より伸びて、肩下まで垂らしていた。ちょっとボサついていた。頬も少しこけていた。

 しかし、ほとんど真空パックされたかのように、思い出のままだった。

 彼はありったけの情熱をこめ、舌を振るった。

 そこは社会人経験もあり、「勉強」の成果もあって、小森さんを引かせないよう、冗談をまぜたり、緩急をつけたり、さりげなく「金あります」アピールをしたりまでして、独演会状態。それでいい、と腹をくくっている。いつもの「聞き上手の志道さん」の仮面を脱ぎ、攻めに攻めた。

 小森さんは時に笑い、時に困り顔、時に目を細め、時に下手な相槌をうったりして、彼の独演会に付き合ってくれていた。彼は気持ちよくしゃべった。

 当座の話の種が尽きた。

「近いうち、またちゃんとお話しできませんか?」

 彼は最後にズバリと切り出した。

「…………」

 小森さんは黙り込んだ。その沈黙は実際のそれより百倍の長さに、彼には感じられた。

 ――やっぱりダメか……

 彼は泣きっ面になった。

 小森さんが口を開いた。

「じゃあ、今度の日曜、ここで」

 小森さんの発した十三文字の言葉は、どんな偉人のどんな名言より、彼を感涙させた。しかし、泣いている場合ではない。

「時間は?」

と話を詰めると、

「じゃあ12時半に」

 話はまとまった。信じがたいほどの、ほとんど奇跡とでも呼ぶべき「戦果」だった。夢みたいだ。

「これ、オレのメアドです」

とメモに書いて渡した。

 小森さんはメモをじっと見ると、折り畳み、地味な財布にしまった。

 小森さんのメアドも教えて欲しかったが、ガツガツ欲張らない方がいい、と草食系の本能が欲望を引き留めた。デートのアポが取れた。それで十分だ。

 その日からデート当日まで、彼は大いなる恍惚と不安の狭間で、スペシャルに過ごした。日曜出勤を命じられませんように、と祈りつつ。

 幸いにも、それは杞憂に終わり、約束の日曜日になった。



 待ち合わせの時間になっても、小森さんは現れない。

 彼は現実に立ち戻らされる。

 ――もしかして……すっぽかされた……?

 頭に冷や水をぶっかけられた気分で、彼は残暑の中立ち尽くした。

 腕時計を見た。もう15分も経過している。

 ――道理で話がうま過ぎた……。

 忸怩たる気持ちに駆られた。小森さんにあしらわれてしまったようだ。

 ――だったら最初からフッてくれればあきらめもついたのに。

 ぬか喜びさせられて、小森さんを恨めしく思う。

 もう20分が経過している。

「はあ〜」

と彼は肩を落とした。

 そこへ、

 ダダダダダ

と靴音を轟かせ、飛び込んできたのは、

 ――誰?

 一瞬、いや、四瞬くらい誰かわからなかった。

「小森さん!」

 小森さんは髪をショートカットに刈って、黄色いTシャツを着ていた。イメチェンにも程がある。彼が最初わからなかったのも無理はない。

 前髪は以前のまま、額で分け、サイドは耳上でバッサリ切り揃えられていた。

 ――小森さん! 一体何があったの?!

 彼はすっかりブッ飛んでしまい、言葉を失いかけたが、

「何か夏って感じですね」

と何とか褒辞を絞り出した。

 ショート&派手Tシャツの小森さんに、彼はドギマギ、まさか自分とのデートに向けての変身?と己惚れるほど彼はモテ男ではない、悲しいことに。

 本当に謎に満ちた人だ。

 気を取り直し、それでもまだフワフワした心持ちで、彼は駐車場に停めてある彼の車に、小森さんをエスコートした。

 その際、さりげなく小森さんの後ろ頭をチラ見した。

 後ろ髪はうなじがモロ出しになるくらい短く切り詰められていた。全体がスッパリとお椀型になっている。24時間テレビのようなTシャツといい、センスが独特過ぎる。

 車中で、

「どうして髪切ったんですか?」

と訊いたら、

「暑かったから……」

と簡潔なアンサーが、ためらいがちなトーンで返ってきた。

 でもなんでこのタイミングで?とは思う。髪を切るスケジュールの直後に、彼とのデートが割り込んだ形になってしまったのか。小森さんの思考はわからない。しかし、「攻めてる」感じはする。

 小森さんはしきりに髪をかきあげていた。あの癖はまだあった。昔から、心的動揺や緊張があるときなど、よくこの癖が出ていたのを彼は知っていた。

「美容院で切ったんですか?」

「いや、家の人に」

 「家の人」って誰だろう。素朴な疑問が湧く。父親? 母親? 兄弟姉妹? もしかして夫とか?

 ――いやいや、結婚していたら男と会わないだろう。

 そう言われてみれば、小森さんの髪型、確かに素人臭いカットだ。後ろの髪とかギザギザだし。あ、首筋にホクロ見っけ!

 ――だけど、三十路の女性が家族に髪を切ってもらうとか……なんか萌えるなあ。

 彼は初めて女性の断髪行為に興奮した。

「あの……今日は午後から親戚が来ることになってて……あまり遠くには……」

 しっかりと予防線を張られている。小森さんらしい、と彼は心の内、肩をすくめた。

「了解です。そこら辺のファミレスにしましょう」

「すみません」

と小森さんは謝った。あまり、すみませんと思ってないトーンだった。



 デニーズでランチを摂りながら、おしゃべり、九割以上彼が話し手だった。

「なんで急に辞めちゃったんですか?」

と退職のわけを訊ねたら、小森さんは、

「うち、年寄りがいるから……」

とだけ言った。昨今深刻な話題となっている介護問題がこんなところにも。確かに小森さんはどこかやつれて見えた。

 一時間弱話した。

 小森さんは、彼の話に大いに笑っていた。

「お腹痛〜い」

と言いながら。明らかに演技だった。小森さん、対人演技が下手過ぎる。

 小森さん側のトピックスを聞き出そうと水を向けたが、小森さんの口は重く、会話がしぼんでしまうので、彼は道化を続け、小森さんは演技を続けた。

 ――とりあえずは――

 今日を橋頭堡にして、ゆっくりと距離を縮めていけばいい、と彼は長期戦を決め込んだ。

 小森さんからようやくメアドを教えてもらった。それだけで彼は満ち足りていた。

 小森さんを待ち合わせ場所のスーパー駐車場に送っていって――彼女の家まで送ると言ったが、ガードが固かった――そこで別れた。

 去って行く小森さんの後ろ姿が小さな黄色の点になるまで見送った。



 その夜、彼はドキドキしながら、小森さんにメールを送った。今日は楽しかった、また会ってくれませんか、と。

 しかし、メールは届かず、彼の許に戻って来た。

 ――あれれ?

 彼はあわてた。何度も送り直したが、結果は同じだった。激しい失望。

 ――所詮はオレ如きの手に負える相手じゃなかったってことか。

 彼は深いため息をついた。冷え冷えとした心持ちだった。

 再会したときの肩下ロングヘアに黒ワンピースの小森さんと、今日のショートヘアにイエローTシャツの小森さんとを交互に思い浮かべ、比較し、フェティッシュな気分に浸ってみたりもした。



 半年が経った。

 相変わらず仕事は多忙を極めている。そして、相変わらず恋人はできないでいる。

 久々に早く帰ることができ、彼は軽やかに車を走らせていた。

 もうすっかり見慣れてしまった葬儀の案内看板だ。

 だが、今日は違った。

 ――えっ?!

 彼は思わず急ブレーキを踏みそうになった。

 看板の故人の名前には、

 小森里萌子

と書かれていた。

 だけど、ほんの一瞬だったので、

 ――見間違いだろう。

とまず思った。

 そして、

「見間違い、見間違い」

と自分に言い聞かせるように呟いた。

 しかし、看板の場所まで引き返して、確かめる気にはなれなかった。何故かそんな気にはなれなかった。



(了)





    あとがき

 えー、迫水です。
 今回は断髪描写抜きのラブストーリーです。短編にするつもりが、中途半端な長さになってしまった(汗)
 しかも、サエナイ、というべきか全然ロマンティックじゃないお話になってしまった(^^;
 十数年言い続けてますが、恋愛モノは苦手です。。
 侍の斬り合いなんかは、多少おかしなところがあっても、読者の方もスルーして下さりますが、恋愛はまずほぼ皆が様々な形で経験しているので、読んで、「こりゃあないでしょ」とツッコまれ、作者の恋愛観や恋愛経験もバレてしまいかねません。
 昔ダウンタウンの松本さんが渡辺淳一氏の「失楽園」について、「この作者は女のことを知らんな、と思った」とどこかで発言されていましたが、ホント、つくづく怖いジャンルです。
 しかし、個人的に思い入れのある、意義深いストーリーなので、愛情はあります(*^^*)
 ここまでお付き合い下さり、ひたすら感謝感謝です♪♪




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