作品集に戻る


「東風吹く」楽屋落ち


 某年某月某日のyaheeの芸能ニュースは、「義経物語」に続く新大河ドラマのタイトルと題材を大々的に報じていた。

 以下記事より抜粋、

『NHKは某日、20××年の大河ドラマが戦国時代の女傑、嘉田陽庚尼(かだ・ようこうに)を主人公にした『東風(こち)吹く』に決定したと発表した。嘉田陽庚尼は地元では“嘉田の尼御前様”と親しまれている存在だ。群雄割拠する乱世の東国で、若くして夫を戦で亡くし、幼い我が子に代わって、嘉田家を守り抜いた女戦国武将の生涯を描く。全四十八話(予定)。
 チーフディレクターの黒岩敏三氏は『戦国史の片隅に埋もれかけていた知る人ぞ知る女傑です。こういう女性もいたんだな、と視聴者の皆様が新鮮な気持ちで楽しめ、かつ、彼女の知恵や決断、慈悲深さは、混迷する現代を生きる私たちも、大いに学ぶべきところがあるのではないかと思います。嘉田陽庚尼については、資料も少なく、フィクションも織り交ぜながら、一人の女性のドラマを一年かけて丁寧に制作していきます』と抱負を語った。
 ドラマは二部構成で、少女時代から事実上の女領主となるまでの『黎明編』と、嘉田家の舵を取り戦国の世をサバイバルしていく『修羅編』に分かれている。キャストは選考中。
 現在放映中の『義経物語』が大好評なだけに、それに続けるか目が離せない新ドラマになりそうだ。』

 地元民の、経済効果を期待したロビー活動、いやいや、熱意溢れる招致活動の賜物だった。

 ネットでは、早速、

「ヒロインがマイナー過ぎる。嘉田陽庚尼って誰だよ!」

「女が主人公の大河は嫌だ」

「一年かけてやるほどネタがあるのか?」

「戦国時代をやるなら長宗我部氏や島津氏を!」

「地元出身議員のゴリ押しじゃないか?」

「観る気が起きん」

「ガッキーの尼姿なら見たい!」

と好き勝手な意見があがっていた。

 やがて、続報として、

 「黎明編」のヒロインがアイドルの上泉美月(かみいずみ・みつき)、「修羅編」のヒロインが女優の井深希和子(いぶか・きわこ)が演じることが公表された。

 上泉美月は言わずと知れたトップアイドル、初大河で主演をつとめることになった。

「視聴率30%越えを目指します」

との強気発言で物議を醸し、話題性は十分だ。

 一方の井深希和子は40代後半、押しも押されもせぬベテラン女優だった。大河ドラマにもこれまで何度か出演していた。

 十代〜二十代前半の頃は、セクシー系の女優としてお馴染みだったが、年を重ね、「演技派」として名を馳せるようになっていた。

 若いときは豊満なボディとあいくるしい顔立ちで、人気を博したが、今ではふくよかな和風美人となり、大人の風格や落ち着き、母性すら感じさせる女優として、「お母さん」役も多い。

 丈長い黒髪を結い、和装したりしていると、古き良きニッポンを想起せしめる。

 「本格派」ゆえに演技にも厳しい。

 或る若手女優の演技の拙さに立腹して、ドラマを降板してしまったという逸話さえある。

 普段はおっとりしていて、優しい人なのに、こと芝居となれば、一匹の鬼と化す。

 さて、僕はそんな大女優の運転手兼付き人をしている。25歳。

 希和子さんと同じ有名国立大学の出身なので(希和子さんは中退)、そのよしみで拾ってもらった。以降、すこぶる目をかけて頂いている。

 目をかけられているだけではなく、実は「大人の関係」を結ばされている。

 自分の母親とほぼ同世代の女性と寝るなんて、と当初は困惑したものだが、相手は大女優、母親などとは次元が違う。

 それで甘〜い生活を送っていた。

 希和子さんは独身だったし、事務所も希和子さん個人の事務所だったので、その女帝のプライベートに口を挟める者などおらず――それでも代表取締役のNさんからは「あまりハメをはずすなよ」と釘を刺されていたが――割かしオープンな関係だった。

 僕としては、「ああ、井深希和子のヒモか」という周りの視線が辛かったりもしたが。

 大河初主演のオファーがあったときには、希和子さんはご機嫌だった。

 ここだけの話、希和子さんのキャリアはここ数年、停滞気味だった。作品に恵まれず、トラブルも多々あり、だから今回のNHKからのお声がかりは、彼女にとって大いなるキャリアアップのチャンスだった。周囲の人間は(僕も含め)、絶対成功させるぞ、と総力をあげて意気込んでいた。

 当の希和子さんはそんな世俗的なギラつきなど、どこ吹く風、どんな役にもベストを尽くす女優の鑑なので、大河主演話もこれまでと同じ姿勢で臨むだけだった。

 嘉田陽庚尼に関する書籍を集め、車のバックシートでも読みふけり、三色ボールペンを使い分け、ラインを引いたり、書き込みを入れたりして役作りに余念がなかった。いつものことながら感服させられる。

 時代劇での所作などもすでに身に着けている。だが、

「江戸時代と戦国時代では作法も違うでしょうね」

と時代考証をスタッフ任せにせず、戦国本を買い込んで、これも三色ボールペンを走らせていた。

 ある日、ふとその艶っぽい声で、

「ずっと考えてたんだけど――」

「はい?」

「あたし、剃髪しようかしら」

とポツリ言った。

「え?!」

 僕は思わず急ブレーキをかけそうになった。いきなり何を言い出すんだ、この人は。

 後で、

「ホラ、この肖像画」

と希和子さんは嘉田陽庚尼の肖像画を見せてくれた。

 確かに嘉田陽庚尼の画は剃髪姿だった。

 普通武家女性の出家後の画は、頭巾で頭を覆って、髪の有無は判別しにくいが、嘉田陽庚尼の肖像は、ツルリと丸い坊主頭をさらけ出しての、合掌ポーズだ

「そりゃそうよね、嘉田陽庚尼は禅宗系の人でしょう? 禅宗系の尼僧さんなら基本剃髪してるはずよ」

と希和子さんが熱っぽく言うものだから、

「そこまでのリアリティを視聴者は求めてませんよ」

と鎮火にかかった。制作陣も頭巾姿で済ませるつもりみたいだし。

「う〜ん」

 希和子さんは納得いかないらしく、

「あたしだって、できれば剃りたくないわ。でも・・・ねえ・・・」

とおっとり上品に小首をかしげていた。女優魂がザワつくようだ。



 女優魂、そう、演劇人・井深希和子について、もう少し語りたい。

 希和子さんは結構いいとこのお嬢さんで、小、中、高、と私立の女子校に通い、某国立大に進学、そこで演劇と出会った。

 元々は、声が小さいのが悩みで、何か言うと、え?と必ず聞き返されるので、対人恐怖症になりかけ、これではいけない、と大きな声を出せるようになりたくて、演劇サークルのドアをノックしたが、そこで役者の道に開眼した。そして、彼女の人生は変わった。このことは、本人が常々インタビュー等で語っている。

 演劇に夢中になりすぎて、とうとう大学をやめてしまい、一時、実家から勘当されていたという。

 義絶が続く中、サークルの部長と同棲して、ほとんど夫婦同然の間柄だった(後に破局)。浮世の辛酸を舐めながら役者の勉強を続けた。

 それくらい演劇にのめり込んで、現在に至る。

 だから、役者仲間と演劇論を交わすのがたまらなく好きだった。

 ベテランになると、同業者に配慮して、演劇論を避けたがる俳優さんも多いが、希和子さんの場合、舞台がはねたり、収録が終わったりしても、真っすぐ帰宅せず、飲食店でグラスを傾けながら、俳優やスタッフ連と演劇について熱く語らっていたものだ。

 僕にも自分の過去の出演作を見せて、

「ここの演出は過剰過ぎるのよねえ。劇伴もうるさいし」

とか、

「この歩き方はね、“第三の男”のラストシーンのアリダ・ヴァリを意識してるのよ」

とか、

「このシーンの時は熱が39度あってね、それでも何とか撮り終えたんだけれど、う〜ん、体調管理ができてなかったわね」

とか、活動弁士ばりに解説してくれたりする。

 別にナルシストではない。映像の自己を客観視して、セルフプロデュースすることに対して、貪欲過ぎるくらい貪欲なのだ。

 早くベッドに入りたくてジリジリしている僕の気持など、お構いなしで、希和子さんの視聴会は延々と続くのだった。



 そんな希和子さんが大嫌いなのが、

 中途半端な役者

である。

 なかんずく、役者畑以外から乗り込んでくる演技への情熱のない輩は、希和子さんが大いに忌避するものである。

 例えば、そう、あえて実名を挙げさせてもらえば、今回希和子さんとW主演をつとめる上泉美月は、その最たる者である。

 二人は以前一度だけ共演経験があった。

 上泉美月は本番ギリギリまで台本をパラパラ読んでいて(普通の役者ならば、本番前日までにセリフを「入れてくる」ものだ、と希和子さんは言う)、共演者に対する態度も激悪、女優業にも不熱心、

「テレビの人気者らしいけど――」

と希和子さんをイラつかせていた。

 売れっ子の美月のスケジュールに振り回されるのにも、希和子さんのお気に召さなかったようで、たびたび、降板する、と口にして、周囲になだめられていたほどだった。

 そのくせ、美月はいざ本番となると、見事な演技を披露し、NGも一切出さなかった。突然の台詞変更にも柔軟に対応、存在感も抜群だった。一種の天才なのだろう。

 希和子さんは、ぐぅの音も出ない。ゆえに余計に鬱憤がたまる。

 その天才性に、そしてもっと言ってしまえば、若さに、希和子さんは心の奥底で嫉妬をおぼえていたはずだ。

 美月が舌禍から、尼寺での修行を余儀なくされたときなど、

「いいクスリだわ」

と冷笑していた。

「やっぱり人間若いうちからチヤホヤされて、調子に乗ってちゃダメよ。多少は苦労しなくちゃ、ロクな大人にはなれないわ」

と厳しいことを言っていた。

 再起は困難と思われていた美月だったが、本当に頭を丸め尼修行に励んでいたので、世間もその反省を容れ、奇跡的にカムバックを果たした。

 そしてすぐ大河ドラマのヒロインに抜擢された。異例中の異例だ。

 この経緯には、ちょっとしたカラクリがある。

 実は、すでに某若手女優の主演が内定していたのだが、発表直前にその女優にスキャンダルが持ち上がり、制作陣は大慌てで代役をあれこれ探したが、なかなか色よい返事をもらえず、結句、電撃復帰したばかりで、スケジュールがガラガラだった上泉美月に、 チャンスが巡ってきたのだった。

 美月のトラブルを許さない一部の人たちは、NHKに抗議したが、支持派の方が圧倒的多数だった。風は美月に吹いている。

 スポットは同じく主演の井深希和子より、話題性がある――そして華もある――上泉美月に当たりがちだった。

 希和子さんは寛やかで控えめな人だったが、比較対象が上泉美月となると、心中穏やかではいられないようだ。

 表舞台ではニコやかに振舞っていたが、僕にはその鬱屈がわかった。

 W主演が決まって、上泉美月の名前で松坂牛が送られてきたが、希和子さんは冷ややかで、

「どうせ、周りの人間の入れ知恵でしょ。上泉美月はこんな気配りのできる娘じゃないわ」

と全部愛猫の餌にくれてやってしまっていた。怖い怖い(汗)

 同一人物を半分こで演(や)るので、収録で一緒になることはない。なので、ひとまず僕は安心していた。



 希和子さんが女優魂をサクレツさせたのは、あの「剃髪しようかしら」発言の数日後のことだった。

 なんと上泉美月、剃髪したらしい!

 と言っても、彼女は剃髪で尼寺に入っていて、復帰して、イガグリ頭にカツラをかぶり、体裁を整えていた。

 その伸ばしかけの髪を、

「せっかく尼さん役なのだから」

とゾリゾリ、シェービングしてしまったという。

 上泉美月、役作りのためスキンヘッドに!

とのニュースにマスコミは飛びついた。

 インタビューで美月は、

『尼僧さん姿の話数は3〜4話くらいなんですけど、まあ、剃髪の方が本物感があるかなぁ、と思って。尼寺では一日おきに剃ってたんで、全然全く抵抗はなかったです。本来ならずっと剃髪でいたいんですけどね(笑)』

と答えていた。

 そんな美月に、

『最高です! 似合っていますね! 大河楽しみにしています。』

『役に賭ける女優魂に感動しました。撮影頑張って下さい』

『かつて貴女を誹謗していた者です。今回改めて成長と真摯さを感じました。応援しています。本当にすみませんでした。』

とリアルでもネットでも賞賛の声があがっている。

 スキンヘッド美月のグラビアやインタビューが掲載された週刊誌を開いている希和子さんの手が、ワナワナと震えている。歯ぎしりもしていた。

「先越されちゃったじゃない!」

 口惜しい、と雑誌を放り出し、ハンカチを握りしめる。女優としてのプライドは完全に傷ついていた。

 三十年芝居一筋でキャリアを重ね、その地位を築いてきたのに、ポッと出の「半人前」にしてやられた。

「和馬チャン(僕のこと)! 床屋に停めて頂戴!」

 ハンドルを握る僕に、ヒステリックに命じた。

「え? え? ま、まさか、て、剃髪とか・・・」

「当たり前でしょッ!」

「で、でも・・・」

「でももヘチマもないわよ! あの小娘にできて、あたしにできないわけがないでしょ!!」

 こうなると、もう、希和子さんは止められない。

 坊主頭の希和子さんなんて見たくないし、抱きたくない。

 しかし、「御主人様」に逆らうわけにはいかない。

「と、床屋っていっても・・・」

「どこでもいいわよ! その辺にあるでしょ!」

「あるかな〜」

 とりあえず希和子さんの昂ぶりが収まるまで、グルグル適当に走り、クールダウンさせたところで翻意を訴えるしかない。

 そう考えハンドルを切ったら、いきなり床屋! 三色のサインポールがクルクル、小さい床屋だ。駐車場も空いていた。タイムリーにも程ってもんがある。

 近くに大きな団地。そこの住人をあてこんで店を開いているのだろう。

「そこ、そこ床屋でしょ! そこでいいわ。車停めて」



 いきなり外車で乗りつけ、いかにも大物然と入店してきた場違いも場違い、大場違いなブルジョワマダムに、三十男の店主―― 一人で切り盛りしているようだ――はキョトンとしていた。

「あの・・・何か御用で?」

「ヘアーカットよ」

と希和子さんは僕にコートを渡すと、気ぜわしく理髪椅子に腰をおろした。

 そして、

「髪を全部剃ってくれるかしら」

と注文した。

「えええ?!」

 しかも、サングラスをはずした顔を見て、

「い、井深希和子さんですか?!」

 店主はすっかり気が動転している。

 まさか、あの「井深希和子」が自分の店に来て、坊主にしてくれと言うなんて、ギャグネタでも思わなかったろう。つまらないし。

「ご、ご冗談でしょう? ど、どうして剃髪なんて・・・」

「役作りよ」

 変わった役作りをする人だな〜、と店主の顔に書いてある。

「いいから早くやって!」

と急かされ、店主はすがるような視線を僕に向ける。僕はあきらめて、苦い顔で、お願いします、というふうにうなずいてみせた。

 店主はカットクロスを、恐る恐る希和子さんの身体にかぶせた。

 そして、ハサミをとった。

「切っちゃいますよ〜、本当に切っちゃいますよ〜」

と床屋はまるで自分に言い聞かせるように、繰り返しながら、大物女優の丈長き美髪にハサミをまたがせた。

 ジャキン!

と大きな音をたてて、そうして、

 バラリ!

と一房の髪がカットクロスに落ちた。

 磨き抜かれたエレガントな髪型の一角が、崩れた。

 右サイドの髪が、ズッパリと断たれていた。

 ジャキ、ジョキ、ジャキ、ジョキ、

と床屋は長い髪を切りすすめる。

 バサアアアアア

と文字通り「長い友」は友人に別れを告げ、カットクロスに滑り落ちていく。

 ハサミは段々機嫌よく鳴り、髪を、右、左、後ろ、前、と順番に粗切り、さらにまた、右、左、後ろ、前、と短く詰められる。

 デビュー以来ずっと長かった髪―― 一度役のため肩までカットしたことはあるが――ボーイッシュなショートカットになっていく。

 希和子さんは激情から醒め、今は普段の柔和な表情(かお)に戻っていた。自らの短髪頭を鏡で見て、

「あら」

と口元をほころばせてさえいる。さすがの貫禄だ。

「まだガキの頃、井深さんの写真集買ったんですよ。あれには随分お世話になったなあ」

と口をすべらせる床屋に、

「そう、ありがとう」

と艶然と微笑みかける余裕もあった。

 しかし、床屋がバリカンを取り出し、セットすると、その表情は固く翳った。バリカンなど、きっと初めてに違いない。

 ドゥルルルル

と業務用のバリカンが音立てて、ゆっくりと自分の側頭部にあてられたとき、希和子さんは毅然とそれを受け容れた。そのまま仮面のような表情で、刈られ続けた。

 セラミックの刃に一触されて、髪は脆くも、ザリザリザリ、と根こそぎ、こぼたれていく。

 目の覚めるような青い沃野が、サアーッ、とひろがっていく。

 バリカンは平等だ。大女優の髪も、そこらのハナタレ小僧と同様、忖度なしに刈り散らし、刈り整えていく。

 髪と頭皮の間にセラミック製の刃は差し込まれ、希和子さんの髪が剥き上がる。サイドから前頭部をザリザリ、後頭部をジョリジョリ。

 すっかり、ずんべらぼうの丸刈り頭になる希和子さん。

 仮面の表情もほどけ、

「あらあら」

とおっとり目を丸くしている。

 そしてレザーを頭に受けた。

 一片の剃り残しもなく、ジー、ジー、ジー、と練達の腕で、彫刻でもほるように、一刀一刀剃り込まれていった。

 その頃になると、店の外には黒山の人だかりができていた。団地の住人たちらしい。

 床屋の駐車場に不釣り合いな外車が停まっている→誰だろう、と店内をのぞく→女優の井深希和子が髪を剃ってる!!→すわ一大事→いそいで近所の知り合いに教える→そしてさらに人が人を呼び、といった具合で、

「なんで井深希和子がこんな床屋に?」

「しかも坊主よ、坊主!」

「きっと、あれよ、大河ドラマよ。上泉美月も剃ってたじゃない」

「女優さんも大変だなあ」

「でもこういうのって普通ヘアメイクの人とかにやってもらうんじゃないの?」

「もしもし、アタシ、大変よ! 女優の井深希和子が団地のそばの床屋で坊主になってるのよ。嘘じゃないってば! 早くしないと終わっちゃうわよ!」

 ワイワイガヤガヤとかまびすしく見物している。

 野次馬慣れしている希和子さんは、ゆったりと微笑している。

 希和子さんの頭の形はやや歪で、生々しい。が、当の本人は満足しているようなので、まあ、いいか。

 ジジジー、ジッ、ジッ、ジジー、

 ジッジ、ジジッ、ジジー

 希和子さんの頭はツルツルに剃りあがった。襟足の産毛もきれいに剃られた。

 衝撃度、バッサリ度、注目度など、あらゆる意味で本日の日本最大の断髪は、その幕を閉じた。

「ゆで卵みたい」

と希和子さんは、鏡を見、頭を撫でながら、破顔していた。

 床にはおびただしい髪が散乱していた。それらを掃き集めている床屋にそっと、

「切った髪、ちゃんと処分して下さいね。お願いします」

と耳打ちした。いわでものことかも知れないが、何しろ有名女優の髪だ。妙なことに使われたり、売買されては大変だ。

「大丈夫ですよ」

 床屋は請け負った。そして、

「サインもらえませんかね」

と言うので、希和子さんに頼んだ。

「いいわよ」

 希和子さんは快諾した。

 かつてのオナペットの頭を剃るという奇妙な巡り合わせに、床屋は始終何とも言えない顔をしていたが、サインをもらうと天にも昇らんばかりに、喜悦していた。

 平日の昼間だというのに、床屋の外は野次馬、野次馬、野次馬。

 ファンを大事にすることで知られる希和子さんは、求められるまま、握手やサインに応じていた。写真も撮らせていた。

「こんな頭になっちゃったけど、これからも応援してね」

と軽口を飛ばしたりもしていた。

 ようやく車に乗り込むと、僕たちは床屋を後にした。

「和馬チャン、どう? このヘアスタイル、似合ってる?」

と訊かれ、

「すごい似合っててビックリです」

と僕は心の底から褒めた。

 肉付きのいい丸顔で柔和な面差しの希和子さんが頭を丸めてしまうと、なかなかどうして、「清」と「艶」がうまい具合に溶け合って、美しい尼僧役にピッタリはまっていた。

「上泉美月より美しくて神々しくさえありますよ」

「上泉美月なんてどうでもいいわ」

 どうやら狐が落ちたようだ。ニコニコと大河ドラマの台本をめくっている。現在、「黎明編」が撮影中。希和子さんの出番はまだ先だ。

 その夜、僕も希和子さんも燃えた。

 騎乗位になった希和子さんは、

「あ、ああ!」

と青光りする坊主頭をのけぞらせていた。正直有髪だった頃より興奮した。



 さて、そんなこんなで大河ドラマ「東風吹く」の収録に、希和子さんも合流、スタッフは希和子さんの女優魂に感じ入ったようで、撮影もいよいよ本気度を増した。

 世間も沸いた。

『上泉美月の真似じゃん。オバサンが張り合っちゃって痛々しい』

という心無い声もあったが、それはごくごく一部で、何より希和子さんは意気軒高、スキンヘッドを振り立てて芝居に臨んでいた。

 「東風吹く」はすでに放映中だ。

 前作「義経物語」は“怪物大河”と呼ばれるほどの大人気作品だったが、「東風吹く」もそれに肉薄する高視聴率をマーク、“大河の黄金期再来!”とマスコミは書き立てた。

 「黎明編」から希和子さん主演の「修羅編」に入っても、視聴率は右肩上がり、その勢いはとめどなかった。

 希和子さんの硬軟織り交ぜた演技は、特に絶賛された。女優・井深希和子の代表作になるに違いない。



 クランクインが近づいた頃、映画のオファーがあった。

 戦時中、都会から田舎へと疎開してきた少年たちを温かく見守る尼寺の庵主さんという役どころだった。

「また尼さん役か」

と希和子さんは苦笑していたが、台本を読んで出演することに決めた。

 楽屋の鏡の前、電気シェーバーでブンブンジョリジョリ、セルフカットしながら(すっかり手馴れている)、

「当分剃髪生活は続きそうね」

とボヤきつつも、希和子さんは嬉しそうだ。



          (了)






    あとがき

 どうも、迫水です♪♪
 今回は女優のバッサリでございます!
 正直書いていて気が散って気が散って・・・(汗)私生活でしょーもないことが色々あって、あまり集中できませんでした(^^;)
 某所で「徳川家康」という30年以上前の大河ドラマを観たんですよ。そうしたら、八〇草薫さんの尼姿にメチャメチャやられました。お婆ちゃん女優というイメージだったのですが、当時まだまだ女盛りといった感じで(本人も家康の“祖母”役というオファーにショックを受けたと語っていた)、上品で柔和で美しく母性あふれる尼僧ぶりでした。
 なので、もし自分が八〇草さんのマネージャー(兼愛人)だったら、「ヒ〇ミちゃん(本名)、尼さん役なんだから剃髪した方がいいんじゃないの? 僕が剃ってあげるよ」と八〇草さんをそそのかして・・・、などという妄想をして、密かに興奮していました。まさか八〇草さんもこんなトンチキの妄想の餌食になるとは想定外だったでしょう。。
 八〇草さん、昨年亡くなられたらしい。亡くなられたのは存じ上げていたのですが、まさか一周忌もまだだったとは・・・。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 こんなわけで、最近ちょっと八〇草薫さんブームです。あれこれ出演作を観ています。「岸辺のアルバム」っていうドラマが最高でした!
・・・と話を戻して、そんな妄想を基に、今回のストーリーを書きました。ワガママ高飛車女優が役作りのため、剃髪に追い込まれる、という展開も考えたのですが、それはまた次の機会に。
 今年の大河ドラマ、かなりの災難続きで、もしかしたら信長の祟りなのか?!と考えたりもしています(笑)
 どういう本能寺の変になるか最後まで目が離せないです(と言いつつ、実は再来年の「鎌倉殿の13人」が待ち遠しい・笑)。
 最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました(*^^*)



作品集に戻る


inserted by FC2 system