同調圧力 |
きっかけは風祭由記(かざまつり・ゆき)が、ある日、髪をうんと短く切って、登校してきたことからだった。 その「ある日」というのは、陸上の地区大会の翌日だった。 その大会で、武田(ぶだ)中学の女子陸上部の800mリレーチームは予選で、惜敗を喫した。 リレーチームは、先述の風祭由記と林原祥子(はやしばら・しょうこ)、火浦くみ乃(ひうら・くみの)、そして本稿の主人公・山田七瀬(やまだ・ななせ)の四人だった。もう一年以上、ずっとこの四人で走ってきた(今はクラスも一緒だ)。 予選敗退して「いいトコまでいったのにね」と言い合って、それで終わりの話だった。 勿論大会に向けて頑張ってキツい練習にも耐えてきたけれど、それはそれ、あくまで勉学が主で部活動は従の校風だったし、負けて元々のレースだった。予想外に健闘したが、それで御の字だった。 だから、由記がトレードマークだったポニテを捨て、バッサリ髪を切ってきても、 ――イメチェン?! と彼女のチームメイトたちは思ったものだ。 しかし、由記のベリショは、イメチェンにしては武骨に過ぎた。男の子のように刈り詰めて、襟足も刈りあげられていた。 すっかりド肝を抜かれ、 「どうしちゃったの?!」 と訊いたら、 「昨日大会で予選負けしちゃったからね」 と言葉とは裏腹に、勝者の如き笑みを浮かべ、 「負けた自分を戒めて、気合い入れようと思って切ったの」 と断髪の理由を語った。 「へえぇぇ〜」 そんな発想は七瀬たち他の三人にはなかった。 「すげースッキリしたよ」 と由記は得意げに言う。 「ドライヤーも5分で済むしね」 とその利便性も付け加えたりもする。未知の世界に踏み入った者の高揚が、ガンガンに伝わってくる。 「Tiktakにカット動画あげたから」 というので、その動画を視聴。 テクノポップが流れ出す。 長い髪の頃の(つい昨日だ!)由記がいた。画面に向かってピースしている。 超倍速の映像。みるみる短い髪になっていく由記。時に笑いながら、時に神妙な表情で。 そして刈りあがった短髪に手をあて、笑顔でまたピースサイン。 この15秒の動画に、七瀬も祥子もくみ乃もすっかりやられてしまった。 「由記、マジ勇者!」 と祥子などは尊敬の眼差しでコメントする。そして、 「アタシも髪切ろうかな」 と言い出したので、 「え?!」 と七瀬とくみ乃は、祥子と彼女のシニヨンに編んだ髪を振り仰いだ。 「やっぱ毎回負けっぱなしじゃ悔しいじゃん? ここは一発、昨日の反省も兼ねて、アタシもベリショにして、気合いを入れ直そうかな」 祥子、良くも悪くもノリのいい年頃だ。思いきり由記に感化されている。 「え? え?」 目を白黒させる七瀬とくみ乃。 由記の方は勿論ウエルカムだ。 「そうそう、祥子も髪切っちゃいなよ。これから暑くなるし、陸上なんてロングじゃやってらんないよ?」 と自分の陣営に引き込もうとする。 七瀬とくみ乃は祥子を引き留めたかったが、何となく引き留めにくい空気があった。 そして、翌日、愛らしいお団子ヘアーに別れを告げ、祥子はスポーツ刈りほどのベリーショートになっていた。 その髪を撫で撫で、 「近所の床屋でやってもらったの。これで陸上に賭ける覚悟が決まったゼ」 覚悟云々は置いといて、 「床屋ぁ?!」 七瀬とくみ乃は目をみはる。由記は、いいね〜、とニヤニヤ。 祥子も由記に追随して、動画をあげていた。編集も由記の動画の手法に寄せていた。祥子は独創的という言葉からは、程遠い少女だった。 超倍速で、編んだ髪がほどかれ、霧吹きで湿される。長い髪が、バサバサッ、バサッ、と切り落とされ、バリカンも登場、切った髪をさらに短く、ゾリゾリ刈り込む。 BGMはビバルディの「春」。謎なチョイスだ。 尺の都合だろう、カットシーンは途中で切れ、スポ刈りになった祥子が、 『うお〜、やっちゃったぜい』 とひとまわり小さくなった頭を掌で確かめ、床屋からもらった飴玉をしゃぶりながら、顔を真っ赤にして画面に手を振って、終わっていた。 少々ごつい男顔の祥子がベリショ(スポ刈り?)になってしまうと、もう男子が女装しているようにしか見えない。 迷惑にも、 「七瀬もくみ乃も髪切ろうぜい。サッパリして気持ちいいぞ〜」 とすすめてくる。 閉口した。由記や祥子は非モテ系だから、ごくあっさりと髪を切れるのだろうけれど、そこそこモテる七瀬とくみ乃は、とてもじゃないが、雷同する気にはなれない。 七瀬は栗色の、くみ乃は黒の、長い髪にハサミを入れることには、激しい抵抗があった。 彼氏持ちのくみ乃は、 「マサ君(彼氏)に止められるよぉ〜」 とのたまい、断髪に肯んじない。 状況は二対二なのだが、ロングヘアー組は何となく分が悪い。 逆に断髪組は威勢がいい。フットワークも軽いし、教室でも部活でも活き活きしている。ロングヘアー組に対しても、どことなく上から目線だ。 「シャンプー楽だよね」 とか言い合ったりして、七瀬とくみ乃にマウントをとろうとする。 だから七瀬とくみ乃は裏で、 「絶対髪切らないでいようね」 とこっそり誓い合っていた。 くみ乃が髪を切ったのは、それから一週間後だった。 スポ刈りになったくみ乃。やはり、床屋で切ったらしい。 くみ乃が七瀬との約束を破って髪を切ったのには、理由がある。 小学校時代から五年間付き合っっていた彼氏にフラれたのだ。 くみ乃はひどく落胆していた。 その心の隙をついて、由記と祥子はくみ乃をそそのかし、その気にさせて、彼女を床屋へと連れていったのだった。 くみ乃もヤケになっていたし、彼女の中で「恋愛>部活」から「恋愛<部活」という転換が起きていた。 「これからは部活一筋だよ」 とくみ乃は力強く、そう宣言していた。普通のベリショだった「先駆者」の由記も、同時にその床屋で、スポーツ刈りに刈り直していた。 とうとう七瀬だけが残されてしまった。 これはキツい。 他の三人からの「自分たちはやっているのに何故お前はやらないんだ」的なプレッシャーを、毎日のようにかけられている。 三人は七瀬の前でことさらに、髪についての話題ばかりをする。 「手入れも楽だよね。最高の時短」 「長い髪でイキってた自分がバカみたいだよ」 「間宮ミサ子の『断髪力』が売れるわけだわ」 と七瀬に聞こえよがしに言う。七瀬は輪の中で、ひとり小さくなっている。 「メッチャ気合い入ったよね」 「次の大会は絶対予選勝ち抜けようね」 「でも一人だけ気合い入ってない子がいたりして」 との嫌味とともに、六つの目が射貫くように、七瀬のロングヘアーを睨(ね)める。七瀬はうつむくばかりだ。 練習のとき、ちょっと髪に手をやると、 「七瀬! 髪なんかイジってないで、練習に集中しなよ!」 「やる気ないなら帰んなよ!」 と罵声が飛んでくる。 リレーチームのメンバーが次々と断髪したことで、陸上部以外の女子に、 「七瀬は髪切らないの?」 と露骨に訊かれたりもする。 その都度、七瀬は、 「強制じゃないから・・・」 と歯切れ悪く言い訳しなくてはならない。 「切っちゃえ切っちゃえ」 外野は無責任だ。 七瀬は肩身が狭い。 そのうち、由記、祥子、くみ乃は七瀬をハブるようになった。三人だけで遊んだりしているみたいだ。ラインも七瀬抜きの三人組グループでやり取りしているらしい。 今まで「七瀬」と呼んでいたのに、「山田さん」と他人行儀で呼ばれるようになった。 男子たちもくすぶっている七瀬より、ノリの良い由記たちとからみたがる。 いつしか、「断髪三人娘=えらい」「ロングヘアーの七瀬=ダサい」といった図式ができあがりつつある。 状況は切迫している。七瀬は共同体からはじかれかけている。 でも七瀬は髪を切りたくない。ましてや、スポーツ刈りなど、考えただけで怖気立つ。 しかし、孤立は避けたい。ぼっちはイヤだ。由記や祥子、くみ乃との友情も回復したい。 人生ある程度の妥協は必要だ、と自分に言い聞かせ、七瀬はいつも通っているカットハウスに行き、それこそ清水の舞台から飛び降りる思いで、 「これくらい切って下さい」 と大切な髪を肩の辺りで切り揃えた。ジャキジャキ、チャッチャッ―― 「随分切ったわね」 と女美容師さんは驚いていた。 そして、だいぶ軽くなった頭で翌日登校したが、スポ刈り三人娘の態度は冷淡だった。 「は? 山田さん、何のつもり?」 と由記は能面のような表情で、ひややかに言った。 祥子も、 「随分オシャレだね。男子たちが悲しむから、そんな短い髪にしない方がいいよ」 と蔑みの目を七瀬に向けている。 「山田さん、本気でウチらと同じチームで頑張る気あるの?」 とくみ乃にダメを押された。 中途半端が一番よくない。七瀬は身をもって知った。勇気を出して髪を切ったのに、かえって火に油を注ぐ結果になってしまった。 居たたまれず、学校を早退した。家に帰るとベッドに潜り込んで、七瀬はポロポロと大粒の涙を流した。 悲しかった。ずっと四人で走ってきたのに。 ――陸上部やめようかな・・・。 とも思ったが、それでは解決にならない。かえってこじれるばかりだ。 ――死にたい・・・。 とすら考えた。 次の日もその次の日も、七瀬は学校を休んだ。このまま不登校になりそうだ。 スマホが鳴った。 由記からのライン。 驚いた。 一時間ほど、未読でいた。怖かったからだ。 しかし気になる。 おそるおそる開いてみた。 『ちゃんと話そ。PM5:30に稲荷町のマックで待ってるから』 由記のラインが七瀬には、砂漠で差し出された一杯の水のように思えた。まだ絆は消えてはいない。救いは、ある。 緊張しながら、待ち合わせの場所に行く。 由記はすでに来ていた。祥子もくみ乃も一緒だ。スポーツ刈りに制服の三人娘は、すごいインパクトだ。改めて思う。 「座りなよ」 と由記に招かれ、テーブルに着く。 「七瀬さあ」 と由記はため息まじりに切り出した。久しぶりに名前で呼ばれ、七瀬の胸はちょっぴり温もる。 「何か勘違いしてない?」 出し抜けに言われ、 「えっ?」 と七瀬は困惑する。 「ウチら別に七瀬のこと、嫌ったりイジメたりしてるわけじゃないんだよ」 「ごめんなさい」 何故か謝ってしまう。 「そうそう」 と祥子が後を引き取る。 「アタシらも、せっかく陸上部のキツい練習に耐えて、ここまで一緒にやってきたんだよ。だからさ、負けたら悔しいじゃん? 勝ちたいと思うじゃん?」 「う・・・うん」 会話の手綱を握られ、七瀬はうなずくしかない。 「ウチらのこの髪は、その意気込みを形にしただけでさ、でもなんか七瀬だけ冷めてるっていうかさ、そんだから、こっちも白けちゃうんだよね」 「そ、そんなつもりは・・・」 七瀬はすっかり萎縮し、肩をすぼめている。 「髪をちょこっと切って、媚び売るような真似されたときは、マジでカチンときたしね」 「ご、ごめん・・・」 「謝んなくていいよ。別に七瀬が悪いわけじゃないし。ウチらが熱くなりすぎてたんだね。ダサかったね」 「ダサくなんてないよ! 三人が陸上に一生懸命になってるのは十分伝わってくる。すごいと思う。リスペクトしてる、ホントに」 「そんなことないよ」 「あるってば。ダサいのはアタシの方だよ。距離置かれても仕方ないと思ってる」 七瀬の両眼から涙がこぼれ、頬をつたう。それを、くみ乃が渡してくれたハンカチで押さえ、 「ごめんね。ごめんね」 と三人に頭を下げる。 「いいんだってば。わかってくれれば、それでいいんだって」 「そうそう」 「これからも四人で頑張ろ」 「七瀬だけは髪切らなくていいからね」 「き、切る。アタシも髪、切るよ! みんなと同じにする」 七瀬、ついに宣言してしまった。 「無理しなくていいよ」 「七瀬、ウチらと違って長い髪、似合ってるしね」 「無理なんかしてないよ。・・・アタシ、髪切る!」 「七瀬、決めたんだね!」 「アタシらこれからもずっと友達だよ」 四人、ファーストフード店のテーブルで、おいおい泣いた。それぞれの涙の質は異なっていたが。 その10分後には、七瀬の断髪式が執行された。 場所はマックに近い床屋、お財布と相談した結果、千円カットの店にした。 由記たちも付き添ってくれた。「付き添い」というより、逃がさねーぞ、という「監視」に近かった。 後日切るという七瀬に、他の三人は、今でしょ!(古い?)と、七瀬の変心を懸念しているかのように、ヘアーカットを強行させた。 初めて入る床屋――しかも千円カットのチェーン店だ――で七瀬の青春をずっと彩る予定だった美髪は、容赦なく切り落とされたのだった。 ガテン系のオジサンやチビっ子と、横一列に並んで、切られた。 床屋も七瀬への大胆過ぎる施術を躊躇していたが、仕事と割り切って、 ジャキジャキッ、 ジャキッ、 と勢いよくカットしていった。 切られた髪が、ザサササーッ、とコースターのように、滑走していった。 ジャキ、ジョキ、ジョキ、ジャキッ ザザザアアアアァァ ――あっ、あっ、ああああ! 鏡にうつるボーイッシュなショートヘアーの女の子に、七瀬は目を疑った。が、それはまぎれもなく七瀬自身だった。 普通ならハサミで丁寧に切っていくのだが、早さが命の千円カット、すぐにバリカンにバトンタッチする。 ウイイィィィン ズシャアアアァアァア 髪の抵抗を跳ね除け、バリカンが、側頭部を、後頭部を、走る。ひたすら走る。手早くさっさと片付けられていく。 「七瀬、頑張れ!」 と彼女のチームメイトたちは意味なく応援され、泣きそうになる七瀬だが、しかし、こらえる。唇をギュッと噛みしめて。 ウイイィイィィン ザザザザザアアアアアア!! 地肌が覗けそうになるほどの短さに、髪は刈り込まれていった。 「男前だよ、七瀬」 とくみ乃に褒められても、ちっとも嬉しくない。が、笑顔を作って、鏡越しに応える。 ザザザザザアアアアアア バササッ、バサアアアアア、バサッ! セーターが一着誂えられそうなくらいの量の髪が、床にこんもり。 頭がスースーする。 断髪は十分で終了した。七瀬には一分にも思われたし、一時間にも思われた。あまりの衝撃に、体内時計が狂ってしまったのだろう。 「終わったよ」 と理髪師の青年は、サッとケープをはずすと、そこに溜まった髪を振り落とした。バッサアアァァアァァア! 鏡の中に田舎小僧がいた。唇を半開きにして呆然となっている。 ――誰? と一瞬頭の中が真っ白になったが、しかし見間違えるはずもない、自分の顔だ。 ――ああ! ああ! 髪! アタシの髪が! 我に返った七瀬は大泣きした。 友人たちも彼女を囲んで、 「七瀬、えらい! よく頑張った!」 「スポ刈り、めっちゃ似合ってるよ」 「ウチら、これで本当の友達になれたんだね」 とむせび泣いた。 泣きじゃくるスポ刈り女子四人組に、店員も客も、コイツら何なんだ?という表情(かお)をして、引いていた。 店を出ると、初夏の夜の外気が涼しい。いや、寒い。 「さあ、全員の気合い入れも済んだし、次の大会こそ予選突破、いや、テッペン目指そうね!」 と由記が大声で言い、 「おう!」 と七瀬たちも和した。夜空に拳を突き上げた。 「テッペン獲るまでは皆、スポ刈りだよ!」 「おうっ!」 だが、しかし、その後、四人は四人とも、ちょっとずつ髪を蓄えはじめた。 お互いキマリ悪い思いをしつつ、お互い気づいてはいたが、スルーし続け、いつしか四人、長い髪に戻っていた。 そして当然の如く、大会では箸にも棒にも掛からず、敗退につぐ敗退。 リレーチームの面々は、長い髪で卒業アルバムに収まり、別々の高校に進学後は、音信も自然に途絶えた。 ―― 一体あれは何だったんだろう・・・。 と大人になった七瀬は思う。 結局のところ、思春期によくあるエネルギーの暴走&迷走――麻疹のようなものだったのだろう。 或る意味良い経験をした、と七瀬は今となっては考えている。 七瀬は近々ママになる。 ふくらんだお腹をなで、 ――ママ友選びは慎重に。やたらベタつかず、つかず離れずくらいで丁度良いわね。 としみじみ思う。 またお腹の子が動いた。 (了) あとがき 皆さん、お元気ですか? どうにもハードな状況が続いておりますが、不要不急の外出は避け・・・って識者みたいだな(^^; 今回もまた学園モノでございます。 今回は「逆風」の中、突貫工事的に書きました。いつもは、最後まで書き終えてからも、偏執的なまでにチェックにチェックを重ねるのですが、今回はなるべく控えました。 少しは世の中のためになるサイトであらねば・・・。 最後までお読み下さり、ありがとうございました(*^^*)(*^^*) 近く、頂いたコメントにもお返事させていただきますね! コロナ禍が一日も早く収束しますように! |