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姫百合の・・・


KOUKISHI_ZENBU_01.JPG - 8,013BYTES


ヴイイイン!
   無機質なバリカンのモーター音が、夏休み前の教室にこだまする。
 バチカブリ大のキャンパスに集う乙女達が、今日も悪鬼のような凄惨な形相で、  特売品のバリカンを入れられていく。
葬式仏教しか知らない心身を包むのは、黒い色の袈裟。
 修行前の剃髪に取り乱さないように、寺を継ぐ決意を翻らせないように、  しっかりと受け容れるのがここでのたしなみ。


「ごきげんよう、嶋子お姉さま」
「あら、典子、ごきげんよう」
 懐かしい女子校時代の挨拶で、お姉さまがゆったりと微笑み返すが、体勢が体勢だけに、どうにもサマにならない。きけば、午前中からこの体勢のままだという。
 お姉さまは床に立膝をついて、周囲を机でビッシリ囲い込まれている。首にガッチリとベニヤ板の軛を嵌められ、身じろぎひとつできずにいる。頭だけ世間にポッカリと突き出ている状態。まるで江戸時代の鋸引きか黒ヒゲ危機一髪のようだ。こんな光景、「西太后」という昔の映画にあった気がする。
「お疲れさまです」
「ふふ、なんでもなくってよ」
 虚勢をはっているが、お姉さまはかなりグロッキーな様子。目に生気がない。お気の毒に・・・。
 傍らに
 『美女の生首』
という看板が立てかけられている。
「コレ、差し入れです」
 売店で買ったアイスキャンディーの袋を持ち上げてみせる。
「食べさせてちょうだい」
 あ〜ん、と口を開ける嶋子お姉さま。
 アイスキャンディーの袋をあけて、中身をお姉さまの桜色した唇にもっていってやると、お姉さまはチロチロと舌先をアイスキャンディーに這わせた。
「もういいわ」
「そうですか」
 じゃあ、私が、と食べさしに口をつける。関節キッス、と小学生じみたことを考えてしまった。
 お姉さまが卒業なされて、もう四ヶ月になる。お姉さま、お姉さま、と連呼しているが、実の姉妹ではない、念のため。
 実家がお寺なのに、シスターになりたい、とミッション系のビビアン女学院に入学した嶋子お姉さまだったが、初志を貫徹できず、付属大ではなくて、仏教系大学の八頭大(はちかぶりだい・通称バチカブリ大)に進学。
「参ったわ。絶対、八大じゃなくちゃダメって親が頑固でね」
「大変ですわね」
 でもお姉さま、たしか「勘当されてもシスターになる夢は諦めない」って熱く語ってらしたんじゃなくって?
 こんな時、いつも脳裏をよぎる言葉がある。

――人にはそれぞれ事情がある。

 だから、嶋子お姉さまのこと、けっして、変節漢、とか、ヘタレ女、とか、エラソーなコト言ってやがったクセに、とか、所詮箱入り娘、とか、陰でせせら笑ったりなどいたしてはおりませんわ、ええ、本当に。
「お寺、お継ぎになるのですね」
「ふふふ、まさか。ウチはお兄様が継ぐことが決まっていてよ」
 暑いわね、典子、ちょっと扇いでくれない?との嶋子お姉さまの言葉に、私はあわてて、校門前でもらった「八頭大学納涼祭実行委員会」のロゴが入っているウチワで、パタパタとお姉さまに風を送った。たしかにこれでは一種の蒸し風呂だろう。お姉さまは生き返ったように、目を閉じている。お姉さまのゆるくウェーブしたフワフワロングが、ウチワのおこす風に幽かにたなびいている。
「お姉さま、大学には慣れましたか?」
「ええ、最初は共学ってことで少し戸惑ったけれど、いまは、もう大丈夫よ」
「おい藤道」
 角刈りのイカツイ男子が近づいてくる。嶋子お姉さまの先輩らしい。
「あ、権田原先輩、チワーッス」
「ブッ!」
 お姉さまの豹変ぶりに、ウチワを取り落としかけてしまう。
「キツイか?」
「マジ、キツイっすよ〜」
「まあ、これもウチのサークルの伝統だからな。頑張れよ。終わったら焼肉おごってやる」
「マジっすか?! 焼肉っすか! 頑張りマスッ!」
 お姉さまの目がキラキラしている。このマッチョ系にゾッコンらしい。
「明後日、合コンなんだろ?」
「えへへ、もうバレちゃいましたあ? でもでも〜、アタシは権田原先輩一筋ですから〜」
「うれしいこと言ってくれるじゃない」
 お姉さま、共学の気風に馴染みすぎです。しかも乙女の園で純粋培養されたせいか、男のシュミ、悪すぎです。というか、お姉さま、貴女、もうすでに「オトメ」じゃありませんね? 高校時代は「白菊の君」と全校生徒に憧れられていた人なのに。嘆かわしい。
「それじゃあ、任せたぞ」
「了解っす」
 権田原と入れ違いに
「嶋子はいるかしら?」
 聖子サマ! 嶋子お姉さまのお姉さまで、「ビビアンの白鷲の君」、佐竹聖子サマではありませんか。わざわざのお運び、ご苦労さまです。
「まあ、聖子お姉さま」
「陣中見舞いに来たわよ」
「こんな姿で恥ずかしいですわ」
 嶋子お姉さまは頬を赤らめている。スイッチの切り替えの自在さに舌を巻く。共学で揉まれているうちに、立ち回りの巧さを会得したようだ。
「何を言ってるの、嶋子。私と嶋子の仲でしょう?」
「お姉さま(うるうる)」
「お化け屋敷やってるんですって?」
「ええ、サークル活動費を捻出するために、体をはってますの」
「お客、全然入ってないじゃない」
「こんなお祭り広場から離れた旧校舎の端の教室になんか、誰も来るはずありませんわ。体のいい新入りイジメですわ」
「大変ねえ」
「お姉さま、嶋子は耐えてみせますわ」
「立派よ、嶋子。じゃあご褒美をあげましょう」
「ご褒美?(ドキドキ)」
「待ってらっしゃい」
 聖子サマは一旦、教室を出て、すぐにグラグラ煮えたぎった大きな鍋を抱えて戻ってきた。
「お腹すいたでしょう? 貴女の大好きなおでんよ。冷めないように、そこの調理サークルでガスコンロを借りて温めさせてもらったの」
「ま、まあ、う、うれしいですわ」
 嶋子お姉さまの笑顔がヒクついている。
「そこに置いておいてくだされば、後でゆっくりといただきますわ」
「遠慮しなくてよくってよ。私が食べさせてあげるわ」
「いえ、本当に後で自分で・・・」
 ガーンと聖子サマが白目になる。
「ひどいわっ、嶋子! 私がせっかく嶋子のために給仕をしてあげようと思ったのに・・・。そうね、お姉さまといっても所詮血はつながっていない赤の他人ですものね」
「いえ・・・あの・・・お姉さま・・・」
「やめてちょうだい! 妹に心づくしの差し入れを邪険に扱われて、お姉さまも何もあったものじゃないわ! こんな他人の私にお姉さま面されて、嶋子、貴女もさぞ片腹痛かったことでしょうね」
「いえ、なにもそこまで・・・」
「ああ! やっぱり共学に入ると変わってしまうのね! あの天使のように素直だった嶋子がゴネリルみたいに冷酷になってしまって・・・。私はリア王のように捨てられたのね。嗚呼! 男ね! 男が貴女を変えてしまったのね!」
 もしかして女子大の聖子サマは、共学に通っている嶋子お姉さまに嫉妬しているのではないだろうか。そんな疑念が胸をよぎる。
「わかりました。いただきます。いただきますわ!」
 嶋子お姉さまがたまりかねて言う。
「嶋子、私の気持ち、届いたのね。嬉しいわ」
 さあ、嶋子、ア〜ンして、と聖子サマがヤバイくらい湯気をたてている大根を箸でとって、嶋子お姉さまの口に運ぶ。
「い、いきなり大根ですのっ?!」
「ダシがしみて美味しいわよ。さ、嶋子、お食べなさい」
「ハフハフ、熱っ! あつうっ!」
 嶋子お姉さまが悶絶しながら、おでんをついばんでいる。
「お、お姉さま! 嶋子は舌を火傷してしまいましたわ」
「何を言ってるの。やはり夏はおでんでキマリよね。次は餅入り巾着いってみましょうか」
「お、お姉さまああア!!」

 聖子サマの危険な愛情行為が終わり、半死半生のお姉さまに、麦茶を含ませてあげる。いっぱい飲んでトイレに行きたくなってはいけないので、あまりたくさんは飲ませられない。
「共学も悪くないわね〜」
と無邪気な聖子サマ。
「嶋子が八大を受験すると聞いたときは驚いたわ。てっきりシスターになるとばかり思ってたから」
「スポンサーの意向には逆らえませんわ」
「そうね。人にはそれぞれ事情があるものね。私は嶋子の決断を支持するわ。可愛い妹の決めたことですもの。別に嶋子のこと、変節漢、とか、ヘタレ女、とか、エラソーなコト言ってやがったクセに、とか、所詮箱入り娘、なんて全然思ってなくてよ(にっこり)」
「お、お姉さま〜」
 嶋子お姉さまが飼い主に蹴りをいれられた小犬のような目で、聖子サマを見上げる。
「で、嶋子、やはり実家のお寺を継ぐの? たしかお兄様がいらっしゃったはずだけど」
「兄が継ぎます。寺の後継者も大変ですわ。明日から本山でみっちり『研修』がありますのよ、ふふっ」
 サディスティックな笑いを浮かべる嶋子お姉さま。
「ま、十キロは確実にダイエットできますわね。羨ましいわ」
「それでお兄様が苦行に励んでいる間、貴女は爛れた夏休みをエンジョイするわけね」
「何をおっしゃいますの、聖子お姉さま。心外ですわ。私、お兄様が留守の間は、夏休み返上で実家の手伝いをいたしますのよ。お施餓鬼やらお盆は、それはもう忙しいのなんの。それに課題のレポートも書かなければなりませんし」
「遊ぶどころではない、と?」
「勿論ですわ」
「もうちょっと、おでん食べたくない?」
「い、いえっ!」
「だったら本当のことを仰い」
「・・・スミマセン。友人とハワイ旅行に行きます」
「友人て女?」
「当然ですわ」
「共学校に入学したからといって男遊びなんかしてないでしょうね」
「見損なわないでください、聖子お姉さま。私にもビビアン卒業生としての矜持があります。殿方にうつつを抜かすなど断じてあり得ませんわ」
「本当?」
「マリア様に誓いますわ」
 嶋子お姉さまと聖子サマの間でバチバチと火花が飛ぶ。
「でも、お姉さま、明後日、合コンだってさっき上級生の方と話して・・・」
 私の不用意な一言を、
「典子っっ!!」
 嶋子お姉さまがあわてて打ち消そうとするが、時すでに遅し。天然の妹をもった報いだ。
「典子」
と聖子サマが私を振り返る。マクベス夫人が演じられそうな顔つきだった。
「隣の調理室でおでんを温め直してきてちょうだい」
「ひいぃぃ! す、すみません!」
 嶋子お姉さまが兜を脱ぐ。
「私、本当はちっとも行きたくなかったんですけど、人数が足りないからどうしても来て欲しいと頼まれて・・・」
「その目は嘘をついている目だわ。典子、おでんを温めてきて。うんと熱くして」
「すみませんっ! 強引に面子に加えてもらいましたっ!」
「で、もう経験済みなわけね」
「いえ・・・その・・・」
「典子、おでんを・・・」
「ひええぇぇ! すみましぇ〜ん! 新歓コンパで知り合ったオトコノコと酔った勢いでエッチしちゃいましたああ!」
 嶋子お姉さまは泣きながら、その後、味をしめて、ちょくちょく合コンでオトコ漁りをしていること、すでに乱交まで経験していること、今年の夏休みも合コンの予定がギッシリ入っていること、ハワイ旅行も実は男(セ○レ)といくこと、などなどの悪行三昧を白状した。
「嶋子」
 聖子サマが泣きべそをかいているお姉さまの頭に手をおく。思いのほか、優しい声音だった。
「いくら共学だからと言って、ハメをはずしすぎてはいけないわ。マリア様がみていらっしゃるわよ。学び舎を去っても貴女は誇りあるビビアンの乙女なのだから」
 聖子サマ、それ以上はもう何も仰らないでください。本当に危険です。マリ○てファンに殴られますから。
「・・・はい」
 嶋子お姉さまが泣き腫らした目で、コクリとうなずいた。今鳴いたカラスがもう笑う。

だが、次の瞬間、カラコロと足音。何者かが砂塵を巻上げ、教室に闖入してきた。
「あ、お客さんじゃないですか?」
と三つの視線が注がれた先には、
「嶋子・・・」
 嶋子お姉さまのお父様だ。麻薬中毒者かと見間違えたくらい異常なテンションで、目をギラギラ光らせ、ハアハア肩で息して、入り口に仁王立ちしている。とるものもとりあえず駆けつけたらしく、作務衣姿に雪駄履きだ。
「アラ、お父様、どうなさったの? 息せききって」
 坊主頭の闖入者は重戦車の如く、まっしぐらに「美女の生首」に突進すると、
 バンッ!
とベニヤ板の上に習字用の半紙を叩きつけるように置いた。
 半紙には漢字が二文字、
「恵嶋」
と殴り書かれていた。
「何ですの、コレ?」
「お前の法名だ」
「え?」
 キョトンとする嶋子お姉さまに、
「お前、明日から本山の研修に行ってくれ」
「え? え?」
 お姉さまは中年僧侶の形をして突如出現した新現実を、キャッチしそこねて、オロオロしている。
「だ、だって研修にはお兄様が・・・」
「あの馬鹿、女と逃げた」
「えええッ?!」
「もうお前しかいないんだ」
 お父様の右手には白いホームバリカンが握られている。
「どしぇえええっっ!」
 嶋子お姉さまの両眼が顔からはみ出そうになる。
「お、お、お、お待ちになって、お父様! 第一研修には手続きが・・・」
「そんなもの後からどうにでもなる!」
時間がないんだ、と詰め寄られた嶋子お姉さまは、
「無理ですうっ! いきなり尼さんなんて無理! 絶対無理! できないって! マジ、ありえない! マジ、無理!」
 不可能教の巫女のようになって、父君の方針の強引さを訴えるも、
「無理は百も承知、二百も合点だ。だがな、将寓寺の未来がかかってるんだ! 頼む!」
 お父様も必死で、目を血走らせている。
「イヤですっ!」
 お姉さまの首をロックしているベニヤがギシギシ軋む。しかし当然ながら、脱出はおろか、身動きすら不可能である。
「せ、聖子お姉さまっ! どうかお取り成しくださいませ!」
 すがるような眼差しを向けられた聖子サマだが、
「嶋子」
 お姉さまのお姉さまは半眼になって、突き放すように言った。
「貴女、シスターの道から逃げて、今もまた、尼僧の運命から逃げ出すつもり? だとしたら、私は今度こそ貴女を軽蔑するわよ」
「ううううっ!」
 追い詰められる嶋子お姉さま。
「の、典子〜」
 今度は私にSOS信号が発せられる。
「嶋子お姉さま」
 私の胸のうちはきまっている。
「私がハサミをとらせてもらいます。ですから、心静かに尼になってください」
「へ?」
 嶋子お姉さまは、妹の思わぬ謀反に一瞬、頭の中が真っ白になったようだった。
「私、もうこれ以上、お姉さまが堕落していく姿を見るに耐えられません。いっそ尼僧になって清らかな信仰生活を送ってくださった方がマシです!」
「そうね、典子の言うとおりだわ。私もハサミ、いれさせてもらうわ」
ハサミ借りてくるわね、と聖子サマが教室を出て行く。
「嘘、嘘、嘘、嘘、嘘でしょ・・・」
 全世界から見放されたお姉さまは、歯の根が合わぬほど震えていた。
「嶋子、ゆくぞ」
 ジジジ、ジジジ、とバリカンの機械音が、藤道嶋子の美少女人生の終幕ベルとなって、さして広くもない室内にはじける。
「無理だよ! できねーっつの! やだやだやだやだ!」
 お姉さまはもう駄々っ子と化して、ぶんぶんと首を振り・・・たくても振れずに声をはりあげる。無理もない。つい5分前まで、目の前でジリジリ耳障りに鳴っている家電製品と自分の身体が接触する日がくるとは、一秒たりとも考えたこともなかっただろう。
 でも、ペッ、ペッ、と御父君に唾を飛ばし、悪あがきしているお姉さまの不様な姿は正視に耐えない。
「見苦しいですわよ、お姉さま。どうか潔くなさってください。妹の私を失望させないでください!」
「典子! アンタ、お姉さまであるアタシをこのハゲに売ったわね! 覚えてらっしゃい! 月夜の晩ばかりだとは思わないことね!」
 ふわふわロングも逆立たんばかりに吼えるお姉さま。そんなお姉さまを早く異性や快楽への妄執から解き放ってやりたくて、
「オジサマ、ひと思いにやっちゃってください」
「おうとも」
 ウィーン、ウィーン。ミサイルが唸りをあげ、無防備都市めがけ接近する。
「うおおおおっ! ちょちょちょちょ、ちょっとちょっとちょっと! タンマ! タンマ! タンマ!! 父さん! 話し合おう! ねっ? ねっ?」
「問答無用」
 バリカンがお姉さまの前髪に吸い込まれたときは、思わず呼吸を忘れた。一瞬の出来事だった。だが、その一瞬でお姉さまの運命は確実に流転した。
 ジャリジャリジャリッ
文明の利器はお姉さまの女の命を根元からかき切って、波間を滑るモーターボートのように、一直線にその頭上を突っ切った。
 嶋子お姉さまの人生にクッキリと青白いラインがひかれる。
「ひいいいいっ!」
 お姉さまはバサリと目の前のベニヤに落下した、髪の塊のシャレにならない量に、蒼白になる。
「ちょっとォ! か、鏡、鏡見せて!」
 呼吸を思い出した私は吐息を一つついて、ポケットからコンパクトを出し、うろたえるお姉さまの前で開いてあげた。
 嶋子お姉さまは真っ二つにされた自分の髪形に、しばらく言葉を失うほど衝撃を受け、
「嘘・・・やっちゃった? ホントにやっちゃったのォ〜?!」
とプルプルふるえていたが、やがて、
「鏡、もういい」
と私に鏡をしまわせた。目に涙をため、ぷ〜、と頬をふくらませていた。
 ジョリジョリとセカンドカットが入れられる。お姉さまの髪を頭頂部へ、おぼえたての享楽的生活を過去の彼方へと運び去る。ジジジジ・・・ザザ、ジャリジャリジャリ・・・。
 お姉さまは視線をできる限り上にひっぱりあげるが、当然ながら、頭上の惨状を視界のうちにおさめることはできず、目の前でクルクルまるまって、うず高く積もった収穫物から、自らの頭髪の状況を推し量るしかないようだった。
 ウィーン、ジジジ、ザ、ザ、ジャリジャリ・・・バサリ。
 ジジジジ、ザザ、ザ、ジョリジョリジョリ、バサッ、バサッ。
「チョ−やだヨ〜
「なんでアタシが
「マジやってらんない
とふくれっ面の嶋子お姉さまの前頭部から、完全に髪の毛が消滅する。まるで敗将の首実験だ。間違いなくこっちの方がお化け屋敷にはピッタリくる。
「いい、クソオヤジ? アタシが住職資格とったら、アンタなんて即隠居よ。覚悟しときなさい」
「おう、望むところだ。さっさと俺に楽させてくれ」
 老獪な住職は娘の憎まれ口を、柳に風と受け流す。とりあえず娘がその気になってくれたので、満足しているようだ。
「あら、もうだいぶ進んでいたのね」
 大きなラシャバサミを手にした聖子サマが、再入室してきて、妹の変わり果てた姿に目を丸くしている。
「さ、嶋子、私たちも貴女の門出にハサミ、いれさせてもらうわね」
 聖子サマがお父様に場所を譲ってもらい、お姉さまの左サイドの髪を一房、掌ですくいあげる。そして、髪を軽く握り、ひろげたハサミの刃を握った髪に跨がせた。
「嶋子、運命を受け容れなさい」
 ハサミがゆっくりと閉じる。
「はい、お姉さま」
 嗚咽をこらえているかのような微かに震えをおびた声だったが、それでも気丈にお姉さまは答えた。二日後の合コンのことなど、すでに彼女の中からは消し飛んでいるに違いない。
 ハサミがお姉さまの髪を咥え、ギリギリと味わうかのように噛みしめる。ジョキジョキ、ジャキン。
 聖子サマは切り取った巻き毛を、
「おいおい、一年の藤道がガチで尼さんになるらしいぞ」
「これが噂にきくバチカブリ大学名物の夏休み脱バリカン処女か・・・。凄まじいな」
と、いつの間にか、騒ぎを聞きつけ駆けつけたサークルメンバーたちの中にいた権田原に、
「コレ、嶋子の俗世の形見です。受け取ってあげてください」
とハンカチで目頭をおさえ、差し出していた。
「え? 俺に? いや、あの・・・」
 色男は渡された髪の毛の処遇に困じ果て、
「タカシ、お前、藤道に気があったろ。お前がもらっとけ」
と傍らの後輩に押し付けようとする。
「イヤっすよ。なんか怨念こもってそうで気味悪いッスよ」
「先輩の命令に逆らうのか!」
「東海林サン、もらってよ。藤道と仲良かったじゃん。友情の証にさ」
「え〜、アタシ、いいよ〜。そんなのもらっても、置き場所がないよ〜」
「じゃあ、田代っちは?」
「ええ?! なんで俺が?」
 かつて「白菊の君の麗しい御髪」と学友たちに溜息をつかせた嶋子お姉さまの髪は、いじめられっ子の私物か寝たきりの老父のように、ギャラリー間をたらいまわしされ、最終的に、
「ゴメン、藤道さん」
とゴミ箱に廃棄処分された。
「うん、うん、そうだね。それが健全な対応だよ。変なことに使われるのイヤだしね」
と嶋子お姉さまは複雑な表情でうなずいていた。ちょっと泣いていた。

「さあ、典子。貴女もお姉さまを送ってあげなさい」
 聖子サマが私にハサミを手渡す。
「お姉さま、参ります」
「典子、遠慮しなくていいわ」
 嶋子お姉さまは虚空の一点を見据えながら言った。静かでいて、凛とした昔のお姉さまの、「白菊の君」の顔になっていた。突きつけられた過酷な運命に対し、腹を括り、失いかけていた乙女としてのカリスマ性を取り戻したのだ。
 グッとお姉さまの髪を握る。髪は私の掌の中でザラザラと入り乱れ、その柔らかな感触に、つい怖気づく。
「勿体ない・・・」
 言ってはならない言葉がつい口をついて出る。
「いいのよ」
お姉さまは言った。
「早く楽にしてちょうだい」
 まるで介錯を求める勇婦のようなことを、美貌の姉は口にして、目を閉じた。
 耳の辺りにハサミをあてる。指に力を入れる。開いたグリップを近づける。髪は両の刃に挟まれて、ギチギチと抵抗する。ジャキ、ジャキ。髪は切り離されるはしからのけぞって、不揃いの切り口が私の手の甲をなでる。
 お姉さまは目を閉じたまま、錆びかけた刃物に挟まれた髪の悲鳴を聞いている。
「典子」
「はい、お姉さま」
「研修先に差し入れ、持ってきてね」
「差し入れ、ですか?」
「甘い物がいいわ」
 シュークリームが、という童女じみたお姉さまのリクエストが切なくって、なのに、
「必ず持っていきます。だからがんばってください」
という月並みな励まししかできない我が身が情けなく、私は切り離されかけたお姉さまの髪に顔を埋めて、すすり泣いた。
「泣かないで、典子」
 私の聖母が囁いた。
「笑って見送ってちょうだい」
 本当に泣きたいのはお姉さまのはずだ。
「は、はい!」
 ジョキリ。私はハンカチを出すと、裁ち切ったお姉さまの髪を、そっと包み、ポケットにしまった。
 お姉さまは私の方に視線だけ動かして、
「ありがとう、典子」
とうっすら微笑した。静謐とその奥の前向きな諦め。それが悲しくて、また泣いた。
「典子は泣き虫ね」
 お姉さまの声が私を優しく包み込む。
「私ならもう大丈夫よ。ケセラセラ。なるようになるわ」
 この人の妹でよかった。心から思った。
 ふたたび、バリカンが鳴り、お姉さまの髪を剥き上げていく。こめかみを通過し、目のさめるような青い尼僧のヘアスタイルへと変えていく。
 お姉さまはバリカンの感触を、変貌していく自己を、愉しむように、口元に微笑をため、そんな自分に戸惑い、自分に注がれるたくさんの視線に、また戸惑い、恥らって、頬をほんのり染めている。
「権田原先輩」
 嶋子お姉さまが、呆けた表情で剃髪を見守る先輩に声をかける。
「このアトラクションの看板のタイトル、変えてくださる? 『尼の生首』に」
「あ、ああ」
 権田原は後輩の意外な威に打たれた様子で、立て看板を抱えると、そそくさとその場から消える。
 どうだ、これが私のお姉さまなのよ、と誇らしい気持ちでいっぱいだ。
お姉さまの小さな顔が刈り取られた巻き毛で隠れていく。髪の海に、お姉さまの丸くなった頭がポッカリと浮かんでいる。
 お姉さまは軽い茶目っ気を出して、ふうっ、と髪の骸を吹き散らしてみせた。髪はひらひらと、元の主のために舞踏を踊る。

 青々とした坊主頭になったお姉さまは有髪の頃より清げで、いつか日本史の教科書で目にした弥勒菩薩像のような、その清らかさがかえって痛々しく、私は胸をしめつけられる。
「お姉さま」
 私の覚悟はもうきまっていた。
 手にしたハサミを握りなおし、自らの髪を鷲掴む。
「典子も尼になります。お供します。どこまでも一緒です」
 共学以外なら、とペロリと舌を出して、後ろでひとつに束ねていた黒髪の根元からハサミをいれた。ザクリ。
「典子!」
「典子クン!」
 聖子サマとお父様が私の突発的な断髪に狼狽している。
「いいんです。きめたんです」
 ベニヤの上に髪束を置く。黒く重い髪束は、羽毛のように軽やかな栗色のウェーブヘアとコントラストをなして、窓辺から差す西日に照り返っている。
「典子」
 嶋子お姉さまは私の目をじっと見た。その眼光の激しさは私を身勝手な陶酔から、いっぺんに醒まさせた。
「私、そんな義理立てをされてもちっとも嬉しくなくてよ。自分ばかりか妹まで坊主頭になってしまっては、私、本当に世を儚んでしまうわ。いい子だから早まった真似をしないで」
「お姉さま・・・」
「言ったでしょう? 貴女はただ笑って、私を見送ってくれればいいのよ」
私は泣き笑いして、
「でももう切っちゃいましたから」
「典子ならショートヘアーも似合うんじゃないかしら」
 夏なんだし、と弥勒菩薩は破顔した。この世に存在させておくのが辛いくらい澄んだ無垢な笑顔だった。

 半月後、私は嶋子お姉さまが研修のため、修行を積んでいるJ寺を訪問した。
「思ったとおりね」
 日焼けして、どこか少年ぽくなった僧衣姿のお姉さまが涼しく笑う。
「ショートヘアー、似合ってるわよ」
「こんなに短くしたの、はじめてです」
 私はくすぐったく笑って、刈り込んだ髪に手をやる。




 監督者の目こぼしで、お姉さまと少しの間、面会できた。
「約束したシュークリームです」
と洋菓子店の箱を渡す。個人への差し入れは禁止なので、研修生全員分用意した。
「悪いことしたわね」
「水臭いですわ。これくらいさせてください」
 修行、キツイですか、と尋ねたら、お姉さまは、もう慣れたわ、と答えた。
「典子も今年は受験ね。付属大に進学するんでしょう?」
「いえ、八頭大に進学しようと思ってます」
「八大に?」
 お姉さまが目を瞠る。
「まさかまだ出家なんて考えてるんじゃないんでしょうね?」
「いえ、仏教美術を勉強するつもりです」
「仏教美術を? どうしてまた?」
「仏像に興味をもったんです」
 あれから弥勒菩薩が頭から離れず、写真集を読んだり、実際に仏閣を拝観したりするうち、すっかり仏像の魅力にとりつかれてしまった。
「お姉さまのご実家にも古い仏像がありましたね」
「ええ。見にいらっしゃい」

 寺を辞する。お姉さまが山門まで見送ってくれた。
「またお姉さまの後輩になれますね」
と言うと、
「そうね」
と嬉しそうな返事が返ってきた。
「研修、夏休み中には終わるんでしょう?」
「それが老師様に見込まれてしまってね、当分、ここに留まらなければならなそうなの」
「そうですか」
 蝉時雨が山中にこだましている。夏の終わりの猶予を求めて、やかましく鳴いている。お前のお姉さまをそう簡単に返すものか、と嘲笑うかのように鳴いている。
 ジー、ジーという蝉の声が、私にはあの日のバリカンの音と重なって聞こえた。
 一山を埋め尽くす広葉樹たちを振り仰ぐ。秋になれば、この辺り一帯は紅葉で覆われるのだろう。それまでにお姉さまは戻ってくるだろうか。
 もうバスの時間でしょ、と促され、石段を降りはじめる。中ほどまで降りて、振り返るとお姉さまはまだ門の前で、ゆったりと笑んで、私に手をふってくれていた。
「ごきげんよう」
 私はあの頃みたく呼びかける。まだ帰りたくない。まだそばにいたい!
 かつての白菊の君は姉離れできないダメな妹に、微苦笑して、
「ごきげんよう」
と唇を動かした。
 石段を降りきって、ふたたび振り返ると、幽閉されている魔宮の門をくぐっていくお姉さまの背中が見えた。昔のまま、ピンと真っ直ぐに伸びた背中だった。野の花を連想した。
 フッと万葉歌が口をついて出る。何故だろう、秘めた恋を詠んだ歌だった。
「夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ」


                 (了)


    あとがき

 迫水です。「バチカブリ大シリーズ」の第二弾であります。まずはじめに・・・
 「マリ○て」ファンの皆様、ゴメンナサイ。特に志○子ファンの皆様、ほんの出来心です。と言うか本稿は「マリ○て」とは一切関係ありません。本当です!
 「嶋子の声が能登麻○子ヴォイスで再生されちまったじゃねーか、コノヤロー」という方がいらっしゃいましたら、すいません。
 自分で言うのもなんだが、不思議な作品である。正直ラストを書き終えた感想は、「なんか変な話」、ということです。ギャグとシリアスの振り幅が大きいせいでしょうか。
 自分でツッコむのも何だが、嶋子や典子が急にシリアスモードになるところなど、ギアを無理矢理いれかえるような不自然さがあり、イマイチ説得力に欠ける。最後の和歌もとってつけた感じだし・・・。
 もともと本稿は「身動きできない女が強制剃髪」というだけのコンセプトに、おでんだの百合だのを足していったストーリー後回しのものだったので、こんなんになりました。
 とは言え、この作品、嫌いではない。特に聖女とヘタレの間を行き来する藤道嶋子というヒロイン、結構スキである。できれば彼女主演でもう一本書きたいです。今度は祐○サンや由○サンも登場させて(マテ)。
 なおタイトル候補として「乙女はお姉さまに恋してる」というのが最後まであったのですが、のちのち後悔しそうなので現タイトルに落ち着いたことを付記しておきます。




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