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罪ト罰


 たった一夜の過ちのはずだったのに。

 鹿内ツグミ(しかうち・つぐみ)は臍を噛む。

 仕事で大チョンボして途方に暮れているトモハルをなぐさめ、元気づけてやって、二人、深夜のバーで杯を重ねていたら、お互い、モラルを忘れ、ルールを見失い、気がつけば、ラブホテルのベッドだった。

 我に返ったと同時に、現在の彼氏・馬渕イツキ(まぶち・いつき)への罪悪感が生じた。罪悪感はツグミを責めさいなんだ。

 よりにもよって相手が悪すぎた。

 ツグミとイツキとトモハルは高校時代のサークルで知り合った。

 高校を卒業して、イツキは大学に進学、トモハルは就職し、ツグミは実家の八百屋を手伝っている。

 イツキとトモハルはツグミを愛していた。結果的にツグミはイツキを選んだ。一年前のことだ。

 イツキとは他人も羨むほど、仲が良く理想のカップルだった。見栄っ張りなところのあるツグミとイツキの、無意識の演技によるところも大きかったかも知れない。

 恋人の持つ暴君的な側面を、ツグミは誰にも言わず、自分の胸に秘めていた。

 イツキはそのツグミへの過剰な愛情を持て余して、ツグミについつい辛く当たることもあった。暴力をふるうこともあった。

 それによってできた傷やアザを、タンスにぶつけちゃって、とか、転んじゃって、とか、真実を伏せ、周囲に取り繕ってきた。

 しかし、普段は世界で一番優しいイツキに、ツグミは三歩下がって付いていった。他の男性には目もくれず、一途に尽くしていた。

 それが、

 ――なんでこんなことに・・・。

 ツグミは頭を抱える。

 ラブホテルを出たとき、

「今夜の出来事は全部夢。だから忘れよ」

とツグミはトモハルに口封じした。

「それしかないな」

とトモハルは不器用にうなずいていた。

「わかってるよね」

と念を押しつつも、ツグミは不安を拭えない。この人に秘密を守ることができるだろうか。

「大丈夫」

と「共犯者」は言った。

「今夜俺は誰とも会わなかった。二人とも別々の夜を過ごしていた」




 その数週間後、ツグミのスマホが鳴った。

「話があるんだけど」

とだけ、イツキは言い、駅のそばのカフェに呼び出された。

 嫌な予感がした。

 案の定、イツキは、

「お前、俺に隠してることねえか?」

とズバリ訊いてきた。

 ツグミは動揺した。が、つとめて平静を装って、トボけたり、笑い飛ばしたりしてイツキの嫌疑をかわそうとした。が、

「知らぬ存ぜぬは通用しねえぞ」

 イツキは静かに言った。嵐の前の静けさ、というが、こういうときのイツキの方が、内に暴力衝動を秘めている。そのことをツグミはよく知っている。

 青ざめるツグミに、イツキは、

「トモハルから話は全部聞いた」

 決定打を放たれ、ツグミは硬直した。

 トモハルは罪悪感に耐え切れず、イツキに全てを打ち明けたという。

 罪悪感と同時に、トモハルには屈折した優越感があった。トモハルは心の底で、ツグミを少々フェアではない方法で手に入れ、恋の勝者になったイツキに、鬱屈したものを抱え込んでいたのだろう。言わでものこと――ツグミとのベッドでの触れ合いを、髪の揺れ、熱い吐息、骨や肉の軋み、など微に入り細を穿ち告白し、ことさらにイツキの神経を逆なでしてしまったらしい。

 イツキはトモハルをボコボコに殴って、

「指詰めさせた」

と言った。実際は左小指を折ったのだが、イツキはヤクザ映画――それこそ高倉健から北野映画まで――の熱狂的なファンで、こういう言い回しをしたがる。

「お前にもケジメつけてもらわねえとな」

とドスの効いた声で迫られ、

 ――ひいい!

 ツグミは縮みあがった。

「さあ、俺についてきてもらおうか」

 イツキに凄まれ、ツグミはオロオロと、

「ごめんね、ごめんなさい、イツキ! あたし酔ってて、トモハルも酔ってて、あたし、全然記憶がなくて、でもこんなことになっちゃって、本当に悪いと思ってる! ごめん、ごめんなさい!」

と謝ったが、イツキは、

「浮気は浮気だ! しかも、相手がトモハルだなんてゼッテー許せねえ! この尻軽女め! 裏切りの落とし前は高くつくゼ!」

とどうしても聞き入れてくれない。

 カフェから引っ立てられるようにして、駅前の裏路地に連れ込まれた。

 裏路地はアウトローの匂いがプンプンした。あちこち潰れた店舗、乱立するピンクな店、うらぶれた小料理屋、コップ酒をあおっている日雇い風のオジサンたち――。地元っ子のツグミでさえ知らなかった町の裏の姿とご対面してしまった。

「さあ、来いッ!」

とツグミがイツキにひきずられていったのは、一軒の床屋だった。

 床屋の前には一枚の立て看板がある。

 今こそ至高のパンチ 男を極めるべし!

というポスターが貼られていた。ポスターには、さいとうたかを風のタッチで、ゴリゴリのパンチパーマの男の横顔が描かれていた。

 どう見てもカタギではない雰囲気が、路上にまで漂っている。

 ツグミは震え上がる。これから執行される量刑の重さを、ビンビン想像して、足がよろめく。

「さあ、この店に入るんだ」

「い、いやっ!! やだよ!! か、か、カンベンしてええぇ!! ゆ、許してえええぇぇ!!」

と懇願するが、イツキに無理やり引きずり込まれた。

 店内は「胡乱な」という形容がピッタリくる、怪しさ満点のムード。

 明らかに「その筋」のオジサンが髭をあたってもらっている。そういった人たちが出入りする店らしい。

 リーゼントに手入れの行き届いた口髭の理髪師が対応する。三十代後半ぐらいだろうか。

「二名様ですか?」

「いや、コイツの髪やってもらえる?」

「では、こちらへどうぞ」

 否応なしに理髪台にのぼらされるツグミ。アウトローな店の空気にすっかり呑まれてしまっていた。

「本日はどうなさいますか?」

と理容師は訊く。

「パンチあてて。キツめに」

 ツグミに代わってイツキが注文した。

 そのドスのきいたイツキの声と注文内容に、ツグミの心臓は凍りついた。

 ――パ、パ、パパパパンチいいい?!

 外ハネカールのミディアムの髪に、反射的に手をやる。鏡に映る顔は蒼白だった。

「いいんですね」

 さすが毎日極道と接している理容師、落ち着いたものだ。

「ああ」

と、やはり代わりにイツキが答える。

「かしこまりました」

 理容師は無慈悲にうなずく。

「お嬢ちゃん、泣いてるけど大丈夫かよ?」

と調髪を済ませた隣の極道風が訊いてくる。この男もパンチパーマだった。

 とっさにツグミは救いの光を感じた。

 しかし、

「コイツ、浮気して他の男と寝てたんですよ。だからお仕置きです」

とイツキが説明すると、

「ああ、そりゃあ仕方ないなあ」

 男は得心がいったようで、

「男裏切っちゃあ駄目だぜ、お嬢ちゃん。髪詰めて反省しな。パンチパーマもなってみりゃあ結構イカしたもんなんだぜ。ガッハッハッ」

 ツグミは四面楚歌、ケープを巻かれ、生きた心地もない。

 ――たった一夜の過ちだったはずなのに・・・。

 代償が大きすぎる。

 そんなツグミの後悔を追撃するが如く、理容師は女性客の今風のオシャレヘア―を水で湿し、ザクザクと切りはじめる。

 バサッ、バサッ!

 ブラウンの巻き毛がケープを叩く。

 シャキシャキ、シャキシャキ

 理容師は情け容赦なく、ツグミの髪の毛を切り詰めてゆく。

 ――うそぉぉおお〜!! うそでしょおおぉお! こんなのアリエナイいいいいいぃ!!

と心の中ジタバタあがくが、どうにもならず、結果的にションボリと大人しく切られるに任せるしかない。

 長い髪が次々、頭から追い立てられていく。

 耳、首筋、眉、額、と頭部のあちこちが露出する。

 さらに切り詰められる。

 ジャキジャキッ! ジャキジャキッ!

 バサリ、バサリ!

 あっという間に長い髪が無くなった。元の長さの十分の一以下に刈られた。

 ――これってスポ刈りじゃん!!

 あまりに変わり果てた髪型に、ツグミは卒倒しそうになった。

 しかし、ここから先がキモだ。

 軽くシャンプーされて、ドライヤー、短い髪はすぐ乾いた。

 髪全体にパーマ液が塗りこめられる。

 いよいよ、だ。

 理容師はパーマ液が染み入った髪に、直接コテをあてていった。パーマといってもロットは使わないらしい。

 ジュワ〜、チリチリチリ

 ジュワ〜、チリチリチリ

 ――ひいいいいい!

 激しく戦慄する。もうカタギの髪型に後戻りはできないのだ。

 ジュワ〜、チリチリチリ

 ジュワ〜、チリチリチリ

 自分の髪が焼けこげる音と匂いに、ツグミはまた泣きたくなる。

 理容師は髪を躾けるように、コテをあててゆく。髪はコテに圧され、その熱に屈し、見る間にその形状を変化させていく。

 人一倍オシャレに関心の高いツグミにとっては生き地獄だ。

 だが、こうなった以上、覚悟を決める、というか、諦める。

「おお、いいじゃん、いいじゃん」

 イツキは裏切り者が鉄槌を下されているさまに、歓喜している。

 ジュワ〜、チリチリチリ

 ジュワ〜、チリチリチリ

 コテは順繰りにあてられ、ツグミの髪は従順に巻きあげられていく。

 ――ああ! あたしの髪・・・あたしの髪がぁ〜!!

 耐え切れずツグミは、ギュッと目をつぶった。

 でも、頭が感じる熱、髪が焦げる音や匂いは、いくら目を閉じたところで、シャットアウトできない。

 念入りに、念入りに、コテがあてられる。

「完成だぞ、ツグミ」

と意地の悪いトーンでイツキに告げられ、

「うっ、うっ・・・」

 泣きべそをかきつつ、でも怖いもの見たさで、おそるおそる目を開けるツグミ、思わず、

「ギャッ!」

ととんでもない叫び声をあげて、腰を抜かしそうになる。

 ――なに、この大仏?!

 自慢だった外ハネカールのミディアムから、一気に大仏化。危うく失禁しかけてしまった。

 ――ああっ!

 大阪のオバチャンを彷彿とさせるキツめのパンチパーマ。

 反射的に頭を抱えるが、

 チリチリッ

という縮れ髪の感触に、

「くあっ!」

 また奇声を発してしまう。

 しかも、調子に乗ったイツキは理容師に耳打ちして、

「かしこまりました」

と剃刀で、コメカミを鬼剃りにされ、眉もメチャメチャ細く剃られた。

 剃り込み入れられたときは、

 ――ああぁぁ〜・・・。

と不覚にも濡れてしまった。

 すっかり極道スタイルにされて、呆然とするツグミであった。

 店を出るとき、鉢合わせしたその筋のオッサンと子分の男に、

「おおっ! えらい気合いの入ったネーチャンやんけ」

とひやかされた。




 そして、店を出てから、5分くらい泣いた。

 子供のように泣きじゃくるツグミに、

「これに懲りて、もう二度と浮気すんなよ」

と戒めつつ、イツキはハンカチを渡してきた。

 ノリやすい性格が顔をのぞかせ、肩で風切って歩いてみたら、皆、道をあけた。首から下はニットワンピースなのだけれど。ミスマッチにも程がある。

 ――これから、どうしよう・・・。

 できたてのパンチ頭を寒風にさらし、ツグミは途方に暮れ、首をすくめた。

 ――浮気なんてするもんじゃないな。

と、それは骨身にこたえるほど思った。




 結果は、というと、ツグミは八百屋の看板娘の座を死守した。

 キャップをかぶって、店先に立つ。パーマも剃り込みも隠せる。

「髪切りすぎちゃって」

と馴染み客には言い訳した。

 中には、

「どれくらい切ったの? 見せてよ〜」

と脱帽を求めてくる客もいたが、懸命に誤魔化し通した。

 怒りがおさまり、自分のやったことに焦ったイツキからは、やり過ぎた、ごめん、と何度もお詫びのラインが来たが全てスルーしている。

 ――別れようかな。

と迷っているところ。

 自営業だったからよかったものの、これがもし会社勤めとかだったら、完全にアウトだった。

 ――ほんと、やり過ぎだよ。

とイツキに対して、ツグミは強い憤りをおぼえている。

 ――ま、それはさておき、商売、商売!

 ツグミはモードを切り替える。

 商店街には今日もツグミの明るい声がこだましている。

「いらっしゃい、いらっしゃい! 今日はピーマンがお安くなってますよォ〜!!」


            (了)






    あとがき

 どうも〜、迫水です。
 リクエスト小説第四弾です。
 「浮気がバレてお仕置きで変な髪型(坊主以外)に」というリクエストを採用させて頂きました。結構定番なお話なのに、今まで書いてなかったなぁ、と思い、書きました♪
 今回は前回の教訓を生かし、迫水にとっては珍しく、事前からスケジュールを立て、ある程度体力づくりをして臨みました。結果、自分でも驚くくらいスピーディーに作品が完成されていき、アップロードも予想以上に早めることができました!!
 この小説に登場する床屋にはヒントがありました。本当のお店は堅気の普通なお店ですが、「男のパンチ」という大きな字と、ゴルゴ風のタッチの絵が描かれた看板がありまして、それがすごいインパクトで、断髪フェチの悲しいサガで、このお店に女の人が入ったら、と車で通りかかるたび妄想していました(笑)
 あと、ヒロインが八百屋で、ラストがお店の呼び込みで終わるのは、昔読んだ「浮気女房」(だったかな)という断髪小説へのオマージュでもあります。この場を借りて御礼申し上げますm(_ _)m
 最後までお付き合い頂き、感謝感謝です〜(*^^*)(*^^*)



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