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聖夜の立ちくらみ


 阿室幸宏(あむろ・ゆきひろ)が検査入院のため、丸丸私立病院の病棟に入ったのは、木枯らしの吹く日の午後だった。

「レイがいなくなっちゃ、今年のクリスマスシーズン、どうなっちゃうのさ」

 書き入れ時だっていうのに、と店長はへの字口をより一層歪めていた。その表情が脳裏にフラッシュバックして、

 ――冗談じゃない。

と幸宏は肩をすくめる。滅私奉公の精神など毛頭ない。

 仮に身体を壊しても、店長も店も何をしてくれるわけでもない。使用済みのコンドームのようにポイ捨てされるだけだ。自分の身体は自分で管理しなくては。

 目眩や立ちくらみをおぼえるようになってから、もう二年が経つ。

 知人の紹介してくれた病院で診てもらったら、或いは脳に原因があるのかも知れない、と検査入院をすすめられた。

 ハードな毎日から逃れられると思い、幸宏は医師の助言に従うことにした。

 ホストクラブの人気ナンバーワン「レイ」の抜けた穴は、ちょっとやそっとじゃ埋められないだろう。しかし知ったことではない。今まで散々儲けさせてやったのだ、少しぐらい「休暇」をもらってもいいだろう。




 病室は個室にしてもらった。一人になりたかった。

 だから面会も謝絶した。熱烈な贔屓客に押し寄せられてはかなわない。

 普通の病院とは違い、食事も豪華で、空調も素晴らしく、大型のテレビではあらゆるチャンネルが観られる。トイレもウォシュレットのが室内にある。まるでホテルだ。

 当然それなりの額はかかるが、超人気ホストの「レイ」の経済力なら十分過ぎるほどに支払える。




 ナースたちも有能で親切だ。

 最初のうちは皆、幸宏が色男ゆえに、イケメンだからってすぐ媚びるほど、あたしはお安くないのよ、といったプライドや気負いが伝わってきたが、幸宏が笑顔で洒脱なジョークを飛ばしたりすると、

「あら、やだ〜」

とたちどころにオンナの表情(かお)を次々のぞかせた。

 ――チョロいもんだ。

 幸宏は心中せせら笑う。

 しかし、日頃関わっているゲバゲバしく着飾ったギャルやマダム連とは真逆の、清潔な白衣を身に着け、キビキビとした立ち居振舞いのナースたちは、幸宏の目には新鮮に映る。

 ナースの中に赤星(あかぼし)という女性がいた。26歳だという。

 「デキる女」風のキリリとひきしまった端正な顔立ち、それでいて胸はグラマラス、スカートからのぞく美しい脚。幸宏は脚フェチではなく、ほとんど無関心だったが、その幸宏をして注視させしめるほどの脚線美だった。

 その脚を前へ前へ、カツカツと床を踏みしめ、一定の律動を刻みつつ歩むさまは、軍隊の士官のようだ。

 颯颯と病室に現れ、テキパキとやるべきことを済ませ、

「では何かあればナースコールでお呼び下さい」

と言い置き、退出する。毅然として、幸宏が付け入る隙を与えない。だから、幸宏の担当に選ばれたのだろうか。

 お高くとまっている、と患者の中には、赤星のことを悪く言う者もいるらしい。

 しかし赤星とて一人の女。

 天才ホストの幸宏は、赤星のような女性の御し方など、熟知している。

 赤星のその高い鼻を撫で撫で。

 半月経つ頃には、赤星も懐柔され、雑談を交わすくらいにはなった。もっとも、他のナースとは違い、露骨に媚態をしめすことはなかったが。

「彼氏とかいるの?」

と訊いたら、

「それ、セクハラですよ」

と大仰にため息をつき、でも、

「いませんよ」

 ちゃんと答えてくれる。

「そんなに美人なのに?」

と幸宏が驚いてみせると、赤星も満更でもないらしく、

「恋なんてしてる暇がないんですよ。オシャレも全然してないし、最後に美容院に行ったのって、もう半年前かな」

「それはいけない」

 幸宏は、赤星の無造作にまとめられた髪を見ながら言った。

「曲がりなりにも一人のレディーなんだから」

 歯の浮くようなことをのたまう幸宏。赤星に対してはなるべくチャラ男の面は押し隠し、紳士然とした口調と態度を心がけている。

「オレが切ってあげようか?」

 思いがけぬ言葉に赤星の笑顔がこわばる。

「え?」

「オレ、昔髪を切る仕事をしてたんだよ。三年くらいやってたかなぁ」

「美容師だったんですか?」

「まあ、そんなトコ」

 幸宏は言葉を濁した。本当は「美容師」ではなく「理髪師」だったのだが、似たようなものだ。

「美容師、なんで辞めちゃったんですか?」

 赤星にしては迂闊にも、立ち入ったことを訊いてきた。よほど断髪話を逸らしたかったのだろう。

「食えなかったから」

と幸宏は答えた。理由は色々あったが、突き詰めていくと、そういうアンサーに辿り着く。

「そうですか、なんだかデリケートな話に触れてしまったみたいで、すみません」

 赤星はあわてて話を切り上げていた。

 赤星が病室を出て行くと、幸宏はプライベート用のスマートフォンを取り出し、ハチに連絡をとった。




 ハチは「何でも屋」だ。

 頼めば合法非合法問わず何でも調達してくれる。

 幸宏は彼のお得意様だ。

 今日も、幸宏の病室に入った唯一の一般人という栄に浴し、依頼されていたものを持参した。

「これくらいチョロいッスよ」

と営業スマイルで。

「この中にあります」

と幸宏にスポーツバッグを渡し、

「お代は後払いで結構ですよ」

と去って行った。

 去り際、ハチは、

「元床屋の血が騒いだんスか?」

 幸宏は答えなかった。




 幸宏はそれからも赤星に断髪を申し出た。あくまで、軽いノリと紳士的態度を保ちつつ。

 美男に口説かれ、赤星もその気になる。禁欲的な生活に、いい加減彼女自身もウンザリしているのだろう。魔が差した、というべきか。

「私、短い髪似合いますかね」

と口にするようになった。

 脈あり、とみた幸宏はありったけの甘言巧言を、赤星に進呈しまくった。

 そして、ついに、

「じゃあ、阿室さんに髪切ってもらおうかしら」

と赤星はたらしこまれた。

 機を見るに敏な幸宏は、ここぞとばかりに、

「今夜夜勤だったっけ?」

 すでに赤星のスケジュールは把握している。こうじゃなくちゃ生き馬の目を抜くホスト業界では、サクセスできない。

「はい」

と赤星はうなずいた。

「なら、消灯後そっちに行くから」

「なんだか――」

 赤星は忍び笑いして、

「夜這いみたい」

 赤星は謹直な彼女らしからぬ冗談を、ポロリと口にした。よほど浮かれていたのだろう。




 約束通り、その夜、幸宏はナースステーションへ、れいのスポーツバッグを携え、赤星との深夜の「密会」に及んだ。

「あれ、阿室さん、もうとっくに消灯時間ですよ」

と赤星と一緒に詰めている哲子(てつこ)が驚いていた。哲子は24歳。赤星の後輩だ。

「ちょっと赤星さんの髪を、ね」

と哲子にウィンクして、その口をあっさり封じて、

「さあ、切るぞ切るぞ切っちゃうぞ〜」

と声を弾ませ、

「本当は立ち入り禁止なんですよ」

と肩をすくめる赤星にもウィンク。

 そして、スポーツバッグからカットクロスを引っ張り出した。カットクロスは二着あった。

「今日は面白い趣向を用意したんだ」

とまずは赤星を椅子に座らせ、一着目のカットクロスをかぶせた。今時の袖のある、花柄のオシャレなカットクロスだった。

 さらに、もう一着、今度は昔の床屋や家庭で使用されていた袖なしのポリエステル製のもの。

「オレはカットクロスフェチ的なトコがあってさ」

と言い訳して、ネックシャッターを首に巻く。

「まるで拘束具みたいですね」

 カットクロスの二枚重ねに、赤星はひきつった笑顔。やや後悔気味。まあ、初手からこんなにマニアックでは、不安にもなる。

 ひっつめられた赤星の髪をほどく。

 半年間、伸ばしっぱなしになっていた髪が、

 ブワッ

とひろがり、赤星の身体を覆い尽くす。

「こりゃヒドイね。あちこち傷んでるよ」

「言わないで下さい、後輩の前で。恥ずかしいです」

 赤星の頬がほのかに染まる。

「短くした方がいいね」

「お任せします」

 潔く一切を委ねられ、幸宏は喜悦する。

「こう見えても元プロだ。大船に乗ったつもりでいてよ」

「ああ、赤星先輩、いいなぁ」

と哲子が二人の会話に割り込んでくる。

「アタシも阿室さんに髪切ってもらいた〜い」

「お前は千円カットの店にでも行け」

「ひど〜い」

と抗議しつつも、哲子の目は喜んでいる。ドMなのだ。それを知っているから、幸宏は哲子には、基本オラオラ系で接している。

 赤星は赤星で、自分だけレディー扱いされて、ちょっと嬉しそう。案外根は単純な女なのかも知れない。

 幸宏は幾種類ものハサミを差したシザーケースを腰に巻き、準備は万端。

 赤星もじっとしている。

 幸宏は、ジャッ、と長い髪にハサミを入れた。ドライカットだ。一見無造作に見えて、でも的確に赤星の髪を切り落としていく。ジャキジャキ、バサッ、バサッ、ジャキジャキッ、バサッ、バサッ!

 赤星の髪が床に散る。後で掃除するから、と二人には言ってある。

 幸宏の腹中には、すでに完成図が有る。

「ちょっとレトロな感じにしてみようか。赤星さんならきっと似合うはず」

とハサミを動かし、頬の辺りで揃える。

 ハサミをとっかえひっかえ、ジャキジャキ、チャキチャキ、バラリ、と髪が垂れ落ち、赤星の真っ白いオトガイが、頬が出る。耳は出さずにおく。

 襟足は短く刈った。

 長い後ろ髪を断ち、露わになる首筋が清らか。

 全体をボウル状に切り整え、前下がりのボブにする。

 襟足は少し刈り上げる。チャッチャッチャッ、とハサミとコームをうまく使って。

「暑いです」

 赤星がか細く訴える。カットクロスを二枚もかぶせられていれば、確かに暑いだろう。

「もうすぐ終わるから我慢してね」

 幸宏はなだめた。

 最後に前髪を切った。全体の長さに合わせ、眉がギリギリ出るくらいの長さに詰める。

 ジャキジャキ、ジャキジャキ、ジャキジャキ――

 右から左へ、ハサミが眉上を横断し、長い前髪を圧し切っていく。バラバラ、と髪が落ち、赤星の整った顔が、クッキリとあらわれた。

 あとは形を調整して、スタイリング、頬の髪をカールさせ、鋭く尖らせた。

 赤星の半年ぶりのヘアーカットは終了した。

「いいです、これ!」

 カットクロスの煉獄から解放された赤星は、お椀型の髪のフォルムにウットリして、鏡に見入っている。

「赤星さん、首が長いから首筋のラインをクッキリさせた方が良いかな、と思ってさ」

「赤星先輩、マジでイケてますよっ!!」

と哲子も絶賛する。

「阿室さん、すごいです! 切ってもらえて本当によかった! ありがとうございます!」

「まだまだ腕が鈍ってなくて、オレもホッとしたよ。ただ襟足をちょっとだけ刈りあげたから、放っておくと見苦しくなるから、月イチくらいのスパンで美容院に通った方がいいよ」

「できれば、また阿室さんに切って欲しいんですけどね」

 赤星はもう幸宏に対する馴れた態度を、隠そうとしなくなっていた。

 そんな話をしているうちに、ナースコールが入る。

「丸丸号室の赤埴さんね、私が行く」

と赤星は、キリっとした顔に戻る。確認して、フットワークも軽く、ナースステーションを飛び出していった。

 幸宏が床の髪を掃き集めていたら、

「阿室さ〜ん、あたしの髪も赤星さんみたくカッコよくして下さいよ〜」

「やだ」

「いいじゃないですかぁ〜」

 しつこく、ねだられ、

「チッ、うるせーな。そこ座れや」

「やった〜!」

「ったく、お気楽な病院だぜ」

とブツブツ言いながら、チャッカリとまたカットクロスを二重に巻いた。

 ミディアムの髪をかき混ぜかき混ぜ、

「こりゃベリショにすっか」

「え〜、ベリショですかぁ〜!」

「イヤなら切らんぞ」

「わかりましたぁ! バッサリ切っちゃって下さぁい」

 オラオラ系に弱い哲子、全てを幸宏に任せた。

 ザクザクと粗切り、あっという間にミディアムだった髪は、床に落とされた。

 左耳が出た。

 次は右耳を――

と切りかけたとき、またナースコール。

「ええっ?!」

 哲子は縮み上がる。まだカット中だ。でも赤星はいない。

 哲子は泣く泣く応答し、左右不対称の刈りかけヘアーのまま、患者の許に向かったのだった。

 本来ならば大問題に発展しかねない、今宵の幸宏とナースたちの行為だが、赤星は看護師長から絶大な信頼を得ている。

 まずは大丈夫だろう、とタカをくくって、幸宏はあくびを噛み殺しながら、自分の病室に戻った。

 翌朝、ナースステーションをのぞいてみれば、哲子はスポ刈りみたいな頭になっていた。泣き腫らした目で、引継ぎを行っていた。おそらくは幸宏が帰った後、赤星に手伝ってもらって、自分たちで仕上げようとして、大失敗したのだろう。ご愁傷様。




 その一週間後は聖夜(ホーリーナイト)。

 検査の結果、特に異常はなく、明日退院することになった幸宏は、またも夜勤の赤星を訪ねた。

 そうして、ふたたびヘアーカットを施してやった。

 今回は最初のときより短めに切った。

 耳の下半分まで出して、襟足を大胆に刈りあげた。

「素敵なサンタさんだね」

と夜勤の同僚は、羨ましそうに二人が切り切られるさまを、眺めていた。

 ナースコール。

 同僚はコールに対応して、

「二人っきりにしてやるか」

と出て行った。

 幸宏は腕をふるった。

 赤星は身も世もなく喜悦していた。

 短めの前下がりボブを鏡でチェックして、ウットリ、だいぶお気に入りの様子。

 そして、

「明日で退院なんですね」

とさみしそうに言った。

「“また戻って来て欲しい”とか思わないでくれよ」

「さすがに、そんな不謹慎なことは思いませんよ。でも・・・ホントはちょっぴり思ってたりして」

 いたずらっぽく笑う赤星。

 クリスマスのムードは病棟にも侵入してきている。その甘いムードの中、言葉を交わし合う二人。

「今度は君の方から訪ねてくればいい」

「私、ホストクラブに行ったことないから・・・」

と表情を曇らせる赤星に、

「店はもう辞める」

と幸宏は言い切った。

「え?」

と意外な面持ちの赤星に、

「ホストは廃業するよ」

「なんでですか?」

「やっぱり理髪師の仕事が好きなんだなあ、って君の髪を切っていて、心の底から思った。オレは昔の仕事に戻る。貯金もあるし、一から勉強し直して、雇ってくれる店を探す。そうして、いつか自分の店をオープンするよ」

 水商売の仮面をはずし、幸宏は熱く語る。

「じゃあ、オープンした店に私が通うんですか?」

「第一号のお客として、ね」

「いやです」

 赤星は言った。

「え?」

「いやですよ」

「なんでさ?」

「・・・そんなに待てませんよ」

 赤星は幸宏の胸に顔を埋めた。幸宏も赤星の肩を抱く。

「わかったよ。しばらくは君専属のヘアメイクになるから」

「ホント?」

「ああ」

「嬉しいです」

 赤星の目から、涙がポロリ一粒落ちた。

 幸宏はそんな赤星のボブの髪を撫でた。

 イブの夜は静かにふけてゆく。

 眩しい未来に、幸宏はまた立ちくらみをおぼえた。


          (了)






    あとがき

 リクエスト小説第三弾でございます。
 初のナース物です。
 カットクロスフェチのHN太郎さんからのリクエストです。熱量に負けました(笑)
 シチュエーション(ナース物、カットクロス二枚重ねとか、ナースステーションで前下がりボブにバッサリ等)などリクエストに従い書かせていただきました♪ 今回は「リクエスト者様ファースト」なのですが、ご満足頂けたでしょうか?
 とか、いいつつ、季節柄、クリスマスと絡めてみました。微妙に早いかな(汗)
 幸宏と赤星の恋の駆け引きや、接近までの過程をもっと細やかに書きたかったのですが、そうすると尺を取り過ぎちゃうし、作者の恋愛下手がバレるので(笑)、サラッと流しました。
 ナース業界のことはよくわからないので、適当です(^^;) 従妹がナースなので、色々訊いてみようかとも思ったのですが、訊く勇気がなかった(笑)
 あくまで、架空の病院です、ということでひとつ御勘弁下さいませ(^^;)




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