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軍神、散る


    (壱)兄と妹


 坂元家が揺れている。

 これはまたとない機会の到来だ。

 清姫(きよひめ)は、兄であり、秋月家の当主である義正(よしまさ)の許に伺候した。

 坂元家の当主・惟虎(これとら)は長年の友好関係を反古にして、執拗に秋月領に軍勢を繰り出している。その都度、「軍神」と呼ばれた清姫の采配によって、はね除けられていた。

 その惟虎は戦狂いかと思われるほど、あちこちに兵を送り、盛んに軍事行動に明け暮れていた。そして、その結果は、と言えば、かえって坂元家の弱体化を招いていた。

「今こそ、坂元惟虎の非を東国中に鳴らし、大いに兵を発し、坂元家を攻め滅ぼすべきです」

と清姫は兄に進言した。

「いつまでも守勢のままでは、将兵たちの間に惰気が生じましょう。攻撃こそ何にも勝る防御、なにとぞ御決断下さいませ」

 しかし、義正は慎重だった。

 月代頭をふりたてる妹を、薬湯を口に運びながら、哀しみの入り混じった瞳で見て、

「そなたの申すことももっともだが・・・坂元を攻めるは時期尚早だろう」

「恐れながら、兄上は御小心すぎます」

「国の舵を取る者は小心ぐらいで丁度良いのだよ」

「すでに、こちらとしても布石は打っております」

「布石とは?」

「大勢の間者を坂元領に放ち、調略を行っております。領民の不安を煽り、家臣たちの中にも我らに寝返りを約しておる者も幾人もあります」

「なるほどのう」

「今、御下知下されば必ず坂元を討てます」

「討ってどうする?」

「知れたこと、広大で肥沃な坂元領が我らの物となります」

「それよ、わしが内心憂いておるのは」

「領地が増えるのを何故(なにゆえ)憂いまするのか?」

「なるほど、今動けば坂本を討ち滅ぼせるやも知れぬ。秋月の版図も巨大なものとなろう」

と義正は薬湯を飲み干し、

「だが、それも一時のこと。大国を獲ることはできても、それを保つことは能わぬ。大国を保つ器量はわしにはない。そなたにもない」

 この身体ではな、と義正はさびしく笑い、

「国土が広がれば、敵も増える。豺狼の如き諸大名が我先にもと、こぞって四方八方から攻め寄せてくるであろう。その為には、膨れ上がった家臣団や領民たちを一統せねばならぬが、父祖以来の領地と家臣のみで、これまでやってきた我らに、それは至難の業だ。すぐに他国に蹂躙され、併呑されてしまうであろう」

「この乱世に、かかる弱気な言は聞きとうございませぬ!」

と言い募る清姫だが、

「清、そなたはこのわしの寿命を縮めたいのか」

と兄に怖い顔をされると、鬼神もこれを避く、と東国中で畏怖されている「軍神」も、

「兄さま、差し出がましい口をききました。申し訳ありません! 清が悪うございました。増上慢でございました。なにとぞお許しくださいっ!」

とあわてて平伏するしかない。兄は清姫にとって、この地上で唯一頭の上がらぬ存在だ。

「そなたの秋月を思う気持ちは重々承知しておる。わしも少々昂り過ぎた。許せよ」

「そのようなことは・・・どうか、清に謝らないで下さい」

「それより、お清」

「はい」

「何故、昌謙との祝言を引き延ばしておるのだ」

「はあ、そ、それは・・・」

 清姫の顔が赤くなる。兄の計らいで許婚の約を交わしたが、薄田昌謙(すすきだ・まさかね)とはなかなか夫婦(めおと)にならずにいる。

「昌謙は嫌いか?」

「好きでござい・・・いえ、その・・・どうにも頼りなく・・・まあ、戦場(いくさば)では勇敢でありますし、智謀もあり、優しみもあり、風流も解し、民を憐れみ、家中の評判も良く、男振りも、まあ、良き方でしょうが――」

「ならば良いではないか。早う夫婦の契りを結ぶべし」

「い、いえ・・・その・・・今はまさに御家の大事なときですし・・・その・・・」

「そなたは昌謙の話になると、歯切れが悪くなるのう。何故かね? 聞いてとらす。腹蔵なくそなたの心底を申してみよ」

 清姫はしばらく迷っていたが、

「怖いのです」

と本音を絞り出した。

「怖い? 何が怖いのだ?」

「生娘でなくなると、戦場での勘が鈍るような気がしてならないのです」

 清姫はずっと胸にしまい込んでいた不安を、義正にうちあけた。

「それは考え過ぎであろう」

 義正はあっさりと否定した。

「昌謙は優れた男だ。武人としても軍師としても、な。そなたがうまく御せば、もしくは御せられれば、秋月家は百年の栄華を保つことになろうよ」

と妹をなだめた。

 清姫は兄の言葉に不満だった。意が十分に伝わっていないようだ。もどかしい。さらに話したかったが、病身の兄の負担を慮り、それ以上の問答は控えた。

「今日はな、そなたに吉報がある」

 義正は一転して、明るい表情になった。

 義正が手を拍くと、それに応じ、サッと下の間の襖が開いた。

 そこには九人の女たちが平伏していた。皆、身分の高そうな美女揃いだった。

「この者たちは?」

 清姫は背後の女たちを見返りつつ、義正に訊ねた。

「そなたの陣中に置くがよい」

「と申されますと?」

「この者たちは皆、女武者にならんと欲している女子(おなご)どもだ。無論馬には乗れるし、武術も男子(おのこ)顔負けの使い手、何よりそなたを篤く慕っておる。大勢の女子衆の中から、わしが特に選りすぐった者だ。そなたの幕下(ばっか)に置き、武者の心得、戦の為様など、よう教えてやれ」

「なんと! 烏滸の沙汰です! 女子に武者の真似事などできようはずがありませぬ」

「そなたも女子武者ではないか」

「清は別儀です」

「そう申すな。この者たちはそなたに忠誠を誓っている者ばかり。いざとなれば、そなたの馬前で骸になることも厭わぬ烈女揃いだ」

 武者志願の娘たちの中には、清姫が見知っている者も何人かいた。

「お松、そなた、お松ではないか」

「はい、清姫様」

 名を呼ばれたお松は涙で顔を濡らし、

「先の戦で弟を失くしました。弟の仇、坂元の侍どもを斬って斬って、手向けにしとうございます。何より、名高く貴き清姫様の御傍で戦働きができること、無上の喜びにござります」

「そなたは、お紺、お紺ではないか」

「はい」

 お紺も泣いている。

「秋月の御家も今が危急存亡の秋、女子といえど、主家のお役に立ちたく馳せ参じました。清姫様、いえ、忠清様、秋月家を外敵から守り、大いに盛り立てましょうぞ」

「お清よ、この者たちの猛り立つ忠義の心、どうか汲んでやってはくれまいか」

と兄に説かれれば、清姫も無碍にはできず、

「足手まといにならぬよう、さらに励め。戦は待ってくれぬぞ」

「ははっ!」

 九人の頭がふたたび下がった。

「されば、御城内の一室をお貸し賜らんことを、お願い申し上げます」

と一番年嵩の女が言った。

「如何するのだ?」

「忠清様同様、男姿になります」

「勝手に致せ」



  (弐)最後の勝鬨


 あてがわれた城内の部屋で、女たちは内掛けを脱ぎ捨て、華やかな小袖を放り出し、男物の衣装を着た。揃いの紅葉色の直垂(ひたたれ)姿となった。

 そうして、髪である。

 湯をはった盥を持ち込み、小刀で長過ぎる髪を断ち切り、剃刀で月代を剃った。

 ジー、ジー、と砂を踏みつけるような音を立て、彼女らはみどりの黒髪を剃り合った。

 青い地肌が剥き出しになってゆく。

 一筋の涙を流す者もあった。苦痛の表情を浮かべる者もあった。

 しかし、概ねは意気軒昂だった。

「お糸様が男髷になってしまったら、大勢の殿御がお嘆きあそばしましょうなあ」

「お田鶴様の武者ぶりには、御家中の武辺自慢のお侍様たちも目を丸くなさいましょう」

と軽口を飛ばし合いつつ、

「早う戦になりませぬかしら」

「私の薙刀で、敵の兜首三つ、いえ、六つはあげてみせましょうぞ」

「腕がなりますなあ」

と勇ましい武家娘たちは、互いの拙い剃刀の扱いに戸惑い、閉口しながらも、豊かな黒髪を剃りあげていった。

 ジジジー、ジッ、ジッ、ジッ、ジッ  

ジジ―、ジ、ジー、ジー、ジッ、ジッ


 九つの青白い月代頭が一間の中、できあがった。

 戦場での名前を清姫の例にならい、男の名乗りに変えた。すでに、義正から「正」の一字を拝領し、正勝、正通、正長、などの女武者が誕生した。

 彼女らは以後、清姫の親衛隊として、陣中に侍ることになった。

 甲冑も全員、炎のような朱色で統一された。

 その勇ましさと美しさは、秋月の将兵を大いに奮い立たせた。

 中には、

「女子だてらに」

と白眼で視る向きもあったが、坂元家との

 第二次弓張ヶ原の戦い

において、勝機我らにあり、と確信した忠清――清姫がすかさず采をふって、

「その方らもゆけ! 功名を立てよ! 敵味方に秋月の女子の意気地をみせてやれ!」

と近侍していた女武者たちを前線に投入し、九人の美しき武者たちは、退却戦に取りかかろうとしていた敵兵に、飢狼の如く追いすがり、刀槍や薙刀を振るって、数多の首級をあげ、坂本軍は大潰乱となった。

「天晴、天晴! 其許らも立派な秋月の侍ぞ」

と味方からの多大な賞賛を浴びた。

 同時に敵軍には、

「女子も槍働きをするとは、秋月恐るべし」

と舌を巻かせた。

「いやはや」

 清姫の傍らで戦況を見守っていた昌謙も、感嘆の声をあげた。

「秋月はまこと上り坂でございますなあ」

「うむ」

 清姫は素っ気なく応えた。が、内心、飛び跳ねんばかりの喜悦を押し隠していた。

 その日の勝鬨の中には、女の大声も混じっていた。



   (参)暗雲


 間もなく、清姫と昌謙は祝言をあげた。

 二人は肉の交わりを結んだ。

 清姫にとって昌謙は初めて知る異性だったし、昌謙もそれは同じだった。

 二人は恐る恐る肌を触れ合わせ、無我夢中でまぐわった。

 半月も経たず、清姫は肉の交わりに悦びを感じるようになり、昌謙ともども昼も夜もなく、そのことに耽溺した。

 二人ともめくるめく官能にうち震え、高揚し、さらに大胆になり、心は天上界へとのぼりつめていった。

 清姫は幸福だった。

 早く昌謙の子を産みたかった。受胎を神仏に祈った。


 ところが、好事魔多し。

 以前兄に密かに打ち明けた清姫の不安は、的中した。

 処女を失ってからというもの、軍の統率者としての勘は狂い、進退は鈍った。

 戦の潮を瞬時に見切り、即座に兵を動かし、攻めれば勇猛果敢、守れば鉄壁、動けば神速、そして、将兵に対しては峻厳、敵に対しては冷酷無比だった軍神の凄味は、溶けるように消えていった。

 そんな軍神の変化を、彼女に命を預けている麾下の人間たちは、素早く感じ取った。


 折悪しく、当主であり、清姫の後ろ盾だった義正が若くして逝去した。病との闘いの生涯だった。

 跡継ぎの長福丸(ちょうふくまる)はまだ三歳の幼童だった。

 兄の棺に取りすがり、

「兄さま、兄さま! 兄さまがいなくなれば、ワラワは、秋月は、一体どうすればよいのですか!」

と泣きじゃくる清姫の姿は、哀切を極めた。

 最愛の兄を失い、清姫は心の梁が折れてしまったのだろう、用兵にも迷いが生じ、統率にも心ここに非ずの有り様で、実岡城の失陥を皮切りに、勝機を逸し続けた。

 精神的支柱だった義正が鬼籍に入り、軍事的支柱だった清姫が腑抜けてしまうと、秋月家中は動揺し始めた。あっという間に坂を転げ落ちていった。

 すでに坂元家と寝返りの密約を結んでいる者もあるらしい。乱世は非情だ。

 坂元家も惟虎が身まかり、その養子の景明(かげあきら)の代になっている。

 景明は好戦的だった先代とは異なり、如才なく、抜け目なく、疎漏のない将領であった。

 遠近の大名家と盟約を取り交わし、連携し、そうやって自領の保全をはかったうえで、兵馬を休ませ、秋月との決戦に備えていた。


 景明が虎視眈々、対秋月戦の機を狙っている間、清姫は昌謙と閨に入り浸っていた。それが一層諸将の失望と反感を買った。

「昌謙殿、ワラワはもう戦などしとうない」

 臥所の中、清姫は昌謙の胸に顔を埋め、童女のように、いやいや、と駄々をこねた。

「落ち着かれよ」

 昌謙は清姫の身体――特に月代の部分を愛撫しながら、この軍神を励ました。

「長福丸様はまだ御幼少、そもじ様が秋月の御家を守護せねば如何するのじゃ」

 ともあれ、と昌謙はまた清姫の大月代を舐めた。キャッと清姫ははしたなく嬌声をあげた。

「将来の禍根は断たねばなりませぬな」

「坂元家か?」

「左様」

「しかし、坂元攻めは亡き兄さまが固く戒めてきたこと」

「時勢は日々移ろうもの。今こそ長駆して、坂元の本城を抜くが、秋月家百年の大計でござるよ」

「そなたの申す通りです。泉下の兄さまもきっとお許しになりましょう」

 清姫は眼の色を変えた。積年の望みを果たすことができるのだ。

 昌謙は昌謙で、惑う軍神に一大計画を教唆することで、愛妻を奮い立たせられ安堵していた。

 この閨房での睦言めいたやり取りが、秋月の軍事方針の基礎となったのだった。



    (肆)朝


「さあさあ、お清殿、こちらへ御座れ」

 屋敷の縁側、剽げた口調で昌謙が呼ぶ。たすき掛けしている。

 義正の死後、清姫はその自慢の大月代を剃るのを怠りがちだった。

 しかし、昨夜の「密議」によって、坂元討滅の大義を胸に彫り刻んだ清姫は、別人のように、そう、かつてのように、凛々しき武者ぶりを取り戻していた。

「頼む」

とどっかりと縁に大あぐらをかき、頭を夫に任せる。

 昌謙は清姫の月代を荒々しく剃りたてる。これが秋月流だ。

 昌謙はずっと清姫の男髷を嫌がっていたが、今ではすっかり慣れ、どころか、女房殿の調髪役まで引き受けている。

 ジジー、ジー、ジジー

と昌謙は腕によりをかけ、むさ苦しく伸びた月代を青々剃っていく。

「やはり“忠清様”はこうでなくてはな」

という夫の手を頭に感じつつ、

「そう言えば――」

 清姫は遠い眼をする。

「初めてワラワの月代を剃ってもろうたのは、昌謙殿でしたね」

「あの時は驚いた。戦の最中だったからね」

「ワラワもまだ若かった」

「何を申される」

 昌謙は笑った。

「今でも十分若い」

「あら、やだ」

 清姫は女の顔となり、昌謙に頭を委ねる。

 ジジ―、ジ、ジジー、ジー

 剃刀は伸びた髪を払い、盥の水に浸され、毛屑が水の中で浮き沈みしている。

 清姫の月代は剃りあがった。

 剃りあがった月代を、清姫は撫で、

「風を感じる」

と莞爾と笑み、

「もう秋か・・・」

とひとりごちた。剥き出しの頭が季節を感じ取る。そろそろ収穫期。それが終われば坂元攻めに取りかかれる。



      (伍)報恩


 ――いけない! いけない! いけない!

 お奈津(なつ)は走った。

 ――私が! 私が! あの御方をお救いするのだ!

 城下は紅蓮の炎に包まれ出している。

 ――命拾いしたな。

と馬上でお奈津に笑いかけるあの御方の顔は、逆光でよく見えなかった。その幼女時代の思い出の像が頭の中、何度も浮かんだ。

 足軽長屋に駆け込むと、母はすっかり逃げ支度をしていて、

「お奈津、どこへ行っておったんじゃ」

と娘を叱った。

「この辺りももうすぐ火の海になるでの。モタモタしちゃなんねえ」

と母は泣きじゃくる幼い弟や妹をなだめ、お奈津をせかしたが、

「私も後から行くで、おっ母たちは先に逃げて」

とお奈津は母たちを先に逃すと、それを見送り、坊主どもが逃げ散って無人だった寺から盗ってきた剃刀を取り出した。

 そして、堪え性もなく、それをザクリと額の生え際にあて、

「むむむむ」

 引きちぎるように切り獲った。

 そして、さらにもう一房、ジジジー、ジッ、ジッ、ジー――。

 痛い。

 お奈津は一旦心を落ち着け、水がめのところへ行き、柄杓をつかって、前頭部の髪を濡らした。水が髪の間から頭皮に染みるを感じた。

 濡れ髪を、サク、サク、と削いでいく。

 何房もの髪が土間に散った。

 水かめを鏡代わりにして、剃る。

「・・・・・・」

 もっと短く剪る。ジャッ、ジャッ、切り髪を放り捨て、また、放り捨て、お奈津は前額から頭頂までの髪を剪れるだけ剪り詰め、今度は剃刀を滑らせて、短く詰めた髪を剃りおろした。

 ジジジー、ジッ、ジッ、ジ、ジー、ジー

 ジジ―、ジ、ジジジー、ジー

 細かな髪が薙がれ、剥かれ、払われ、青白い頭の皮がのぞいた。

 ――急がなくちゃ!

 心は急く。

 そのため、手元が狂い、何度か頭皮を傷つけた。青い丘陵に赤い小川が流れている。しかしお奈津は構わず剃り続けた。

 ――清姫様!



      (陸)影武者


 清姫と昌謙は最期のときを迎えていた。

 清姫は愛用の晴明桔梗の前立ての兜を脱ぎ、緋おどしの甲冑を脱ぎ、鎧直垂姿。これが死に装束となる。

「もはやこれまで・・・」

 同意を求めるように、昌謙を真っ直ぐ見た。

 昌謙は無言のまま、しかし柔和に笑み、うなずいた。

「まるで悪い夢のような・・・」

と清姫は呟く。


 清姫の強硬な主導による坂元攻めは三度に及んだ。

 しかし景明は老獪だった。

 兵を損ずるを避け、本城に籠り、そして、支城と連携をとり、兵を小出しにして奇襲を繰り返し、秋月軍の損耗をはかった。

 同時に外交手腕を十二分に発揮して、秋月を牽制した。あちこちの大名土豪が秋月領に迫り、清姫はその都度、坂元討滅を断念し、自領に引き返さねばならなかった。

 度重なる軍役に秋月の国土は疲弊し、士民の心は主家から離れていくばかりだった。

 しかし、清姫は諦めなかった。

 三度目の正直、と闘志を燃やし、五千の軍を率い、坂元領に攻め入った。

 ここで景明は「隠し玉」を炸裂させた。

 強大な大名家・嘉田(かだ)家を味方につけ、秋月家を挟撃したのだ。

 嘉田家は東国最強と謳われている鉄砲隊を擁している。それら数百丁の鉄砲が、東国の山河に轟けとばかりに火を吹いた。

 雲霞の如き大軍に攻め立てられ、秋月領は敵の馬蹄に蹂躙された。勇猛を馳せた女武者たちも清姫を守って、全員討ち死にした。

 父祖以来の家臣たちも次々と、敵の軍門に降った。


 坂元・嘉田の連合軍は秋月城下に迫った。進軍中、あちらこちらに火をかけ、領内はまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図さながらの様相を呈した。

 気がつけば、清姫の周りには昌謙と数名の家臣しかいなかった。

 それでも再起をはからんと、一行は城の裏手の山にある永福寺に逃れた。いや、追い詰められたといっていい。

 城下は灰燼に帰した。

 連合軍は軍神の首を狙い、永福寺へと迫った。

 清姫は死を覚悟した。

「昌謙殿、短き間ではあったが、そもじ様と夫婦になれたこと、まことに嬉しく思うております」

 そう言って夫に微笑した。

「それがしも同じ思いだ。そなたの力になれなんだこと、まことに心苦しいと悔いている。しかし、今更嘆いても詮なきこと、これも宿命(さだめ)と潔く散るべし」

「思えば数え切れぬほどの殺生を重ねて参った。きっと地獄に堕ちるであろうな」

「それがしも地獄行きは必定。だが、それも武士の本懐でござろうよ」

「ただ一つの心残りは・・・」

「心残りとは?」

「この子も冥途に連れて行くこと」

と清姫は自らの腹を撫で、言った。

「子?」

「実は・・・身ごもっているのです」

「なんと!」

 昌謙は目を見開いた。

「この子を我が身もろとも葬ってしまうは、なんとも口惜しや」

「それはいかぬ!」

 昌謙は髪を掻きむしって吠えた。

「我が子を道連れにはできぬ! そなたは落ち延びられよ! それがしが切り防ぐゆえ、ここから脱け出るのだ!」

「酷いことを仰せじゃ。もし逃げたとしてもすぐに捕らわれてしまう。坂元の者どもはワラワを大層憎んでおるゆえ、死よりも辛い辱しめと惨刑が待つのみ。それより愛しき殿御と共に果てるが本望」

 昌謙は詰まった。敵の鬨の声が寺まで聞こえてくる。

「無念だ」

と昌謙はうなだれた。

「昌謙殿、さらばです」

 二人は観念して脇差を抜くと、互いに刺し違えようとした。

 その時、

「お待ち下さいませ!」

 何者かが室内に飛び込んできた。

「敵か?! 味方か?!」

 大喝する清姫の面で、

「味方でございます!」

 闖入者は平伏して答えた。お奈津だった。清姫同様、青々と大月代を剃っている。

「何者か?」

 清姫は声音を和らげた。

「清姫様はもうお忘れでしょうが、女童の頃、川で溺れたとき、清姫様に一命を救われた足軽の娘でございます」

 以来、一朝事あらば、清姫に恩返ししようと、心に決めていた、とお奈津は話した。

「女子武者になりたく、しかし、足軽の娘ゆえ、それも叶わず――」

 けれども、今度の秋月家崩壊という大事態に際し、

「お役に立ちたく馳せ参じた次第でございます」

「なんともけなげなる哉」

 清姫はため息を吐いた。

「清姫様、どうか、その兜と鎧、私に賜りますよう」

とお奈津は息せき切ってそう言い、有無を言わさず、床上の兜と鎧を抱え、大急ぎでそれらを着けると、

「私が清姫様の身代わりになりますゆえ、その間にお逃げ下さいませ!」

 兜を背負って、大月代を天に晒して、

「我こそは秋月家の大将、忠清なり! 腕におぼえのある者は討ち取って手柄にせよ!」

と叫びながら、寺を飛び出していった。

 清姫はあまりの出来事に呆然としている。

「お清殿、今すぐこの山を下りるのだ。領民にまぎれて落ち延びられよ。あの娘御の死勇を無駄にしてはいかぬ! さあ!」

 それでも、

「厭です! ワラワはここで昌謙殿と死ぬのです!」

と清姫は夫にすがりついた。

「たわけ者! 頭を冷やせ!」

と昌謙は清姫の頬を平手でうった。

「昌謙殿!」

「そなたとは今生の別れだ。生きよ、生きてワシの子を産んでくれよ」

 昌謙は配下の兵二人に命じて、泣いてとりすがる清姫の手をはねのけ、清姫を燃えさかる寺から脱出させた。

 そして、お奈津を追い、追いつくと、太刀を抜き、

「我が名は薄田昌謙! 忠清様の死出の供やせん! いざ、参れ!」

と大音声で名乗りをあげ、寄せ手の武士たちをたちまち三人四人と切り伏せた。

 が、お奈津ともども乱刃の中、果てた。


 軍神果つ、の報は坂元軍を狂喜乱舞させた。やがては東国中を震撼させた。

「偽首ではあるまいの?」

という疑念もあった。清姫――忠清は戦のとき、常に頬当(ほおあて)をしてしたため、坂元家中にはその素顔を知る者はいない。

 そういったことで、景明は首実検の際、降将の野際左近(のぎわ・さこん)を立ち会わせた。

 大月代の「清姫」の首を見た左近はハラハラと落涙し、

「忠清様、なんと変わり果てたる御姿に・・・。ああ、なんたること、なんたること!」

と地に頭を打ちつけ、慟哭した。

 無論演技である。左近の清姫への最後の忠節だった。



      (漆)勝利者たち


「しかし、返す返すも野際左近のあの猿芝居よ。鄙(ひな)臭うていかぬ。見ているこちらが恥ずかしかくていかぬわい。あれが秋月きっての名将というのだから、秋月の家も底が知れておるわ」

 草原で放尿しながら、景明は呵々大笑する。

「芝居とわかって、何故見逃されたのです?」

 景明と並んで用を足している青年武将は、沈毅な面持ちで問う。

「そこよ、不動丸殿、いや、郷光殿。あの首の真贋などどうでもよい。要は戦の神と恐れられた清姫が討ち死にした、ということで全ては蹴りがつく。実は死んだのは影武者だった、と噂になれば厄介じゃ。軍神の風聞や幻影に東国中が振り回される。それを利用する輩も現れる。ワシが恐れるは軍神清姫の虚像よ。仮に清姫本人が存命であったとしても、もはや何程やあらん、再起は無理じゃ。秋月あっての戦神だからの。この見切りが政略戦略の要諦ぞ」

と教えを授けられ、青年武将――嘉田郷光(かだ・さとみつ)は、

「なるほど」

と短く重々しく頷く。不動丸といった幼少の頃より、賢婦と称えられている母から、薫陶を受け、剛毅で沈着な武者に成長した。強面で、本心を胸の奥深くにしまい、容易には明かさなかった。

「此度はそこもとに御骨折り頂き、大敵を討つことができた。御礼申し上げる」

「なんの」

「なかんずく鉄砲隊には驚き入った。よくもまあ、あれだけの種子島(鉄砲)や打ち手を集められたものじゃ」

「あれは母が思い立って苦心を重ね、揃えたもの、それがしはその恩恵に預かっているだけにござる」

「流石は嘉田の尼御前様じゃ」

 郷光の父は彼が六歳のとき、戦で死んだ。その妻・陽康尼が息子を後見して、元服するまで家中を束ね、国を寸土も失わず保ち続けてきたのである。

「ワシは秋月の家名を残そうと思っている」

と景明は言った。

「ホウ」

 郷光の眼が景明の気づかぬくらいの光を帯びた。

「生け捕りにした長福丸は我が家の人質として養育し、ゆくゆくは城と程々の所領を返してやろうと思う」

「それはそれは」

 つまりは秋月領は坂元家の保護国として、その傘下に置くという景明の遠謀に、郷光は内心舌を巻く。

「家名と所領さえ残せば旧臣どもも安堵し、坂元に復仇の念は抱くまいて」

「なるほど」

 郷光の無口は話し手を饒舌にさせるようだ。景明は小便の雫を振り落としながら、

「ただし金山は永劫、坂元家の直轄と致すがの」

とまた大笑し、

「さりながら、此度合力下された嘉田殿を、手ぶらで帰すは我が本意にあらず。それゆえ、秋月領の上二郡は貴公に差し上げよう。これで堪忍して頂けるかな?」

「否々」

と郷光は一物をしまい、首を振った。

「我らが此度、出陣いたしたは所領目当てではござらぬ。あくまで、いずれは義兄上になられる御方のお役に立たんとしたがゆえ。そのようなお気遣いは御無用にされたし」

 郷光の許婚は景明の妹と内々で決まっている。

「痛み入る」

と頭を下げながら、景明は、

 ――この男――

 口数は少ないが魯鈍ではない、と郷光の器量を見抜いた。これもまた、景明にとってこの戦の収穫であった。

 ――嘉田郷光、敵に回すは厄介至極じゃ。  

 両人は長い小便を終え、ふたたび馬上の人となった。

 旧秋月領の仕置きはこの連れ小便の間に決したのだった。



      (捌)そして、母になる


 清姫が男の子を産んだのは、秋月落城の七ヶ月後だった。

 月代頭で戦場を駆け、老若男女を問わず殺戮を繰り返してきた我が身が、新しい命をこの世に産み落としたことに、清姫は不思議な思いを抱いていた。


 落城の嵐を逃れ、清姫が行き着いたのは、秋月家に仕えてきた忍びの郷だった。

 里人たちはこの敗将の出現に、皆迷惑顔だった。

 元来、忍びの者に忠義という倫理はない。もし清姫を匿ったことが露見しては、一大事になる。

 乱世の常で、彼女を捕らえて、坂元家に突き出そうと目論む輩もいたが、かつてこの郷の頭領だった俗名を「冴(さえ)」という、いまは尼になっている女性(にょしょう)が、

「私が一切の責めを負うゆえ」

と里人を説得して、彼女が隠棲している庵に、清姫を密かに住まわせた。

 そして、そこで清姫は子を産み、母となった。

 月代も伸び、ごく普通の女髪になった。

 乳飲み子の首がすわる頃、

「長い間お世話になりました。禅尼様の御厚情には幾ら御礼を申し上げても申し足りません。ひとえに感謝申し上げます」

と礼を述べ、庵を去ることを告げた。

「行くあてはあるのですか?」

と訊く尼に、

「ありませぬ」

と清姫は正直に言い、

「ただ、我ら母子の素性を知る人のない地へ行こうと思うております」

と息子の寝顔に目を潤ませ、

「この子は絶対に侍にはさせませぬ。百姓でも僧でも、商人(あきんど)でもいい、争いを避け、この母のような阿修羅道を歩ませたくはありませぬ」

 尼は母子を引き留めなかった。この郷には、清姫らを売ろうと企んでいる者もまだまだ存在するからだ。

「ならば、ここから西へ十里ほど行った泰安寺という山寺にお行きなされ。修行時代の兄弟子が住持をしております。信頼できる有徳の僧侶です。私が文を書いておきます。それを見せれば、良きように取り計らってくれるはずでございます。勿論お清様の素性は伏せておきまする」

という尼の恩情に、清姫は感涙にむせんだ。


 翌朝、早暁、清姫は我が子を抱き、庵を離れた。

 百姓姿に身をやつし、乱世の中をふたたび、今度は地下人(じげにん)として歩き出した。

 尼は二人を見送った。二人の姿が見えなくなるまで、尼はかつての軍神の後ろ姿を見つめ続けた。



       (了)



    

        あとがき

 東国を舞台にした架空戦記モノの最新作です。
 色々な方のご意見やご感想が頭の中に、ボワ〜、とあって(「ロング化」へのチャレンジとか)、そんな状態の執筆でした。
 あとNHKでやってた「ガンダム・オリジン」。
 宇宙世紀を舞台に、膨大なキャラクターたちが生き、死に、物語を紡ぎ、大河や支流といった形で展開していくというガンダムスタイル。それに影響を受けたのだな、とようやく気づきました。
 そして、今回は名族秋月氏の栄光と滅亡を描きました。
 ラストはね〜、ギリギリまで迷いました。清姫の新たな出発か、それとも無惨な最期か。ほんと、二つのバージョンの狭間で揺れて揺れて。。
 そして、バッドエンドにしたんですが、まさに発表直前、直感でバッドエンドのラストをカットしました。こんなこと初めてです! 結果、タイトル詐欺になってしまいましたね(^^;)
 以前、惟虎の死去が、シリーズ中の時系列で最後と述べましたが、今回のストーリーはそれ以後の話で、これが今のところ時系列最後の話デス。
 結構熱筆しましたが、なんか筆力の衰えを感じます(^^;)
 でも、このシリーズ、好きなので今後も続けていきたいと思ってます。お付き合い頂ければ嬉しいです(*^^*)(*^^*)



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