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海辺のコテージでの話


 今夜はバーベキューだ、と隆太(りゅうた)が言った。あたしは嬉しくて、朝からウキウキしていた。

 今朝は貰い物の外国米をライスフライにして、それにウスターソースをかけて食べた。ベーコンエッグを添えて。

 ベーコンはカリカリ。

 付き合って三ヶ月、隆太はあたしの好みを着実に把握しつつある。

 昼はコテージを出て、街へ。

 バーベキューセットや炭は、隆太があらかじめ持ってきていたので、肉や野菜、魚介類、焼きそば等を、スーパーマーケットで買った。

「こんなに食べれないよ」

と言いながらも、ついつい買いこんでしまう。

 花火を購入する頃には、あたしもハイなテンションになっていて、

「こんなにいらねーだろ」

と隆太が呆れるほどたくさん、買い物かごに押し込んだ。

 スーパーの近くのカフェで昼食を摂った。

 お店の名物の、でっかいハンバーガーを食べた。夜も肉、昼も肉かよ、と自分にツッコミを入れたりして。

 ハンバーガーはすこぶる美味だった。チーズのトロけ具合もいい。オニオンの甘さが肉の旨みを一層引き立てる。何より肉汁たっぷりのハンバーグに感激する!

・・・と、なんだか食べ物の話ばかりしているが、根が食いしん坊だから仕方ない。

 隆太も

「うめー」

とハンバーガーにかぶりついていた。ガッチリとした筋肉質で巨漢の隆太は、ハンバーガーを二つも平らげていた。その身体に相応な食べっぷりは、あたしを惚れ惚れとさせる。



 隆太と出会ったのは半年近く前だった。

 その時期、あたしは大学受験に失敗し、じゃあアルバイトしながら勉強して、再度受験にチャレンジしようと考え、接客のアルバイトは避け(人見知りだから)、とある食品工場に勤めはじめた。

 午後一時から夕方六時までのアルバイトなので、勉強する時間はたっぷりとれるはずだった。

 だが、そんなあたしの胸算用とは裏腹に、お気楽な日常のサイクルに、あっという間にドップリ漬かり、初志を忘れ、バイト以外の時間はネット三昧の生活を送るようになってしまった。スマホのアプリでゲームをしたり、動画を観たり、SNSを開設して顔も知らない人と交流したり、買い物したり・・・etc

 元々アニオタだったんだけれど、高校三年生の一年間はアニメ断ちして、勉学に励んでいた。その揺り戻しがきて、以前よりもディープなオタクになってしまった。

 隆太はバイト先の会社の社員だった。

 まだ二十半ばなのに、現場をとり仕切っていた。

 倉庫内をフォークリフトで、シーザーの如くゆうゆうと疾駆する彼は頼もしげで、実際バイトからも他の社員たち皆からも、頼りにされていた。

 ルックスもそこそこ良いので、隆太に接近する女子バイトも何人かいた。

 あたしは自分で言うのもなんだけど、バイトとして有能だった。

 だから、あれこれと難易度の高い作業を任されていた。

 隆太に、

「牟田(むた)さん、今日残れる?」

と「残業」を頼まれることも多くなった。

 最初はプライベートな時間が削られるのがイヤだったが、引き受けているうちに、「残業」等で隆太と二人きりの時間が増えるのは、悪い気がしなくなっていった。

 隆太は、パートのオバチャンたちには冷たく、若い女子のバイトには優しいという、典型的な最低男だったが、あたしにとっちゃ、それは好都合だった。

 こうして隆太と楽しく青春を謳歌した。甲本(こうもと)さん、彼女いるんですかぁ〜?とか訊いたりして。

 そしてラインを始めた。

 「牟田さん」が「香菜(かな)」に、「甲本さん」が「隆太君」へと移行するのに、さほど時間はかからなかった。

 あたしたちは職場で公然とイチャつくようになった。

 背後で吠えたてるメス犬たちの存在など、あたしは意にも介さなかった。

 恋は、「あたし」と「彼」以外の他者を、たちどころに世界の外に閉め出してしまえた。

 自然と二次元に対する情熱も、徐々に鎮静していった。

 こうして、社内恋愛を成就したあたしと隆太だが、さて、隆太はなかなかまとまった休みがとれないでいた。

 有給休暇をとるようにすすめてはみたが、どうも社内は「有給とりますよ〜」と気軽に言える雰囲気ではないらしい。アベさん、これが地方の中小企業の実態なんですよ〜!

 それでも繁忙期も過ぎ、夏になると、隆太の仕事も一段落し、五日間の休暇をもらえた。

 あたしはここぞとばかり、父の友人が海辺にコテージを所有しているのを借りられないものか、とお願いしてみたら、してみるもので、あっさり貸してもらえることになった。



 そして八月、隆太の運転で某地方のコテージへ。ままごとみたいな同棲生活が、五日間限定でスタートした。

 そこは、楽園だった。

 コテージは洒落た木造建築で、ライフラインも完璧、何より異国情緒漂う外観と内装、部屋もいっぱいある。気分はセレブになってしまう。

 ロケーションも最高! 海はあたしたちの近隣にある生臭い海とは大違いで、エメラルド色の美しさ。海岸にはゴミひとつ落ちていない。南国種の植物や木々が辺りには密生している。

 灯台のある岬も素晴らしい。風景に、そこはかとない情趣を与えてくれている。

 ウッドデッキに置かれたチェアーに寝そべり、海から来る風にあたりながら、水平線の彼方に沈む夕陽を、ぼんやりとうっとりと眺める。

 たくさんの夕陽をスマホに収めた。海も花も木もコテージもスマホで撮る。もちろん、マイダーリンも。マイダーリンの写真は笑顔だったり、変顔だったりする。

 それらの写真を立て続けにSNSにアップする。いいね!をたくさん貰った。ふふふふ。



 しかし、二日目になると、緩やかに流れる海辺の時間に、どっぷり浸り、外界との接触もついつい途絶えがちになる。

 夕陽に見惚れていたら、

「香菜、晩飯ができたぞ」

とエプロンをした隆太がデッキにやってきた。

「うん」

 あたしは物憂げにデッキチェアーから上半身を起こす。そして、目でキスをねだる。まるでハリウッド女優にでもなったかのような心持ちで。

 隆太はあたしのサインに応え、あたしの唇を吸う。

「ちょっとォ!」

 あたしは隆太の身体を邪険に突き放した。

「隆太君、煙草吸ったでしょ!」

 隆太は以前はスモーカーだった。付き合うにあたって、あたしは彼に煙草をやめさせた。しかし、隆太はその約束をしばしば破った。

「吸わないって約束したでしょ! ナニ破ってんだよ」

 あたしは椅子から跳び下りると、隆太の脛に蹴りを入れた。

「すまん! ここの持ち主が忘れていったらしくてさ、パッケージを見ると、つい・・・」

「言い訳すんなよ」

 もう一発、ローキック。恋のイニシアチブは、あたしが完全に掌握中。

「約束守れないんなら別れたっていいんだよ?」

「ごめん! もう二度と吸わないから勘弁してくれ」

「そうやって、いっつも口ばっかりじゃん」

「そう言わないでくれ。悪かったよ〜」



 休戦して、夕食に。

 隆太は料理が上手だ。通人っぽいところもある。今夜の夏野菜カレーも、市販のルーではなく、ターメリックとかガラムマサラとかいったスパイスから調合して、オリジナリティを出している。

 その隆太特製カレーを、おいしい、とおかわりして、食後の洗い物も隆太に押し付け(喫煙のペナルティだ)、コテージの持ち主のレコードのコレクションをチェックしてみる。レコードなんて初めて手に取った。

 レコードはジャズばかり。それも、Bill Evansという眼鏡の男の人のものが圧倒的に多い。

 好奇心から、ちょっと聴いてみたくなった。

 Bill Evansの中から適当に一枚引き抜いて、隆太に頼んで、ターンテーブルにのせてもらった。

 ソファーに腰を落ち着け、オーガニックなアイスティーを口に運びつつ、微かなノイズをこびりつかせ流れてくるジャズピアノを聴く。なんか、大人って感じ。

 隆太の方は酎ハイをもう二缶もあけている。フローリングの床にあぐらをかいて、あたしに付き合って、ジャズに耳を傾けている(ように見える)。そして、言う。

「なんか大人って感じだよなあ」

 さすが恋人同士、同じことを思っていた! 二人ともジャズそのものを味わっているのではなく、「ジャズを聴いている自分」に満たされているのだ。ジャズなんぞ聴いているヤツらはスノッブだ、と嫌悪していたが、いやはや、あたしの方がよっぽど俗物だ。

 ジャケットで選んでBill Evansを二枚三枚と隆太にかけてもらう。

 アイスティーを飲み干すと、今度はお湯を沸かして、ダージリンティーを淹れ、それにジンを垂らして飲む。ジンはコテージの所有者の方のボトルから、ちょっぴり失敬してしまった。ごめんなさい。

 隆太はジリジリしている。

 あたしの脚をクイクイと引っ張ってきて、

「なあ、俺眠くなっちゃったよ。そろそろ寝ようぜ」

 無粋だな、とあたしは興ざめる。せっかくのムードが壊れかけるだろうに。

 でも、隆太の気持ちもわかる。

 ようやくゲットした恋人との限りある休暇を、Bill Evansとかいう知らないオッサンの音楽で二時間も三時間も浪費したくないのだろう。

 でも、わざわざこんなロマンティックな場所に来たのだから、そんなにガツガツせず、時間を忘れ、ゆったりとムードを熟成していきたいと、あたしは思うんだな。

「眠いのなら、隆太君、先に寝たら」

と意地悪言ったら、

「そんな殺生な」

と隆太は情けない顔をした。職場では絶対見せない顔。

「そう言えば――」

 あたしは話題を転じた。

「隆太君、昔、美容師やってたんだって?」

 この間、パートのオバチャンからチラと聞いた情報。

 360度どこから見てもガテン系の隆太と、美容師という職種はどうにもミスマッチで、マジか?と思わず笑ってしまった。

半信半疑で、なので、こうやって直接本人に訊いてみると、

「ああ、やってたよ」

という返事。あまり触れて欲しくはなさそうだった。が、あたしは構わず色々聞き出した。

「一ヶ月やってたかな」

「一ヶ月?」

「そう」

「なんで辞めちゃったの?」

「先輩を殴った」

 隆太は高校を出てから、美容師の専門学校に通い、卒業し、さらにフランスに留学してヘアメイクについて研鑽を積んだ。

 そして、或る大きなヘアーサロンに勤めたが新人は下働きばかり、その上、ソリの合わない先輩たちから大小の嫌がらせを受け、ついにキレて嫌がらせの主犯格の先輩二人をブン殴って、店を退職したとのことだった。

 この一件で味噌がついて、彼を雇い入れてくれる店はなくなってしまった。

 そうして、もう美容師にはなるまい、と心に決めたという。

「元々接客業って苦手なんだよ」

 あたしと同じ人見知り人種らしい。

 美容師の夢を捨て、引っ越し屋など、肉体労働の仕事を転々とし、現在の職場に落ち着いたというわけ。

「なんか勿体なーい」

とあたしは異を唱える。

「せっかく専門学校とかフランスにまでいって、修行したのに、あんな薄暗い倉庫の中で埋もれていくなんてさ。宝の持ち腐れだよ。絶対人生間違えてるよ」

「人生なるようにしかならねーんだよ」

と隆太は吐き捨てるに言って、この彼の古傷をえぐるような話題を打ち切った。

 しばらくは、Bill Evansのザラついたピアノだけが、沈黙を埋めるように流れた。

 その夜、隆太は激しくあたしを求めた。あたしを抱きしめ、執拗に愛撫した。まるで悪魔祓いでもするかのように、荒ぶっていた。

 あたしはかろうじて、それを受けとめ、長い髪を振り乱し、腰を振った。

 隆太と付き合ってから、こんなに楽しくないセックスは初めてだった。

 真っ白になる頭の中、Bill Evansのピアノがリフレインしていた。



 その翌朝、あたしたちは普段のあたしたちに戻っていた。

 燦燦と窓から射しこむお日様に、目を細め、今夜はバーベキューだ、と隆太が言った。

 人をもてなすことが基本的に大好きな隆太は、一人でバーベキューセットを組み立て、買い込んだ肉を切り、野菜を切っている。

 あたしはれいによって、デッキで潮騒を聞きながら、チェアーに身をよこたえていた。カッコつけてサングラスとかかけちゃって。

「香菜、車に行って、炭をもってきてくれ」

「はいよ」

「トランクの中にあるから」

とキーを渡され、あたしは隆太のパジェロミニが駐車しているガレージまで行き、トランクをあけ、頼まれたものを探した。

 同時に「或る物」を大発見してしまった!

 何食わぬ顔で頼まれたものを抱えて、引き返す。

「今日は一日中晴れらしいから、バーベキューにはうってつけだ。花火もできる」

 隆太の声は弾んでいる。せっせと食材の準備に余念がない。



 だがしかし、バーベキューを始めると同時に雲行きが怪しくなり、後半には空が泣き出した。隆太経由の天気予報は、見事に大外れ。

「花火は明日にしよう」

と隆太は慰め顔でそう言う。

 あたしはリビングで缶ビールをチビチビ。一応未成年なんだよなぁ、あたし。

 雨脚は強く激しく、海やビーチ、そしてこのコテージを叩き付ける。

「ねえ」

 あたしはかなり本気で、隆太に言ってみた。

「あたしの髪、切って」

「はあ?」

 不意をつかれ、隆太は、それこそ、鳩が豆鉄砲を食ったような表情(かお)をした。

「急に何を言い出すんだよ?!」

「いいじゃん、切ってよ。美容師だったんでしょ? 学校も出て、留学もしたんでしょ?」

「全部昔の話だ」

「あたし、見ちゃったんだよね」

「何を?」

「車のトランクの中にさ、美容師の道具がギッシリ入ったカバンがあったんだよね」

「!!」

 ギョッとなる隆太。あたしは続ける。

「本当はまだ未練があるんじゃないの、美容師の夢に」

「そんなわけねえだろ」

「だって、ホントに美容師の夢を諦めたなら、美容師の道具なんかあんなふうに取って置かないでしょ」

「高かったから・・・捨てづらかったんだ」

「嘘言わないで。あたし、道具を見たけど、どれも手入れがしてあった。ハサミもピカピカだったし、他の道具もホコリひとつなかった。普段からお手入れしてるに違いない、ってわかった」

「・・・・・・」

「それに隆太君の性格なら、いらない物なら、どんな高価な物でも構わず捨てるはずだよ」

「お前に一体、俺の何がわかるんだよ!」

と怒鳴られたのはショックだった。付き合ってそれほど経っていない。あたしは隆太のことで知らないことがまだまだある。

 現に、美容師だった、と知ったのもつい最近だし。

 隆太は美容師になるという自己実現を果たせなかった。その挫折は彼を深く傷つけ、苦しめたことだろう。

 その隆太の誰にも触れられたくない領域に、あたしはズカズカと踏み込んでしまったみたいだ。

 だからって、言い方ってものがあるだろう。

 あたしはむくれる。

「もう寝る」

と言い捨て、リビングを突っ切り、寝室への階段をのぼっていった。

 隆太は何も言わなかった。後も追わなかった。窓ガラスの外、雨の海を睨むように立っていた。

 その晩、あたしたちは別々の部屋で寝た。

 隆太が悪いわけじゃない。それはわかってる。わかってはいるけれど、つい拗ねた態度をとってしまう。

 せっかく楽しく過ごすはずだった「夏休み」だったのに。

 所詮、あたし風情には分不相応な恋だったのかも知れない。

 またアニオタに戻るかなぁ、と一晩中ベッドで輾転した。



 目が覚めたら、いい匂いがした。

 モソモソと寝床を這い出る。

 隆太がキッチンで、昨夜のバーベキューで余った食材で焼きそばを作っていた。

 ソースの匂いが、食欲をそそる。抜き足、差し足。

 そっと顔を覗かせるあたしの気配を、隆太はとっくに察知しているらしい、

「飯ができるぞ、顔笑ってこい」

 料理中の背中を向けたまま言う。

「は〜い」

 従順に返事するあたしに、

「飯食ったら、髪切ってやる」

「え?」

 あたしはおぼえず聞き返す。が、隆太は同じことは二度は言わない。

「じゃあ・・・」

 自分の頬に赤みがさすのが、自分でもわかる。

「その代わり、どんな髪型にするのかは俺が決めるからな」

「オーケー」

 話の行きがかり上、そう返答せざるを得ない。

「髪切る前の写真撮っとけよ」

「ラジャー」

 あたしは大急ぎで洗顔を済ませ、服を着替え、簡単なメイクをして、長い髪の自分を自撮りした。目一杯表情をつくって――

 パシャッ

 撮れ具合を確認する。小さな齧歯類(げっしるい)を連想させる小顔でロングヘアーの女の子が、屈託のない笑顔でこっちを見ている。

 少し修正を施して、久々にSNSにアップする。

『これからご飯。そのあとダーリンに髪の毛切ってもらいま〜す(笑顔の絵文字)』

 早速、ファボられたり、コメントがつく。

『え〜、切っちゃうの〜? もったいない〜』

『どれくらい切るの?』

といったコメントに、

『彼氏にお任せコース(複数のハートの絵文字)』

とリプ。

『彼氏さん、カット上手なの?』

とのオタク時代からの友人に、

『フランス仕込みだよ』

とちょっと自慢。

『いいなあ』

『ポンちゃんもはよ彼氏作れ』

『夏コミ前のテンション、ダダ下がりするようなこと言うな〜(涙の絵文字)』

『本売れるよう祈っております(天使と悪魔の絵文字)』



 階段を駆け下り、キッチンに飛び込む。

「遅え」

と隆太は恐い顔。

「ごめ〜ん」

 二人で一緒に、

「いただきます」

 焼きそばを食べる。ホッペが落ちるそうになるほど美味しかった。

 あたしたちは、あたしの新しい髪型について、大いに談じ合った。

「オバチャンみたいなパンチパーマとかは無しだからね」

とある程度は釘を刺しておく。

「さて、どうするかなあ」

 隆太は仏頂面を作ろうとするが、イジワルな笑みを隠し切れないでいる。

 ドキドキワクワク。



 遅い朝食(昼食?)を済ませると、あたしは隆太を急き立てて、キャミソールにミニスカート姿で庭に出た。

 背もたれのある椅子を持ち出し、砂の上に置き、その上に座る。

 隆太はすでに、マイカーのトランクに封印していた美容師道具の数々を、用意していた。

 そして、夏空の下、カットの準備に取り掛かる。

 首にタオルを巻かれ、カットクロスを巻かれた。

 そうして、霧吹きで髪が湿される。

 髪がコームで梳かれ、水分を髪全体に行きわたらせていく。

 海を眼前にしてのカット。潮の香りが鼻をくすぐる。太陽が眩しい。夏だ!

「どうなっても知らねーからな」

 美容師は高飛車に最終確認。

「さあ、やっちゃってよ、バサッと」

 あたしも腹をくくった。

「よーし、いい度胸だ」

となんだか新兵を鍛えている鬼軍曹みたいなトーンで言う隆太。

 肩下10センチの濡れ髪を左右、後ろ、トップとクリップでブロッキングして、垂れている髪を、レザーで削いでいく。左手で髪を軽く掴み、右手で、ザッザッ、とレザーを動かす。動かすたび、髪が収穫され、カットクロスに滴る。

 右から左へ、グルリと髪が切り落とされた。かなりの量だ。心がさざ波立つが、黙って隆太に任せる。

 クリップが外され、仮留めしていた、外側の長い髪がバラリとこぼれ、ふたたび頬に耳にうなじに髪の感触を取り戻した。

 落ち着いたのも束の間、隆太はまた、今度は左から右へ、順繰りにレザーを入れていく。

 ザッザッ、と髪が押し切られ、バサッ、バサッ、バサッ、とカットクロスが鳴る。

「もしかして、結構短くするの?」

 今更だが訊く。

「ああ、そうだな」

 嘘みたいに軽くなった頭上を、カモメたちが、キー、キー、と飛び、旋回している。あたしたちを見下ろして、コイツら何やってるんだ?と話しているかのように。

 長い髪は全部払い落とされた。首や肩の辺りがだいぶスッキリした。

 粗切りした髪を次はハサミで、コームで梳き、チャッチャッチャ、と刈り込まれていく。

 左サイド、下から上へ、チャッチャッチャ、とハサミはさかのぼり、また下から上に、チャッチャッチャ、もみあげは消え、ハサミの感触を地肌は感じる。相当ガッツリ切られているのだろう。

 耳にかかる髪は一掃されてしまう。

 髪型に心が追い付かず、ちょっと待ってよ、と言いたくもなるが、もう遅いし、あたしは隆太の腕を信じるしかない。

 チラと盗み見る隆太の横顔は、職場のときと同じように、いや、それ以上に真剣そのもの。

 その表情に頼もしさをおぼえる。だから、信じる。

 後ろの髪も刈り上げられる。コームで梳きあげられた髪が、チャッチャッチャ、と一定のリズムで切り詰められていった。襟足も跡形もなくなるくらい刈られているに違いない。

 うなじにハサミの冷たさがしみる。同時に潮風も感じる。

 チャッチャッチャ、細かな毛が砂鉄みたく首の周りに積もっていく。

 いかつい見た目の割に、さすがフランス仕込み、粗切りの大胆さとは打って変わって、繊細なカットだ。その強弱に、隆太の美容師としての可能性を、あたしは見出すんだな。

 そして、右サイドの髪も、ハサミの侵攻を受ける。チャッチャッチャ、という音も今ではあたしの耳朶を心地よく打つ。パラパラ、と肩に降る細かい毛。

 トップの髪も、シャキシャキ、と切られた。こうやってボリュームをおさえるのだろう。なにせ、あたしの髪、人一倍多いから。

 高速道路をすっ飛ばす隆太、豪快に海を泳ぐ隆太、バーベキューをとりしきる隆太、大きなハンバーガーを平らげる隆太、今回の「夏休み」ではカッコいい隆太をいっぱい見てきたけど、やっぱり髪を切っている隆太が一等賞だな。

 最後に前髪が切られた。縦に、横に、ハサミは入れられ、オン・ザ・眉毛にまで詰められていった。

 あたしは目をつむって、さらさらと顔を伝う切り髪の感触に耐えている。後頭部よりは長さをキープしてくれているみたいで、ホッとした。

 それから、ドライヤーで髪を乾かし、ドライカット。隆太は髪のあちこちを微調整していく。チャッチャッチャ、チャッチャ――



「できたぞ」

と手櫛で髪をスタイリングしてくれながら、隆太は言った。心なしか優しい響きだった。

「どれどれ」

とあたしは鏡で仕上がりをチェックする。

 いきなり、ボーイッシュになった自分が、鮮やかに視界に飛び込んできて、

「おお!」

 あたしは驚嘆した。

「男の子みたい!」

「香菜はショートの方がゼッテー似合うって」

と愛する彼に力説されれば、確かのチョー似合うって気がする。あたしってチョロい女子なのかも。

 鏡をまた見る。

 スッと伸びた首筋は清らで、でもセクシーで、なんだかモデルっぽい。少年のようなベリショの髪も、中性的な色香を醸し出し、見る人にセンスやポリシーを感じさせるだろう。

 あたしは彫の深い日本人離れした顔立ちなので、

「ベリショが似合うと、俺の美容師魂は直感したんだ」

 隆太の言う通り、欧米人風のルックスには短髪が映える。ヨーロッパのミニシアター系映画のヒロインのようだ、と己惚れて思ったりもする。ホント、チョロい女だ。

 それでもいい。

 あたしは瞬時にベリショの自分が好きになった。

「シャンプーするぞ」

「いや、いい」

 あたしは落髪もろともカットクロスを脱ぎ捨てると、海へと向かって走り出した。



 その夜は、昨日できなかった花火をした。

 夜の闇を、夜の静寂(しじま)を、シャアアア、と照らし出す光の噴水。

 花火に目を輝かせる隆太の少年ぽさが面白く、愛おしく、あたしは次々と花火に点火する。

 岬の灯台は律義に明かりを灯し、船や恋人たちに、おれをここにいるぞ、と教えてくれている。まったくもって、心強い。

 ふと足元を見たら、昼間切ったあたしの髪が、砂にまみれて、まとめられている。

 あたしは悪戯心から、その髪束たちに花火を向ける。シャアアア!

 切り髪は火に焼かれ、真っ赤になり、反り返り、バチバチとはぜる。ボウボウと燃える。一種の葬送のつもりでもある。さらば、今までありがとう。

「ナニ遊んでんだよ! 火事だけは勘弁してくれよ」

 隆太に叱られ、

「はーい」

 あたしはサッパリとした首をすくめる。

 短い髪が潮風になびく。気持ちいい!

 大量の髪はメラメラと、全て灰になってしまった。

 花火が尽きた。

 明日になれば「夏休み」も終わる。

 あたしも隆太も日常へと戻る。

 あたしたちはハシャぎ疲れと感傷から、しばらく無言でいた。波の音が二人の沈黙の隙間を埋める。

「俺、もう一度美容師になろうかな」

 隆太がポツリと呟いた。灯台のライトに一瞬照らされた表情(かお)は、清々しかった。

「香菜の喜ぶ顔見てたら、美容師の仕事が好きだってこと、ようやく気付けた。いや、自分の本心に正直になったというべきかな」

「マジで?」

「マジで」

「この髪型で――」

とあたしは髪を撫でて、

「隆太君のセンスと技術はあたしの折り紙つきだよ」

 恋人の太鼓判に、

「そうか?」

 隆太は満更でもない様子。

「あたしも大学受験の勉強、ちゃんと始めようかなあ」

「マジで?」

「マジで」

 あたしは目を細める。モラトリアムはいつか終わるもの。今が支払いの時だと思う。刹那的な人生から脱却して、次のステップに進む勇気を、髪を切ることで得た。

 そして、愛する人と一緒に階段を一歩昇ることの喜び、それをあたしは噛みしめている。

「とにかく頭下げて下げて下げまくって、雇ってくれる店を探すか」

「隆太君が美容師になったら、あたし店に通いつめるよ?」

「おう! バンバン指名してくれ」

「ホストじゃないんだから」

 あたしは笑う。

「まあ、当分は下積みだろうけどな」

「あたし以外の女のお客さんと浮気したりなんかしないでよ」

「しねーよ、絶対しねーってば」

「よろしい」

 ご満悦のあたしに、今度は隆太が逆襲、

「香菜こそ、大学に入ってから、キャンパスの男になびくんじゃねーぞ」

「さて、どうでしょう? 保証はできないな」

「コイツ、自分ばっかりズルいぞ」

「あはははっ」

 あたしは身を翻し、波打ち際を駆ける。

「待てよォ」

 隆太も破顔して、あたしの後を追う。

 追いかけっこは数歩で終わり、隆太はあたしの手首を握り、あたしは二閃、身を翻して、あたしの大好きな場所――隆太の胸に飛び込んだ。

 そして、あたしと隆太は、過ぎゆく夏の中、ゆっくりと唇を重ねた。

 灯台だけがあたしたちを見ている。


               (了)





    あとがき

 令和初、怒涛の小説四連発の最後の作品でございます。
 いつもよくある「マニアックな尼さんor坊主小説連発しちゃったから、あと一本は“真っ当な断髪ストーリー”をでっちあげてバランスをとっちゃおう(そして勘弁してもらおう)」的な作でもあります(^^;)
 と、動機は不純なんですが、読み返してみて、すごく好きな一作です!
 このお話、実は何年も前に書いた「四十億年?」と「原作」が同じなんです。
 「四十億年?」は自作の中でもかなり好きで、いまだに何度も読み返しています。ああいう「自分の柄じゃないなあ」という小説は楽しめます。逆に自分のディープな内面や欲望を詰め込みまくりな作品は、あまり読み返したくない(笑)
・・・と話が脇道にそれてしまいましたが、その「原作」というのが(「四十億年?」のあとがきでも触れていますが)、13歳くらいのときに描いたイラストストーリーなのです。
 海辺の別荘地で、女の子が「僕に任せて」というイケメン君にときめきつつ、ロング→ショートになるというストーリーです。
 「四十億年?」の場合はキャラクターが「原作」寄り、今作は設定が「原作」寄りとなっています。
 以前、モデルのりょうさんが出演していたコーラ(?)のCMで、夏の庭で「髪を切るぞ〜」と女の子の髪をカットするのに萌えましたが、こういう青姦、いやいや、屋外でのカットもすごく好きです!
 今回は令和初の、そして久々のオリジナル小説だったので、一作一作に色々と、パイ生地のように様々な思いを塗り重ねました。結果、一種私小説的なものになったりもしました。
 正直、楽しさばかりでなく、産みの苦しみもありました。けど、本日ついにアップに漕ぎ着けられ、とても嬉しかったです。
 最後までお読みいただき大感謝です(*^^*)(*^^*)  改めて、ありがとうございます♪♪



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