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 カットV

というチェーンの床屋が駅近くにある。

 立地条件も良く、お財布にも優しい価格なので、今でも結構繁盛しているようだ。

 しかし、そのカットは繊細という語からは程遠く、例えば、

「一ヶ月伸びた分だけ切って」

と注文しても、ガッツリ刈り込まれてしまう。

 中学時代、この店を利用する友人たちも多くいて、やはり短く刈り込まれ、翌日登校すると、

「あっ、それ、カットVで切っただろ」

とすぐわかった。それくらい「悪名」が高かった。

 指摘され、苦く笑いながら、

「わかる?」

と刈り詰められたダサダサヘアーを撫でている、アイツやコイツの顔を今でも思い出すことができる。

 私はけして行かなかったが、彼らの「失敗」から、カットVの店名は脳裏に刻まれていた。

 ところが、である。

 先日、髪をカットするのに、他に営業している店がなく、まあ仕方ない、安いしな、と私はカットVの敷居をまたいだ。魔がさしたのである。

 カットVは雑居ビルの二階にある。

 入ってみて、いきなり、

むわっ、

という激しい湿気に出迎えられた。

 狭い店内は身をよじりながら席につかなければならず、店内に充満する染髪剤のえげつない匂いは、いかにも昭和を懐古せしめるものがあった。

 理髪師は三人。ゆえに回転率が高く、すぐに順番がまわってきた。こういうところも、この店の長寿の理由だろう。

 私は御年輩の理髪師に、短くしないよう、言葉数を多く費やし、入念にオーダーした。理髪師はつかみどころのない表情で、はい、はい、と客のオーダーにうなずいていた。

 が、できあがってみれば、私の注文は全く無視され、いかにも「床屋で切りました!」といったふうな短髪にされてしまった。中学を卒業して幾星霜、私もついに焼きが回り、「失敗者」の列に加わることになってしまった。

 同時に、

 ――もし、この店に女の子が独り入店したら。

という妄想がわいた。



 そうだ、「かんみ」だ。

 私の脳裏に、不意に一人の少女の姿が浮かんだ。

 中学二年生の一時期、盛んに私にアプローチしてきた娘だった。

 美少女の部類にたぶん入るのだろうけど、顔中ニキビだらけで、まとわりつかれて、正直ぞっとした。

 現在(いま)となれば、ニキビなど、むしろ萌えポイントとさえ思い、付き合っとけば良かった、と少なからず後悔している。

 「かんみ」は本名は神田雅弓(かんだ・まゆみ)といった。最近よく使われている語を用いるとすれば、スクールカーストは低くはなかった。物怖じせず、人脈も広く、ニキビに対するコンプレックスもあまりなさそうだった。

 クラブは美術部に所属していた。「美術部」といっても、ありようはオタクの巣窟だった。

 オタク女子が群れ集って、漫画風のイラストを描き、アニメの話にうち興じていた。ゆるゆるな部風だった。

 その髪は肩の下5センチほど在った。

 この雅弓をいかにして、Vカットで丸刈りにさせるか。

 作者の脳――煩悩はフル回転する。

 お寺の娘ということにしようか。いやいや、それでは芸がない。大体、神田雅弓の父親はPTAの会長をしているほどだったので、おそらくは地元では、そこそこ名士だったのだろう。

 できれば、うんと辱めてやりたい。うんといたぶってあげたい。

 さて――

 私の指は一篇のストーリーを紡ぎだす。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「くく・・くっ・・・くぅ・・・ぬぬぬ・・・うぬっ、うぬっ・・・はぁ、はぁ・・・ハッ! ハッ!」

 汗臭すぎる柔道場の脇に設えられた汚い個室便所。そこで、この稿の主人公・神田雅弓は柔道部の「洗礼」を受けていた。

「うぬっ、くううぅぅぅ・・・」

 嘘だろ、と引いてしまうくらいのニキビだらけの顔を歪め、

「ほひいいぃぃ・・・くくっ・・・」

 昨日出来上がったばかりの五厘刈りの坊主頭をプルプル震わせ、

「あっ、で、で、出てるうううぅぅぅ・・・」

 ぶりぶり、とプリティなケツから極太の一本糞をひり出す。

 信じがたいが、ドアを開け放たれている。丸見えだ。

 部員たちは腕組みして、雅弓の排便をニヤニヤ見守っている。

「いいぞ、神田! これでお前も柔道部の正式な部員として、スタートが切れるんだ! もっと力め!」

「うほっ! ぬはっ!」

 雅弓は死に物狂いで一本糞を排出しようと、悪戦苦闘する。

「あははっ、コイツ、マジでウンコでけえ!」

「うぬっ、うぬっ!」

「しかもありえないほど臭え!」

 「仲間」たちの嘲笑も雅弓の耳には届かない。ひたすら、

「ぐぅう・・・ぐぬぬ・・・」

と腹に力をこめ、ひり出そうとする。

 この中学の柔道部には、

 人前で悠々と糞がひれてこそ、立派なサムライ

という部訓が存在する。これまでも数多の男の子たちが、この和式便座にうちまたがって、「漢」になってきた。

 初めての女子部員となる雅弓にも、例外は許されず、衆人環視の中、排便が強制された。

「B組のニキビ娘が皆の前でウ〇コしてるぞ!」

との珍報が放課後の校内を飛び交い、部とは関係ない生徒まで、プレハブの柔道場に押し寄せた。

 先輩たちの「厚意」で柔道場は開放され、雅弓の排泄行為は、五十人以上の野次馬の眼前に晒されたのだった。

「すげー!」

「こりゃエグいわ〜」

「でけえ、ウ〇コ!」

「っつうか、女子も坊主なのかよ?!」

「流石は猛者揃いの柔道部、やることが徹底してるわ〜」

「ふんっ! むうぅぅ・・・ううぅ・・・ほえっ!」

 大勢の人々に見物され、雅弓は死にたい気持ちだった。だが、もう出かけているブツは引っ込められない。最後までひり尽くすしかない。

 ギャラリーのなかには雅弓の友人たちもいた。鼻をつまみながら、

「かんみ! ガンバ!」

「坊主似合ってるよ!」

「お腹に力、うんと入れて、踏ん張って!」

と声援を送る。涙を浮かべている者。半笑いの者。正直、応援されても屈辱以外の何物でもない。

「ミホも天国から見てるよ!」

との言葉が胸に刺さる。

 顧問は依然、姿を現さない。後で問題になって責任を問われるのを避けているのだろう。

 ぶりぶり・・・ぶり・・・ぶりぶっ・・・

 苦痛の余り、無意識に髪に手をやる。

 ザリ

 0・5ミリの坊主頭に指が触れ、

「ひっ!」

 雅弓の背筋は凍りついた。

 これが「現実」。

 毛のないこの頭も、柔道着のゴワゴワとしたこの感触も、このアナルの熱さも、このウ〇チの臭いも、みんな「現実」。

 雅弓は自分の心を殺すしかなかった。頭の中、大好きなB,Zの音楽を鳴らした。現実逃避。

 つい半月前までは、まさか自分が青々とした丸刈り頭になって、皆の前で無様にウ〇チし晒すことになるとは、ほんの0・0000000・・・1ミクロンたりとも思わなかった。

 ――なんで・・・なんでこんなことに・・・。



 元々雅弓は美術部だった。

 緩い部風に流され、適当な青春を送ってきた。

 たまに何人かの男の子に、恋の駆け引きを仕掛けたこともあったが、それは徒に彼女の殻を分厚くさせるだけの結果に終わった。

 楽しいことだけやり、やりたくないことはやらなかった。

 悩みは?と言えば、やはりニキビ。

 表面上は平気なフリを装っていたけど、雅弓も年頃の女子、洗顔フォームや顔用クリーム、美容法などをあれこれ試みていた。

 しかし、まったく効果はなかった。



 そんな毎日に終止符を打たざるを得ない出来事がおきた。

 親友ミホの死。

 病の床についたミホは、あっけなくこの世を去った。

 雅弓と同じ美術部で、主にガイナックスやサンライズのアニメをときに熱っぽく、ときにミーハー的に語り合ったものだった。

 その死に臨んで、ミホは、枕頭で涙を流している雅弓の手を握り、

「泣かないで、かんみ」

とか細い声で慰めた。雅弓は親友の手を握り返し、

「大丈夫、きっと良くなるから、きっと」

「気休めはよして」

とミホは幽かに微笑して、

「私の部屋にあるBL本だけど――」

「心配しないで、隙を見てちゃんと処分しておくから」

「処分しないで。そのままにしておいて、人目に晒して」

「な、なんで?」

「オタクの業の深さを、オタクという生き方の不毛さを、みっともなさを皆に身をもって知らしめたいの。嘲笑われながら骨になれれば本望だよ」

「ミホ・・・」

 雅弓はミホの凄絶な覚悟にしばし、言葉を失った。

 脱オタをずっと考えていた、とミホは苦しげな息遣いで告白した。その非生産性に、その早すぎる晩年、懐疑を抱き続けていたという。

「一度きりの青春だもの」

とミホ。

「アバウトに生きてちゃダメ。ちゃんと勉強やスポーツにうちこんで、生身の男の子と恋をして、その悲しみも辛さも受け入れて、ちゃんと就職して結婚して、家族をつくって、っていう真っ当な人生を送らなきゃ。せっかく生まれてきたんだからサ」

「・・・・・・」

「実はね――」

とミホは雅弓にうちあけた。

「あたし、美術部やめるつもりだったんだ」

「え?!」

 雅弓は驚いた。初耳だった。

 ミホは続ける。

「もっとちゃんとした部活で、汗を流そうと思ってたの」

「運動部に?」

「そう、柔道部に」

「柔道部?!」

 二人の中学の柔道部は、県下でも屈指の強豪校で、その荒稽古で知られている。全員男子で頭を青々と五厘刈りに丸め、女人禁制な雰囲気がたちこめている。

 だからこそ、

「入りたかった」

とミホは言う。

「あたし、逆境に燃えるタイプなんだよ」

 取り付く島を与えない柔道部顧問に何度も直訴し、何度も懇願し、何度も頭を下げ、頭も丸めるから、と確約して、ようやく入部を許可されたとミホは話した。

 普段おとなしいミホのかくも激しい一面を、雅弓は初めて知った。

 だが、入部を目前にしてミホの寿命は尽きた。

「神様って残酷だね」

とミホは笑った。笑いながらポロポロと涙を流した。

「ミホ・・・」

 雅弓は慰めの言葉も見つからない。

「でね、かんみにあたしの最後のワガママを聞いて欲しいの」

「なに?」

「あたしの代わりに柔道部に入って」

「えええええええ????!!!!」

 まさに青天の霹靂。狼狽なんてレベルじゃあない。

「顧問には私から話をつけてあるから」

とミホ。

「かんみのこと、歓迎する、って言ってたよ」

 たぶん顧問も、これから天に召されようそしている教え子の遺志を、無碍にはできなかったのだろう。

「お願い、かんみ。あたしがなれなかった女子柔道部員第一号になって!」

 雅弓の手をガッシリと握るミホ。逃がさねーぞ、っていう執念を感じる。

「ミホの描いたイラスト、冊子にして、皆に配るね」

「そんなことはどうでもいいから、柔道部に入って」

「それはちょっと考えさせてね。さあ、あんまりお喋りしてると、身体に障るよ。少し眠って」

「かんみが“柔道部に入る”って約束してくれなくちゃ眠れないよ」

「お花の水かえよっか」

「柔道部に入って」

「そうそう、多々良浜先生と印旛沼先生って付き合ってるらしいよ」

「柔道部に入って」

「結構お似合いの二人だよね」

「入れよ」

 ミホは妄執のあまり、デモーニッシュな形相と化している。

「もし万が一、雅弓が柔道部に入ってくれなかったりしたら、あたし、成仏できないよ」

「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる」

「トイレに行く前に返事だけ聞かせて。柔道部に入ってくれるの? くれないの?」

 ミホはギュウギュウ雅弓の手を握りしめ、髪をおどろに振り乱し、目を剥き、歯を剥き、ほとんどホラーで、その凄絶なオーラに、雅弓は恐怖のあまり、チビってしまった。

「もし、かんみが柔道部に入ってくれなきゃ、あたし祟るよ。怨霊になって、末代まで祟るよ?」

 そこまで言い募られては、雅弓はたとえ本心ではなくとも、

「わかったよ」

と、うなずくほかない。

「約束よ」

 ミホは安堵の色を浮かべ、雅弓に小指を差し出した。

 指切りしながら、ミホは、

「約束は絶対だからね。もし破ったら、あたし、神田家に取り憑くからね」

と何度も念を押してきた。

 その凄まじい執念に、雅弓はお気楽だった学校生活を手放す決意をするしかなかった。でないと祟られるし。

 ミホはその二日後、逝った。享年十四。

 大きすぎる約束が、ズッシリと残された。



 柔道着はミホの遺言により、彼女がすでに自身のために購入していたものを、譲ってもらった。運が良いのか悪いのか、サイズはピッタリだった。

 美術部に退部届を提出した。未練タラッタラだったが、仕方ない。

 柔道部の顧問とも話した。ミホが言い残したとおり、入部話は通っていた。

 顧問は猛者連中を統御している男なだけあり、厳格度120%で、

「女子とはいえ、特例は認められん。入部の日までに他の部員のように五厘刈りにしてくるように」

と言い渡され、

 ――ごごごごごご五厘刈りぃぃ〜?!

 雅弓はすっかり震え上がり、怖気づき、

「あの・・・その・・・入部のことなんですけど・・・ちょっと考えさせて下さい」

と返答を一時保留した。当然のリアクションだろう。

 ――やっぱ無理だ。

と諦めた。顧問も、あえて入部を強いることはなかった。というより、難題を押し付けて、雅弓の側から入部を辞退させようという心算だったに違いない。

 ――ごめん、ミホ・・・。

 心のうち、天国の親友に詫びた。



 しかし、その夜、雅弓は夢を見た。ミホの夢だった。

 夜の暗い校舎の廊下で、ミホはすすり泣いていた。

 かんみ、約束を破るんだね。ち、違うよ、ミホ。生臭い風。ミホの身体が徐々に腐りはじめる。腐った肉はボタボタと剥がれ落ちていく。ミホ! ミホはいない。い、いつの間に?! あわてて逃げようと廊下を駆け抜ける。何故か、校舎の入り口に、父親の車が停車している。パパ、助けて! 車に乗せて! 逃げなきゃ! しかし、その刹那、車のトランクがバンと開いた。何? 恐る恐るのぞき込むと、そこにはミホの腐乱死体!! ギヤアアァァ!! 死体がむくりと起き上がる。死体は雅弓の首根っこをつかまえ、叫ぶ。この裏切り者!! ゆ、許してええ!! ミホは半分骨になった顔を歪め、目玉をギョロつかせ、歯をむき出し、咆哮する。お前も死の世界に連れてってやるううぅぅ!! 許して、許して!!と窒息しそうな腐臭に耐え、雅弓はひたすら許しを乞う。ごめん!! ごめん、ミホ!! 私、柔道部に入る!! 入るから!! 髪も切る! 切るから! だから、だから、許してえええぇぇぇ!!

 パッと目が覚めた。

 ――夢か・・・。

 心底ホッとする。パジャマが汗でグッショリだった。

 ふと目を転ずれば、サイドボードの上のミホとのツーショット写真が、風もないのにパッタリと倒れていた。

 ――ひいいぃぃ〜!!

 翌日、雅弓は大急ぎで髪を刈りに家を出た。学校は遅刻する旨電話で伝えた。



 自転車で駅前に出た。

 床屋をさがす。

 そうしたら、雑居ビルの前、三色のトリコロールが鮮やかに回転している。

 2F・Vカット

とある。

 ――ああ!

 学校の男の子たちがよく利用している店の名に、ガードもややほぐれる。料金表もサインポールの横にあって、結構リーズナブルな金額が列挙されている。

 ここにしよう、と雅弓は狭い階段をのぼっていった。

 ドアを開ける。

 途端に激しい蒸気が浴びせかかってくる。思わず後ずさる。

「いらっしゃい」

「らっしゃい」

「いらっしゃ〜い」

 三人の理髪師がバラバラに挨拶する。

 芋を洗うような狭苦しい空間に、三つの理髪台があり、同時に熱湯を使っているため、熱さと湿度が半端ではない。

 湯気と整髪料の臭いでむせ返る店の中、言われるまま、カバンを棚に預ける。頭がボーッとする。

 平日の昼間なので、客は老人ばかりだった。

 その中に混じって、ボロボロのソファーに腰をおろす。カットの順番を待つ。店のルールで、左側から座る。そうやって来た順番に右へ右へずれていくようだ。

 そんなことなど知らずに、適当に座ろうとしたら、

「ダメダメ」

とカット待ちの老人から注意され、ただでさえ女子一人で浮いているのに余計目立ってしまい、雅弓のニキビだらけの顔は真っ赤に染まった。通い慣れた完全予約制の優雅な美容院とは、まるで勝手が違う。ちょっとしたカルチャーショックをおぼえる。

 回転率は高く、客は次々とカットを終え、店を出ていく。

 雅弓の座る場所も右へ右へ。心臓の鼓動がどんどん早くなる。緊張する。緊張のあまり、頭がクラクラする。

 気がつけば、一番右。いよいよ次だ。

 三つの理髪台を見比べる。一番入り口側はドライヤーの真っ最中。そろそろ終了しそうだ。理髪師は三十代後半くらいのオジサンだ。店員の中では一番影の薄い人だ。

 案の定、そこが空いた。

「どうぞ」

とオジサンが雅弓を呼ぶ。

 雅弓は観念した。トボトボと理髪台へと歩き出した。

「学校はどうしたの?」

 制服姿の雅弓にオジサンが、さりげなく笑顔で訊ねた。

 雅弓は曖昧に微笑した。オジサンも訊いたきり、深くは詮索しない。

 クリーム色のケープを巻かれ、

「今日はどんな感じで?」

とオジサンは訊く。

「あの・・・」

と雅弓は一瞬言いよどみ、自分の髪をことさらにクシャクシャと掻いて、

「五厘刈りでお願いします」

 踏ん切りつけて、注文した。

「ええ?! 五厘刈り?」

「うん」

「五厘刈りって1・5mmだよ? 知ってるの?」

「うん、それでお願いします」

「いいの?」

「うん」

「ああ、そう」

 オジサンはそれ以上は訊かず、黙ってバリカンを取り出した。

 黄色いボディの小さめのバリカンは、雅弓のこめかみに、吸い込まれていく。ド真ん中 からいくとばかり思い込んでいたので、やや意外。

 ズズズズズ、バリカンは雅弓の髪をいともたやすく、すくいあげ、バアアアアッ、と後頭部まで運び去る。鼻白むほど無風流に。あっけにとられるほど軽々と。

 右こめかみの一部が青白くなる。0・5mmの長さだ。この長さ、いや、短さがこれから頭全体に及んでいくことになるのだ。

 こうなれば、あとは流れに従うのみ。

 ホットなバリカンの刃が二枚、震えながら髪に齧り付き、髪は勢いよく裂け、バリカンに屈服、その動きに従って、めくれあがり、押しのけられ、0・5mmの根っこのみを残し、跳び、散り、頭を丸く整えていく。

 右の髪が、前頭部の髪が、頭部の形状に沿って、小気味よく刈られる。理髪師の左手はまだ有髪の部分にあてられ、左手のバリカンは間断なく、躊躇なく、動き、雅弓の髪はバリバリ刈られる。

 ニキビ面が露わに出で、雅弓は情けない気分に陥る。

 同時に、

 ――あれ? あれ? あ、あぁ・・・あぁ・・・

 例えようのない甘美な快感が、怒涛の如く、雅弓の成熟しかけた身体を浸し、雅弓の心に色情を萌芽せしめ、それが雅弓を激しく動揺させる。

 ――な、ナニ?! 坊主になるって、こんなに・・・こんなにおかしな気持ちになるの?!

 無論そんなことはない。

 実は雅弓のカットを担当しているオジサンは

 「忍者」

だった。

 笑ってはいけない。

 忍者はこの現代にも、ささやかながら存在しているのだ。

 オジサン――葉隠(はがくれ)氏は現在(いま)は理髪師に身をやつしているが、本当は源平の時代より続く由緒正しい忍びの家柄で、御一新で主家が没落した後も、新政府に雇われ、戦後も政治外交の裏側で暗躍し、忍びの術を代々受け継いでいた。葉隠氏は次期当主になる予定だった。

 葉隠氏はこの度、人生で初めて忍びの「仕事」をすることになった。某国の要人の失脚工作に従事するのだ。

 葉隠氏、己が体得した忍術を、「生体」で試してみたくて仕方ない。

 実際、深夜の街で大勢の人々を煙に巻いたり、辻斬りまがいの真似さえしている。

 そこへ、雅弓の来店。

 これはチャンスだ! 葉隠氏は浮き立つ。

 忍術には医学の教えも含まれている。毒殺の方法や、手傷を負ったときの応急処置などさまざまな知識が代々伝えられている。

 葉隠氏が今、雅弓に施しているのは、一種の閨房術である。敵方の女性を、性的行為によって味方に仕立てあげたり、情報を引き出したりするための術だ。

 葉隠氏は雅弓を丸刈りながら、指やバリカンでさりげなく彼女の頭のツボを刺激し、性的な昂奮を催させる「練習台」にしていた。

 そんなこととは夢にも思わず、雅弓は耐える。髪を失くす精神的な苦痛と闘い、不意打ちだった肉体的快楽を堪え、相反する両者の間で歯を食いしばる。食いしばった歯の隙間から、

「ひいぃ〜」

とか細い悲鳴をあげつつ。こんな場所で「粗相」するわけにはいかない。

 しかし、千年もの間継承されてきた性技は、市井の小娘の抵抗など、いともたやすく跳ね除ける。

「ハァ・・・ハァ・・・」

「どうしたの? 顔が真っ赤だよ?」

 バリカンを走らせながら、葉隠氏は意地悪く訊ねる。

「な、なんでもないです・・・」

 後頭部を刈られながら、雅弓は気丈にも答える。

「フン」

 葉隠氏は鼻で嗤う。処女が無理しやがって、と。

「あぁ!」

 雅弓はヨガリ声で呻く。髪はすでに風前の灯火。頭皮が世間に、コンニチワ、コレカラ宜シクオ願イシマス、と青ざめた顔を覗かせている。

「お嬢ちゃん、肌荒れがすごいね」

と葉隠氏は涼しい顔で、雅弓の痛点を突く。

「コンニャクとか食べるといいよ。あれはニキビにちょっとは効くよ」

「あぁ〜」

 恥じらいと腹立ちと快感に、雅弓の顔はいよいよ朱に染まる。

 バッと最後の髪束が跳び、雅弓は五厘刈りに。すごく長い時間に思えたが、わずか5分にも満たなかった。

 しかし、理髪師はバリカンを動かす。

 刈り残しのないよう、頭のあちこちにバリカンをあて、滑らせる。

 当然、頭のエロツボをさらに刺激する。

「おふっ、おふっ!」

 坊主頭を反り返らせる雅弓。その秘所は甘い蜜で、下着がグショグショになるほど、濡れ尽くしている。

 ヴイイィイイイイン ヴイイィィイイイイン

 いつしか頭に触れるバリカンのバイブレーションに、秘所のさまざまな部分が呼応していた。

「あひっ、あふっ!」

 雅弓は息も絶え絶え、目を白黒させ、それでも理性で、かろうじて持ちこたえていた。

 けれど、ものには限界がある。

「ぐはっ、あっ、ああっ、あ、あぁぁ〜」

 発情する雅弓に、他の店員も客も気づいていない。

「どうしたの? 感じてるの? イヤらしい娘だなぁ」

「ち、違う! 違います!」

 口では抵抗するが、ラブジュースは溢れ返っている。

「も、もうダメ・・・」

 バリカンの振動が気持ち良すぎる。たまらない!

「ぐぅううぅ・・・」

「君、冗談抜きでもう我慢しない方がいい。バリカンで丸刈りにされて感じてしまう君みたいな女性客は、実際珍しくないんだ。恥ずかしがらず出してしまいなよ」

との葉隠氏の嘘100%の誘惑に心揺れるが、

「い、イヤです・・・」

 雅弓にも意地とプライドがある。女の身で丸坊主になった自己に向けられる、驚きの視線が、蔑みに変わってしまう、それだけは絶対、死んでも厭だ。大急ぎで退店して、駅のトイレに駆け込んで、一人Hしちゃおう、と決めていた。ちなみに自慰行為は小6の頃からしていた。

 だが、葉隠氏はバリカンをせっせとあて、一向にカットが終わる気配はない。バリカンがうなじを上下する。ヴイイィイイイイン、ヴイイィィイイイイン――

 知らない間に、パンティがずり下げられている。無論、葉隠氏の仕業だ。

「さあ、出しちゃいな」

「い、イヤです」

 頑なに首を振る雅弓の耳元で、

「早く楽になった方がいい」

「い、イヤ・・・」

「出せよ」

とドスのきいた声で囁かれ、うなじに「オス」の息吹を感じた。

 刹那、雅弓の頭の中、海面を豪快に叩き割って、宙を跳ねる大鯨のイメージが、フラッシュバックした。

 次の瞬間、

 ブシャアアアアアアアアアアア!!

 雅弓は盛大に潮を吹いた。

 おそらくVカット創業以来の珍事だろう。

「いいのォ! すっごくすっごくキモチいいのォ〜!」

 雅弓はてんかん発作のように、のたうって、のたうって、のたうち回って、叫んだ。筆舌では表せないめくるめく快感!

 そして、また、

 ブシャアアアアアアアアア!

 真っ白に薄れゆく意識の内に、

「なんだ、なんだ?!」

「救急車呼べ!」

「いや、病気じゃないみたいだ」

「娘っ子が潮吹いたらしい!」

「そんなバカなことがあるか!」

「実際吹いてるんだってば。よく見ろ!」

「なんてイヤらしい娘っ子なんだ!」

「しかも五厘坊主とは・・・」

「もう何からツッコんでいいのかわからん!」

「でも結構カワイイ娘じゃぞ」

「眼福! 眼福ううぅぅ!」

「相当溜まっていたんだなあ」

「ありゃあ、生娘だな」

と騒ぎ立てる老人客たちの声が、遠く聞こえた。

 葉隠氏が善良な市民面して、

「こんなお客さん、はじめてですよ〜」

と言っているのも聞こえた。

 雅弓は口からヨダレを垂らし、ピクピクと五体を痙攣させ、失神している。床屋中を愛液まみれにしたまま、果てた。もうこの店に来ることはないだろう。どころか、この百回憤死しても足りないくらいの無様過ぎる醜態は、噂となって、すぐに近郷近在に広まるに違いない。



 半日後、汚れた制服をジャージに着替え、雅弓は学校にいた。

 柔道部顧問に入部届を渡した。入部届には愛液のシミがちょっとだけ滴っていた。

 顧問は、彼の言いつけ通り五厘刈りとなって現れた雅弓に、だいぶ気圧された様子だった。そして、即座に雅弓の入部を承認したのだった。



 数多の試練を乗り切った雅弓は、本格的に柔道部員としての稽古を始めた。聞きしに勝る荒稽古だったが、けして音をあげなかった。

 汗を流し、涙を流し、鼻水を垂らし、ゲロを吐いても弱音を口にせず、男子に混じって荒稽古に耐え抜いた。

「神田、頑張ってるな」

と先輩に褒められ、

「押忍!」

と雅弓は一礼、また稽古に励む。

 頭は母に頼んで、一週間おきにバリカンをあててもらっている。

 身体中、傷だらけ、故障だらけで、絆創膏、テーピング、軟膏、湿布、包帯が常に欠かせない状態だ。

 周囲は柔道部をやめるよう忠告したが、雅弓はけして肯んじなかった。黙々と稽古を続けた。まるで死んだミホがのり移ったかのように。

 練習量に比例して、どんどん強くなっていた。すっかり猛者の仲間入りをしていた。

 一年で茶帯になった。

 雅弓はあくまで上を目指す。

 練習試合に負けたり、練習でミスをするたび、自分への罰として、必ず顔のニキビを一個潰した。ブチ、と。

 潰れたニキビは腫れたり、膿んだり、さらに大きくなったり、雅弓はますますひどい面相になった。

 それでも、雅弓は、笑っている。



                    (了)






    あとがき

 令和第一発目の小説です♪♪
 変態度&お下劣度では、迫水作品の中で首位を争う一作ですが、そんなところで争ってどうするんだ、という気持ちもあります(^^;) どうか、いっぱい言い訳させて下さい(笑)
 元々、創作活動はしばらく休もう、と考えて、自分へのご褒美(?)として、自分だけに通用するマニアックな小説を自家栽培しはじめたんですね(暗っ!)、そしたら結構筆がすすんで、あれ、じゃあこれサイトに掲載しようかな、と思い、なるべくマニアック度を抑えて、軌道修正したのが本作でございます。
 さもモデルがいそうな書き出しですが、特定のモデルはおりません。カットVについては、モデルの店があります。
 読み返して、ちょっとなぁ、ヤバいなぁ、ヤバいなぁ(稲川淳二風に)、と思ったりもしますが、十三年やってりゃ、こういうのもありますよ、そりゃあ(逆ギレ気味)
 ラストはハッピーエンドのつもりで書いたのですが、なんか不気味な感じになってしまいました。でもその不気味さが妙に気に入っています(*^^*) 「怪作」といった趣ですな。
 楽しんで下さった方、楽しめなかった方も、ここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございましたm(_ _)m
 令和になっても、このサイトをご愛顧して頂ければ嬉しいです(*^^*)(*^^*)



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