暁、坂本真綾の「紅茶」を聴く |
「ごめん・・・」 僕は謝った。 彼女に恥をかかせてはいけない、と思い焦れば焦るほど、ダメだ。 彼女――真行寺桜子(しんぎょうじ・さくらこ)さんは、 「竹内君、あたし、大丈夫だから」 と「明眸皓歯」とは彼女の為にある四字熟語ではないか、と思えるぐらいの美しい顔を、幾分苦痛で歪めながらも、僕をリードしようとしてくれる。嗚呼、自分の不甲斐なさが憎い。 付き合って三ヶ月、僕の十九歳の誕生日を、僕の部屋でささやかに、でもハッピーに祝ってもらい、桜子さんの手料理の旨さに感動し、そうして、いいムードになり、ふたりベッドへ―― 僕は童貞だったし、桜子さんも処女だった。 しかし、この体たらく。 真行寺桜子さんは、ホント、僕なんかには勿体ないくらい、清く正しく美しかった。 竹内に過ぎたるものが二つあり 腕の時計と真行寺さん と陰で羨まれ揶揄されつつも、僕は桜子さんにふさわしい彼氏になるべく、それはもう涙ぐましい努力をしたものさ。 ちなみに、腕時計は僕の入学祝に伯父が買ってくれたもので、8万円以上するシックな逸品だ。 僕と桜子さんは或る合コンで知り合った。 話しているうちに、二人とも、実は、松野ススムというお笑い芸人――今売れている山澤剛の元相方らしい――が深夜にやっているマニアックなバラエティ番組のファンであることを、双方知って、話が弾み、といった、あまりロマンチックでもない馴れ初めだった。 僕も桜子さんもオクテなものだから、周りがジリジリするほど、恋の進捗は緩慢で、それでも僕は恋愛マニュアル本を読んで、「女性はムード重視」といった本の教えに則って、桜子さんをその気にさせようと頑張ったのだが、いざ床入りの段になると、緊張して一物がフニャリとなって、情交することがなかなか出来ず、僕はイエス様から八百万の神々まで、ありとあらゆる神様を呪うハメになった。 僕の動揺は桜子さんにも伝わる。 桜子さんは僕を落ち着かせようと、あれこれ言葉をかけてくれる。 「大丈夫、大丈夫」 とか、 「時間はまだあるんだし」 とか、 「あわてず、ゆっくりと」 とか。 やっぱり長女だけあって――弟と妹がいる――「私がなんとかしなきゃ」的なオーラをヒシヒシと感じる。 桜子さんの長い髪に顔をうずめる。いい匂い。美容師の専門学校に通っている僕は、髪に関してちょっとした偏愛をおぼえるのだ。だから、完璧に手入れの行き届いた桜子さんの髪に、僕の五感は喜んでいる。 こうやって「充電」して、いざ、仕切り直し! しかしうまくいかない。 この繰り返しで、 ――このままじゃ桜子さんに恥をかかせてしまう! というプレッシャーと恐れが増していく。そして、それらがますます僕を委縮させてしまう結果になる。 こうした泥沼の膠着状態が続き、僕はついに意を決し、 「桜子さん・・・」 と、そのカワイイ耳に囁いた。 「ご、ご、ごめんだけど、か、髪を切らせてもらっていい?」 「え?」 桜子さん、キョトン。 僕は立派な美容師になるべく、日々研鑽に励んでいる。 「お客さん第一号にしてね」 と桜子さんは、そのちょっとハスキーな、でも甘い声で、いつも言ってくれていたけど、「今?!」って表情(かお)をしている。 そりゃそうだ。 「バッサリ切るんじゃなくて、先の方を軽く梳くだけだから。何て言うか、僕、そういうのに萌える性質(たち)だって、最近気づいてさ。ほんと、少し梳くだけだから」 僕にかき口説かれると、桜子さんは、 「いや、なんか変態っぽいプレイみたい」 と最初は渋っていたが、やはり最後まで「こと」を遂行したい気持ちが勝り、元々押しに弱い性格でもあるので、 「しょうがないなあ」 と結局OKしてくれた。 頼んでみるものだ、と僕の胸は躍る。求めよ、されば与えられん、てやつだな。 僕は部屋の電気をつけた。 裸身を照らし出され、桜子さんは恥ずかしそうに、手ブラでうつむいている。 僕はキッチンそばの棚をあけ、手早く梳きバサミとコームを取り出す。 「なんかやだな〜」 と桜子さんはまだ小さくゴネている。 「ごめんね、先っちょをちょっと切るだけだから」 と繰り返す。 ダストボックスを置き、僕はフローリングの床に跪いて、横たわる桜子さんの髪の先端がベッドの上から垂れこぼれているのを、ハサミを縦に入れ、削ぐ。二人とも全裸。シュールな光景だ。 ジャッ と桜子さんの髪が鳴った。 汗を吸った髪はひとかたまりになって、落ちた。 ――桜子さんの髪、切っちゃった〜!! 昂奮をおさえ、 シャキシャキ、シャキシャキ と毛先をカットしてゆく。パラパラと切られた髪が、ダストボックスに散っていく。 桜子さんは仏頂面で、髪を切られている。 カットはあっさり終了。 僕は自分の腕に自信を得た。 ちょっと梳いただけなのだが、桜子さんは髪が多いので、かなりの量の落髪だった。 股間が熱い。アレが隆起している。 この余勢を駆って、一気に「こと」を成就したい。 桜子さんも興奮している。火傷しそうなほどの体温が、それを物語っている。 僕はハサミとコームを放り出し、電気を消した。 ――イケる! が、アレはみるみるうちに萎えしぼんでいく。フニャリ。 せっかく髪まで供出してもらったのに、この有り様では申し訳なさすぎる。そんな圧力がグイグイ僕を責めたてる。漫画や動画では皆、いとやすやすとやってのけている行為なのに。 どうしても今夜中にキメたい。桜子さんもそう思ってるはず。 「さ、桜子さぁん」 「な、なに、竹内君?」 陶酔の淵から呼び戻され、桜子さんはやや慌て気味。 「あのさ、もうチョビっと髪、切らせてくんない?」 「え〜」 桜子さんはまた、むぅ、とした顔になる。 「お願い。この通り」 と拝むと、 「どれくらい切るの?」 と桜子さん、交渉のテーブルについてくれた。 「10センチ、いや5センチ・・・ダメかな?」 桜子さんは聞こえよがしに大きなため息を吐き、 「仕方ないか」 蟻の一穴じゃないけど、一旦侵犯を許してしまうと、桜子さんも物憂げに身を起こしつつ、僕の要求をのんでくれた。 僕はまた電気をつけ、ハサミとコームを執って、桜子さんがベッドの上から滑らせ、差し出す髪の先の、その下に、ダストボックスをセットする。 5センチと言ったが、実際は8センチほど切った。 シャキシャキ、シャキシャキ シャ、 と髪が啼き、 キ、 と刃と刃のカチ合う金属音。 シャキシャキ、シャキシャキ リズミカルに切っていく。 僕も桜子さんも、ファーストカットのときと比べ、度胸がつき、切り、切られる。 腰まであった髪が切り除かれ、真っ白な背中が覗く。なんて美しい肌なのだろう! また下半身がムラムラしてくる。 理性の部分では、 ――これでいいのかな? という気持ちにもなる。奇妙な倒錯が生じはじめている。 雑念を振り払い、兎にも角にもベッドへGO! しかし、30分後には、 「桜子さ〜ん、髪切らせて〜」 「また〜?」 桜子さんはウンザリ顔。恥はかかされるし、髪は切られるし、で踏んだり蹴ったりだ。 しかし、毒を食らわば皿まで、といった気分になっていたのだろう。渋々また髪を提供してくれた。 カットバサミで髪を、背中が半分出るくらいまで切る。 ジャキジャキ、ジャキジャキ ジャキジャキ、ジャキジャキ 髪が消え、桜子さんの背中が露わに。綺麗な背中。ウットリとなる。吹き出物が一点、チョンとある。それがまた、味わい深い。 桜子さん、まさか自慢の髪を20センチも切るハメになろうとは、考えもしなかったろう。 散々な初夜になってしまい、芯から済まなく思う。 でも楽しい。 初めて人の髪を切った。その人が桜子さんで本当に良かった。 「頭、なんか軽〜い」 とひとりごちるように言う桜子さん。結構気に入ってるっぽい。ホッとする。 僕のアレもいきりたつ。 いい加減キメねば。 しかし、自分が「ヤバイ世界」の領域に入りかけているのに、僕自身が戸惑わずいられない。 ともあれ、 「桜子さあぁ〜ん」 とルパン三世のように、ハイテンションでベッドに飛び込む。今度こそ! 20分経過・・・。 やはり勃たず。 「桜子さ〜ん」 「・・・・・・」 桜子さんはもはや返事もしてくれない。不機嫌モード全開なのも、当然だ。 「髪切らせて〜」 僕は両掌を合わせ、懇願する。 「・・・・・・」 桜子さん、地蔵。 「お願いしますっ」 「わかったわよ」 基本的に融和主義の桜子さんは、ついに折れた。 「どれくらい切るの?」 僕は思いきって、 「ボブに」 と言った。 「ボブぅ〜?!」 闇の中、桜子さんは目を剥く。絶対「バッサリ処女」だ、この人。 桜子さんはしばらく絶句していたが、やがて心を静めるように、ふぅ、とひとつ呼吸して、低い声で、 「どうしても?」 と訊いてきた。 ――これは脈はありそうだな。 と素早く確信した僕は、 「どうしても」 と強めのトーンで言った。 「わかった」 そう言って、桜子さんはまた、ふぅ、と息を吐いた。 承諾を得て、僕は大張り切り、すかさずカットの準備をした。 二人、床の上に移動。今度はちゃんと散髪用のケープを巻いた。裸身の上から、である。 「いくよ、桜子さん」 と耳元で囁く。 「ええ、お気の済むまでどうぞ」 不貞腐れたような口調で返され、内心ザワついたが、ザワつきより高揚の方が、ずっと大きかった。 そう、ぼくは、完全に「目覚めて」しまったらしい。 「じゃあ、アゴのラインで揃えるね」 と有言実行、ジャキジャキとアゴの辺りから、桜子さんの髪を裁断していった。 ゾリゾリと刃は髪を滑り、進軍、まずオトガイが露出し、首筋が露出する。 桜子さんは身を硬くしている。僕の下半身も硬くなる。 バサアァッ、バサアァッ、と髪が、桜子さんの身体の傾斜に沿って、床へ。たまに太ももや脚にひっかかるラッキーな髪の毛もいる。 桜子さんの乳白色の頬が、ほんのり紅い。何やってんだろ、あたし、としっかりと顔に書いてある。 カット自体は15秒ほどで終わる。 クレオパトラのようなボブにされた桜子さん。 僕は胸熱。 「メッチャかわいいよ、桜子さん! 似合ってる! いや、お世辞抜きでいいよ。やっぱ素材が良いからかな」 と褒めちぎると、 「そう?」 桜子さんは、大胆に髪を切った女子にありがちな満更でもない表情を浮かべ、テンションも上昇、 「じゃあ、寝よ寝よ」 と積極的に僕の手を引き、電気を消す。 僕は脳内は夢心地、下はギンギンで、桜子さんに誘われるまま、ベッドイン。 ――いよいよだ! フニャリ・・・。 「あれ・・・あれ・・・」 「オイ!」 「桜子さん、頼む!」 「あのな〜」 早暁の幽かな陽光が、カーテンの隙間から射し込む。 新聞配達のバイクの音を遠くに聞く。 僕は、徹夜明けの倦怠をも呑み込む満ち足りた気分で、 「よかったよ〜、桜子さぁ〜ん」 「よくねえ!」 とガチ切れする、右はボブ、左はベリーショートのアシンメトリーで、後ろは刈り上げの桜子さん。首長っ! ダストボックスは、麗しい黒髪であふれかえっている。 「ここまでやっておいて――」 と桜子さんはタワシ状の後頭部の刈り上げ部分を指でなぞり、 「勃たねーとか、マジありえないっしょ! この〇×〇×野郎!」 大人っぽい淑女の仮面をかなぐり捨て、鬼の形相でまくし立てる。 「すんません」 僕は平身低頭し、謝る。 「次こそは!」 「もういいよ! 次なんてマジねーからな!」 と足蹴にされた。 「あ〜、もっと踏んでぇ〜。僕の手でロングから刈り上げヘアーになった桜子さんに踏まれるなんて、サイコーだよぉ〜」 「うげっ! このド変態があ! 出てけーー!!」 「ここ僕の部屋です」 「ええい、じゃああたしが出てく! 二度とその面見せんなよッ!!」 手早く服を着て、出て行く桜子さんの綺麗に刈りあがった襟足と、白いウナジを僕は恍惚と見送った。The Dream Is Over。 不思議と後悔はなかった。罪悪感もなかった。喪失感もなかった。薄ぼんやりとした満足感が胸を浸していた。 熱いコーヒーを淹れて飲んだ。 ダストボックスからはみ出た桜子さんの髪に、そっと触れてみる。 ――むふふ。 たまらない喜悦をおぼえる。 どうやら僕は「ルビコン河」を渡ってしまったらしい。 スマホでアトランダムに音楽を再生する。 坂本真綾の「紅茶」という曲が耳に引っかかった。20年も前の曲だ。失恋を歌っている。 恋の終わりを告げる時計台が 次の時間を待ってる 止まれない 今 そう、僕は立ち止まってはいられない。 真行寺桜子のことなど、もうどうでもいい。 次の恋を、いや、次の狩猟をはじめよう。 長い髪、それだけが絶対条件だ。 僕は震える。武者震いだ。 僕のカットバサミの、僕の悪徳の、贄(にえ)になる女の子をこれから探しに行こう。 坂本真綾は静かに歌い終える。 この手に残るものはたったひとつ 君は私の最初の恋人だった (了) あとがき リクエスト小説第六弾でございます〜。 「断髪フェチの男の子が初めてのHのとき、勃たなくて、なんとか勃たせようとして、相手の女の子に頼んで、髪を切らせてもらって、女の子はどんどん短くヘンな髪型にされて、結局最後までできず後悔」というストーリーでお願いします、とのことで書かせて頂きました! なにしろ時間がかかってしまっているので、リクエストして下さった方もリクエストしたことすら忘れてしまっているのでは、という不安に駆られております(^^;) 坂本真綾さんの曲は、昔結構聴いていました。「紅茶」もかなり好きな曲です。でも一番好きなのは「マメシバ」だな。 まさかこんな形で使わせて頂くことになろうとは・・・。坂本真綾ファンの方いらっしゃったら、申し訳ございませんm(_ _)m 坂本さんももうアラフォー世代なのかな? 時の早さにあせる今日この頃です(^^;) すっかり春めいてきましたが、花粉症の方、おられましたら十分対策して、この季節乗り切って下さいね♪ お付き合い、感謝感謝です!! |