断髪ジュブナイル〜吾輩はデュラハンである〜 |
イギリスの飯は不味い、と聞いていたが、そして実際不味かったが、海を渡ってアイルランドに入国すると、その地の郷土料理はそこそこマシだった。 ジャガイモのシチューと食後のプディングに舌鼓をうち、オレはこれまでの旅日記を読み返し、旅の終わりを実感していた。 父母も妹も疲れたのだろう、さっさと寝てしまった。 ちょっとした冒険心を刺激され、オレはホテルのロビーでタイムズ紙をひろげ、紳士を気取ってみたり、ブロークンな英語で、若いポーターと会話を交わしてみたりしたが、それにもすぐ飽きて、外に出た。 ムチャクチャ寒い! さすがはアイルランド。 アイルランドといえば妖精の国である、昼間、「妖精に注意」という交通標識を車窓から見て、思わず吹き出してしまった。妖精(笑) それにしても寒すぎる。 酒場で地酒を一杯、と考えていたがやめた。ホテルに引っ込もうとすると、 ダダダダダダダダダダダダ とけたたましい馬蹄の響き。大地が鳴動しているかのような轟き。(後で家族に訊いてみたが、皆、気づかなかった、と口を揃えて言っていた。) この21世紀に面妖な、とオレは背後を振り返った。 一頭立ての馬車が、すさまじい勢いで、駆けてきた。ド迫力にも程がある。 はち切れんばかりの筋肉。たしかに馬だった。しかし、その馬には、―― 首がなかった。 切断されたみたいに、スッパリと首がない。その切断面からは赤い肉と骨が露わに見えた。 オレは我が目を疑った。 さらに驚いたことに、乗り手は中世の騎士のような甲冑を身にまとっていた。銀と青の甲冑。 身体つきから見て、女だ。 身体で男女を判断したのは、その騎士にも、―― 首がなかったからだ。 ――ハロウィンか?! とオレの時空が歪む。それとも何かのアトラクションなのだろうか。 よく見たら、首はあった。騎士の左腕に抱えられている。 金色(こんじき)の美しい髪、二重まぶたの両眼は蒼く冷たい輝きを帯び、色は透けるように白く(白人だからな)、鼻は高く、その気位の高さに比例しているように思えた。形の良い唇はきりりとひき結ばれている。 その美しさにオレは、恐ろしさも忘れ、見惚れてしまった。 その眼がオレを見据えた。その唇が開いた。 「You will be killed to me a yars later(汝は一年後、我に殺されるであろう)」 と。 馬車はまた馬蹄と車輪の音とを轟かせ、駆け去った。ほんの10秒くらいの出来事だった。 遠ざかる馬車の音を、オレは茫然して聞き、寒さも忘却して、夜更けのアイルランドの街に立ち尽くしていた。 一年数ヶ月後、 「真人(まさと・オレの名前)君、全体君は実に失敬ではないか! 吾輩は非常に怒っておるのだぞ!」 金髪碧眼の少女は、青筋をたてて、オレに詰め寄る。 「いや、わざとじゃないんだ」 「わざとじゃない? 莫迦も休み休み言い給え。吾輩が湯浴みしている音が、脱衣所まで届いておらなかったとは、よもや言わせぬぞ!」 「だから〜、部活で汗かいちゃって、バテててさ、まさか、こんな時間に誰かが風呂に入っているとは思わねーじゃん?」 「言い訳無用! 吾輩の裸体を無料(ただ)で見おって。ケシカランじゃあないか!」 「湯気で見えなかったんだよ」 「と言うと湯気がなければ、堂々と見るつもりであったのか?!」 「違えって!」 言い争うオレと金髪碧眼の少女――キャロル。 「大体、お前みたいな女に誰が欲情するか!」 と言いざま、力いっぱいキャロルの額を押す。 キャロルの首が、ゴトンと床に落ちる。 「何をするのかね! 無礼ではないか!」 とキャロルの首は煙を噴かんばかりに真っ赤になり、オレに怒っている。 そう、コイツは人間ではない。コイツは―― デュラハンだ。 デュラハンとは―― 『デュラハン(Dullahan, Durahan, Gan Ceann )は、アイルランドに伝わる首のない男の姿をした妖精 。 女性の姿という説も存在する。 コシュタ・バワーという首無し馬が引く馬車に乗っており、片手で手綱を持ち、もう一方の手には自分の首を持ち、ぶら下げている。 バンシー(banshee)と同様に「死を予言する存在」(中略) デュラハンは家の戸口の前で家族ひとりを指さしてその死を予言する。 そして、一年後に再び現れて予言した相手を殺害する。』(Wikipediaより抜粋) あのアイルランドの夜、遭遇した化けもの、いやいや、妖精だ。 一年後、お前を殺す、とキャロルは予告した。 不思議とオレは怖くなかった。 勿論死ぬのは死ぬほど嫌だったが、あの美しく、妖しく、ミステリアスな少女とまた会えるのかと思うと、むしろ一年後が楽しみにさえ思った。 そして、一年後、オレの期待通り、美少女キャロルはオレの許へ訪ねてきた。 馬車ではなく飛行機で、甲冑姿ではなく、ドレスアップして、 「月が綺麗ですね」 と言いながら。 「今、昼間ですけど」 「ええい、君も実に無粋な男子だね! 漱石先生を知らぬのか!」 キャロルは地団駄を踏んで、大いに憤慨したが、 「つ、つまりだね、」 コホンとひとつ咳払いして、 「吾輩は君に懸想してしまったのだよ」 オレは、初めて東洋人の男を見たキャロルのドストライクだったらしい。 そして、キャロルはオレの押しかけ女房になるべく、デュラハンの長老に付いて、日本語の猛レッスンをしたそうだ。 しかし、その長老の日本知識は古すぎ、明治臭のする言葉をマスターしてしまった次第。 「君も話せん男だね、吾輩が君の細君になってやろうと言うのだよ。もう少し喜んじゃあ如何だい」 とか無茶苦茶言って、我が家に居座ってしまった。 父も母も妹も無類のお人好しなので、 「人外だからってヘイトしちゃよくないわよね」 「家族が増えるのは慶祝だね」 「お兄ちゃんのこと、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m」 とこっちもこっちで無茶苦茶で、キャロルを、ポン、と受け容れてしまった。 同居は了承した(させられた)が、さすがにデュラハンということがバレると、大騒動になるので、キャロルの正体は身内のみの秘密にとどめ遂(おお)せた。 妖しく謎めいた美少女のキャロル像は、オレの中で音を立てて崩れ去った。ただのウザい妙チクリンな外人娘に堕してしまった。嗚呼、男の身勝手さよ・・・。 キャロルはオレと同じ海部野下深(うみべのかふか)高校に通うことにあいなった。妖精の魔力を使って。 オレは校内でキャロルと遭うのを、人間が考え得る限りの知恵をしぼって、回避し続けた。 キャロルが来襲してから、うちの中はうるさい。 今も床に転がった首が、 「裸体まで見られては、吾輩はもはや疵物も同然、余所へは嫁がれぬ! 君も一個の丈夫ならば、責任をとるべきじゃあないかね! されば、いざ、君よ、吾輩を娶り給え」 と喚き散らしている。 「えーい、うるさい。さっさと服を着ろ」 転がる首にデコピンをくらわしてやる。 「痛いじゃあないか!」 首を拾いあげたくても、キャロルの両腕は、バスタオルをおさえるのにふさがっていて、その表情(かお)、とても、もどかしげだ。 繰り返しになるが、あんなに凛々しくミステリアスなオーラを放って美少女だったのが、なんだこのザマは、身体はバスタオル一枚で、首は床の上、歯ぎしりしている。ギャップがありすぎる。悪い意味で。 こんな毎日が案外、楽しく思ったりもしている。そんな自分がイヤ! コイツを嫁にする気もさらさらないし。 「♪権利幸福嫌いな人に自由湯をば飲ませたい、オッペケペ、オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポッポ〜」 と明治臭漂う「オッペケペ節」を口ずさみながら、キャロルは髪を乾かしている。 胴体はソファーに座り、テーブルの上に載せた頭部の髪にドライヤーをあて、ブラッシングしている。 「横着すんな」 と言ってやると、 「こっちの方が効率が良いのだよ」 確かにそうだ。 とかされるブロンドの髪は、光に反射してキラキラと輝き、そのあまりの美しさに、オレの目は釘付けになる。 「何を見ているのだね?」 「べ、別に」 オレはすっとぼけた。 「おい、後藤田(ごとうだ)」 学校の廊下を歩いていたら、中目黒有理(なかめぐろ・ゆうり)が声をかけてきた。 「おう、中目黒、どうした?」 「お前のフィアンセの金髪娘なんだけどな」 「誰がフィアンセだ!」 「あれ、違うのか? あっちこっちに言って回ってるぞ」 「あのヤロー・・・」 「まあ、痴話ゲンカは家でやってくれ」 「痴話ゲンカとか言うな!」 中目黒有理、前は女の子らしい娘だったはずだけど、急に男っぽい言葉遣いになった。振舞も男っぽい。話していると男と話している気になってしまう。何かあったのだろうか? 「んでさ、あの娘に映研は一週間ほど活動休止って伝えてくれよ」 キャロルは学園では映画研究部に所属している。 映画が好きというより、たまに洋画を観て、懐かしい英語に浸りたいようだ。啄木の「故郷の訛り懐かし停車場の〜」ってやつだな。 洋画ファンの愛好する映画女優は、マリリン・モンローはじめブロンド美女が多いので、金髪で美形のキャロルは部員の間で結構モテるらしい。正体知ったら、ひっくり返るだろうけど。 「映研も大変みたいだな」 「顧問が入院しちゃったからな」 中目黒有理は苦笑する。 映研は顧問の教師もマイペースタイプで、活動もフワフワしていた。 その顧問が身体をこわして入院してしまったため、映研部は実質開店休業状態。 元々、英語の映画しか観ないキャロルは、さっさと学校から帰ると、シャワー三昧の毎日。よほど風呂が好きらしい。 お陰でこの間みたいな「事故」も起きるってわけ。 「新しい顧問には久坂(くさか)がなるらしいぞ」 とのウワサをキャロルの耳に入れる。 久坂は某体育大出身、ゴリゴリのスパルタ系だ。運動部の顧問になりたがっていたが、どの部もすでに顧問がいたので、指導欲を持て余している。 その久坂が映研の顧問を任されるらしいと、事情通の間で囁かれている。 しかし、キャロルはそれが自分にどんな影響を与えるのか、まったく考える様子もなく、のほほんと学園生活をエンジョイしている。 そうして、映研部員たちが憂慮していたことが、現実となった。 久坂の脳筋が映研部顧問に就いた。 長い間、エネルギーを持て余してきた久坂の脳筋は、就任早々、その体育会系仕込みの理不尽ぶりを発揮して、 「お前らたるんでる!」 と部員たちを一喝、そして、三〜四日以内に部員全員に短髪にするようお達しが下された。 「八つ裂きにしてやろうかと思ったぞ」 とキャロルは憤懣やる方ないといったトーンで、テーブルを叩いて吠えていた。 キャロルの場合、「八つ裂き」というのは、誇張や比喩ではなく、字義通りのバラバラズタズタのそれである。怖い怖い。 「何ゆえ、吾輩がこの髪を切らねばならんのだ。兵営じゃあるまいに」 とキャロルはまだ怒っている。 「キャロル君、残念ながらニッポンとはそういう国柄なのだよ。受け容れるしかないね」 とオレはキャロルの口調を真似て言った。 「厭だね」 とキャロルは言った。 「吾輩は断固として従わんぞ。横暴には屈せぬ。絶対に髪は切らん! 切らんぞ! 愛蘭女子の肝っ玉を見せてやろうじゃあないか」 キャロル、徹底抗戦の構え。 オレはキャロルのブロンドヘア―に目をやる。まじまじと見る。豊かで長い髪。たしかに切らせてしまうには惜しい。 しかし、反面、 ――コイツ、ショート似合うんじゃね?! と脳内でショートヘアのキャロルを想像してみたら、意外に、いや、絶妙に似合う。 その瞬間、頭のテッペンからつま先の先端まで激しい欲求が、電流のように貫いた。あたかも神の啓示を受けたが如き心持ちになる。 一日目二日目、と映研部員たちは髪を切ってくる。 中目黒有理もあのロングヘアを、男子みたく短く刈ってしまっていた。 当然ながら、キャロルは髪を切らずにいた。 きっと厳しい指導が入るだろう。 オレはキャロルより久坂の身を案じた。妻子持ちの久坂、最近ローンを組んで念願だったマイホームを購入したというウワサだ。八つ裂きにされては、成仏もできんだろう。 一穂の火がオレの内側に灯っている。 断髪令発布から三日目の夜、オレは自らの奇怪な情動に突き動かされ、その情動の従卒としての行為を果たすべく、階下へと下りていった。 キャロルが一人だけいた。 ソファーの上、首だけが載っている。その首がテレビのラグビー中継を観ている。 オレはカットバサミを後ろ手に持って、顔には愛想笑いを浮かべ、 「いや〜、元気でやっとるかね」 とキャロル(の首)の許へ歩み寄る。 「何かね、真人君、君の方から笑顔で話しかけて来るなど、だいぶ珍だね。しかし、今はどいていてくれ給え。試合が観れんじゃあないか」 「すまんすまん」 と場所を譲りながらも、オレの目は「獲物」を注視している。 キャロルの長い髪が、ソファーいっぱいに広がっている。それは、陽光に照り輝き、豊かに実り、収穫を待つ、例えばプロヴァンス地方の小麦畑をオレに想起させる。 これから始まる刈り入れを想像し、思わず唾を飲みこむ。 キャロルはラグビー観戦に夢中で、忍び寄る邪悪なる気配にも気づかない。 「ねえねえキャロルちゃん」 オレは猫なで声で話しかける。 「先程から何かね? 挙動が怪しいよ。吾輩を娶る気になったのかね?」 「それはない」 キッパリと断言しておく。そして、 「映研はやめるのか?」 と訊いた。 「やめぬよ」 「髪は?」 「切らぬとも」 「でも周りの部員たちは切ってるんだろ?」 「他人(ひと)は他人、吾輩は吾輩だ」 ターゲットロックオン! 「ねえ、キャロちゃん」 「何だい? 込み入った話があるのならば、試合が終わってからにしてくれ給え」 「実は――」 「うむ?」 「オレを初めての男性(ひと)にして下さいっ!」 「は、初めての男性?」 キャロルはちょっと考え、その顔は瞬時に真っ赤に染まる。沸騰したヤカンのように、ぷぅ〜、と鼻や口から湯気みたく、息が噴き出す。 「は、“初めて”、とは?」 「オレの口からは何とも言えない」 「き、君も存外好きモノだねえ」 「さあ、口を閉じて。そう、目も閉じて」 「これで良いかな?」 言われるまんまに目を閉じるキャロル。その首をオレはしっかりと、両手で捧げ持つ。 キャロルは純情な乙女の顔になっている。ほんのりと頬を赤らめ、恍惚と目を閉じて、オレの行為を待っている。 キャロルの待っている行為と、オレのやろうとしている行為はまったく違う。 オレはすかさず画面の中のラガーマンよろしく、キャロルの首を抱え、部屋の隅に置いてあるゴミ箱までミニダッシュ。 そして、―― ハサミでジョキジョキとキャロルの髪を切った。バッサリと40センチくらい。最初はバックから。 「Ooooh! 何をしているのかね、君ィ!!」 キャロルが頭部の異常事態に気づいたときには、もう遅かった。 切られた髪が、ゴミ箱直行、たちまちうず高くなっていった。 自慢のブロンドヘアに、ハサミは勢いよく齧りつき、ジョキジョキ、ジョキジョキ、持ち主の頭から切り払っていった。 「真人君、君は無理無体なことをする男だね。後生だから、もう吾輩の髪を切らんでくれ給え!」 いきなりのオレの行為に、キャロルは泡を食って、叫ぶ。 「オレの初めてのヘアーカットの相手は、お前なのさ!」 「なんと!!」 「ふふふ、お前の身体は、とっくに軟禁しているぞ」 キャロルの身体は自室で、ベッドに横臥してたんで、これ幸い、入り口をつっかえ棒で開かないようにしてきた。 それを言うと、キャロルは顔面蒼白になった。 他のデュラハンは知らないが、キャロルは首と身体が密着していないと、その膂力は一般の女子と同じくらいでしかないのだ。 「真人君、君は全体何をしているのかね! これでは、まるっきり気狂いではないか! ケシカラン! 実にケシカランじゃあないか!」 まさに手も足も出ない状況下、キャロルは憤怒と悲哀が入り混じって、いつしか両眼に涙をたたえていた。 「日本には“郷に入っては郷に従え”という古い諺があってだなあ――」 オレはキャロルの首にヘッドロックをかましながら、アリガタ〜イ教えを垂れてやる。自己の変態行為の正当化の為に。 「日本に来た以上、日本のやり方に従って・・・痛っ、噛みつくな! とにかくだな、部則で決まったからには・・・うわっ、唾を飛ばすな!・・・つ、つまりは異文化同士がだな、接触することは・・・コラコラッ、鼻水をこすりつけてくるんじゃない! そもそもだな・・・ええい! もういい!」 オレは説得を放棄して、超絶一方的にキャロルの髪に、ハサミを入れて、入れて、入れまくった。 ジョキジョキジョキジョキ、ジョキジョキジョキジョキ おびただしい髪が束になって、ゴミ箱の中に散る。 「君ィ、やめ給え! イカンよ! よし給え! 吾輩は非常に悲しいのだ!」 と涙で顔をグシャグシャにして、キャロルは訴えるが、 「Too late Too late」 とオレは応える。がっちりとキャロルの首をロックしつつ、さらに切りすすめる。嵐のようにカットする。 ジョキジョキジョキジョキ、ジョキジョキ、バサバサ、バサッ、バサッ―― 後ろの髪が断ち切られていく。 「オレは器用だから、変なふうにはしないよ」 と口調を和らげて、キャロルをなだめる。 「何ゆえ、吾輩にこのような意地悪をするのかね?」 としゃっくりあげながら、キャロルは抗議する。 照れ臭かったが、ええい、本音を言ってしまえ。 「ショートヘアのお前を見たいからだよ」 「と言うと――」 キャロルは一瞬キョトンとして、 「髪を切れば、吾輩と君との距離は縮まるというのかね?」 「5mmくらいは縮まる」 「嫁入りの可能性もアップするのかね?」 「ああ、0・2%くらいはな」 そう言うと、 「ならば良し、切ってくれ給え」 とキャロルは晴れやかな表情(かお)になった。 粗切りを終えた。 ゴミ箱はキャロルのブロンドヘアーであふれかえっている。 「前髪も切らねえとな」 オレはキッチンから椅子を持ってきて、新聞紙を敷いた上に置いた。 椅子にキャロルの首を載せる。椅子の上に垂れこぼれる髪は、もうない。 散切り髪のキャロルの首は、おとなしく目を閉じ、カットされるのを待っている。 目にかかりそうな長い前髪に、ハサミを入れる。 キャロルは目を閉じたまま、微かに頬を染め、ちょっと恥じらいながら、ハサミを受け容れた。 ジョキジョキ、ジョキリジョキリ、 ひと切りごとに、キャロルの額が露わになっていく。右眉、左眉、と前髪で隠れていたものが外の世界に顔を覗かせる。 「ちょっと短すぎやせんかね?」 「そ、そんなことはねーよ」 図星をつかれ、オレはあわてる。 前髪に合わせ、航路変更、ベリーショートにすることに決めた。 モミアゲを少し残して、耳の周りを切る。逆サイドの耳の周りも、シャキシャキ、シャキシャキ、耳の周りをグルリと。 トップの髪を切る。シャキシャキ、シャキシャキ。気分はすっかりカリスマ美容師だ。 襟足も生え際近くまで切り詰める。 シャキシャキ、シャキ、シャキ 「おぼえてるか?」 オレは訊いた。 「はじめて出逢った夜のことを」 「忘れるものか。吾輩が初めて恋におちた夜だからね」 「お前は銀と青の甲冑を着て、首のない馬のひく馬車に乗って」 「ああ、そうだったね」 「そして、オレを殺すと言った」 「吾輩はデュラハンだからね」 「オレはお前に殺して欲しかったんだぜ」 「死にたかったのか?!」 キャロルは目を瞠る。 オレはその顔を見ず、カットに没頭する態で、 「死にたくはないさ」 と言った。 「死にたくはないけど、お前になら殺されてもいいかな、と思ったりもした」 「そ、それは、もしかして・・・」 髪を切られながらキャロル、新手の告白に戸惑いつつも、陶然と微笑し、 「そのようなことを言っても吾輩は君を殺さぬよ。吾輩は君に惚れておるのだ。未来の良人を殺せるものか」 「ああ、そいつはありがたいね。俺はまだまだ生きていたい。経験したいことがいっぱいあるからね」 「例えばどんな経験かね?」 「こんな経験――」 オレはキャロルの首に顔を寄せた。キャロルは目を瞑った。二つの唇が重なった。 キャロルの髪は刈りあがった。 少年のように短い髪になった。 切った髪は、首の周りに散っている。 キャロルは照れ隠しに、フゥッ、と目の前の髪をその息で吹き散らした。羽毛のような髪は、ハラハラとかつてのクイーンのために舞い、ラストダンスを踊る。 「おいっ、真人君! 全体失敬じゃあないかね! 吾輩を置き去りにして、さっさと登校しようとは、実にケシカラン!」 朝の通学路を、キャロルは文句を言い言い、追いかけて来る。 「お前がモタモタしてるからだろ」 「短い髪は短い髪で整えるのに時間がかかるのだよ」 「大体なんで一緒に登校せにゃならんのだ」 「そ、それは・・・真人君と吾輩が恋仲というか、許婚というか・・・」 キャロル、モジモジ。 「誰が許婚だっ!」 「じゃあ、何ゆえ吾輩とせ、せ、接吻したのかね」 「あ、あれはだな・・・いわゆるひとつの、その場の空気・・・というか・・・ムード、というか・・・成り行き上・・・・というか」 オレ、しどろもどろ。 「で、では、君は吾輩の気持ちを弄んだのかね?! 吾輩を疵物にしておいて、そのように知らぬ顔の半兵衛を決めこんでおるのかね?!」 「しっ、声が大きい。近所の人たちが見てるだろ(汗)」 「吾輩は一向に構わぬ」 「西洋人ならキスなんて挨拶みたいなもんだろ」 「mouth to mouthならば話は別ではないか」 短い髪を振り立てて、キャロルはムクれる。 「とりあえず、まずはfriendからだ」 「君も随分と手前勝手な男だね」 「今頃気づいたか」 そう言ってオレは駆けだす。キャロルが追いつけるくらいのスピードで。 「開き直りおって! 待ち給え!」 キャロルはオレを追いかける。 「首が取れないように気をつけろよ」 「言われずとも百も承知だ」 追う者も追われる者も、どこか楽しんでいる。 これからも、こんな追いかけっこは続いていくのだろう。 それもまた、悪くない。 (了) あとがき リクエスト小説第四弾でございます(*^^*) リクエストありがとうございます♪ 「デュラハンなど人間以外の存在のバッサリ」というリクエストで、「デュラハン」って何?と調べてみたら、これは面白い!と思い、「断髪ジュブナイル」シリーズで発表させて頂きました〜(*^^*) ネタ的に「姫百合の・・・」とシチュエーションが似てますね〜(実は「姫百合の・・・」も「身動きできない女の強制断髪を」というリクエストで書いたものです)。 ラノベを意識して書きましたが、いかがだったしょうか? 個人的に結構気に入っております♪♪ 今回はリクエスト企画で色々とチャレンジできて、識ることも多く、自分的に表現の幅も拡がったような気がしております。ありがたいことです(-人-) まだまだリクエスト小説、あと四五本ほど発表予定ですが、とりあえず今回のアップは一旦ここまでです。 お付き合い頂き、本当にありがとうございました(*^^*)(*^^*) |