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おんな田舎教師


 スミレは無我夢中で、保健室を飛び出した。

 刈布を垂れ下げたまま、切り髪をまき散らしながら、駆け、絶叫した。

「オカッパなんて絶対嫌あああああ!」



 その96日前――

「新しく当校の教諭として着任することとなった佐久間(さくま)スミレ先生です」

と校長に紹介され、

「よろしくお願いいたします」

と佐久間スミレは一礼した。目元の涼やかな若き教師だった。担当は現代文。

 頭を下げながらも、スミレは予想していた以上の違和感を抱いていた。

 教師たちは皆、スーツ姿、能面のような無表情で、新しい同僚を注視している。風紀、規則にやかましい学校と聞いていたが、もう、空気からして、これまでスミレが教えていた自由な校風の東京の学校とは、まるきり違う。

「当校のことで、何かわからないことがあれば、皆さん、佐久間先生に教えてあげて頂きたい」

と校長は結んだ。まばらな拍手が起こる。

 再度、頭を下げるスミレだが、もう東京が恋しくなっている。

 ――やっていけるかなぁ・・・。



 大学在学中に教職課程を履修し、教員の資格を取得した。

 そして、東京の私立学校に勤務した。

 制服はなし、頭髪も生徒の自由意思に任せ、生徒による自治もすすんでいた。

 校内には芝生があって、生徒や教師は昼休みなど、その上で車座になって、ギターを弾いたり、政治や社会問題についてディスカッションしたり、どこか、ユートピアを思わせる雰囲気があった。

 しかし、スミレはその学校に二年居たきりで辞めてしまった。

 ある程度の管理は必要、と考えるスミレと、他の教員や生徒との間に齟齬が生じ、スミレはあっさり退職届を提出した。

 教師のクチなんて、それこそ他にいくらでもある。若さがスミレを傲慢にしていた。

 雛見沢で殺人事件が起きていた頃の話である。



 都会の学校を辞め、しばらくして、ツテがあって、スミレは某地方の山間にある全寮制の私立校で、教鞭をとることになった。

 厳格な校風の学び舎らしい。

 多少ひるんだが、

 ――田舎の学校か〜。

 空気は良いし、美しい自然の中、純朴な少年少女たちと触れ合える。

 丁度その頃、田舎暮らしにちょっとだけ惹かれていたスミレは、その私立校の話を受けることにした。

「ちょっとした出稼ぎよ」

と恋人の英一(ひでかず)には打ち明けた。

「それにしても、そんな山奥にねえ」

 物好きな、とその顔には書いてある。面白くなさそうだ。

 スミレは学生の頃から、政治運動に関わってきた。

 その活動の中、同じ教師の英一と出会った。

 そろそろ結婚か、と仲間内ではウワサしていたが、その矢先にスミレの「都落ち」のニュース。

 姫、いかが召されたか?!と皆、首をかしげたが、スミレがケロリとしているので、あれこれ訊ねるのははばかられた。

 スミレはワインを一口飲み、

「二三年勤めたら戻ってくるから」

と、突然の遠距離恋愛への移行に、納得いかない表情の英一の肩を、スミレはポンポンとたたいて、なだめた。



 初めて新しい村落に来たときは、

 ――山、近い!

 目の前には、まだ雪帽子をかぶった山々が連なっていた。

 春田が一面にひろがり、当世風の洒落た家屋と、いまだ茅葺き屋根の民家が混じって、点々と在った。

 着任する学校はもっと奥――山の方らしい。

 ――ここで私の力を試してみよう。

とスミレは心を躍らせた。



 かくして、スミレの田舎教師としての毎日がはじまった。

 ある程度の理想はもっていたが、そんなものは、すぐに粉々に砕け散った。

 なるべく控えめな恰好で、とのことなので、自分としては地味な服装を選んだのだが、それでも、他の女性教諭たちに比べれば、まだまだ派手だった。メイクについても、注意された。

 東京の学校ではTシャツにジーンズで出勤していたのだけれど・・・。自由過ぎる、と不満だったが、何だかんだで、自分もその自由の恩恵を受けていたのだなあ、としみじみ思った。



 新人の教員は、一番早く出勤して、職員室の掃除をし、出勤してきた先輩教師たちにお茶を差し出すのが、慣例らしい。

 が、

 ――今時バカバカしい。

とスミレはそれをしなかった。

 他にも「東京流」を押し通すことが、たびたびあった。

 こういった姿勢が、「先輩」たちがスミレに悪感情を抱く一因となった。

 特に「お局様」であらせられる八神昭子(やがみ・あきこ)の反感を買っていた。

「都会出身を鼻にかけて」

と取り巻きの女教師たちと、聞こえよがしに話している。

 スミレのデスクからは、しばしば書類や物が消えた。八神一派の仕業だと、すぐにわかった。

「やれやれ」

 スミレは肩をすくめる。

 いくら「イジメ撲滅」などと勇ましいスローガンを掲げていたって、当の教員同士がこうなのだ。撲滅できるわけがない。

 田舎の人情も、素朴で温かくて、という都会時代の想像とはうって変わって、冷え冷えとしたものだった。

 新任の若い女教師が、都会で政治運動にたずさわっていることについても、村落の人々から白眼視されるには、十分過ぎる理由となった。

「先生、生徒たちに余計なことまで吹き込まないで下さいよ」

と釘を刺してくる村民もいた。



「まったく、いやになっちゃうわよ」

と久々に某所で落ち合った英一に愚痴る。

「フーン」

 英一は白皙の顔を、窓の外に向け、生返事した。

「まるで皆から監視されてるみたいで、このままじゃノイローゼになっちゃうわよ」

「そうか」

「最近は、髪を短く切れ、ってお局たちに言われてるしさあ」

「へえ」

と、これには浮かぬ顔の英一も心が動いたらしく、インディアンガール風の前髪を分けたスミレの長い黒髪を、まじまじと見る。彼が好きだというので、これまで伸ばし続けてきた髪だ。

 先月、出し抜けに、

「佐久間先生、髪が長すぎるんじゃないの」

と八神に言われた。

「そうですか?」

「そうよ、長い。長すぎるわ」

 八神は勢いにのって、まくしたてる。

 スミレは閉口した。

 最近では八神は、スミレの受け持ちのクラスの一部の女子生徒を扇動して、スミレに反抗させ、クラスをひっかき回している。

 都会育ちの脆弱さで、スミレは反抗児たちを強く指導できず、なんとか機嫌をとろうとしている。けれど、そんな新米教師の態度に、生徒たちはますます図に乗り、収拾がつかなくなっている。理想も何もあったものじゃない。

「新任の女性教諭は生徒と同じオカッパっていう不文律があるのよ」

と八神はスミレに迫る。これは、半分嘘で、半分本当だ。

 八神は自分に媚を売ってくる新人教師には寛やかだが、気に入らない新入りの場合、半強制的に髪を断たせてきたのだ。

 オカッパ

というワードにスミレは驚愕する。

 この学び舎に来て、一番のカルチャーショックは生徒の髪型だった。

 いかにも厳格な学校らしく、男子は丸刈り、女子はオカッパを義務付けられていた。

 それも、丸刈りは五厘の短さ、オカッパはかろうじて耳が隠れるくらいの長さ、そして後ろは刈り上げだ。今時、こんな時代錯誤な髪型を強要している学校は、地方でもほとんどないだろう。

 生徒たちは寮で互いに刈り合ったり、寮長や寮母に刈ってもらったりしている。

 規則違反の髪をしている者は男子でも女子でも、それがわずかなものであっても、問答無用で保健室に連れていかれ、保健医によって、散髪される。

「貴女も保健室に行くべきよ」

と八神はスミレをせっつく。

 スミレは断固として拒否する。あんなみっともない髪型などごめんだ。髪を切ったら、八神一派の軍門に降ることになるし、何より恋人が愛していてくれる髪だ。

 それから、毎日、八神と顔を合わせるたび、髪を切れ、保健室に行け、と言われるようになった。

「貴女、そんなチャラチャラした髪だから、生徒にも舐められるのよ」

と八神は言う。実際は彼女が生徒たちの裏で糸をひいているのに。

「腹立つわ〜」

 スミレは憤慨するが、誰よりもスミレのロングヘアを愛しているはずの英一は、

「そりゃ災難だな」

と、ボソリ言うだけ。怒りを共にしてくれるとばかり思っていたのに、肩透かしをくらった。

「なんか、今日の英一さん、変だよ」

「そんなことないさ」

「そんなことある! 久しぶりに会えたのに、ずっとうわの空だしさ、ひょっとして私に愛情がなくなった? 私の他に好い人でもできた?」

「バカ言ってんじゃないよ」

と英一は恋人の懐疑を打ち消したが、その語気は弱々しかった。



 以後も、八神による断髪要求は続いた。

 スミレはなるべく八神と顔を合わさぬようにした。極力、職員室を避けるようになった。

 昼休み、廊下でウロウロして、時間をつぶしていたら、

「どうしたんですか、佐久間先生?」

 体育教師の岡部(おかべ)が背後から声をかけてきた。

「八神先生にイジめられてるんでしょう? 大変ッスね〜」

 岡部のこういうデリカシーのなさ、よく言えば率直さに、スミレは愛憎半ばする気持ちでいる。

 体育教官室にて、岡部にお茶を振舞われ、

「すみません」

 スミレは恐縮する。お茶を一口。出がらしも出がらし、ほとんど白湯だ。

 ガッシリとした闘士型の体格の岡部の、ジャージから覗くはちきれんばかりの筋肉に、ややもすれば、見とれてしまいそうになる。今まであまり交流したことのないタイプだ。

「髪切れ髪切れ言われてるんでしょ、八神のオバサンに?」

「はあ」

 返事とため息が同時に口から漏れる。

「近頃では生徒にまで言われてます」

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 ホームルームのときなど、

「佐久間先生は髪が長すぎると思います」

と八神の息のかかった女生徒が、問題提起するように発言する。

「なんだか、不潔っぽいし、淫売っぽいです」

「あら、淫売なんて言葉どこでおぼえたの?」

「話をはぐらかさないで下さい! 佐久間先生は保健室に行って、髪を短く切ってもらうべきです!」

「私も委員長の意見に賛成です」

「私も賛成」

「私も」

「私もです。保健室で散髪してもらうべきです」

「先生が髪を切るまで、私たち、授業ボイコットします!」

 次々と手があがる。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

「まあ、そういう手合いって、相手が嫌がるほど嵩に懸かってきますからねえ」

 岡部はお茶をすすりながら言う。

「もうやめようかな・・・」

とスミレは弱音を吐いた。

「長い髪やめるんスか?」

「違います。学校を辞めるんです」

「まだ3か月しか経ってないじゃないッスか!」

「毎日毎日責められて、ホトホト疲れ果てました」

「だったら髪切っちゃった方がラクじゃないッスか。どうせ、また伸びるんだし」

 岡部はアッケラカンと言い放つ。

 唖然とするスミレ。

「俺なんてバリバリの体育会系ですからね、入部で坊主、大会前に坊主、試合に負けて坊主、サボって坊主、先輩の命令で坊主、って具合でしてね、だから髪切られそうになるたび、退部届出してたら、墨汁無くなっちゃいますよ」

「・・・・・・」

「俺ほど極端じゃなくっても、人生で髪を切らなきゃいけない場面って、ちょいちょいあるじゃないッスか。入学でバッサリ〜、とか、就職でバッサリ〜、とか、出産や子育てでバッサリ〜、とか。いちいち抵抗するより、柔軟に受け容れちゃった方が人生楽チンですよ」

「これはプライドの問題でもあるんです」

「面倒くさい人だな」

「今、“面倒くさい“っておっしゃいました?」

「すんません」

と口では謝りながらも、岡部は悪びれたふうでもなく、

「もしかして、佐久間先生、髪を短くしたことないんスか?」

「ありません」

「だったら、いい機会じゃないッスか。夏だしおあつらえ向きだ」

 ノー天気な岡部にスミレは呆れ、

「失礼します」

と憤然と体育教官室を後にしたのだった。



 それから間もなく、スミレの許に一通の葉書が舞い込んだ。

 英一からだった。

 他に好きな女性ができた、その人と付き合うことになった、だから別れたい、との文面だった。相手の女性は、共に政治活動に参加していたスミレの大学の後輩だった。

 スミレは泣いた。涙が枯れ果てるまで泣きじゃくった。

 長い間の恋人関係を葉書一枚で終わらせようとする英一の不実が、恨めしかった。

 青白いインテリなんて薄情なものだ、と思った。

 もしかして彼は政治活動を、女性との出会いの場に利用しているのではないか、とすら思った。

 それでも、未練は一向に消えてくれない。



 その次の日、スミレは学校を休んだ。

 一日置いて出勤した。

 案の定、八神が近づいてきた。

「佐久間先生、欠勤なんて自己管理ができてない証拠よ」

と、まずはお小言から入り、そうして例によって、保健室で髪を切るよう「指導」を受けた。

「わかりました」

 スミレはうなずいた。

「何がわかったの?」

「保健室に行って、髪をバッサリ切ってもらいます」

 頑なだったスミレの思いがけぬ言葉に、八神は少なからず動揺していた。

「本当に切るのね?」

 やや怯えたかのような表情(かお)で念を押され、

「はい」

 スミレはふたたびうなずいた。

 八神は鼻白んだものの、だが、嬉々として、昼休み、腰巾着どもと共に、スミレの腕をつかみ、ひったてるように保健室へと直行した。



 保健医の石黒(34・♀ 既婚)は八神とは昵懇の間柄だ。

「佐久間先生、ようこそ。佐久間先生が髪を切りにおみえになるの、4月から首を長くしてお持ちしていたのよ」

とたっぷりと皮肉をこめて言い、スミレを椅子に座らせた。

 刈布が巻かれる。だいぶ手慣れた手つきだった。刈布の汚らしさに、スミレは胸が悪くなる。

 準備を整え、石黒は、

「“レベルB”でいいかしら?」

と八神に訪ねていた。彼女らの間だけで通じる符丁みたいなものらしい。

「“レベルD“にしてあげて」

 「レベルD」と聞いて、

「まあ」

と石黒は相好を崩した。だいぶ愉快そうだった。

 スミレはわけのわからぬまま、椅子から浮き上がりそうになる腰を、自分で持て余していた。

 石黒はすぐさま電気バリカンを棚から引っ張り出した。

 スミレの顔は、サーッ、と青ざめた。

 てっきり、ハサミでの断髪とばかり思っていたので、予期せぬ物体の登場で、激しく心乱れている。

 石黒はバリカンのスイッチを入れた。

 ウィーン、ウィーン

とバリカンが唸り出す。

 スミレは恐怖のあまり失禁寸前だ。

「さあ、佐久間先生、これで貴女も晴れてこの学園に根をおろすことができるのよ」

 八神は上機嫌だ。が、その言葉もスミレの耳には入らない。

 石黒はおもむろにスミレの左の髪を、頬のあたりからバリカンを入れた。

 鉄の刃と髪が接吻して、ジャッ、と耳障りな音を立てる。石黒はゆっくりゆっくり、まるでスミレの恐怖心を煽り立てるように、バリカンをすすめていく。

 バラッ、バラッ、バラッ、と時間差で次々とサイドの髪が落ちて、スッパリと一直線に揃えられた。

 石黒はもう一度、サイドの髪にバリカンを入れ直す。

 ウィーン、ウィーン、

 ザザザザァァーー

 左耳が半分出た。

「さあ、次はこっち側いきましょうね」

 石黒は右サイドの髪を、左の髪とシンメトリーになるよう、刈り始める。

 ウィーン、ウィーン、

 ザザァアァアアァ

 スミレは頭の中が真っ白になった。恐怖だけがあった。とにかくバリカンから逃れたかった。

 身も世もなく、そして前後の見境もなくなり、猛然と椅子から跳ね上がると、必死の形相で保健室から飛び出した。

「オカッパなんて絶対嫌あああああ!」

「さ、佐久間先生、お、お待ちなさい!」

 スミレの狂態に、八神たちも周章狼狽して、後を追う。

「やだやだやだ〜!! オカッパなんて死んでも嫌よおおおおぉ!」

 ザンバラ髪を振り乱し、刈布をひきずって、スミレは逃げる。

 逃げたあとの廊下には、刈り髪が点々と散り落ちている。

「佐久間先生、落ち着きなさい!」

「何考えてるの!」

「保健室に戻りなさい!」

 八神たちは追いかける。廊下を走るのは厳禁だが、この場合、やむなく禁を侵す。

 生徒らも、何の騒ぎか、と各教室から顔をのぞかせている。

 スミレは、なりふり構わず、学校中を駆けずり回る。

「もう嫌よおおおおぉ! バリカンなんて嫌よおおおおぉ!」

 その見苦しさに、八神は怒り心頭、下駄箱のところで、ようやくスミレの襟首をつかみ、

「落ち着きなさい! どれだけ我が校の恥を晒せば気が済むのッ!」

 往年の熱血教師の血がたぎったらしく、バシバシバシバシ、とスミレに往復ビンタを4発もかましたのだった。

 これには、さすがのスミレもおとなしくなった。ザンバラ髪を両腕で抱え込み、簀の子にヘタりこんでいた。今し方の体罰で、顔が赤く腫れあがっていた。

「生徒にだって、こんな往生際の悪い子はいないわ。もう最後まで切るしかないでしょ」

 スミレは我に返った。八神の言う通り、ここまで刈ってしまったら、もう後戻りはできないのだ。

 酔っぱらいのように、フラフラとよろめきつつ保健室へ。両脇は八神とその取り巻き教師連でガッチリと固められている。

 生徒は、ある者は目を丸くし、ある者は冷笑を浮かべ、ある者は好奇心むき出しの表情で、スミレの哀れな姿を見送っていた。

 お調子者の生徒の中には、

「ただ今、犯人が確保されました。犯人逮捕、逮捕です! 保健室に連行されていく模様です」

とニュースの実況の真似をしてふざける男子生徒もいたが、八神は普段とは違い、それを咎めなかった。



 再度保健室の椅子に着席させられる。

「ビックリしたわ。急に飛び出していったから」

 石黒もかなり驚いたらしい。

「こんなこと、はじめてよ」

と嫌味っぽく言う。

「石黒先生」

と八神。

「はい?」

「“レベルE”でお願い。この娘の性根はちょっとやそっとじゃ直らないわ」

「いいの?」

 石黒は思わず八神に確認した。

「ええ、キレイサッパリとやっちゃって頂戴」

「了解です」

 ウィーン、ウィーン、

とまたあの不快なバリカンの咆哮がはじまる。

 ザザザザアアァァアァア

 耳の上から刈られる。先ほどとは比べ物にならないくらいの短さだ。

 ウィーン、ウィーン、ザザザザアアァァアァァ

 両側の髪が耳の上で、左右対称に、スッパリ切り詰められた。

「“レベルE”なんて5年ぶりよ」

と石黒はひとりごつように言う。

 スミレはすっかり観念して、涙を拭いながら、ヘアーカットが終わるのを待つ。

 ザザザザザアアアア

 ザザザザザアアアア

 バリカンは長い長い襟足を食む。怒涛の如く、スミレの後頭部をさかのぼり、若さにあふれた黒髪を呑み込み、喰らい尽くしていく。

 長すぎる髪がバリカンの刃にひっかかって、痛いっ、とスミレは何度も、乱暴なカットに抗議の意を示すが、

「お黙りなさい!」

と八神に一喝され、子供みたいにシュンとなり、痛みを堪える。

 バリカンはスミレの後頭部を2/3まで刈り上げていった。

 その振動にスミレは、ただただ身を震わせていた。

 前髪も額が出るほど詰められ、パッツンにされた。無論バリカンで、だ。

 男根のような髪型にされ、スミレは茫然自失。

「あら、かわいくなったじゃない」

 八神は勝ち誇ったかのように、刈り上げられた後頭部を撫でた。

 スミレは今までならば怒りにうち震えていただろうが、すっかり去勢されて、従順に、撫でられるに任せていた。

 石黒は長い刈り髪を掃き集めて、

「今切った髪の量だけで、去年のトータルの十倍以上もあるわ」

と笑っていた。

「我が校にふさわしい教師への第一歩ね」

と満足げに微笑む八神に、

「ありがとうございました」

とスミレは素直に一礼した。都会への未練など、もはやなかった。

 そして、八神に命じられて、校舎中の廊下に散らばった切り髪を、ホウキとチリトリで集めて回った。

 せっせと自分の髪を回収しているスミレを、生徒たちは面白そうに見物していた。その群れの中には、今までスミレを性の対象として、「おかず」にしまくっていた男子生徒たちも少なからずいた。



 午後の授業は、男根型オカッパ頭と腫れた頬で出た。

 生徒たちも髪を切ったスミレを拍手で迎えた。スミレはちょっとこそばゆい。



 それから、スミレは急速に田舎暮らしに馴染んでいった。

 時折、

「〜だべ」

と荒っぽい地元の言葉が口をついて出るほどになっていた。

 八神の命令で、月二回、保健室へヘアーカットに行き、オカッパ頭を保たされていたが、現在では自主的に保健室のドアをノックするようになった。

 何故なら、

「かわいいよ、スミレ」

と新しい彼氏の岡部に、夜毎ベッドで囁かれているから。

「このジョリジョリ感がたまらん」

とか、

「このフォルムがすごくきれいだ」

とか、

「オカッパの方が若くてハツラツとして見えるなあ」

とか、

「それでいて色っぽいんだよなあ」

とか、

「オカッパだと、スミレの首の長さがクッキリと強調されて、最高だぜ」

とか、いっぱい褒めてくれる。

「嬉しい」

とスミレは岡部の筋骨隆々とした身体に身を寄せ、ゴワゴワした胸毛に頬ずりし、逞しい腕に抱かれる。

 そして、嵐のような激しい愛撫に身も心も委ねる。

 今までの叛乱が嘘みたく、クラスはまとまり、生徒たちの中には、スミレを慕う者も増えてきた。

 村人たちの態度もだいぶ和らいだ。

 都会の華やかさや喧噪も、今では遠い記憶の彼方だ。

 この学園に、この山村に骨を埋めるつもりに、いつしかなっていた。

 何より岡部の存在が大きい。

 こんなふうに毎晩愛し合っている。

 オカッパ頭を振り乱し、熱く甘い吐息とともにスミレは果てる。

 付き合うようになってから、もう二年が経つ。

 ことが終わって、二人で夜食のインスタントラーメンをすすっていたら、

「ちょっと、トイレに行ってくる」

と岡部は寝室から出て行った。そしてトイレとは逆の方向の奥の部屋で、ガサゴソやっている。

 ――いよいよか。

とスミレも身体を硬くする。

 岡部が先月、スミレの誕生石の指輪を買っているのは、もうすでにスミレにバレている。

 それにしても、と笑っちゃいけないが、ついおかしくなる。

 ――サプライズ下手だなぁ・・・。

 半裸でラーメンの丼をかかえてプロポーズ、なんてシチュエーションとしては、ちっともロマンティックじゃない。

 ――でも――

 そこが武骨な岡部らしく、微笑ましい。

 岡部の気持ちを思いやって、スミレは素知らぬふうを装う。

 たったひとつのアンサーを胸に秘めつつ。


             (了)






    あとがき

 リクエスト小説第二弾でございます。 リクエストどうもありがとうございますm(_ _)m
 「都会から田舎の学校に赴任してきた女教師が他の教師or生徒に髪を切られる」というリクエストで、書かせていただきました♪
 何年かぶりの女教師モノでございます。やっぱ女教師モノっていいわ〜(*^^*)
 タイトルは田山花袋の「田舎教師」(読むのしんどい小説だった記憶あり・・・)からです。
 しかし、自作を振り返ってみて、田舎を舞台にした小説多いな。。。作者が田舎者だからか?? 本当はシティガールの出家とか書きたいんですけどね(^^;)
 「保健室で断髪」って昔は結構あったみたいです。
 大昔、年上のお姉さんが私立校に入学して、天然パーマだったせいか、教師に「〇〇、お前は保健室に行くべきだ」と言われたと友人に憤慨しながら話してるのを聞いて(「保健室には髪を切る道具があるんだって」とも説明してた)、少年ながらすでに「この道」に入っていた小生は密かにドキドキしたものです(結局切らなかったが)。
 まだまだリクエスト小説は続きますので、皆様どうぞお付き合い下さいね!!




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