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虐め、駄目、絶対


 石橋冬香(いしばし・ふゆか)は、学園のトイレの中で、「友人たち」に取り囲まれていた。

 「友人たち」はねっとりと冬香を尋問する。

「石橋さん、貴女、私たちが無銭飲食しているっていうの? とんだ侮辱だわ」

「貴女、この頃増長の度が過ぎてやしませんこと?」

 冬香は病み猫のように震えている。

 毎日、「友人たち」の為に、購買コーナーまで昼食を買いに行かされ、お金も毎回彼女が支払っていた。

 おそるおそる、

「あの・・・私が立て替えていたお金なんですけど・・・」

とちょっと切り出してみたら、トイレに連れ込まれてしまった。

「石橋さんは『友情』よりお金なのね」

「せっかく仲間に入れて差し上げているのに、この恩知らず!」

「何とかおっしゃい!」

「あの・・・いえ、その・・・そういうわけじゃ・・・」

 冬香は顔面蒼白のまま、口をパクパク。

 お嬢様学校にもイジメは存在する。

 ここ、聖デズモンド&モリー女学院もその例外ではない。

 おとなしくサエない生徒だった石橋冬香は、彼女のクラスメイトたちととって、格好の標的だった。

 使いっぱしりをさせられたり、私物を隠されたり、面倒なことを押し付けられたり、かと思えば恣意的に無視されたり、さらにエスカレートして、バケツの水を頭からかぶせられたり、服を脱がされたり、万引きを強要されたり、と、それは、もう、絵に描いたようないじめられっ子だった。

 そして、今日もトイレで吊るしあげられているというわけ。

 縮みあがっている冬香に、

「まあ、お待ちなさい」

と、救いの手を差し伸べたのは、意外にも「友人たち」の首領である伊達美晴(だて・みはる)だった。グループの中で最も金持ちで、最も美しい少女だった。

 自分の美貌をちゃんと自覚している美晴は、枝毛ひとつない艶やかな黒髪を、エレガントに、さらり、とかきあげ、

「確かに石橋さんにばかり経済的な負担を強いるのは、それがたとえ、わずかなものだとしても、私たちにとっては心苦しいわ」

 何を言い出すのか、と皆、この美貌のリーダーを仰ぎ見る。

「これまでお立て替えしてもらったお金、貴女にお返ししなきゃね」

と美晴は笑みを浮かべ、ルイ・ヴィトンの財布を開けた。残酷な笑みだった。

「ごめんなさいね、生憎今日は持ち合わせがなくて、これで勘弁して頂けるかしら?」

と百円玉をつまみ出す。

「残りはまた後日お支払いさせて頂くわ。さぁ、どうぞ」

と美晴はタイル張りのトイレの床に百円玉を放った。チャリーン!

「さあ、私たちの気持ち、受け取って頂戴」

「え・・・あ、あの・・・」

 冬香は顔をひきつらせる。そんな彼女に、

「拾いなさい」

と女帝は命じる。仲間たちもニヤニヤ笑いを浮かべて見ている。

「私のお金が受け取れない、っていうの?」

「い、いや・・・そ、そんなわけじゃ・・・」

「だったら拾いなさいッ!」

 美晴は声を荒げた。ビクン、と冬香の肩が波打つ。唇を噛み、床にしゃがむ。

「跪きなさいッ!」

 美晴はさらに命じた。

 冬香は葛藤していたが、美晴には逆らえず、トイレのタイルの上、跪いた。そして、震える手で百円玉を拾い上げた。

「うふふ」

 美晴は満足げに笑った。

「そうやって素直になればいいのよ。貴方みたいな下等な人種には相応しいわ」

「・・・・・・」

「お礼は?」

「あ、ありがとうございます」

と冬香は涙を流して、百円玉を握りしめると、トイレを飛び出した。

 その背中に、

「貴女の守銭奴ぶりは、明日までには全校中に広まっているはずよ」

という美晴の言葉が追った。



 しかし、驕れるものも久しからず。

 バブルが、はじけた。

 美晴の父が社長をつとめる大会社も、あっけなく倒産の憂き目にあった。多額の負債を抱えて。

 全てはあっという間の出来事だった。

 伊達家は一家離散。

 美晴は名門私立女子校をやめた。15歳のときである。

 美晴は父の知人の許へ、養女として引き取られることに決まった。その養子先は――

 なんと石橋家!

  散々いじめた冬香の実家だった。

 冬香の方が誕生日が早く、もう16歳なので、美晴は彼女の「妹」ということになる。

 必要最小限の私物を詰めた小さなリュックをさげ、石橋邸の門前に立ったとき、美晴は、ぶるる、と激しい悪寒に襲われた。

 しかし、15歳の少女には、この地球上でこの石橋家より他に行くアテはなかった。

 迷惑げな顔で美晴を出迎えた新しい「父母」を前に、美晴は身をすくませる。

 何より恐ろしかったのは、二人の大人の後ろに控えている冬香だった。目を合わすことすら怖くて怖くて仕方なかった。

 ところが、意外なことが起こった。

「美晴さん!」

 冬香は美晴の手をとって、

「よく来てくれたわ。心細かったでしょう? さぁ、あがって」

と屈託のない笑顔で美晴を「新居」にあげ、邸内を案内してくれた。

「冬香さん・・・」

 美晴は心から安堵した。

 渡る世間に鬼はなし、とは昔の人も良く言ったものだ、と思った。

 しかし、その楽観的な考えがいかに甘かったかを、彼女はすぐに骨の髄まで思い知らされることになる。



 美晴の養父母は、突然現れた「娘」を厄介者扱いした。彼らの「子供」ではなく、「下女」としてコキ使った。

 毎朝五時起きして夜更けまで、家の掃除や洗濯、家人の身の回りの世話をする。

 私服は粗末な古着をあてがわれ、食事は最下層の使用人と同じものを摂らされた。高校にも行かせてはもらえなかった。

 冬香は初日の優しさなどどこへやら、事ごとに美晴に辛くあたった。

「どういうことよッ!」

と癇癪をおこして、美晴に熱い紅茶をぶちまけ、火傷させたこともあった。学校の宿題やレポート等を美晴に押し付けた。

「あ、あの・・・お姉さま」

 おずおずと話しかけると、

「気安く姉呼ばわりしないで頂戴!」

とネアンデルタール顔をゆがめて、冬香は怒鳴りつける。

「これからは、“お嬢様”と呼ぶように」

「は、はい、お嬢様・・・」

 ずっとお嬢様生活だった美晴に、奴婢のような暮らしは苦しかった。肉体的にも、精神的にも。

 冬香は忘れ物をすると、それを美晴に学校まで届けさせた。これが何より辛かった。

 ついこの間まで自分が闊歩していた学び舎、そこへ、粗末な身なりで訪れる。

 生徒たちの視線に、美晴はたまらなくミジメな思いだ。

「あの・・・冬香お嬢様、お忘れ物をお届けにあがりました」

「あら、美晴、随分と遅かったわね。私、気が気ではなかったわ」

「申し訳ありません」

 かつての「友人たち」は、落ちぶれた美晴に軽蔑の目を向け、意地悪く薄ら笑っている。

「懐かしいでしょ、美晴? この校舎、この制服。せっかくだから、ゆっくり見て回るといいわ、と言いたいところだけど、まだハウスキーピングが残ってるでしょう? 早くお帰り」

「はい、冬香お嬢様」

 冬香は美晴が学校を去ってから、イジメグループと融和したらしく、美晴の取り巻きだった「友人たち」も、

「あら、伊達さん、その恰好よくお似合いよ」

「ほんと、下女奉公もすっかり板についてきたじゃない」

「旧交を温めたいのはやぶさかではありませんが、私たち、次の授業がございますので」

「名残惜しいですけれど、ここは原則、部外者立ち入り禁止ですから、さっさとお引き取りあそばせ」

と冬香の尻馬に乗って、美晴をからかう。この間まで「女帝」美晴の顔色をうかがい、見え透いたおべんちゃらを口にしていたくせに。

 居たたまれずその場を逃げ出す美晴。15歳にしてこの屈辱。死んでしまいたい気持ちだった。

 ひとしきり泣いて、美晴は鬼の棲み処へとトボトボ歩き出す。他に帰る場所などありはしない。

 学校に行きたい。遊びたい。青春を楽しみたい。

 そんな望みを抱くのは、現在の自分には分不相応なのだろうか。



 どん底生活も三か月を過ぎる頃、美晴の部屋であるカビ臭い地下室――元々は物置だったらしい――に冬香が入ってきた。一つ屋根の下で暮らすようになってから初めてのことだった。

 冬香は笑みを浮かべていた。

「ねえ、美晴」

「はいっ、何でしょう?」

 美晴はすっかりおびえている。「シツケ」の賜物だ。

 冬香は意外な話を持ってきた。

「美晴、貴女、学校に行きたくない?」

 思いもかけぬ冬香の言葉に、美晴はキョトンとなる。信じられない。

「は、はいっ! 行きたいです!」

 身を乗り出す美晴。その目は輝いていた。下女生活から一歩でも抜け出せる。青春をやり直せる!

 冬香はタラコ唇を歪め、

「でも私と一緒の学校じゃ、貴女も何かと居心地が悪いでしょう?」

「そ、そんなことはございません」

と口では否定してみせるが、内心、ホッとしている美晴である。

「でね、私、考えたのね、貴女の入学先を。色々調べたりもして」

「お心遣い頂きありがとうございますっ!」

 美晴は布団の上、バッタのように平伏した。

「でね、私、考えに考えて、貴女の入学先を決めたの」

「ど、どこでしょうか?」

「野茂塚(のもづか)学園よ」

 校名を告げられた瞬間、美晴は激しい目まいに襲われた。危うく卒倒しそうになった。

 野茂塚学園。他県にまでその悪名が轟いている超底辺校である。ゴキブリホイホイ、野良犬収容所、との異名でも知られる。

 入学者は、とりあえず「高卒」の資格を取りたいだけという低能ぞろい。

 来るもの拒まずの方針なので、真っ当な学校をしくじったゴンタクレ共も集まる。

 結果、暴力や非行が横行し、不良どもが跋扈し、教師連もその有様を見て見ぬふりしているという荒廃ぶり。制服もダサダサの芋セーラー服。最悪だ。

 縮みあがる美晴、あがくように冬香に再考を依願しようとするも、

「ダメよ。家から一番近いからそこにしたの。もう手続きは済んでるからね。私がパパとママを説得して入れてあげたんだからね。感謝なさい」

 一方的に通告され、美晴はうなだれる。

 そんな無法地帯に通うくらいなら、学校なんて行きたくない。冬香の仕打ちを恨んだ。



 かくして、美晴はゴキブリの中の一匹となった。

 落書きだらけの校舎、割れた窓ガラス、壊された備品、散乱したタバコの吸い殻、歯のない生徒、カギの壊れたトイレ、やはり最悪だった。

 芋セーラー姿で、新入生として紹介された。

「マブイじゃん!」

「伊達チャン、処女〜?」

「一回でいいからヤラせて〜」

「ケッ、清楚ぶっちゃって。気に入らないね」

と男女のヤンキーたちが騒ぎ立てるので、挨拶もそこそこに教師に言われるまま、空いている席に座る。針のムシロだ。



「新しい学校はお気に召して?」

 この日も冬香は地下の部屋に降りてきて、嬉しそうに訊ねた。

「いえ・・・あのぅ・・・その・・・」

 美晴はすっかり負け犬根性が染みついている。どうしても、冬香に対して、ノーと言えないでいる。

「でね、私、考えたの」

 また、冬香の「でね、私、考えたの」が口から飛び出す。ろくなことじゃないのは、もうわかっている。

 ビクビクしながら御託宣を待つ。

「美晴もクラブ活動をすればいいと思うの。前の学校でもやってたじゃない」

 冬香の言う通り、聖デズモンド&モリ―女学院時代は茶道部だった。一年生ながら副部長もつとめていた。

「でね、私、考えたの、冬香にピッタリの部活はないかしら、って」

 嫌な予感しかしない。

「柔道部がいいんじゃないかしら」

「柔道部?!」

 美晴は素っ頓狂な声をあげた。

「やっぱり運動部がいいわ。美晴はてんで意気地がないから、武道でもやって、汗を流して心身を鍛えるべきよ」

と冬香は一人決めして、

「だからね、明日、柔道部に入部届をお出しなさい。じゃないと家には入れないわよ。うふふふ」

と命令は下された。美晴の柔道部入りは決した。

 口ではもっともらしいことをのたまっているが、冬香は元お嬢様の美晴が、汗臭い部室で荒稽古を受け、青息吐息するさまを想像し、面白がっているのだ。

 運が良いと言おうか悪いと言おうか、野茂塚学園の女子柔道部は、学内のクラブの中では数少ないちゃんと機能している部だった。

 その大きな理由は、顧問の貝原の存在だろう。

 熊を彷彿とさせる、このむくつけき中年男は腕力も指導力もあり、実績もあり、人徳もある。ゆえに校内の不良たちからも、一目置かれていた。

 美晴が差し出した入部届も、

「転入早々、入部とは気合いが入っとるなあ」

 ガハハ、と蛮カラに笑いながら受理した。

 石橋家はこの柔道部とはパイプがあるらしく、

「もしサボったりすれば、すぐ連絡があるから、覚悟してらっしゃい」

と冬香に脅されている。真面目に柔道するしかない。

 柔道着はまだいらない、と貝原がいうので、美晴は自慢のロングヘア―をひっつめ、体操着にブルマで稽古に参加する。

 初心者ということで、来る日も来る日も受け身の練習ばかり。それでも、あちこちの筋肉が悲鳴をあげている。

 それでも、寝る前、自室の布団の上で、受け身のおさらいをしている美晴だ。地下室なので音漏れの心配はない。

「随分と熱心じゃなくて、美晴」

 地下室の扉が開き、冬香が階段を降りてくる。手に紙袋を持っている。

 その紙袋を

「入部祝いよ」

と美晴に投げて寄こした。

 中身を空けてみたら、

「こ、これは!」

 体操着だった。胸のところに「1の4 みはる」と大書されたゼッケンが縫い付けられていた。

「明日から部活のときは、それを着るのよ」

「そ、それだけは勘弁して下さい!」

 恥ずかし過ぎる。美晴は土下座して許しを乞うが、

「ダメよ」

 冬香は耳を貸さない。

「便所で百円玉を拾わされた屈辱、私が忘れたとでも思ってるの?」

と憤怒の形相で言われては、美晴は過去の自分の所業を大後悔しつつ、冬香の言に従わざるを得ない。

「今ここで着なさい」

と命じられて、美晴は体操着を着て、さらに命じられ、ブルマをはいた。「1の4 みはる」のゼッケンが物悲しい。

 そんな美晴の姿を矯めつ眇めつして、

「まだ、元気っ子系部活少女の成分が不足してるわね」

 冬香はタラコ唇に指をあて、ひとりごち、

「やっぱり髪だわ!」

 ポンと手をうった。

「運動部はやはり短髪だわ、タ・ン・パ・ツ!」

と自分の思い付きにすっかりのぼせあがり、

「美晴、髪を切りましょう! バッサリ短く!」

 美晴は真っ青になった。

 首に、肩に、胸に、背中に、垂れ零れるこの自慢の美しい髪、ハードな毎日の中、寸暇を見つけてはケアーを続けてきた髪。

 それを冬香は切ってしまおうとしている。

「そ、それだけは、それだけは堪忍して下さい! どうかひとつ、どうかひとつ、堪忍して下さいっ!」

 床に這いつくばって、叩頭するも、

「18歳以下の使用人の髪は石橋家の家長かそれに準ずる者が、その散髪を行う、というのが質実剛健を旨とする石橋家の慣わしなのよ」

 貴女みたいな元成金の娘にはわからないでしょうけどね、と冬香はせせら笑う。

「私、使用人ではありません! 石橋家の娘です! 冬香様の妹ですわ!」

「まだそんなこと言ってるの? だったら何故貴女は旧姓のままでいるのかしら?」

「・・・・・・」

「パパはともかくママが貴女の養子縁組に反対しててね、私のことを考慮してくれてるのよ、ママは。パパはママの言いなりだから、養子縁組の件はウヤムヤのまんまなの。だから公式には貴女は没落した伊達家の娘。我が家の居候。厄介者。下女も同然よ」

「そ、そんな〜・・・」

 うなだれる美晴をよそに、冬香はウキウキと部屋を飛び出し、散髪用具一式を取りそろえ、猛然ととって返す。

 そして有無を言わせず、美晴の首に薄汚れたクリーム色のケープを巻き、武骨な年代物の鋏を取り出す。

「さあ、美晴、貴女はこれから元気いっぱいの部活大好き少女になるのよ」

 狂的な眼になる冬香、その口元に残忍な微笑をたたえ、

「でね、私、考えたの。ヤワラちゃんカットなんていいと思うわ」

とチャキチャキと鋏を鳴らす。

「ヤワラちゃんカットぉぉ〜!?」

 ヤワラちゃんカットとは、この当時、柔道部女子の一部で流行っていた、ショートカットで、ポイントは前髪を一束に結わえた髪型である。某柔道選手の髪型から、この名前が付いた。

「そ、それはどうかお許し下さ――」

 ジャキ!

 懇願する暇すら与えられず鋏は閉じた。肩下まであった髪が、耳の真下でバッサリと圧し切られていた。

「ひいいぃぃ!」

 美晴は腰を抜かした。少しチビっていた。

「ゆ、許してぇ〜」

 ハラハラと落涙して哀願する美晴だが、冬香は寸毫も容赦せず、左サイドの髪を、ザクザク、ザクザク、と一直線に切りすすめていった。

 今の美晴に残された唯一の財産とも言える髪、それを、

「キャハハハハ、人の髪一度切ってみたかったのよね。楽しいわっ!」

と、かつて見下し虐げていた少女に、面白半分に刈りたてられる。これが因果応報というものなのか。

「次、右側も切っちゃうわよ〜」

 ゾクリ、と美晴は総毛立つ。しかし、腰を抜かしているため、床にヘタりこんだままで、逃げることもできない。

「やめて! やめてえええぇ! もう、もう髪切らないでええぇぇー!!」

 美晴は叫ぶが、その叫びは、かえって冬香の暗い情念の炎の薪になるばかりだった。

「動いちゃダメよ」

 フン、と鼻で嗤いながら冬香、

「切り損なったら、下手すれば坊主にするしかなくなっちゃうわよ」

と美晴の耳元で囁く。美晴は震え上がった。

「今まで黙ってたけど――」

 冬香は美晴の右の髪を掴み、

「貴女のこの髪にはいつも苛ついていたのよね」

と引っ張りあげる。

「痛いっ! 痛いです! 冬香お嬢様!! お、お許し下さいっ!!」

 美晴は悲鳴をあげる。

 冬香は掴み上げた髪を、衝動に任せ、出鱈目に鋏で切っていった。

 ジャキッ、ジャキッ、ジャキジャキ、ジャキッ――

「このっ! このっ! このっ!」

 ジャキッ、ジャキッ!

 冬香の手には収奪された髪が残される。それらを無造作に、バサッ、と床に放り捨て、

「次は前髪よ!」

 吠えるように言う。

「か、堪忍! 堪忍して下さいっ! 冬香お嬢様あぁぁ〜!!」

 だが、無情にも鋏は、美晴のワンレングスだった髪に、ジャッ!と噛みつき、

 ジャキジャキ、ジャキジャキ、ジャキ――

 眉毛が半分出るくらいの前髪を作っていった。

 切られた髪が、涙で顔に貼りつく。

「うぅ・・・うっ・・・うぅ・・・」

 美晴は嗚咽を漏らす。悲しみのどん底に突き落とされ、しかし、どうにもできずにいる。

 冬香はザンバラ髪を申し訳程度に切り整えていく。

 シャキシャキ、シャキシャキ、シャキ、シャキ――

 ピンピンと毛先がはね、素人床屋感丸出しのショートに。

 襟足のカットに、冬香は偏執的なまでに、情熱を傾ける。

 思うように切れず、

「チッ」

と冬香は舌打ちした。

 そして、無言のまま、地下室の片隅に行き、そこに転がされホコリをかぶっていた物体を持ち出してきた。木と鉄でできた手枷と足枷だった。

 それで美晴の手足をガッチリと固定した。

 驚いたのは美晴。

「ふ、冬香お嬢様! こ、これは一体?!」

 狼狽する美晴に、ふふふ、と冬香は満足げに含み笑い、

「この地下室は“拷問部屋“って呼ばれてるの」

「ご、拷問部屋?!」

「まあ、大仰な呼称なんだけどね。戦前は不心得な下男下女を折檻する部屋だったのよ。その拘束器具は、折檻の際使用されていたものなんでしょうね」

「え? え?」

「大丈夫よ。折檻なんてしないから」

「で、では、何故手足の自由を奪うのですか?!」

「襟足がなかなかうまく切れなくてね」

と冬香はお手上げのポーズをして、

「でね、私、考えたんだけど――」

と散髪用具一式をまさぐり、

「これを使ってみようかしら、と思ってね」

と冬香が引っ張り出したのは――

 まごうことなきバリカンだった。ドイツ製のバリカンだ。

「ちょ、ちょっと待って下さいっ!!」

 美晴は肝を潰した。激しい戦慄。その場から逃げようと、必死であがいた。

「そうやって暴れるから、抵抗できないように、枷を嵌めたのよ。よ〜くわかったでしょう?」

 冬香は薄っすら笑い、バリカンのコンセントをプラグに差し込む。

「心配ないわ、美晴。私だって鬼じゃなくてよ。丸刈りなんかにはしないわ。ただちょっと襟足を整えるだけ」

 バリカンが、ウィンウィン唸り出す。それを美晴の頭にあてようとするも、

「嫌! 嫌! 嫌よ! バ、バ、バリカンなんて絶対嫌っ!! 嫌ああぁぁぁ!!」

 口から泡を吹き、芋虫の如く床を這いずって逃げようとする美晴。

「観念なさい」

と冬香は美晴の襟首を掴む。

「やめてえええぇぇぇ!! バババババリカンだけはかかかか堪忍してええええぇぇ!!」

「美晴、そんな耳障りな声でわめきたてるなら、私は苛ついてしまうわ。私が苛ついたら、貴女の頭髪を全部刈ってしまわないという保証、できなくなるわ」

「うぅ・・・」

 美晴は大人しくせざるを得ない。ただ、涙と鼻水とヨダレまみれの顔を床に沈めるだけだった。

 ウィーン、ウィーン、

 ウィーン、ウィーン、

と小刻みに動く散髪用具を、冬香は美晴の首筋にあてた。

 その感触に、

「ひっ!」

 美晴は反射的に首をすくめた。

 ジャアアァァァアアァ〜

 バリカンは美晴の襟足を勢いよく刈り上げた。一気に後頭部を遡った。

「くっ、くくぅ・・・」

 美晴は耐えた。耐えるしかなかった。体液にまみれた顔をグシャグシャに歪めながら。

 バリカンは、二度、三度、四度、五度、とウナジを遡り、襟足を侵食していった。

 ウィーン、ウィーン、

 ジャァアァアアアァァア、ジャジャアァアアアァ

 タワシのようになる美晴の後頭部。

 冬香は、これでもかというほど、バリカンを襟足に挿し込んでいく。その度、髪がめくりあがり、引ん剥かれていった。

「ううっ・・・うぅ・・・うっ、うっ・・・」

 美髪を失い、美晴はただただすすり泣いた。

 両サイドの髪は耳たぶが出るくらい切り詰められ、襟足は刈り上げられ、前髪は眉のところで揃えられた。

 その前髪を、冬香はポケットから出したヘアゴムで一括り。

「見事なヤワラちゃんカットだわ。これで柔道部らしくなったわ」

と悦に入っている。

 美晴は刈り髪にまみれて、床に転がっている。「1の4 みはる」のゼッケンが一層哀れを誘う。

 そう、わずか半年足らず前まで、

「ねえ、石橋さん、購買部でクロワッサンとカフェオレを買ってきて下さるかしら? あら、ナニ、その反抗的な目は? うんとお仕置きする必要がありそうね」

と冬香に凄んでいたロングヘアーのお嬢様だったのに。

「これからは、私が月イチで貴女の散髪をするからね。いいわね!」

と冬香に凄まれ、泣き腫らした目で床を見つめているだけだった。



 それから、美晴は柔道に打ち込むハメになった。

 女子柔道部の練習量はすさまじいものがあったが、美晴はひたすら頑張った。頑張るしかなかった。

 他律的に始めた柔道だったが、やり続けていくうちに、その楽しさや自己の才能に開眼した。

 顧問の貝原もそんな美晴を厳しく、ときに優しく導いた。

 美晴はどんどん強く逞しくなっていった。

 自信と腕力がつけば、周囲の対応も変わってくる。

 不良どもは美晴にちょっかいを出してこなくなったし、女生徒たちも美晴を立てるようになる。部員たちも美晴についてきた。

 冬香も元来が弱虫なので、表面上は偉そうにしていても、美晴の顔色をうかがう素振りを見せはじめた。

 毎月、美晴の髪を切っているのだが、時折、

「あら、ちょっと切り過ぎちゃったかしら。私ってばホント不器用ね。ごめんなさい」

と本気でオロオロしたりする。

「大丈夫です」

 美晴はローマ時代の武人のような沈毅な態度で応ずる。

 冬香の両親も軟化する。来月には正式に養子縁組をすることになった。

 でも、もうそんなことは今の美晴にはどうだっていい。

 彼女の頭の中は、明後日の昇段審査の件でいっぱいだ。うまくいけば卒業までには黒帯。

 部活帰り、山際に沈む夕陽を眺め、

 ――絶対、黒帯!

と改めて心に誓う。

 そして、近い将来、

 ――オリンピックで日本代表になる!

と世界に思いを馳せている。そうして、

 ――金メダル!!

 思いは膨らむ一方だ。

 こんな自分になれたきっかけを作った冬香には、感謝したいくらいだった。

(了)







    あとがき

 あけましておめでとうございます♪♪ 迫水でございますm(_ _)m
 2019年最初の小説でございます。
 作品自体は(あとがきを含め)昨年の12月に完成しました。
 この物語はですね、迫水、実は大昔、ほんの一時期エロ漫画を志していまして、そのとき、設定などを描いていて、その中のひとつに今作の源泉がありました。
 学校内を肩で風切って権力をほしいままにしていた美少女が落魄して、かつて虐めていた少女に支配され、髪をバッサリ切らされ部活少女にさせられてしまう(それから調教開始)というお話でした。
 それがずっと頭の中に残っていて、今回、断髪モノとして結実いたしました〜!!!
 小説のタイトルは某アイドルユニットの曲名からです。ファンの方々には何卒、ご寛恕のほど、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
 2019年、平成も終わろうとしていますが、今年は王道と実験の振れ幅が大きくなればいいなあ、と思ってます♪

 最後までお読みいただきありがとうございました!





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