作品集に戻る


天福禅苑


       (一)


 色男、金と力はなかりけり、と俗に言うが、もし色男が金と力(権力)を持っていたら、という話である。

 時は室町後期。

 得大寺頼定(とくだいじ・よりさだ)という公卿がいた。

 無類の美男だった。だけでなく、学問もあり、腰折れの一首や二首はたやすく作れた。公卿ながら武芸の嗜みもあった。

 鹿を捕らえるのも巧みならば、女人の心を捕らえるのもまた巧かった。

「古の光源氏とて、かの卿ほどモテてはいなかったろう」

と世人に評された。

 処世にすぐれ、今上帝のおぼえもめでたく、たちまち内大臣にまで昇りつめた。異例の昇進であった。

 しかし、この頼定、三十にならぬ前に官を辞し、出家してしまう。

「このままいけば、太政大臣にまでなったものを」

「都の女子(おなご)たちも皆、泣いておろうて」

「僧門の身になれば、色の道も思うようになるまいに」

と宮中の者どもは、頼定の進退を訝った。



 頭を丸め、康悦(こうえつ)、と号した彼は都の郊外に移り住んだ。

 そこに、目も眩むほどの広大な寺院を建立した。城塞のように、堅固な構えの寺だった。数多の伽藍が渡り廊下でつながれ、庭には池を穿ち、花や木を植え、実に雅で、

「平安朝の昔を思い起させるそうな」

と京童はウワサした。

 そんな懐古趣味だけでなく、当世風に枯山水庭園を造らせ、草庵風の茶室を建てさせ、侘び寂びの美も大いに取り入れた。懐かしく華やかでもあり、目新しく枯淡な趣も並立してあった。

 その住まいを康悦は、天福禅苑(てんぷくぜんえん)、と称した。そこで、書を読み、和歌を詠み、遊芸に興じた。

 こうした住居や暮らしを得ることができたのも、全ては康悦の才覚による。

 康悦は公卿の頃から、蓄財に熱心だった。堺などの豪商たちと結んで、産をなした。たくさんの荘園を有し、そのあがりも膨大なものだった。それに、大きな声では言えぬが、収賄癖もあった。

 銭が銭を呼んで、康悦は、三国屈指の有徳人(資産家)よ、と人々から敬われ、羨まれた。

 さらに康悦は抜け目なく、当今に乞うて、天福禅苑を勅願寺としてもらった。

 そうして、その苑内で、優雅な生活を送った。



       (二)


 さて、これからが、この稿の眼目である。

 この天福禅苑に、出家を望み、訪れる者は引きも切らなかった。

 何故か康悦は女子しか出家を許さなかった。彼女らを容れ、尼にさせて、寺に住まわせた。

 天福禅苑で男は康悦ただ一人。あとは全員尼僧だった。尼はどんどん増えていった。

 その尼たちに、康悦は身の回りの世話をさせた。彼女らは康悦に、食事の支度や給仕をした。康悦の法衣を繕い、下着を洗い、遊戯の相手をし、肩や腰を揉んだ。禅苑の主に、余念なく奉仕した。奉仕には、性的な行為も含まれていた。

 美男子の康悦の夜伽の役目を、尼たちは熱望した。そんな尼たちに囲まれて、康悦はだらしなく相好を崩しっぱなしだ。夜伽の尼の青々とした頭を撫で、舐め、歯をたて、愛でた。

 たまに剃髪を怠っている尼を見つけると、

「コレコレ、不心得であるぞ」

と叱った。

「髪は煩悩と同様じゃ。気づけばニョキニョキと生えてくる。ゆえに四九日(しくにち)には剃るものと決まっておる。常に清らな頭(つむり)を保っておくが、尼の嗜みじゃ」

「も、申し訳ありませぬ! 風邪で臥せっておりましたゆえ」

「よいよい。たまにはこういう頭も一興ぞ」

と伸びかけ坊主を愛でたりもする。

 そう、康悦の創設したのは、いわば尼僧のハーレムだった。

 頼定の昔、先祖代々の蔵を整理していたらば、「盗人の少将殿」と呼ばれていたかつての公達の書いたものを発見した。

 そこには、その「盗人の少将殿」の「四条の尼御前」という尼との濃密な房事が、こと細かに記されていた。尼との秘め事の快楽が、いかに素晴らしいものかが、何十頁にもわたり説かれていた。

 青き坊主頭の清やかさや艶めかしさ、黒と白のみの質素な法衣が隠し持つエロティシズム、御仏に仕える女人を抱くときの背徳感に満ちた悦び。

 若き日の康悦は何度その書を読み返したか知れない。

 数知れぬほどの女性(にょしょう)らと睦み合っていても、何処か物足りない。

 脳内には常に、

 ――尼を抱いてみたや!

という一念がくすぶり続けていた。しかし、浮世にいては、なかなか果たせぬ。「真っ当な」性生活にも飽いた。

 ならば、と思いついたのが、天福禅苑の創建であった。

 見目よき女人を選び、頭を剃らせ、袈裟を与え、住持である自己の周りに侍らせる。

 元は姫だった高貴な娘、庶民出の娘、経験豊かな年増女、年端もゆかぬ未成熟な小娘、引目鉤鼻の都美人、目鼻立ちのはっきりとした奥州の女子、学問のあるインテリ女、逞しく野性的な女、肥えた女、痩せた女、尼僧ハーレムは百花繚乱だ。

 入門を求めてきた女たちを物色し、気の向くまま、

「入られよ」

と門内に引き入れる。そして、尼を製造し、あらゆる面で忠誠を尽くさせる。



       (三)


 世は乱れきっている。

 救世主も匙を投げる世紀末的世相だ。

 戦火にて家を失う者、飢えて死ぬ者、あちこちに死体が転がり、それを弔う者もなく、鳥獣が喰らうに任せている。それらの腐臭がたちこめる中、野武士による掠奪、強姦、虐殺行為などは日常茶飯の出来事だ。凄惨な地獄絵図が洛中洛外を覆い尽くしている。

 支配者層である貴族たちですら、下位の者は日々の生活(たつき)もままならず、伝手を訪ねて都落ちする者も出はじめている。

 いつの世も、こうした嵐に翻弄されるのは弱者だ。

 いくら祈ってみても、拝んでみても、神仏は一粒の米も恵んでは下さらぬ。

 それよりは「地上の楽園」に逃げ込んだ方がよい。

 天福禅苑に入れば、毎日の食事に事欠くことはない。美男の御主人様に抱かれるのも悪くない。

 何より、どんな悪党も、どんな武装勢力も、禅苑の土塀を越えて来ることはない。

 天子様公認の寺――勅願寺である天福禅苑に土足で踏み込むことは、たとえ凶悪な野武士野盗でも躊躇る。

 それに元内大臣の康悦の権力(ちから)は、官を退いて尚、京都政界に隠然としてあり、寺や彼らの身を護るに十分だった。

 その上、前述したが、物理的にも、城塞の如き堅固な造りになっている。

 つまりは天福禅苑は、現代で言う核シェルターの如きものだ。

 女子たちは群れをなして、天福禅苑に押し寄せた。懸命に門扉を叩き、

「どうか、御開門下され!」

「康悦様ああぁぁ!」

「どうか、お助け下さいませえ!」

「何卒、お慈悲を! お情けを!」

 潜戸から、康悦の眼がのぞく。

「ここは畏くも勅願寺である。静かにさっしゃい」

と女子の群れを黙らせ、一人、一人、と吟味する。

 そうして、一輪の花に目をとめる。年の頃なら十六七、ほっそりとした浅黒い肌の目立たぬ少女である。

 この地味な娘に康悦の食指は動く。

「そこな娘」

と声をかけられ、

「は、はい!」

 少女はあわてて返事をする。

「名は何と申す?」

「八重、にございます」

「尼になる覚悟はあるか?」

「ございます!」

「髪を落とすことになるが、否やはあるか?」

「ございませぬ!」

「御仏を信ずるか?」

「はい! 信じまする!」

「御仏を信ずるは、この禅苑の主たるこの康悦を信ずることじゃ。我が言葉に従うか?」

「従いまする! 一度はあきらめかけた命、康悦様の御心次第にお使い下さいませ!」

 身なりこそ悪いが、ただの百姓娘ではなさそうだ。問答しながらも、康悦は好色の鼻をひくつかせる。

「では参れ。共に御仏の道を歩もうぞ」

と潜戸を開け、八重を寺内に引き入れる。閉め出された他の女子たちは、泣き叫び、

「康悦様アァ! どうぞ私めも!」

「私めもお入れ下され! 尼になりまする! 髪も剃りまする!」

と取りすがるが、康悦とて救民のために千金を投じて天福禅苑を建立したわけではない。情け容赦なく、

「ええい、その方らは入れぬ! 疾(と)うあきらめて、どことなり去れ! 去れ!」

と差し伸べられる手を振り払い、足蹴にし、門扉はふたたび固く閉ざされた。

「八重よ、」

 道悦はうってかわって優しげな声色になり、

「まずはゆるりといたせ。得度はそれからじゃ」

と「弟子」に命じて、八重に湯あみをさせ、食事を与えた。食事も上等ならば、夜具も上等の物だった。こんな暮らしをおぼえてしまったら、もはや寺の門外に一歩たりとも出たくはなくなるだろう。



 八重が髪をおろしたのは、その翌日だった。

 剃刀は康悦が直々に執る。この行為もまた康悦の無上の愉しみだった。

 白衣姿の八重は畳の上、正座している。凛としたその佇まいにも、やはり百姓娘らしからぬ気品が漂う。

 得度の為、室にはすでに香が焚き染められていた。

 侍僧をつとめる尼が二人、八重の両脇にかしずいている。尼たちは出自も年齢も問わず、両脇に居並び、生成りの読経で、八重の出家を賀している。

 康悦は剃刀を握った。この剃刀で今までどれだけの女たちを尼にしてきただろう。

 ふさふさと生い茂った髪――陽にやけ、やや茶色がかっている――に剃刀をあてる。

 ジャッ、と剃刀が入った。ジャッジャッジャ――束ねられた髪が根元から断たれる。

 婆娑、と切り払われた髪は、侍僧の尼が三宝に載せ、運び去った。こうして収奪した髪は、蔵の中で保存される。興が向いたとき、康悦はその蔵に終日入り浸り、主を失った髪たちを見、嗅ぎ、撫して、その歪んだ欲求を満たす。

 八重の髪もこうしたコレクションの仲間入りを、本日果たした。

 髪が清水で湿され、康悦はそれを、ゆったりと剃刀をあて、収穫する。剃髪の腕も、経験を積んでだいぶ上がっている。剃刀を上下、左右と滑らせ、八重の頭を剥きあげていく。

 尼が白布をひろげ、落ちゆく髪を受け止める。水気を含んだ髪が、塊となって、白布に散る。

 八重の頭は徐々に青ざめていく。

 有髪の部分は溶けるように消えていく。

 すっかり青坊主に剃りあげてしまうと、八重は康悦が見抜いた通り、清純で愛らしい尼となった。

 剃髪を終えた八重に、墨染めの法衣を授け、それを着させた。初々しい尼僧ぶりに、康悦は目を細める。

「可愛らしい尼ができたぞ」

 法体になった自分の姿を鏡で見て、八重も年頃の娘、ハッとなったが、それも一瞬のことで、すぐに平静さを取り戻した。


 康悦はすぐさま八重に、夜伽を命じた。康悦の言葉は御仏の言葉、八重は命に従った。康悦に身を任せた。康悦は尼になったばかりの女子とまぐわった。これも見込んだ通り、八重は細い身体ながら、しなやかで、康悦の執拗な愛撫によく耐えた。

 二つの坊主頭は汗ばみ、康悦は八重の肉体を、寝る間も惜しんで貪った。

 幾夜目かの同衾のとき、寝物語に八重は、彼女の身の上を問われるまま話した。

「先祖は吉野方の武者でございました」

と八重は打ち明けた。南北朝の争乱の際、吉野方(南朝)について戦ったが、武運拙く敗れ、家は没落し、百姓となってそのまま現在に至ったらしい。

「身内の者たちも野盗に殺されてしまって・・・私だけが生き永らえて――」

 娘一人でこの乱世を生き抜いていくのは到底不可能、死のう、と思っていたら、天福禅苑の噂を聞いて、藁にもすがる思いで、歩いて歩いて、

「ここの門前に辿り着き、康悦様の御目にとまったのでございます」

「さぞ辛かったであろう」

 康悦は同情してみせた。

「ここならば安全じゃ。乱世も騒擾も飢饉も土塀の向こうの話、食にも困らぬ。野盗も来ぬ。ただ我の言うことを聞いておればよい」

「どうか、お見捨てにならないで下さいませ」

 八重はしがみつくように、康悦に抱きついた。もし、この男の寵を失えば、この天福禅苑から放逐されるかも知れない。そうなれば、極楽から地獄へと逆戻りだ。

「ならば我をもっと悦ばせよ」

と禅苑の主は尼に覆いかぶさった。



       (四)


 この「地上の楽園」の門を叩く者の中には、変わり種もいる。

 例えば、この二人がそうだ。

「お頼み申しまする」

と夜半、人目を忍んで、禅苑を訪ねてきた。

 寝巻姿のまま、康悦が潜戸からのぞき込むと、若侍が二人立っている。

 ――なんじゃ、男子(おのこ)か。話にならぬ。

 康悦はガッカリして、

「当山はこの康悦以外は男子禁制なり。疾う帰られよ」

と門前払いしようとしたが、月明りの中、よくよく見れば、侍姿をした美少女たちだった。

 これには康悦も好奇心を刺激され、門を開いた。

 寺内に招じ入れ、男装の理由を訊けば、

「父の仇討の為でございます」

という。

 二人は姉妹だった。姉は梅子、妹は露子といった。

 所領争いで父が奸計によって殺され、彼女らも武士の娘、仇を討たん、と男姿に身を変え、洛中に潜伏している仇を求め、都へと向かっているとのことだった。

 その途上、天福禅苑の噂を耳にして、

「仇の所在がはっきりとするまで、どうか、五日、いえ、三日ほどこのお寺に置いては頂けますでしょうか。下働きでも何でもいたしまする」

と手をつき、頭を下げる姉妹に、

「この大たわけどもが!」

 康悦は大喝した。麦湯を運んできた八重――今ではすっかり尼僧ぶりも板についてきている――がその大きな声に驚いていた。

 ましてや怒声を浴びせられた梅子と露子は縮み上がっている。

 康悦は火を吐かんばかりの形相で、

「人殺しの為にこの寺を利用しようとは、何たる不埒な者どもか!」

 怒鳴り散らした。姉妹は青ざめている。

「憎しみは憎しみを呼ぶ。何よりそなたら自身が身をもって知っておるはずではないか。仮に仇討が成就したとしても、次は仇の係累がそなたらに憎しみの刃を振るうことになるであろうよ。因果は巡る小車、くだらぬ仇討などよせよせ。それより、ここでこうして巡り合うたのも仏縁というもの、二人とも尼となり、父御(ててご)の菩提を弔うてやれ。その方があの世の父御もどれほど喜ぶか知れぬ」

と声音を和らげ、康悦は説得にかかる。

「否やと言うなら、そなたらをひっ捕らえ、世を騒がそうとする不穏な者どもとして、都の警吏に引き渡す。どうじゃ? 尼になるか?」

と恫喝することも忘れない。

「うぅ・・・」

「姉上・・・」

 姉妹は震えながら、初志を捨て、尼になることに同意した。存外意気地がなかった。

 康悦は二人から刀を取り上げ、直ちに彼女らの髪を剃った。

 仏前に並んで座らされる梅子と露子。

 男髷の元結をほどかれ、バッとほとばしる髪を、ザクザクと切り獲り、切り余した髪を、ゾリゾリ、ゾリゾリ、ゾリゾリ、と剃り落とした。

 男子の装束を剥ぎ取るように脱がせ、尼の衣を着させた。

 ホカホカと湯気のたつような新発意(しんぼち)が二人、乱世の中、産声をあげた。

 そして、康悦はその二人の尼と痴戯に耽った。康悦は心ゆくまで、姉妹との乱交を愉しんだ。梅子と露子が山門を叩いてから、わずか一刻(二時間)の間の出来事だった。



       (五)


 近頃は京の都は、ますます荒廃の度を深めている。死人や流民が都大路を埋め尽くしている。

 しかし、天福禅苑はまるで別世界だった。

 尼も増えた。

 男は依然、康悦ただ一人である。

 男手を必要とする仕事でも、屈強な尼を選んでやらせた。尼たちも従順に、主の命に服した。ハーレム環境は揺るがず。

 康悦は美食と邪淫に、日々明け暮らしていた。

 そんな折、れいによって、寺の門をホトホトと叩く者がいる。二人連れの女人だ。

 一人はかなり高位の身分の姫らしい。美々しき装束や傲然とした挙措でわかる。もう一人はその侍女のようだ。

「お頼み申しまする! お願いの儀がございまする。どうか御門をお開け下さいませ」

 主に代わって、侍女が開門を乞う。

 これも、れいによって、康悦が潜戸から眼だけをのぞかせ、二人の様子を凝視していた。

「ひぇっ」

と侍女が思わず後ずさった。よほど恐ろしい目つきをしていたのだろう。日頃の爛れた暮らしのせいで、女子たちを色めかせた涼やかな目元も、だいぶ荒み、濁り、それでも獲物を探す禽獣の如く、炯々と光っている。侍女が怯えたのも無理はない。

 その眼光が吸い込まれるように、姫君に向けられる。

 ――ホウ!

 都の水で磨きあげられた宝玉のような美貌、康悦は目を瞠った。

 ――これは欲しい! さぞ美しい尼になるだろうて。

 身も世もなく焦がれ、思った。

 しかし、表向きは威厳を保ち、

「御出家をお望みか?」

「是非に」

とやはり姫に代わって侍女が答えた。己と康悦との間に侍女を立てる姫の非礼に、康悦はいささかムッとしたが、とりあえずは、

「さァ、入らっしゃい」

と門を開いた。

 姫と侍女は門をくぐった。

 姫は隆子といい、侍女は駒子といった。

 都で巨大な政治事件が起きて、幕府が動き、何人もの公卿が次々お咎めを蒙ったという。

 隆子の父も位の高い公卿だったが、事変に巻き込まれ、追捕を受けたという。

 連座を恐れた隆子は、侍女の駒子にすすめられるまま、康悦の許へ駆け込んだとのことだった。天福禅苑の門内ならば、武家だろうと公卿だろうと手は出せない、そう見越しての電撃的行動だった。

 ふむふむ、と事情を聞き終えると、

「それで、仏門に帰依するおつもりなのかな?」

と改めて問うと、

「致し方ありませぬ」

と隆子が初めて口を開いた。「致し方ありませぬ」という言い草こそ気に食わなかったが、隆子の鈴虫の音を思わせるコロコロとした声は、康悦の耳に心地よく響いた。いよいよ隆子に惹かれた。

「尼になるか?」

とさらに質すと、

「・・・・・・」

 隆子は唇を噛んだ。押し黙る隆子に、

「姫様」

と駒子がその耳元で、因果を含める。

「このまま、門外に出ても、獄につながれるか、野武士どもの慰み物になるか、路上に窮死するか、のいずれかでございます。どうぞ、御得心下さいませ」

と説かれれば、隆子も苦い顔で頷くしかない。

 この隆子の渋面は、康悦には新鮮だった。これまで幾多の女性たちを尼に仕立ててきたが、尼になることに露骨な拒絶反応を示したのは、隆子が初めてだった。

 嫌々尼になる女人の髪を断つ。これは面白い。一興だ。嗜虐心を煽られ、康悦は我知らず笑みを浮かべた。そして、

「得度の支度をいたせ」

と命じた。尼たちも慣れきっていて、速やかに準備を整えた。

 康悦はまず駒子の髪を剃った。

 束ねた髪を元結のところから切った。ジャッジャッジャッ――康悦の「お宝」がまたひとつ増えた。

 駒子は臆病な表情(かお)で剃刀を受け容れた。

 康悦はすでに女人の髪と「会話」できる域にまで達している。

 髪は持ち主より雄弁だ。これまでの駒子の苦労を訴えかけてくる。

 ゾリッ、ゾリッ、ゾリ

 ジジジー、ジ、ジー、ジー

 他人の顔色をうかがい、気位の高い隆子に振り回され、貴族社会の片隅で、ひっそりと影のように生きてきた。そんな乙女の辛苦の歳月を痩せ細った髪は語り、語るそばから骸と化(な)って、駒子の周囲に落ちこぼれていく。

 康悦は剃刀を動かし、丁寧に剃りあげた。

 テカテカ光る青い球体が、眼前に出来た。

 駒子は黒衣をまとった。小心で幸薄そうな顔が世間に浮き出て、それが妙に坊主頭や黒衣と調和して、儚げな尼となった。康悦の今宵の「夜食」は決まった。



       (六)


 次は隆子の番である。

 しかし、駒子の変貌ぶりに、隆子は激しい嫌悪感と恐怖心を隠せずにいた。

「さあ、姫様」

と駒子にうながされても、顔を背け、立ち尽くし、ついには、

「ワラワは厭です!」

と叫ぶように言った。

「頭など丸めません!」

 天福禅苑開山以来、初めての剃髪忌避者が出現した。

 場の空気が凍りついた。

 列座の尼たちは皆、我が耳を疑い、あっけにとられている。

 そして、次に康悦の口から出た言葉は、また尼たちの耳を疑わせるものだった。

「ならば剃髪は免除しよう。たまには有髪の尼があっても良かろう」

 康悦は天福禅苑最大の鉄則を、あっさりと覆してしまった。が、

「但し――」

と語を接ぎ、

「禅寺に住まうに、長過ぎる髪は不釣り合い、ある程度は切らねば、当山としても体面が保てぬ」

 尼削ぎ(オカッパ)か、と隆子も一座の者も理解した。

 康悦ほどの権力者が折れて出たのだ、ここが落としどころだろう。隆子も強いては斥けられない。しおしおと――多少安堵の色を浮かべつつ、仏前に着座した。

 白装束の隆子が小さく座ると、白椿の蕾を連想させるものがあった。

 康悦は剃刀を執った。刃には今しがた剃髪した駒子の髪の脂が、トロリと付着しているのだが、それを拭いもせず、隆子の髪にあてた。不潔さに、隆子はちょっと顔をしかめた。

 ザクリ、と髪が鳴って、丈長き黒髪の左半分が、ズバツ、と奪われた。

 隆子は悲鳴をあげかけたが、堪えた。顔面蒼白になっている。

 これで終わりか、と思いきや、康悦は剃刀を置かず、今度は額にあてた。

 生え際から一気に引いた。

 ジジジジジジ

 頭皮を滑る剃刀の音に、皆が驚いた。尼削ぎではないのか?

 誰よりも一番動揺しているのは、隆子である。約束が違う!とその眼は強い悲しみと憤りをもって、康悦を謗るが、康悦はそんな隆子の激越な感情など受け流し、剃刀をさらに頭にあて、引いた。

 ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ

 バラリ、と髪が崩れ落ちる。髪を水で湿していないので(尼僧たちも尼削ぎとばかり思っていたので)、その痛みたるや、相当なものだろう。

 康悦は構わず剃刀を繰った。高慢な隆子に教育の施し甲斐をおぼえていた。

 ジジジジジジ、ジッジッ、ジジジー

 剃刀は頭皮と髪の間に割って入り、両者を分かち、毛髪を刃の外側に押しのける。

 バサリ、バサリ、バサッ

 本来ならば貴人の出家の場合、白布や三宝で落髪を受けとめて、それらが散るのを防ぐのであるが――この天福禅苑でも貴賤問わずそうするのだが――康悦はお構いなしだった。切り髪が、隆子の白装束や床にしたたり落ちた。

 頭の青白い地肌が剥き出しになった。

「さあ、出来たぞ。篤と御覧召されい」

 強引に鏡を押し付けられ、隆子が恐る恐る自分の頭を見たらば、

「こ、これは、な、なんと?!」

 左半面はきれいに剃髪されていたが、右半分は姫君の頃のまま、ふさふさと長く垂れている。

「こ、これは一体どういうことなのですかッ!」

 自らの珍妙極まりない髪型に取り乱し、康悦に食ってかかる隆子だが、康悦は涼しい顔で、

「そなたの望み通り、有髪にしてやったぞ」

 尼たちは袖を引き合い、クスクス笑っている。

 怒りと羞恥で隆子の顔は朱に染まる。

「かかる恥辱を受ける謂れはありませぬッ!」

 キリリと歯噛みする隆子の剃りあがった部分に指をあて、

「こちらは尼」

 有髪の部分を撫で、

「こちらは俗人」

と康悦は言い、

「フラフラとして覚悟の定まらぬそなたには、相応しい髪の形ではないか」

「おなぶりあそばしますのか!」

「厭なら、この禅苑を出て行くがよい。近頃はこの辺も人買いが横行しておるでな、捕らえられたが最後、室ノ津辺りで遊び女にされるが落ちじゃ。そもそもそなたのような政治犯の係累など匿うは、当山にとって、迷惑千万なのだからな」

 康悦の最後通牒に、隆子も口をつぐんだ。すっかり不貞腐れていた。そのさまに、尼の中には、床に突っ伏して笑い転げる者もいた。



       (七)


 康悦は尼になった駒子を寵愛した。隆子への当てつけだった。

 駒子は、器量は隆子よりも二段も三段も劣ったが、それでも都の女、肌艶もきめが細かく、風流も解し、教養もあったので、康悦にとって当座の退屈しのぎには、もってこいの女人だった。身体も熟れ、康悦の求めによく耐えた。夜毎、伽を重ねるにつれ、康悦の喜ぶ閨房での振る舞いも会得していった。

 しかし、康悦の本命はあくまでも隆子である。

 この隆子に康悦はことさらに辛く当たった。最下等の仕事を押し付けた。

 天福禅苑では、食料は銭で贖っていたが、ある程度の自給の必要を感ずる康悦の意向もあり、その敷地内には畑があった。

 農作業に慣れた百姓出の尼たちが主に、畑を耕し、野菜などを育てている。これを「日天作務(にってんさむ)」と禅苑では称していた。

 この「日天作務」を、康悦は隆子にやらせた。隆子は生まれて初めて鍬を握り、生まれて初めて野良仕事というものをした。

 お姫様育ちの隆子はたちまち音をあげたが、康悦は許さなかった。

「たとえ権門の家の者だろうと、ここでは通用せぬ。その方が如き新参尼は我が意のままに、ひたすら働け! 働いて働いて俗塵を払い落とせ! それが御仏の御意思に適う道ぞ」

 そう、うそぶいて、隆子の目の前、これ見よがしに駒子と巫山戯ちらしてみせる。

 半剃り頭を振り乱し、肥やし――尼たちの糞尿がしこたま入った肥桶を担ぎ、よろめきながら運ぶ隆子を眺めつつ、康悦は駒子と双六に打ち興じている。

「善哉善哉」

と康悦は哄笑する。

「そなたも随分と百姓仕事が身についてきたではないか」

 その尻馬に乗って、駒子も大仰に鼻を袖でおさえ、

「おおっ、臭い臭い。疾うあっちへお行き」

とかつての主人を嘲る。すっかり「康悦の女」になりきっている。

 姫君の尊厳も誇りもあったものではない。

 禅門の習いで、尼たちは四と九のつく日に剃髪する。康悦はお気に入りの尼を何人か選んで、浮き浮きと彼女らの頭に剃刀をあてがう。

 隆子も半分の剃髪を保持させられる。

「もう耐えられませぬ。いっそ、全て剃りこぼちて下さいませ」

と涙ながらに剃り手の尼に懇願するも、聞き届けられない。康悦の意向だ。

 この滑稽な半剃り頭のまま、隆子は三月もコキ使われた。そのくせ、食事は良く、何より安全なので、嗤われても、嘲られても、蔑まれても、今更門の外――乱世の巷へと脱け出ようという気にはなれなかった。

 閉ざされた空間の中、隆子は教育、いや、洗脳されていく。

 ついに、

「駒子ばかりではなく、私も、隆子もお床にお召し下さいませ。愛して下さいませ。ひたすらに主様の御言葉に従いますゆえに」

と涙を流しながら、康悦にしなだれかかるに及んで、康悦はニンマリと笑った。気は熟せり。よき頃合いだ。

 が、内心を押し隠し、渋々といった態で、隆子の剃髪を行った。隆子の頭に残された髪の毛を一本余さず剃り落とした。

 今度は優しく剃刀を動かした。

 ジジジー、ジッジッ、ジジジジジジー

 ジッジッ、ジッ、ジジジー、ジー、ジジッ

 つるりん、とした剃髪頭になった隆子の尼僧姿の艶やかさは、康悦の理性を奪いかねないほどだった。

 実際、まだ陽は高いというのに、康悦は我慢できず、隆子の僧衣の袖を引っ張って、寝所に連れ去ったのだった。

 閨にて、隆子は康悦の「恩寵」に悦び、未通女ながら懸命に伽をつとめた。

 ――これは思っていた以上の上玉ぞ!

 腰を動かしながら、女衒のように康悦は思った。

 康悦は隆子に耽溺した。昼も夜もなく、隆子を召し、房事にふけった。



       (八)


 このような破戒僧に天が長寿を許すはずがない。

 女難。

「よくも私を裏切ったな!」

と嫉妬に狂った駒子が小刀を振りかざし(以前、仇討姉妹から没収したものだった)、閨で寝息を立てていた康悦を、同衾する隆子もろとも切り刻むようにして殺害してしまったのだ。康悦、まだ四十の齢を数える前だった。

 主を失った寺は惨憺たる有り様に陥った。

 尼たちは餓鬼の如く金目の品を漁り、獲れるだけ獲って、四散してしまった。

 康悦の骸は埋葬さえされず、経を手向ける者とてなく、寺内に放置され、腐乱するに任された。

 かつて洛中洛外の女子たちに騒がれた美男にとって、それはそれは哀れな末路だった。

 無人の伽藍も朽ち果て、しばらくは野武士のたまり場になっていたが、やがて勃発した大乱の際、火をかけられ炎上した。

 栄耀栄華を誇った天福禅苑も、全て灰燼に帰した。

 新たな時代の馬蹄の轟きとともに、禅苑のことはあっさりと忘れ去られた。



 時代は下って、後陽成帝の頃というから、秀吉の絶頂期である。

 宮中での雑談の折、帝がふと、

「室町の御代に都の郊外に、天福禅苑なる寺院があったと聞くが――」

 詳しく識(し)る者は在るか?と仰せになられ、居並ぶ公卿たちは、はて、さて、と首をひねり、その寺の名すら識らぬ者がほとんどで、誰も御下問に答えることができずにいたところ、座の中の老公卿が、

「法眼の益哲ならば、或いは識っているやも知れませぬ」

と宮中に出入りしている薬師の名を挙げて、申し上げたので、帝はすぐさま、益哲をお召しになられた。

 果たして、益哲は識っていた。

「祖父から聞かされた言い伝えによりますと――」

と問われるまま、天福禅苑のことを語った。

「苑主の康悦は七尺を越える大入道で、あばた面の容姿すこぶる醜怪な者であった由にございます。この怪僧が不思議の術を用い、近隣の百姓娘を捕らえ、あまつさえ都の姫君をかどわかし、禅苑に閉じ込め、日夜これを犯し、女子が児を孕めば、水にせよ、と手下に命じて、産児を殺させ、それを鍋で煮て喰い、女子に飽けばその女子を害し、屍から血をすすった、とのことでございます。その暴虐ぶりに痛憤せられた或る高僧が法力をもって、命懸けで康悦を調伏し、以後、上は主上から下は民草まで安んじて暮らした、と我が家では言い伝えられておりまする」

 室町きっての色男も、単なる怪談の化け物に堕して、後世に記憶されてしまっていた。

 「怪談」を聞き終えた帝は、

「さても、世にも奇妙な物語なる哉」

とため息を吐かれ、

『叡感シキリ也』

とその場に居合わせた若公卿は、書き残している。


(了)







    あとがき

 今年最初の時代劇です(^^)
 小学生時代のちょっとした妄想や、川口松太郎の「一休さんの門」などから着想を得ました。ずっと書きたかったネタだったので、今回完成することができて、とても嬉しいです♪♪ ちょっと詰め込みすぎの感もありますが、思ったよりは長くならずに済んで、ホッとしております(*^^*) 時代劇は場合によっては、現代物より難航するパターンも多々あるのですが、今回スムーズに書けて、これまたホッとしています♪
 奇しくも、これを書いているとき、オウム事件の主犯の人たちが死刑執行されたとのニュースがあり、「宗教」が閉ざされた空間の中で、「信者」たちをマインドコントロールして、「教祖」に隷属させる、という内容が結構かぶってるかなあ、とも思いました。というか、そのニュースにインスパイアされた部分もあるかな。
 そして、今回、梅朗氏の助言で改行多め、改行ごとに一行スペースを空けてみました。どうだったでしょうか? 読みやすかったでしょうか?
 最後までお付き合い頂き、どうもありがとうございました〜m(_ _)m




作品集に戻る


inserted by FC2 system