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腐女子、尼僧堂に行く


 鵜飼友奈(うがい・ともな)20才。けして美女ではない。ぽっちゃり系で足も短い。いわゆる世に数多存在する「喪女」の一人だった。
 彼女は寺に生まれた自分の運命を呪っていた。寺や僧侶の家系を憎悪していた。
 ことあるごとに、
「何故、アタシを産んだ!」
と両親を罵った。
 寺の娘というだけで、周囲から特別視される。
 お寺の子なんだから成績優秀&品行方正でいなくちゃいけない、と懸命に自分を取り繕ってきた。クラスメイトからは「お肉食べちゃいけないの?」と色々訊かれたり、「お寺じゃクリスマス祝わないんでしょ」とクリスマスパーティーからハブられたり、「人の死でお金儲けしている」と悪口を言われることさえあった。
 そのせいばかりではないけれど、友奈は段々とクラスメイトたちと距離を置くようになった。孤立しはじめた。それで良かった。皆嫌いだった。
 辛いことはもっとあった。
 寺の跡取りの問題である。
 友奈は一人娘だ。
 父はよく、
「友奈にはゆくゆくは立派な婿さんを貰って、夫婦で寺の跡を取って、それで跡継ぎの男の子を産んで欲しいものだな」
と口にした。
 その言葉を聞くたび、
 ――なんでアタシの将来を、アタシ以外の人に決められなくちゃなんないの!
と友奈は激しい反発をおぼえた。
 ――大体――
と朝な夕な、鏡で、自分の可愛くない顔を見ながら思う。
 ――お坊さんになってまで、こんなアタシみたいなブスの婿になってくれる酔狂な男なんて、この世界にいるわけないじゃん。
 のっぺりしているし、目、一重だし、ソバカスだらけだし、左の頬には大きい黒子があるし――その黒子の周りには、衛星のように細かな黒子が散っていて、子供時代、「ぶどうパン」などという嫌なあだ名を奉られたりした――胸は一応あるけど、寸胴だし。ルックスもスタイルも良くない。性格も、暗くて人嫌いでひねくれていて、そんな自分が大嫌いで、もう最悪だ。
 実際、学校等で彼女に接近してこようとする男子など皆無だ。彼女の方も、男性に対して臆病になる。それが高じてほとんど男性恐怖症に陥り、男性を避けるようになっていた。
 こういう女子が、えてして二次元の世界に走る。
 アニメを観る。漫画を読む。ボーイズラブに手を出す。そういったハードな同人誌を購入する。自身の恋愛願望を、アニメや漫画の男キャラ同士の恋に投影する。そっちの方面では、友奈は獰猛な肉食獣だった。
 ゲームをする。ゲームの中の美青年たちとの疑似恋愛に、友奈は夢中になる。彼らは友奈の容姿を云々しない。寺の娘という境遇もそっとしておいてくれる。彼女の生き方を否定しない。その上、画面越しに彼女を愛してくれる。優しい言葉をかけてくれる。甘い言葉を囁いてくれる。最高だ。
 友奈はどんどん二次元世界に没入していく。
 反比例して、リアルの人間関係が煩わしくなってきた。男を避け、女子高に進学していたが、勉強が、教師が、学友が、学校生活が、嫌で嫌で仕方なくて、とうとう二年生の二学期、自主退学してしまった。祖父母や両親は猛反対したが、大学入試資格検定(大検)を受けて、大学には進むつもりだとか、あーだこーだ言い訳して、強引に押し切った。
 無論、大検の勉強などせず、部屋に籠って、アニメ三昧、ゲーム三昧の日々を送った。ネットの掲示板にて、ボーイズラブの話題で、顔も知らない「友人」たちと盛りあがったりもした。
 部屋でポテチを齧ったり、コーラをガブ飲みして、身体は肥えた。買い出しは真夜中、近所のコンビニエンスストアで済ませることが多かった。生活はすっかり昼夜逆転していた。
 何日も入浴しないこともあった。
 そのため、身体を覆う腰までの黒髪は脂がジットリ滲み、フケも溜まり、すこぶる不潔な有様になっていった。
 今更ながら、本稿は、このダメ寺娘がこの臭い長髪に、容赦なくバリカンを入れられるに至った顛末を記すものである。

 両親は娘の人生を憂慮した。折に触れ、訓戒を与えた。が、友奈は聞く耳を持たず、ただれた生活を続けた。そんな友奈に、ネット仲間と二次元キャラだけは優しかった。
 友奈だって危機感がないわけではない。
 心のどこかで、このモラトリアムな暮らしが有限であることは薄々わかってはいる。時折、むしり取った「自由」が重ったるく感じることもある。しかし、そういった現実から逃避するように、友奈は彼女の趣味にひたすら突っ走った。
 両親はますます心配する。
 その上、住職である祖父や祖母から、お前たちの育て方が悪かったから、友奈はあんなふうになってしまったんだ、寺の行く末はどうなる、と責めたてられる。
 言い争う声をアニソンのボリュームをあげ、シャットアウトする友奈である。
 が、ある日、両親に呼ばれて、父親に出し抜けに言われた。
「友奈、お前、尼僧堂に行く気はないか」
 思いがけぬ言葉に、友奈はとっさに自分の髪の毛に手をあてた。今までは婿取りの話だったのが、一家は「友奈の出家」へと大きく舵を切ったらしい。
「いずれは婿を取ればいいが、後々までのことを考えたら、お前も尼僧の資格ぐらいは持っていた方がいい」
 友奈は目まいをおぼえた。
 尼僧堂⇒クリクリの丸坊主、快適な文明生活との別れ、修行という名の軍隊的シゴき、一切の自由なき体育会的な集団生活・・・etc
 友奈は怖気を震わせる。無理だ。自分の人生を勝手に決められることへの憤りもあった。
「誰が尼僧堂になんか行くもんか! ザケンナ!」
と怒り心頭、父の説得を突っぱね、さんざ罵詈雑言を投げつけ、泣いて泣いて、
「なんでアタシを産んだ!」
と喚き散らした。父は黙った。母はハラハラと落涙していた。友奈は憤然と親の前から立ち去った。
 ――なんで寺になんか生まれたんだろう。
と呪わしくなる。だったら、寺を出て自立すればいいのだが、友奈にそんな気概も逞しさもなかった。ただ漫然と、以後も寺のあがりで、腐女子生活を続けた。
 最近はさらにステージを上げ(?)、三次元――声優に嵌っている。
 特に勇魚(いさな)という若手の男性声優に熱をあげている。彼の出演しているアニメ作品は全部観た。CDも買った。ラジオ番組もチェックしている。ハンサムで面白い。実力もある。友奈にとって理想的な殿方だった。
 友奈は勇魚とのデートを、キスを、それ以上のことを夢想する。
 ベッドタウンの寺の一角で、夢想は肥大し、妄想となり、熟成されていった。歪な臭気を伴いつつ。

「なんか、お前、最近“尼さんになれ”的なこと、親御さんたちから言われてね?」
 トイレから出たら、下宿人の宮下悟(みやした・さとる)が、ひょっこり立っていて、訊ねてきた。友奈より一つ年上。遠縁のこの寺に下宿して、大学に通っている。普段存在感を消している彼。だから、人嫌いの友奈の神経を逆撫でせずに、ひとつ屋根の下、平和共存できている。しかし、時たま、こうしてひょっこりと現れる。
 殿方に全く免疫のない友奈も、どういうわけか彼に対しては、異性の壁を感じず、比較的自然体で接せられる。訊ねられても、他の男性のときのように、あ、あ、あっ、うっ、うう・・・、とならず、
「あの鬼畜どもめ」
と率直に両親への憤懣を漏らすことができる。
「娘を尼にさせようとする親が何処にいる?」
「いや、今結構多いらしいぞ、娘に出家させて寺を継がせるパターンは」
 仏教界も男女共同参画の御時世だな、とひとりごちる悟に、
「ナニ? うちの親に説得でも頼まれたの?」
 友奈は眉間にしわを寄せる。
「いや、そういうわけじゃない」
 そこまでお前の親御さんに期待されちゃいないよ、と悟は苦笑して、
「ただ、なんとな〜く、お前にとっちゃ、あながち悪い話じゃねーと俺は思うがね」
「余計なお世話だよ」
 ピシャリと言われ、
「失礼しました」
と踵を返す悟。
「あれ? トイレ入るんじゃなかったの?」
「友奈のした直後じゃな」
「ちょ、ちょっと、何よ、それ! 失礼ね! したのは大じゃなくて小だよ!」
とムキになる友奈に、
「そうそう」
と悟は思い出したように振り向き、持っていた紙袋を、
「これ、参考までに」
と友奈に渡し、飄然と去っていった。
 紙袋の中身を引っ張り出す。『尼僧堂の春夏秋冬』というフォトブックだった。

 読むもんか、読むもんか、とその本を部屋の隅に遠ざけ、ネットをやったり、漫画を読んだり、勇魚の新作CDを聞き返したり、勇魚のポスターに頬ずりしたりしていたが、やはり気になる。
 怖いもの見たさで、恐る恐るフォトブックを開く。
 ――うはあ!
 やっぱり怖い内容だった。
 いきなり、尼さんたちがカメラに背を向け、一列になって座禅している写真が、目に飛び込んできた。
 ゾロリと居流れる坊主頭が不気味すぎる。「個」というものが、まるで感じられない。彼女たちの背中が、峻烈な修行生活を雄弁に、見る者に伝えてくる。
 托鉢。作務。薬石。何日もぶっ続けで座禅をする接心。「全てが命がけ」とライターは熱く筆を振るっている。
 尼僧堂では四と九のつく日に、頭を剃るのだそうな。カメラはそのショットも、抜かりなく撮影していた。
 スキンヘッドの尼たちが二人一組になって、袖まくりして、互いの頭を剃り合っている。剃髪中の青と黒のマダラ頭の尼僧たち、笑顔をこぼしている者もいるが、俗人――友奈の目には異様な光景にしか映らない。
 ――絶対こんな仲間には入らないからね!
 友奈は長い髪を掻きむしる。バッ、バッ、とフケが飛ぶ。不衛生でも今の黒髪ロングの方が遥かにマシだ。
 しかし、心の奥底に妖しい炎(ほむら)がチョロチョロと起こりつつあるのを、友奈は我がことながら気づかずにいる。

 ――どうしたわけだろう。
 あのフォトブックを開いてから、友奈は奇怪な妄想に耽るようになった。
 尼僧堂の妄想だ。
 悪鬼羅刹を地でいくようなおっかない先輩尼僧たちに、怒鳴られ、ど突かれ、教育される、そんな妄想。
 不調法をしでかし、「何度言えばわかるの!」とビンタが飛んでくる。バシッ! 「すみません!」と下げる自分の頭はきれいに剃髪されている。「ぶくぶく肥りやがって、これからはそんな甘えた生活は許さないからな!」とシゴかれまくる。坊主頭をピクピク震わせ、涙と涎を流しながら、シゴきに耐える自分。なのに、「なんだ、そのソバカスは!」とか、「黒子が大きすぎる!」と無茶な理由でまた殴られる。過酷な暮らしの中、兵卒のように鍛え上げられ、犬のように躾けられていく自分。
 最初は抵抗した。湧き上がる妄想を、懸命に振り払おうとした。が、Mっ気のある友奈はその妄想の甘美さに屈し、夜な夜な尼僧堂ネタで一人Hするようになっていた。
 妄想の中、小坊主の友奈は修行尼たちに罵られ、嘲られ、嗤われ、小突かれ、打たれ、虐められ、辱しめられ、調教される。そのさまを思い浮かべ、友奈は昂る。実際に入門するのは、絶対絶対絶対、死んでもイヤだけれど。

 そうした最中(さなか)「事件」は起きた。いや、友奈が起こした、といった方が正確だろう。
 人気声優勇魚、結婚。
とYaheeニュースは大きく報じた。お相手は一般人女性(OL)だという。長い交際を実らせてのゴールインだそうだが、ファンにとっては寝耳に水だ。友奈とて同じだった。
「あのイケメン声優、結婚したらしいな」
と悟がひょっこりと部屋に顔を出したが、友奈は無視した。
「あんまり思い詰めるなよ。あっちも生身の人間なんだから、そこら辺、割り切れよ」
と言い残して、悟はドアを閉めた。
 だが、悟の忠告は友奈の心には届かなかった。
 裏切られた、という気持ちだった。可愛さ余って憎さ百倍。友奈は荒れ狂った。
 カーテンを閉め切った部屋の中、長い髪をおどろに振り乱し、ポスターを引き裂いた。CDやDVDを叩き割った。勇魚関連のグッズもゴミ箱に投げ入れた。まるで夜叉だった。
 そこまでしても、まだ気持ちは収まらなかった。
 パソコン内に保存してあった勇魚の画像やデータも全て捨てた。しかし、かえって憎しみは歯止めを失い、暴走している。そのまま、ネットに接続する。
 国内最大の掲示板22ちゃんねるにジャンプする。
 勇魚のスレッドへ。
 コメントを書く。

『前略 勇魚殿
この場を借りて貴兄への道義的な怒りを表明したします。公式サイトでは検閲される可能性がありますので。
貴兄の犯した罪は甚大です。ファンに対する重大な裏切り行為です。
私は絶対許せません。絶対に許さない!!
命をもって償って下さい。これからナイフを買いに行きます。よく切れるやつを。
それで貴方を血の海に沈めます。花嫁も同罪なので、貴方と一緒に殺します。
地獄で二人仲良く暮らして下さい。 敬具』

 投稿をクリックする。
 以上の書き込みの全責任は投稿者が負うことになるが、それに同意して投稿するか、それとも、投稿しないか、と二択のボタンが出てくる。
 怒りに任せて、
 同意して投稿
ボタンをクリックする。

 投稿を完了しました。

との表示が出る。
 グッタリと全身の力が脱けた。友奈は放心状態のまま、画面を見ていた。
 友奈の宅を警察が訪れたのは、その二日後のことだった。

 友奈は警察に連行された。脅迫罪である。
 そのまま拘留され、刑事たちから取り調べを受けた。ドラマみたいだ、と思った。が、ドラマではない。
 内弁慶の友奈は、すっかり怯え、カッとなって気づいたらついフラフラとやってしまいました、今は反省しています、と大泣きに泣いて、平謝りに謝った。
 幸い、初犯だし、反省しているし、なるべくことを大きくしたくない勇魚サイドの意向などもあって、最終的に起訴は免れた。前科者にならずに済んだ。ニュースでも「家事手伝いの女(20才)」と実名は伏せられて、報道された。ただ、あれこれ調書を取られた。色々な書類に署名捺印もさせられた。
 友奈は釈放された。両親が迎えに来た。
 帰路のタクシーの中、
「友奈」
と父は静かな口調で言った。
「やっぱりお前は尼僧堂に行け」
「はい!」
 自分でも驚くような素直で大きな返事が口から出た。
 内心、
 ――これで良かったんだ。
 落ち着くべきところに落ち着いた、と思えた。一度きりの人生、死ぬ気で頑張ってみよう。そう決意した瞬間、憑き物が落ちたように清々しい気分になった。

 友奈は尼僧堂へ掛塔願を書いて送る。
 上山は三月末と決まった。
 尼僧堂から届いた冊子を、寝転んでビスケットを齧りながら読む。こうしたお気楽な生活とも今日明日でオサラバだ。
『掛塔する者は必ず剃髪の事』
と冊子は嗜虐的に謳っている。
 だから、これから床屋に行く。近所の床屋に予約を入れた。平日の午前なので、予約は容易かった。
 AM10:15。そろそろ行かねば。
 友奈はところどころ赤の刺繍の入ったモコモコの白いセーターを着、グレーのパンツルックで家を出た。作務衣で行こうかとも考えたが、かえって目立ってしまうだろう。
 徒歩で目的地へ向かう。

 床屋は貸し切り状態。店主の娘らしき若い女性がカットしてくれる。なかなかの美人だ。
 ――きっとモテるんだろうなあ。
 女性理髪師を見て、そんなことを思う。自分とのカースト差に引け目を感じた。
 あっさりオーダーは通り、ヲタロングは無造作に始末された。
「長いとバリカン入れにくいから、まず短く切っちゃうね」
と事務的に言われ――理髪師の口から出た「バリカン」という語に、かなり動揺した――否も応もなく、バッサ、バッサ、バッサ、バッサ、と鋏で髪を全て切り払われ、たちまち散切り頭にされる友奈。こんなに髪を短くしたのは、初めてだった。彼女の身体を覆っていた髪は、残らず落ち、床を這っている。邪気払いできたような爽快感を一瞬おぼえた。
 だが、女床屋がバリカンを持つと、友奈の表情はこわばる。ヴィイイーン、とバリカンが唸りはじめると、一層全身が硬直する。
 頭にバリカンがあてられる。一気にジョリバリ刈られた。
 まずモミアゲが跡形もなく消えた。
 そのままノンストップで、左の側頭部から前髪、頭頂にかけての髪が猛然と刈られる。
 長髪で隠していた左頬の黒子が露わに出でる。居たたまれない気持ちになる。
 黒子だけでなく、残念な顔があからさまに外界に浮き上がり、友奈としては、激しい失望を隠せない。剥き出しになっていく自分の顔の生々しさに、目を背けたくなる。
 ショックに耐えかねて、
「自分、お寺の娘なんスよ」
と訊かれもしないのに、友奈は自分語りを始めた。
「で、明後日から修行行くんですよ」
「そりゃ大変だね」
 女床屋は気のなさそうに、相づちをうつ。
「うち、男の子がいないんで、自分が寺を継ぐことになって・・・自分、一人娘なんで・・・」
「へえ」
 女床屋は適当に聞き流しつつ、バリカンを走らせる。バリカンは友奈の頭を驀進する。バリバリと髪を跳ね飛ばし、丸刈り頭を作っていく。不潔ったらしい長髪、そんな「マズ飯」でも、バリカンは嬉々として食んでいる。
 わずか四分で一番短い丸刈りにされた。
「ホントは尼さんになるつもりは、全然なかったんですけど――」
「うわ〜っ、すごいフケ!」
 話の腰を折られ、恥ずかしさもあり、友奈はうつむいた。友奈の青春時代の象徴は、躊躇なくゴミ箱に叩き込まれた。
 頭が洗われ、蒸され、クリームを塗られ、レザーでシェービングされていく。
 床屋はせっかちに手首を動かし、レザーを滑らせる。頭がヒリつく。
 すっかり乳白色のスキンヘッドにされ、鏡の中の自分を確かめるが、なんだか畸形の生き物でも見ているような気色の悪さがあった。あれこれと表情を作ってみた。が、無駄だった。
 友奈は凹みに凹んで、店を出た。
 背中を丸め――きっとこの猫背は、間もなく徹底的に矯正されるに違いない――傍から見たらぞっとするであろう翳った表情で帰路につく。国道沿いを歩く。
 まだ三月だというのに、日差しが強い。
 日光から、剃りたて頭をかばうように、掌を頭上にかざす。剥き出しの頭に触れる勇気はまだ湧かない。トボトボ歩く。
 あれ、と思う。向こうから走ってくる青のミゼット、つい今しがた、自分を追い抜いていった車ではないか。
 ――そんなわけないか・・・。
 床屋に行く途中、コンビニの喫煙ゾーンで駄弁っていたオバサン二人が、まだ駄弁っていて、友奈の姿に目をとめ、
「あれ? あの娘、丸坊主になってるよ! さっきはものすごく髪の毛長かったのに」
「そうだったかねえ」
「あのソバカス、間違いないよ。さっきの髪の長い女の子だよ!」
「女の子がツルツル坊主なんて、おかしいわよね。イカれてるわ」
「何か悪さでもしたのかねえ」
 友奈は消え入りたい思いで、顔を伏せ、彼女らの前を通り過ぎて行った。
 宗門的に、
 ――多分これから一生この頭かな・・・
と思えば、身体中の骨という骨がガラガラと崩落しそうなほど萎えまくる。

 足音を忍ばせて、家に戻る。
 と、自室の前、いきなり誰かに抱きすくめられ、唇を奪われた。
 ひょっこり現れた悟にだった。
「ちょっと、な、何すんのよ?!」
 泡を食って叫ぶ友奈に、
「あ〜、友奈〜、めっちゃ可愛くなったじゃん! たまらんわ〜!」
 悟はすっかりデレデレ。クリクリ〜、と友奈の頭を撫で回す。
 友奈は真っ赤。
「アンタ、マニアじゃないのっ?!」
「スッキリしっとりして最高だぜ。俺の中では広瀬すずを超えたね」
「やっぱマニアじゃん!」
「お前、自己評価低すぎなんだよ。大体、仮に俺がマニアだとして、それはそれで貴重だろ」
「でも、これは強制わいせつ罪でしょ〜。山〇メンバーみたいな」
「逮捕されたら、友奈の後輩になるわけか。警察署での過ごし方、レクチャーしてくれ」
「うふふふ」
「頼む、友奈サン、俺と付き合って下さい!」
と改めてちゃんと告られて、
「アタシのこと愛してる?」
「超絶に愛してる!」
「将来アタシと一緒にこのお寺継いでくれる?」
「勿論!」
「じゃあオッケー♪」
 自分でも驚くような明るく軽やかな返答が口から飛び出した。
「アタシが尼僧堂に行ってる間に浮気すんなよ」
と悟の胸に顔をうずめる。
「スキンヘッドで一重瞼で顔平べったくて、ソバカスと黒子があって、ずんぐりむっくりで、ひねくれた性格の腐女子が現れたら、心揺らぐかも」
「マニアめ」
 これもまた、落ち着くべきところに落ち着いた、という安堵感があった。
 ――それにしても――
と思う。頭丸めて20分後に初めての彼氏ができるとは(それも結構イケメン)。人生何が幸いするかわからない。まさに、万事塞翁が馬だ。

 午後、あわただしいスケジュールの合間を縫って、友奈はシャワーを浴びた。
 修行先での剃髪のため購入したジレッドで、生まれて初めて腋毛と恥毛を剃った。今までは、ボーボーでも一向に構わなかったたが、彼氏ができれば、手入れする必要がある。
 ボディーソープで泡立てて、
 ――えいっ、えいっ!
と気合いを入れて丹念に剃りあげ、モサァッと収穫された毛の塊は、脱衣所のゴミ箱に、ベチャッと突っ込んだ。
 そうして、夜、悟の部屋へ忍んで行き、二人は結ばれた。メチャメチャ痛かった。出血もした。でも、幸せだった。ゲームのキャラクターでは、この悦びは味わえない。
 悟は(自称)モテ男だけはある。頼もしく、優しく友奈のケアーをしてくれた。愛撫と言葉で、彼女の心身を安らげてくれた。とりわけ、坊主頭は、ちゅっ、ちゅっ、と唇で愛でられた。
 睦言を交わす。
「別に外見云々ばっかで惚れたわけじゃねーよ」
と悟は言う。
「“寺の娘”つう宿命を受け容れて、葛藤しながらも頭丸めたお前の潔さやいじらしさに、俺はほだされたんだよ。何事につけ、覚悟を決めたやつの顔は美しいもんだ、とお前を見て思った。惚れた。雷にうたれたように、瞬時に、付き合いてぇ!と思ったんだ」
「嬉しい」
 友奈も、もうメロメロだ。
「お前とのことは、俺がちゃんと住職さんや親御さんたちに話付けとくから」
と悟は力強く言ってくれる。ひょっこり出没していた彼だが、彼氏になった今はドッシリとした貫禄を感じる。
 修行を控え、不安がる友奈を、
「一皮も二皮も剥けてこい」
と励ましてくれた。
「俺も勉強して、来年から坊さんの修行に出るからさ」
とも言ってくれた。
「一緒にお寺、守ってこうぜ」
「嬉しいよォ、悟」
 澱んでいた汚水が、一気に流れ出したような心地がする。ドブ水は清冽な流れとなり、清流はほとばしり、森を、田畑を、人里を、人々の心を、たちどころに潤していく。
 一度、流れ出した水は、もう、ちょっとやそっとのことではせき止められないだろう。とすれば、これからは流れ続けるだけだ。しなやかに、力の限り。遥かな大海原を目指して。
 ――でも・・・
 友奈はちょっと不満だ。
 悟の部屋を埋める、お騒がせアイドル上泉美月のポスターや写真集やCDなど、それらが、友奈には気に食わない。
 ――全部捨てさせよう。
 それによって、悟の自分への忠誠を確かめる。悟の腕の中、その恋人は恐ろしいことを考えている。
 その代わり、自分ももうアニメのディスクや、雑誌、漫画、同人誌などは処分すると心に決めた。
 それら二人の「不用品」を合わせ、庭で、残らず火にくべる。一緒に燃やす。或る種、儀式のように。轟轟と燃え盛る炎を想像して、灰になっていく自己の歪な青春の形見たちを想像して、友奈は密かに胸をときめかせる。
 高揚しながら、
 ――なんだか「風と共に去りぬ」みたい。
と名作映画のクライマックスシーンが脳裏に浮かぶ友奈である。

          (了)



    あとがき

 今回、発表させて頂いた「実話(仮)」の女の子をヒロインのモデルに想像をふくらませ、今作ができました。
 しかし、あの娘も偶然すれ違っただけの見ず知らずのフェチ男に、剃髪小説のモデルにされ、それが全世界に向け発信されているとは、夢にも思わないだろうなぁ(ごめんなさい・汗)。
 06年の「ネットの仏様」以来、連綿と続く「非モテ系オタク女子(黒髪ロング)」の出家剃髪モノです。今後もこだわっていきたいテーマでございますm(_ _)m
 オシャレな美髪を刈られてガックリ、もいいんですが、むさいロン毛を落としてサッパリ!も捨てがたい、と個人的に思ってマス(*^^*) かなり大好きな一作です(*^^*)(*^^*)
 マニアックなストーリーに最後までお付き合い頂きありがとうございます♪♪



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