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青剃りパリジェンヌ


 シャルロットは生粋のパリっ子だ。
 父親は画商をしていた。裕福な家庭で、何不自由なく育った。
 ファッションや芸術に興味を傾ける、どこにでもいるパリ娘だった。詩を創り、クラシックからヒップホップまで音楽の趣味も幅広い。聴くだけでは飽き足らず、ギターやピアノ、テナーサックスなども演奏した。ボーイッシュな服装を好み、ヴェスパを飛ばしてシャンゼリゼ通りを駆け抜け、テニスに興じ、本を読んだ。特に、ケルアックなどのアメリカのビート文学がお気に入りだった(だから、彼女の書く詩はビートニク風のものが多かった)。
 幼い頃から自立心が強く、冒険心も旺盛で、とうとう名門ソルボンヌ大学を中退して、フランスを飛び出してしまった。
 行き先は――
 ニッポン!

 シャルロットも普通の少女、思春期になればさまざまな悩みが生じる。
 それらの問題について、彼女の家ぐるみの宗旨は、彼女の満足のいく答えを、何一つ与えてはくれなかった。
 彼女は彼女の宗旨にあき足りなさを感じた。失望した。
 反発をおぼえ、セックスや退廃的なパーティーに耽った。マリファナにまで手を出してみた。しかし、全ては虚しかった。

 大学に入学して二年目、シャルロットは彼女の人生を変える、或る運命的な出会いを果たした。
 ヴァカンスで海辺の町で過ごしていた、ある日、ビーチに行こうと歩いていたら、町角で、奇妙な風体をしたグループと遭遇した。
 自分と同じフランス人らしいが、東洋風の白と黒の着物をまとい、なんと男も女も頭を剃って、丸坊主にしていた。
 彼らの異装と晴れやかな表情が、シャルロットには何より印象的だった。
 一人の女の子が、微笑しながらパンフレットを渡してきた。自分と同い年くらいの娘だった。彼女も坊主頭だった。
 シャルロットはパンフレットを受け取った。
 ビーチでそれをひろげて、目を通した。
 パンフレットの表紙には、
 Zen
と大きく印刷されていて、ああ、と思った。シャルロットはインテリだから、この仏教の宗旨の存在は識(し)っていた。さっきの一団は仏教徒らしい。
 Zenについては、瞑想の一形態ぐらいに認識していなかった。実際、パンフレットを流し読みしても、座禅――瞑想の素晴らしさばかりが綴られていた。
 ふう、とシャルロットはため息をつく。おしゃべりで、絶えず頭の中を思考が駆けずり回っている彼女に、瞑想は縁遠いものだった。
 しかし、パンフレットの内容より、パンフレットを配っていた若者たちの明るさ、清々しさの方が、Zenの効用を雄弁に、シャルロットに伝えてくれていた。
 とにかく座れ!
とパンフレットは訴えかけている。物は試し、じゃあ、座ってみよう、と、そんな好奇心が湧いてきた。自らの宗旨に不満をおぼえ、閉塞感を抱え込んでいた時期だったので、これも好い機会かも知れない。
 パンフレットによれば、「セミナー」は週二回、近くのアパートの一室で行われているらしい。
 数日後の夜、シャルロットは「セミナー」に参加していた。
 「セミナー」は無料だったが、心づけに幾ばくかの小銭を寄付した。一般人の参加者は、シャルロットをふくめ、三人だけだった。
 剃髪のフランス人「僧尼」たちは、シャルロットの来訪を大いに歓待してくれた。
 初日から座禅をさせられた。
 最初に、もっと教義の解説や哲学的なディスカッションがあるかと身構えて乗り込んだシャルロットの予想は、見事に外れ、やや拍子抜け。
 座禅の仕方については、先達の人々が痒いところにも手が届くほど、親切に教えてくれた。背筋を伸ばせ。肩の力を抜け。目は半眼で、この辺りを見よ。などなどレクチャーされ、その通りに従った。初めての東洋文化との邂逅。
 虚心に座れ、と先達たちは言う。何も考えるな、と。大脳の働きを止め、小脳を活性化させることで、自己と大宇宙がつながり、心の充足を得るのだ、と教えてくれる「僧」もいた。
 いきなり虚心だの無心だのと言われても、シャルロットは困惑するばかりだ。一日で懲りた。
・・・はずなのに、以降もこの集いに参加し続けているシャルロットがいた。
 頭を空っぽにして、座禅を組むのが、こんなに心地好いとは思わなかった。今まで得たことのない安らぎを感じた。そうすると、ますます座禅に没入して、さらに心は安らぐ。家でもできるので、実践してみる。この好循環で、とうとうヴァカンス中、シャルロットは座禅三昧の日々を送ってしまった。

   パリに戻ってからも、Zenに関する書籍を買い漁り、読み耽った。Zenというものが、実は奥深い哲学的な側面を有していることを識った。だから、欧米では知識層ほどZenにハマる。
 シャルロットもその例外ではなかった。Zenの教えに、すっかり熱をあげてしまった。
 パリにもZenのサークルはたくさんある。あちこち通って、座らせてもらった。警策で、バシッと背中を叩かれるのも、気持ちよくなってきた。
 シャルロットが物質主義者から精神主義者へと、快楽主義者から禁欲主義者へと、変貌を遂げていくのに、さほど時間はかからなかった。良きにつけ悪しきにつけ、ノリの良い年頃なのだ。
 すっかりZenの虜となったシャルロットは、なかんずく写真や映像で見た日本の禅寺や禅僧の姿に強烈な憧れを抱いた。日本への憧れは日ごとに募っていった。
 そして、ついに決心した。大学をやめ、家族の反対を押し切り、日本へと旅立った。シャルロット、21歳の秋だった。

 シャルロットの日本での三年間は、あっという間に過ぎた。
 Kyotoに行き、Naraに行き、Kamakuraにも行った。わびさびの趣ある簡素なZenの寺々を飽かずに見て回った。片言の日本語で、Zenの僧侶に質問を投げかけたりした(コンニャク問答になることもしばしばだったが)。
 托鉢中の禅僧たちを憧憬の眼差しで眺め、女性可の寺院に参禅した。この一風変わったブロンドで碧眼の白人娘に、周りの人々も優しく接してくれた。シャルロットと日本は相思相愛だった。
 ひたすら只管打坐、そこに国境はなかった。
 世話してくれる人がいて、シャルロットは総本山の塔頭のひとつに間借りして、フランスからの観光客や参拝者の通訳兼ガイドを引き受けるようになった。明るく、聡明で、しっかり者の彼女は当意即妙なユーモアをまじえ、寺のこと、仏教のこと、などを説明し、来日した彼氏彼女らに親しまれ、感謝された。希望する者には座禅の仕方を懇切丁寧に教えた。すっかり総本山の名物娘になっていた。
 そうすると当然というべきか、出家したい、という気持ちが強くなってきた。
 もっとZenについて学びたい。Zenの真髄に近づきたい。そのためには、尼僧になるのが一番だ。

 が、日本に来て五年目、シャルロットにはさらに新しい出会いが待ち受けていた。
 恋、である。
 総本山に役僧として出仕していた日本の僧侶、東海林洞明(しょうじ・どうみょう)と知り合った。互いに惹かれるものを感じた。
 二人は、禅問答とゴダール映画の台詞を足して二で割ったような謎めいた囁きを交わし合い、笑い合い、臥所の中で、ただの男と女に化(な)った。洞明30才、シャルロット26才である。
 現代の日本では僧侶の妻帯は、ごく普通のことなので、その翌年、洞明がシャルロットを娶ったときも、本山は祝福ムードに満ち満ちていた。結婚するにあたり、シャルロットは日本国籍を取得した。そうして、洞明の実家の寺に二人で戻った。
 ただ、フランスにいるシャルロットの家族が、結婚式に参列することはなかった。
 洞明の両親の住職夫妻も檀家や地元の人々も、金髪碧眼の「お寺の若奥さん」に困惑していた。なにせ、かなりの田舎のこと、何をしても奇異な目で見られる。
「あんたはヒッピーかい?」
と本人に訊いてくる爺様もいた。
 中でも洞明の母親は、この青い眼の嫁にキツく当たった。シャルロットも母国を飛び出して単身日本に乗り込んでくるような気の強い女性、おとなしく叱られてはいない。この二人の間に立って、洞明は懸命に緩衝材たらんと、あれやこれやと苦労したものだ。
 それでも、夫婦で毎日座禅を組む。この日課のお陰で、シャルロットの心の平安は保たれている。田舎暮らしにも段々と慣れていった。
 実は洞明は、以前は寺っ子として仏門に入ったものの、世間によくいる、いわゆる「葬式坊主」に過ぎなかったが、Zenに傾倒する異国妻に触発され、僧としての勉強をやり直し、信仰を深めて、毎月二度、自坊で座禅会を開くまでになった。さまざまな仏教関係のイベントを企画しては、周囲の人々の助力を得て、催した。
 そんな洞明夫妻の活動を歓迎する声もあれば、余計なことを、と眉をひそめる者もいた。

 田舎での日々は過ぎていく。
 洞明、シャルロットは変わらず、仲睦まじく暮らしている。
 しかし、なかなか子宝には恵まれないでいた。
 そのことで、姑にネチネチと嫌味を言われ続けているシャルロットだが、むしろ、
「コレハChanceカモ知レマセン」
と或る夜、洞明に切り出した。
「チャンス? どんなチャンスだ?」
「ワタシ、尼ニナリマス」
「なんだって?!」
 洞明は目を剥いた。だが、妻の積年の望みに薄々は気づいていたので、さほどには驚かなかった。
 子供ができれば、出家は難しい。子供のいない今だからこそ、尼僧として本格的に出家できる、とシャルロットは夫を説得にかかる。
 が、洞明は首を縦に振ろうとしない。妻がツルツルの坊主頭になるのが、洞明には不満だ。彼は妻のブロンドのロングヘア―を愛していたから。
 しかし、シャルロットは夫の思いなど、察しもせず、
「頭剃リマス。坊主ニシマス。剃髪、平気デス」
と言い募る。洞明は苦い顔で、
「わざわざ出家せずとも、座禅はできる。形式などはどうでもいい。大切なのは心だ。求道の心があれば、一般人でも悟りは開ける」
と、妻を説き伏せようとした。が、相手が悪い。シャルロットは頑強に反駁し、洞明をコテンパンに論破してしまった。元々日頃から妻の尻に敷かれている洞明は、泣く泣く折れ、尼僧堂の修行期間が普通は三年のところを、
「せめて一年で切り上げてくれ」
と懇願するのが精一杯だった。その条件でシャルロット側も渋々譲歩し、パリジェンヌ尼僧の誕生は決まった。
 念願叶って、晴れて尼僧の道に進むことができ、シャルロットは浮き浮きと出家の準備を始めた。
 本山に妻の出家の許しを請う書面をしたためながら、洞明はため息を吐く。愛妻と一年の間会えなくなること、愛妻の頭から長く美しいブロンドヘアーが無くなること、がどうにも納得できないでいる。

 尼僧になるための剃髪式の日、親しい人々に囲まれ、シャルロットは仏門の入り口に立った。場所は自坊の本堂だった。
 友人たちは代わる代わるハサミを手にとって、白衣姿で合掌するシャルロットの髪を断っていった。
 一房、一房、長い金髪が、白木の三宝の上に折り重なっていく。
 洞明は父住職とともに、妻の門出を寿ぐ経文を唱えている。しかし、妻の髪が徐々に消えていくのが気になって、読経に集中できず、何度か軽くトチった。修行が足りん。シャルロットは内心苦笑する。
 力士の断髪式のように、十数名の参列者が、次、次、と髪にハサミを入れていく。切り方は個人個人で違う。切る人の個性が如実に出る。臆病にちょっとだけ切る人、大胆にザックリいく人、さらに大胆に根元から切る人、さまざまだ。
 切るときに、声をかけて下さる人もいる。
「おめでとう」
とか、
「頑張ってね」
とか、
「美容師になった気分だわ」
とか、祝福と励ましとユーモアに包まれ、式は進行していく。
 最初のうちは大仰に顔をしかめたり、破顔してみせたりと名アクトレスぶりを発揮していたシャルロットだが、いつしか柔和な微笑をたたえ、瞑目していた。
 ブロンドヘアーはザンバラに切り詰められた。パンクな髪型だ。
 ここで、本職の床屋(初老の男性)が登場し、バリカンで髪が刈られ始める。老若男女が個性的な髪型を競い合うファッション都市パリ育ちのシャルロットは、嬉々としてバリカンを受け容れた。
 ザアアアァァ、と髪は蹴散らされ、一本の道が切り開かれた。柔らかなブロンドの髪は、鉄製のバリカンの刃に、鎧袖一触、当るそばから刈り獲られ、また刈り獲られ、パサリ、パサリ、と首に巻かれたヘアーキャッチケープに落ち積もる。刈られた髪は、小春日和の陽光に、キラキラ光り輝いている。
 シャルロットは依然微笑したまま、自然体でバリカンに一切を委ねきっていた。こうしなくては、Zenの深淵には臨めない。
 バリカンのモーター音は、シャルロットの髪を全部刈ってしまうまで、鳴り止むことはなかった。床屋の腕に迷いは、一分たりともなかった。
 床屋は持てる技術の全てを投入し、ブロンドの髪を刈り込み、丸刈り頭を剃刀で思いきり剃りあげた。
 すっかり剃髪頭になると、導師である義父から法衣を与えられた。それを押し頂き、夫に手伝ってもらいながら、白衣の上に着た。
 御仏や人々に礼拝する。
 そして、導師は「沙光(しゃこう)」という法名を、義理の娘に授けた。
 こうして異国生まれの尼僧が、産声をあげた。
 ハンドミラーを渡され、初めて己が尼姿を見たシャルロットは、青い頭を撫でながら、鏡の中の自分を矯めつ眇めつして、
「一休サンミタイデス」
と日本の古いアニメーションを引き合いに出し、堂内は笑いに包まれた。

 そうして間もなく、沙光ことシャルロットは、尼僧堂に向けて旅立った。一年間の修行に入った。
 洞明は愛する妻を待っている。
 やがて、パリジェンヌ尼僧、東海林沙光が修行を終え、現世に戻ってきたら、日本仏教史に革命的な一頁が書き加えられることだろう。少なくとも、筆者はそう期待している。




(了)



    あとがき

 初の外国人尼僧です!
 ティーンエイジャーの時分に描いたイラストを元に書きました。
 今回はいつもと少し話作りのパターンを、意識的に変えてみたのですが、なんかイマイチ(´・ω・`) 「凡打」って感じです(好き嫌いは別として)。
 尺も微妙。。。短編には長いし、中編にしては短いし。。。
 昔、バカみたいにフランス映画を観まくっていた時期があったんですが(この稿のヒロイン名もフランスの映画女優・シャルロット・ゲンズブールから拝借しました)、フランス人の思考ってよくわからない。なので、ヒロインの人物造型も手探り状態でした。
 書き終えて、残尿感のようなものがあります。
 ホームランにつながる一打になれば、ありがたいのですが・・・。
 ともあれ、これに懲りず、また色々チャレンジしていきたいです(^^♪
 最後までお読みいただき、どうもありがとうございました〜!!




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