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「実話(仮)」


 これから語ることは、全てが実話、それもつい一週間前の出来事である。
 実話の類は普通、よしなしごとで発表させて頂いているのだが、今回の話は、よしなしごとに放り込んでおくには、個人的に勿体なく、かと言って、小説にするのも難しい。改変や虚構を加えて、話に下駄を履かせるのはかえってその(自分の中での)価値を減じてしまう結果となり、気が乗らない。だったら書くな、とのお声もありましょうが、王様の耳はロバの耳、なので、「素材」を「素材」のまま、読み手の方々に提供したい、と、そう考えている。
 自分が現実に、見たこと、聞いたこと、思ったこと、感じたこと、やったこと、を一篇の文章にまとめるのだから、「私小説」と言えば「私小説」なのだろうけれど、それほど大仰なものでもなく、高尚なものでもない。「実話小説」という今では廃れた呼称を引っ張り出してくるのもアリかも知れないが、しかし、この稿はエッセイと小説の境界線上にある「小品文」ということで、皆様には気楽に、莫迦だなぁ、と苦笑して読み流して頂けるとありがたい。そして、けして筆者の人格&行動を謗らないで頂ければ、尚ありがたい(笑)

 三月も終わろうとしているにも関わらず、すでに気候は晩春並みだった先週(平日)のことである。
 その頃、私は腰痛の悪化のため、会社を長期休職していた。幸い深刻な事態にはならずに済み、ドクターからもOKをもらって、復職が決まった。
 あと数日で、ふたたび宮仕えの毎日か〜、と思うと生来の怠け者である私は、気が重かった。
 休み納めに、ドライブがてら久々図書館でも行こう。そう考えた。
 東のA図書館は規模が大きく、蔵書量も豊富だ。西のB図書館は小さく蔵書も少ないが、自然に囲まれていて、心癒されるスポットである。自宅からの距離はどちらも同じくらいである。
 ――B図書館に行こう。
と気分で決めた。
 車に乗り込む。家を出発する。ちょっと銀行にまわる。お金をおろす。ガソリンスタンドで給油する。
 普段ならば、途中まで裏道を使って行くのだが、この日は少しルートを変え、早いうちから国道に出た。そう、この何とは無しの気まぐれが、この日のとてつもない僥倖を呼び込んだのだった。

 車を走らせ、国道を西へ、西へ。
 I地区の歩道橋に差しかかったときのことだった。時刻は11時台。
 スキンヘッドの人物が、やや猫背気味に、前方の歩道を歩いていた。青い、というより乳白色のスキンヘッド。きれいに剃りあげられている。
 剃りたて!
というのがフェチの眼には一目瞭然だった。
 その人物は、照りつける太陽の日差しから、剥き出しの頭皮を保護するように、右手をあげ、掌を上にして、頭の上、かざしていた。いかにも初々しい仕草であった。手は小さく白かった。
 ――これは女だ!
と私は胸を躍らせた。
 車は「彼女」の後ろ姿を追い抜いた。
 私はどうしても素通りできなかった。せめて、どんな女性なのか一目、正面から確かめたかった。
 ハンドルを切り、右折して、ラーメン屋の駐車場でUターンして、東へと引き返した。
 スキンヘッド娘はいた。
 シャッターが閉まっている酒屋の前を、トボトボと歩いていた。
 私は後続車がいないのを幸い、車を減速させた。
 スキンヘッド娘を吟味する。
 二十代くらいだ。いや、もしかしたら十代か? とにかく若い。
 スッピンだった。
 ノーメイクのその顔は美人とは言い難かった。が、それがかえって生々しさを感じさせた。
 彼女はありえないくらいのションボリ顔だった。暗く硬い顔には、憂悶と吹き出物(ソバカス? 黒子?)が浮かんでいた。目は伏せがち。だから、こちらの無遠慮な視線にも、気づかない様子だった。いや、彼女は、周囲から向けられる視線全てを、全身でシャットアウトしていた。
 しかし、私は見た。ガン見した。
 白いモコモコのセーターを着ていた。セーターにはところどころ、赤い刺繍が編み込まれていた。下はパンツルック。足はそんなに長くない。いわゆる、ずんぐりむっくりの体型だった。丸みを帯びた身体。胸もかなり大きめ。
 車が彼女とすれ違ったとき、彼女の真っ白な左の頬に、やたら大きめな黒子があるのが目に入った。その黒子の周囲には細かな黒子が、飛沫のように点々散っていた。それが、また生々しく、好事家の私のフェティッシュな欲望を、益々喚起させた。実は私、「ホッペの黒子フェチ」でもある。なんという天の御恵みか!!
 よっぽど車を飛び降り、彼女に話しかけ、写メのひとつでも撮らせて欲しかったが、あんなに落ち込んだ顔で、排他的な雰囲気を漂わせ、悄然と歩いている女の子とコミュニケーションをとれるほどの心臓も社交術も持ち合わせていない。
 私は後ろ髪をひかれながら、そのまま走り去った。
 やっぱ若い娘のクリクリはかわいらしいやねぇ〜、とオジサン的思考で、脳内を充満させながら。

 結局その流れで、A図書館へ行った。
 館内で本を物色して回りながらも、あのスキンヘッド娘が脳裏に浮かぶ。
 オシャレであんな頭にしているわけではあるまい。彼女のションボリ顔、ファッション、ルックス、オーラから断言できる。不本意な剃髪だったと思う。思いたい。

 そして、帰路、あの娘と遭遇した場所へ戻ってみた。すでに日は没していた。
 そばにセブンイレブンがあったので、軽く買い物して、車を駐車場に一旦停めさせてもらい、付近を歩いて回った。勿論、スキンヘッド娘とは会えなかった。
 最初に彼女を目撃した歩道の近くには、駐在所がある。チラと覗くと、巡査がいた。心に一抹のやましさがあるため、あまりウロウロすることも、はばかられる。
 男子高校生が二人、高声で話しながら歩いているのとすれ違った。会話の断片が耳に入ってきた。
「なんかキモくね?」
 私のことを言っているのではないのはわかってはいるが、なんだか自分の行為についてコメントされているように思え、気が萎えた。
 それでも少し粘ってみていたら、ハッと閃くものがあった。この近くには――
 急いで車に戻る。
 発進。
 そうして、車を走らせたら――あった!
 ○○院というお寺。禅寺だ。
 寺はあの娘を見かけた地点から、徒歩で15分、裏路地を通ればおそらく10分、の同地区内にあった。
 合点がいった。
 この寺ならば、女僧の場合の修行は、おそらくA尼僧専門道場だろう。
 尼僧堂への上山期間は3月末から4月初旬である。無論、その際には、頭をキッチリ剃りあげねばならない。
 あのスキンヘッド娘の、ションボリ顔も、きっと、他から強制された剃髪への不満と、大切な髪を失った衝撃と、これからの厳しい修行に対しての恐怖のせいだったのだろう。
 寺の庫裏とおぼしきあたりには灯りが点いていた。
 なんだかなぁ〜、と本日出来あがったばかりの丸坊主の頭を撫でまわしボヤく娘と、似合ってるわ、かわいいよ、と娘を慰めて御機嫌とりをする家の人々、という情景が脳裏に浮かんだ。あるいは尼僧堂での生活の為、あれこれと荷づくりの真っ最中なのかも知れない。それとも、SNSで「坊主になりました」報告(写真up)をして、友人たちと別れを惜しんでいるのだろうか。
 A尼僧堂は遠いので、掛塔前日に市内に前乗りして、そこで一泊するはずだ。明日ここを出発するのだろうか。妄想はとめどない。ストーカー気質な自分が怖い。
 しかし、なにせ、剃髪マニア歴ン十年の人生で初めて、剃髪ホヤホヤの尼さんの卵を生で目撃したのだ。そういった小説も何十本も書いている身、どうして冷静でいられようか。まさに、百聞は一見に如かず、だ。
 禅宗系の尼僧さんは、大抵は生涯剃髪で通す。明文化された規定はないが、それが慣わしらしい。
 あの娘さんも一生、あのスキンヘッドを貫くのだろうか。だとすれば、自分はあの娘さんの人生の決定的場面に、端役として登場してしまったことになる。「通りすがりの剃髪マニア」とか。
 ちなみに帰宅してネットで調べたら、あの周辺に床屋は三軒もあった。そのどこかで、彼女も頭を丸めたに違いない。

 今頃、あの娘さんはどうしているのだろうか。
 あの短い足で座禅を組むのは、さぞ辛かろう。肥え気味の身体には、低カロリーの精進料理は物足りないかも知れぬ。
 それでも、あの白い坊主頭をふりたてて、奮戦してもらいたいものだ。いずれ、四と九が付く日には、仲間内でゾリゾリ剃り合うことになるはずである。スキンヘッド姿も堂に入ったものになっていくだろう。
 やがては、頼もしい尼僧様となって戻られることを、陰ながらお祈りさせて頂く。

 実は禅寺○○院には、多少の縁がある(だから、閃いたのである)。
 ○○院には、私の大切だった人の大切な人が眠っている。通夜もそこで行われ、私も参列させていただいた。ひどく寂しい通夜だったことを覚えている。小雨が降っていたような気がする。ずっと昔の話だ。
 その後、一度思い立って、お彼岸に墓参に行った。お墓の場所がわからず、お寺の奥様には随分とお手数をおかけした。その頃にはあの娘さんもまだ子供だったろう。
 それきり墓参はしていない。
 早逝された方なので、お参りに来る方も余り多くはないのだろうと思う。
 もしかしたら、彼(男の人だ)の霊が寂しがっているのを見かねた仏様が、スキンヘッドの新米尼僧の姿に示現して、私に彼のお墓参りを促してたのやも、と考えたりもする。
 だから、近々、彼の墓前に手を合わせに行くつもりだ。不思議とやましい気持ちはない。

 今、A図書館で借りた髪についての本を読んでいる。ヘアフェチについても、考証されており、フェチのタイプを幾つか分類してある。その中の「追いかけるフェチ」に、どうやら自分はカテゴライズされるように思える。
 蛇足ながら、引用させて頂く。

『追いかけるフェティシストには、所有したり触れたりすることはほとんど重要ではない。「見ること」だけが彼を行動に駆り立てる。(中略)無差別にあらゆる髪に執着するわけではなく、独特の基準に見合うものでなければ引きつけられることはない。髪が欲望に見合ったものなら、女性が醜かろうが年を取っていようが構わない。「追いかける」フェティシストは極度に内向的で病的なまでに臆病であるので、追いかけている女性に声をかけること決してはないが、興奮が最高潮に達すると(後略)』(マルタン・モネスティエ)




(了)



    あとがき

 これまでの迫水作品中、唯一のノンフィクションです。初めて「剃りたての尼さんの卵」を目撃して、テンションあがって書いちゃいました〜!!
 書いてて、あれ、と思ったんですけど、実際にあった出来事をありのまま書くって存外難しいです。こんな短編なのに。。
 フィクションよりずっとラクだろう、とタカをくくっていたのですが、いやはや、苦戦苦闘。慣れもあるのでしょうが、ストーリー物の方がスムーズに書ける。
 結果「訥弁」の作品になってしまった感じです。どうにも、ギクシャクした文章になってしまった。思い、とか、保身、とかが先走ってしまい、窮屈な執筆でした。田山花袋とか近松秋江とか志賀直哉とかってホント凄かったんだな、と改めて思いました。
色々、考察や諧謔なども繰り出していこうと考えてはみたんですが、それによって「原話」がスポイルされてしまっては元も子もないので、我慢しました。
しかし、断髪小説十年以上書いてるけど、一向に「風格」ってやつが出てこないなあ(汗)
 なんかネガティブなことばっかり書いてるぞ、このあとがき。
 ポジティブスイッチオンっ!
今回の体験は本当に本当に本当にラッキー&ハッピーでした!!! 坊主頭の尼さんを見たことならばわずかながらあるのですが、まさに剃髪直後の若い尼さんに出逢えるなんて、非フェチ的に例えると、妙齢の女性が路上を全裸で走っているようなもんですよ!!(違うか?) もし、B図書館ではなくA図書館に向かっていたら、もし、途中銀行やガソリンスタンドに寄っていなければ、もし、いつもと同じルートを選んでいたら、と考えるとまさしく奇跡です!! ありがたやありがたや〜(-人-) 次は剃ってるトコを目撃したい(笑)
 「もしかしたら尼さんじゃない可能性だってあるぞ」との御意見も当然ありましょうが、今は夢を見させて(笑)
 最後までお付き合い下さり、ただただ感謝です♪ ありがとうございました〜♪♪



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