奇祭 |
日本仏教の体系の中で、異端中の異端として、歴史の闇の中でその名を囁かれる某宗〇川流。男女の和合(性交)をもって至上のものとする、この流派はそこから、さらに枝分かれし、現代においてもその命脈を辛うじて保っている。 そう、ここ、萬孔寺も、そんな教義を継承する寺院のひとつである。 平穏な昼下がりをつんざくように、 「和尚様あああぁぁ!」 小僧の朴念が血相を変え、庫裏へと駆け込んでくる。 「どないしたんや?」 和尚の辻馬妄戒(つじうま・もうかい)は食後のお茶を飲んでいた。駆け込んできた朴念の様子に、一大事の出来(しゅったい)を察したが、態度だけは鷹揚に構え、 「落ち着け」 とまず小僧をたしなめ、 「何があったんや。話してみい」 と訊いた。 朴念はすっかり狼狽しきっていて、 「御神体が・・・オ、オンマラ様が大変なことに! と、とにかくお越しを!」 「わかった」 妄戒にも朴念のあわてぶりが伝染しかけ、ともかくも朴念に袖をひかれるようにして、御神体の許へ走った。 境内の奥まった一角に御神体はある。妄戒が駆け付けたときには、数人の信徒たちがその周りを取り巻いていた。どの顔にも悲嘆や戸惑い、恐れや苦渋の色が浮かんでいた。 走り寄った妄戒も、御神体を一目見て、 「ぎゃっ」 と叫んで、ヘナヘナと腰砕けになってしまった。 御神体は普段から、ここに鎮座ましましている1メートル半ほどの、キノコ型の、もっと言ってしまえば、男根の形状をした、古代的な土俗信仰を現在に伝える巨石である。 その御神体に、なんと、亀裂が入っているのだ! 尋常なヒビではなかった。ピシイイイ、と縦に裂けるような大きなヒビ。目もあてられぬ。 「誰かのイタズラやなさそうやなあ」 と衆目は一致している。天然自然に割れたのだろう。 妄戒はうろたえた。 これが普段の日ならば、彼も少しは平静を保ち、その道の職人を呼んで修復を依頼したのだろうが、日が悪すぎた。 「明日は倭寇祭(わこうさい)やっちゅうのに」 と信徒の一人が言うのを聞いて、妄戒は坊主頭を抱えたくなった。 倭寇祭。とは「和合祭」が転訛したものだろう。七年に一度行われる萬孔寺の大祭だ。五百年以上も続く由緒ある祭礼だ。祭には、この御神体――オンマラ様が祭具として登場するのに、これでは動かすことすら能わない。 「なんちゅうことや!」 「倭寇祭はどうなるんや!」 「七年ぶりのことやのに」 「よりにもよって祭の前日にこないなことになるとは・・・」 「何かの祟りやないか」 信徒たちは動揺するばかりだ。 こんなふうになると、妄戒も他の者と一緒にオロオロしているわけにはいかない。一旦心を静め、ゆるゆると呼吸(いき)を吐き出し、頭の中を整理する。開山以来、住職のみに受け継がれている口伝を思い出してみる。 「和尚!」 と詰め寄る信者に、 「倭寇祭の口伝に曰く――」 と記憶をたぐり、呟くように口伝をひもとく。 「“万が一、オンマラ様に異変ありて、其れを用い能わざるときは、其の時の住持の身内の者を身代わりとすべし。代わりとなる者は必ず若き乙女たる事。ゆめゆめ違(たが)うべからず”」 「つ、つまりは・・・和尚さんの身内の乙女を・・・」 「オンマラ様の代わりに?」 信徒たちの頭の中には一人の女性が浮かんでいる。 言ってしまって、妄戒も、しまった、と臍を噛んだ。雉も鳴かずば、というやつだ。 しかし、同時に、 ――アイツにも少しは寺のことをさせんとな。 とも思う。 妄戒の一人娘、辻馬虹子(つじうま・にじこ)二十三才はその頃―― 「YO YO お父(とん)、お父、お父は和尚、和尚、和尚、お正月、お正月には門松立てて、Oh、Oh・・・オオウゥ!」 フリースタイルのラップを作詞作曲し、口ずさみながら、トイレタイムの真っ最中だった。 「ああ、いいわ、いいわ、最っ高!! Oh、Yeah〜」 寝乱れの長い髪をかきあげ、かきあげ、創作にウンチ込んで、いや、うち込んでいたら、父と母の話し声が聞こえてきた。 「虹子はいるか?」 「いますよ」 「部屋か?」 「お手洗いみたいですよ」 父の声を聞くと、創作熱も冷め、二日酔いの倦怠が戻ってくる。昨夜は街に出て、悪友と明け方まで、ぶらぶら飲み歩いてしまった。最近はセックスフレンド宅での夜明かしも度重なっているし、また「寺の娘がみっともない真似すな」と反教義的なお小言を頂戴するのは敵わない。ほとぼりが冷めるまで、しばらくここにいよう。虹子は籠城を決めこんだ。 「YO YO あたいのライフスタイル 教義に則り、しょっちゅうシッポリ、アイツはもっこり、仏はニッコリ、親父の小言はもうウンザリ〜・・・オオ・・・オゥ・・・オオオゥ・・・」 ポチャン。 その50分後、虹子は広間で、父妄戒とラップバトルを繰り広げていた。 「YO YO よく聞けクソ親父、その事情、かなり異常、即退場レッドカード! なんて、あたしがオカッパにならなきゃなんないわけ?!」 逆上してまくしたてる虹子。このバトルに負ければ、すぐさまオカッパ頭にされてしまう。 信徒で床屋の矢口さんが、散髪道具をひろげ、勝敗の行方を見守っている。 「それがお前の宿命(さだめ)、逃げちゃ駄目、その髪、ちょっと長め、オカッパになって御本尊宥め、いざ倭寇祭に臨め」 妄戒も応戦する。ラップについてはまったくの門外漢だが、日々の読経&説法で鍛えられ、その声量やリズム感、迫力は虹子の比ではない。 明日の倭寇祭の御神体――オンマラ様の身代わりとして、虹子にズブリと、トマホーク並みの白羽の矢が立てられた。 オンマラ様の身代わりになる娘は、その姿かたちをオンマラ様に似せるため、髪をキノコ型、即ちオカッパに切らねばならない。 そう一方的に言い渡され、虹子は怒り狂った。まあ、それはあたりまえだ。 「ナニ勝手なこと言ってんのよ!」 と噛みつく娘に、 「お前かて仏さんのご飯を頂いてきた身やろ。少しは寺や信徒さんに恩返しせえ!」 と父も怒鳴り返し、大揉めに揉めた結果、信徒衆の仲裁もあり、じゃあラップで勝負しようと、この珍妙極まりないラップ対決が行われたのだった。 相手を自分のフィールドに引き込み、虹子は勝ちにいこうとするも、自分の髪が賭けられている戦い、どうしても肩に力が入ってしまい、言葉に詰まり、噛み倒す。周りの信徒衆は妄戒の勝利を祈念している。そんなアウェーな状態に耐えかね、普段の力(といっても、全然大したものではないのだが)を発揮できず、虹子は苦闘を強いられる。 逆に父は予想外の強敵。場の空気を味方につけ、攻勢、攻勢、また攻勢、孤軍の虹子を圧倒する。 「寺や家の手伝いも碌にしない」とか「家の金を持ち出して遊び放題」とか「就職して自立せよ」とか、ただの説教になっていき、虹子も、 「うるさいな 「ほっといてよ 「ひっどーい 「そこまで言わなくてもいいでしょ」 と防戦一方となり、韻も品もあったものではなく、ラップバトルは単なる辻馬親子の口喧嘩へ堕していった。 ヘロヘロになる虹子の視界の端に、勝負あり、と見てとった矢口さんが黙々と断髪の準備に取り掛かっているのが入ってくる。虹子の顔から、ますます血の気がひく。 そこを妄戒は畳みかける。 「お前のそのライフスタイル、そのヘアースタイル、要る? 要る? 要らねー、要らねー、今すぐ髪切れ、ただちに髪切れ、とっとと髪切れ、切れ! 切れ! 切れ!」 信徒衆も、 「切れ! 切れ! 切れ!」 と妄戒に和し、コールはなりやまない。 虹子はなんとか反撃に出ようとするが、 「嫌やあぁ! オカッパなんて嫌やあああぁぁ! あかん、あかん、あかん! 堪忍してええ! 髪切らんといてええ! ほんま堪忍してええぇ! 髪切らんといてえええ!」 と最後はただの地言葉での懇願になっていた。 かくして、41分にも及ぶ熱戦は、虹子の完敗をもって、その幕を閉じた。 「嫌やあぁ! オカッパなんて嫌やあぁ!」 泣きじゃくる虹子。 だが、「髪切りマッチ」の敗者には、容赦なく刑が執行される。 虹子はその場にいる者たちに引き立てられ、矢口さん持参の折り畳みチェアーに押さえつけるように座らされ、カットクロスをかぶせられた。 童女のように、さらに泣きじゃくる虹子。それを見かねた母親が、 「アンタ、虹子がかわいそうや。私がオンマラ様の代わりになるから、許したって」 と涙を浮かべて、妄戒にとりなしたが、一同戸惑い、 「いや、条件は『乙女』やしなあ・・・」 「奥さん、そりゃムチャやで」 「正直、虹子さんでもギリギリな感じやしなぁ」 と結局、母の申し出は斥けられ、虹子の髪にハサミは入れられた。 「虹子、五百年以上続いてきた倭寇祭を、ワシの代で途切れさせるわけにはいかんのや。これも寺の為や。寺の為っちゅうことは、ひいてはお前の為にもなるんや。聞き分けてくれや」 妄戒は泣きべそ娘にじゅんじゅんと因果を含め、 「じゃあ、矢口さん、頼んます」 と断髪を促した。 「ほな」 と矢口さんはうなずき、 「お嬢さん、ここまできたら、もう覚悟決めや。おっちゃんが日本一のベッピンさんにしたるからな」 と虹子に言い、彼女の肩下までの髪を一気に頬の辺りまで切った。ジャキッ、バサリ! 思っていた以上に、バッサリいかれ、虹子は、 「ひぇっ!」 と首をすくめた。 ジャキ、ジャキ、バサリ、バサリ、 嗚呼、肉体に触れるハサミの冷たさよ! ジャキッ、ジャキッ、バサリ、バサリ、 両サイドの髪が頬のところで、スッパリと切り揃えられた。耳たぶが少し出るくらいの短さ。ショートボブといった感じだ。 虹子は涙で濡れそぼる顔を、母から手渡されたハンカチでぬぐった。 後ろ髪もバッサリ切られ、襟足が刈りあげられる。ジャッ、ジャッ、ジャッ、そうやってのぞいたウナジに、矢口さんの生温かく生臭い息があたり、あまりぞっとしない虹子だ。 そうして、仕上げにバリカンでバリバリ刈られた。うんと刈りあげられた。ジャアァァアア! ジャアアァアァァ! ジャァアァアアァア! 虹子は泣いて泣いて、もう涙も涸れはて、ほとんど虚脱状態で、バリカンの刈りたいように刈らせていた。 最後は前髪。 真ん中で分けていた髪は垂らすと鼻の下まであった。それをジョキジョキと眉毛が出るくらいに切り落とした。 残された髪は梳いたりせず、ボリュームをもたせたため、御神体にそっくりの形状となった。 「昔のキョンキョンみたいやなぁ」 「中学の頃のソフトボール部の女子は皆、こないな頭にしとったわ〜」 と信徒たちが話しているのが、虹子の耳に入ってくる。 しかし、矢口さんは「自作」に納得がいかないらしく、クリームとレザーを取り出し、虹子の襟足をジョリジョリと剃って、青々と仕上げた。 出来た髪を鏡で確認して、 「嘘やん・・・」 虹子はボソリ言った。顔もウナジも真っ青だった。 かくして危機的状況は乗り越えられた。 秋晴れの中、倭寇祭はこれまで通り、盛大に挙行された。 虹子は儀式のための楼上にて、サラシに腰巻きという半裸状態で縛りあげられ、鐘をつく撞木のように地面と平行して、高々と吊るされた。ショートボブの髪はスプレーなどで、カッチカチに固められた。前髪は横分けで。身体全体にローションのような油を塗りたくられていた。 彼女の真正面には、観音様に似た女神の巨大な石像が鎮座している。像の股には、直径1メートルの穴が穿たれている。 信徒たち(男のみ)は法被にフンドシ姿で、虹子の身体から垂れ下がる網を握り、 「セイヤアア! セイヤア!」 「ロッコンショウジョ! ロッコンショウジョ!」 のかけ声とともに、女神像の股ぐらの穴に、鐘つきの要領で、虹子を頭から突き込んだ。 男女の性交を大宇宙の真理と重ね合わせ尊ぶ異教の祭のクライマックスは、何といっても大宇宙の中心たる女神の石像と、男根をかたどった御神体――オンマラ様との「結合」の儀である。 しかし、御神体が破損したため、今年は虹子の肉体が、御神体の代わりに供せられたのだった。オカッパ頭にスレンダーな身体つきの虹子は、確かに男根を連想させるものがなきにしもあらずだった。 あまりと言えばあまりな仕打ちに、虹子の悲鳴は四方八方に響き渡る。 「ほひいいぃぃ!」 「セイヤア! セイヤア!」 「ロッコンショウジョ! ロッコンショウジョ!」 また全身を穴にブチ込まれる。 これには集まった見物人も唖然として、 「すさまじいなあ」 「今日日、どんなトンがった女芸人でも、あないにエゲツナイ身体の張り方、ようせんで」 「さすが〇川流からも破門くろうた邪宗門の寺や。おそろし、おそろし」 とただただ圧倒されるばかりだった。 見物の地元衆の中には、かつて虹子に遊ばれ捨てられた男どもが何人もいて、彼らは、 「虹子、カッコ悪〜」 「ドン引きしてまうわ」 「もう地元歩けへんのとちゃうか」 「亀頭カット似合うとるで」 「エロいと言うより卑猥やな」 「もっとブチ込んだれ、ブチ込んだれ〜」 「ちゃあんと動画撮っとるからな。後でネットにあげたるわい」 とさんざっぱら冷やかされた。身体は石でこすれて、心身ともに傷だらけの虹子だ。 もうひと撞き、 「セイヤア! セイヤア!」 「ロッコンショウジョ! ロッコンショウジョ!」 「ぐわああぁぁ!」 穴をくぐり抜けながら、 ――自衛隊に入ろ。 と唐突に虹子は思った。 家を出て自立しよう。郷里を去ろう。自分を鍛えよう。自己改造しよう。自分の生活を、人生を、根こそぎ変えよう。一瞬で、そう決めた。 「セイヤア! セイヤア!」 「ロッコンショウジョ! ロッコンショウジョ!」 虹子の身体は、その絶叫とともに、また穴の中へと吸い込まれていった。 「ひえええええええええええ!」 祭はまだ始まったばかりだ。 (了) あとがき 如何でしたでしょうか? 元々慎重な性格なので、アイディアをあれこれ集めて煮詰めて、寝かせてまた煮詰めての、じっくりコトコト型なんですが(場合によっては何年も)、今回は珍しく思いつき一発で書きあげました。そのため、分量も短めです。長けりゃ長いで焦り、短ければ短いで焦る(笑) ラップバトルとかもいい加減です(笑) それにしても、またこの手のヒロインですわ(^^;) 自分の中に「寺娘=遊び人」って図式でもあるんかいな。世間には真面目に勉強してたり、社会に出てバリバリ働いてたり、仏様に心底帰依してたりする寺娘様もたくさんいらっしゃるはずなのに・・・。書いてる人間が不真面目で怠け癖のある人間のせいかな(汗) 次以降は勤勉で真面目な優等生寺娘をもっと登場させよう、っと(笑) 段々暖かくなってきましたね。季節の変わり目、皆さんもどうかお身体お気を付けて、生活をエンジョイして下さい! では♪♪ |