私立バチカブリ大学・冬「脱処女」物語シリーズBフライングカット |
おことわり 本作では尼僧を取り上げていますが、坊主や剃髪ではなく、断髪モノであります。 仏教系大学の私立八頭(はちかぶり)大学――通称バチカブリ大の特異性については、これまで百万遍も語ってきたが、或いは本作で初めて八頭大学シリーズに接する方もおられる可能性もあるので、敢えて、百万一遍目の説明に、紙数(?)を費やさせて頂く。 この八頭大学は、僧侶の育成施設という側面を持っている。 僧職を希望する学生たちが、夏季休暇を利用して、修行生活を送り、僧職に必要な知識や心得を叩きこまれる。これは、関係者の間で「研修」と呼ばれているシステムである。 参加する者はほとんどが寺院の子弟たちである。 参加者は「研修」に先立って、頭を丸める。男女問わずだ! 特に女子学生にとっては、女の命とも言える髪を、剃り落とすのだから、その心境たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。 この「研修」とは別に、宗派上の関係で、冬期において「研修に似たもの」を行う男女学生たちも、ささやかながら学内に存在する。彼らも、その行を経て、僧職を得ることになる。やはり参加条件は坊主頭――2mm以下の丸刈りになることである。 その際、女子学生の大半が、生まれて初めてバリカンという機械を頭にあてることになる。この夏冬の女学生たちの「脱バリカン処女」はバチカブリ大の名物となっている。 そんな「脱バリカン処女」をめぐるキャンパス内の悲喜劇から、今回もまたひとつ、綾瀬茜(あやせ・あかね)のケースをピックアップしたいと思う。 八頭大一年生の綾瀬茜は、普通のサラリーマン家庭に生まれ育った。 しかし、高校生の頃、母方の祖父が住職をしている寺院の跡取りがいなくて困っていると知り、何となく興味をひかれ、 「私じゃダメかなぁ」 と立候補してみた。父も母も娘が尼になるのに良い顔をしなかったが、紆余曲折あって、結果、茜は仏門に入ることに決した。 高校を卒業、祖父の寺に住み込み、勉強し、手伝いをし、八頭大学に通った。得度も受けたが、髪は切らず、長いままだった。 そして、冬には「研修に似たもの」を受ける予定だ。 生粋の寺っ子ではないので、今回は参加を見送って、寺の生活、作法に馴染んだうえで、焦らず参加すればいい、と祖父母は気遣ってくれたが、 「こういうのは、早い間に済ませておいた方がいいから」 と茜は勇敢にも肯ぜず、「研修に似たもの」に臨むことになった。 「こんな長くてきれいな髪を坊主に切ってしまうなんて、惜しいねえ。お前も辛かろうねえ、茜」 おばあちゃんは孫娘の髪を、愛おしげに何度も撫でて言う。いつものことだ。 「茜は坊主にしたら、どんなふうになるんだろうなあ。ちょっと前髪をあげてごらん」 とおじいちゃんに言われ、茜は素直に両手で前髪をあげてみせる。 それをまじまじと見つめ、 「おおっ、坊主頭が似合いそうだ。茜は尼になるために生まれてきたんじゃろう」 とおじいちゃんは相好を崩す。いつものことだ。そして、 「元が良いからな。母親似が幸いしたな」 と娘とセットで褒める。これも、いつものことだ。 おじいちゃんもおばあちゃんも、茜が断髪に対して不安に思っていると決めてかかって、なぐさめてくれたり、励ましてくれたりする。 でも、当の茜は一向に平気だった。 それどころか、かなり積極的だった。 今夏、「研修」で剃髪姿になる女の子たちを目の当たりにして、激しい衝撃を受けた。 最初は恐ろしかった。 ――私もあんなふうになるんだ! と震え上がったが、それら坊主女子たちは剃ってしまえば、あっけらかんとしてキャンパス内を堂々闊歩しているし、中には有髪の頃より、垢抜けたり色香が増したりして美しくなっている娘もいて、さらに幾種類かのウィッグを付け替えてオシャレ生活を謳歌している娘もいたりして、あながちデメリットばかりとも言えない現状に、茜も感化され、そうなると嫌悪感よりも好奇心の方が勝ってくる。 たまたまコンパで、そんな剃髪女子の先輩と話すきっかけがあり、その体験談を承った。 「なかなか決心がつかなかったけど、バリカンでバサッとやられたときは、“あ、こんなもんか〜”って感じでさ、結構あっけなかったよ」 との「脱処女」話を聞いて、茜は密かに胸をときめかせた。 ――バリカンで・・・バサッ・・・かぁ・・・。 想像して興奮した。さぞ爽快だろう。普通の女性ならば、一生できない経験、それを堂々とできるのだと考えれば、ある意味ラッキーかも知れない。 茜の断髪願望に火がついた。坊主頭への関心は際限もなく募っていく。バリカンという機械への興味も、とどまることを知らず膨れあがっていく。 ネット時代の恩恵を受け、スマートフォンで動画サイトの坊主動画を視聴する。男の子や女の子が丸坊主にされる動画を観つつ、いけないこともする。その茜のいけない行為を助長する動画が、ネット上には無数に転がっている。 すでに出家の身なのにいけないいけない、と思いつつも、今宵も、グラマラスなブロンド美女が野外でバリカンを入れられ、豪快に坊主に刈られる動画で、燃え果ててしまった。 半ば、恍惚と頭を剃りあげられる白人娘は、オーマイガッ、と吐息まじりに、嘆き声ともヨガリ声ともつかぬ声を発し、頭の地肌はみるみる丸出しになっていく。 カットを担当している人物は容赦なく、サディスティックにバリカンを白人娘の髪の毛に差し込んでいく。そして娘は、完成した丸刈り頭を撫で回し、また、オーマイガッ、とうっとりと笑っている。 カットを終えた人物がカメラに向き直った。男性だった。牙のような歯を剥き出し、 『八頭大学一回生の綾瀬茜さん』 なんと、茜に呼びかけた。明瞭なアクセントの日本語だった。 茜は混乱した。信じられなかった。身体中の肌が粟立ち、心臓が凍りそうになった。 この男は一体何者なのだろう。なんで自分のことを知っているのだろう。男はガッシリとした体型で、タキシード姿に白手袋をはめている。執事みたいな恰好をしている。顔は逆光のため、判然としない。白人とも黒人ともアジア系ともつかず、ただその牙のような歯が、茜の視覚に染み入り、茜の脳に届けられる。 『お愉しみ頂けましたでしょうか?』 動画の男は、また流ちょうな日本語で、エレガントに一礼した。そして、 『如何でしょうか』 とテノールの声で続けた。 『貴女のその長く麗しい髪も、このバリカンで刈って差し上げましょうか?』 動画の男はカメラに――茜に向かって、彼女を誘惑しようとする。 ――これは悪魔だ! 間違いない。茜は直感した。 『さあ、勇気を出して』 「悪魔」は猫なで声で誘う。もはやブロンド美女はどこかへ消え失せて、彼女が今まで座っていた木製の椅子だけが、ポツンとあった。 『貴女の御心の奥底にあるリクエストの御言葉を、吐き出せばよろしいのです。お伺いいたします。刈りますか? それとも刈りませんか?』 「悪魔」は茜に選択を迫ってくる。 茜は混濁した意識をリセットした。「悪魔」の誘惑に屈した。真っ白な頭で、衝動に任せ、わめき散らした。 「刈ってええええええええ! 刈ってえええ! このクソったれな髪を、今すぐそのバリカンで刈って刈って刈りまくってええええええッ! トラ刈りの坊主にしてえええ! 私はその惨めでイカれた頭を晒して、キャンパスを、街中を、引き回されるの! 考えただけで最っっ高!! たまんないわ!! さあ、早く早く早く!! 早く刈ってえええええぇ!」 「お望みのままに」 茜の背後で声がした。茜は硬直した。金縛りにあったかのように指一本動かせず、振り返れずにいた。ただ、獣の臭いとオーデコロンの香りが入り混じった、強烈な匂いが鼻をついた。 動画には東洋系の黒髪ロングの少女が、さっきまで白人娘の座っていた椅子に、ケープを巻かれ、座らされていた。見間違えるものか、まごうことなく自分だ。横でバリカンを握っているのは、タキシードの男。顔は画面から見切れている。 そして、今、茜は動画と同じ場所――英国式の不気味な庭園に置かれた椅子の上に、座っている。が、「悪魔」に魅入られた茜は、それを不思議とも思わず、ごく自然に受け容れていた。 「貴女のお望みを叶えましょう」 と「悪魔」はアラビアンライトのランプの精のように言った。その声は喜悦に満ちていた。 バリカンがゆっくりと茜の髪にあてられる。 ブイイィィンン、ブィイイィイン、と鳴り渡るモーター音が、重く、軽く、遠く、近く、また遠く、また近く、茜の耳を悦ばせたり、焦らしたりする。 「さあ、何をしているの? 早く! 早くぅ!!」 茜は身をくねらせ、髪を振り乱す。金縛りはいつのまにか解けていた。 「悪魔」は茜の頭を抑えつけ、無造作に、その乱れ髪にバリカンを突き立てた。頭のド真ん中から刈られる。ザザザアアァァ! 刈られた髪がめくれ上がり、丸まり、塊になって、バサッ、芝生の上に落ちる。 「綾瀬茜様、貴女はこれから、レディーにとって最も忌むべき、世にもおぞましいヘアースタイルになるのです。どのようなお気持ちでしょうか? 是非お聞かせ願いたいものです」 と訊かれ、 「サイコー! 最っっっ高よ!!」 茜は身をよじり、足をバタバタさせ、絶叫した。 動画を鏡代わりに眺めやる。 動画の中の茜は、前頭部を侍のように剃りあげられつつあった。その無様な姿に、茜はますます興奮して叫ぶ。 「もっと! もっと! もっと刈って頂戴!!」 「貴女のお望みのままに」 バリカンはまた茜の髪に吸い込まれる。ジャァアアアァァアアァアァ――ジャァアアアア――ジャァアアァァァァ―― 目がさめたら、もう朝の10時をまわっていた。 茜はとっさに頭に手をやった。 髪は、あった。1mmたりともなくなってはいなかった。 「夢・・・?」 昨夜の動画を確かめてみたら、白人娘の髪を刈っているのは、メガネでTシャツの太った東南アジア系の女性だった。 ――これは一体どういうこと? 寝ぼけ顔で首を傾げる。茜には昨夜の出来事が、どうしても夢とは思えない。 しかし、髪はあるし、あらゆるものが昨日と同じものだ。茜の内面を除いて。 そう、茜の内の断髪願望はその極に達していた。 髪に触れながら、 ――切る! と茜は意を決した。 「研修に似たもの」はまだずっと先だ。 早すぎる、とも思ったが、もう我慢できない。 とりあえずは学生の身、茜は支度を整え、大学へと向かった。 教室内では、「研修に似たもの」を受ける予定の女学生が群れ集まって、剃髪の話をしていた。どの顔も一様に暗い。 「女子は坊主免除にすれば、参加者も二倍は増えるんじゃね」 「いや、もっと増えると思うわ〜」 「バリカンとかイヤ! 絶対イヤ!」 「何の因果で坊主女子になんなきゃいけないわけ」 と悲憤慷慨している。 そんな不甲斐ない学友どもを横目に、茜は着席し、鞄をおろし、 「ねえ、三橋君」 とたまたま前の席に座っていた、この学部では珍しく真面目な青年に声をかけた。 「なに、綾瀬さん?」 「一時限目出た?」 「ああ、うん」 「ノート貸してもらえない?」 「ああ、どうぞ」 「ありがとう。後で返すね」 三橋から借りたノートをめくりながら、茜は昨夜の「夢」を、頭と身体で反芻する。あの感覚。あの感触。普通の女性ならば酷い悪夢だろうが、茜にとっては最上の淫夢だ。 ――悪魔と「契って」しまったのだろうか・・・。 現に、「淫夢」によって、茜の性的な好奇心の封印は完全に解き放たれてしまった。髪を刈りたい! バリカンを入れたい! 飢(かつ)える者が食を乞うように、茜はバリカンを乞うている。 実際のところ、「研修に似たもの」が近くなると、髪の毛をバッサリと切る女子は割合多い。 ロングヘアーから、いきなり坊主にするより、ロング→ショート→坊主、とワンクッション置いた方が心理的ダメージも軽減される。これが断髪理由のひとつである。 一旦ショートを経由することで、長い髪への執着や未練も断ち切れるし、度胸もつく。 どうせ、坊主頭になる運命なら、ボブやショートに挑戦してみて、色々な髪型を楽しみたい、という女子らしいお洒落心もある。 何より、「研修に似たもの」は厳寒の候に行われるので、長い髪が急になくなったら、風邪をひくなど、体調を崩す可能性も大きい。冬将軍との対決を前に、頭をある程度寒さに慣れさせておく必要がある。それが断髪の第一の理由かも知れない。 茜の場合、自分の内部で膨張し続けている変態的な欲求を、一時的にではあれ、取り鎮めるためのショート断髪である。 しかし、繰り返しになるが、「研修に似たもの」までは、まだ間があり過ぎるほどある。 ――構うもんか。 蛮勇の虜となった茜は、借りたノートを閉じ、スマートフォンをフリックする。ネットのヘアーカタログで、なりたい髪型を探す。レディースのショートヘアーをチェックするが、なかなか茜のお眼鏡に適う画像はなかった。「フェミニンなショート」では全然物足りないし、バリカンの出る幕もない。 これじゃない、これでもない、と授業中も画像を吟味していると、ボーイッシュなベリーショートの画像を発見した。 耳を全部出し、前髪は眉上5cmくらいまで切り詰められ、襟足も思い切りよく刈りあがっている。モデルの少女が美形だから、ギリギリ成立しているが、中性美とメスザルの境界線上を綱渡りしているようなヘアースタイルだ。真似したがる一般女子はあまりいなさそう。勝手なイメージだが、美術系大学の女学生が好んでしそうな気がする、「個性的な」髪型だ。 襟足の刈り上げ具合が、茜の心をつかんだ。間違いなくバリカンが使用されている。 ――これだあ! 思わず腰が浮きかけ、あわてた。 早速、大学付近の美容院を調べて、休み時間に予約を入れた。なるべくダメそうな美容院を選んだ。美よりも醜、可愛さよりもダサさを、茜の心は求めていた。 講義が終わるや否や、茜は予約していた〇〇美容室(店名は伏せておく)に馳せ向かった。 その美容院は、さびれた商店街に小ぢんまりと在った。「美容院」というより、「パーマ屋」という呼称の方が相応しい、うらぶれた外観と内装だった。 後で色々と聞いて知ったが、店のオーナー兼唯一の美容師である女性は、かつて飲み屋でホステスをしていて、そこで知り合った建設会社の社長の愛人となり、ホステスになる前は美容学校に通い、資格を取っていたので、まだまだ景気も上向きだった昭和末期、社長の援助で店をオープンし、そのまま現在に至っているらしい。店主は勤労意識に乏しく、店は不平不満をたんまり抱えた偏屈婆どものたまり場になっているという。 茜はその店の扉をギシギシ開けて、店内に足を踏み入れた。 店内では老女が、客用のソファーに陣取り、煙草を吹かし吹かし、雑誌を読んでいた。店主らしい。入ってきた茜を一瞥すると、 「もしかして予約してきた人?」 「そうです。綾瀬です」 答えながら、茜は歳を取ることの難しさを感じていた。店主の、ブラウンに染めチリチリとパーマをかけた薄い髪を見て、仮面の如き厚化粧を見て、無理にゴテゴテと若作りした原色だらけの服を見て。 女を捨てるのも辛いが、女を捨てきれずにいるのも、当の本人以上に接する者に煉獄の苦しみを味わわせる。おそらくは過去、何人もの男たちを惑わせてきたであろう老女だが、その過去に囚われ、なんとか老いから逃れようとして、あがいているさまは、憐れと言うべきか、滑稽と言うべきか、ただただ茜を怯ませる。 「まだ予約の時間じゃないね」 と立ちすくむ小娘の内心などお構いなしで、老女は時計を見やって言い、ふたたび雑誌に目を落とした。時間まで待っていろと言う、他に客もいないのに。よっぽど労働が嫌いらしい。茜は仕方なく、老女から離れてソファーに座り、スマートフォンをいじって、時間を潰した。 老女に勤労意欲が湧くのを待っている間、店には二人の来訪者があった。いずれも客ではない。一人はガスの業者、もう一人は何かのセールスマンだった。どちらも若い男性だった。 彼らに対して老女は、本来手厚く応ずべき客であるはずの茜への接客時とはうって変わって、上機嫌で、 「あら、山西さぁん!」 などと露骨すぎるほどの媚態を示し、こっちは年中自転車操業なのよ、夜逃げしちゃおうかしら、と軽口を飛ばしたりするのである。業者にもセールスマンにも営業スマイルでかわされたが、老女は自身の醜態を省みることなく、相好を崩しているものだから、茜は、やれやれと思う。こんなふうな歳の取り方はしたくない。以て自戒としよう。 ようやく約束の時間になった。髪を切ることを焦らされていた時間は、茜にとってまるで拷問のように思えたものだ。 老女は渋々茜をカット台に座らせた。 「こんな感じにして欲しいんですけど」 と茜はスマートフォンでれいのベリーショートの画像を見せたが、老女は、 「最近はこういうのが流行ってるの? おばちゃん、よくわかんないや」 と瞥見したきりで、面倒そうに茜の身体に散髪用のケープを巻き、大きな散髪鋏をとり、霧吹きで髪を湿し、 「とりあえず長い毛は切っちまうね」 とザクザク粗切りしはじめた。 ロングヘアーが刈り獲られる。 この切りっぷりに、茜の心は、子宮は、昂り、躍った。天にも昇る心地だった。 たわわな髪が断たれ、勢いよくケープを滑り落ちていく。 それを目にすると多少の感慨がないとは言えない。しかし、高揚の方が遥かに大きかった。 右を切って―― 左を切って―― 後ろを切って―― 茜の髪はたちまちマッシュルームカットにされた。 長い髪が、私たちのこと見捨てたのね、と恨めしそうに、とぐろを巻いて、カット台を取り囲んでいる。 しかし、まだまだ通過点、茜のカットは次のステージに移行する。 「フェミニンなショートヘアー」ならば、ここで梳いたり巻いたりして、ユルフワとさせるが、茜の注文はそんな生ぬるいものではない。 ここで老美容師ははじめてヘアクリップをとり、茜の横髪をブロッキングした。 そして、コームでブロッキングしていない髪を梳きあげ、ジャキジャキジャキ、と躊躇なく切り込んでいった。コームが頭の地肌にあたり、少々痛い。 もみあげも残すことなく、両サイドの髪は刈り詰められた。 ブロッキングされていた髪も解かれて、切り落とされた。 ワンレングスにしていた髪も、ジャキジャキ、ジャキジャキ、と刻まれ、眉上5cmの辺りで、ピシリ!と揃えられた。前髪を作ったのは、小学生のとき以来だ。 茜にとって一番重要なのは、襟足だった。 老美容師は茜の期待に大いに応え、威勢よく鋏を鳴らし、茜の後頭部をガッツリと刈り上げた。ジャキジャキ、ジャキッ、ジャキジャキ――茜のウナジがモロ出しになった。 下から上、また下から上、とコームと鋏は茜の襟足を短く、もっと短く、はさんでいった。ケープの首周りには短い毛髪が、降り積もっていた。 それでも、茜の襟足は反抗的で、反り返り、浮き上がっていて、この抵抗運動に対し、老美容師はついにバリカンの出動を決したのだった。幾分性急な決断だといえる。お洒落なカットハウスだったならば、ギリギリまで鋏を使い、バリカンは仕上げ程度に使われるだけのはずだ。茜は店選びに「成功」したといえる。 ブイイィィイインン とバリカンがけたたましく鳴り、 ジャリジャリジャリイイィ と襟足がバリカンに圧され、撤去される。滑る刃に呼応するように、バラバラと髪が剥がれ落ちる。 バリカンという機械と初めて肌を接する茜は、その感触を愉しむ余裕もあらばこそ、「処女」の悲しさ、緊張で全身をこわばらせていた。しかし、兎にも角にも綾瀬茜は「研修に似たもの」組の誰よりも早く、「脱バリカン処女」を果たしたのだった。 バリカンが三刀目にさしかかる頃には、茜も多少落ち着いた。ウナジに全神経を集中させ、バリカンの振動をより感じようとした。思ったより痛い。バリカンの手入れ不足なのか、美容師の技量不足なのか。 バリカンは九刀でその役割を終えた。 老美容師は軽く茜の髪を、梳き鋏で切った。髪のボリュームを抑えるためだろうが、茜の僻目のせいか、適当にカットしてお茶を濁しているかのように思えた。 出来あがった髪型を鏡でチェックする。 「どうかしら?」 と合わせ鏡で刈りあげられた後頭部を見せられる。「バリカンで刈りました」感の尋常のなさに、茜は思わず声にならぬ悲鳴をあげた。 ベリーショートというより、 ――坊ちゃん刈りじゃないの、コレ! 「サザエさん」のタラちゃんのような髪になっている。オシャレ目的で入店したならば、憤死モノの有り様だ。だが、茜にとっては、十分すぎるほど十分に満足のいく結果だった。 こんな仕事をしているくせに、料金だけは一丁前に高かったが、茜はウキウキと支払いを済ませると、店の扉を開けた。 夏の終わりとも秋の始まりともつかぬ風が吹き込んできて、初めて外界に顔を出したばかりの茜のウナジを撫でる。 その背後で、 「よくお似合いですよ、綾瀬茜様」 という声。男の声だった。 「冬には丸坊主ですね。良い予行練習になったでしょう?」 アイツの・・・あの「悪魔」の声だ。 ハッと振り向くと、老美容師の厚化粧の顔が、まだ何か用?といったふうに茜を見ていた。他には猫の子一匹いない。 ――空耳、空耳。 と茜は自分に言い聞かせ、店を後にした。帰宅中も帰宅後も、後頭部を撫でさすっては、その手触りを愉しんでいた。 おじちゃんとおばあちゃんは、孫娘の突然の変貌に目をむいて驚いていた。 「もっと女の子らしい髪型に切ればよかったのに」 とおばあちゃんなどは、呆れ顔で言っていた。 「綺麗な髪じゃったのにのう」 とおじいちゃんは残念そうにしていた。 「いいのいいの、尼さんにロングヘアーなんて、それこそ“無用の長物”なんだから」 と茜は快活に笑い飛ばした。 そして、その夜は、後頭部をさすりさすりして、じっくりと時間をかけ、いけないことに精励してしまった。 翌日、皆に先駆けて、「脱バリカン処女」を敢行した烈女に、学友たちは瞠目した。 「綾瀬さん、どうしちゃったの、その髪?」 とまず奇抜な男刈りに注目され、次にバリカンのことについて、あれこれ訊ねられた。茜は求められるまま、自身の「武勇伝」を、時折ユーモアを交えつつ、貫禄たっぷりに語ったものだ。 散々語り尽くすと、一夜にして「勇者」になった茜は、悠々と席に着いた。 「三橋君、ノートありがとう」 と前に座っている三橋に、借っぱなしだったノートを返した。 「お役に立てて何より」 と三橋はノートを受け取り、 「それにしても、綾瀬さん、随分思い切ったね」 と笑った。茜は三橋の笑う顔を初めて見た。牙のような歯が、ギラリと光る。三橋はいつの間にかタキシードを、その身にまとっていた。そして、あのテノールの声で、 「綾瀬茜様、冬も期待しておりますよ」 と言い、呵々と哄笑した。獣の臭いとオーデコロンの香りの入り混じった、あの匂いを鼻は察知した。ふと、床に目を落とすと、三橋の影がないことに気づいた。茜の背筋は凍りつく。 ――ああ! よろめく茜に、 「綾瀬さん、どうしたの?」 と三橋は怪訝そうに茜の顔をのぞきこむ。いつもの彼だ。床を見た。ちゃんと影もある。 「い、いや、ちょっと寝不足で。大丈夫大丈夫。何でもないから」 茜は笑顔で取り繕った。そして、心の中で、 ――気のせい、気のせい。 と繰り返した。 (了) あとがき 「バチカブリ大学・冬『脱処女』シリーズ」の第三弾でございます。今年二発目の小説です♪ タイトルは「バリ子」同様、あの大人気アイドルグループの名曲をパロってます(^^;)ファンの方、お許し下さいm(_ _)m 当初は割かしシンプルなストーリーになるはずでしたが、「悪魔」が登場したりして、不思議なテイストになっております。 何故悪魔が出てきたかというと、たまたま悪魔が出てくる小説を読んだからです。自分のことながら、その単純さに呆れます(笑) 日々起きていること、感じてることを作品内に取り込むタチなんで、昔発表した小説を読み返すと、「ああ、この時期、こんな本を読んでたんだっけ」「この頃、〇〇にハマってたんだっけ」「この時期、こういうことを考えてたんだっけ」と過去のことを思い出したりします。或る意味「日記」みたいだな〜(笑) そうそう、ヒロインの「綾瀬茜」というネーミングは、大昔友人が書いた、迫水が主人公の暴露小説のヒロイン名を、そのまま流用しました(盗んでばっかかい!) 読み返してみて、改めて大好きな一作です(*^^*) お付き合い頂き、感謝感謝です!! |