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私立バチカブリ大学・冬「脱処女」物語シリーズA ドイツ編はなかった


 PM04:18
 空港行のバスの係員に荷物を渡している雄一。彼は自分の夢のため、本日ヨーロッパに旅立つ予定だった。
 その腕を、
 グイッ
と強く掴まれた。
 振り向いたら、
「治子!」
 恋人だった女性がそこにはいた。急いで駆け付けたのだろう、店のユニフォームの上に、コートを羽織っただけの恰好だった。
「お前、仕事中だろ?!」
「そんなこと、どうだっていいでしょッ!」
 治子は涙で濡れそぼった顔で、恋人を詰る。
「あんなメール一通で終わりにしようだなんて、随分勝手じゃない! なんで、一緒に付いて来い、って言ってくれないのよ!」
「お前には仕事もある。店だってある。俺の我儘に付き合わせるわけにはいかない」
「そんなふうに、いつだっていい男ぶって、カッコつけて、アタシの気持ちなんてお構いなしで、ひどい! ひどいわよ!」
 治子は雄一の胸に顔を埋め、両手をグーにして、恋人の身体をポカポカ叩いて泣きじゃくった。
「ごめんな、治子」
「アタシ、もうアナタじゃなきゃダメなの」
「俺もだよ、治子」
「だったら――」
「わかってる」
 雄一は心を決めた。真っすぐ治子を見つめた。
「やり直そう、治子」
と治子を強く強く抱きしめる雄一。二人は互いの鼓動を聴く。愛しい、愛しい、と鼓動は叫んでいる。
「一緒にあっちで暮らそう」
「嬉しい」
 治子はまた泣いた。今度は喜びの涙だった。
「先に行って待ってるから」
「うん」
 治子はうなずいた。
「絶対、追いかけていくから」
「お前があっちに着いたら――」
と雄一は一旦呼吸を整え、
「結婚しよう」
 言い切った。
「嬉しい・・・嬉しいよ・・・雄一。ようやく夫婦になれるのね」
 治子はさらに嬉し涙で顔中をグシャグシャにして、
「絶対絶対絶対、一緒になろうね」
「待ってるから、俺、待ってるからな」
 寒さの中、二人の身体は温もる。誓い合うように、確かめ合うように、ディープなキスを交わす。周りの目も気にせずに。雄一も、そして、治子も、二人の愛の第二章のはじまりを、確かに感じていた。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 その頃、ヘアーサロンHeavenでは――
 モヒカン刈りの頭を寒々とさらした少女が、カット台にひとりポツンと取り残されていた。
「あれ?」

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 少女の名は里見唯(さとみ・ゆい)といった。私立八頭大学(通称・バチカブリ大)の一回生である。
 仏教系大のバチカブリ大には「研修」制度がある。
 夏休みを利用して、学生たち(希望者のみ)が剃髪し、修行して、僧籍を取得できるというシステムである。
 この「研修」を受ける宗派の学生とは別宗派の学生もいて、その彼氏彼女らは冬場、「研修に似たもの」を受ける。それをクリアーすれば、晴れて僧尼の仲間入りができる。
 参加者はほぼ寺の坊ちゃん嬢ちゃんで占められている。ぬくぬくと育ってきた彼氏彼女たちだから、過酷な行は相当辛いものがあるし、「参加者は全員2mmの丸刈り」というのが鉄の掟なので、これは、特に年頃の女子学生たちにとっては、その心胆を十二分に寒からしめるにあり余っている。
 里見唯もこの冬、この「研修に似たもの」を受けることが決まっている。
 本人は身を揉んで嫌がり抜いたが、家族に大説得された末のことだった。非モテ系寺娘の悲劇である。
 この唯、「研修に似たもの」の二週間前、「大して好きでもない男で処女を捨てる」という荒ワザをやってのけた。相手はバイト先(ファミレス)の先輩だった。悪名高いヤリ捨て男だったが、顔とノリの良さで選んだ。行でシャバを去る前に駆け込み脱処女。「研修(に似たもの)あるある」である。
 初めて男と寝た翌日、唯はガニ股で美容院に行った。
 入学前からずっとキープしていた黒髪ストレートロングを、バッサリと肩のところで切った。そして、パーマをかけてもらった。もうすぐ刈り落とされる髪、その髪に少しでもオシャレを味合わせてあげたかった。剃髪前に思う存分色々な髪形にチャレンジしてみる。これもまた「研修(に似たもの)あるある」である。
 生まれて初めてのパーマ。ドキドキする。
 バージンヘアーにパーマ液が浸される。頭皮が少々ヒリつく。カジュアルな服装な男性美容師が、優雅に唯の髪を巻いていった。
 出来上がったパーマヘアーに、唯はあまり満足しなかった。
 ――なんか・・・似合ってない・・・かも・・・
 違和感をおぼえた。見慣れていないせいかも知れないし、元が元だからかも知れない。だが、これで自分も一人前のレディーだと思えば、その虚栄心は、一応は、満たされた。
 その髪で学校に行ったら、キャアキャア騒がれた。
「おっ、唯もついにパーマデビューか!」
「最初誰かと思ったよ〜」
「似合う似合う」
「チョーかわいいじゃん!」
 ちょっぴり照れ臭くもあったが、嬉しかった。晴れがましかった。
 そんな称賛に混じって、先輩の板倉万里子(あだ名はバリ子)などは、
「最後のあがきか」
とひやかしてきた。無論冗談なのだが、笑えない。カチンとくる。
 この万里子、後輩に、彼女が初めて坊主にしたときの「武勇伝」を、しばしば語って聞かせてくる。女子の坊主経験者は同性の坊主未経験者に、かなり上から目線。これも、「研修(に似たもの)あるある」である。

 「研修に似たもの」の開行の日が近づいてくると、参加予定の女子学生の間で「坊主話」がヒソヒソ交わされはじめる。そして、いつだって、
「そろそろ覚悟決めなきゃね」
というポジティブ三分あきらめ七分の結論に至る。バリカンは回避不可能だ。
 地方から出てきている娘たちは、一旦実家に帰ってから、2mmの丸刈りになるという。ほとんどが床屋で断髪するとのこと。
「まぁ、プロに任せるのが一番無難だよね」
と唯はうなずきながら、若干青ざめた学友たちの顔を見渡す。
 これから一週間のうちに、
 群馬でバサッ、
 栃木でバサッ、
 岡山でバサッ、
 高知でバサッ、
 北海道でバサッ、
 兵庫でバサッ、
 岩手でバサッ、
 熊本でバサッ、
といった具合に日本各地で乙女の髪が、床屋の床一面に散るのだ。
 そんなことを、ぼんやり考えていたら、
「また坊主の話かね」
と万里子が話の輪に入ってきた。
 ――うざっ!
と内心思うが、
「バリ子・・・じゃなかった、万里子先輩って実家、H市でしたよね?」
 唯と万里子は自宅通学で、実家も近い。なので、
「アタシもそろそろ髪切らなきゃなんですけど、どっか良い床屋ねーッスか?」
 唯はロストバージンを済ませてから、急に蓮っ葉な言葉遣いをするようになっていた。「非処女ですけど何か?」的なオーラを意識して作ってて、陰で学友たちに笑われている。幸か不幸か、本人はそれを知らない。
「良い床屋ねえ」
と万里子はオウム返しに呟いて、
「じゃあ、アタシが坊主にした店にすれば? オーナーさん女の人だし、店もシャレた雰囲気だし」
というので、住所を訊けば、唯の生活範囲内。自転車で行ける距離だ。
 一応、店名と電話番号を教えてもらった。
 ちゃんと予約入れた方がいいよ、との助言も頂戴した。
「先輩、サンッキュっす」
「マジ良い店だよ〜。人生観変わっちゃうよ〜」
と万里子は意味ありげにニタニタ笑っていた。

 しかし、断髪決行の日は先送りされる。
 ――今日は休日で人出も多いだろうしなあ・・・。
とか、
 ――今日は雨降りそうだなあ。ヘタに外出して冬の雨に濡れるのはカンベンだわ〜。
とか、
 ――今日、仏滅じゃん! これから仏の弟子になろうって人間が仏滅に剃髪しちゃマズイでしょ。
とかなんとか理由を付けちゃあ、延期、また延期で、なかなか切れずにいた。
 ようやくパーマも馴染んできたのに。髪が愛おしい。刈りたくない!
 母も心配して、
「お母さんが床屋さんに付いてってあげるから、そろそろ切りに行かないと」
と付き添いを申し出たが、
「大丈夫、ひとりで行くから」
と唯はキッパリと断った。母とは昔から仲が悪い。しょっちゅう口論している。ケンカして家出したことも、何度もある。一人で床屋の扉をくぐるのは不安だが――何せ生まれて初めてだ!――母にくっついて来られるよりは、遥かにマシだ。
 唯がウジウジしている間にも、ラインやインスタグラムで、学友たちが「坊主になりました〜!」報告&画像をがんがんアップしてくる。
 丸刈り頭に法衣を着けての「正統派」画像だったり、
 坊主部分のアップのみ、あるいは、坊主の後頭部オンリーだったり、
 ご丁寧にbeforeとafterの写真を並べて、その落差を強調したり、
 刈っている経過中、「落ち武者〜」とか、辮髪にして「ラーメンマン!」なんて遊んで、笑いに走ったり、
 切った髪束の画像のみをあげて、見る側の想像力を喚起させたり、
 みんな十人十色、表現の仕方もそれぞれだ。
 付き合い上、いいね!ボタンを押したり、『似合ってる〜』『超イケメンじゃん!』『本物に会うのが楽しみ〜♪』といったコメントも寄せる。
 当然、
『里見さんはまだ切ってないの〜?』
とツッコまれる。
『早めに切ってボーズに慣れといた方がいいって。冬だからいきなりボーズにしちゃ風邪ひくよ』
と忠告してくれる娘もいる。
 唯みたく有髪で粘っている娘もいるが、圧倒的少数派だ。誰が最後まで刈らずにいるか、チキンレースの如き様相を呈していたりもする。この場合、最後に残った者がチキンなのだけど。
 こうして全国的に坊主女子が増殖している今日この頃、唯も決断を迫られている。

 そうして、明日から開行、という期限ギリギリの日になってしまった。
 気が付けば、クイーン・オブ・チキン。
 髪をめぐっては、今朝も母とひと悶着あった。
 とうとう母が、
「いい加減にしなさい! いつまでグズグズしてるの! お父さんのバリカンがあるから、お母さんが刈ってあげるよ!」
と怒り出したので、
「うるっさいなあ。床屋なら今日行くから、ほっといて!」
とキレ返してしまった。
 吐いた唾は飲めない。
 唯は腹をくくり、スマホの電話帳に登録した万里子オススメの床屋のTEL番号をクリック・・・しようとした。が、指は寸止め状態のまま、時間は経つ。
 指が震える。身体がこわばる。胃が痛い。口の中はカラカラ。神経が磨り減る。
 ――人生観変わるよ〜。
と万里子は言っていたけど、一体どんな店なのだろう。
 もはや、逡巡するときは過ぎた。
 親指に全ての気力胆力を集中させる。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 ポチ
 トゥルルルル〜
 ――うおっ、つ、ついに!
 トゥルルルル トゥルルルル
 呼び出し音が、考え直せ!と自分に訴えかけているように聞こえる。
 トゥルルルル トゥルルルル
 考え直せ 考え直せ
 トゥルルルル トゥルルルル
 考え直せ 考え――
『いつもありがとうございます。ヘアーサロンHeavenです』
 若い女性の声が聞こえた。

 それから三時間後――
 ヴイイイイイィィィン
 ヴイイイィィイイィン
「ダメっす! もォ〜、ダメっす! ムリっす! もおォォ〜、ムリっす!」
と荒い息遣いで、絶叫しながら、唯はもう、ゾリッゾリにパーマ毛を次々刈られていた。
「いい具合に仕上がってきてるわよ〜」
 理髪店Heavenのオーナーの香坂治子は、目を輝かせながら、意地悪く唯の耳元で囁く。
 治子のバリテクは、長い間の「人体実験」を経て、刈られる者に激しいオーガズムを起こさしめる域にまで達している。
 ノコノコと来店してきた「パーマのお唯」にもその「恩恵」は施される。ヴイイイイィイィィィン――
「ムムムムムリっす! ダダダダダダダメっす!」
 頭を坊主に刈られながら、のたうつ唯である。
 みるみる両サイドの髪が刈りこまれ、消え去ってゆく。同時に、治子の性技も冴えわたる。
「もおォ〜、ダメっす! ももももォォ、ムリっす! ででで出ちゃうっす!」
「何が出ちゃうのかしら?」
「う・・・ううっ、うっ、ああああ!」
 せつな汁滴らせつつ、唯は真っ白になりかける頭の中で、入店時のことを思い出していた。

 そう、そもそもが、最初っからおかしかった。
 予約した時間に店に入り、治子に導かれ、カット台に腰を沈めた。店は外観内装とも、オシャレな感じで、バリ子、いや、万里子先輩の言う通り、女性でも入りやすい。
 ただ、オーナーの香坂治子からは、女の直感で、何かしらトゲトゲしたオーラを受け取った。美人だけどヤバそうな人、それが第一印象だった。
 2mmの丸刈りにして欲しい、と頼んだとき、治子の両眼が異様に光った。それも怖かった。
 すでに万里子のことがあるため、治子も、
「ああ、もしかして、八ナントカ大学の? 尼さんの修行でしょ?」
と理解してくれていた。
 で、話はまとまり、いよいよカットへ。
 治子は唯の背後に立ち、ウキウキとバリカンのスイッチをいれた。
 ヴイイィィイィイイン
 粗切りなしでの、いきなりのモータ音に、唯はうろたえ、つい、
「ちょ、ちょ、ちょっと、バリカンとめて下さい!」
と口走ってしまっていた。
 治子は一転、憮然とした表情になって、
「とめろっていうんなら、とめるけど」
と言って、バリカンのスイッチを切った。そして、
「ハア〜」
と聞こえよがしに大きなため息をついて、
「あのさ」
と睨むように唯を見た。
「あなた、ここに何しに来たわけ?」
「え?・・・あの・・・あの・・・」
 思わぬ理髪師の説教モードに、しどろもどろになる唯。
「正座」
と治子は床を指さす。
「え?」
「正座」
「は、はい!」
 唯は大あわてでカットクロスをつけたまま、床屋の床に正座した。まるでテルテル坊主のようだった。
 治子は背の高いスツール椅子にゆっくりと腰かけ、唯を見下ろし、
「こっちもさあ、遊びでやってるわけじゃないからさ、わざわざ時間調整して、あんたの予約受け付けたわけでさあ、それがそんな態度でバリカン拒否られたら、何コイツって、テンションだだ下がりなんだよね。次の予約もあるしさ、で、どうすんの? このまま帰る? 帰ってもいいんだよ? 別にお金はいらないからさ。帰んな。帰んなよ」
「すみません」
 メチャメチャ理不尽な説教かまされてるのに、何故か謝ってしまった。
 治子はますます居丈高になり、
「もう一度訊くけど、ここに何をしにきたの?」
「髪を・・・切りに来ました」
 唯は忸怩たる思いで答えた。
「具体的にどういうふうに切るのか、もう一度オーダー確認させて」
「2・・・2mmの・・・丸刈りです」
「で、どうすんの? 刈るの? 刈らないの? はっきりして!」
「か、刈って下さい」
「当然バリカン使うけど、いいよね?」
「は、はい」
 正座して頭を下げる唯。
 すっかりうちしおれる唯とは対照的に、治子はカラッと笑い、
「じゃあ、刈ろっか!」
とスツール椅子から降りた。説教終了。完全にマウントポジションを取られ、唯はすっかり下僕根性の虜となってしまった。
 カット台にふたたび座りながら、
「あの・・・アタシ〜、バリカンとか初めてでえ〜、うっ、ううっ・・・ビックリしちゃって〜、つい失礼なこと言っちゃって、ほ、ホントにごめんなさい・・・うぅ・・・尼さんになるから〜、坊主にしなくちゃいけなくて〜、ホント辛くて〜・・・うっ・・・でも、皆、女の子の友達もどんどん坊主にしていって・・・だから、アタシも切んなきゃって思ってたんですけど、でも〜、辛くてえ・・・グス・・・ずっと切れなくて・・・坊主にしたくないんだけど、しなくちゃいけなくて・・・ううぅ・・・それが、辛くてぇ・・・悲しくてぇ・・・」
「泣かないの。こっちもチョッピリ言い過ぎたわ。ごめんなさいね。こういう性格なのよ」
 号泣する唯をなだめつつ、治子は微塵の躊躇もなく、目一杯バリカンを挿し込んだ。 そうして時に力強く、時に残酷に、時には優しく、バリカン処女の唯の「水揚げ」を執り行ってあげたのだった。
 ヴイイィィイィイィイン
 ヴイイイイィィイィイイン
「あっ、あっ、ムリっす! ムリっす! ムリっすうううぅぅ! 出そうっす! 姐さん、姐さん、出そうっすううぅぅぅ!」
「だから、何が出るの、クリ子?」
「く、クリ子?!」
「クリクリ坊主のクリ子よ。うふふ、今思いついたの」
「ああ・・・出ちゃうっす! ダメっすダメっすダメっす!」
「クリ子、男の子でしょ、金玉握って我慢なさい」
「いやいやいや女っす! 金玉ないっすうううぅぅ!」
「心の金玉を握るのよ」
 唯は頭の中、おぼろに睾丸を思い浮かべ、それを握ってみた。一瞬落ち着いた。でも――
「やっぱムリっす! ダメダメダメっす!」
「大丈夫、クリ子ならきっとかわいいマルコメ君になるわ」
「うう・・・う・・・ううう嬉しいっす」
「顔が発情期の犬みたいになってるわ。なんて嫌らしい子なの。アタシ、嫌らしい子大っ嫌い! もう、バリカンはお預けよ」
「い、いやっ、バ、バリカンとめないでぇ〜!」
などとやっている間にも、パーマヘアーは落とされていく。バリカンはスコップでドブの泥をさらうように、唯の縮れ髪をすくいあげ、彼女の頭を丸っこくならしていく。バサッ、バサバサッ!
「おお・・お、おぅ・・・」
 唯の斜視気味の目がさらに、昭和のコメディアン真っ青の寄り目になっていく。
「はうう・・・はう・・・」
 ランジェリーは愛液にまみれ、グッショリだ。
 先々週ロストバージンしたばかりなのに、その次がバリカンプレイとかハード過ぎる。
 左右の髪が刈られ、後頭部の髪が刈られ、責められ、焦らされ、挙句、とうとう頭頂の髪だけが残された。いわゆるひとつのモヒカン刈りである。
「さあ、クリ子も“野球部コース”よ〜」
 一体どんなコースなんだ、と白濁とした意識のうちで思う。
 治子は唯の残存した髪にポマードをたっぷりとつけ、セットした。前の方の毛を額に垂らして、
「懐かしのチェッカーズ〜」
とか思い切り遊ばれてるし。
 そして、
「お店のブログに載せさせてもらうからね」
とiPhoneで写真を撮られた。カットクロスを巻いたまま、焦点の定まらぬ目で、ダブルピースするモヒカン娘のショットが、治子のiPhoneに収まった。
 その途端、iPhoneから着信音。着うたはアニメ「一休さん」のテーマソングだ。
 治子は届いたメールを確認すると、
「ウソ・・・」
と顔色を変えた。二読三読して、そうして、時計を見た。
「まだ間に合う!」
と叫び、店の奥に走り、コートを羽織り、店を駆け出んとする。
「雄一がドイツに行っちゃうのよ!」
と、わめき残して。
 そして、タイミングよく通りかかったタクシーを拾い、どこかへ行ってしまった。ブロロロ・・・
 唯は店内に完全に放置されてしまった。
 ぼんやりと虚脱状態で、治子が帰ってくるのを待った。待ち続けた。
 しかし、待てど暮らせど治子は戻らず。
 80年代風モヒカン頭のまま帰宅するわけにはいかない。
 やることもないので、店の雑誌を読む。けれど、散った髪がどうにも気になる。だから、カットクロスをはずし、フロアブラシで短命だったパーマ髪を掃き集め、まとめていたら、
「ごめんよォ」
と老紳士が入ってきた。
「予約してた者だけど、あれ、オーナーは?」
「何か急用ができたみたいで、出ていっちゃいました」
「ええ、何? どういうこと?」
 老紳士の顔に怒気が浮かぶ。
「こっちはスケジュールがあって急いでるんだけどなあ。どこに行ったの? 近所?」
「さあ、タクシーを拾ってたんで、遠くに行ったのではないかと」
「ええ?! いつ帰ってくるの?」
「わかりません」
「君が切ってくれるのかね?」
「アタシ? い、いえ、できませんよ〜」
 どうやらこの老紳士、唯のことを店員と勘違いしているらしい。
「こっちはちゃんと電話して予約を取ってるんだぞ! 一体どうなってるんだ!」
「すいませ〜ん」
 懸命にモヒカン頭をペコペコ下げる唯。しかし、老紳士は怒りおさまらず、
「なんなんだ、この店は!」
 そもそも時間を守るということは社会人として云々、私の若い頃は云々、とガンガン説教をかまされた。今日は説教日和なのか。
「君もなんだその奇妙奇天烈な頭は! 女の子なら女の子らしい髪型にしなさい!」
と怒りの矛先は思わぬ方面にまで向けられた。それでも、唯は平身低頭して謝り続けた。客なのに。自分もほったらかされているのに。
「もうこんな店、二度と来ないからな!」
と老紳士は憤然と去っていった。
「申し訳ありませんでしたッ!」

 唯は治子を待つのを諦め、鏡の前、手頃なバリカンを探して調節し、ポマード臭漂うモヒカン髪をセルフカットした。鏡で確認しながら、自らの頭にバリカンを走らす。こういう場面、アメリカ映画なんかで、ごくたまにありそうな気がする。
 ジー、ジー、
 ジー、ジー、
 髪にバリカンをあてる。メリメリと髪が裂け、バリカンのバイブレーションに沿って、浮き上がる。刈り裂き、刈り割る。バリカンは触れるのすら初めてだったが、ムダ毛処理の要領で刈ってみた。
 鏡の向こう、2mmの丸刈りになった自分の姿に、
 哀愁
の二文字が漂う。季節のせいもあるだろうが、それだけじゃない。
 「刈り逃げ」するわけにもいかず、レジのところに代金を置き、メモを添え、店を出た。
 帰宅すると家族は皆、胸を撫でおろしていた。
 唯の帰りがあまりに遅いので、もしかしたらビビって逃げ出したか、と騒ぎになっていたらしい。
「さすがに、そこまでチキンじゃないよ〜」
と唯は苦笑した。

 ハンブルグの雄一のアパートに、一通のエアメールが届いたのは彼がこの地に着いてから、一週間後のことだった。治子からだった。
 手紙にはこうしたためられていた。
『雄一、最初にあやまっとくわ。ごめんなさい。やはり私は日本に残ります。ドイツには行けません。色々考えましたが、やはり店を捨てる決心がつきませんでした。理髪師の仕事もこっちでやっていきたいです。この仕事が楽しくて楽しくて仕方ないんです。やり甲斐を感じています。天職だと思っています。だから、アタシのことは忘れて。私もあなたのことを忘れるから。お互いの新しい幸せのために。今までありがとう。 治子』
「アイツらしいや」
と雄一は苦っぽく笑い、
「どっちが勝手なんだか」
と手紙をテーブルに放り出し、ベッドに身を投げ出した。
 二人の愛の第二章はあっさり消え失せてしまった。それも仕方ない、と雄一は思った。が、しばらくベッドの上、輾転した。

 その頃、ヘアーサロンHeavenでは――
 客のいない間のコーヒーブレイクを、治子は楽しんでいた。
「雄一、落ち込んでるかなぁ」
と呟きつつ、
「でもしょうがないよね」
 ユニフォームのポケットから一枚のメモを取り出す。一週間前、唯が代金と一緒に置いていったメモだった。
『治子姐さんへ。なんで帰ってきてくれなかったの〜(涙)
今度は最後まで刈ってね〜? クリ子』
 余白にヘタクソな坊主頭の女の子(たぶん唯本人)のイラストまで描かれている。
「こういう客がいるから、この商売、やめられないんだよねえ」
と治子は微笑し、マグカップを口に運んだ。


           (了)



    あとがき

 さて、今時女子の出家事情を綴ってきた「バチカブリ大シリーズ」ですが、今回久々に書いて、楽しさ&充実感をおぼえております。
 思えばシリーズスタート(2006年)のときは、スマホもラインもインスタグラムもなく、隔世の感があります。そして今年、頑固にガラケーを使い続けてきた迫水も、ついに観念してスマホに替えました。これが時代というやつか・・・。
 香坂治子様には今回も、サディスティック全開でやっちゃってもらいました。結構好きなキャラです♪
 そして、11月下旬に、ついに当サイトも55万Hitを超えました!!!
 ネットでもリアルでもさまざまな方々に支えられて、こうしてやってこれたと、けして美辞麗句ではなく、心から感謝しております。この先も楽しく、真摯に創作していくつもりなので、お付き合い頂ければ嬉しいです(^^)
 2017年も残りわずか。皆様もお身体に気を付けて、新しい年をお迎え下さい♪♪♪




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