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日出ズル前


 厩戸皇子(うまやどのみこ)は彼女のことが大好きだ。
 同年代の皇子たちと遊ぶとき、大人たちと話すときは、いつも超然としている。その端正な顔に、惜しむように、控えめな微笑をたたえ、少年離れした、いっそ老成したといっていいぐらいの落ち着きぶりを、常に保っていた。神秘的、と評する者もいる。
 だが、彼女と二人きりのときは違った。
 その日の午後も、彼女が訪れたらば、
「志摩!」
と持ち前の沈着さをかなぐり捨てて、はちきれんばかりの笑顔になり、
「志摩! 志摩! 志摩!」
と何度も彼女の名を呼び、仔犬みたいに飛びついてきた。
「はしたのうございますよ、皇子様」
 彼女――志摩(しま)も笑顔で厩戸皇子をたしなめる。
「だって――」
とムクれてみせる厩戸。
「ここのところ、ちっとも顔を見せてはくれなかったではないか。吾(われ)は随分と寂しかったのだぞ」
「これは申し訳ありませぬ。しかし、志摩にも志摩の都合というものがあるのですよ」
「どのような都合なのだ?」
「それは申し上げかねます」
「よき男子(おのこ)でもできたのか?」
「まあ」
 志摩は目を瞠ってみせた。
「十人の話を一度にお聞き分けになられる豊聡耳皇子様のお耳に、そのような悪しき知識を吹き込んだのは、どこのどなたでございましょう?」
「待て、十人の話を云々の件は、吾の舎人どもが吾のあずかり知らぬところで、広めて回っている出鱈目ぞ。彼奴らは、吾がちょっと賢しげな振る舞いをすると、大喜びして誇大に触れ回っておるから、吾も迷惑しておるのじゃ。十人もの話を、など大袈裟に過ぎる」
「本当は何人の言葉をお聞き分けなされたのです?」
「五人がせいぜいじゃ」
「それでもスゴいじゃありませんか!」
「志摩、話をそらすな」
「あら?」
 流石、厩戸、子供とはいえ侮れない。
「吾の許にずっと参らなんだ理由(わけ)を訊ねておるのじゃ」
「皇子様、今日はひとつ良きことをお教えいたしましょう」
「何じゃ?」
「しつこい男子は女子(おなご)から嫌われますよ」
「ええい、もうよいわ。相変わらず意地悪じゃな。志摩には敵わぬ」
 厩戸は白旗をあげる。本当に姉弟のような二人だ。
 しかし、志摩は、厩戸の自分に向けるほのかな慕情を感じていないわけではない。そんな厩戸に志摩は、恋ではなくて、母性愛と近似値の気持ちで応えている。
「さて、今日は何をお話ししましょうか?」
 志摩は厩戸の「家庭教師」だ。
 志摩は帰化人の豪族、司馬氏の当主、達等(だっと)の娘である。
 その美しさ、その怜悧さ、その気の強さで、幼い頃から人々の耳目を惹きつけずにはおかない、そんな存在だった。
 今は、父・達等の朝廷での実務を手伝っていた。宮中には大陸風の男装で通っている。翡翠色の袍(ほう)を着て、袴を履き、剣を佩いていた。冠はつけず、丈長き美麗な髪を頭の両脇で、垂れミズラに結い、束ねきれぬ髪は背に流していた。宮中以外でも、その姿で通していた。女だてらに馬も乗り回した。
 やがて、厩戸の父に見出され、
「吾の皇子に外つ国(とつくに=異国)のことを、物語ってはくれまいか?」
と頼まれた。
「厩戸皇子様に、ですか?」
「あれは外つ国について、やたら識(し)りたがってのう。情けなき話だが、吾らでも答えきれぬ問いを発して、皆弱っておるのだよ」
 それから志摩は、厩戸皇子の許へ伺候するようになった。馬でトコトコ訪ねていき、隋(ずい)や韓(から)の国の話、もっと西方の国々の話、仏の教えの話など、皇子にせがまれるまま、語って聞かせた。
 けして完璧な教師とは言えなかったが、厩戸は志摩の知識は勿論、その人柄――そして、おそらくはその美貌――も含め志摩に親しみ、志摩に熱をあげた。他人には出し渋る子供っぽい感情を、志摩にはぶつけてきた。志摩は年上の包容力で、そんな厩戸を受け止めた。
「今日は隋の政(まつりごと)の話をいたしましょう」
と志摩は異国の事情を話しはじめる。
「倭(やまと)の国では、家柄によって、生まれたときから、その身分は決まっておりますが――」
 大陸ではそうでない、と志摩は話して聞かせる。
 隋では「科挙」と呼ばれる試験に合格した優秀な人材のみが、官となり、皇帝の股肱として、皇帝の意を汲み、国政を司るのだ、と。
「倭とはだいぶ違うね」
 厩戸は志摩の袖にじゃれつきながらも、ちゃんと話を聞き、理解している。流石に「豊聡耳皇子」の異名は伊達ではない。
「志摩は好い匂いがするなあ。今まで嗅いだことのない香じゃ」
と鼻まで働かせている。
「麝香でございましょう」
「麝香?」
「遥か西方の香料でございますよ」
「話の腰を折ってしまったな。許せよ。政の話の続きをしておくれ」
「はい。倭では、それぞれ兵と土地を私有した豪族たちが、大王(おおきみ)を戴き、ときに叛き、ときに我儘を言います。こうした豪族たちの寄り合い所帯ゆえ、大王の意向はしばしば軽んじられることが多うございます」
「確かにそうだな」
「どちらが良きか悪しきかは、志摩の口からは申せませぬが」
「志摩はズルいのう」
「ふふふ、また、隋などには、カクカクの罪を犯せば、シカジカの罰が与えられるという規範が文字となってあります。百箇条、いや、それ以上にも及びます。仮令(たとい)皇帝といえども、おいそれとは曲げることはできませぬ。倭のように、権力者の恣意で刑の軽重が決せられることはありませぬ」
「裁きは公平に、ということか」
「はい、そうです」
「しかし、それはどうであろう。そもそも法とは、国や民の安寧のためにある物。四角四面のやり方を押し通せば、人が法の奴(やっこ)となってしまいかねぬ。場合によっては、人間味ある温情や、罪を憎む峻厳さも必要じゃ。一概にどちらが良い悪いとは決めつけられぬ」
「そうですね」
と頷きながらも、志摩は厩戸の理知に驚く。目から鼻に抜ける、とはこういう人間についての形容であろう。
 だからこそ、志摩にとって厩戸は話し甲斐のある「教え子」であり、話していれば、互いに、華やかで軽やかな音律を奏でているかのような心持ちになる。退屈な周囲の男子たちより、童の厩戸と話している方が、ずっと楽しい。無論恋ではないが。
 こんなささやかな時間がとても幸福に思える。
 けれど、この幸福も今日で終わる。
 名残惜しそうに、もっと、と話をせがむ厩戸に、後ろ髪を引かれながらも、いつものように笑顔で、
「では」
と一礼し、室を下がる。

 退出したところで、
「これは、志摩どの!」
 雷鳴の如き声が響き渡った。
 声の主は、大豪族の物部守屋(もののべのもりや)だった。隣には腰巾着の中臣勝海(なかとみのかつみ)も立っている。
「これは大連(おおむらじ=守屋)様、中臣様も。ごきげんよう」
 志摩は眉をひそめつつも、如才なく二人に頭を下げた。
「また厩戸皇子様にいらざる知恵を吹き込んだのではござるまいの」
 剛直な武人、守屋の声は大きく、言葉は直裁に過ぎた。
「十一歳の皇子様にすり寄るとは、達等どのもよほど窮しておられるのかな?」
 勝海も守屋の尻馬に乗って、露骨な嫌味を口にする。
「そなたら余所者の氏族が、宮中やら宮家に出入りするようになってから、どうにも仏臭くて仏臭くてかなわぬわ」
 これ見よがしに鼻をつまんでみせる守屋に、志摩は生来の勝気さがムクムクと頭をもたげてきて、
「国つ神こそ第一、と日頃公言して回っている身でありながら、実はひそかに邸内に御仏を祀っている二股男子もおられますからね。大連様も、ご自分の匂いをよくよくお嗅ぎなさればよろしゅうございましょう」
 守屋のヒゲ面が赤くなった。
「も、守屋どの、もしかして貴殿は――」
 難詰すべき相手が増えた勝海は、あたふたする。
「ええい! あ、あれは倅が勝手に祀ったのじゃ! 帰邸したらば即刻打ち壊してくれるわ!」
「善き御子息をお持ちで何よりです。不肖の親を思う、せっかくの御子のお志なれば、仏殿は大切になさいませ」
「口の減らぬ女子よのう!」
 佩刀の柄に手をかけんばかりの剣幕の守屋だが、志摩は顔色ひとつ変えない。そこへ――
「やめぬか」
と仲裁に入った、その声にこそ、志摩の頬は染まる。
「大兄王子」
 厩戸の父、大兄皇子(おおえのみこ)だった。
「大連よ」
 大兄皇子は穏やかな声音で言った。
「志摩は吾が頼んで、皇子の許に来てもろうておるのだ。あまり悪しざまに罵らんでくれぬか」
と志摩をかばった。
 守屋も流石に間が悪くなったのだろう、
「今日は日が悪うございましたな。また出直しまする。失礼をばいたしまする」
と仏頂面で、大兄皇子に拝礼し、勝海ともども去っていった。しかし、まだ腹の虫がおさまらぬようで、去り際、
「志摩どの」
と振り返り、口元を皮肉に歪めて、
「そなたも此度はとんだ貧乏くじを引かされたものよのう。蘇我なんぞと昵懇にしている報いぞ。その胸糞の悪い男姿も今日限りかと思えば、せいせいいたすわ」
と捨て台詞を残して出て行った。
「嫌な思いをさせてしまったな、志摩、すまぬ」
「何ゆえ大兄皇子様がお謝りになるのです。悪いのは大連と中臣です」
 志摩は大兄皇子の人の好さがじれったい。でも、そこが――
 ――この方の美徳なのだ。
と改めて思わずにはいられない。
「志摩、楼に上らぬか?」
と大兄は不意に言った。
「そなたと話がしたい」
 志摩の胸は高鳴った。時間が止まった。返事をすることも、息をすることすら忘れ、突然降ってわいた僥倖の中、立ち尽くした。
「参ろう」
 大兄は返事も聞かず、歩き出した。志摩はあわてて、その背を追った。

 二上山から吹き降りてくる風が心地よい。
 見下ろせば、都。家路につく人々の群れ。
 日はいつしか傾き、黄昏が迫ってきている。
 赤い陽射しが処女(おとめ)の紅潮した頬をうまく隠してくれて、有り難い。
 大兄の横顔も赤い。無論夕陽のせいだ。
 その横顔をそっと盗み見て、志摩の鼓動はますます激しさを増す。
「厩戸のことだが――」
 大兄が訊いた。
「どうかな、あれは? 随分とそなたに執心のようだ。日頃からそなたの話ばかりしておるわ。ませた児じゃ」
「利発で聡明で勇気も胆力もある皇子様です。将来(ゆくすえ)、倭の国を背負って立つ御方になられることでしょう。間違いありません」
「吾もそう思う」
と大兄は小さく頷いて、
「親の贔屓目と笑われそうだが――」
と前置きしつつも、
「吾には過ぎたる皇子だと思うておる」
 けして謙遜でも親莫迦でもなく、心底から言っているキッパリとした語調だった。
「近頃――」
と大兄は話題を転じた。
「兄上はお身体の具合がすぐれぬらしい」
「大王様が?」
「うむ。さすがに生き馬の目を抜く政の世界じゃ、早速に吾に近づかんとする者もいる。こんな吾でも一応は大王の跡継ぎの一人だからな」
「先程の大連たちもそうなのですね?」
「わからぬ。そうかも知れぬし、そうでないかも知れぬ。なにせ、用向きを聞いてないからね」
 大兄は柔和な微笑を絶やさず、前方を仰ぎ、遥か山々を、いや、そのもっと先を見るような眼になった。
 志摩は大兄のこの遠い眼がたまらなく好きだった。そう、大兄の眼はいつも遠くを見つめている。
 志摩はこっそりと大兄の真似をしてみた。大兄と同じ方向を見た。遠く、遠く、視線を延ばす。しかし、そこにはただ、暮れなずむ山の端と、さまようウロコ雲があるだけだった。もしかしたら、大兄には自分とは違う景色が見えているのかも知れない。そう密かに思う。おもう。想う。
 二人はしばらく黙って並び、溶けるように夕景の一部と化していた。それが志摩には、この上なく心地好かった。
「志摩よ」
 沈黙を破ったのは大兄だった。
「いよいよか?」
との大兄の問いかけに、志摩は寂しく微笑み、
「今宵、髪を落とします」
と告げた。
「そうか」
 大兄はまた視線を遠くに投げた。そして、言った。
「尼になれば、男子に嫁ぐことも、子をなすこともできぬな」
 それで良いのか、と念を押すかのような口ぶりにも聞こえる。
「大臣(おおおみ)様には逆らえませぬ。それに、好きでもない男子に嫁いで、子をなしたとて、どうして喜べましょう」
「まるで想う者がいるような口ぶりではないか」
 ――駄目だな・・・。
 志摩は心中、深い深いため息を吐く。どうやら、自分の想いは、ちっとも届いてないらしい。それとも届いているのに、この御方は、気づかぬふりを装われているのか。男子の気持ちというものは、本当にわからない。
 志摩の中に住む処女は、ひどくもどかしがっている。
 ただ一言、
 考え直せ、吾の許に来よ
とおっしゃって下されば、自分は信仰を捨て、家を捨て、全てを捨てて、この御方の胸に飛び込んでゆくのに。
 志摩は口をつぐんだ。大兄の次の言葉を待った。
「吾はそなたが羨ましい」
「え?」
 思いがけない言葉に、志摩は戸惑う。
「なまじ俗世に身を置いているから、苦しみが生じ、しがらみばかりが増える。そのような煩わしさを一切合切放棄して、御仏の御許で心静かに仏道を歩み、悟りを得、大安心を得る。吾もできることなら、そなたの如く出家したい。しかし王弟の身、自儘は許されぬ」
 志摩は黙った。どう返答したらいいかわからない。
 志摩の顔を素早く読んで、
「すまぬ。独り言じゃと思うてくれ」
 そう言って大兄は孤独に微笑した。とても帝王になれる人の微笑ではなかった。
「仮令不本意な動機といえど、もはや決まったこと。そなたはそなたの選びし道を全うすればよい」
「はい」
 志摩はうなずいた。本当は大兄に、御仏から自分を奪って欲しかった。心の奥底ではそう望んでいた。が、所詮は小娘の空しき夢想に過ぎなかった。わかってはいた。わかってはいたが求めてしまった。期待してしまった。
 しかし、今、志摩は一年もの恋心に、ひとり静かに決着をつけた。大兄も自分も、それぞれの重荷を背負い、それぞれの道を行き、それぞれの運命を生きていく。それしかない。
 ひとつの恋が夕闇に融けて沈む。
 日没。

 夜の中を馬を駆り、蘇我邸に直行した。志摩は夜目がきいた。闇を縫って、馬を飛ばした。
 蘇我邸はすでに、隅々まで清められていた。松明が邸内邸外を昼間のように、煌々と照らし出している。
「おお、志摩どの」
 蘇我馬子(そがのうまこ)は門前に志摩を見とめると、にこやかに、しかし小走りに寄ってきた。
「これは大臣(おおおみ=馬子)様、わざわざのお出迎え恐れ入ります」
 志摩は下馬して、馬子に頭を下げた。
「肝心な女主人公を欠いては、どうにもこうにもならぬでな。だいぶ気を揉んだぞ」
 馬子は、筋骨隆々として長身の持ち主である物部守屋とは正反対で、小太りで背丈も短かった。ヒゲは薄く、肌は艶々していて、年齢よりずっと若く見える。
 若さの秘訣について問われて、
「蘇(そ)を食しておるからのう」
と答えているのを、以前聞いたおぼえがある。
 蘇、とは大陸から伝来した食べ物で、牛の乳を煮詰めて作る、当時非常に貴重なものだった。それを日常的に摂取しているという事実は、馬子の財力や先進性を、如実に物語っていた。
 今上帝のはからいで、今では大臣の位を得て、朝廷での勢力を守屋と二分している。それでいて、腰が低く、常にニコニコと丸顔を笑み崩している。小娘の志摩にも、如才なく話しかけてくる。倨傲な守屋とはまるで違う。
 ――しかし――
と志摩は思うのである。本当に恐ろしいのは、こういう人間だと。
 笑っていても、その細い眼は、別の生き物のように鋭く動き、絶えず何かを探している。
 探し物は、有力豪族の弱みであったり、娘を嫁がせられる年頃の皇子の有無であったり、守屋ら反蘇我派の動向であったり、大陸や半島の政治情勢であったり、奴婢たちの過失であったりする。抜け目がない、というのは、こういう男のことを言うのだろう。
「すでに支度は整っておるぞ、志摩どの」
と馬子はせっつく。
「遅参申し訳ありませぬ」
と志摩は詫びつつも、自分の新たな運命の創造主である馬子を振り切るように、邸内へと入っていった。

 仏教が倭に公伝したのは、もう五十年近く前のことだ。
 当時の大王、欽明帝は仏の教えよりも、まず、仏像の精巧で芸術的な美に驚きの声を放った。「仏相貌端厳」(仏像の顔はキラギラとしているのう!)と「日本書紀」は、帝のその肉声を伝えている。
 しかし、仏の教えを奉じようとする崇仏派と、あくまで日本古来の神々に固執し、異国の神の存在を忌避する廃仏派に、群臣たちは分かれた。前者の代表が蘇我氏であり、後者の頭目が物部氏である。この両者の確執は半世紀にも及び、世代を超え、今も続いている。
 少し後のことだが、よく知られた挿話がある。
 敏達帝が崩御されたときのことである。
 殯宮(もがりのみや)でその葬儀が行われた。
 臣下たちは亡き大王に、誅(しのびごと=弔辞のようなもの)を奉らなければならない。
 馬子も誅を読みあげた。小男の馬子が、身に釣り合わぬ大きな剣を佩いているのを見て、守屋は、
「猟箭中ヘル雀鳥ノ如シ」(大きな矢に刺さったスズメのようだ)
と嘲った。
 次いで守屋が誅を読みあげた。守屋は緊張したのか、しきりに身体を震わせた。それを見た馬子は、
「鈴ヲ懸クベシ」(鈴をつければ、さぞよく鳴るであろう)
とすかさず嘲り返した。
 大王の亡骸の前ですら、両者の互いへの悪感情は、抑えきれない激しいものがあったのである。

 この馬子が近頃、仏像を二体手に入れた。ひとつは石像、もうひとつは木と金属(かね)でできた像だった。
 この二つの仏像が志摩の運命を、大きく変えることになる。
 馬子は仏像を本格的に祀ろうと思案を重ねた。せっかくの仏像、できるだけ本格的に祀りたい。崇仏派を活気づけ、廃仏派を落胆せしめるように。
 そして、思い立つと、司馬達等の邸に急行した。大臣なのだから、達等を呼びつければ済むのだが、元々腰の軽い男ではあるし、すっかり自分の思い付きの虜になっている彼はじっとはしておれなかったのだった。
 司馬邸に着くなり、思いがけぬ客人にあわてて応対する達等への挨拶もそこそこに、
「話がある」
と性急に切り出した。
「志摩どのも、これへ呼んでくれぬか」
 現れた志摩に、馬子はいつもの笑みと猫なで声で、
「相変わらず美しいのう」
などとおだてたりした。
 志摩は正直、馬子のような男があまり好きではない。しかし、蘇我氏と司馬氏はずっと水魚の交わりできているので、つとめて笑顔を作って応接した。
「実は今日は大事な用向きで参ったのだ」
と馬子は威儀を正した。自邸にある二体の仏像の話をした。
「この御仏の像を、隋や韓のようにまで、とは言わぬが、でき得る限り丁重に、本式にお祀りしたいのだ」
「なるほど」
と父の達等は時めく大臣の言に、神妙な面持ちで首肯していた。
「志摩どの」
「はい」
「そなたは御仏をば、如何に思うておるか?」
「至尊なる存在と思うておりまする。普天の下をあまねく照らすありがたき御方であると、信仰いたしております」
 幼少の頃から帰化人の父を経由して仏の教えに親しんできた志摩は、一語のよどみもなく答えた。
「なればよい」
 馬子は満足そうにうなずき、
「志摩どの」
と、また訊ねた。
「三宝とは何の謂か存じておるかな?」
「御仏の像と経典と僧にございます」
「流石は達等どのの娘御じゃ」
 馬子は話の核心に切り込むときの癖で、舌で唇を湿した。
「今話した通り、仏像はあり、経典もすでに我が家に保存してある。三宝のうちの二つはある。が、肝心な僧がおらぬ。御仏にお仕えし、経や供物を手向け、御仏の教えを広め、仏像や経典を守る者がおらぬのだよ。外つ国の僧はわずかにおるが、倭人の僧は一人もおらぬ。これでは倭の仏法はいずれ立ち枯れてしまう。由々しきことじゃ。それではいかぬ」
 馬子は熱弁を振るう。珍しくいつもの笑みは消え、真剣な表情になっていた。
「そこでじゃ」
 馬子は言葉を切り、じっと達等父娘を睨むように見据えた。その眼は恐喝漢のそれだった。
「達等どの、志摩どのには、折り入って頼みがある」
「なんでございましょう?」
 達等は馬子の気迫に、すっかり気圧されている。微かに喉をかすれさせ、訊いた。
「志摩どのに出家してもらいたい」
 馬子はズバリと言い切った。
「え?!」
 これには、父も娘も我が耳を疑った。一瞬呆けた顔になった。
「志摩どのに尼になって、仏像を拝み、守って欲しいのだ。吾とて色々熟慮した。しかし、信仰、学識、出自、人格、容姿、どれをとっても志摩どのより他に仏像を託すに相応しき者はおらぬ。それに――」
と馬子はちょっと好色な顔つきをして、
「未通女(おぼこ)というのも素晴らしい。清尼に仕えられれば、御仏もお喜びになるに違いない」
「いや・・・それは・・・」
 思いがけぬ懇請に、達等は狼狽している。志摩とて同じだ。
「拝跪して頼めと申すならば、幾らでも拝跪しよう。これ、この通り」
 そう言うと、馬子は床の上に身を投げ出して叩頭した。司馬父娘に何度も拝礼した。どこか、そこはかとない滑稽感が伴う。自らもその効果を知っていて、馬子は繰り返し、拝跪する。この憎めなさが、政治家としての馬子の持ち味だ。そうやって、道化を演じるも辞さず、人を誑(たら)し、己の望みを押し通す。こんな芸当は宿敵の守屋には到底できまい。
 達等はオロオロと、
「大臣、頭を、お手を、お上げ下され」
「なれば吾が言うことを聞いてくれるか?」
「むむ・・・」
 達等は詰まった。志摩も俯いている。
 尼になれば、もう恋をすることもできないし、婚姻して子を産むことも許されないのだ。
 志摩の脳裏には大兄皇子の顔が浮かんでいる。幻の大兄皇子はいつものように遠い眼をしていた。
 しかし、蘇我氏という強大な後ろ盾を必要としている司馬氏としては、馬子のたっての頼みを無碍にはできない。
「即日の返事は、どうかご容赦くださいませ。吾らもしばし考えてみますゆえ」
と達等は、なんとか時を稼ごうとするも、
「ならぬ。今すぐ返事をくれい」
 馬子はあくまで強引だった。実際に改めて志摩と会ってみて、
 ――これは良い尼になる。申し分ない。
と自己の目利きに自信を得、説きに説いた。
 ついに説き伏せられ、
「わかりました」
と達等は兜を脱いだ。が、
「しかし――」
と語を接ぎ、
「志摩の気持ちもありますゆえ」
と娘にその諾否を委ねた。というより押し付けた。
「志摩どの、どうじゃ? 承知してはくれまいかの」
 馬子は口ではもの柔らかげに、しかし、眼では威圧しつつ、小娘の意思を問うた。
 志摩は顔をあげた。馬子を見た。二つの視線は宙空で激しく衝突し、火花を散らさんばかり。
「わかりました」
 志摩は目を閉じた。腹を決めた。司馬一族のために自分が犠牲となるしかない、と。
「尼になります」
「よかった、よかった、これで決まりじゃ! 倭の仏法の将来(ゆくすえ)は明るいぞ!」
 馬子は手を拍って大いに笑った。よほど満足したのだろう。
 こうして、志摩の出家は確定した。
 馬子の指図によって、恵便という高句麗(こうくり・朝鮮半島北中部にあった国家)の僧が師となり、志摩に教義や作法を伝授した。
 尼になる勉学と準備のため、厩戸皇子の許にも思うように行けず、皇子を拗ねさせてしまった。

 そうして、久方ぶりに厩戸に会いに行った日の夜、志摩は蘇我邸において、得度を受け、尼となった。
 仏像の前で、その髪を剃り落とした。芳紀十七。
 得度の式はいかにも仏教後進国の倭らしく、簡素に執り行われた。
 師の恵便の従えてきた韓の僧たちが、鋏を入れ、剃刀を入れた。どちらも大陸製のよく切れる鉄器だった。
 まずは、結わえていた髪がほどかれた。長い髪は志摩の背や肩を覆い、今朝方焚き込めた――厩戸もうっとりとしていた――麝香のかおりが、周囲に甘く漂った。
 志摩は瞑目している。すでに袍も袴も脱ぎさり、白衣(びゃくえ)姿だった。
 鋏が豊かな髪を、一房、一房、食み、断ち切っていく。ギチギチと鋏が鳴る。刃をはね返そうとする処女の髪の弾力に、たじろぎ、切りあぐねているかのようだ。そして、かえって加虐性すら帯びた力強さで、鋏は運動し、刃と刃を激しくカチ合わせ、抵抗をする髪を、激しく、雄々しく、躊躇なく、刈り獲っていく。ジャキッ! ジャキッ!
 摘まれた髪はやや小ぶりな壺の中に入れられる。後で壺ごと土に埋めるのだそうだ。
  フゥ、と志摩は息をひとつ吐いた。心を落ち着けんとした。この期に及んで、出家の意思を迷わせる、煩悩という名の姿の見えない妖魔たちを、心から追い払うべく。
 そして、掌を合わせ、仏に念じた。
 ジャキッ! ジャキッ!
 髪を切る音とはかくの如しか。十七にして初めて聞く音。それが絶え間なく耳を襲い、志摩はおぼえず、合わせた両掌にさらに熱をこめた。
 鋏は十七の処女の髪を切り裂き、髪は、あな無惨、骸に成り果て、壺中に詰められた。
 もはや女子ではなくなるのだ、と思うと熱いものが胸にこみ上げてくる。これもまた煩悩。心の中、湧き出る迷妄を、懸命に蹴散らそうとした。
 フッと首の周りから髪の感触が消えた。
 長い髪は全て切り払われ、志摩は蛮族のような短い髪に刈られていた。
 次いで侍僧たちは頭を剃りにかかった。
 キラリ、と光る剃刀を短い髪に斜めに入れた。
 ジイイィ、と髪が哭いた。僧は生え際から、一刀、一刀、挿し入れ、丁重に志摩の髪を削いでいった。
 薄緑色の頭皮が、灯りで照らし出される。その一点に、列座の全員の視線が注がれる。つい、ため息を漏らす者もあった。ゴクリ、と唾をのむ者もあった。
 皆――馬子ですら――、理髪、という「文明的行為」を目の当たりにするのは、初めてなので、神妙な顔つきで座しつつも、その衝撃を隠すことはできないようだ。
 耳の辺りも剃られる。
 ジイイィ、ジイイィ――
 剃刀の運動に従い、髪は剥がれ落ち、ひと剃りごとに薄緑色の沃野は拡がっていく。剃られた髪は、侍僧が二人がかりで志摩の首元で広げた巾の上に、雨だれみたいに落ちていった。逆側の髪にも剃刀はあてられる。
 志摩はひたすら御仏に念じ、祈った。視線を上げた。仏像の顔を拝した。御仏は柔和な表情で、志摩を見下ろしている。
 御仏の顔が「あの御方」の顔に不意に重なった。片恋の残滓に、志摩は途端に戸惑う。
 志摩の動揺を素早く見てとった師の恵便は、
「心静カニナサレ」
と片言の倭言葉で鋭くたしなめた。
 志摩は未熟な我が身を恥じた。ひたすら御仏に合掌し続けた。
 剃刀は後頭部を上下している。鉄の感触をうなじは感受した。
 ジイイィ、ジイイィ――
 頭頂の髪を一つまみだけ残し、頭は剃りあげられた。巾に集められた髪も、壺中へ。髪は壺の中、ギュウギュウ詰めになっている。麝香の芳香を放ちながら。
 最後の髪は恵便が直々に剃除した。
 ジイイィ・・・ジイイィ・・・ジイイィ・・・
 剃髪は終わった。
 浅葱色の僧衣が与えられた。志摩は白衣の上、それを着けた。尼僧の姿となった。
 剃髪した自分の顔を、はじめて鏡で見たとき、あまりの異形に、志摩は鏡を取り落としかけた。心が激しく揺さぶられていた。髪の有無だけで、これほど別人のように容貌が変わるものだろうか。
 馬子は狂せんほどに喜びはしゃぎ、美しい、可憐じゃ、清らかじゃ、御仏もご満足なさろうて、と口を極めて誉めそやしたが、志摩はただ困惑するばかりだった。
 そんな志摩に、恵便は
「ゼンシン尼」
という法名を授けた。
 かくして、日本最初の尼僧が男僧に先駆けて、誕生したのであった。

 ゼンシン尼となった志摩は、ひたすら仏道に励んだ。
 馬子邸にしつらえられた仏堂で(本格的な寺院の建立が行われるようになるのは、まだ後のことだ)仏像を拝み、経を読み、仏典に親しんだ。そうやって、仏法への造詣を深めていった。
 同じ道を歩む弟子もできた。漢人夜菩(あやひとのやぼ)の娘・豊女(とよめ)と錦織壺(にしこりのつふ)の娘・石女(いしめ)もそれぞれ、ゼンゾウ尼、エゼン尼となり、志摩はこの二人の師として、彼女らの長い髪を断ち、青々と剃った。
 二人の法友と切磋琢磨し、志摩はますます仏道に傾倒していった。

 しかし、その翌年――
 志摩ら三人の尼の身柄は、物部守屋の手中に落ちてしまった。
 志摩らが尼となり、蘇我氏が公然と仏を祀りはじめた頃から、疫病が流行しはじめた。
 豪族も民も、罹病し、バタバタと倒れ、「身焼カレ、打タレ、砕カレルガ如シ」(日本書紀)という苦悶のうちに死んでいった。
 守屋や勝海らはすかさず動いた。
 これは蘇我氏が異国の神を奉じた所為で、倭の国つ神がお怒り給うたのだ、と騒ぎ立て、敏達帝に訴え出たのである。
 元々仏教をあまり好んでいなかった敏達帝は、守屋の言い分を認め、廃仏の勅を下した。
 守屋は喜び勇んで、彼の私兵を率い、蘇我邸に押しかると、
「大王の命である」
と仏堂を打ち壊し、仏像を川へ投げ捨てた。そして、居合わせた馬子と達等を、
「この国に巣食い、国家を蝕む毒虫どもめ!」
と、れいの大声で痛罵した。
「このような碌でもない外つ国の神などを持ちこんで、倭の国土を穢す故、悪疫がはびこり、民草が苦しむのだ! 汝ら、さほどに外つ神を崇めたければ、倭から出て行け! 隋なり韓なり天竺なり、どこへなりと行って、好きなだけ拝めば良いのじゃ!」
 馬子は言い返さなかった。守屋に罵るだけ罵らせた。今のところ、勢いは守屋にある。分が悪い。ここは面従腹背、抗わず、時機を待とう。そう計算して、沈黙していた。
 守屋はさらに、志摩たち三人の尼を引き渡すよう、馬子に要求した。馬子は言われるままに、三尼の身柄を、守屋に差し出した。結局のところ、馬子にとって、志摩は単に自己の権力のための具に過ぎなかったのだ。

 守屋は引っ立てられた志摩を睨(ね)めて、フン、と鼻で嗤った。
「志摩どの、いや、今はゼンシン尼だったかの」
 志摩は仏敵に対し、沈黙で報いた。守屋が、また、フン、と鼻を鳴らした。
「虚勢を張ったところで、汝らは馬子に見捨てられたのだ。後は焼こうが煮ようが、吾の胸三寸よ」
「そのように脅しになられても、我らの信心は揺らぎませぬぞ」
 そう言って、志摩は守屋を睨み返した。ゼンゾウ尼やエゼン尼も、恐怖を堪え、懸命に志摩の言葉にうなずいている。
「フン、このような青柿の如き頭に成り果ておって」
と守屋は勝ち誇ったように、髪の無い志摩の頭を撫で回した。志摩は言いようのない屈辱と不潔感に、身を震わせた。
「あくまで罪を認めず、悔い改めぬとあらば、吾にも考えがある。その方どもを存分に苦しめ、存分に辱めてくれるわ」
 三人の尼は直ちに僧衣を剥ぎ取られ、丸裸にされ、海石榴市(つばいち)に連行された。大和地方でも繁華な地である。
 そこの駅舎に、裸形の尼たちが引き据えられたのを見て、たちまち野次馬が群がり集まった。
 尼たちは獣のように縛り上げられ、その尻を群集たちに向けさせられた。
「この者たちは、此度の悪疫の元凶である!」
と守屋は一層声を張りあげた。
「よって、畏くも国つ神の名において、この大連・物部守屋が懲らしめるものなり!」
 兵士たちが木製の鞭(むち)を持ち、三人の後ろに回る。
「待てい」
 守屋は制し、兵士から鞭を取り上げると、満身の力をこめ、志摩の白く柔らかな尻を、したたかに打った。
 バシイイィィ!
 志摩は歯を食いしばり、痛みに耐えたが、
「くっ・・・」
 うめき声を漏らした。剃髪した頭をプルプルとふるわせる志摩を、守屋は満足げに見下ろし、
「これで、いつぞやの雑言の借りは返したぞ、ゼンシン尼、いや、志摩よ」
「お、大連様」
 志摩は苦しげな息づかいをしながらも、守屋を振り仰いだ。
「ひとつ、良きことを教えてさしあげましょう」
「何じゃ?」
「しつこい男子は女子から嫌われますよ」
「だ、黙れ!」
 バシッ、と、また志摩の臀部が激しく鳴った。白い肌が腫れ、薄っすら血が滲んだ。
「まことに口の減らぬ女子よの、汝は」
 守屋は荒々しく肩で息をしつつ、ペッ、と志摩の頭に唾を吐きかけた。そして、鞭を兵に返すと、
「容赦いたすな。こやつらは国つ神の敵、国家の賊ぞ」
と命じた。
 兵たちは命に従った。馬糞と馬草の臭気の充満する中、嬉々として鞭を振るった。
 尼たちは加えられる折檻に、顔を歪め、うめきながらも、その痛みと屈辱を甘受した。
「これも試練です。我らの信心が試されているのです。きっと御仏が救うてくれます。ゼンゾウ尼、エゼン尼、信じて耐え忍ぶのです!」
と志摩は法友たちを励ました。
 この珍しい「見世物」に集まった民衆は嗤い、聞くに堪えぬ卑猥な悪口(あつこう)を放って、どっと大笑いして、さらに囃したてた。
 中には憎悪に満ちた眼を向け、
「汝らの所為で吾のお父もお母も妹も死んだのじゃ! うんと苦しむがいい!」
「我が夫を返せ! 息子を返せ!」
とすさまじい形相で罵る者も多かった。これには、志摩も顔を背けるしかなかった。

 しかし、その後も疫病は止むことはなかった。むしろ、いよいよ猛威を振るい続けた。
 とうとう、仏教弾圧の先頭に立っていた守屋までが、病に罹り寝込んでしまった。
 この隙を見逃す馬子ではない。すかさず敏達帝に拝謁し、
「大王、これでおわかりでしょう」
と、いつものニコニコ顔で、帝に迫った。
「悪疫は仏とは無関係にございます。どうか禁をお解き下さい」
 それでも、倭古来の神々を信奉する敏達帝は渋った。馬子の言になかなか首を縦に振ろうとはしなかった。
「兄上」
 大兄皇子が君臣の間に割って入った。
「大兄よ、そなたには何か良き思案があるのか?」
 いつも意見を慎んでいる大兄が、調停に乗り出そうとしたので、帝は驚きの声をあげた。
「仏法については、大臣の身内のみに限り、例外としてこれを許すということにしては如何でしょう?」
「ふうむ」
 大兄の口添えに、帝の態度は軟化する。しばらく考えた末、
「大臣よ」
「ははっ」
「仏を祀ること、卿と卿の身内に限ってのみ認めよう」
「ありがたき幸せにございます」
「となれば――」
 大兄はさらに進言した。
「捕らわれたる三人の尼も、言わば蘇我の身内も同然。すみやかに蘇我の許に返すのが筋でございましょう」
 帝も今更、否やはない。大兄の言を容れた。大兄によって志摩は救われたのである。
 法難を脱した志摩は、痛めつけられ、衰弱しきった身体と、朦朧とした意識の中、頭に手をやった。剃髪を禁じられた髪は、法難の日々の分だけ伸びていた。
 ――すぐにでも剃らねば・・・。
と思った。弾圧は確かに志摩を強くしていた。

 三年後――
「志摩」
と声をかけられた。
 振り返ると、
「厩戸皇子様!」
 志摩は目を瞠った。
 厩戸は立派な青年になっていた。志摩よりずっと低かった背丈も、グンと伸び、顔立ちも大人びた。それでも、昔の面影は残っていた。
「大きくなられましたね」
「十五になった」
と厩戸は破顔して、
「志摩こそ、その頭、随分似合うぞ」
 志摩は、はにかんで、剃髪した頭をひと撫でした。
「最後にお会いしてから、もう四年になりますね」
「志摩は別れも告げずに、突然出家して、いなくなってしまったからな」
「申し訳ありませぬ。つい、言い出しかねてしまったのですよ」
「この四年の間、そなたのことを、片時も忘れたことはなかった」
「仰らないで下さい。もはや、尼の身ですゆえ」
 海から渡ってくる風に、志摩の法衣はたなびき、厩戸の髪は揺れる。
 潮が騒いでいる。
 大勢の人々が泊(とまり)を埋め尽くし、往く者、残る者、互いに別れを惜しんでいる。
「どうしても行くのか?」
「はい」
 志摩は凛と答えた。
「やはり仏法をしっかりと学び直し、正式に受戒させて頂くには、外つ国に参るしかありませぬ」
「海に呑まれ、生きては帰れぬやも知れぬのだぞ」
「きっと御仏の御加護があるでしょう」
「志摩はもう立派な尼だな」

 この三年間様々なことが立て続けに起こった。
 敏達帝が崩じ、大兄皇子が皇位についた。用明天皇である。
 用明帝は、仏法への帰依を初めて公言した大王となった。しかしわずか二年足らずで、用明帝は逝った。優しすぎる彼に、皇位は重きに過ぎたのだろう。
 用明帝の死後、蘇我と物部の間に戦が起きた。守屋の奮闘で、馬子は苦戦した。
 そこで蘇我軍に従軍していた厩戸が四天王の像を彫り、祈りを捧げると、士気は大いにあがり、ついに守屋は討たれ、物部氏は滅亡した。
 馬子は崇峻帝を擁立し、朝廷での実権を完全に独占した。

 こうした権力闘争をよそに、志摩は仏法の教えを学び続けた。
 そうして、自身の未熟を悟り、百済(くだら・朝鮮半島南西部にあった国家)への「留学」を決意した。ゼンゾウ尼もエゼン尼も心を一つにしてくれた。百済で本場の仏教を学び、日本に持ち帰る、それこそが自分たちの使命であると、若き胸をたぎらせた。法難が彼女たちの信仰を、結束を、強固なものにしていた。

 そして、今日、晴れて出発の日を迎えたのである。
 太陽は燦燦と輝き、潮の匂い。船乗りや人夫が出航の準備のため、荷を運び、忙しく立ち働いている。志摩と厩戸は並んで立ち、海を見ている。
「まさか、皇子様にお見送り頂くとは、思いもよりませんでした」
 志摩は昔に戻ったかのように、悪戯っぽい眼で笑って言う。
 厩戸は巨船を指さし、
「あれで志摩は外つ国にゆくのか?」
「はい」
とうなずき、ふと厩戸の横顔を見、志摩はハッとなった。彼の父、大兄皇子の同じ遠い眼。船団より先を、遥かな異国を見つめているような遠い眼。おぼえずドギマギしてしまう。
「志摩」
 厩戸はその眼のまま、言った。
「吾は将来(ゆくすえ)、倭に大きな寺を建立するよ」
「まあ」
「倭に仏法を広めるには、やはり寺は必要だ。それも、隋や韓のような壮麗な伽藍を持つ寺々をだ。僧尼も増やす。仏法の興隆を倭の国是とする。そして、この国の体制を根本から作り直す。蘇我物部の戦で、吾も随分と辛い目に遭うた。多くの血が流されるのを目の当たりにした。そんな私利私欲のための殺し合いなど、金輪際真っ平じゃ。これからは、和を以て貴しとなす、の精神で争いのない、新しき世を築く」
 ――あるいは、この御方ならば出来るかも知れない。
と志摩は思う。そして、いつかしたように、厩戸と同じ方向――水平線の彼方に視線を延ばした。その果ての果てに、未来の王道楽土がほんの少し、ほんの少しだけ、垣間見えたような気がした。
 志摩が百済へと船出したのは、それから間もなくのことだった。
 厩戸は遠ざかっていく船に、幼き日の淡い恋に、手を振り、船影が消えゆくまで、ずっと海辺に立ち尽くしていた。


(了)





    あとがき

 長っ! 自分でも驚くほど長っ! 通常の二倍の量!
 今回の怒涛の時代劇祭り(「惟虎の最期」⇒戦国 「大逆転」⇒江戸 「メープルシロップ」⇒昭和)の最後は初の古代モノでございます。とうとう「尼僧誕生」まで行き着いてしもうた(笑)れいによって、「断髪描写のある歴史小説」と割り切ってお読み下さいm(_ _)m 実際、書きながら「断髪小説としてはいらないなぁ」というシーンも、カットせず(できず)残してあります。
 このお話の元ネタは、小学高学年のとき、頭に浮かんだもので、ノートにイラストや設定などを描いて楽しんでいたのをン十年後、ちゃんとした小説にしてみました(しかし、つくづくマセた子供だったんだなぁ〜)。ヒロインの志摩=嶋の出家時の年齢は、十一歳というのが通説ですが、十七歳説もあり、この小説ではこっちの異説の方を採っています。
 出来としては、力入り過ぎちゃったかな・・・。かろうじて及第点、と自分では思っています(←自分に甘いヤツ)。楽しく書けたし、まあ、いいか。
 タイトルは山岸涼子先生の名作漫画から、ヒントを頂きました。あの漫画、結構好きなんです(*^^*)
 この長い小説に最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました(*^^*)(*^^*)




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