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門跡様は同級生?!


 ホームルームの前。机に突っ伏し惰眠を貪っていたら、
「オースッ! 鴨志田ぁぁ〜!!」
と背後からいきなりスリーパーホールドを、そりゃもうガッチリとかまされた。
 ホワッ
と匂香の「和」なかおりを堪能する余裕もあらばこそ、オレの首に巻き付いた二本の腕(かいな)は手加減せず、グイグイとオレをしめあげる。く、苦しい・・・・・・!
 この怪力の主はちゃんとわかっている。
「おいっ、小鳥遊! は、離せ! 離せ、コノヤロー!」
 オレは窒息しそうになりながらも、反撃に打って出るべく、希少な残存体力をフル動員して、
「ぬおおおおぉ!」
とふりほどこうとした瞬間、絶妙なタイミングで、パッと両腕を離され、
「うはっ!」
とつんのめって、
 ガラガラガシャーン!!
 机という机をなぎ倒し、派手に転倒。
「テメー、この小鳥遊!」
と気色ばむオレの背後で、
「おう、鴨志田。朝から元気やね。でも、こないに仰山机引っくり返したらアカンわ」
 担任の大丸先生(♀・35歳独身)が夜叉の如き顔して、仁王立ちしていた。
「ゲゲッ!」
 思わずのけぞるオレ。この災厄の元凶たるアイツ――小鳥遊菜音子(たかなし・なのこ)はいつの間にか、ちゃんと着席して、すまし顔。まったくもって忌々しい。この上なく忌々しい。
「早く机を元に戻し。ホームルームはじめるで」
と出席簿で頭をはたかれつつ、オレは今一度、アイツ――小鳥遊菜音子を振り返る。容姿端麗。明眸皓歯。「名家」の血が結実したかのような、華やかさと落ち着き、美しさと愛嬌、品の良さと闊達が、「矛盾」という語をねじふせて、アクロバティックに共存共栄している、ブラボーでワンダフルな顔立ち。その顔がオレに向かって、
 フフン
と嗤った。すげームカつく。憎たらしい!

 唐突だが門跡寺というものが世の中にはある。それは何かと尋ねられたら、ウィキペディアを見い見い受け売りさせてもらうと――
 古来より皇族や貴族の子女が出家して住持になり、代々受け継がれてきた由緒ある寺院たちのことだ。それが女の場合、尼門跡と呼ばれる。そこの住職――つまり頂点に立つ尼さんは「門跡様(門跡さん)」と称されたりもする。天皇家や公卿出身の尼僧によって、連綿と守られてきた尼門跡では、世間とは一線を画した環境の中、古代中世以来の文化やしきたりが、21世紀の今なお、ガラパゴス的に色濃く残っているという。
 即ち、寺の中でも特権階級、エリート中のエリートなのであーる。
 でだ、話を教室に戻すと、この憎き怪力娘、小鳥遊菜音子は、その尼門跡の今南寺(いまなんじ)の次期「門跡様」なのであーる。大丈夫か、仏教界?!
 と言っても、服装は他の女子たち同様、ブレザーにスカートの制服。髪だってある。それも腰まである。その丈長き黒髪を、キリリと頭上高くポニテに結いあげている。見事な美少女ぶりだ。見た目だけは、な。

 オレの親父は放浪のカメラマンだ。その方面では名の通った写真家らしい。が、詳しくは知らん。親父をスゴイと思ったことはない。一度もない。オレの知っている親父は、いつも部屋の片隅で黙々とカメラの手入れをしている、陰気でサエない中年男だった。
 お袋はオレが幼い頃に死んだ。タチの悪い病気だったそうだ。それ以降、親父の放浪癖に拍車がかかった。オレを連れ、あっちの土地こっちの土地、と渡り歩き、写真を撮りまくっていた。
 当然オレは何度も転校を繰り返した。大変だね、とよく言われたが、これが当たり前だ、と物心ついた頃からの、父一人子一人の放浪生活を受け容れきっていた。とは言え、放浪範囲は関東地方に限定されていた。
 しかし、四十の坂を越えた親父は言った。
「これからの五年、いや、十年は京都だ! 古都の風景を、俺の中の可能性が許す限り、極め尽くす!」
と。
 否も応もなく、オレは十七にして初めて箱根の山を西に越えた。
 京都行の列車の中で、漱石の「坊っちゃん」の主人公と清のやりとりを、ボンヤリ思い出していた。そして、京都、着。夏だった。古都の夏の暑さにはホトホト閉口したものだ。こんなところに十年も居るのか、と考えたらゲンナリした。東男のオレははんなりとした京都の人や風土にも、どうにも馴染めなかった。だから早いトコ自立して、親父から離れ、関東に戻ろうと決めていた。
 そんなんだから高校でも友人はできなかった。いつも単独。クラスメイトどもは、なんだかオレのことを怖がっているふうだった。それでもいいさ、と一匹狼で押し通していた。
 担任の大丸先生(♀ 35歳独身)は、
「君もクラスに溶け込む努力をした方がエエで。一度きりの高校時代やん。うちのクラスにそないに悪い子なんておらんよ。手を差し出せば必ず誰かが応えてくれる。求めよ、されば与えられん、や」
と割かし親身になってアドバイスしてくれたが、オレは適当に受け流すばかりだった。

 そして、転校してから二か月経つ頃、オレはヤツに「見つかって」しまった。いや、とうに「目をつけられて」いたらしい。
 帰りのホームルームも終わり、下校の準備をしていたら、
「でやあああぁぁ!」
といきなり声。ドカッ! 臀部に激しい衝撃!
「ぐわっ!」
 オレは前のめりに倒れた。一瞬何が起こったのか把握できなかった。何者かがオレのケツを思いきり蹴り上げたらしい。周囲のクラスメイトどもは凍り付いている。皆「狂犬・鴨志田」(誤解に基づく過大評価)のキレるさまを予測し、息をのんでいる。
 連中の期待(?)通り、オレは怒髪冠を衝き、振り返りざま、キックの主の胸ぐらをつかんだ。
「てめぇ、何しやがるんだ、コノヤロウ!! ぶっ飛ばすぞッ!」
 白い顔があった。美しい顔。この美少女が犯人らしい。胸ぐらをつかまれつつも、悪びれもせず、ニヤニヤと悪戯っぽく笑っている。オレは毒気を抜かれ、脱力した。その機をとらえたかのように、蕾の如き唇が動いた。
「いいねえ、その啖呵。久々にあっちの言葉を聞けて嬉しいよ」
 美少女はオレと同じ関東弁でのたまった。
 これが「次期門跡様」との出会いだった。

 本人の話も含め、後に得た情報を基に彼女――小鳥遊菜音子の身の上を語れば――
 「門跡様」たる存在に求められるのは、人徳や能力や学歴やカリスマ性や霊感や信仰心などではない。
 血筋である。
 繰り返しになるが、門跡とは皇族や貴族らの子孫が襲職するものなり。それが千年来のルールである。いくら優れた逸材だからといって、それが例え最澄空海クラスの人材だとしても、どこの馬の骨かもわからぬ者を引っ張り出してくるわけにもいかない。
 しかし、戦後も七十年を過ぎ、華族制もとっくに崩壊した民主主義国家ニッポンで、おいそれと筋目正しき後継者を見つけるのは難しい。どこの門跡寺院も頭を悩ませている。それが尼寺だと尚更だ。
 閉ざされた空間で、尼となり、一生独身を貫き、仏の道を歩もうという物好きな女子は、きっと一般庶民の中でも、なかなかいないだろう。
 閉ざされた空間ゆえに、俗世とも暮らしぶりがまったく違う。例えば、話される言葉ですら「御所言葉」なる独特の言語だ。「〜であらしゃいますぅ」とか「〜くだしゃりませぇ」とかが語尾につくような、お母さんのことを「おたたさん」、お米のことを「およね」と言ったりするような言葉。元々は宮中や貴族社会での女官の言葉だったが、現在では宮中ですら廃されている。今、この言葉が日常使用されているのは、この地球上で尼門跡だけだという。う〜ん、ガラパゴス! こういうトコで一からやりますというのも、気が遠くなるような話だ。
 また、閉ざされた環境ゆえに――それも、やんごとなき女たちのひしめき合う中ゆえに、陰湿なイジメもあるとのウワサ(あくまでウワサだ)。
 なので、「門跡様」のなり手はなかなかいない。
 この現状は今南寺も同じで、現門跡様はかなりの高齢、早く跡継ぎを見つけねば、と関係者一同頭を抱え込み、とにかく「高貴な血筋」第一で、あちこちのツテを頼り、血眼になって候補をさがしたが、難航。
 そうしたら、関東の片田舎に、旧華族家の末流の末流の裔があって、中学卒業を控えた娘がいるという。ダメ元で、尼門跡の後継ぎとしてうちの寺に来ないか、と娘本人に打診してみたら。驚くべきことに「行く」と即答。両親も異存ないとのことで、寺の者は、気の変わらぬうちに、と大急ぎで、まるで娘を拉致するように、京都へ連れてきた。
 それが、小鳥遊菜音子の「シンデレラストーリー」である。
 いつだったか――出会ってまだ程ない頃だった――
「お前、なんで、門跡様になんかなりたいと思ったのさ?」
と訊いたことがある。鴨川のほとりだった。
「う〜ん」
 菜音子は飲みさしのペットボトルを両手に挟んで、パリパリいわせながら、
「一度しか言わないよ」
と前置きして、
「とにかく家を出たかったんだよ」
と川面を見ながら言った。
「お父さんはギャンブルに狂いまくってたし、お母さんも不倫したり、ネズミ講まがいのネットビジネスにハマり込んじゃってさ、借金まみれで、夫婦喧嘩は絶えないし、二人とも私に暴力ふるうし、もォ最悪の家でさ、――まあ、二人とも外面だけはいいから、尼寺の人たちも“ちゃんとした親御さん”って思ったみたいだけどね――マジで地獄だよ。家にいるのが死ぬほどイヤだったから、中学出たら働くつもりだったんだ。でも、なかなか就職決まらなくて・・・フリーターになるのも考えてたんだけどね。15歳の小娘が一人暮らしして稼いでいくのも、思ったより甘くなくて。社会ナメてたよ(笑)」
 それでも必死で就職活動していたら、尼寺行きの話が来て、
「板キレにつかまって漂流してたら、船が通りかかったような思いだった」
 だから即断した、と菜音子は語る。
「お寺は嫌いじゃなし、将来結婚する気も全然ないしね」
 入寺にあたっては、尼寺から両親へ結構な額の「支度金」が渡されたみたいだが、
「ギャンブルだ〜、焼き肉だ〜、ってあっという間に使っちゃったんじゃないの、あの人たち。娘を売り飛ばすような形になっちゃったけど、まっ、これで貸し借りなし、かな? 手切れ金だね」
 オレも菜音子同様、「家を出たい」と、現在進行形で思っているが、菜音子ほどヒサンな境遇ではない。
 オレが黙り込むと、菜音子はあわてて、
「だから正直話したくなかったんだよ、この話。相手を引かせる鉄板ネタだからね。ごめんごめん。もう湿っぽくなるから、この話はここまでっ」
と不自然なくらい大笑いして、強引に話題を変えていたっけ。

 次期門跡様の地位が決まっても、菜音子は普通の高校に通いたがった。
 それはしきたりに反する、と大半の尼たちが反対したが、もし菜音子が「じゃあ、お寺継ぐのやめる〜」と言い出したら、後継話はまたふりだしに戻ってしまうので、結局は彼女の希望を容れた。何より、現門跡様は、明るく勝ち気な菜音子を孫のように可愛がっていたし、菜音子の「教育係」の明鏡さんという尼さんが有能で話のわかる人だったので、彼女は高校生活を謳歌できている。門跡様の庇護と、と明鏡さんの調停によって、尼寺での暮らしも一応は平穏らしい。
「それでも、たまに意地悪されたりもするけどね」
と菜音子は漏らしていた。が、彼女もイジメられてメソメソしているようなタマじゃない。口より先に手が出る、しかも、十倍返し二十倍返しは当たり前の「東夷(あずまえびす)」の娘なので、尼たちも勝手が違い、寺では恐れられているみたいだ。
「とどのつまりは腕力だよ」
 そう言って、菜音子は呵々大笑する。
 ただし――、と門跡様も明鏡さんも厳しい顔で、こう取り決めをするのを忘れなかった。
「十八のお誕生日には、おたれをあげねば(髪を剃らねば)なりまへんえ」
 こればかりは、菜音子もかしこまって服さざるを得なかった。
 高校には通えるものの、制限は厳しい。門限は午後4時、ケータイの所持は禁止、部活もダメ、遊ぶのもダメ、勿論、恋愛などもっての外。
 だから、学校では浮く。友人らしい友人もできない。クラスにも馴染めない。いつも一人。オレと同じだ。
 それでも、あきらめていた高校生活を送ることができて、菜音子は満足していた。
 しかし、人間は集団で生きる動物、たまには誰かとつながりたくもなる。
 そんな不全感をひそかに抱いていたら、クラスに転入生(オレだ)、しかもそいつは懐かしい関東弁を使う。けれど、異性との接触は御法度。菜音子は二か月我慢したという。その間、常にオレの言葉に耳をすませていたともいう。
「“ふるさとの 訛なつかし 停車場の〜”ってやつだな」
とオレは有名な短歌を引いて笑った。
「何それ?」
「石川啄木」
「あっ、知ってるー! 釜茹でにされた人でしょ」
「それは石川五右衛門だろ!」
 なんで啄木が釜で煮られにゃならんのだ。
 この怪力娘、きっとノーミソも筋肉でできてる。
 両手を組んで、人差し指で、
「カンチョー!」
とかオレのケツを突き上げてくるし。
「関東のノリじゃん」
と菜音子はケタケタ笑ってたけど、関東だろうと関西だろうと、年頃の女子でそんなアホなことをするヤツは基本いないはず。
「お前、ホントに“門跡様”になるのかよ?!」
とツッコんだら、
「なるよ」
と菜音子は一瞬真顔になった。オレはハッとした。菜音子はすぐにまた表情をゆるませたけれど、オレの心はこわばったままだった。あと三ヶ月足らずで、菜音子の十八歳の誕生日が来ようとしていた。

 一人と一人がつながれば、とりあえず、まあ、一個の「集団」と言えなくもない。
「“関東連合”って名乗ろうか」
「いや、それは色々とマズい」
とか、しょうもない談義を交えつつ、オレと菜音子は逢瀬を重ねる。ま、「逢瀬」と言うと小っ恥ずかしいし、カッコつけすぎだな。悪ガキ同士がつるんでいる、といった具合だ。
 菜音子は、繰り返しになるが、異性との交流を厳しく禁じられている。菜音子ほどの美少女、アプローチしてくる男子がいないわけじゃない。が、ことごとくシャットアウトされている(だったら、最初から女子校に通えよ、という話なのだが)。なので、会うことすら一苦労だ。
 当初はそんな苦労がイヤでイヤで仕方なかった。面倒な女子と関わって、騒動になってはかなわない。これまで通り、ロンリーウルフで結構だ、と思っていたが、菜音子と会い、駄弁り、笑い、振り回される、そんな日々が楽しくなってきた。表向きはかったるそうな態度を装っていたけど、本当は楽しかったんだ。
 古都の史跡巡りをして、菜音子に歴史をレクチャーしてやった。瓢亭という甘味処でアンミツやゼンザイを食った。図書館に行った。映画館にも行った。時々衝突した。ケンカだってした。けど、すぐに仲直りした。ウワサにもなりかけた。しかし、オレたちは無視した。そして、川原でキスを交わした。
「法名が決まった」
と或る日、菜音子が出し抜けに言って、
「ホーミョー?」
とキョトンとしているオレに、尼僧としての名前だ、と教え、
「慈眞(じしん)て言うんだよ」
 変な名前、と菜音子は他人事のように言って笑った。
 オレは目の前の菜音子をまじまじと見た。見ずにはいられなかった。菜音子が菜音子でいられる時間は、あとわずかしかないのだ。そう思うと、ずっと蓋をしてきた彼女への想いが、突然膨れ上がり、リミッターが一気に振り切れて、気がつけば、菜音子を抱きしめ、そして、その唇を奪っていた。菜音子も目を閉じ、オレの唇を受け容れていた。少し震えていた。
 初めてのキスの味は、ほろ苦かった。さっき瓢亭で食べた抹茶アイスのせいだろうか。それとも、もっと別の理由だろうか。
「ねえ」
と菜音子はオレの耳元で囁いた。
「このまま二人で、遠くに逃げちゃおっか」
「・・・・・・」
 オレは答えなかった。答えられなかった。
 沈黙するオレの耳元で、菜音子はまた囁いた。
「このチキンめ」
「ああ、オレは洛中洛外一のチキンだよ」
 そう吐き捨て、二度目のキスをした。まったく、ほろ苦い。

 その翌日から菜音子は関東弁を捨てた。
 御所言葉を使うようになった。
「あら、まあ、ご機嫌良ぅ」
とか、或いは、
「おっしょさんもお弱さんであらしゃいますゆえ――」
とか、また或いは、
「ご満足さんのお事であらしゃいましょう」
といった具合に。
 同時にオレに対して、距離を置くようになった。向こうから接触してくることは、全くなくなった。オレから働きかけることは、まずない。だから完全に没交渉となった。会うどころか言葉を交わすこともない。二人の関係は、オレの転入時のそれにリセットされてしまった。
 先日のオレの煮え切らなさに愛想を尽かしたのか、オレとの「密会」が尼寺にバレて注意されたのか、尼僧となるためのケジメなのか、アイツの気持ちはわからない。そもそもオレは女ってやつの考えていることがよくわからん。たぶん、きっと、永遠に謎のまんま生き、死んでいくのだろう。
 オレは孤独な学園ライフに戻った。
 逆に関東人としてのアイデンティティと決別した(かのようにオレには思える)菜音子はクラスに溶け込み、他の女子どもと、はんなりと会話に花を咲かせるようになった。そのさまを横目に、
――勝手にしろ。
と心中吐き捨てるオレだ。

 親父はいつものように、黙ってカメラのレンズを磨いている。どうにも陰気なオーラに、こっちも滅入りそうになってくる。
 しかし、今夜はちょっと常とは違い、
「今南寺って知ってるか?」
とボソリとオレに訊いてきた。オレはあわてた。そう、菜音子の寺だ。
 親父はオレの返事を待たず、
「格式の高い由緒ある尼寺でな、門跡寺っていうんだが――」
 今更教えられずとも知っている。が、黙っておく。親父は話を続ける。
「今度その寺で後継ぎの娘さんの得度式――まァ、尼さんになるための式があってな――」
 菜音子のことか!!とわかったが、黙っておく。親父は話を続ける。
「その式の撮影を頼まれた」
「えっ?!」
 オレは椅子から転げ落ちそうになった。が、懸命にこらえた。東男の血が桂三枝的なノリを許さなかった。
 親父の話では、今南寺の関係者で、親父の写真のパトロン的存在がいて、その人が寺と親父の間に立って、得度式の写真を撮って欲しいと依頼してきたそうだ。なにせ、半世紀以上ぶりの門跡継承者の得度式なので、寺も周りの連中も気合い入りまくっている。この式典の模様を後世に残さんと、一部始終を記録しておきたいみたいだ。
「で、親父、OKしたのかよ?」
と精一杯さりげなく訊いた。
「まあ、義理のある人に頼まれちゃあな。それに、結構重要な記念の式典らしいからな。それに、尼寺、まして門跡寺なんて普段まず入れないし、撮り甲斐はありそうだ。或いは京都文化の深奥をのぞけるかも知れん」
「フーン」
とオレは精一杯無関心を貫こうとする。菜音子のことなど、もう知らん。尼になろうが、海女になろうが、どうでもいい。
「それでな――」
と親父は語を継ぎ、
「今日、寺の尼さんから電話があってな、たしか、垣井明鏡さん、とかいう尼さんだったな」
 明鏡――菜音子の保護者的存在の尼さんじゃないか。
「その人が、息子さんを“カメラマン助手”という形で連れてきてくれないか、って言ってきてな」
「なんとっ!」
 オレは江戸歌舞伎の役者よろしく大目玉をむいた。これは、もしかしたら、いや、絶対、必ず、きっと、菜音子がからんでいる。間違いない。
 何故? 何のために? 俺の脳みそは怒涛のフル回転をはじめている。
 そんな思春期真っ只中の息子の脳内など知る由もなく、
「妙な話だろ?」
 言いながら、親父はレンズをふく手を休めない。

 その朝、京都には初霜がおりた。
 京都は夏も暑いが、冬も寒い。よくもこんなところに都を造ったもんだな、何故だ、桓武天皇!と畏くも日本史上のビッグネームに悪態をつきつき、初めて
 尼寺
なる空間に足を踏み入れるオレだ。背負った親父の商売道具(芸術道具?)一式に、押しつぶされそうになりつつも、足を踏ん張り、門をくぐる。菜音子の意図などまるきりわからんが、乗ってやろうじゃないか、と親父の「助手」になった。
 やや受け口の目のクリクリした三十代くらいの尼僧が、親父とオレを迎えてくれた。この人が明鏡さんだった。明鏡さんも無論御所言葉だ。
「すかすかお出であそばされ、大はれをいたしまいた――
「ほんにおひしひしのお式にならしゃいまして、――
「お式もおするすると済みしゃれば、と、こなたでもおおもやもやであらしゃいまする」
 落語の「アーラ、我が君」ってのを思い出す。背中がムズムズする。この日は他の門跡寺院の尼さんやら関係者が、年寄りから若いの、男や女、超エライ人からそうでもない人、福相や悪相がドカドカ参集し、あちこちでこういった御所言葉が飛び交い、オレは始終、ムズムズしっぱなしだった。
 こんな世界で毎日ポツンと起居している菜音子の身の上を考えたりもした。
 尼寺は外も内もしっかりと清掃が行き届いている。絢爛たる「舞台」もしつらえてある。およそ六十年ぶりの式に、寺サイドも大がかりに、金に糸目をつけず、古式ゆかしく、との意気込みが言われずとも伝わってくる。
 親父は、といえば、常と変わらずカメラを携え、平然と、儀式のはじまる前の様子を、撮っている。このとき人生で初めて、親父をスゴイと思った。
 菜音子の姿を探したが、見つからない。
 それもそのはずだ。得度式を迎えるにあたり、奥の間でドレスアップ中。
 次期門跡様のドレスアップは半端じゃない。着物だ。ただの着物じゃない。なんと、
 十二単
だ!
 紫式部とか清少納言とかがふんぞり返っていた時代のお姫様の正装。おそるべし、尼門跡! まるで、千年前にタイムスリップしたかのような錯覚すらおぼえる。
 着付けには京都でも指折りの老舗の名店から、ベテランの女美容師が呼ばれ、未来の門跡様を余念なく飾り立てていた。
 ちなみに、十二単はレンタルなどではなく(できるらしいけど)、今南寺に代々伝わるほんまもんで、歴代の門跡様たちも、これをまとい、得度式に臨んだという。
 橙色の唐衣、掛帯は黄緑、長袴は緋色、と華やいだ明るい色彩で目にも鮮やか。化粧も平安の姫のように、表情がわからなくなるほど白粉をほどこされ、唇には真っ赤な紅がさされた。殿上眉も描かれた。
 髪もカモジ(付け毛)を足して、おすべらかし、という髪型――ほら、「アツ姫」って大河ドラマでホリキタマキがしていたような、ああいう髪型にしあげていた。この支度に恐ろしいほどの時間がかかっていた。親父は時々座をはずし、こっちもプロ、支度以外の写真もせっせと撮っていた。オレも親父に付き添った。正座がつらいので。
 雅な姫姿になっていく菜音子が、オレにはひたすらまばゆい。美しい、と詰襟の学生服姿のオレは、何度も何度も、何度も、菜音子に見惚れてしまいかける。
「ほんまにお美しいこと」
と美容師の手伝いをしている若い女が感嘆の声をあげる。
「こないに美しい御方、他の尼門跡でもよういはりませんわ」
ともう一人のアシスタント娘もため息をつく。そして、
「尼さんにさせるの勿体ないわ〜」
とつい口をすべらせ、ボスである美容師にたしなめられていた。
 菜音子は終始無言。言葉らしい言葉を発せずじまいだった。「下々の者」とは口をきかないでいるのか、それとも緊張しているのか。
 この姫君とプロレスもどきに興じたり、汁粉を食ったり、映画を観たり・・・キスをしたりしてたなんて、なんだか夢のようだ。否、今目の前で起きている平安絵巻の如き光景の方が夢のように思えてならない。でも、夢じゃない。
 そろそろ式がはじまる時刻だ。

 十二単をまとった菜音子が入堂すると、本堂を埋め尽くした人々の視線が、一斉に彼女に注がれた。
 続いて戒師の現門跡様が入堂、菜音子の師であり、「親」でもある人、初めて見たけど、かなり小柄な婆さんだった。
 たくさんの尼さんたちが朗々と読経する中、式は進んだ。
 親父は式の様子を間断なく、フィルムにおさめていく。そのフラッシュとシャッター音に露骨に眉をひそめる人もいたが、基本「いない者」扱いされていた。助手のオレも含め。
 得度式はいよいよクライマックスに入る。剃髪の儀、だ。
 老若の尼僧たちが、そのためのお経を高らかに読みあげる。門跡様もだいぶ体調がすぐれない様子だったが、旅立つ「娘」のため、その背中を押してやるように、懸命に声を張りあげていた。
 ここで、ヒロイン暫し退堂。お色直しよろしく、別間に移り、髪を剃り、服を着替える。晴れて尼僧のいで立ちになったら、また本堂へ戻るって寸法。七面倒クセェな。
 親父が退堂する菜音子の後にくっついていったのには、すごく驚いた。てっきり他の参列者と一緒に、本堂で待機しているもんだと思ってたから。剃髪や着替えも撮影するらしい。不意に心臓がドキドキし出した。菜音子の剃髪。見たいような、見たくないような、不思議な気持ち。身体だけは反射的に親父の後を追う。
 剃髪の室には、すでに、髪をおろす支度が、万端整えられていた。季節柄、暖房も多少きいていた。そして、香が焚かれ、角盥などが和机の上、キチンと配置されていた。
 美容師だけでなく、床屋も呼ばれていた。若い女の床屋だった。
 そこで、菜音子の髪は剃り落された。
 十二単を脱ぎ、白小袖と長袴だけになった。なんだか、巫女さんぽくなったところで、ケープを巻かれた。カモジを外しても、髪はまだまだ腰まであった。
 菜音子はやはり無言。周囲も無言。とてもじゃないが、私語はもとより咳払いひとつですらはばかられる、ピーンと張り詰めた空気。
 さらに当事者含め、その場に居る者を縮みあがらせる
 ブイイイイイイン
という、バリカンのモーター音。
 ――門跡寺も現代流?!
 舞台裏までは古式に則ってはいられないようだ。あまり長いこと、参列者を待たせておくわけにもいかないんだろう。
 菜音子は分厚い平安メイクのため、顔色からは感情を読みづらいが、身体はあきらかに硬直していた。十八の乙女が長い黒髪を落として坊主頭になることに(それも永久にだ)、未練も不安もないといえば、それはダウトだろう。そりゃあ、バリカンのモーター音の生々しさにも、心穏やかでいられるわけがない。まったく、生々しいわ! ウィーン、ウィーン、と情緒もクソもねえ、センチメンタルな気分が出る幕もねえ。
 菜音子は、おそらくは、千年来の今南寺の歴史上、「初めて(電気)バリカンで剃髪した門跡様」となるに相違ない。
 バリカンは相手が門跡後継者という「貴人」だろうが、依怙贔屓せず、作業にとりかかる。ブイイィィイイン、ブイイィイイィン、とノイズをまき散らしながら、いきなり額の分け目に吸い込まれていく。そして、
 ジャリジャリジャリイイィィィ!
と勇壮に、切って、裂いて、一本道を通した。
 スッパーン、と逆モヒ。バラリと落髪。そして、さらに、刈られ、裂かれ、一本道は青々広がる、クリクリッと。
 ――Good Job!
 まるで、弱っちい草食動物がライオンに狩られ、食われているさまに、興奮のあまり残酷な笑みを浮かべてしまう、そんな倒錯が心の奥底に確かにあった。
 ジャアアァアァァア! とバリカンが菜音子の頭を滑り、走り、往来して、バアアアァァ! と艶やかな漆黒の髪を薙ぎ、薙ぎ、払っていく。ゾリゾリと刈り込まれ、切り獲られ、落髪は、菜音子の周り、敷かれた白布の上、おびただしい量、散り積もっている。すさまじい。
 床屋のネーチャンは案外思いきりよく、バリカンを動かしている。その運動に合わせ、バラバラと超長え髪が怒涛の如く、雪崩れ落つ。バリカンは徹頭徹尾事務的に任務を遂行する。黒の大河が青く干上がっていく。
 菜音子の目が真っ赤だ。あれ?とよく見たら、
 ――泣いてるっ!
 まさか、と思い、よくよく見たらやっぱり泣いていた。ポロポロと大粒の涙が目から頬へと伝っていた。嗚咽をこらえているのだろう、唇をキュッと噛みしめていた。
 菜音子が涙を流すのを初めて見た。驚いたが、泣くのも当たり前だ。さぞ辛かろう。苦しかろう。切なかろう。
 菜音子に付き従う長老の尼二人も目を潤ませ――自分たちにもおぼえがあるのだろう――痛ましげに少女の断髪を見守っている。
 そんなムードから一人超然として、親父はカメラのシャッターを切りまくっている。この人はバリカンと同じ部類に属しているようだ。やはり時々、中座して他のところへ、撮影に出て行ったが、オレは室に残り続けた。
 青々と水の惑星のように刈られた丸刈り頭を、今度は剃刀で剃る。バリカンでのカットの三倍も四倍も時間をかけ、丁寧に剃りあげられる。ジリリ、ジリリ――
 剃刀は菜音子の頭上で踊る。
 スーッ、スーッ、と頭の形に沿って、平行移動し、青みをよりフレッシュに、イノセントに、白く染め上げていく。オレにとっては、目が痛くなるほどの眩しさだ。
 菜音子の身から、髪というすべての髪が剃り落された。入室してから一時間近く経っていた。青白く新鮮な楕円形の頭のみが、キラリ、と残されていた。
 切り髪が片付けられ、化粧がおとされる。静脈が透けて見えそうな真っ白い、幼子のような地肌、産毛が少し生えているあの顔――いつもの菜音子の顔が、ふたたび地上にあらわに出でる。ご尊顔は通常に戻ったが、その眉に、その耳に、その頬にかかる髪は、もう一本も、1mmも、ない。
 美しい尼僧が一人産声をあげた。清々しくもあり、痛々しくもあり、初々しくもあり、ともかくも道行く人が思わず振り返る尼僧ぶりだった。
 姿見で自分の首から上をチェックした菜音子は、とうに涙も乾き消え、明朗な表情(かお)で呟いた。
「すきといたしまいた。きゃもじなつむりやわ」
 すっきりした、清らかな頭だ、という意味らしい。
 姿見越し、オレと目があった。
 菜音子は姿見の中のオレに、ニカと笑った。オレはドキッとした。どういう意味かはわからない。菜音子のこの笑いが意味するものはなんだろう。皆目わからない。この先もわからぬまま、墓までもっていかねばならないのだろう。
 だけど、ただひとつ、コイツがこの一笑を与えんがため、わざわざオレをこのセレモニーに引っ張り出してきたこと、それだけは、わかった。親父でさえ撮り逃した、この一笑のために・・・・・・。

 得度式が終わったかと思ったら、頑張ってきた門跡様、ご不例。再起はおぼつかぬということで、菜音子は尼僧になって早々と、今南寺の首座に就かねばならなかった。十代の門跡様、誕生!
 当然高校は辞めねばならない。が、病床の元門跡様の、高校だけは卒業させてあげて、とのたっての頼みで、菜音子は、小鳥遊慈眞は、スキンヘッドに制服という奇妙なナリで、残り僅かな高校生活を過ごした。もっとも、継承にあたっての何やかんやで、ほとんど登校できなかったが。高校を卒業したら、どこかの尼さんの専門学校みたいなところに入るらしい。本人とは得度式後も全然しゃべってないから、詳しいことはわからん。
 そして、迎えた卒業式。
 オレはボッチ、い、いや、一匹狼のまんま卒業とあいなった。
「まあ、しゃーないわ」
と担任の大丸先生(♀ 36歳独身)は肩をすくめ苦笑して、
「だけど、いつか、君のそのバリアーを破ってくれる人が現れる。ホンマのホンマ、賭けてもエエよ〜」
とか言ってた。はなむけの言葉、一応はありがたく頂戴した。先生の未婚バリアーを破ってくれる男性もきっと現れますよ、と返そうと思ったが、痛い目を見るのはイヤなので、やめておいた。
 余計な話だが、オレは得度式のあの日から、そのまま親父のアシスタントをするようになった。親父の仕事に興味がわいたので。まだ曖昧模糊としているが、親父を凌駕するカメラマンになるのも悪くない。そのためにも、とりあえずは助手をしつつ、バイトして金貯めて美術系の学校に通おうと思ってはいる。
 卒業証書を携え、校門を出ようとしたら――
 いきなり膝カックンされた。
「うわあっ」
とつんのめるオレの肩越しに声。
「じゃーな、鴨志田」
 関東訛り。あの声、なつかしい声、彼女の声。
 振り返ると誰もいない。
 とっさに前を見たら、すでにオレを追い越した小鳥遊慈眞の――菜音子の背中!
「やり逃げかよっ! リアクションぐらい確認していけっ!」
と大声でツッコんだが、菜音子は振り返らなかった。その背中は過去と未来を隔てている。菜音子はもう未来にいる。


(了)



    あとがき

 あけましておめでとうございますm(_ _)m
タイトルを含めずっと頭の片隅にあった作品です。しかし、どんだけ学園物が好きなんだ、自分! ここんとこ多すぎかも(汗)プラス「オレ視点」の作品も多いな(汗)
とにかく門崎寺院については、ほとんど知識も情報もなく、なので、ここでお断りさせて頂きます。
 この尼門跡はまったく架空のものであり、一切はフィクションであります。
なので、大目に見てくださいね♪♪
 「喪服を〜」と二本立てで昨年内に発表させてもらうつもりでしたが、十二月はとにかくメチャメチャ忙しくて、その合間を縫い縫い書いてたんですけど、結局年を越してしまった(― ―;)
 当初は明るいギャグストーリー(ラノベ風)にしようと着手しました。が、書いてるうちに、思わぬ方向に話が転がっていき、だから創作って面白いです(^^)難産の末、生まれた今作、個人的に大好きです!!
 2017年もどうか当サイトをよろしくお願いいたしますm(_ _)m
 最後までお付き合いいただきありがとうございました〜!!




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