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二糎問答


 某宗某派の総本山は、Z師が首座に就くまでは、一部の心ある僧尼たちから、
 魔窟
と嫌悪をこめて呼ばれていた。
 賄賂が半ば公然と行われ、風紀は乱れ、邪淫に耽る破戒僧破戒尼たちが横行していた。
 出世をめぐる闘争も凄まじかった。
 仏道より金、仏道より出世、仏道より色事、という頽廃が一山を覆いつくしていた。

 そんな魔群の中に彼女はいた。
「しーちゃん、今夜の”勉強会”は、向こうの面子、どういう感じよ?」
「今更訊く?! 未曽有の大戰を目前に抜かったわね、美禰子」
「いいから勿体ぶらず教えろ」
「今年に入ってからだと、最強の面子といっても過言じゃないね。大寺のボンボンがワンサカいるぜぃ」
「うまくいけば玉の輿ってか」
「坊さんも嫁不足にあえいでる昨今だからね。ビッグチャンス到来さね」
「いや、まあ、アタシはまだ結婚とか考えてないし〜、まだまだ早いっしょ」
「”とりあえず、いい男の子いたらキープしとけ”みたいな(笑)」
「そうそう、結婚というエサをチラつかせながら、二年三年と(笑)」
「この悪女め」
「ひっど〜い(笑)”ご縁”は長〜く大切にさせて頂きます、って話だよ」
「急に信心ぶるな、この生臭尼僧め。美禰子がキャバ嬢だったらと想像すると空恐ろしくなるワ。略奪とか手段選ばず何でもありで、のし上がって、お店でダントツのナンバー1になりそう」
「それ褒めてんの?」
「一応褒めてる」
「むふふ」
「キショい笑い方すんな。あ〜あ、今回の”勉強会”もまた美禰子の独壇場なんだろうなァ」
「大丈夫大丈夫、今夜はおとなしくしてるから。おしとやかモードでね」
「そうやって自在にモードチェンジできるトコも怖いワ」
「あのさ」
「うん?」
「なんか、髪がボサついているような気がするんだよなァ」
「アタシが?!」
「いや、アタシ」
と佐々美禰子(さっさ・みねこ)は急に真顔になって、長い髪をいじってみせたが、しーちゃんは、
「そんなことないよ」
と言う。
「毛先も傷んでるかも」
「そんなことないよ」
と、しーちゃんは、また言う。別に美禰子に気を使っているわけではなく、見たまま、思ったままを口にしている、そんなトーンだった。しきりに神経質に髪を気にし出す美禰子を、黒目がちの眼で、けげんそうに見つめている。
 山中の涼気が、あらわに出でたる肩に、少し寒い。世間よりずっと短い、御山の夏の終わりを感じる。
 プライベートでは常にオフショルダーの服を好んで着ている美禰子は、今日も今日とて肩を露出し、「同僚」のしーちゃんと、今宵の「勉強会」の話題に打ち興じている。

 美禰子24歳。さる寺院の末娘で、この御山に来るまでは、とある食品会社で事務員をしていた。が、半年で辞めてしまった。
 次の就職先を探そうとしていたら、寺の住持の父が、
「尼になれ」
と言い出した。
 冗談は顔だけにしてよ〜!と震え上がったが、「魔窟」では事情が違うらしい。有髪でも良いし、修行も形ばかりでお目こぼしされるそうだし、父にはコネがあるらしい。なので長い髪のまま、得度して尼僧になった。法名も授かった。そして、父親の口利きで、「魔窟」に出仕、そこの住人となった。

「魔窟」では有髪の僧尼が闊歩していた。仕事もユルユルだった。何より美禰子にとって、かりそめの恋に不自由することはなかった。
若い僧尼たちは「勉強会」だの、「懇親会」だの、「交流会」だのと称しては頻繁に合コンを開いていた。「”聖地”ではなく”性地”だ」と或る男性僧侶が自嘲するように評していたが、まさにそうだった。
 男性経験の少ない美禰子は最初は及び腰で、そうした席はなるべく避けるようにしていた。しかし、同僚僧尼は様々に悪だくみして、ちょっとショタっ気のある彼女に、中学生くらいの山内の小僧をあてがった。美禰子は強引にアルコールを飲まされ、そそのかされるまま、白濁とした意識で、小僧の童貞を失わしめた。少年の身体を無我夢中で愉しんだ。
 この経験で美禰子は臆病な自分の殻を破り、変貌を遂げた。下界に居た頃より、遥かに堕落した。せっせと会に足を運び、僧俗構わず何人もの男たちと寝た。中には妻子持ちの男もいた。小僧たちも次々誘惑して、次々つまみ食いした。「魔窟」が「魔窟」たる所以をゆうゆうと体現していた。
 そして、本日も「勉強会」。
 しーちゃんの言を信ずるならば、獲物はかなりの大物らしい。気合が入る。心がはずむ。できれば美男が良い。美坊主だったら、手練手管の限りを尽くし、そいつのハートをわしづかみして、存分に愉しみ、あわよくば将来への布石にしよう。
 今宵の収穫の美味を思い浮かべ、心中舌なめずりする。

 しかし、ハイテンションだったのも、このときまでだった。
 この日は珍しく明け方から勤行があった。美禰子も立場上仕方なく座に連なった。夜更かし好きの低血圧で、日頃朝の惰眠を貪っている身には、すこぶるしんどかった。
 他坊に用があるという、しーちゃんと別れてから、その報いが一気にきた。急激な睡魔と疲労に襲われた。気が抜けた。心が萎えしぼんだ。滅入りに滅入った。実は、月のものとも関りがあった。
 宿舎に戻るときも、頭はどんよりとして、足は重く、ひどく物憂かった。せっかくの大イベントが控えている。少し身体を休めたい。
 それに髪!
 しーちゃんはああ言ってたけど、どうにもボサついているように思えて仕方がない。手で触れてみる。背に垂れた髪を、一房すくいあげ、目の前に持ってきてチェックする。確かに、しーちゃんの言うとおり、さして痛んではいないようだが、たけど、どうしても気になってしまう。
 タクシーを拾った。
 あばた顔の運転手に行き先を告げ、シートにもたれ、心身を落ち着かせる。
 ぼんやりと車窓の景色を眺めるともなく眺める。車はコンクリートの橋を渡っている。昨日の雨のせいで、川は水かさを増し、茶色く濁っている。眼をあげれば、聖なる峰々が鉛色の雲を大儀そうに背負っている。
 陰鬱な天候が疲れた心や身体に、余計に拍車をかけるかのようだ。
 「勉強会」のことを考えて、今一度気分を高めようとするも、心身は依然重ったるく、そういえば、と最近あったイヤなことを思い出したりなどして、心は雑念で靄がかり、若い運転手に話しかけられても、美禰子は不機嫌に黙りこくっていた。

 ワンメーターで宿所に着いた。
 無造作に料金を払い、タクシーを降りて、美禰子は自室にこもった。
 畳の上、身を横たえ、ずっとこうしていたいなぁ〜、とぼんやり思う。しかし、時計が気になる。秒針はカッチカッチ――とすすんでいく。
 激しい倦怠感。こんなコンディションで会に臨みたくない。けれど、せっかくのチャンスをフイにするのもイヤだ。
 さっきからずっと髪のことも脳裏にひっかかっている。
 多分そんなにボサついても、痛んでもいないのだろうけど、気になって気になってしょうがない。逸る気持ちと、このまま横になっていたいという気持ちとが、並行して在る。グズグズしている間にも、時は過ぎていく。
 普段は麓の街に下りていって、そこの美容院で髪を整えてもらっているのだが、いかんせん(気持ち的にも)遠すぎる。
 少しまどろんでしまった。
 目が覚めたらもう一時間が経っていた。カットハウスはいよいよ遠ざかる。これから麓まで出張っても、「勉強会」に遅れる可能性は十二分にある。でも髪は整えたい。こんな髪じゃ会に出ない方がマシだ、と投げやり気味に思ったりもする。しかし、せっかくの「ご縁」が生まれる機会をみすみす逃す手はない。
 行かなきゃ!とようやく半身を起こす。時間がない。グダグダしていたい。だけど、時間がない。
 のしかかってくる倦怠を振り払うかのように、洗面所で何度も顔を洗った。癇症なくらい念入りに歯磨きをする。
 目一杯メイクアップし、目一杯ドレスアップする。
 元々の自分の童顔が嫌いな美禰子は気合を入れ、いつものように大人っぽく化粧を施した。服装はやはりオフショル、黒を基調にして、シックな感じに統一する。
 ここまでキメたら、気持ちもようやく上向いた。
 しかし、そうなると、反比例するように髪への不満が膨れあがる。メイクや服装に合わせて、キチンとしたくなる。
 ふと、宿所から歩いて15分ほどのところにある小さな床屋が、頭の中急浮上した。
 店主が信者さんで僧侶のために開いている店。そのバラックのようなみすぼらしい外観がおぼろげながら記憶に残っていた。
 美禰子が生まれるずっと前から店開きしていて、「魔窟」の床屋の中では一番の「老舗」だという。その話を誰かから聞いたときは、ああ、そうなの、と聞き流したが、今は違う。大いに脳内を占拠している。一応カットのプロなのだから、毛先をちょっと整えるくらい朝飯前のはずだ。
 思いついたら、居ても立ってもいられなくなった。気がせく。早く行きたくてウズウズする。ボルテージが一気に跳ね上がる。一刻も早くその店に行きたい! 行こう! 行かねば!
 己の思いつきの従者となった美禰子は、暗くなる前に、と大急ぎで宿舎を出、山路を歩き出した。

 その床屋はまだあった。あって良かった、と美禰子は安堵した。
 が、下界ではまずお目にかかれそうにないほどの、掘立て小屋みたいな店構えだった。吹けば飛ぶようなそのボロさ加減に、改めて驚いた。オンボロのトリコロールと、ペンキのはげた木製の看板がなければ、木こり小屋と間違えてしまいそうな建物だ。店の脇には薪が積まれているし。
 老朽化も進行中。その外観だけで、もう気圧されそうになる。
 それでも、心のブレーキよりアクセルを踏む。押し入るように引き戸に手をかけた。
 戸はきしんだ音を立てて開いた。閉めるときもまた、きしんだ。開閉するだけでも、ホネが折れる。
 おそらくは洗髪料の匂いが、鼻孔に、フワ〜ッ、とかおった。学生時代、ポルトガルに旅行したとき、あちこちの街で嗅いだ異国の洗剤の匂いに似ていた。
 理髪台はひとつだけ。だいぶ古ぼけていた。相当な年代モノだ。照明は裸の電球が一個ぶら下がっているのみ。設備は一通り揃ってある。床板が油でギトついてはいるものの、外観ほど汚くはない。
「カットかい?」
というしゃがれ声に、我に返り、声の主に目を転じたら、老人がいた。「お店」の主のようだ。破れ目からスポンジがところどころはみ出ているソファーに座り、新聞をたたんでいる。客待ちの徒然に読んでいたらしい。
 白髪の短髪。笑顔を惜しむ眼鏡の奥の眼光は力強く、贅肉が削ぎ落された顔には、深いシワが刻まれ、なにやら松の瘤を連想させる、厳めしい面構えである。痩身の体躯を清潔なユニフォームを身にまとい、来店した若い女性客をじっと見つめている。
 「魔窟」の脂ぎった坊さん連中より、この老いた理髪師の方がずっと清僧の如きオーラがあるように、美禰子には思われた。
「御山の尼さんかい?」
とぶっきらぼうに尋ねられ、
「はい」
と美禰子は答えた。
「じゃあ、そこ、座って」
 麓の美容院とは客あしらいも全然違う。雑だ。信仰のため、ある種奉仕として採算度外視で何十年もやっているから、「サービス業」という意識も薄いのだろう。
 言われたまま、理髪台に腰をおろす。
 老店主は美禰子の身体に、パリと糊の利いた白の刈布を巻いた。ユニフォームといい、この刈布といい、シミひとつない。こんなところに主の理髪師としての、職人としての矜持が伝わってくる。
「今日はどうするの?」
「2センチ切って下さい」
 今日はそれくらいで妥協しておこう、と控えめに注文した。
「2センチね」
 老店主はオウム返しに呟き、
「道具を取りにいかないと」
とひとり言をいいながら、店の奥に姿を消した。
 美禰子はひとり残された。ひとりになると、緊張もとけ、どっと弛緩状態に。また強い眠気と倦怠が覆いかぶさってくる。一時間弱まどろんだところで、焼け石に水だ。
 ぼんやりと虚ろな心持ちで、とりとめのないことを考える。
 店内の匂いのせいだろうか、ポルトガル旅行のとき、同じツアーだった「ジュン君」という男の子の顔が浮かぶ。ホワ〜ンとなる。旅行中はいつも一緒に居て、たくさんおしゃべりして、何度もいいムードになったりもした。あの頃はまだまだウブだった。アドレスも交換したのだけれど、結局それきりになってしまっていた。今頃どうしてるのかな? 当時は物足りなさも感じたけど、今になって思えば、ああいうおっとりとした草食系っぽい男の子の方が、実は自分には一番適(あ)っているのではないか。連絡とってみようかなぁ。でも、今更すぎるかなぁ。こうして過去をひきずるのが、自分の悪いトコなのだろうか。まあ、今は別に男に不自由していないし、よりどりみどりだし、うーん、でも、だからこそ逆に素朴でありきたりな世間一般の恋に憧れたりもするんだよね。セックス、セックスばかりじゃ、なんだか飽き足りない。なんか、「勉強会」とかも、なんか、飽き足りない。なんか、くだらない。
「お待たせ、じゃあやるよ」
という老店主の声が夢うつつに聞こえて、
「はい」
と返事をする自分の声が夢うつつに聞こえた。
「2センチだね?」
と老人は確認する。その声はやはり水の膜を隔てているかのように、茫と遠く聞こえる。
「はい」
と同じくらい遠くで、自分の声が応じているのが、茫と聞こえた。
 ヴイイイィィン
 ジャアアァァア
 ヴイイイィィン
 ジャアアァァア
 ヴィイイィン
 ジャジャァアァ
 ――え?
となる。
 老店主は古い型の電気バリカンを、遠慮会釈なしに、美禰子の前頭部に突っ込み、引き回していた。
 バアアァァ!とモーセが海を真っ二つに割った奇跡譚を彷彿とさせるように、美禰子の頭髪を、それはもうダイナミックに、左右真っ二つに刈り割っていた。
 バラァァ〜、とひと刈りで、二房、いや、三房の髪が固まりながら、老店主の手の甲で払われ、刈布に、
 バサッ、
と落ちた。
 まるで野球小僧のような坊主頭が、前頭部の中央にバリカンの幅二つ分の太さで、刈りひらかれていた。
 美禰子の頭は真っ白になる。自分の頭上で何が行われているのか、しばらくわからず、呆然となり、口もきけずにいた。
 ――え? え? ええ?! ナニ? ナニこれ?! え? あれ? あれ?
 そんな美禰子をよそに、老店主は淡々とバリカンを走らせている。
 ヴィイイイイィィン
 ジャアァアアアアァ
 バリカンがまた、今度は右鬢から頭頂まで、美禰子の髪を押し運ぶ。
 バサッ、バサッ!
「ま、待ってええぇぇ!」
と、ようやく美禰子が正気を取り戻し、老店主を制したときには、老店主のまったくムダのないバリカンさばきによって、頭の三割は坊主に刈りあがっていた。
「ナニしてるんですか!」
 美禰子は顔面を蒼白にしてキレた。「ジュン君」はとっくに記憶の奥底に引っ込んでいた。
「アンタの注文通りにしてるんじゃないか」
と老店主は平然としたもの。
「2センチって言ったでしょ!」
「だから2センチじゃないか。ちゃんと確認しただろ?」
 どうも話がかみ合わない。コンニャク問答だ。
「だから、毛先の部分を2センチ揃えてくれれば良かったのに、ナニ坊主にしてるんですかッ!」
「じゃあ最初からちゃんと、そう言いなよ。2センチの長さに刈ってくれ、ってことだろうと思うだろ。こっちは御山の床屋なんだからさ、2センチって言やあ20ミリの丸刈りだと思うさ。髪の毛の先っちょだけ切ってくれなんて客は今まで一人もいやしないよ」
 ああ、もォ!と怒り狂いたかったが、老店主の貫禄や迫力にどうにも位負けして、言い返せない。
 それより髪!
 すっかり2センチに刈り込まれている部分を、指で確かめる。悪夢であって欲しい。すがるような気持ちで触れる。しかし、2センチの髪はそんなご主人様を嘲笑うかの如く、反抗するかの如く、ザリ、と指の腹に突き刺さる。
 その瞬間、身体中、皮膚という皮膚にサブいぼが立った。眠気など完全に吹き飛んだ。
 その反動のように、今度は激しい眩暈に襲われた。くらり。
「こうなっちゃ最後まで全部刈るしかなかろうな」
と恬として、のたまう爺に腸が煮えくり返るが、言い返す言葉もなく、美禰子はただ幼児のように、プゥ、と上気した頬をふくらませ、黙っていた。
 美禰子は沈黙し、バリカンは機嫌よく唸り出して、カットは再開された。
 ヴイイイイィイン
ジャアアアアァァア
 右の髪、左の髪、と横髪が勢いよく削り除かれた。まるで、ゆであがった麺のように、バリカンの刃先にぶらさがった大量の髪が、老店主の手首のスナップで、
 バサッッッ!!
と刈布に落ちた。段々とむき出しになる自分の顔の生々しさ!
 ポロ、と涙が左目に浮かび、ツーッ、と頬を伝った。ここにきて、ようやく悲しみが追い付いてきた。
「すみません、ティッシュもらえますか?」
と言って、老店主から渡されたティッシュペーパーで、とめどなくあふれる涙をぬぐった。そうして、鏡の中、坊主頭に刈られていく自分の首から上を見て、また、涙。つい15分前までは、寸毫も思い及ばなかった災厄だった。
 老店主は一片の同情もなく、襟足にバリカンを突き込み、突き入れ、躊躇なく後ろ髪を引き剥がしていく。
 髪がバリカンの動きに従い、めくれあがり、グニャリ、と崩れて、バサリ、バサリ、と刈布に落下する。そのまま刈布にとどまる髪もあれば、ザラザラと滑り、油の滲み込んだ床板に落ちていく髪もある。
 あてつけのつもりで、何度も涙声で、
「ティッシュもう一枚ください」
と新しいティッシュペーパーをもらい、目頭をふいたが、老店主は平気な顔でバリカンを操っていて、一向に効果がなく、いつのまにか涙も乾いてしまった。
 ヴイイイィイィイン
 ジャアァアアアアァア
「あんなに長かった髪がこんなになっちまったよ」
と老店主が言う。思ったことを思ったままに言っているだけで、悪意はないのだろうが、デリカシーもない。
 ――誰のせいだよっ!
と怒鳴りつけたくなる。が、堪える。
 ヴイイイイィィイイン
 ジャアァアアァアア
 最後に右耳の上、チョロリとひとつまみ残った髪を、ジャアアァアアァ、と掻っ切られたときは、慄(ふる)えた。これまでの人生最大の戦慄!
 老店主は20ミリの丸刈り頭を満遍なく、バリカンを走らせ、仕上げにとりかかっている。
 この長さだったらベリーショートと言い張れば、ギリギリ言い張れなくもないような気がする。
 が、美禰子は完成しかけているヘアースタイルがどうにもむさ苦しく、垢抜けず、みっともなく、中途半端な気がしてならなかった。激しい苛立ちがムクムクと胸中に湧きあがってきた。ここまで刈ったら、度胸もついた。不徹底な2センチの丸刈り頭への嫌悪が抑えきれない。癇性ゆえ、こうなったら、潔く黒白をハッキリさせなければ、おさまらない思いだ。
「髪、もう、いっそ、全部剃っちゃって下さい」
「ホホウ」
と老店主の表情が初めて好意的に動いた。
「剃髪するのかい?」
「0ミリのツルツルにお願いします」
「わかったよ」
 老店主は請け負い、美禰子の頭に熱いタオルを巻いた。そうして、美禰子の2センチの髪が十分に蒸されるまで、年代物の剃刀を、入念に砥ぎはじめた。
 タオルをはずす。2センチの髪がクッタリと水気もたっぷりに寝ている。
 そんな頭に、老店主はシェービングクリームを塗り、砥ぎたての剃刀をあてた。まず後頭部から剃りはじめた。
 ジャ、ジャ、ジー、ジジー、
 老店主は一本一本の髪の毛を、それこそ毛穴からこそげ落とすように、深く、深く、力強く、でも丁寧に、慎重に、剃っていく。
 鏡の中の坊主女は、神妙な面持ちでこっちを凝視している。どんなふうになるのだろう。不安と恍惚。
 細かな髪が、シェービングクリームごと、剃刀のスライドでのけられ、青く光沢を帯びた地肌が、その姿を露わにする。すこぶる気持ち良い。鏡の中の顔がゆるむ。
 ジャ、ジジーッ、ジッ、ジッ、
 前頭部に剃刀が移ったとき、美禰子は我知らず眩しそうな顔になった。剃刀はキビキビと頭上を滑り、一刀のムダもなく、青く瑞々しいフルーツの如き地肌の面積を、どんどん増やしていく。クリームと頭髪がたっぷりと付着した刃は、美禰子の首に巻かれたタオルで拭われ、またピカピカになって、
 ジジーッ、ジッ、ジー、ジジー、
と仕事に精を出す。無数の僧侶たち――当然尼僧も――の頭を剃りあげてきたであろう剃刀は、ラストスパートに到り、いよいよ力強く、美禰子の髪の毛を根元からかき出していく。
 鏡越し、頭はみるみる青くなっていった。
 頭が剃りあがった。
 あれほど茂っていた髪は、もう1ミリも残さず頭から追い払われた。老店主は蒸しタオルで、力をこめ、ゴシゴシと剃髪された頭を拭き、
「若い尼僧のクリクリはやっぱいいやね。青々として、剃り跡の眩しさがこたえられんな」
と惚れ惚れと眺めていた。
 美禰子も美禰子で、まるで憑き物でも落ちたかのような涼やかさをおぼえていた。えも言われぬ快感があった。頭の形もよく、ホッとした。
 ただ、剃髪した頭に、モデルメイクとオフショルの服は死ぬほど不釣り合いだった。
 老店主は、カットを終えた美禰子の肩や首を、じっくりと時間をかけてマッサージしてくれた。これは、ひどく気持ちよく、ひどくありがたかった。
 心身ともにリフレッシュした心地で、美禰子は店を出た。いつしか曇天は去り、日はだいぶ傾き、御山を赤く染め、その日差しに、美禰子の出来立てのスキンヘッドも、ピカ〜ッ、と照りかえっていた。

 宿舎に戻ると、すぐさまメイクを洗い落とし、法衣に着替えた。剃髪にはこの姿が一番しっくりくるだろう。
 等身大の姿見で、尼僧姿を確かめてみる。幼顔が逆にプラスに働き、誰もが目をひく清らかな尼僧に化(な)っていた。
 自分でも見惚れてしまうほどの尼僧ぶりに、大いに満足し、心が浮き立った。すっかり気に入ってしまった。
 ぬめりを帯びた坊主頭を撫で撫で、
 ――当分は――
 この頭でいよう、と思った。
 宿舎の寮母的存在のオバチャンは、いきなり頭を丸めた美禰子に、ビックリ仰天したが、しかし、目を輝かせ、
「あら〜、可愛らしい尼さんにならはったこと。ええわ〜、絶対こっちの方がええわ〜。メッチャ似合うわ〜! 惚れてまいそうやわ〜!」
とウットリしていた。少なくとも、同性受けは良いみたいだし、さっきの床屋に通って、この剃髪頭をキープしよう。

 ドタキャンもできないので、とりあえず「勉強会」に向かう。
 少々恥ずかしい。でも、
 ――みんな驚くだろうな、サプライズ、サプライズ、ふふふ。
と、そんな悪戯心も鎌首をもたげている。たまには道化役に廻るのも悪くない。そして、
 ――そろそろ――
 「魔窟」での生活も切りあげ時なのだろうか。心の片隅、ぼんやりそう思ったりもしている。



(了)



    あとがき

 今回アップした三作の中で唯一の尼バリです♪♪
 まず最初に言っておきたいのは、
 このご本山は架空のものであり、実在のご本山とは一切関係ありません!
ということです。
 元々ずっと頭の片隅にあったアイディア――客「(毛先を)2センチ切ってください」⇒理髪師「わかりました」⇒2センチの丸刈り、というネタですが、ほとんど一口噺なので、小説化は難しかろうと放置していたのですが、今回色々想像をふくらませて、書いてみました。
 せっかくなので、あれこれ凝ってみようという意欲はあったのですが、どうしても自分の地の文が勝ってしまう(^^;)断髪描写も既視感がハンパない(汗)
 ただ、今後につながる一作になれば、と祈っております。お読みくださりありがとうございました(-人-)年内にもう何本か発表したく思っています。ご期待に副えれば幸甚です♪♪




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