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そして、夫婦になりました


 所詮紙キレ一枚の関係
とはよく言ったものだ。
 玄関で靴を履きながら、裕樹(ひろき)はボンヤリ思った。
「ヒロちゃん」
 リビングから絢音(あやね)が声をかける。
「あたし、今日午後出だから、書類、役所に出しておくね」
「おう」
 絢音が婚姻届を提出すれば、今日から晴れて正式な夫婦になる。
 しかし、どうにもピンとこない。
 絢音とは大学時代、バイト先で出会い、付き合いはじめた。同棲して三年になる。
 で、じゃあ、そろそろ籍を入れるか、とごく自然な流れで結婚を決めた。
「一生のことなんだから、式くらい挙げたらいいのに」
と裕樹の母は眉をひそめたが、
「いいよ、式なんて別に」
と裕樹は断った。親にはこれまで随分苦労をかけてきたし、あまり派手なことは性分に合わない。
 絢音も同意している。彼女の家も裕樹の家も、到底豊かとは言いがたかった。人生の門出だからこそ、実家に負担をかけたくない。
 だから身内だけで食事会をやって、簡素に済ませた。分相応、それが何よりだ。
 でも、と裕樹はちょっと後悔している。
 多少無理してでも、やっぱり式ぐらいは挙げていくべきだったかな、と。それはそれで思い出にもなるし、心に区切りを付けられるきっかけになっただろう。
 公的に夫婦になったとしても、いつもと変わらぬ日常が続いていくだけ。
 絢音の作った料理を食べて、二人でテレビを見ながら他愛のない会話をして、何日かに一回セックスして。そういう生活は悪くはないけど、大切には思っているけれど、なんだろう、「夫婦になったぞ〜!」っていう実感が欲しい。
「今日は帰り、遅いの?」
と絢音が訊く。肩下まである髪をひっつめ、トレーナーにジャージ。いかにも「古女房」っていった風情だ。
「残業もないし、そんなに遅くはなんないよ」
「じゃあ、帰りにトイレットペーパー買ってきてよ」
「あいよ」
と返事をしながら、昼飯のことや最近会社に入ってきた若い女子社員のことを考えている裕樹だ。
 味気ない。
 ――所詮は紙キレ一枚のこと
そんな世間の言葉を改めて噛みしめる裕樹の背中に、
「いってらっしゃい」
と絢音が声をかける。

「いよいよ結婚だってなあ」
と昼休み、先輩にひやかされ、
「ああ」
 裕樹は物憂く、
「結婚したからって何が変わるわけでもないですよ」
「そういや、お前らってずっと同棲してたんだっけな」
「ええ、書類上、入籍するだけなんで、とりたてて感慨もないッスよ」
と肩をすくめてみせる裕樹に、
「そういうもんかなあ」
 未だ独身貴族の先輩は腕組みして、首をかしげていた。
「式もやらないんだろ?」
「まぁ、わざわざ大袈裟なことすんのも、何か恥ずかしいし、金もないですし」
「幸せじゃないのか」
「そりゃ、まあ、幸せですけど・・・」
 テンションの低い裕樹に、先輩は張り合いなさげに離れていった。

 駅前のスーパーでトイレットペーパーを購入。
「夕飯なんだろう?」
 せっかくの「記念日」なんだから、せめて外で食事すりゃ良かったかな、とも悔いたが、疲れている。
「ま、いいか」
とアパートに向けて歩き出す。

「お帰りなさい」
とキッチンから声をかける絢音に、
「!!」
 裕樹は立ちすくんだ。口から心臓が飛び出しそうになった。
 いつもと同じ部屋、いつもと同じようにキッチンで料理している絢音。
 でも、絢音の髪型だけが変わっていた。
 絢音は長かった髪をバッサリと刈り込んで、大胆にもベリーショートになっていた。
 眉も耳もうなじも全部がはっきりと覗いている。
「その髪・・・」
 裕樹は言葉もない。
「ああ、これ、暑かったから」
と絢音はさっぱりとした襟足を撫でながら、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「それに短い方が家事しやすいしね。なんたって――」
と大仰に胸を反らせ、
「今日から“妻”だからね」
 そう言いながら、軽やかに料理を作る短い髪の絢音は、いかにも「若奥さん」といった呼び方が相応しい清らかな色香を漂わせていた。
 ――参った!
 裕樹は胸がいっぱいになった。
 絢音は見事に自分の髪で、二人の人生を区切ってみせた。
 ときめいてしまう。
 スゴイナ、って思う。

 向かい合って、絢音の作ったクリームシチューを食べる。
 正直、長い髪の方が似合っていたようにも思えるが、けれど、「結婚」という人生最大のイベントを、自らの髪を切ることによって演出しようとする絢音の気持ちが、裕樹には眩しく、嬉しい。
「美味しいね」
と自画自賛しながらスプーンを口に運ぶ絢音に微笑みで応え、
 ――もうカノジョじゃなくて「妻」なんだな。
と実感する。そして自分は「大黒柱」。責任を感じる。急にのしかかってきた責任は、心地良かった。
 絢音の切り詰められた髪は、裕樹に青春の終わりをそっと告げているかのようだった。
「あなた、おかわりする?」
「ああ、うん」
 「ヒロちゃん」じゃなくて「あなた」と呼ばれて、こそばゆかったが、やっぱり嬉しかった。
「あなた」
とまた呼ばれる。
「ん?」
「早くあたしを“ママ”にしてね」
と絢音は破顔した。
「ああ」
 当分は”若妻“でいて貰いたい、と思いつつも、子供は最低でも二人は欲しい、と想像してニヤける裕樹だ。




(了)



    あとがき

 何年も前にノートに書いていた短編を発掘しました。たまには断髪場面のないお話もアリかなあ、と。
 何度か述べて参りましたが、「長い髪の恋人からショートの若妻に」ってシチュエーションにすごい萌えます。夢です! ロマンです! 幸福です! 自分もいつか、と願っております。そんな思いを込めて今回、発表に踏み切らせて頂きました。
 とても気に入っています(^^)最後までお付き合い下さり、どうもありがとうございました♪♪




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