腹を切る前に |
以下のストーリーは「切腹フェチ」を取り扱ったものですが、中身は純然たる断髪小説であります。 船橋京四郎(ふなばし・きょうしろう)には許婚がいる。 名を陣内梓(じんない・あずさ)という。 京四郎、二十歳、梓、十九歳、親同士の決めた結婚相手だった。 陣内家は中国地方のさる大名家に仕えた大身の武士の家柄だった。 その家風のもと、梓は幼い頃より「武家の娘」としての嗜み――行儀作法や立ち居振る舞い、茶の湯、生け花、和歌、武術などを叩き込まれた。 許婚を、 「京四郎様」 と呼び、敬い、常に三歩後ろを歩く、そんな今時博物館モノの女性だった。親の決めた縁談にも特に疑問を抱くことなく、素直に受け容れていた。未来の夫を一途に慕っていた。 肌が透けるように白く、やや厚めの唇、パッチリとしたつぶらな瞳が印象的な美女だった。 京四郎もはからずも得た美しい大和撫子の婚約者に、首っ丈だった。 「結婚するまではいけません」 と貞操を守ろうとする梓に、 「婚約してるんだから、いいだろう? 頼む! 頼む!」 と迫りに迫り、さんざ拝み倒して、ついに肉体的にも結ばれた。 ことが終わり、愛おしそうに彼女の髪を撫でる京四郎に、梓も上気した様子で、 「京四郎様」 と許婚の胸に顔をうずめ、 「一生、梓を愛して下さいませ」 と微笑した。そして、一転、厳粛な表情になり、 「もし、京四郎様が、例えば、他の女性にお心を移されるようなことがあった場合、そのときは――」 「そのときは?」 「私は腹を切ります」 「腹を?!」 梓の言葉に、京四郎は思わず聞き返した。 「はい、切腹します」 と梓はうなずいた。 「女が切腹とか聞いたことないなあ」 「たとえ女子といえど、武士の家の女、いざというときには、男子に負けぬよう潔く腹が切れるよう、幼少の頃より父に作法を習いました。稽古もいたしましたわ」 「稽古? 切腹の?」 「はい」 すごい家庭だ。成金息子の京四郎は頭をおさえる。とりあえず、 「切腹ってどうやるの?」 と訊いた。 梓は京四郎の前で、切腹の作法を披露してみせた。 畳の上に正座し、寝間着の襟に手をかけると、 「こうお腹をくつろげて――」 と大胆にも白い柔肌をさらし、 「切腹刀を突き立て――」 左の脇腹に両拳をあて、 「右へと引き回します」 と一文字に拳を動かす。婚約者に見られていていることに、羞恥と興奮をおぼえているのだろうか、頬が朱く染まっていた。 「正式な切腹では、こう、横一文字にかき切って、次に縦に真っ直ぐ切り下します」 と拳をオヘソの上にあて、鳩尾の下まで切り下す真似をした。 「こ、これが、た、正しい十文字腹の作法です」 息づかいが荒い。目が異様な輝きを放っていた。いつになく、梓は昂ぶっている。 そのさまに、京四郎は気圧された。気圧されつつも、危険な情欲をかきたてられた。 どうやら、梓は切腹という行為に、マゾヒスティックな性的倒錯を感じはじめているらしい。以後も、 「私は醜く老いさらばえるよりも、まだ花のうちに腹を切って死にたいのです」 としばしば打ち明けるようになった。 「私の腹切るさまを、京四郎様に見届けて頂きたいですわ」 とも言う。 れいの切腹の「稽古」も京四郎の前でしてみせるようになった。 扇子を短刀の代わりに、腹に突き立てて、横一文字、縦一文字、と引き回し、 「このようにして、介錯なしで立派に果ててみせますわ」 京四郎も怖々、梓の「趣味」に付き合う。 情事を重ねながら、白魚のような腹部を撫で、 「このお腹を切り裂くんだね? できるのかい?」 と耳元で囁くと、 「京四郎様あぁ、あ、梓は・・・あ、梓は思うさまに腹を切って、見事に死んでみせますわぁぁ!」 と梓は乱れに乱れた。 腹を切る際見苦しい、と梓をそそのかし、豊かに茂っていた下の毛を、シックで剃って、つるつるにしてやった。梓は恥ずかしそうに、婚約者に剃毛されるままになっていた。 京四郎も段々と梓のフェティシズムの共有者になりかけている。が、これから結婚する相手に切腹されてはかなわない。 それに、京四郎は京四郎で、梓とはまた別種のフェティシズムの持ち主であった。 今度は自分が梓をコチラの「趣味」に染める番だろう。 ある夜、その日も婚約者の前で十文字腹の「稽古」をする梓に、京四郎は思い余って、 「梓!」 とその両肩を抑え、 「た、頼む!」 と懇請した。 「腹を切る前に、髪を切ってくれ!」 そう、京四郎は女性が髪を切ることに、性的興奮をおぼえる「断髪フェチ」だったのだ。 梓の背中まで伸びた真っ直ぐな黒髪を、 ――切って欲しい! と身悶えせんばかりに望んでいた。 その願いを、ついに直接本人に伝えた。 「髪を?」 梓は一瞬虚をつかれたような顔になり、 「切れ、と?」 案の定、顔色を曇らせた。 「そう、バッサリと・・・ショートに!」 「バッサリとショートに?」 梓はオウム返しに呟くと、ますます表情を翳らせた。 無理もない。旧家に生まれた彼女は、「髪は女の命」という古風な考えの持ち主、染めたり、短くしたりしたことなどは、一度とてないという。 ――だからこそ―― バッサリ切って欲しい!と京四郎は恋人の「変身」を渇望するのだ。 「嫌です、髪を短くするなんて」 梓は婚約者の要望をキッパリと断った。ここまで明確に拒絶されたのは、出会ってから初めてのことだった。 「いいじゃないか、梓は美人だから、ショートの方がきっと映えると思うな」 と甘い言葉でそそのかしても、 「嫌々」 と梓は頑なだった。 「将来の夫の頼みが聞けないのか」 と凄んでも、 「いくら京四郎様のお願いでも、髪を切るのは堪忍して下さい」 と首を振るばかり。 こうなったら最後の手段、と京四郎が 「髪も切れないのに、腹が切れるのか!」 と殺し文句(?)を炸裂させると、梓は気まずそうに押し黙った。 「なぁ、梓、頼むよ。髪バッサリ切ってくれ〜」 ここぞとばかりに畳み掛ける。 「・・・・・・」 「梓ぁ〜」 「・・・・・・」 「なぁ、梓ぁ〜」 「・・・・・・わかりました」 ついに梓は陥落した。 「切ります」 「じゃあ、早速明日、美容院に予約を入れよう」 と勢い込む京四郎に、 「お待ち下さい」 「なんだよ、今更“やっぱりやめた”はナシだぜ」 「いえ、髪は断ちます。ただし、これまで慈しんできた髪、見ず知らずの他人の手に委ねるのは、口惜しゅうございます。そこで、古式ゆかしく、腹を切るに準じた作法で、自身で髪を切りたいのです」 「作法?」 面倒くさい女だな、と興ざめる思いだったが、ここでヘソを曲げられたらまずいので、 「わかった。お前の言う通りにしよう」 と了承した。 翌日、間をおかず、梓は髪を断つことになった。 梓の希望に従い、京四郎は自邸の一室に 断髪の座 をしつらえた。 屏風を引き回し、畳二枚を白い絹で巻いて敷いた。 梓はその上に着座した。作法通り、西向きに座った。白小袖に白袴、白の裃を身にまとっている。全身白ずくめだ。 かなり緊張した面持ちだった。 目の前には、白木の三宝。奉書紙が敷かれ、鈍い光を放つ和鋏が載せられている。 白装束の梓は畳に三つ指をつき、対面に座る京四郎に、一礼した。 「京四郎様、梓はこれより古式に則り、髪をバッサリと切り落としますゆえ、しかとお見届け下さいませ」 凛としたよく通る声で、一語の乱れもなく挨拶した。さすが「武家の娘」だ、と京四郎は舌を巻く思いだった。 「うむ、存分に切るがよい」 と何やら自分まで、ついお武家様のような口調になる。 梓はゆっくりと髪留めをはずし、後ろでまとめていた髪を解き放った。甘い芳香が室内にたちこめた。 長い髪がユラユラと、梓の身体を這う。 いよいよ「断髪の儀」がはじまる。 梓は幾分、ギコちない手つきで和鋏の握りに奉書紙を巻き、持ち上げた。まさに切腹するかの如く。いつしか顔色が青ざめている。 ――大丈夫だろうか。 京四郎はちょっと心配になる。 心配は当たり、梓は臆病に髪を握ると、その先の方を少し、恐る恐る切っただけだった。ジョキリ。そして、震える手で、5センチほどの切り髪を三宝の上に投げ捨てるように置いた。 「梓!」 京四郎が叱った。 「なんだ、その覚悟のない切り様は! 腹は切れるのに、髪は切れないのか!」 「も、申し訳ありません! 不覚でした!」 叱責され、梓はまた畳に指をついて頭を下げた。長い髪が頬や肩を垂れ覆った。 座り直し、フウ、とひとつ息を吐き、気持ちを落ち着けるように瞑目した。 そして、目を開けると、 「いざ、参る!」 今度は右耳の下辺りまで、深々と鋏をあてた。暫し逡巡したが、思い切ったように、 「えいっ!」 裂帛の気合いをかけ、 ザクリ! と鋏を入れた。 髪はギチギチと鋏を拒むように啼き、なかなか刃を受け入れようとしなかったが、 「なんの・・・これしき・・・えいっ!」 梓は手に力を込め、一思いに断ち切ってのけた。 ジャキッ! 梓の手の内には、40センチほどの髪の束が握られていた。それを三宝に載せると、 「まだまだ・・・」 余勢を駆って、髪を掴み、さらに鋏を咥え込ませた。ザクザクザク、今し方切ったばかりの髪束の二倍の量の髪が、頭部から切り離された。 「見事だ、梓!」 京四郎は気分はすっかりお殿様である。 「はい!」 褒められて、梓は頬を紅潮させながら、気丈にも、莞爾と微笑んだ。目にはうっすら涙が滲んでいた。 また鋏を髪に深く入れた。 鋏の刃はゾリゾリと滑り、梓の長い髪を断ち切っていく。 梓は一房、また一房、と切り取った髪を三宝に積み上げていった。 頤が現れ、首筋が露に出た。 無残な切り口が、ピンピンと空しく跳ねている。段々と歪なオカッパ髪になっていく。 梓は苦しげな表情で、鋏を動かす。残酷な収穫を続ける。 ザク、ザク、と左の髪も切る。 「まだだ、梓! もっと切れ!」 京四郎に叱咤され、 「うっ・・・なんの・・・まだまだ・・・」 梓は自らを励ますように、そう呟き、やや腰を浮かせ、前のめりになりながら、枝毛など一本たりともない美しい髪を鋏んでいった。ザク、ザク、ザク―― 手から取りこぼした髪が肩に、袖に、くっついている。白い装束なので、その黒とのコントラストが生々しく、京四郎のフェティッシュな欲望を一層かきたてる。 三宝には摘み取られた髪がこぼれんばかりに載り、障子から射す陽光に照りかえっている。 「うっ・・・うっ・・・」 とうとう、梓は耐え切れず嗚咽を漏らした。 「梓、見苦しいぞ!」 「は、はいっ」 「耳が出るくらいに切れ!」 「はっ、はいっ・・・うっ・・・ううっ・・・」 梓は髪に指を入れ、耳をさぐり、その周りを鋏で、ザクリ、ザクリ、とアーチ型に切った。バラバラと髪が白装束の襟元を、黒く装飾した。 左耳が出た。 「前髪も切るんだ!」 「は、はいっ」 梓は京四郎に言われるまま、額で分けていた前髪を左手で掴んだ。鋏を握り直す。二枚の刃を跨がせ、意を決したように、指に力を込め、 ジョキ、 と押し切った。 左目の真上でスッパリと髪が切り落とされた。 「眉が出るくらいに切れ」 京四郎はすっかり暴君と化している。 「・・・・・・」 梓は黙って従った。 ジョキ、ジョキ、 左眉が覗いた。凛々しく整えられた眉だった。 梓は歯を食いしばって、自らの前髪を切り割いていく。ジョキ、ジョキ、ジョキ―― 前髪がギザギザに刈られた。両眉がはっきりと見えた。京四郎は激しく興奮した。 「京四郎様ぁ」 梓は悲痛な声をあげた。 「これで・・・これで、よろしゅうございましょう?」 右髪、後ろ髪がオカッパ、左髪がショート、という惨たらしい髪型だった。 「どうか・・・どうか、“介錯”をお願いいたします」 「ああ、よくやった、梓!」 京四郎は梓から鋏を受け取ると、 「よくやった! 立派だったぞ! さすがは武家の女だ!」 と褒め、ジョキジョキと整えてやった。右耳の辺りを、ぐるり、と刈って、左側の髪とバランスをとり、その長さに合わせ、後ろの髪も短く切った。ジョキジョキ、ジョキジョキ――そして、前髪も真っ直ぐに切り揃えた。ジョキジョキ、ジョキ―― 梓はショートヘアーにされた。 やはり素人の技では限界があったので、結局美容院に直行した。 「彼に切ってもらったの?」 と美容師(♀)は腕組みして、困惑していた。京四郎と梓を、交互に見ていた。恋人に虐待でも加えたのではないかと訝っている様子だった。 「これじゃあ、かなり短く切らないといけないね」 とのこと。 「お願いします」 と梓。長い髪への未練もフッ切れたようだ。 美容師は、ハサミを巧みに使い、梓の髪をカットした。 シャキシャキ、シャキシャキ、と大胆にザンバラ髪を切る。バラバラと髪がケープに落ちた。 「後ろ、刈り上げちゃうけど、いい?」 「・・・はい」 梓はうなずいた。だいぶ不満そうだった。でも、こうなった以上、仕方がない。 チャッチャッチャッチャッ、とハサミが鳴りながら、梓の襟足を遡っていった。 梓は少年のようなベリーショートになった。 望みが叶い、京四郎は激しくときめいた。 髪を短く切った梓が漂わせる美童の如き色香に、ドギマギした。 「やってみない?」 と美容師に勧められ、 「せっかくなので――」 とカラーリングまでしてもらった明るめのブラウンの髪色に、京四郎はますます梓が眩しい。 「似合いますか、京四郎様」 恥ずかしそうに上目遣いで訊かれ、京四郎は、 「ああ、すっごく似合ってるぞ」 と梓を強く強く抱きしめた。梓が愛おしい。 ――コイツのためなら、オレは死ねる! 死ねるぞ〜! と思う。切腹はしたくないけど。 半年後、 「京っち、講義マジでだりいから、ブッチしちまったぜい。これからカラオケでも行かね?」 「梓、お前変わったなあ」 京四郎は許婚の内面までの変貌に、ため息を吐く。 梓は茶髪のベリーショートにしてから、凄まじい勢いで変化した。 服装はギャルっぽくなり、ピアスをあけ、態度も言葉遣いも今風の女の子になった。性格の方が髪型に合わせてしまったらしい。 「ああ、前髪鬱陶しいなぁ〜。そろそろ切り行くべ」 と髪に手をやりながら、ひとりごちている。 短髪がよっぽどお気に召したようで、伸びればすぐ美容院に行って、カットしてもらっている。髪色も派手になってきている。 かつての大和撫子の面影など、とうにない。 だから、 「変わったなあ」 と京四郎は深々と嘆息するのである。 「っつーかさ、こっちの方がほんとのアタシなんだよね。髪を切ったお陰で、本来の自分に気づけたぜぃ。京っちにはマジ感謝してるよん。あれ、ライターどこやったっけ?」 「うわっ、お前、タバコ吸ってんのかよ?!」 「いいじゃん、別に。もう二十歳なんだしさ」 「親、何にも言わないのかよ?」 「最近はもう色々あきらめてるみたいだぜぃ」 スパ〜、と紫煙を吐き出す梓に、京四郎も諦めの境地になる。 この梓、近頃学校やバイト先で複数の男と浮気しているという嫌疑がある。 しかしそのことを追求すると、 「あんまウルサイとアタシ、リスカしちゃうかもよ?」 と逆ギレするので、京四郎は苦く黙るしかない。切腹のことなど、すっかり忘れてしまったのには、安心しているが。 カラオケで梓のド下手な歌――最新のポップソングのオンパレードだ――をさんざ聞かされる。 「梓、あと10分だってよ」 「え〜! 延長しようよ、延長〜! 延長おおぉ〜!」 「マイクで怒鳴るなよ、うるさいなあ」 と苦情を申し立てつつも、 「すいません、あと三十分・・・いや、一時間延長で」 もうしばらく梓と一緒にいられて嬉しい京四郎、いつしかすっかり従僕ポジションに安住している自分に気づいているのか、気づいていないのか。 (了) あとがき 以前発表させて頂いた「身代わりお菊」に女性切腹スキーの方々が多数アクセスして下さっている、という朗報から思いついた作品です。もしも彼女が切腹マニアだったら、「腹を切る前に髪切ってくれ〜」って思うだろうなあ、とのifネタもありまして。。 女性の切腹には結構興味ありますが、サイトの趣旨とは違うので、書くとしたら、別にサイトを開設して、って感じですねえ。 今回は、切腹のような様式美を追及して(?)みました。 それにしても、「か弱い女性が暴君的な男性のせいで泣く泣く髪を切らされるんだけど、その後、両者のパワーバランスが逆転」ってパターン多いなあ。「青髭」とか「田舎のアリス」とか。果たして、女性恐怖なのか女性賛美なのか。 とまれ、最後までお読み下さりありがとうございました(^^) 今後とも懲役七〇〇年をよろしくお願いします♪ |