四十億年? |
遠くでフェリーの汽笛が聞こえる。DJの軽快なおしゃべりや、近所の子供たちのハシャぎ声も聞こえる。小鳥のさえずりも聞こえる。そして、潮騒も。 それら、ひとつひとつの音が溶け合い、室内楽のように、まどろむ瑞希(みずき)の耳に届けられる。 いつものように起床し、家中の部屋を掃除しているうちに、あっという間に昼になってしまった。昼食をとって、洗い物をしたら、春眠暁をおぼえず、ちょっと眠くなったので、午睡を楽しむことにした。 春先の風がそっと運んでくる潮の香りが、鼻孔をくすぐる。ああ、自分は他郷にいるのだなぁ、と眠りの中、ぼんやり思う。 寝返りをうつ。そこはかとない畳の匂い。ああ、やっぱり自分は遠くの土地にいるんだ、と、また夢うつつに思う。 もう一度寝返りをうつ。背中に敷き込まれた長い髪がひきつれる。それを無意識に手で払い出す。 つけっぱなしのラジオからは天気予報。明日からまた冬の寒さがぶり返すらしい。 「瑞希」 誰かが呼ぶ。 誰なのかはわかっている。待ち人来る。 瑞希は毛布を除けると、玄関へ。 「フミヤ!」 フミヤが立っていた。南国離れした色白の秀麗な容貌に、人好きのする笑顔を浮かべて。 フミヤは出迎えた瑞希を見て、 「寝てたの?」 「うん、ちょっと寝てた」 瑞希は少しキマリ悪げに笑った。 フミヤの手には切花の束と、お線香が握られている。 「時間空いてる?」 「3時のバスで病院に行くんだけど、それまでなら。何、そのお花とお線香、お墓参り?」 「そう、そろそろお彼岸だからさ」 「OK、支度するから、ちょっとあがって待ってて」 そう言うと、瑞希は奥の間に行き、身支度を整えた。今年初めて春物のコートを羽織った。 フミヤは庭を見ていた。 「お待たせ」 と声をかけると、 「桜」 と不意に言った。 「え?」 「そろそろ咲きそうだね」 フミヤの言うとおり、気づけば庭の桜の蕾がほころびかけている。 「ああ」 思わず微笑みがこぼれる。 「死んだお祖父ちゃんが、桜が好きでね、わざわざ山から運んできて、植えたんだって」 「そうなんだ」 「お祖母ちゃんにも見せてあげたかったなぁ、この桜が咲いたところ」 「入院中じゃあね。でも、また来年も桜は咲くさ」 と立ち上がるフミヤの腕に、 「だね」 と瑞希はしがみつくように、自分の腕をからめた。 墓地は海を見渡す高台にあった。 代々の先祖が眠りについている墓地を見守るように、桜の木々が生い立っている。 その中のひとつの墓石の前、瑞希とフミヤは並んでしゃがむ。 高柳家先祖代々、と墓石にはある。フミヤの家のお墓だ。 花と線香を手向け、掌を合わせる。 そして、木佐貫家之墓、と刻まれた墓石にもお参りする。瑞希の本家のお墓だ。七年前亡くなった祖父も、ここに眠っている。 墓参を終えた二人はどちらともなく、高台の先端へと歩いていき、海を見下ろした。 海は春の陽光を受けて、静かに波立っている。 カモメが二羽、海の上を舞う。ツガイなのだろうか。 フェリーが海を横切っていく。釣り船が二艘、いや三艘、波間に漂っている。小さな無人島が幾つも浮かんでいる。 海から吹く風が心地よい。 瑞希の長い髪が風になびく。なびくに任せる。 「いいところだろ、この町?」 フミヤに同意を求めるように訊かれ、 「うん!」 瑞希は迷うことなくうなずいた。 「海があって、自然があって、町は昔のままで懐かしい気持ちになる。町の人たちは親切で良い人ばかりだし・・・それに――」 瑞希はフミヤの手を握った。 「フミヤがいて」 「瑞希」 フミヤは恋人の手を握り返す。二人、見つめ合う。 あふれそうな互いの想いを確かめるように、唇を重ねる。 「好きだよ、瑞希」 「アタシもだよ、フミヤ」 「四十億年」 突然、フミヤの口から突飛なワードが飛び出した。 「え?」 「この海が誕生してから、四十億年が経つんだって。昨日テレビで、どっかの教授が言ってた」 海を指差しながらフミヤは言う。故郷の海を愛おしそうに眺め、今度はもっと愛おしそうな視線を瑞希に向けた。 「オレも四十億年、瑞希を愛するよ」 フミヤ、大きく出た。 「う〜ん、もう一声」 瑞希は欲張った。 「じゃあ、四十億と十年」 「オークションじゃないんだから」 瑞希は苦笑する。でも嬉しかった。その気持ちは言葉にできず、だから言葉の代わりに、フミヤを抱きしめた。ぎゅう〜、って。 「フミヤ、大好きだよォ」 背伸びして、大切な人にキスの雨をお見舞いしてやった。 瑞希は19歳になったばかり、大学生だ。やや内気で大人しい、目立たない女の子だった。 学校の春休みに祖母の家に遊びに行き、海辺の田舎で過ごそうと計画を立てていたら、祖母が骨折してしまった。 田舎行きは中止になりかけたが、入院中の祖母の世話や、祖母宅の留守を託され、瑞希は祖父の葬儀以来、久しぶりにこの土地を訪れたのだった。 祖母の宅は、「本家」だけあり、立派な純和風の建物で、坪数も結構あり、庭も付いていた。年寄り一人で暮らすには大きすぎる家だった。 その家に瑞希は滞在している。 この町に来たばかりの頃、昔ながらの瓦屋根の立ち並ぶ町の路地を、懐かしく散策していたら、 「ノン太〜、ノン太〜」 といなくなった飼い猫を探していたフミヤと出逢った。 なりゆき上、一緒に猫を探しながら、互いのことを話した。 「へえ、都会に住んでるんだね」 と相槌をうつ、フミヤに、 ――なんでだろう・・・。 瑞希は自分でも驚くほど、おしゃべりになっていて、ずっと女子校だったせいもあり、男の人ってあんまり得意じゃないはずなのに、 ――この人、一緒に居て、すごいラク・・・。楽しい! 初対面ですっかり心を許してしまっていた。 フミヤの方でも同じフィーリングを感じている様子で、 「今度オレが町を案内してあげるよ。昔とは変わっちゃったトコも随分あるしね」 とガイド役を買って出てくれた。 そんなフミヤは24歳。三年前美容学校を卒業して、現在は隣町の美容院で働いているという。 「まだまだ見習いだけどね」 と謙遜しつつ、話してくれた。 明るくて、ハンサムで、優しくて、年上らしくしっかりしていて、一緒に歩きながら、瑞希は陶然となっていた。 猫は見つかった。三毛の子猫だった。 大きな邸宅(昔の網元の家らしい)の塀の上で、縮こまっていた。 どうやら乱暴な野良猫に追われて、無我夢中で逃げのぼったものの、下りられなくなってしまったらしい。 「ノン太、下りてこい、ノン太」 とフミヤが手を差し伸べても、塀の上、おびえて動けずにいる。 「ノン太、ノン太」 と瑞希も子猫に呼びかける。 「大丈夫だよ、ノン太、下りてきて。怖くないよ」 邸の主人も出てきて、二人と一緒にノン太を下ろそうとするが、ノン太は、ニャアニャア鳴くばかりで、身をすくませたまま。 「梯子を持ってこようか」 と邸の主が言っていたら、 「ミャン」 ノン太が片足を踏み出した。そして、もう一方の足も前に。ひどく不恰好に塀を滑り、壁を蹴って、 「ミャン」 とフミヤの腕の中に飛び込んできた。 「おっと」 とフミヤは子猫を抱きとめた。ナイスキャッチ! 「コイツ、皆に迷惑をかけて」 フミヤは相好を崩し、子猫に頬ずりしていた。 その染みとおるような笑顔に、瑞希の胸も啼いた。キュン、って。 こんなこと、少女漫画の世界だけの絵空事だと思っていたのに。 生まれて初めて、恋に、落ちた。 一匹の猫が瑞希を新しい世界へと連れ出してくれた。輝いた世界へと。 それから瑞希とフミヤは毎日のように、逢瀬を重ねた。 出逢って三日後にはキスをしていた。十日目には瑞希の住む家で、一緒に朝を迎えていた。 瑞希の胸は幸せで満たされていた。 ――フミヤと出逢わせてくれて、ありがとうございます。 とさっきも墓前に手を合わせ、祖父をはじめご先祖様たちに感謝した。 春休みが四十億年、いや、永遠に続けばいいのに、と思う。いつまでも、こうして二人、寄り添っていたい。 「こっちの桜も咲きそうだね」 とフミヤが高台の桜を見上げる。 「町の人たちは毎年、ここでお花見をするんだよ。ご先祖様と一緒に春を祝うんだ」 「へえ」 「桜が咲いたら、瑞希と二人でお花見しようよ」 「嬉しい!」 瑞希は顔を輝かせる。 「アタシ、お弁当作る!」 「楽しみだなあ」 二人はまた口づけを交わす。 キスしながら、 ――そう言えば、昔―― 誰か大切な人と桜を見る約束をしたような気がする。けれどその約束は果たせなかった。いつのことか、相手が誰だったか、それは思い出せない。もしかしたら、遠い前世の出来事なのかも知れない。 「いっけない!」 瑞希は我に返る。 「お祖母ちゃんのお見舞い、行かないと」 「3時のバスだったっけ?」 「うん、ごめんね、フミヤ、また明日ね」 と名残惜しそうに駆け出す瑞希の手を、フミヤが掴んだ。そしてグッと引っ張って、想い人の身体を背後から抱きすくめた。 「フミヤ?」 いつになく強引な恋人の振る舞いに、瑞希は困惑する。 「瑞希」 フミヤは肩越しに囁く。 「瑞希の髪をオレに切らせて」 ――え? 瑞希は一瞬頭が真っ白になった。 ――髪を? 切る? 「瑞希の髪を切ってあげたいんだ」 とフミヤはさらに言う。 「・・・・・・」 まるで時間が止まったような錯覚に陥る。 「オレが素敵なショートヘアーにしてあげるからさ」 ――ショートヘアー?! 瑞希は言葉を失い、呆然とするばかり。 「ま、考えておいてよ」 フミヤは眉をあげて、そう微笑むと、 「さあ、バスが行っちゃうよ」 と今度はポンと背中を押した。時間がふたたび動き出す。 「ああ、うん・・・」 瑞希はまだ混乱したままで、それでも、バス停に向かって走り出した。 坂道を夢中で50メートルくらい駆け下りて、怖々とフミヤを振り仰いだ。 フミヤはいつもと変わらぬ様子で、瑞希に手を振ってくれた。 瑞希もひきつった笑みを浮かべながら、フミヤに手を振り返した。 バスの中でもドキドキはとまらなかった。 脳裏にフミヤの言葉がこだまする。 ――瑞希の髪をオレに切らせて ――瑞希の髪を切ってあげたいんだ ――オレが素敵なショートヘアーにしてあげるからさ 「・・・・・・」 フミヤの気持ちはわかる。 美容師だから、恋人の髪を切ってあげたい、と思うのは、むしろ自然な情だ。 ずっとヘアーカットを申し出る機会をうかがっていたんだろうなぁ、とフミヤの身になって考えてみたりもする。 好きな人に髪をカットしてもらう、というのは美容師の恋人の特権でもある。 でも、いきなり髪を切らせて欲しいと言われても、当惑してしまう。 しかも、 ――ショートに?! 瑞希は子供の頃からずっとロングヘアーだった。今まで肩より上に切ったことはない。 ――それが突然ショートだなんて・・・。 長い髪を指で触れる。切りたくはない。 確かに美容師のフミヤに、髪をいじってもらいたいと考えなくもない。でも、ちょっと整えてもらえればいい。それで満足だ。冒険はしたくない。 しかし、何故だろう、フミヤに髪を短く切られる自分を想像して、ドキドキする瑞希がいる。けして嫌なドキドキではなかった。怖くもあったが、恐怖心とは裏腹に甘美な気持ちがあった。その気持ちを、 ――ダメダメ、ダメってば! とあわてて押さえつける。 ――せっかくここまで伸ばしたのに。 切ってから後悔しても、遅いのだ。 瑞希の心は千々に乱れる。 「瑞希、すまないねえ」 ベッドに横たわってはいるものの、祖母は元気そうだ。 「すまないねえ」 を連呼しながら、リンゴが食べたいから剥いてくれ、売店で雑誌を買ってきてくれ、もらった花を活けてくれ、と瑞希を便利使いする。 冷めたから、と瑞希に淹れ直させたお茶を口に運び、 「瑞希」 「何、お祖母ちゃん?」 「お前、高柳さんトコの息子と良い仲らしいじゃないか」 「えっ」 瑞希はあわてる。女の情報網って本当に侮れない。 「ああ、町をね、色々案内してもらってるの」 と取り繕ったが、 「私がいないのをいいことに、羽目を外してるんじゃないだろうね?」 ギクリ、とする。 が、 「まあ、いいさね」 若いんだしね、と祖母は表情を和らげた。 「それに、あの息子だったら、安心してお前を任せられるよ。しっかりしてるし、甲斐性はありそうだし、何より――」 と祖母は「オンナ」の目になり、 「いい男だもんね。ああいうのを、お前たちの間じゃ“イケメン”って言うんだろう?」 「あははは」 「お前、なかなか男を見る目があるよ」 女性としての大先輩に太鼓判を押され、 「そうかな?」 瑞希としても満更でもない。 その夜、フミヤからの着信はなかった。 昨日までは毎晩電話してくれてたのに。付き合いだしてから初めてのことだった。 正直、ホッとしている部分もある。今夜はフミヤと話したくない。 髪のこと、まだ気持ちの整理がつかないでいるから。 そんな瑞希のためらいをわかっているかのように、フミヤは電話をしてこない。 ――やっぱり恋人なんだなぁ・・・。 って逆説っぽく思う。離れていても、一種のテレパシーみたいに、互いにネガティブな気持ちすら汲んでしまう。 ちょっと、いきなり過ぎたかな、って昼間の言葉を後悔しているフミヤが頭に浮かぶ。 電話がなくて安堵している自分。さみしい自分。複雑な気分。 畳の上に、ゴロリとうつ伏せになる。 長い髪が垂れ、頬に流れる。 ――ああ、もォ〜! 乱暴に手で髪を払いのける。 長い髪が初めてわずらわしく思えた。 翌日、前日までの暖気が嘘のように、寒かった。その次の日も冷え冷えとした一日だった。 まるで、季節が瑞希の心とシンクロしているのかのようだ。 せっかくほころびかけた桜の花も、寒さに震えるように、縮こまっている。 春は足踏みしている。 そして、瑞希とフミヤの関係も。 フミヤからの着信は今日もない。 こちらから電話しようかとも思うが、気後れしてしまう。フミヤと出逢う前の内気な少女がダイヤルする指をすくませる。 ――人ってそう簡単に変われないんだなぁ。 ため息が出る。 ――フミヤが悪いんだよ。 あんな変なこと、言い出さなければ、こんなギクシャクしたムードにはならなかったのに。そう思うと、ますますこっちから連絡をとりたくなくなる。 ――顔でも洗おう。 と洗面所に行く。 鏡の向こうには長い髪の女の子が、さえない表情でこっちを覗きこんでいる。 ――この髪が―― フミヤと自分の間に溝を生じさせたのだろうか。 ――私のせいにしないでよ。 と長い髪が、瑞希の本心が、異議を申し立てる。 ――アナタを苦しめているのは、アナタ自身の臆病さと執着なんだよ? 「・・・・・・」 鏡の前、両手で髪をひっ詰めてみる。 ――ショート、似合うかな? と。 ――結構似合うかも。 という感触を得たりもする。 ――でもなぁ・・・。 髪を切るのには怯みがある。怖い。 瑞希は思い切れないでいる。 思い切れないまま、フミヤからの電話を待っている。フミヤの声が聞きたい! フミヤに髪を切ってもらう自分を、またイメージしてみる。やっぱり胸が早鐘をうつ。怖さと甘さが半分半分。 切って欲しい 切って欲しくない 心は揺れている。 ――ノン太は・・・。 フミヤと結ばれるきっかけになった、あの子猫のことを思い出す。 高い塀の上で、身をすくませ、動けずにいたノン太と、今の自分が二重写しとなる。 それでもノン太は勇気を奮い起こして、片足を前に踏み出した。その一歩でノン太はフミヤの胸に戻ることができた。 ――アタシも・・・ 一歩踏み出したい、と思う。フミヤに向けて。新しい自分に向けて。幸福に向けて。不恰好でも。一歩を、最初の一歩を。 気がついたら、フミヤの番号に発信していた。 フミヤの電話は留守電になっていた。仕事中らしい。 しかし、瑞希にはもうためらいはなかった。 「フミヤ、瑞希です。決心がつきました。アタシの髪、切って」 その翌日の昼下がり、瑞希はフミヤに髪を切ってもらった。 前日ほどじゃないけれど、少し肌寒い。 庭に椅子を置き、瑞希はそれに腰をおろした。 「いいの、瑞希?」 とフミヤに念を押され、 「うん」 瑞希はうなずいた。 「バッサリやって」 決心したら、スッと心の霧が晴れた。軽やかな気持ちになった。 「可愛くしてね」 「瑞希はいつだって、今だって、可愛いよ」 「じゃあ、髪切るのやめとこっかなぁ」 「え〜、そんな〜」 「冗談だょ」 悪戯っぽく含み笑い、ペロリと舌を出してみせる。 けれど、そんな余裕も、 「それじゃ、バッサリいっちゃうからね」 とフミヤが大きなカットバサミを取り出すと、 「わぁ〜」 ちょっと不安になる。 そんな瑞希の不安を感じ取ったフミヤは、恋人の耳元に口を寄せ、 「大丈夫」 と囁いた。 「オレに任せて」 その優しくも頼もしい一言に、瑞希はときめいた。 「うん・・・」 恍惚と全てをフミヤに委ねた。 フミヤはまず瑞希の前髪を切った。 長めだった前髪に、ハサミを縦に入れ、シャキシャキ、シャキシャキ、と眉上3センチまで切り詰めた。 バラバラッ、バラバラッ、と前髪がカットクロスに落ちていく。 瑞希はウットリと目を閉じ、チャッチャッ、チャッチャッ、とリズミカルに鳴るハサミの音と、シャキシャキと髪が切られる音色を聞いている。 「前髪のカットは大事だよ」 フミヤは素人の瑞希にレクチャーする。 「これで全体の長さとか形が決まるんだ」 額にあたる短くなった髪の感触に、瑞希は、 「ねえ、鏡見たい」 とお願いしたが、フミヤは、 「ダメ、出来上がるまでのお楽しみだよ」 と許してくれない。 「イジワル」 瑞希はちょっと頬をふくらます真似をしたが、すぐに、 「けど――」 と破顔した。 「楽しみ〜」 フミヤはサイドの髪にとりかかる。 トップの髪をクリップで留める。そうして、横髪を、ジャキッ、ジャキッ、と大胆に切っていった。 バサッ、バサッ、 とこれまで大切に大切にしてきた長い髪が、ケープを伝い、地面に降っていく。 しかし、瑞希に後悔はなかった。 むしろ、フミヤの手で新しい姿に変えられていくことに、悦びがあった。 のぞいた耳に早春の風を、ひんやり感じる。 揉み上げをわずかに残して、サイドの髪は短く刈り込まれた。 後ろの髪も、サイドの長さに合わせ、耳上から、ジャキ、ジャキ、ジャキ、とカットされた。 ――失恋して髪を切る、って話はたまに聞くけど・・・。 自分は恋人との絆をより深くするために、髪を切っているのだ。瑞希は夢心地で、目を細める。 バックの髪はレイヤーカットで、動きを出す。 フミヤは腰のツールバッグから、ハサミをとっかえひっかえ、瑞希の後ろ髪を切り整えていった。やっぱりプロだ。フミヤのワザに、瑞希は酔いしれる。 ロングヘアーは次々と切り落とされ、地面で丸まって、永遠の眠りについている。 「瑞希」 せっせとハサミを使いながら、フミヤが話しかける。 「うん?」 「髪切ったら、海に行こう」 「そうだね。行こっ」 答える声が弾む。心が浮き立つ。フミヤとたくさん思い出を作って、「充電」しよう。四十億年、いや、永遠に愛し合えるように。 うなじが全部出るくらい襟足が短く短く刈られる。瑞希が思わず首をすくめると、 「動いちゃダメだってば」 フミヤに注意された。 「だって首が寒いんだもん」 さらに襟足にハサミが入る。 チャッチャッ、チャッチャッ ハサミは縦に入れられる。そうやって長さを調整し、カットラインをナチュラルに仕上げていく。 ラストに仮留めしていたトップの髪が切られた。他の部分同様、短くカットされる。ジャキッ、ジャキッ、ジャキッ・・・ 瑞希がロングの髪だった頃をしのばせる最後の手がかり、そのトップの髪ももはやお役御免となり、浅春の庭に散っていった。バサッ、バサッ・・・ フミヤは最後に、全体の髪を梳き、ボリュームを抑え、自然な感じに整えはじめた。シャキシャキッ、チャッチャッ、シャキ、シャキ・・・ 「この町に来たときには、まさか自分がベリショになるなんて、思いもしなかったよ」 海辺の堤防の上を、綱渡りするように両手をひろげ、歩きながら、瑞希は笑う。 さっぱりとした襟足を、潮風が吹きなでる。寒くもあったが、 「キモチイイ!」 瑞希は顔をほころばせ、堤防の下を歩くフミヤを見下ろす。 「思ったとおり、瑞希はベリーショートの方が似合うよ」 フミヤは眩しそうに、瑞希を見上げる。 フミヤの言うように、思い切りよく眉や耳、うなじを出したベリーショートにした瑞希は、髪を切る前より垢抜けた感じになった。大人っぽくなった。爽やかになった。中性的な色香を醸し出していた。 フミヤがスタイリングしてくれた髪型と、初めて鏡で対面したとき、 ――なんだかモデルみたい! と自分で見惚れてしまった。これまでの自身とは、まるきり別人だ。 ――魔法みたい! 「どう? 気に入ってくれたかな?」 「魔法使い」はちょっと心配そうに、シンデレラの反応をうかがう。 「すごい! すごいよ、フミヤ! アタシ、この新しい髪型、すごく好き!」 と瞳を輝かせる瑞希に、 「よかった」 フミヤも微笑した。 人のいない海辺をそぞろ歩き、 「でも、ショートにしたの初めてだから、セットの仕方とかわからないんだよね」 と瑞希。 「大丈夫、オレがコーチしてあげるよ」 「ありがとう、フミヤ!」 瑞希は、バッ、と堤防の上から跳んだ。コンクリートに見事に着地をきめる。内気な少女の殻を破って、自分でもビックリするくらい快活になった瑞希が、今ここにいる。 「アタシ、もう髪伸ばさない!」 と宣言する。 「これからは、ずっとフミヤに髪を切ってもらう」 「そう言ってくれると嬉しいな」 「美容師の高柳フミヤ君を、四十億と十年先まで指名予約させてもらいましょうかね」 「いや」 フミヤは首を振った。 「永遠に予約受け付けてるよ」 「嬉しい・・・」 髪を切って初めてのキスを交わす。 水平線に沈む夕陽が、海を、空を、恋人たちを、朱く染める。 潮騒が聞こえる。帰港する漁船のエンジン音が聞こえる。お社の方から笛や太鼓の音が聞こえる。春祭りのお囃子の練習だろう。 「可愛い、可愛いよ、瑞希」 フミヤはクシャクシャと瑞希の髪を撫で回す。子猫みたいに。いつまでも撫でていて欲しい。 ――でも・・・。 間もなく春休みは終わる。フミヤと離れ離れになってしまう。夏休みはまだまだ先だ。 さみしい。 ――だから―― って思う。 さみしくなったら、鏡を見よう。 フミヤが切ってくれた髪を、新しい自分を見よう。 フミヤがくれたもの、フミヤと過ごした日々を思い出せる。 この短い髪が遠く離れた二人を、繋いでいてくれるはずだ。 ラジオの天気予報では、明日からまた暖かな日差しが戻ってくるらしい。 桜もすぐに咲くだろう。 ――フミヤと・・・ 早くお花見がしたい。 そうやって、フミヤと過ごす一瞬一瞬を大事に積み重ねて、この愛を育てていこう。 瑞希は幸福を確かめるように、そっと短い襟足を撫でた。 (了) あとがき 十代前半の頃からずっと書きたかった「春」「海」「青春(恋愛)」の三題話でございます。まさか断髪小説で実現するとは。。 元々中学生くらいの時にこっそり描いたイラストを元にしています。長い髪の女の子がカッコイイ恋人に「髪を切らせて」って言われて、ウットリと断髪されるイラスト。イメージとしては夏のコテージだったのですが、春&和風な感じになりますた。 「海の歴史と同じだけ四十億年君を愛する」といった意味の台詞は、これまた中学時代、友人の友人がノートに書いていた小説(もどき)をパクリました(笑)だいぶ改変は加えてますが。 書き終えたときには、いまいちピンとこなかったんですが、読み返してみて、かなりお気に入りの作品です(^_^) トホホ系メインでいきたいのですが、たまにはハッピーなお話も欲しいので。く○寿司のラーメン的な(笑) 今回、「バリ子」→丸刈り、「汐音」→スキンヘッド、「マイミー」→オカッパ、本作→ベリショ、と、うまい具合に分散してくれて良かったです(^^)早春の話が多く、アップ時期が作中の季節とほぼ合致したのも嬉しいです♪♪ 最後までお読み下さりありがとうございした(*^_^*) 2014年も懲役七〇〇年をご愛顧頂ければ嬉しいです!! |