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汐音バージョンアップ


 片桐汐音(かたぎり・しおね)はこの春、高校卒業を控えた少女だ。
 いわゆる「腐女子」だった。
 クラスメイトの間では、「変人」と認識されている。
 授業中、突然クックックッと笑い出す。鼻をかむ。放屁する。
 休み時間、男同士がラブラブしているイラストを描いている。独り言をぶつぶつ呟く。太極拳みたいなポーズをとりはじめる。
「アイツのそばに行くと異臭がするんだよな」
と男子は密かに話している。どうやら風呂もちゃんと入っていないようだ。
 髪が長い。背中の真ん中まである。
 まったく手入れをしていないボサボサのロングヘアー・・・いや、長髪で、前髪は鼻先まで伸び、顔を覆っている為、余所目には表情がわからない。
 なので、余計不気味がられる。
 何か考え事(妄想)をしているときなど、その髪をいじったりポリポリかいたりする癖がある。
 フケや髪の毛が机に落ち散らばる。
「片桐、汚ねぇなあ」
 さすがに或る男子がたまりかね、眉をひそめた。
「ふぇ?」
と汐音は顔をあげ、その男子を見上げた。
「机の上、フケだらけじゃないか」
「ほえほぇ、そうだねぇ〜」
 言いながらも頭をポリポリ。男子は閉口気味だ。
「少しは身だしなみに気を使えよ」
「うにゅ〜?」
と、また髪をかく汐音。
 ノレンに腕押し、という諺が男子の頭をよぎる。
 そして、男子は汐音への忠告を諦め、彼女の前から去った。
 他の男子たちから、
「片桐のことなんて、ほっとけよ」
「言ってもムダムダ、アイツ、コミュ障だから」
「あんなブスにエネルギー使うことはねえよ」
と言われているのが、汐音の耳にも届いた。しかし、
「ふにっ」
 汐音は馬耳東風、脳内でお気に入りのアニメキャラをやおらせて、ニヤニヤ。
「うへへ・・・うへっ」
「またモジャ子が笑ってる」
 女子たちもヒソヒソ話している。
「アイツ、マジキモいよね」
「モジャ子、キモい、キモ〜い」
 長い髪を野放図に生え茂らせている汐音を、女子たちは「モジャ子」とあだ名をつけ、嘲笑の対象にしていた。

 汐音には秘密がある。
 いや、特に秘密にしているわけではないが、本人以外、学校の皆は知らない。もし知れば、誰もが目をむいて、驚愕するに違いない。
 実は汐音、間もなく出家する。
 尼になるのだ。
 汐音の家は創建五百年以上の由緒ある寺院だった。
 汐音は次女だったが、美人で社交的で行動力もある姉の方はさっさと他家に嫁いでしまった。
 で、僧侶で副住職の父と母は、一人残った汐音に、望みを託し、
「お前、寺継いでくれないか」
と打診したのが、昨年のこと。
「ふぇ?」
 前髪で隠れた両眼を見開く汐音だったが、両親は気づかない。
「尼になってうちの寺の跡を取ってくれ」
「ふぇふぇふぇ?」
 突然の後継話に汐音は戸惑ったが、
「もう、お前しかいないんだ」
と父母に詰め寄られ、
「うにゅ、わかったよ〜」
 まあ、いいか、とクラブ活動でも決めるような感覚で承諾した。
 どうせ、やりたいこともない。行きたい学校もないし(進路相談のときは、服飾系の専門学校に進む、と適当にお茶を濁したが)、社会に出て働くのも大変そう。だったら親の言うとおり、尼になって寺に入るのもアリではないか。
 流されるまま、汐音は尼僧の道を歩み出したのだった。
 得度に際しては、髪の毛を剃らねばならない。
 本山も最近は厳しくなっていて、女性といえど、得度時には剃髪が義務付けられている。
 ――まあ、いいや。
 汐音はこれまたアッサリ了承した。
 髪には何の未練も執着もない。ただヘアーカットするのが億劫で、伸ばし放題に伸ばしていただけだ。
 いっそ坊主になるのも悪くない。
 人目なんて全然気にならないし、三次元&男女の恋愛にも興味がない。だから髪を剃ることに、抵抗などない。

   むしろ好奇心が湧く。
 ――ふぉ〜、「BL○ACH」の斑目○角みたいな頭になるのかぁ〜。
と漫画の登場キャラを思い浮かべ、髪をボロボリ、口元ニンマリ。
「またモジャ子、笑ってるぅ〜」
「キモい、キモい〜」
 女子たちは囁き合う。
「アイツ、絶対卒業式の後の打ち上げに呼ぶなよ」
「いや、呼んでも来ないって」
「そりゃ、そうだな」
 皆笑った。
 笑い声は汐音にも聞こえたが、
 ――ド○ゴンボールのク○リンと同じ頭になるのかにゃあ。
 汐音は気にもとめず、自分の世界に入っている。
 ――せっかくだから、コスプレにでも挑戦してみようかにゃ。
 頭を剃る日が待ち遠しかったりする。

 いよいよ得度の日が来た。
 その日の朝、式に備え、汐音は飾を落とした。
 自坊の檀家である床屋さんで剃髪してもらった。この日は定休日だったのだが、汐音の為にわざわざ店を開けてくれた。
「汐音ちゃん、よく決心したわね」
と理髪師のオバチャンは目頭を押さえていた。
 ――うにょうにょ?
 自分のしようとしていることは、そんなにスゴイことなのか、とオバチャンの涙に、汐音はちょっとした困惑をおぼえた。
 が、
「お願いしまっふ♪」
とかなりノリノリ。
「長い髪、いい加減ウザいんで、バッサリやっちゃって下さいっす」
「わかったわ」
 そう言うと、オバチャンはやおらゴツい業務用バリカンを持ち出してきた。涙して汐音の出家を悲しんでくれた割に、意外に容赦がない。
 ――にょにょにょ?!
 汐音の背筋も、ピンと張り詰める。らしくなく、やや緊張してしまう。
 しかし、
 ――ま、いっか。
 チョコマカ、カットされるより、ガアーッと一気に丸坊主になった方が、なんか気持ちよさそう。
 ドゥルルルル
 オバチャンはうなりをあげるバリカンを、櫛でかきわけた汐音の長すぎるほど長い前髪をかきわけ、左の額の生え際に差し込んだ。躊躇なく刈った。
 メリメリ、とゆっくりと髪がめくれ、根元から覆され、バリカンのボディに乗っかり、
 バサッ
と床に振り落とされる。
 ――にょほほっ!
 ファーストカットに汐音は顔を歪めた。恐ろしいような、おかしいような、くすぐったいような不思議なフィーリング。
 バリカンは間髪入れず額の生え際に入れられる。頭頂にかけ、刈られる。
 ドゥルルルル・・・ジョリジョリジョリ〜・・・バササッ
 ドゥルルルルルル・・・ジョリジョリジョリジョリ〜・・・バサバサッ
 前髪は30秒で全て始末された。
 パッ
と目の前が明るくなった。
 これまで世界と自分を隔てていた長い長い前髪は跡形もなく消え失せた。
 外界の眩さに、汐音は思わず目をパチクリ。
 鏡に自分の顔が映っている。
 こんなにちゃんと自分の素顔と向かい合ったのは、どれくらいぶりだろう。
 ――そんなにブスじゃないと思うんだけどにゃ〜。
 形のよい目鼻や雪みたいに白い肌を眼前にして、そう思ったりもする。
 バリカンは勢いよく動く。
 両鬢が刈り込まれる。縦に、横に、バリカンは動き回る。
 ジョリジョリジョリ〜〜 バサッバサッ!
 ジョリジョリ〜〜、バサバササッ!
 不潔っぽい長髪がバリバリ刈り落とされていった。
 ――スゲーな。
 バリカンのパワーに汐音は感嘆しきり。自分の頭が丸裸に剥かれていくさまが、小気味よく、
 ――もひひっ。
 B型の血が騒ぐ。
 ジョリジョリジョリ〜〜、バサバサバサッ!
 ジョリジョリジョリ〜〜、バサバサッバサッ!
 バリカンはサイドの髪を刈り終えると、続いて襟足に挿入される。
 ジョリジョリジョリ
 グワッ、
と髪が裂ける。バリカンの刃の動きに合わせ、浮き上がり、
 グニャリ、
とその形状を崩し、
 バッ、
と床に散っていく。
 汐音はコーフンで真っ白い頬を紅潮させ、笑みをたたえ、爛々と目を輝かせて、様変わりした自分を見つめる。
 ジョリジョリ〜、バサッバッ!
 ジョリジョリジョリ〜〜
 身体中を取り囲むようにむさ苦しく伸びていたボサボサ頭は、全て切られた。わずか7分の間だった。
 ――にょへへへ〜、やっちゃったゼ〜。
 オバチャンは丹念にバリカンを、丸刈り頭に何度も這わせた。
 バリカンの振動がくすぐったい。
 それに、頭が軽すぎて落ち着かない心地だ。
 すっかり丸刈り(1mmくらい)にされると、オバチャンは顔や耳やうなじにくっついた切り髪を、ブラシでサッサッと払ってくれた。
 凄まじい量の髪が掃き集められる。
 それを見ても、汐音に感傷はなかった。
 むしろ、これだけの物体を今まで頭上にのせて、生活してたのか、と改めて思い、爽快感をおぼえた。
 付き添いの母が、
「切った髪、少し頂くわね」
 得度式で仏前に捧げる為、切り髪を一房引き抜いて、和紙に包んだ。そして、その髪を胸に抱いて、
「汐音、ごめんな、お母ちゃんが女の子しか産めんかったばっかりに、アンタに辛い思いさせて・・・堪忍・・・堪忍な」
とむせび泣いた。
「奥さん、泣かないで。汐音ちゃんだってわかってくれてるわよ」
 オバチャンももらい泣きしている。
 ――うにゅにゅ?!
 当の汐音は大人たちの涙に、たじろいでいる。本人は、サッパリした〜、と快感に浸っているのだけれど・・・でも、いつも怒ってばかりの母親が号泣しているのには、グッときた。

 1mmの髪がタオルで巻かれ、蒸される。
 オバチャンはシェービングクリームを泡立てると、汐音の丸刈り頭に、満遍なく塗った。
 そうして、初めて剃髪する汐音の頭皮を傷つけぬように、慎重に、まずは右側から剃りはじめた。
 ジッ、ジッ、ジッ、ジッ
 短く刈り詰めた髪が、削がれていく。
 ジッ、ジッ、ジーッ、ジー
 バリカンとは違い、鋭利な刃物があてられているので、汐音も少々神妙な顔になった。
「ウィッグ、買った方がいいんじゃないかしら」
とオバチャンが助言してくれる。
「そうやね。一番上等なウィッグ買お。今日これから特注して作ってもらお」
 母もうなずく。
「いいよ〜、ヅラなんて」
 汐音はオシャレ感覚ゼロ。せっかくスッキリしたのに、ウィッグなんてありがた迷惑だ。これからは坊主頭を晒しっぱなしで通すつもり。
 ジッジッジッジ〜〜
 剃刀は汐音の頭を滑り、細かな髪をこそげ取っていく。オバサンは流石本職だ。ちっとも痛くない。むしろキモチイイ!
 右から、今度は前頭部、左サイドと剃られる。
 わずかな残り髪がクリームごと、ゾリゾリ剃り取られる。
 オバチャンは左の五指を汐音の頭に添え、右手の剃刀を巧みに使う。後頭部を、ジッジッジ〜〜、ジッジッジ〜、最後に襟足をあたった。
 ――ぐにゅにゅ〜。
 えもいわれぬ心地よさに、汐音は陶然となる。
 剃り残しのないよう、耳の裏にも剃刀があてられる。
 剃刀での剃髪は30分近くかけられた。
 全ての髪の毛が、頭から消えた。
 熱いタオルで頭が拭きあげられた。剃髪、完了。
 そして、洗面台でバシャバシャ頭を洗われ、頭皮や毛穴に詰まった脂が流し落とされて、またタオルでキュッキュッ。
 ――なんだ、なんだ?! このスーパー爽快感は?!
 まるで憑き物でも落ちたかのような爽やかな気分だ。
 鏡の中には、ボサボサ髪の腐女子ではなく、可愛らしい少女尼がいた。
 ――イケてる! スーパー似合ってるぅ〜!
 ホクホク顔で、剃りたての頭に手をやる。
 ぬめり、
とした感触。
 ――やってもうた〜!!
「似合うじゃないの」
 母も泣き顔から一転、頬をゆるめる。
「髪があったときより、美人さんになったじゃない」
 オバチャンも褒めた。
「そっすか?」
 褒められて汐音も満更でもない。
 心の中、一句吟じた。
 オタロング 剃って爽快(僧かい?) 春の朝

 得度式も終え、翌日、スキンヘッドにブレザー&リボンの制服という珍妙なイデタチで登校した汐音に、クラスメイトたちは口をあんぐり、言葉もなく、ただただ目を丸くするばかりだった。
 汐音の秀麗な容貌に、スキンヘッドはかなり映えていた。
 ムサい長髪を落とした汐音からは、オタクのオーラはきれいに消え、その美しさと初々しさと赤子のような清潔感は、男子たちの胸をときめかせるものがあった。
「片桐、お前・・・その頭・・・どうしたのさ?」
 かろうじて一人が訊いた。
「うにゅ、昨日尼さんになった」
 言いながら、少し恥らうように、仄かに真っ白い頬を染める汐音に、男子はますます劣情を刺激される。
「片桐〜!」
と生まれて初めて三次元の男たちに取り巻かれた。
「お前、卒業式の後の打ち上げ、絶対来いよ!」
「待ってるからな」
「片桐が来てくれなきゃ、宴が始まらないゼ」
 女子たちも掌を返して、
「モジャ子・・・じゃなくて、片桐さん、チョー勇者だよね」
「ウチらには真似できないよね」
「立派な尼さんになってね」
「坊主メッチャ似合うじゃん」
「坊主の方が絶対かわいいよ」
と頭を触ってくる。
「ふぇ〜」
 慣れない状況に、汐音は地に足が着かない気分だ。
 片桐汐音、卒業直前、高校デビュー!!
 しかし、本人は、
 ――土川×角田・・・・いや、あえて角田×土川か・・・あるいは、北之口×角田、か・・・いやいや、ここは、戸澤のヘタレ攻めで――
 クラスの男子のカップリングを妄想して、
「うへへ・・・うへ・・・」
と、また一人笑っている。
 妄想はナマモノ――三次元にまで及ぶようになった。バージョンアップした腐女子に成長(?)した。
 それでいいのか、汐音?
 いや、これはこれでいいのだろう。



(了)



    あとがき

 どうも、迫水です♪
 今回のお話は「ネットの仏様」「麻子の場合」など、ずっとこだわってきた、「イケてない女の子が野暮ったいロングヘアーを剃って、美人尼さんに変身」というテーマで書いてみました〜。
 最近では珍しくコンパクトにまとまりました(^^)
 しかし若干薄味なような気がします。。。
 こういう自己浮遊的なヒロインは自作では珍しく、ちょっと手こずりました。
 けして「腐女子」を差別しているわけではございません(汗)中にはこういう人もいるんじゃないかなあ、と、学生時代のクラスメイトだった一部女子たちを思い出しつつ。。むしろオタ系の女性、今は大好きです! 801とかにも理解がある方だと思います!(←誰に向かって力説してるんだ?)断髪801とかあるのかな? 「リュウヤ、僕の髪を切ってくれ」「お、俺が? い、いいのか・・・」みたいな。切る方が「攻め」で切られる方が「受け」で、攻受をめぐってカップリング論争が起きたりして。。
・・・と話がズレてしまいましたが、書き終えてみて、結構好きな一作です。
 最後までお付き合い下さり、どうもありがとうございましたm(__)m




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