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地獄の一丁目で恋に落ちた話外伝・ネットの仏様


 人。人。人。また人。うんざりするくらい人。
 紙の手提げ袋を両手に持ったキモイ男。ギャルゲーのヒロインのコスプレをする女の子。東京ビッグサイトは、年に二度の祭典に、沸きかえっている。場内のドンヨリとした熱気と活気。
 ─ああ、この空気!
 安井沙耶香は、自分のサークルのブースで高揚感に打ち震えていた。
 同人歴は中学時代までさかのぼる。筋金入りのオタクだ。
 専門はヤオイ系。
 今年の冬コミは修羅場だった。
 徹夜につぐ徹夜、濃いコーヒーをがぶ飲みし、髪をかきむしり、ようようメ切り日までに原稿を描きあげた。
「蓮華サン、コレ、差し入れです」
 サークルの新刊を購入した常連の女の子が、スナックの入った袋を渡してくる。蓮華は沙耶香のペンネームだ。
「どうもです」
 サークルは確実に伸し上がっていっている。
 沙耶香はほくそえむ。
「どう? 売れてる?」
 オタク仲間の千里が、陣中見舞いに来た。
 新刊のこと、最近ハマッてるアニメ、お気に入りのカップリング、話は尽きない。
 鬼の笑いを無視して、話題はすでに来年の夏のことに。
「夏コミも今回と同じス○ダン?」
「いや、こないだから”花と○め”に連載スタートしたやつあるじゃん?」
「ああ」
「あれはクルと思うんだよね。夏コミはあれでいこうかなあって考えてるんだ」
「へえ、いいね」
「蓮華もコスプレすればいいじゃん。せっかく髪長いんだし」
 千里が沙耶香の腰まであるロングヘアーを、羨ましそうに眺める。
「ああ、コレ? 別にファッションで伸ばしてるわけじゃないって」
 たまに、美容院に行っても、どんな髪型にしていいかわからず、毛先をカットしてもらうくらいだ。
 彼氏いない歴二十二年。
 生まれてこの方、男にモテたためしがない。美人じゃないし、オタクだし。
 まあ、それでもいいけどね、と達観している。
 アニメや漫画の美形キャラと、恋愛する妄想で満足している。三次元のオトコなんて、こっちから願い下げだ。
 でも、ふと
 ─コレって逃避なのかなあ
 と冷めた自分がいる。
「ところでさあ」
 千里が話題を転ずる。
「蓮華、将来のこと、考えたりする?」
「オレは同人一筋だね」
 「オレ」なんて一人称を使ってるから、男が寄りつかないのだ。
「ビッグサイトに骨埋める覚悟できてるよ」
 ハハハと自分でウケる。
「て言うか、蓮華、実家の寺、どうすんのよ?」
 他人に心配されてしまった。
「一人娘でしょ? 婿取るとかしなきゃ、マズイっしょ」
「まあ、そういう湿っぽい話は忘れようゼ。せっかくの祭りなんだからさ」
 現実的な話題になると、すぐ逃げる自分に、ちょっと嫌悪感が鎌首をもたげた。
「まあさあ、夏コミを楽しみにしててよ。あっはっは」
 新進同人作家、蓮華は呵呵大笑した。

 その三ヵ月後、沙耶香は僧侶養成機関G学院のそばの、床屋の待合席に、座っていた。
 ―あれ?
 シャバから地獄へ。
 ピンハ系ファッションから作務衣へ。
 そして、もうすぐマルコメの修行僧に・・・。
 目の前では、自分と同じ世代の男の子たちが、次々と頭を丸められている。
 まるで「フルメタルジャケット」の世界である。
 バリカンで、青々とした坊主頭に仕上げられていく彼らの姿は、一時間以内の自分だ。
 ―ナニ・・・? この有様は・・・?
 あれよ、あれよ、という間の、我が身の流転ぶりに呆然とするほかない。
 ―どこで間違ったのだろう・・・。
 自問自答する。

 年明けは最高だった。
 冬コミは大成功だったし、新作のネタも浮かんだ。
 三が日を寝正月で過ごし、四日から早速、新作にとりかかった。
 完成したコンテに、これはイケる! 最高傑作だ! とハシャいでたら、父の様子がおかしい。
 鬱病だった。
 かなり危うい状態で、住職の業務にも支障をきたす状態。
 このままでは、寺は立ち行かなくなる。
 ヤバイ、と親離れできていない沙耶香はあわてる。
 こんなとき、相談できる人物は誰もいない。
 友人や寺関係の人たちには、ずっと、「寺なんてモンには無関係な自分」をアピールしてきた。
 今更、と妙なプライドが邪魔して、素直には助言を求められない。これも今まで、心から信頼できる人間を、つくってこなかったツケだ。
 ネット世界にSOSを発信する。オタクらしい思考回路だ。
 日本最大のネット掲示板、22ちゃんねる。ここで相談してみよう、と思い立つ。
 アニメや漫画のコーナーには、しょっちゅう遊びに行く。スレッドを立てたこともある。
 自分のいまの悩みは、どこで相談すればいいのだろう。
 ―やっぱシューキョー関係なのかなあ。
 とりあえず、仏教のコーナーに、「実家の寺が危機なんです」というスレッドを立てた。

 ○○宗の寺の一人娘です。二十二歳です。
 実は父が病気で、住職の仕事を続けていくのが困難です。
 寺の事、家族の事が心配でたまりません。
 どうか良きアドヴァイスよろしくお願いします。

 ハンドルネームは「白鳳」にした。
 さすが国内最大、すぐレスがつく。

 2get。

 クソスレたてんな。

 知るかボケ。

 普段なら、こんなゴミレス、蝿がとまった程度にも感じないのだが、ワラにもすがりたい現在の状況では、かなりこたえる。

 早く婿をとれ

 少しは、マトモなレスがついた。
 ―婿かあ・・・。
 無理だ。
 彼氏イナイ歴=年齢のオタクと坊さんになってまで結婚したいなどという物好きを探すには、鉄のワラジが十足は必要だ。その前に寺が潰れる。
 またレスがついた。

 白鳳さんが得度して、僧職免許を取得なさって、親御さんの跡を継ぐというのはどうですか?

 ―尼さんになれってか?!
 腹が立ったが、レスを返す。

 自分が出家する事は全く考えていません。あしからず。

 じゃあどうするんだよ? という厳しい書き込みに、思わず頭を抱えた。
 それを相談したかったのだが、確かに、婿を取るか、尼になるか、以外の選択肢はなさそうだ。
 自立して寺を出ろ、という意見もあった。
 ―それを言われちゃな〜。
 また頭を抱える。
 実はイジメが原因で、高校を中退している。こんな自分が、社会に出て、真っ当に稼げるのだろうか。
 助けを求めたはずが、どんどん追い詰められている。ネットは恐ろしい。お互い顔が見えないだけに、歯に衣着せぬ、辛辣な意見が続出する。
 たいていは「尼になれ」派である。
 曰く、親孝行しろ。
 曰く、最近では女性住職も珍しくない。
 寺に生まれた者が出家して寺を継ぐのは義務みたいなもの、というカキコもあった。
 ―外野は無責任だよなあ。
 失望したが、

 色々な御意見ありがとうございます。
 そうですね。出家についても考慮しておきます。

と下手にでておいた。
 内心では
 ―誰が尼さんなんかになるもんか!
と舌を出して。

 スレ立て二日目。
 「無名沙弥」というハンドルネームで、長文の書き込みがあった。

 はじめまして白鳳様。
 当方、恥ずかしながら、僧侶の端くれに名を連ねる者です。
 宗派は貴女のお寺と同じです。

から始まり、生真面目そうな文章で、沙耶香の境遇に同情し、貴女もお仏飯で育ったのですから、とやはり、沙耶香に得度修行を勧めていた。
 なんだよ、とガッカリしたが、先を読む。

 修行は注射みたいなものです。
 多少はチクリとするけど、済んでしまえば大した事はありません。
 ちょっと我慢するだけで良いのです。
 むしろ人間的にも成長するチャンスであると、拙僧は思います。

 ―注射ねぇ。
 心が3センチぐらい動く。
 「無名沙弥」なる自称僧侶の言うことにも、一理ある。
 人間的にも成長うんぬんは、どうだっていいが、一定期間、辛抱すれば、問題はクリア−されるのだ。
 修行して尼僧の資格だけ取っておけば、後は堂々と、寺務をしながら、今まで通り、同人活動を続けていける。
 しかも、

 女性の場合であれば、有髪で修行できる道場もあります。

と無名沙弥の長文は結ばれていた。
 ―有髪って、ボウズじゃなくてOKってこと?!
 この情報には、心が3メートル動く。
 ― 一休さんみたくならなくて済むんだ!
 化粧もヘタ、ファッションセンスもイマイチな沙耶香にとって、腰までの黒髪ロングは、女としての唯一のセールスポイント、最後の砦である。これでクリクリ頭の尼さんになったが最後、開店休業状態の「女性安井沙耶香」は、完全に自己破産である。
 ―やってみるか。
 出家への躊躇いは、まだ残っているが、
 ─この、無名沙弥ってひと、アリだな。
 文面に誠実さを感じる。色々、宗門のことに詳しそうだし、信頼できる。
 謎のコテハンへのレスを打つ。

 無名沙弥様。
 レスありがとうございます。参考になりました。
 出家の件、本気で考えてみようかと思います。
 ご迷惑でなければ、相談に乗って下さいませんか?

 おそるおそる書き込みボタンをクリックする。
 即日、無名沙弥から、愚僧でよければ、と快諾のレスがついた。

 ふたりの交流がスタートした。

 無名沙弥は、宗派のこと、修行生活のコツなど、基礎知識から裏情報まで、懇切丁寧に教えてくれる。
 及び腰だった沙耶香も、その気になってくる。
 冷淡だった外野も、掌を返したように、沙耶香を応援しはじめた。
 スレッドはいつしか、「尼さんを目指すけなげな寺娘、白鳳チャンを見守るスレ」に発展していく。

 ガンバレ。

 立派な尼さんになれよ。

 白鳳さんて美人なんだろうな〜。

 毎日、書き込まれる熱いファンコールをチェックして、ニンマリする。まるでネットアイドルにでもなった錯覚さえ、おぼえる。
 ―「電車男」もこんな気分だったのかなあ。
なんて考えたりもする。
 ただ、沙耶香に剃髪の意思がないとわかると、一部で猛烈なブーイングが起こった。
 ―うるせえ。
とシカトした。風は沙耶香に吹いている。無名沙弥という心強い味方もいる。
 ―無名沙弥さんかあ・・・。
 どんな人なんだろう。
 きっと凛々しい青年僧なのだろう。勝手に想像した。一度会ってみたい。

 頃合を見計らって、無名沙弥に、修行がラクで、有髪可の道場はないか、と質問してみた。
 すぐに返事があった。

 Y山のG学院は如何でしょう?

 無名沙弥のカキコによれば、男女共学らしい。
 ―男女共学か〜。  高校時代の忌まわしい記憶が脳裏をよぎる。が、背に腹は変えられない。
 ─よし!
 決めた。G学院に入ろう。
 入学は三月末だという。早くしないと!
 母に、尼僧資格を取得し、寺を継ぐ、と宣言した。
「でね、G学院で修行するから、Y山の」
 母は、何とも言えない顔をしたが、
「沙耶香がせっかく決意してくれたんだからねえ」
と入学手続きを済ませてくれた。法名は「英俊」。

 どういうわけか、無名沙弥のカキコはそれ以来、プッツリ止んだ。
 ―なんかあったのかな〜。
 気になったが、入学の準備で忙しく、ネットどころではない。
「髪、切らないとね」
 ドタバタしていたら、母が、娘の顔色をうかがうように言った。
「なんで? 切るわけないじゃん」
 カンベンしてよ〜、と一笑に付すと、母はやっぱり何とも言えない顔で、黙った。
 入学を前にして、オタク仲間から、ひっきりなしに電話がかかってくる。
 皆、「アキバ系尼僧」の誕生に、興味津々のようだ。
 とりあえず、マルコメミソは免れたことと、正月にコンテをきった「最高傑作」の発表は延期になることを、伝える。
 またケータイの着メロが鳴った。
「ハイハイ、蓮華」
 ついペンネームで応対する。
「え?」
と戸惑っている相手に
「安井ですけど」
と訂正する。オタク仲間ではないみたいだ。
「よかった。間違い電話かと思った」
「あ、小野さん」
 唯一の寺関係の友人だった。
「聞いたよ。寺継ぐんだって?」
 アンタがね〜、と意外そうに言う友人に、得意げに、
「まあね」
「大変だねえ」
「まァ、頭剃らなくてすむのは、ありがたいね」
「ええっ?! まだ剃ってないのォ?」
「なんで? G学院だよ」
「G学院だから剃るんじゃないの」
 どうも話が噛み合わない。
「どういうこと?」
 ポカンとなる沙耶香に、アンタねぇ、と小野さんはタメ息をついた。
「ロングヘアーでG学院に出張ってったら、間違いなくハンゴロシだね」
「え?」
 凍りつく沙耶香。
「サヤちゃん、もしかして何にも知らないで、G学院を選んだの?」
 小野さんの語るところによると、G学院は、「地獄」と恐れられるほどの苛烈極まりない修行道場で、
「血のオシッコが出るくらいビシビシやられるらしいよ。坊さんの資格取るだけのつもりなら、フツー、あんなトコ、行かないよ」
 誰かに担がれたの? という小野さんの声が、遥か彼方で聞こえる。もしもし? サヤちゃん、聞いてる? もしもし?
 何と言って、電話を切ったか憶えていない。
 ベッドに潜り込んだ。ブルブル震えた。
 ペンより重い物など、持ったことがない。そんな大昔のスポ根漫画のような環境に、放り込まれたら死ぬ、確実に。しかも

 マルコメミソ!

 無名沙弥ってコテハンに、まんまと一杯くわされた。
 ―あのヤロー! 絶対殺ス!
 呪っても、後の祭りだ。セッティングは完璧に整ってしまっている。
 得度や入学の費用に何百万もかかっている。
 動揺する檀家連中を、母が、娘が僧籍に入って住職をサポートしますので、と必死で、なだめてまわったらしい。
 今更、自分には無理です、やめます、と言える状況ではない。飛び乗った列車はもう走り出してしまったのだ。
 総ては、顔も、本名すら知らない無名沙弥なんてヤツを、やすやすと信じてしまった自分の責任である。
 ―わかったよ! オトシマエつけりゃいいんだろ!
 小指を詰めるような、悲愴な覚悟で、Y山に向かった。
 髪は向こうで切る、と不安そうな母に言い残し、故郷を出発した。
 どうせ、自分が坊主頭になっても、笑うヤツはいても、泣くヤツはいない。捨て鉢な気持ちで、地獄行きの列車に揺られていた。
 そして、Y山の麓、学院と目と鼻の先の、オンボロ床屋のドアを開けた。

 店内の凄惨な光景に、ギョッとなる。
 初めて間近で聞くバリカンのモーター音。
 バサリ、バサリと容赦なく、学院の新入生たちの髪が、バリカンの餌食となって、地獄めぐりのツアー客にふさわしい容姿に変貌する。
 まだ髪の長い新入生たちは、待合席で、身を固くして、じっと審判のときを待っている。
 入り口で立ちすくんでいる沙耶香に、
「いらっしゃい」
と店のオヤジが声をかける。その絶妙なタイミングに、つい、
「ハ、ハイ」
と店内に、いや地獄に、一歩足を踏み入れてしまった。
 カラン。扉が閉まる。
 この瞬間、沙耶香は、クリクリボウズの修行僧製造工場のベルトコンベアーに乗ってしまったのだった。
 もう逃げられない。
 観念して、坊主予備軍の群れに加わる。
 ひとり女性がいた。
 沙耶香と同じくらいの年頃の娘だった。
 長い栗色の髪の美人だ。
 ―きっとシャバではモテまくったんだろうなあ。
 ぼんやりと思った。自分とは月とスッポンだ。
 ―美人の尼さんになるんだろうな。
 彼女は、美人尼僧になる覚悟が定まらないらしく、怯えきった表情をしていた。緊張のせいだろう、何度か店のトイレを借りていた。
 ―トイレの窓から逃亡するんじゃないの?
と怪しんでしまうほど、挙動不審だ。
 他人の心配をしている場合ではない。
 店の漫画をひろげる。
 モーター音は鳴り止まない。たぶん、学院の入学予定者が一人残らず、坊主頭になるまで。
 ―ああ・・・。
 耳をふさぎたい。
 カラン。またバリカンの餌食が入店してきた。
 若い男だ。けっこうハンサムだが、チャラチャラした雰囲気の男。
 沙耶香を見て、露骨にガッカリした顔をした。
 ―悪かったね。どうせ、アタシはブスですよ!
 知らん顔で、漫画に目を落とす。
 高校時代、長い黒髪を、「サダコ」「サダコ」と男子にからかわれ、イジめられた。トラウマだ。
 ようやく、漫画の世界に、自分の居場所を見出したのに、こうして、ドン底に突き落とされた。
 どうも、ホトケサマは自分が御気に召さないらしい。きっと面食いなのだろう。
  チャラチャラ男と美女は、知り合いのようで、「七海」「高島田先輩」と旧交を温めている。

 七海という美女が、先輩の男に因果をふくめられ、理髪台に座る。
 剃髪が開始される。
 同性が坊主頭になる現場なんて、はじめて見る。
 見たくない。でも目が吸い寄せられる。
 バリカンは、七海の美しい髪を汚らしく食んでいる。
 七海が泣き出した。
 複雑な気分だ。
 同性への同情心。
 美人に対する、ひねこびた嗜虐心。
 そして、次は自分の番だという恐怖心。
 これらが、ないまぜになって、混乱する。
 七海は、フッ切れたみたいで、いつしかバリカンの暴虐を、静かに受け止めていた。
 そして、同じ女性の沙耶香が、見惚れる凛々しい尼僧に変身した。美少年ぽくなった。
 最初見たときの、臆病な小娘の面影はなくなっていた。
 オヤジは七海が俗世に置き去った女としての形見を、手早くかき集め、ゴミ箱に捨てると、
「どうぞ」
と沙耶香を、理髪台に招いた。
 同世代の女性に、格好良い尼さんになられて、ライバル心が沸々とわく。相手が美人ならなおさらだ。
 スッパリ坊主になってやろう。腹をくくる。
 ―潔く! カッコよく!
 理髪台に腰をおろすと、オヤジが素早くケープを巻いて、
「学院の新入生だよね?」
 ハイ、と答えようとしたら、ジョキリという音が響き渡った。サイドの髪がバサッと落下した。
 電撃的なファーストカットの余勢を駆って、ハサミがジョキン、ジョキン、ジョキン、とロングヘアーを断ち切る。
 学校ニ必要ノナイ物ヲ持イ込ンデハイケマセン。学校生活の鉄則である。
 だから、学院生は、ここで髪の毛を残らず、没収されるのだ。
 背後で、剃髪を終えた七海と高島田が、ヒソヒソ話している。沙耶香のことを言っているのが、聞こえた。
 ―見られてる!
 自分が七海の剃髪を、観察していたのと同様に、今度は、七海たちが、沙耶香が頭を丸められる様子を、見物しているのだ。
 ―は、恥ずかしいっ!
 カァーと頬や耳が赤くなる。沙耶香は赤面症だった。
 この赤面症のせいで、対人関係に気後れしたものだ。オタク人生に没入して、ヤオイ本などを購入するようになり、かなり耐性がついてきたと思いきや、こんな局面に立たされ、完全にぶり返してしまった。と言うか、普通の女の子でも、かなり恥ずかしい状況のはずだ。
 鏡には、だっさいオカッパ娘。ここまで、髪を短くしたのは、生まれて初めてである。ロングヘアー発ボウズ行きの経由駅。まだ、かろうじて、現世に踏みとどまっている。
 もし、コテハン無名沙弥が、沙耶香のこの有様を目撃したら、腹をかかえて爆笑するに違いない。
 ―チクショウ! チクショウ! チクショウ!
 グッと歯を食いしばる。
 この屈辱から脱するには、勇ましく、髪を落とすしかない。最後のプライドだ。
 だが、突っ張ってみても、赤面するのはどうにもならない。
 ―落ち着け! 赤くなるなってば!
と一人相撲をとっていたら、
 ヴイィーン
 ―バ、バリカン!
 いよいよ、真打ちの登場である。
 軽いパニックに陥る。
 あの、ちょっと待って下さい、と口を開くか開かないかの間に、
 ザリザリザリ
 バリカンが、前頭部の髪を、勢い良く、頭頂部まで運び去った。
 ―あああ!
 もう転がるように、坊主頭に、修行僧になるしかない。
 最後の砦は脆かった。
 その一角が突破されると、みるみる崩壊していく。
 バリカンは平等だ。男も女も、美人も不美人も、一切関係なく、己が職務を遂行する。
 ジジジジ・・・ザリザリザリ・・・バサッ、バサッ
 ジジジジ・・・ザリザリザリ・・・バサッ、バサッ
 黒髪がケープ越しに、身体をたたく。同人作家の沙耶香をねぎらい、別れを告げるように。尼僧英俊の今後の修行生活を励ますように。
 落ち武者みたいな頭になっている。両脇が黒。真ん中が青。
 緊張と好奇心半々で沙耶香を見守る、背後のふたつの顔が、鏡の端に映っている。
 照れ隠しに苦笑いを浮かべてみせた。プライドを保つ為には、こうやって、自分で自分を笑う他はない。
 そんな女心に対するデリカシーなど、オヤジにもバリカンにもなく、乙女の決意の断髪は、単なる「仕事のひとつ」として、さっさと片付けられていく。
 空しい。同時に小気味良い。でもやっぱり、すごく恥ずかしい。こうなると一刻も早く、坊主頭にしてもらって、この場を離れたい。
 鏡の中の自分が変わっていく。
 新しい自分になっていく。

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 寒々とした頭になった。
 なんだか有髪の頃より、女っぽくなった気がする。気のせいだろうけど。


 G学院に入学した。
 男子院生がしきりに、沙耶香に接近してきた。
 早速、イジメのターゲットにされたか? とビクビクしたが、どうも様子が違う。
 どうも男子院生たちは、沙耶香と親しくなりたいらしい。そのことに気付くまでに、だいぶ時間がかかった。
 話しかけられたり、こっそり作務を手伝ってもらったりする。皆、優しい。
 ―信じられない。
 二十二年生きてきて、初の体験に、戸惑う。
 上手く対処できず、男子院生に好意的な態度をとられる度、赤面して、ペコペコ頭をさげた。そんな初々しさが、また余計に、男どもの劣情を刺激したようだった。
 勿論、修行は「地獄」の異名に違うことなく、目茶目茶ハードである。
 一ヶ月目には、小野さんが教えてくれたとおり、血尿が出た。
 そのことを、妙桜こと七海に話した。七海とは学院で仲良くなった。美少年みたいな妙桜と、大和撫子的な英俊。学院の二大アイドルである。
 同時に学院きっての劣等性でもある。おっかない生徒監督に毎日どやされながら、学院内を駈けずりまわっている。
「アタシも出たよ」
 血のオシッコが、と七海は破顔した。
 ふたりでゲラゲラ笑った。まるで、悪戯してできた傷を自慢し合う腕白小僧のように。

 学院を卒業してからも、ふたりの交流は続いている。
 この間、七海から葉書が届いた。
 近く、あの高島田一成と、結婚するとあった。
 七海は、卒業後、ふたたび髪を蓄え始めたのだが、未来の夫が、坊主頭に興奮する尼フェチだと知るや、あっさりまた剃髪してしまったという。入学前に頭を剃ったときは、大泣きしてたクセに。

 今度、髪を伸ばすとしたらリコンしてからだね。

と躍るような文字で認められていた。
 ―ノロケられちゃったよ。
 一生ボウズでいられたらいいね、と葉書の七海に微笑した。
 沙耶香には、すでに夫がいる。
 在家出身の僧侶だ。学院で知り合った。頼りになる男性だ。
 新妻の幸せってやつを、日々実感している。
 クリクリ頭の人妻なんて変なので、髪を伸ばしたい、と夫にお願いするが、
「お前には、絶対、今の頭の方が似合うって」
と拝み倒され、渋々、剃髪姿のままでいる。
 ―アタシも当分、ロングはおあずけか。
 まあ、それもいい。現在は楽しい。未来は明るい。結果オーライだ。
 もしかしたら、とたまに思うことがある。
ネットで知り合った、無名沙弥というコテハンは、もしかしたら、ホトケサマの化身だったのかも知れない。
 ホトケサマが、せっせとネットに書き込みをしてくれて、ウジウジ迷っていた意気地なしの小娘の背中を、ポンと押して、仏門に入れてくれたのだ。
 おかげで、人間的に大きくなれたし、いまの夫とも出会えた。
 ―ありがとう。無名沙弥さん。
 一時は、殺す、とまで憎んだ、謎のコテハンに合掌した。

 久しぶりに、部屋の整理をしていたら、押入れの奥から、大きな紙袋が出てきた。
 何だろう、と中身をみたら、描きかけの漫画だった。
 ―ああ、コレ。
 あの「最高傑作」のコンテだった。
 くすぐったい気持ちで読み返す。
 クスクス笑っている妻を、お茶にしよう、と夫が呼ぶ。
「はぁい。いま行きます」
 沙耶香は、もう完成することのない原稿を、押入れにそっと戻すと、夫の許に、小走りで駆けていった。


                 (了)


    あとがき

割と古い作品でございます。時期的には「女弁慶」「地獄の一丁目」の直後のもの。
元々、「地獄の一丁目で」の外伝、後日談として書きました。タイトルのとおり、「地獄の一丁目で」の合わせ鏡のような作品である。
一作目はダメ尼、二作目は遊び人、三作目はギャル、四作目は高飛車キャリアウーマン、五作目はニート、そして今回はオタク、と、なんだか自分が「嫌いなタイプの女をボウズの尼さんにして面白がっている外道」と思われてしまうのではないか・・・と不安である。無論誤解で、自分はむしろ剃られる側に感情移入しているのだけれど・・・。

「メガネをとったら美少女」のラブコメの法則を発展させて、「さえない女が剃髪したら美人尼僧」というネタはどうだろう、との発想(即ちいつもの逆のパターン)で今作のヒロインが誕生したが、まだ開拓の余地のあるネタだと思います。はい。

はっきり言ってこの作品、嫌いである。生理的に。シュガーコーティングされすぎていて甘ったるい。
「地獄の一丁目」「小ぼんちゃん」にも同様のことが言えるのだが、物語と剃髪シーンが互いを阻害し合っている。剃髪シーンを主とすれば、物語が鬱陶しいし、物語を主として見れば、剃髪シーンは明らかに不要だ。
それでもストックの足りなさは如何ともできず、此度、ホコリをはらって発表させていただいた次第です。

とりあえずこの作品は「ネット社会には気をつけよう」というIT難民・迫水の深層心理が如実に反映されている。
なお作中に登場する22ちゃんねるは架空のものであり、○ちゃんねるとは一切関係ありません、とシメておきます。




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