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フェルチェ姫殿下の脱ヒッキー、あるいは新聞王増田憂作の似非ジャーナリズム


    (序)待ち人

 斜陽。
 潮がひいて、海が遠ざかる。
 ラジオのスイッチを切って、世界を部屋から締め出す。最近はJリーグとやらが流行らしいが、知ったことではない。
 水平線の彼方で太陽が海とまぐわっている。光と水のファックが絶頂に達したとき、夜が生み落とされる。
 レモネードをひとくち、ゆっくりと視線を動かす。燃える雲。ヨット。ブイ。静まっている海面。入り江。桟橋。断崖。山脚。
 窓枠からはみ出している、あの小山は六世紀前、城砦だったという。戦火によって落城の憂き目にあい、城主一族は悉く死んだ。そして、建物は地上から消えた。亡国の悲惨はどこの星でも一緒のようだ。
 レモネードをもうひとくち。
 この頃、往時を回想する時間が増えた。父母のこと。母星ファールのこと。ザックのこと。
 偏屈な老人のように、いつまでも海を見ながら追憶に耽る。妾の至福の時だ。

 コツコツとドアをノックする音。
「なんだ?」
「姫殿下、入ッテモ宜シイデショウカ?」
「苦しゅうない、入れ」
「失礼イタシマス」
 ドアが開いて、執事のカジーが入ってくる。ファールにいた頃から妾の世話をしている、人型のアンドロイドだ。
「夕食ノ支度ガ整イマシタ」
「であるか」
「海ヲ御覧ニナッテイタノデスカ?」
「うむ。昔のことを思い出していた」
「ふぁーるノ事デスカ?」
 そうだ、と答える。カジーは少し沈黙した。アンドロイドなので、表情から胸中を推し測るのは不可能だが、アンドロイドにも郷愁に似た感情はあるのだろう。
「デハ、オ食事ガ冷メヌウチニ、オ出デ下サイマセ」
「いらぬ。食べたくない」
 地球の食物はどうも口に合わない。レモネード以外。
 カジーは無理強いはせず、
「程ナク客人ガ参ラレマス」
 ご用意を、とだけ言った。
「わかっておる」
 余計な真似をしてくれたな、と付け加える。何の為にこんな僻地にひきこもったのか、カジーとて、わからぬわけでもあるまいに。
「刺客ではあるまいな?」
「ソレハ大丈夫デス」
と忠実なアンドロイドは請け負った。
「姫殿下ト同ジ年頃ノ若者デスヨ」
「そのようなことは、どうでも良い。今回はそちに免じて、特別に目通りを許可するが、今後は二度と許さぬぞ」
 アンドロイドの分際で出過ぎた真似をするな、と続けようとして、やめた。苛立っている。
「申シ訳アリマセン」
 カジーが一礼し、退出すると、静寂はまた犬のように妾の許にすり寄ってきた。このまま一生、この忠犬と戯れていたいものだ。
 ふたたび回想モードに入る。
 ・・・・・・・・・・・
 父はファールの君主だった。剛直な武人であった。名君として民から愛されていた。妾の誇りだ。母もまた妾の誇りだ。武人の妻にふさわしく貞淑で楚々とした佳人で、かつ夫の治世を陰で支える女丈夫であった。
 妾には兄弟がいなかった。だからザックと遊んだ。
 ファールは開拓途上であり、それゆえ惑星中を森が覆っていた。城の周囲も森で囲まれていた。森は恐ろしく、優しく、でもやっぱり恐ろしかった。幼かったせいだろうか。
 ザックは森番の少年だった。「姫さま」と妾を呼んだ。とても美しい子供だった。ザックが端正な顔を歪めて怒る姿を、妾は瞬時に思い浮かべることができる。妾は常日頃、彼を怒らせては喜んでいたから。
 例えば、「ザック」という彼の名前は、ファールの民草が日常使っている卑猥な隠語と響きが似ていた。誰から教わった知識だったのだろう、妾はそれが可笑しくて、しばしば彼をからかう種にした。
 からかわれて、むくれるザックの反応は、従順な召使いたちに慣れた妾には、とても新鮮で、彼の反逆心はひどく高貴な感情に思えた。

 あれは独立記念日の直後だった。
 世界の果てが見たい、とザックに強請った。
 じゃあ行こう、とザックは応じた。
 二人とも単純だった。城を取り巻く深く大きな森を抜ければいい、そこが世界の果てだ、そう考えていた。

 ここからの記憶はひどく曖昧だ。三日ぐらいザックと森の中を彷徨っていた気もするし、ほんの半日程度だったような気もする。城の人間に叱られたり、心配されたりした憶えはないから、たぶん後者の記憶が正しいと思う。
 暗く静まり返った森をずんずん突っ切っていくザックの背中が頼もしく、それでも闇は恐ろしく、まるで童話の登場人物にでもなったみたいな心持がした。とにかくザックから離れまいと懸命だった。ザックは妾の手をひいてくれた。彼の掌の温もりと、シャツの鮮やかな白は未だに忘れない。
 ザックと同じ年齢に、同じ性に、少年になりたい。足摺りするように思った。もっと対等に冒険できるだけの、体力が欲しい! 少年のメンタリティーが欲しい! そして、ザックともっと親密になりたい!
 森が途切れた。
 だがそこは世界の果てではなかった。すぐ目の前にまた巨大な森が立ちふさがっていたのだ。
 どうやら世界の果てはその森の先らしい。そうザックは目星をつけ、更にすすもうとした。
 帰ろう、と妾は言った。はじめたときと同様、強硬に主張して、ザックに「旅」の続行を断念させた。ザックはだいぶ未練そうだった。もうすぐなのに、と何度も口惜しそうに呟いていたが、最後は妾に従った。
 妾とザックはここまできた、という証拠にその地に、「記念碑」を残した。ザックが地面に短剣―玩具のような代物だ―を突き立て、妾が頭にのせていた草の王冠を鍔元にひっかけた。
 またここに来よう、とザックは言った。またここに来て、ここから「旅」の続きを再開しよう、と。そして一緒に世界の果てに行こう、と。
 妾が何と答えたかは憶えていない。このときは空腹と疲労で、ただ、一刻も早く城に帰りたかった。

 災厄がファールを襲ったのは間もなくだった。
 妾は両親を失った。故郷もなくした。大勢の人々が死んだ。ザックも・・・。

 妾でも後悔することはある。
 あの日、もし、ザックの言うとおりにして、もう少し先へと進んでいったならば・・・。こぼれた水は飲めぬとわかっていても、いつも考えては、胸が疼く。あるいは世界の果てに辿り着けたやも知れぬ。世界の果ては、すぐ近くだったのではないか。もう少しだけ、前に進んでおれば・・・。

 いつも見る夢がある。ザックと森の中を歩いている夢だ。
 ザックが先を歩き、妾は後ろからついていく。ザックの背中はずっと同じ大きさで、追いつこうと足を速めても彼我の距離は一向に縮まらず、その代わり開きもしない。生殺しのような状態に耐え切れず、早足が駆け足になる。待ってくれ、ザック!
 夢中でザックを追いかけて、気がつけばザックの姿は消え、「記念碑」の場所に一人立ちつくしている。縹渺とした風景に取り残され、目が覚める。ザックにはすまぬが、 悪夢の部類に属する夢だ。

 どうやら妾の心はずっと、記念碑のあるあの場所に留まっているようだ。

 反面、現在の妾の中には、そうした感傷に肩をすくめる、大人じみた諦念が存在する。
 幾らあがいたところで、所詮、世界の果てになど辿り着けはしない。そう、永遠・・・に。森を抜けたと思ったら、また森がある。その繰り返しに過ぎないのだ。

 なんにせよ、思い出は甘く、美しい。

 自伝を書こうか。昨日ふと思いついて、妾は笑わずにはいられなかった。そうではないか。妾はとうに読者を失ったのだ。もうペンをとることはない。この地で敗残の身をかこちながら、老い朽ちていく。低劣な地球人になど生涯まみえたくない。目に入れるのさえ、汚らわしい!
 地球人、なかんずく日本人。ことなかれ主義で、高圧的で、横暴で、他者を裏切って甜として恥じぬ最低な奴輩。真に滅ぼされるべきなのは、この星の連中なのだ!
 しかし、妾はこれから二人の地球人と謁見せねばならない。カジーが巧言にのせられて、妾の許可も得ず、勝手に話を取り結んでしまったせいだ。
 レモネードを飲み干した。
 気が滅入る。地球人とは会いたくない。
「まだ妾に会いたいという物数奇な地球人がいるとはな・・・」
 ひとりごちて、また外に視線を投げる。
 いつの間にか、太陽と海の情事は終わっていた。夜が世界をクールダウンさせる。妾も頭を冷やそう。

 灯りは点けない。暗闇に包まれる。
 ギイィ、ギイィと揺り椅子にもたれ、暗闇に身を委ねる。
 夕方、ラジオから流れていたポップスが、頭の中にしつこく残っている。ビーチボーイズとかいう、くだらぬ名前のグループの「イン・マイ・ルーム」とかいう、くだらぬ曲だ。くだらぬづくしで、記憶容量をムダにしてしまった。腹立たしい。もうラジオをきくのはやめようか。だが・・・
 ・・・・・・
 闇がやってきた。
 僕は一人きりだ。
 でも平気だ。
 僕は自分の部屋にいるのだから。
 イン・マイ・ルーム。
 ・・・・・・
 悔やしいが、共感するぞ、ビーチボーイズとやら。
 確かにこの部屋にいれば、闇も世界の不条理も怖くはない。
 だが妾は心の一隅で、密かに待っているのかも知れない。
 妾が自ら好んで身を入れたこの鳥籠から、妾を連れ出してくれる「解放者」の出現を。

(つづく)


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