作品集に戻る


或るカラフトマスをめぐる身辺雑記

 
スター・チルドレンの桜井和寿は、彼らのアルバム「深海」の中で、鹿爪らしく、シーラカンスのことを歌っている。


        ある人は言う 君は滅びたのだと
                  ある人は言う 根拠もなく
生きてると
    とは言え君が 
       この現代に渦巻くメガやビットの海を泳いでいたとしても
                                 だ
              それがなんだって言うの
                         か
      何の意味も 
        何の価値もないさ

     (中略)
     どうしたら僕ら 


答え


          を見つけだせるの

       どんな未来を目指すも 
               何処に骨を埋めるも
                      選択肢はいくつだってある
                               言うなれば

自由


             そして僕は微かに左脳の片隅で       君を待ってる


 「シーラカンス」は何かの暗喩らしいが、桜井がそれっきり「シーラカンス」について、だんまりをきめこんでいるため、小生、十年経った今でも、桜井の言わんとしていることが、頓と理解できずにいる。ただ、「シーラカンス」は桜井にとって、孤高のイノセンスを感じさせる存在なのであろう、と漠然と、そして漫然と、推量するのみである。

 以上は前置きである。

 以下は妄言である。

 単に、小生がポップスターの向こうをはって、魚にまつわる一挿話を、とりとめなく物語りたい誘惑に駆られ、虚しく駄言を費やす自慰的散文にすぎない。
 詰まるところ低質な身辺雑記である。暇のある人はネタ系ブログの延長と割り切って、お読み捨て頂きたい。そのぐらいの代物である。いや、マジで。 

 今年の正月、女と山間をドライブした。
 小生より幾つか年上の小谷サンという女性で、ニックネームは「コタニン」。現在は堂々と「コタニン」呼ばわりしているが、この呼称を彼女との間に定着させるのには、少しばかりホネが折れた。
「コタニン」
と呼ぶ。そうすると小谷サンは、
「ナンなんですか、コタニンて」
と彼女の郷里である熊本方言でいうところの「オッペシャン」の顔に、苦笑を浮かべ、上目遣いで小生を睨む。ソソラレル。海綿体に血液が流入し、イチモツがグイと隆起する。
 決して美人ではない。タイプかと問われれば、違う。ただ座って、職場のパソコンに向かっているだけでは、並の三十女に過ぎない。
 昔、愛用していた湯呑みを思い出す。たぶんデパートででも買ってきたであろう安物の、何の変哲もない伊万里焼の贋物みたいな、つまらぬ湯呑みだったが、その鄙びた佇まいが味わい深く、ザラついた手触りはどことなく安堵感を与え、白い表面は艶かしく感じられて、大いに愛用していた。これがワビザビってやつなのだろうか、と便利な言葉で、不可解な嗜好を自己理解した。
身も蓋もない言い方を回避すれば、コタニンへの情欲は、その湯呑みを愛でる心理に似ている。敢えて身も蓋もない言い方を回避しなければ、三十女の色香にヤラレタ。
 思い余って、
「ノミに行キマセンカ?」
と誘うと、あらまあ、飄然と了承された。対東アジア外交並みの駆け引きを覚悟していたのだが、言ってみるもんだ。求めよ、されば与えられん。
 これが石油だったら軽自動車なら何mか走ってしまいそうな量の精液を、無駄に消費させてくれた女と、ビールを酌み交わす。
 コタニンは、こういうの久しぶり、昔みたいに飲めるかしら、と目を細め、ジョッキを傾けていた。ホロ酔い加減でカラオケボックスに入った。この夜のコタニンの曲目リストは、ジュディマリ、一青窈、尾崎亜美、キロロ、知らない外人さんから石川さゆりの「天城越え」まで、選曲は多岐に渡った。巧かった。手堅く、才気走らず、ソツのない歌唱力。ノーマルな選曲といい、彼女のキャラクターが反映されている。ますます好意を抱いた。もしも、だがコタニンがアニソン、とかハマザキアユミなんかを熱唱していたら、小生の彼女への態度は、やや冷却していたかも知れない。ハマザキを歌うオンナは嫌いだ。生理的に。
「え〜、マズイよ〜。ホンキなの〜?」
と普段の「(年上なのに)運動部の後輩」的態度を解除し、タメグチになりながら、コタニンは最終的にこの夜、ヒラリと小生と一線を越えてしまった。
 フェラはコタニンがどうしても応じてくれなかったので、諦めたが、痩せつつ、潤いのある身体をたっぷり堪能した。まるでニボシのようだった。いいダシが出た。この身体を独占している彼女の夫に軽く嫉妬したりもした。小生もコタニンもダシまみれになりながら、乱れた。

 コタニンを知っている人間にとって、「コタニンが不倫」というニュースは、「コタニンがモー娘。入り」くらい信じられないはずだ。
 コタニンを一言で評するなら、「適切(もしくは適度)な女」である。
 適切に仕事をこなし、適切に家事をこなし、適度に遊ぶ。適切な美容院に行き、適切な映画をビデオ屋でレンタルし、適切に付き合っている友人の悩みに適度にアドヴァイスをし、適切な夕食の惣菜を適切なレシピで調理し、適切に選んだダンナに出す。聖人君子ではないので悪いこともやる。勿論、適切に。振り幅狭く善悪を行う。適度に抜けてるし、適度にズルもする。そのくせフェロモンだけは、適量ではないから困る。分相応に暮らし、無難に生きる。即ち、自分の人生の安定を好奇心の充足と等価には扱わない。
ゆえに、不倫相手の小生ですら、コタニンの真意の奈辺にあるやは、最後までわからなかった。
 一度思い切って、何故、小生と関係を持つのか、と訊いたが、
「う〜ん」
と首を肩にくっつくくらい傾げ、微笑をたたえながら絶句していた。
 仕方ないので、
「何もないんかいッ!」
と関西芸人ばりに前のめって、その場をしのいだ。
 おそらくは彼女の語彙中には存在しない名前の感情に突き動かされて、逢瀬を重ねているのだろう。そう自分を納得させ、精神的安定を得た。
 とまれ、ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーの古典にありそうだなあ、と自慰的に、この非凡なような、でも世間にはザラにありそうな、ゆるい「不適切な関係」を愉しんでいた。

 午前十時半に市民公園の水の出ていない噴水前で待ち合わせた。
 約束の時間より九分早く到着した。
 自販機で購入した缶コーヒーをチビチビ飲み、セブンスターをふかす。一本、二本。執筆中の駄小説の構想を練る。例によって「スケッチ風私小説風味」だ。年末、友人三人と山ひとつ越えた在所にある混浴温泉宿に一泊したときの顛末を、多少の誇張を交えて、一本の短編にした。行く前までは、少年に戻ってワクワクドキドキ血沸き肉躍っていたのだが・・・という筋立て。八割方できている。宿で徒労感と倦怠感に襲われたヌードハンター御一行様の描写は、作中の白眉である。我ながら、良く書けていると、私かに自画自賛している。誰も褒めてくれないから、名マラソン選手のように、自分で自分を褒める。作家、読者、批評家、ファンの四役を一人でやる。

 コタニンは十時半ジャストに現れた。
 紺のダッフルコートにジーンズ、それに黒縁の眼鏡。リュックを背負ってる。野暮ったい格好だ。なんだか図書館にでも行きそうな格好じゃないか、と思っていたら、半ば当たっていて、ダンナには、図書館に勉強しに行く、と言って家を出てきたという。
「最近、怪しまれてるかも」
と助手席に乗り込むと、コタニンは言った。
「友達と会うからって言うと、あんまりいい顔しないのよ。『男じゃないだろうな?』って冗談ぽく訊かれたけど、あれは半分、いや三分の一ぐらいは本気ね。目が笑ってなかったもの。ウチの人、ああ見えて(知らないよ、会ったことないんだからby小生)嫉妬深いし、カン、すごくいいの」
 コタニンは、彼女の良人が、あと半世紀遅く生まれていたら白いモビルスーツのパイロットが天職になるであろうはずの直感の持ち主だという証言を、ふたつみっつしてくれた。
「資格の勉強はじめてて、ラッキーだったよ」
 あまり信頼できる筋からの情報ではないが、コタニンの良人は元ヤンキーらしい。ヤの付く職業の知り合いも何人かいるという。ゴダール的世界に浮かれていると、ある日突然、Vシネマ的世界の住人が、小生のアパートのドアをノックするかも知れぬ。ジャン・ポール・ベルモンドと竹内力が邂逅は凄絶に違いない。
「さてと」
「サイドブレーキ」
「あ、いけね」
小指のことを憂慮しすぎて、盆槍してしまっていた。仕切り直し。出発。
「今年も日本中の式場でバカな新成人が暴れてるのかな?」
 コタニン、社会派的切り口で会話をスタートさせる。
「まあ、風物詩だからね」
「ああ、もう成人式から十一年経つんだ〜」
 日本から自分自身へと関心が移行した様子だ。
「年取ったなあ」
 慨嘆とは裏腹に、加齢を楽しんでいるようなトーンがある。無駄な抵抗をせず、加齢を受け容れている。化粧もファッションも年相応。そういう人だ。
「髪型、また変えたんだね」
「ああ、まあね」
 こないだ、会ったとき、適切な彼女にしては、らしくなく、似合わないパーマをかけていたので、似合わない、と評したら、本人も薄々気付いてたらしく、やっぱり?と苦っぽく笑っていた。
 ショートは大好物である。かつて、ヒロスエや釈由美子には本当にお世話になりました。
 ギリギリまで膨張したコタニンへの想いが、容量オーバーを起こしそうだ。溢れる! ああ! 臨界点突破。
「コタニン」
「何?」
「結婚しようか」
「う〜ん。それは難しいなあ」
「いいじゃん。しよう、結婚!」
「その前に、ノンクン、仕事見つけないとね〜」
 ノックすればドアを開けてくれる。でも、いつだって玄関先で応対される。

 黒いローブを着て、カエルの干物を調合する皺くちゃ婆だけが魔女ではない。聖女も魔女も案外つまらない容姿で、ドラッグストアで特売品のカップ麺をまとめ買いしてたり、宮崎駿のアニメを見るために映画館の行列に加わってたりしているのが、当世なのかも知れない。
 立ち寄った国道沿いのデニーズで、運ばれてきたミルクティ−にダイエットシュガーを、サラサラ注ぎ込んでいる目の前の平凡な市井の一主婦も、もしかしたら魔女の変種なのだろうか。
 魔女かも知れない女は紅茶を一口すすり、
「仕事見つかった?」
「見つかるも何も、探していない」
「駄目だよ〜、働かないと」
「仕事ならしてる」
「あの仕事?」
「そう」
「あんなの仕事のうちに入らないよ〜。もっと普通の堅気の『労働』って感じの仕事、する気ないの?」
「あのな」
 コタニンに私小説作家の愛人としての心得を説かねばなるまい。
「修理工場でツナギ着て油まみれになってる志賀直哉を想像できるか? 面接官に突っ込まれた質問されて冷や汗かいてる瀧井孝作を想像できるか?」
「志賀直哉自体を良く知らない」
「とりあえず『城の崎にて』を読んでみなさい。短いやつだから」
 「城の崎にて」をすすめるのは、もう四回目だ。コタニンは彼女の人生にとってなんら、メリットにならない勧誘を、再々々度、微苦笑ひとつで無効化し、
「昼は油まみれになって働いて、しかも小説書けるなんて、すごいカッコイイと思うけどな〜」
「私小説作家ってのは暇人であるべきなんだ。懐手して田園を逍遥し、書斎で頬杖ついて思索に耽る。夫婦喧嘩の中に人生の機微を見、坪庭の風景に小宇宙を見る。志賀はいいよなあ。アイツ、しょっちゅう温泉行ってさ、旅行先で蕎麦が旨かった、間違い電話かけちゃった、愛人のことが妻にバレた、なんて類の話書き散らして、そんで神様扱いだぜ。そりゃあ、太宰には散々罵倒されたけど、太宰よりずっと長生きした。神様扱いのままね。いい商売だよ。俺も神様になりたい」
「神様に?」
 コタニンは微苦笑を納めるタイミングを逸して、ずっと同じ表情のまま、わかんないや、と切り分けたフレンチトーストを口に運んだ。そりゃ、そうだ。高説たれてる本人もよくわかっていない。話していると、いつも見失ってしまう。挟雑物が多過ぎるのである。自分の文章と同じだ。果断を以って挟雑物を排除したら、何一つ残らない気がする。自分の精神を形成しているのは、案外、挟雑物だけなのかも知れない。白紙と沈黙を挟雑物で埋め倒す。そうやって一場面、一場面と凌ぐ。その累積が小生の人生だ。なんてこった。まるで浮世は涅槃に行くまでの待合室じゃないか。その待合室でたまたま出会った三十女と、お茶を飲み、メシを食い、セックスして、順番(臨終)を待つ。
「正直、ノンクンの小説って・・・その・・・ゴメンナサイってカンジだけど、オモシロクナイ」
 そう云われちゃ、救いようがない。私生活もダメ、作品もダメ、では最低である。
 落ち込みかける小生に、
「テーマが良くないんじゃないの?」
 けして、才能がない、やめろ、とは云わないところが、コタニンの優しさだ。もっとも裏返せば、それだけ小生に対する愛情が薄いとも言える。これが、良人の場合だったと考えてみよう。おそらく面罵されることはないだろう。が、家事もセックスも笑顔もストライキし、ダンナがワープロを質に入れ、全蔵書をブックオフに売り払うまで、モアイ像の如き表情で押し黙って、一言も口をきかなくなるに違いない。
 出会ってから、一年以上。未だ彼女が怒ったところを、見たことがない。一度も、だ。が、この人は、たぶんそういう怒り方をする人のように思える。砂塵を巻き上げて城門に突入する猛攻はせず、城を十重二十重に取り囲んでジワジワ干殺しにする。沈黙して要求を通すタイプだ。
「もっとウケるものを書けばいいじゃない。そうだな・・・恋愛モノ。セカチュウみたく。ファンタジーもいいかもね。それを同人誌なんかじゃなくって、ちゃんとしたトコに持ち込むの」
「書けないよ」
 そう、とコタニンはそれ以上の助言をきりあげ、
「私のことも書いたりするの?」
「そろそろ書こうかな、と思ってる」
「本名で?」
「ダメ?」
「本名はやめてよ」
「読む人間は十人もいないし、読む人は皆、コタニンを知らない人だから」
「でもやめて」
「OK」
 言い争っても仕方ない。小説中の人名など所詮符号でしかない。
コタニンはまだ用心深く、
「今日のこと、書くの?」
「面白ければ、ね」
 嘘。面白くなくてもネタにする。訂正。コタニンと一緒なら、友人の葬式の席だって愉快になれる。大笑いできる。だから友人が死んでも、コタニンと一緒に弔問には行かない。普通にお悔やみしたいからね。でも断言しよう。コタニンとならば、霊安室に次のミレニアムまで閉じ込められても、快適に過ごせる。スキだ! アイラビュー、、、
「コタニン」
「何?」
「キスしよう」
「それは置いといて」
 愛しき人は、バンッと提出された陳情を、スッと保留扱いにしてしまう。こうて蓄積した無数の保留事項を彼女はきっと、次のミレニアムを過ぎても、保留しつづけるのだろう。
「水族館に行かない?」
「水族館?」
 走ってきた道と海は逆方向だ。
「A村にね、あるのよ、水族館」
「水族館? A村に?」
 A村は鉄道も通っていない山間の僻地だ。山の中に水族館だなんて、ミスマッチだ。カウボウイが小指を立てて、ミルクティーを啜ってるくらい、間が抜けている。それとも小生の世界が狭いのだろうか。
 なにやら狐につままれた気分だが、まあ、いい。
「行くか」
 伝票を手に立ち上がる。
 昼食代は割り勘にした。

 水族館は、M川のほとりにあった。
見世物小屋に毛が生えたような、インチキ臭いバラックなんぞを想像していたが、流石コタニン、趣味がいい。なかなかの「穴場」ではないか。
 ちっぽけな地方自治体には分不相応な、えらく立派な現代建築だった。大方、バブルの頃、ふるさと創生なんて、噴飯物の国策の下、バラ撒かれた気の遠くなるような額の税金で、全国津々浦々にポコポコ蔓延った、化け物のような「文化施設」のひとつなのだろう。
 家族連れで賑わっている。バブルの遺産にもそれなりに需要はあるようだ。
 水槽には、県下一級の河川であるM川に棲息する魚類や両生類が、放り込まれ、ひしめき合い、来場の善男善女の観覧に供せられている。イワナ。ヤマメ。ウグイ。アユ。サワガニ。シマドジョウ。旨そうだ。川魚を出す料亭を併営すればいいのに。やっぱり魚は食べるものだろう。
「うわ〜、でっかい」
 コタニン、オオサンショウウオの水槽の前で、頻りにその巨大さを称えている。デカイデカイと目を輝かせている。はしたない。オオサンショウウオがデカイのは当たり前だ。ポケットサイズのオオサンショウウオなら驚いてやってもいいが。
 館内を歩く。所在なく、水槽のコイや巨大なウナギ、絶滅しかけているというヤモリを見物し、ひととおり館内を巡る。豆知識。山奥の清流に棲むカジカは鳴かないのだそうだ。また、歩く。かつて一世を風靡したウーパールーパー(メキシコサンショウウオ)が、こんな寒村にまで、ドサまわりに来ている。流行ったよね〜、と連れの女と同世代ならではの話題で盛り上がる。更に歩く。
 さて本題。
 この日、一番、否、唯一、小生の心を捉えて、半年近く経った現在でも、折にふれては思い起こされるのが、片隅にひっそりと展示されていたカラフトマスのハクセイである。

 辞書を牽こう。

   からふと‐ます【樺太鱒】
サケ科の海水魚。全長約五〇センチ。体は紡錘形で側扁し、背側は青黒色、腹側は銀白色。
満二年で成熟し、日本では東北地方・北海道の河川に上り、産卵して死ぬ。このころの雄は吻(ふん)が著しく湾曲し、背が張り出すので、背っ張り鱒ともいう。北太平洋に広く分布。塩蔵品や缶詰にされる。

 カラフトマスという魚種そのものには、当方関心がない。実を言えば、加工された「彼女」の肢体についての記憶も曖昧模糊として、確とは憶えていないのである。
 構わない。どうだっていい。
 興味があるのは彼女個人(個魚?)の生前のヒストリーである。
 ハクセイの由来を解説する新聞記事の切り抜きに、
 ―おや、
と出口に向かっていた注意を引き戻された。

 シベリヤや北海道のオホーツク海など、地球の極北に棲息するこの魚は、その産まれた河川に回帰する能力に乏しいらしいのである。
 とは言え、ここに一匹、途方もないうっかり者がいて、生来の寒がりだったのか、南も南、坂東の片田舎に、ひょっこり顔を出し、リーマン太公望のナントカさんに釣りあげられてしまった。茨城県の那珂川以南で、カラフトマスの生存が確認されたのは、本邦でも初めてのことである、と地方新聞の記事は誇らしそうだ。ナントカさんも驚かれたらしい。早速、地元の水族館に寄贈して、いまはハクセイとなって、レーニンのように、死後も、硝子ケースの中、小生ら巡礼者たちに謁を与えている。
 故郷に帰って、産卵し、子孫に遺伝子を伝えていくのが、彼女らの本来の生存目標ならば、この処遇は彼女にとって甚だ不本意なものと、泉下の彼女に変わって嘆ぜざるを得ない。
 これは一種の貴種流離譚である。
 北の果てに帰るべきカラフトマスが広い大洋で、彷徨い、フラフラと流れ流れて、我々の生活圏まで泳いできてしまった。彼女はカラフトマスの世界では唯一の探求者、無二のオチョコチョイである。
 この先、彼女を凌駕する冒険心の持ち主が、あるいはオチョコチョイが現れて、紀ノ川あたりにでもポッカリ姿を見せる可能性もあるが、現時点では彼女がカラフトマス南限の王者である。

 コタニンも隣で新聞記事と睨めっこしている。サンショウウオのときほどではないけれど、
「へえ」
と感嘆して、小生の物数寄に付き合ってくれている。
「この村唯一の日本一じゃないか?」
「そうだね」
「しかも日本一の方から転がりこんできた」
 地味だけどね、とコタニンが笑った。
「無念だったろうなあ」
「誰が?」
「このシャケ」
「シャケじゃなくてマスだよ」
「同じようなもんだろう。生まれた川に帰って卵を産むのがシャケの使命だからな。いくら、こんなキリスト教の聖人のような扱いを受けたって、これじゃあ、ハンパモノだよ」
 「ハンパモノ」という言葉に、コタニンは一瞬、尻尾でも踏んづけられたような顔をした。内心、自らの失言を激しく後悔した。憎悪に近い自己嫌悪が沸いた。
「まあさ、シャケに生まれなくって良かったよ、人間で。人間は子孫なんか残さなくたって・・・特に現代人はさ、戦国武将じゃないんだから、別に。むしろ子供なんか、金はかかるし、自分の時間はなくなるし・・・苦労して育てても、俺みたいに、恩を仇で返す」
「あはは、まあ、そんな自虐的にならないで。怒ってないし、別に気にしてないから」
 コタニンは、こちらの焦燥を他所に、勝手に普段のコタニンに戻っていた。

 潜水・・・。深く・・・

 もっと深く、

 深く、

 深く、

 深く、

 深く、

 深く、

 深く・・・・・・

 幽かなチェロとムーグシンセサイザーの音が聞こえる。ふたつの音は絡み合い、まずチェロが消え、シンセもやがて、宙ぶらりんのコードを断末魔のように残し、消えていく。
 グッ。
 水圧だ。身体がギシギシ世界と軋轢を起こす。なんだよ、真っ暗じゃないか! チクショウ! 巫山戯るな! 光だ、光! ヒカリをくれ! 苦しい。喉がイガイガする。背中がひりひりする。疼痛。煙草、吸いすぎた。早いとこ禁煙しないと、死神に取り憑かれちまうぞ!
 グロテスクなほど縹渺としている。父母未生の虚無。ひどく寒い。寒いよ。せめてクツシタをくれ。どうなってるんだ? 半覚醒の状態で、のたうち、のたうちまわり、世界と自己の接点を探す。祈ってみようか? やめよう。カミサマなんていう壮大なフィクションを、自己の卑小なリアルに、如何挿入すりゃあいいんだ? 
 間違ってる! 違う! 違うよ。違うッ! 世界は「こんなん」じゃない! もっと開かれていて、ホラ、きっと何処かに楽園が存在するはずで、青い鳥はすぐ傍らに、なんていう寓話は小市民的欺瞞の産物でしかなく、少なくとも「いま、ここ」は楽園じゃない。だから探すんだ! 達観するな! 見つからなければ、世界の果てまで泳いでいくまでだ。
 ただ一匹、群れから離れる。クネクネと水圧に逆らい、運動する。夢中で水を掻く。新天地を目指す。自分自身がメイフラワー号だ。進路を取れ! 孤影、南へ。
 泳ぐ。 
 どこまでも、泳ぐ。
 どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、

 ・・・・・・・・。
 向かっているのだろうか? 逃げているのだろうか?
 手を伸ばせば、温かい。ぬめりと柔らかく、温い。世界に接触する。タッチイズラヴ。ラヴイズタッチ。辿り着いたのか? ここは何処だ?
 あ、あ・・・
 ウン・・・。
 音がある。温もりが、ヒカリがある。恩寵があり、安息がある。タシカナリアル。リアルにはオマ○コがついてる。至福なる和姦。
 あ、あ・・・
 ウッ・・・。
 女が喘ぐ。アルト笛みたいな音色が、耳朶を心地良く打つ。
 コタニンのオマ○コを指先でクリックする。アンと嬌声があがる。小娘のようじゃないか。
 コタニンは圧し掛かる体重を、体温を、体臭を、運動を、欲望を、しっかりと受けとめ、受け容れ、ほっそりとした身体で健気に応じる。
 ずっと拒んできたフェラを解禁してくれた。
 不器用に小生の「オオサンショウウオ」を吸引している女の胎に、子供を、俺の子を宿らせたい、と強烈な生殖への衝動が惹起する。
「コタニン! 子供、俺の子供、生んでくれッ!」
と両腕に力こめ、掻い抱くと、コタニンは仰け反り、哀訴するように、
「生めないよッ! アタシ、生めないんだってばッ!」

「なあ」
 ベッドのうえ、チョコンと体育座りしているコタニン(チョコタニンと命名す)に、声をかける
「何?」
 コタニンはテレビに釘付けだ。美味しいラーメン店特集にすっかり見入っている。
「不妊治療」
 その四文字は、少なくともリポーターの若手芸人が挑戦中のジャンボラーメンよりは、彼女の心を揺さぶったらしかった。「不妊治療って試してみるつもりないか?」
「・・・・・・」
「一昨日さ、テレビのドキュメンタリーでさ、やってたんだ」
「・・・・・・」
「諦めなくたっていいんだ。あのカラフトマス・・・」
 みたいになることはない、と言う後半分を辛うじて飲み込んだ。
「不妊治療・・・やってみないか?」
「あははははは」
 コタニンが突然、笑い出した。ブラウン管の中、芸人がジャンボラーメンを鼻から噴出していた。
「コタニン・・・」
 自分の言葉は彼女に届くだろうか。
「俺が変なこと言ったんなら怒ったっていいんだよ。嫌ならノーって言えばいいし、むかついたのなら、怒りなよ。パーマ似合わないって言われたら怒ったっていいんだって。いや、むしろ怒れよ。大人しく髪、切ってんなよ。メシ代、俺に押し付けたっていいんだよ。くだらない小説なんて書いてないで、ちゃんと働けって、年上として社会人として、俺のこと、叱ったってさ、いいんだよ。俺、受け止めるからさあ。頼むから、俺を素通りしないでくれ。ケンカしたっていいじゃないか。俺、コタニンとなら、ケンカしたいよ。もっと傷つけ合おうよ。いいじゃんか、傷ついても、傷つけても、さ。二人で解決して・・・修復していけば、さ」
 無理な要求だろうか? 無理な要求だろう。ゴダール世界の住人の口にすべき要求ではない。彼らは不毛に耐えている。不毛はフギミッツウの宿命だ。だが、自分は不毛感に、距離や緊張感に、耐えられないようにできている。普通の恋人同様、確固たる関係を、信頼を、契約を、忠誠を、安定を求める。野暮天だ。そもそも不義者の資質がないのだろう。ようやく気づいた。遅すぎだろうか? 遅すぎだろう。
「そうだね」
 コタニンは言葉だけで同意して、年下男の渾身の暴投を、一顧だにせず、見送ってしまった。天性の不義者なのだ。あるいは、帰る場所がある者ゆえの強さなのかも知れない。
 不意に彼女の人生を滅茶苦茶にしてやりたい衝動に襲われた。
 彼女の家庭や職場に乗り込んでいって、今までのアライザライぶちまけて、総てを失わせてしまいたい。社会人としての彼女を没落させてしまいたい。彼女のベースキャンプを潰し、糧道を断って、背水の陣で俺と対峙させるのだ。俺と添い遂げるという以外の選択肢を剥脱してしまうのだ。そうして二人、堕ちるとこまで堕ちていく。ジャンキーかホームレスにでもなって。即ち社会的に心中するのだ。愛する人と一緒に、ゴミ箱を漁るのは、それはそれでたまらなく甘美だろう。
「ラーメン食べたくなっちゃったな」
 コタニンは、間抜け面して烟草をふかしてる小僧の心の一隅に生じた仄暗い情熱を察知したのか、やけに明るい調子で云った。
 たぶん、この人なら適切に火遊びの始末をつけるのだろうな、と思った。冷静にバケツに汲んでおいた水をぶっかけて、火種をサンダルの裏でじりじり踏み消して、知らぬ顔の半兵衛を押し通す。けして、愛人の存在が発覚して細君にヒスを起こされる、何処かの神様のようなポカはやらかさない。作家気取りの社会的ゴミクズがいくら騒ぎ立てたところで、彼女の分厚い心の皮膚は、なんら痛痒を感じないだろう。昨今は「ストーカー」なる嫌な言葉まである。熱烈なアプローチも女の意に副わねば、黒い紳士録にリストアップされてしまう御時世である。反社会的攻勢を辞さない小生に対し、コタニンは躊躇せず、ケーサツの出動を要請するだろう。

 別れ際、コタニンは
「じゃあ」
と云って手を振った。そして平凡な祝日の夕べに復帰していった。帰るべき場所に帰るのだ。
車のドアが閉まる。
 世界が二つに割れる。コタニンの帰っていく適切な世界と、コタニンの残り香をとどめる不適切な世界。コタニンは世界をひき連れて、遠ざかっていく。不適切な世界に取り残される。ひとりぼっちだ。今夜はラーメンを食べよう。盆槍思った。

 あれ以来、コタニンとは会っていない。
 向こうから、何の音沙汰も無いし、こちらからも連絡をとらないまま、半年が経つ。
コタニンサイドにたって鑑みれば、潮時だったのだろう。適切なタイミングだったと思う。コタニンはやめどきをちゃんと知っていた。「じゃあ」の一言で、不適切な狭雑物の一切を、不適切な恋人もろとも彼女の生活からこそげ落としてしまった。

 小生の「略奪婚計画」はあえなく頓挫した。

 桜井和寿は「深海」のクロージングで、思い出したようにシーラカンスのことを歌いだす。饒舌に。ヒステリックに。


     僕の心の奥深く
深海

              で君の影揺れる
                あどけなかった日の
 僕
                    は夢中で
 君
                         を追いかけて
       追いかけてたっけ

            シーラカンス
               これから君は何処へ進化むんだい
              シーラカンス
                 これから君は何処へ向かうんだい

 (中略)
連れてってくれないか

連れ戻してくれないか
僕を           

僕も




 これから自分はどうやって、どこに向かっていくのだろう。
 あのカラフトマスが脳裏にフラッシュバックする。
 ひたすら行けるところまで行くしかない。ひとりで、だ。どうせ踏み外すのならば、常人の理解を超えた彼方まで逸脱してやろう。新世界を目指すのだ。途中で力尽きてもいいから。
 人類が滅亡して、新たな知的生命体が地球を牛耳ったとして、そうした連中が小生の化石をしげしげと眺め、ジンルイの中にはこんな奇怪なヤツもおったのだなあ、とタメツスガメツするぐらいにまでなったら、こんな小生にも浮かぶ瀬があるやも知れぬ。
 とりあえず体を鍛えはじめた。
 何事も体が資本だ。
 ジムに通う。流汗三斗、トレーニングに励む。
 あの日からずっと、休止状態だった「執筆活動」を再開しようと考えた。混浴温泉宿の話の続きはもう書けそうにない。もう半年前と同じテンションは取り戻せない。「新作」に着手すべきだ。当然、彼女のことを書く。ついでにカラフトマスのことも。
 違う。本当に書きたいのはカラフトマスのことで、彼女がついでだ。
 ジムの行き帰り、いつも農協のそばを通る。
 最近は農協も葬儀場の真似事をやっているらしい。毎日、何かしら葬祭が行われている。
 先日も告別式の案内が出ていた。
 「小谷家」
と看板は農協の方角を指差していた。
 「おだに」だろうか、「こたに」だろうか。関係者でないので、勿論わからなかった。
 どちらにせよ、ヒロインの、彼女の小説での名前は「コタニ」でいくことにした。

           (了)


    あとがき

 あまりにディープなネタばかりの一種興行に、さすがにこれはマズイと思った。HPの運営者のうめろうさんも「普通の小説」を書いて欲しい旨、おっしゃられていたんで、じゃあ書きましょう、と「普通の小説」に取り掛かったが、まさかこれほど悪戦苦闘するとは思わなかった。苦行、の一語に尽きる。そしてできたものの感想は、「普通の小説」じゃないなあ・・・。飄逸で素朴な私小説コメディを志向していたのに、なんだかワケノワカランものになってしまった。
 文章には書いた人の人格が顕れるようで、今回の作品もそうだ。冗漫で気取ってて自意識過剰でムラがあって内容がない。自分という人間を如実に反映していると思います。う〜ん、気が滅入る。書きながら、「『小生』ってなんだよ」とセルフツッコミしちゃいました。はっきり言います。失敗作です。




作品集に戻る


inserted by FC2 system